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【『石のような水』稽古場レポート】 音楽の自由さ、演劇のヤバさ 吉田高尾

音楽の自由さ、演劇のヤバさ

稽古場見学に参加させてもらい、俳優たちが演技をしているのを観る。

戯曲通りに台詞が発話されるが、その発話方法、身体の動きは各俳優の演技プランと、講師の松井周さんの演出によって形作られていく。しかしここで、戯曲にト書きとして、「ギターを弾きながらの御厨」と出てくると要注意である。御厨を演じる市川さんのアコースティックギターがすこぶる自由なのだ。

 

演奏の腕も素晴しいのだが、俳優の会話劇が続いた後で、アコースティックギターの音色が聞こえるとハッとして聞き入ってしまうのだ。戯曲から開放されて演奏されるギターの魅力にそのまま引き寄せられそうな気もしてしまうのだが、その戯曲ゆえに演劇には演劇にしかない魅力がある。その魅力とは演劇の持つ集団性、政治性である。集団性とは、複数人が一箇所に集まり、半日以上も演劇の稽古をしていることもそうだし、本番で演劇を観に人が集まるというのもそうだ。人が集まるところは駅であれ、学校であれ、会社であれ、演劇的になりえる。そしてそこで、集団の各個人の興味関心が一点に集約されていくことで、集団性がアブなくて、ヤバイものになっていく。その集約先に、戯曲というテキストを元にして、演出家が演出して、俳優が演技をすることによって成立する政治的な演劇国が出来た時に私はとてもドキドキするのだ。

 

私は演劇国と表現したが、これは比喩ではなく、演劇は国、共同体と全く同じ仕組み、というよりそのものである。法律を解釈して社会生活を営むことは、戯曲を演出して演劇を上演することと全く同じことである。国にも独裁制や民主制があるように、演劇にも独裁制や民主制がある。そんなことを考えながら、映画美学校のアクターズ・コースの修了公演の稽古場見学をしていると、私は正にひとつの国が出来上がっていくのを目撃していくのだった。

 

今回の戯曲である『石のような水』の中で、伊地知(長田さん)と朝永(津和さん)が膝小僧を触るのはセクハラか否かというやり取りがあるのだが、その台詞の解釈を巡ってみんなが真剣に話し合って、結論が出た時に笑いが沸き起こるその時を。戯曲内で不自然に閉店するカフェに関して、戯曲の不備に見え、書き換えようとするのを、話し合いの末、戯曲内で繰り返される閉店には意味があると解釈したその時を。稽古が終わった22時から、俳優たち一人一人がこの演劇のために何ができるのかを考え行動していくその時を。私は、私は4月10日の本番の舞台に建国されるこの新しい国を目撃したくてたまらない気持ちでいる。

 

吉田高尾/映画美学校批評家養成ギブス第三期生。http://ecrito.fever.jp/

 

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