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映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

自分という土壌を耕すこと 〜「俳優」という存在について(1)

とにかく、しゃべろう。熱が冷めないうちに。そんなふうにしてこの対談はセッティングされました。
アクターズ・コース第2期修了公演『革命日記』から約1週間後の3月30日、演出を手がけた松井周と同コース主任講師の古澤健による対談です。観客の多くが息を呑んだ受講生たちの成長ぶりとその裏側、そして「俳優」という存在について、劇作家・演出家・俳優の松井と映画監督の古澤が、ジャンルの垣根を越えて掘り下げます。(構成:小川志津子)

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(左・古澤健 右・松井周)撮影:小川志津子

 ◆台詞ではなく反応を 

古澤 公演から1週間ほど経って、今の実感はどんなふうですか。
松井 実は、千秋楽の時とそんなに変わらないんです。あと1週間あれば、あそことあそこをもっとどうにかできたなあ……みたいなことばかり考えちゃいますね。
古澤 例えば?
松井 台本に従うだけじゃなくて、もっと動物的な芝居にできたはずだと思って。飯を食ったり寝転がったり、みんな、台本をおもちゃにして、もっと図々しく遊ぶ猿になれたと思う(笑)。
古澤 佐々木敦さんと山崎健太さんのアフタートークの時にも、「動物」という言葉を多く使われていましたね。
松井 俳優ってどうしても、台詞を元にして、それに従属する形で動いてしまいがちなんですね。例えば「こんにちは」というせりふがあったとして、みんな、書かれているタイミング通りに「こんにちは」って言うことに集中しがちだけど、本当ならそれを言う相手への意識は、実は部屋に入った時点で働いていたりするんですよ。それって、自分の縄張りに入ってきた別の生き物への反応とか、求愛行動と同じこと。そういう反応が舞台上で起きなくちゃつまらないよ、という話を、稽古場でも何度かしました。
古澤 僕は現象学アフォーダンスに興味があるので、やはり同じことを考えますね。人間とか動物というのは、単に個体としてそこに在るのではなく、ある空間を共有する者同士として、互いに反応したり発話したりするものなのだと。今回の芝居で興味深かったのは、設定としては2013年現在の若い人たちが、革命運動にまつわる専門用語を連発すること。彼ら自身が暮らすリアリティとはかなりズレがあるはずで、そのへんに松井さんがよくおっしゃった「コスプレ感」が必要なのかなと。
松井 まさしくそうですね。話がズレちゃうかもしれないんですけど、何もかもが演劇に見えてしまうという感覚が僕にはあって。たとえば、ここにあるホワイトボード。これを見た人間によって「これはホワイトボードである」というラベリングがなされることで、この物体に「自分はホワイトボードである」という演技をさせている、コスプレさせていると言えるわけです。その一方で、そこからはみ出る瞬間というのもあるはずで。誰も事物について何も考えていない、まるで油断している状態が、すき間すき間にあるはずなんですよね。
古澤 今回のお芝居で言うと、そのスイッチが切り変わる瞬間がまさに面白かったです。違うモードにいる人たちが、不意に一緒の部屋に入れられた場合、誰がどのモードに乗って行くのか。
松井 そのズレも込みで面白いのだと思います。演劇は幾重ものレイヤーで出来た嘘なのだし、その中に身を投じるとしたら結局「どの嘘に乗るか」だと思うので。今回、まず俳優がなんとなーく出てきて、なんとなーく位置について、なんとなーく芝居に入っていくという始まり方をしたのも、そのためです。これから僕らはみんなでこの嘘を信じて走っていきます、というような。

つづく

[ 構成・写真:小川志津子]

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