映画美学校アクターズ・コース ブログ

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俳優という乗り物たちを乗りこなして(なかむらなおき)

 2015年04月12日の14時。アトリエ春風舎の中で補助席に座って開演を待っています。劇場内を見回すと座席は関係者席以外が埋まっているのが分かります。最後列には松井周さんが座っていて、その隣にはマニピュレーターが置かれています。狭い。とても狭い。その中で人々がひしめいている。だからとても息苦しい。舞台上に目を向けると4人掛けの正方形のテーブルが置かれ、舞台の上手と下手の壁際には椅子が並べられているのが分かります。舞台の奥には二つの入り口があり、その入り口の間をビニールがスクリーン状に掛けられています。そのビニールを通した奥に階段があるのが見えます。この空間の中で彼らが公演を行うのです。彼らと初めて出会ったのはたかだか3週間前。そして彼らと会ったのもたかだか3、4回。それなのに、彼らが俳優という乗り物を無事に乗りこなしてくれるのか、ドキドキしています。そしてどのように乗りこなしてくれるのかとワクワクしているのです。

 しばらくすると客席側の照明が消えました。そして上演が始まりました。

 

 2015年04月10日から12日。アトリエ春風舎で上演された『石のような水』は、映画美学校のアクターズ・コースに通っていた受講生たち12人による修了公演です。彼らはより大きな俳優となるために、俳優と渡り合える監督となるために、演じるとは何かを知るために、色々な理由で演技を学びにきました。そんな彼らが一つとなって作り上げました。上演されたのは、以下のような物語です。

 

 ゾーンというものが存在する世界。そのゾーンは政府によって立ち入り禁止となったがその周辺に人々はまだ暮らしている。

 そのゾーンに行けば死んだ人と再び巡り会うことができると言われている。死者に会いたい人々を助けるため、須藤慎司(横田僚平)はゾーンに人々を導いている。それを代々、秘密裏に行っている。しかし、ゾーンに行って帰ってきた人はみな、おかしくなるのだ。妻の須藤今日子(大石恵美)はそんな夫を非難するのである。今日子には姉の秋子(大谷ゆかり)がいる。彼女は映画監督の御厨実(市川真也)と同棲しているが、彼との生活はどこか冷めたものがある。彼らはピクニックにやってきて、ビニールシートを広げてお弁当を食べているが、あまり楽しそうではない。同席している須藤の同僚の朝永譲治(津和孝行)も居心地が悪そうだ。そこに朝永の妹、香織(金子紗里)が遅れてやってきた。

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 秋子は職場のラジオ局のそばで、交通事故を目の当たりにした。そこで建築家の鞍馬絵仁(鬼松巧)と出会う。彼はラジオパーソナリティの秋子のファンだと名乗った。そして、秋子が一人暮らしを始めるマンションを設計したとも言う。秋子はそんな鞍馬絵にときめくのである。

 須藤は前田美鈴(佐藤陽音)と伊地知剛(長田修一)を連れてゾーンに旅立つ。前田は死んだ友人の池田光一(しらみず圭)と出会うことができた。しかし伊地知は亡き妻と会うことができなかった。

 今日子は秋子と鞍馬絵の中を取り持つように画策する。しかし、今日子自身も鞍馬絵のことを気に入ってしまう。そして秋子の部屋で情事を重ねてしまう。

 御厨は香織と付き合い始めた。そして光を求めて街を彷徨うのである。その果てに彼らは離島に赴き、自然のドキュメンタリーを撮るのである。

 伊地知は喫茶店の店員に亡き妻の面影を見出す。前田は池田の幽霊と交流することで、徐々に立ち直っていく。しかし須藤夫妻たちは泥沼から抜け出すことはなかなかできない。

 そんな中、ラジオからは以前秋子が話したものと全く同じものが流れ出す。収録した覚えのない放送に秋子は呆然とする。別の次元を感じ取った今日子は恐怖する。

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 そんな彼らの間を女優志望の安曇野信子(大園亜香里)は駆け抜けていく。その空回りは誰とも結びつかない。そこにもまた、次元の間があるのかもしれない。

 

 あらすじを書いてみたけれど、やはりよく分かりません。そして実際の舞台も実はよく分かりません。彼らの生活が多層的に表現されたメロドラマが強調されているのです。例えば、秋子がラジオを通して鞍馬絵へのときめきを語るシーンでは、舞台の奥で秋子がマイクに向かって喋り、その前にローブを着た鞍馬絵がそれを聴き、さらにその前で安曇野がストレッチをしながら聴くというようになっています。レイヤーを重ねているといるイメージです。そしてそのラジオを聴いていない人は、舞台の上手と下手にある椅子に座って何かをしています。それでラジオを聴いていない人まで表現しています。そして観客に注目させたい人物にだけスポットが当たることで、注目すべき人物とその他にも人物がいることを意識させます。松井さんはゾーンに意識させず、そこに暮らす人間に焦点を当てました。なので、「誰がどこにいるのか分からない」ではなく、「どこにも誰かがいる」という印象を与えています。この「どこにも誰かがいる」という印象を与えるためには、役者さんがそこにいると思えなければなりません。つまりリアリティが必要となっていきます。

 

 役者さんたちは、とてもリアルでした。それは見せてもらった通し稽古とは全く違うもので、完成度が段違いでした。須藤と今日子はちゃんと夫婦となっていました。同じような空気をまとっていました。例え行き違いがあっても、根幹は繋がっているというものを表現していました。同様に秋子と今日子もちゃんと姉妹でした。身近な存在だからこそ、疎ましい。そのようなものまで現れていたように思います。

 御厨も秋子のために親身になっているやさしさ、その上での逃避、一方的に自分が悪いと言われることの苛立ちなど、彼は彼なりの正しい行動を取っているのが伝わってきました。

 鞍馬絵のどこまでも流される様も、香織の人とは深く関わらない様も、前田の犯された絶望の救いを亡き友達に求める様も、伊地知のどこまでも亡き妻の幻影を追いかけ妄執する様も、朝永のどこまでも普通であるがゆえに色々見えている様も、そして安曇野の何ものかになりたいがゆえの焦燥から暴走する様も、自分自身で思うこと、考えたことを燃料に役そのものを舞台上に現出させていました。見事です。俳優という乗り物を想像以上にうまく乗りこなしていました。そのようなリアリティを持った人物たちがゾーンという別の次元を感じた時、観客である私にゾーンというものが存在するように思えました。そして私たちのいるこの世界もまたどこにあるのだろうかと、彼ら同様に彷徨うのです。俳優という乗り物に同乗して、『石のような水』という世界を楽しむことができました。

 

 そして彼らはそれぞれの目的に向かって新たな世界に旅立っていきます。俳優という乗り物に乗って旅立っていくのです。その道は険しいかもしれない。行き止まりかもしれない。それでも彼らの前途が明るいものであることを願って止みません。そして、こう思うのです。

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彼らに幸あれ!

 

彼らの活躍が耳に届くことを一観客となった私はとても期待しています。

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