映画美学校アクターズ・コース ブログ

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『革命日記』の観察日記 最終回

 初日、終演後のことだ。

 劇場内に、缶ビールやつまみを持ち込んで、軽い乾杯をしていた時。初舞台の面々も少なくないから、当然ある種の高揚感が場を満たしており、だから思わず心配になってしまった。

 この高揚が原風景になっちゃったら、これから先の俳優人生、どうなんだろう。物足りなくなっちゃったりとか、しないんだろうかと。

 この時、隣にいたのは「小坂」を演じた高橋隆大。皆が二度見していくほど真っ赤な顔をして、でも見た目ほど酔ってはいないのだと繰り返しながら、彼は言った。

「まだまだ。これくらいじゃ、全然足りないですよ!」

 誰もが、まだまだ、伸びようとしている。そのことがうれしいのだと、松井は言う。公演最終日、午後一で劇場を訪れたら、すでに、というか、いまなお、というか、稽古が行われていた。当レポートの軸とも言うべき「佐々木」の演説シーンだ。映画美学校地下ミニスタジオで、初めて観たときは「とても自信なさげな人の熱弁」だったのが、今ではすっかり「とてもふてぶてしい人の熱弁」に見える。さらに松井はここへ来て、何らかの上乗せを試みている。長いせりふの中の「あくまで」という4文字の接続詞の利かせ方について、何度も何度も試行錯誤を重ねる。

 松井は、まっすぐに上を見ている。「佐々木」役の田山幹雄がここまでかじりついてのぼりつめてきた稜線の、さらに上を。彼には、というか、彼らには、まだまだ上があるのだということを、松井は是が非でも伝えようとしている。

 ロビーと客席を隔てる、黒い引き戸。観客がロビーにあふれている頃、実は、その扉1枚こちら側には、出演者も松井もスタッフも、みな、劇場内にいる。扉の向こうのざわめきを、みんなで静かに聞いている。大の字に寝そべってみたり、ゆらゆらと身体をほぐしてみたり、それぞれのせりふをつぶやいたりしながら。それを客席最後列、ちょっと高めの位置から見渡すのが、私はとても好きだった。開場時間になると彼らは舞台裏へ去っていき、時間が来れば何事もなかったみたいに、芝居が始まる。ある時はこの上なく親しげな、ある時は際限なく張り詰めた、極限の人間関係を生きている人たちの物語が。

 ひとつ、大好きなシーンがある。物語終盤、革命志士たちの古い仲間であり、今はこの世にはいない女性の、妹が訪ねてくるシーン。姉のアルバムにあなたが写っている写真があったと、彼女は典子(坂倉奈津子)に数枚の写真を渡す。典子はそれを受け取り、しばし言葉を失う。「……ああ」とようやく溜め息がこぼれる、その瞬間に、彼女の前にあふれかえった時間たちが、観客の胸にも去来するのだ。きっとその写真に写っているのは、笑顔だろう。その時の空気の色や匂いが、まざまざと蘇ったに違いない。もう二度と戻れない時間の洪水が、典子を一瞬にして飲み込む。「……ああ」の溜め息ひとつで、それがわかる。

 「俳優に必要なのは、才能ではない気がする」。この日、松井が篠崎誠とのトークで語った言葉だ。たしかに、あの溜め息に凝縮された何かは、演じ手の才能とか天分とか、そういった類のものではないようだ。眼の前に差し出された懐かしい写真に、素直に反応しているかどうか。松井の言葉を借りれば「劇世界を泳いで、目に入ってきたものをつかむ」ことができるか。もっと言うなら、過度な表現を無理矢理しなくても、観客の脳内で補完できるだけの伸びしろを残すため、自分の演技を適度に踏みとどめることができるかどうか。そういう状態に身を置くためのトレーニングを、俳優たちはこれから一生かけて、するのだろう。心を固めない訓練。視野を狭めない訓練。公演が終わっても、生活レベルで、彼らはそれを磨くのだろう。

  最後のステージが終わり、「もっと行けるなあ……」と松井がつぶやく。「終わった直後は、今の芝居のダメ出ししか頭にないですよ」とか恐ろしいことをつぶやく。ええーそりゃ大変ですねとのけぞりながら、でもその一方で、それが猛烈に聞きたいとも、思う。

 今ごろは、祝宴のさなかだろう。大いに酔いしれてほしい。そして朝が来て、もう稽古をしなくてもいい1日が始まる。そこで、果たして、どう出るか。思い出に浸るか、次なる行動に出るか。俳優としての最初の分かれ道は、すでに始まっているのだ。

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