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『革命日記』稽古場見学 ~秘密基地に入る~

 小学校の体育館裏には、ほとんど誰も通らない狭い一本道があって、意外にも丹念に手入れされているその細道は、体育館と、学校敷地の内と外を隔てる背の高い金網とのあいだに挟まれていた。金網には一か所、大きく破れた部分があった。

 よく晴れた春のある日、小学2年生の私は、そのほころび――真横に裂けた金網の、たるんだ部分はハンモックのように寝心地のよさそうな平面だった――を見つけ、嬉々として一番仲の良かった友達にこっそりとその場所を打ち明けた、私たちだけの秘密基地として。案の定、その秘密の場所は、早くも次の休み時間にはクラス中に知れ渡っていて、その日の「終わりの会」では、邪気のない友達が勢いよく手を上げ、「今日○○ちゃんが秘密基地の場所を教えてくれて、嬉しかったです」と堂々と発表した。

 「秘密基地ごっこなんです」――演出・松井周のこの言葉で、私は小学生時代の他愛ない秘密基地エピソードを思い出し、同時にこれは、松井の描こうとしている『革命日記』という戯曲の本質を見事に表していると思った。

 3月16日土曜日。本番まで一週間を切り、映画美学校アクターズ・コース2期生の卒業公演の稽古も、いよいよ大詰めを迎えていた。本番の劇場となる春風舎に入るのは二日後の18日。小屋入り前最後の稽古となる。この日は第1場と全体の通し稽古が行われ、松井による細かい演出が加えられていく。

 稽古開始前、舞台セットでくつろぐ役者たちの、打ち解けたなごやかな雰囲気は、革命を企てる組織のアジトという剣呑な場所にも関わらず、穏やかな人間関係のつながりを軸に進められる第1場の空気感と地続きでつながっているようにも見えた。とはいえ、日常的な食事風景に織り交ぜられる革命を示唆する「彼ら」の耳慣れない台詞は、役者の緊張もあってか、そらぞらしく感じられる部分もある。「はじまりが大事です」松井が言う。「お客さんが、ここで何が起こっているんだろう?っていう、空気感を味わうところを大切にしたい」。登場人物がドラマチックで非日常的な犯罪者たちではなくて、私たちと同じように家族や友達のいるあたりまえの人間であるというリアルさが伝われば、観る者の物語に対する距離感はぐっと狭まる。始まり方は重要だ。

 松井は、まさに「見守る」という表現にふさわしい、あたたかい目線を注ぎながら、役者たちの動きを見る。そして、声の大きさ、間のとり方、台詞の区切り方などに、簡潔で分かりやすい指示を出しながらも、うまくつながっていない場面は、登場人物の心情を掘り下げてじっくりと検討する。たとえば、「①このときAは思わず強い言い方をしてしまい②Bはきつく言われたことを感じとって③そこでAは自分が強く言いすぎたと思って」といった具合に、台詞の発せられる意図を丁寧に整理しながら、積み重ねる作業を繰り返す。また、「部屋全体を見渡して、ここに(一般人を)入れるの?と思っていることを見せて」「お互いにちらっと見て、でも同時ではなく、別々に」など、目線に関する指示も多い。視野がつい狭くなっていたり、キャラクターを固め過ぎていたりする役者に対しては、うまくいっている部分とよくない部分をそれぞれ見つけ出してシーンごとに稽古する。こうした松井の演出に対し、役者たちも素早くこたえ、敏感に芝居を流動させる。これまでに自分が演じる人物像を、時間をかけて築き上げてきたからこそできる反応であろう。

 平田オリザ戯曲の特徴といえることだが、いくら穏やかで日常的な会話が行われていても、実は水面下では眼に見えない意識の流れがいくつも渦まいている。非合法行為を企てていることを世間に隠している革命組織なら、なおさらその渦の存在は顕著になる。役者の演技で、その見えない部分を観客が想起することができなければ、芝居は破綻してしまう。各台詞が、何を意識した結果、どういう意図で発せられたものなのか――相手に対するフォローであったり、隣人に聞かせるための嘘であったり――、そうした情報を、演出家と役者で共有し合いながら、一つ一つ明確にしていく作業が進められる。

 そんな綿密で繊細な稽古を真剣に重ねて行きながらも、時折、サンプルの松井周らしい演出も飛び出す。たとえば、革命の前線に立つ兵士・サクライという人物について――「特攻隊コスプレをしている」。舞台上にいるサクライは一般人の服装をしているし、兵士であるようにも見えない。しかし、彼の恋人タチバナは、まるで戦争に愛する人を送り出すようなセンチメンタリズムを持って彼を扱い、サクライ自身も、心理的に「特攻隊コスプレ」を着ることで、組織の為にわが身をささげる自分に酔う節がある。革命が起こらぬ限り、こんな彼らの姿は客観的にみるとひどく滑稽であって、組織のメンバーが真剣になればなるほど、観客は他人の「ごっこ遊び」を見たときのような気恥ずかしさを覚えることになる。サンプルの芝居を見たときにも、必ずといってよいほど感じるこの類の居心地の悪さは、しかし、観客にとって快感でもあるのだと思う。「みてはいけないものをみた」という禁忌に触れた罪悪感だけでなく、自分が「みられる側」に立った場合にきっと感じるであろう、マゾヒスティックでしめやかな心地よさまで想像することができるから、というのは、サンプルファンならではのいささか偏った嗜好かもしれない。ともかく、松井が着せる架空のコスプレが、私たちの想像力を刺激するのは確かである。

 「よくぞここまで、という段階まではきています」通し稽古を見た松井の率直な感想だ。「ストイックに課題をクリアできています」という言葉に、稽古を重ねた役者たちの表情も和らぐ。さらに松井は続ける。「ここまで来ると、別の動きもしたくなります」。余分な動きをそぎ落とし、演技を深めてきた役者たちが、次に求められるのは何なのか。演出家は楽しそうな表情で稽古場にいる彼らを見渡す。「これから、現場で発見できることがあります。床の違いだったり、光、音の響き方も違うだろうし、温度も違う。変わっていくことを取り入れて、楽しみながら、まだまだ肉付けできる」。松井の演出は、役者の五官にまで及ぶのだ。劇場に入り、五官を遊ばせながら、新たな発見を「肉」として取り入れて――「そこまでやらないと、圧倒的なものにはなりません」。次はいよいよ春風舎に入る。卒業公演に向けて、彼らの前進はまだまだ続く。

 さて、聞かれてもいないが私の秘密基地後日談である。秘密基地の場所が周知の事実となってからは、その所有権をめぐっていくつかの小学生グループが熱い攻防を繰り広げたが、彼らは飽きるのもまた早く、秋風が吹く頃にはその存在はきれいさっぱり忘れ去られていた。私は、よく放課後に一人で体育館裏に行き、こっそりと金網のハンモックにねそべって、誰もが興味を持たなくなったが故に再び取り戻したその場所で、何とも言えない愉悦と寂しさをかみしめていた。秘められたもの、それはいつも人間の想像力をかきたて、惹きつける。秘密基地――その魅惑的な言葉。ごっこ遊びは、一人でも、大人になっても、続けることができるものだと、ひそかに私に耳打ちしたのは、演劇であるかもしれない。

 革命を夢見る組織のアジト――そこに横たわる、ちぐはぐな緊張感とおかしみ。自らの選択で隔離された世界に閉じこもる、寂しさと愉悦感。それはまた、役者という奇妙な生き方を選んだ「彼ら」ともリンクする。現実と非現実とのあやうい境界線上に綴られるこの『秘密基地ごっこ日記』を、革命決行のその日まで、そっと見守りたいと思っている。
(2013年3月16日)

澤田春江

脚本家、映画監督。
1985年生。京都府出身

京都府立大学大学院文学研究科英語英米文学専攻修士課程卒業。
2012年、映画美学校アクターズ・コース卒業生主演の映画『まだあくるよに』を脚本監督。
文学を基盤に、表現活動を続ける。
『まだあくるよに』HPhttp://ton-katsu.net/_cinema/mermaid/index.html

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