映画美学校アクターズ・コース ブログ

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感想:港真南 〜2月23日「コトバ・プレイ1」〜

コトバ・プレイで、なんと演劇のプロの皆々様とお話しさせていただいた。

役割という枷を付けて、革命日記や議題について語るという面白い設定でのトークイベントであったのだが、まず感じたのは、「役柄によって言葉の使い方が違う」ということ。批評家役は、伝えたいことを理論立てて話す。俳優役や観客役は、伝えたいことを赴くままに話す。劇作家・演出家役は、それらを柔軟に繋ぐ。そのようなアクターが集まった結果、俳優役や観客役がふわーっと広げたイメージを、批評家役がさくさく切り分けて、それらを劇作家・演出家役がまた柔らかく繋ぎ直すような作業が何回か行われているように感じた。しかも皆様心根が優しいから、それが心地良かった。偏見だったら、ごめんなさい(笑)

けれども、しばらく話して行くと、どうもそれだけではないようである。私が何度か話した主観と客観、感想と批評、対象との距離の問題で、批評家の方々はどちらかといえば客観・批評・距離をとるカテゴリーに位置すると思っていたのであるが、批評家の方々にも見え隠れする主観・感想・近い距離。至極当たり前なことなのだが、大元はみんな同じような直感というか混濁した何かがあって、それをどのように表出させるかが役割や職業の違いなのかと感じた。主観や衝動がなければ、何事も動かない。

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一方、議題として面白かったのは、俳優と批評との関係性。特に質疑応答で出た、「演技自体、俳優が行なっている作業、俳優が発信する言葉への批評」である。観客として演劇に相対する場合、特に素人では、その構造や結果の中でしか俳優を語れないと思う。プロセスを想像するほど、基礎能力が十分ではないからだ。

関係ないかもしれないが、個人的には増田さん役の田中さんとイベント後に少しだけお話出来たことがヒントになるのではないかと思う。増田さんだと思って話しかけた時に感じる微妙なズレが、構造や結果から距離を取らせ、元の本質から役までのプロセスを感じる。通常、俳優について語る際には、様々な作品を集めて母数を増やすことで、その収束するところの本質と演技を詳らかにすることが多いと思うが、意外と少しだけ本人に触れるだけで膨大な情報が手に入るのではないであろうか。

そして、私は増田さんが大好きです。

港真南【観客・批評家】:書き手。歌い手。ランドスケープ・環境民俗・女子サブカル・アイドル好き。緊張しい。批評家養成ギブス2期修了生。

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