映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

修了の先を見て

稽古を見学させていただいてから、ずいぶん時間が経ってしまいました。すみません。その間考え続けていたのは、アクターズ・コース“修了”公演という、この作品の位置づけのことでした。

わたし自身、学生時代にずっと演劇サークルにいたこともあって、久しぶりに足を踏み入れた“稽古場”という場所に、自身の昔の姿を見る思いでした。
ジャージ姿の俳優。散らばった私物(あるいは小道具)。自分の出演しないシーンの過ごし方も、俳優によって台本をチェックしたりストレッチしたり、様々なこの空間。三日間の本番のための長い助走期間をかいま見ることができたのは、今は観客であるわたしにとっても、幸せな経験でした。

松井周さんは、ご自身も俳優をされているということで、実際にやってみせながらの演出が多くありました。(これが上手で、見ていてすごく得した感じに!)
俳優たちの家飲みが再現されたような、セットのテーブル。車座になって革命をもくろむ若者を演じる俳優たちに、松井さんは一つ一つの台詞を、きちんとキャッチすることを促す演出の付け方をします。

やり方を教えるわけではなく、俳優自身がそれを“できる”ように“促して”いく演出。そうして松井さんは、平田オリザが台詞に込めた言外の意味を、若い俳優たちと一緒に汲んでいこうとしているのでした。彼らが映画美学校を離れたあとにも、自分の力で脚本を読み、他の俳優とコミュニケーションを取りながら台詞を話せるようになるための基礎体力を作る。そこに、講師としての、松井さんの愛情深さがありました。

「自分が今から何を話そうとしているか、というイメージがないんだよ」というダメ出しが印象的で、そのとき見ていた私の手元のメモにも残っています。
台詞のベクトルをカットアウトしないように、ボールを投げ合うということ。
練習してきた台詞をあたかも初めてしゃべり、先の展開を知らないように振る舞う、俳優という生き物とは一体何なのか。稽古を見学してわたしが考えたのは、そうした当たり前にも思える、しかし永遠の、テーマでした。

稽古が終わってからのこと。
「学校の修了公演に平田オリザ戯曲を選ぶのって、いいですよね」
思いきって話しかけた私の言葉に松井周さんは
「僕もそう思います」
と、笑って下さいました。
「どなたが選んだ演目なんですか」
「僕です。若者たちの群像劇っていうことで。彼らにも合っていると思って。小さなコミュニティと、その外の世界の関わり方を描いているところがね」

戯曲に描かれているのは、続くとも続かないとも知れない若者たちの日々です。しかし、何度も繰り返されてきた日常が綻ぶ瞬間が、物語の中でやってきます。迷いを見せ、俳優たちが他者との関係性を変化させるそのときが、作品としての見せ場であり、勝負どころなのだと思います。

演劇作品の定めとして、この作品を作ったメンバーたち全員が集まってもう一度舞台をやることは、恐らくないでしょう。演劇を続ける人、映画俳優になる人。道は続くけれど、どこかで分かれていくものです。
ともに学んできた仲間と離れる直前、一瞬強く結びついてきらきら輝きを放つ。卒業のための公演にはそういう一瞬があると思うから、この『革命日記』が多くの観客の記憶に残る作品となり、俳優の道を歩む彼らの支えになるといいな、と願っています。

 

落雅季子/会社員/劇評サイトwonderland、F/T2012BlogCamp参加、藤原ちから氏のパーソナルメディアBricolaQでの”マンスリーブリコメンド”の執筆など。