映画美学校アクターズ・コース ブログ

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『石のような水』初日レポート(小川志津子)

 例えば友人に、赤子が産まれる。
 遊びにおいでよ、と彼女から呼び出される。ベッドの中の、ほの赤い小動物のようなその顔を、覗きこんではひゃあひゃあ言って、興奮しながら帰路につく。
 またいつもの日常が始まる。いくらかの時間が経つ。落ち着いたからまた遊びにおいでよと友から招集がかかる。家を訪れる。すると、すっかり「コドモ」と化したその子が、大はしゃぎでアンパンマンを歌っている。
 あー。一番大事なところを見逃した!と私はいつもそこで悔やむのだ。「小動物」から「コドモ」へのグラデーション。かすかだけれど、とても大事な、大きな大きなグラデーション。

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 ……というような局面が、稽古場取材っていうやつには必ずと言っていいほど訪れる。あっという間にやってきた公演初日、19時の開幕に向けて、稽古が開始されたのは13時のことだ。のっけから松井のオーダーが飛ぶ。
「朝永、表現しすぎ」「前の言葉を受け取ってないよ須藤」「すぐ横にいるんだから、もっと周りに反応して」

 少し、胸をなでおろす。前に稽古場を訪れた時と、わりと近しい試行錯誤が重ねられていたから。よし、赤子たちは、まだミルクを飲んでいる。松井周が温度や粉の分量や、いろんな機微を緻密に溶かしこんだ粉ミルクを。
 でも、前に来た時とははっきり違う点がひとつ。緻密な粉ミルクが俳優に届き、それが結果となって現れると、松井が「ふふっ」と笑うのだ。その「ふふっ」率が、稽古場にしていたミニスタジオ期と比べると明らかに高い。そしてその「ふふっ」は、俳優陣が何かひとつ「不自由」を解いた瞬間に生まれる。稽古稽古で心身に叩き込んできた、せりふやら段取りやらそれだけには収まらないもろもろを、踏まえつつも余裕が生まれた瞬間。自分の外側にある何かと連鎖し合えた瞬間。
 それにしても公演初日だ。あと数時間で観客が訪れる。にも関わらず松井から繰り出されるオーダーは、「すでにある芝居を整える」というより、「一から芽生えさせる」ものが思いのほか多い。「でもね、その前の芝居は良かった。だからあきらめないで何とかしたいな」。要求はむちゃむちゃ厳しい、けれど悲壮感は生まれない。松井周の稽古場では、いつも不思議な均衡が保たれている。

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 ひととおりの稽古が終わる。時間は17時。劇場に観客が入ってくる時間まで、俳優陣はしばしの自由時間。ものを食らう者、散歩に出る者、軽口を叩き合う者。聞いて回ってみると、皆それぞれの道のりの果てに、この学校にたどり着いている。実はミュージシャンだったり小劇場だったり「維新派」だったり、何の縁でこんなにもばらばらの人たちがここに集まっちゃったんだろう、とつくづく思う。
 例えばこれが劇団なら、ある程度は嗜好の近しい者同士が集まるだろう。プロデュース公演なら、それぞれのキャリアを積み重ねた者たちが一堂に会する。けれど、映画美学校の場合。キャリアは少なくても嗜好のまるで違う人たちが、それぞれのタイミングで集う。表現とは、自分ひとりの力などでは、どうにもならないものなのだという実感を携えて。
 開場直前、場内に全員が集い、松井が言う。「本番中はいろいろあると思います。客席の反応も全然違うと思う。でも、負けないでください。今までやってきたことを信じて」

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 開演直前の、この静謐さが好きである。みんな同じ空間にいる。それぞれの方法で、集中を高めている。これからみんなで芝居をするのだけれど、でもみんな、圧倒的に一人だ。
 そして幕が上がり、やがて下りる。すべてが終わった客席で今、私は呆然としているのだ。
 とんでもなく極彩色のグラデーションを、自分は目の前にいながら、いつの間にか見逃してしまっていたのだと。

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