映画美学校アクターズ・コース ブログ

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『革命日記』の観察日記 その3

 劇場に着いたら、制作嬢が豆ごはんを炊いていた。別のボウルには、できたて混ぜごはん。劇場入りしてからの皆の食事は、ここで、炊き出しされているという。「ここは青年団の、もの作り工房なんです」と山内健司。ここで煮炊きしながら、腰も腹も据えて芝居に取り組み、育っていったのが松井周であり岩井秀人であり、その後も様々な作家たちが、ここから巣立っているのだという。

 制作嬢と並んで、混ぜごはんを小さなおむすびにしながら、お茶やお菓子コーナーに目をやる。今日の晩ごはんはシチューらしい。劇場内に入ると、稽古が始まっている。緊迫した空気の向こうから、野菜を刻む音がする。生活と、演劇。こんなにもそばにある。そしてこの作品も、まぎれもなく、生活と、革命についての物語だ。

 目に見える景色が、二層になるとき。そこが平田戯曲の妙である。いわゆる「同時多発」の瞬間。あるいは「革命」を「生活」が横切る瞬間。ぞくりと来たり、むずむずっと笑えたり。これって、かなり高度な事態だ。すでに空気が違う二色が、それぞれに成立していなければならない。

「自分で、何かしようとしすぎだよ」と松井が言う。欲しいのは「演技」ではなく「呼応」であると。俳優が自力で何かを動かそうとするのではなく、目に見えたもの、意識に入ってきたものに対して、反応してほしいのだと。しかし演出家が何かを言えば言うほど、稽古を重ねれば重ねるほど、演技が固まってしまうスパイラル。俳優なら、誰でも身に覚えがあるだろう。

「ためしに、何の芝居も加えずに、せりふだけぽんぽん言ってみようか。自分の口がおいつかないくらいに」

 開幕前日にして現れた岐路に、松井は、ゼロまで、戻ってみせる。ちょっとだけはらはらする。しかし、芝居はゼロには戻らない。これまでのトレーニングの応酬で、俳優たちにはすでにある種の筋力がついているのだ。何の芝居も加えなくても、流れゆく空気。ほらね、とばかりに松井は言う。「意外とみんな、言葉って、てきとーに言ってるもんだよ」。たしかに。目の前の稽古を聞き取りながら、私の嗅覚はシチューをとらえている。

 言うまでもなく、俳優は、人間である。今日できたことが、明日もできるとは限らない。前回訪問時、地に足がついて、すっかりふてぶてしくなっていた「佐々木」くんが、今度は何やら新たな壁にぶつかっている。感触を聞けば、「地に足がついたとたんに、すごい風が吹いてきた感じです」と眉毛を八の字にしている。それでいい。予測不能。だから演劇は面白い。

 この日は「ゲネプロ」の行われる日。関係者を招き、開演から終演まで、本番通りに行われるリハーサルだ。「緊張は、みんなするものだからね。慣れるしかない。でも、舞台上にいる人たちは、みんな味方だから。ゆだねていいよ」。松井周の説得力は、俳優の実感からやってくる。

 抜き稽古を早めに終えて、シチューを食べて、各自、準備に入る。映画美学校の公演なので、円山町からやってきたであろう映像クルーが、どこにカメラを置くか、音声をいかに拾うかを相談しあっている。それぞれが、それぞれのことをしている。それらが定刻と同時に、ひとつになる。客電が落ちる。じわっ、と劇空間がこちらに染み出してくる。

 そこから先は、彼らだけの世界だ。

【2013/03/21】

小川志津子/インタビューおよび現場居座り系フリーライター。演劇・映画誌などで記事やレポートを執筆。完全自腹型密着インタビューサイト 『あいにいく』を人知れず運営。日本全国、あたたかい人大募集。http://ai-ni-iku.com

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