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映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

20150326稽古場メモ(小川志津子)

 たぶんこれは、俳優の「自由」をめぐるあれこれである。

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 場面は夜。妻が布団に寝ていて、夫はそのそばに座っている。妻が起き上がり、いま自分は寝言を言ったような気がすると言う。そんなことないよ、と夫が言い、二人の会話が夜の闇に漂う。そういうシーンにおいて、例えば妻役の俳優がすること。

 「せりふを言う」「それを相手と交わす」「起き上がる」「背後にある(であろう)窓(か何か)の方を向く」「ひとり言を言う」しかもそれを「観客に聞こえる音量で」。
 ……というこれらを全制覇しながら俳優は、相手役から、空間から、あるいは客席から、臨機応変に何かを受け取りながら呼吸する生き物だ。そりゃあなかなかうまくは行かない。目に見えない何らかの電波をキャッチしようと、ラジオをあっちに向けたりこっちに向けたり、ダイヤルを左右に回してみたり、あらゆる試行錯誤をする。

 ……という境地に、まだおそらくアクターズ・コース4期の面々は立っていない。つい、急いでしまう。次のせりふを、ただ、言ってしまう。松井周はそれを断じて見逃さない。「思考のプロセス」を逐一要求する。決められた台本をなぞるのではなく、自分で考え、自分で感じるように促す。今、どうして下を向いたんだろう。その指先はなぜ小道具に触ってるのかな。今のせりふは、誰に向けて言っている? 松井は何度でも問い直す。そして何度でもやり直す。前回私が訪れた5日前と比べると、はっきりとしたギアチェンジだ。松井は言う。

「俳優は、次に自分が何をしでかすかわからないほど追い込まれた状態に、自分を置けるようでないと。ブレーキをかけずに、ぎりぎり寸前まで」

 となると演じるというのは、なんて恐ろしい所業なのだろう。「もっと声を出して」と言われると声をふるわせてしまう、みんなの気持ちもわかる気がする。そう、人に見られるとか、人目にさらされるって恐ろしいことだ。じゃあどうして彼らはそこに立つんだろう。わざわざ自分から、好き好んで。謎は謎のまま、この2日後、初めての通し稽古が行われることが告げられたのだった。(小川志津子)

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