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映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

修了生トーク(8)大谷ひかる(4期修了生)×中川ゆかり(1期高等科修了生)その1

昨日9/19には第37回PFFぴあフィルムフェスティバル)特集「映画内映画」の招待作品として「ジョギング渡り鳥」のプレミア上映が行われました。

上映の後、1期の矢野昌幸は野鳩の、百合永子はQの、吉田庸は鳥公園の……と稽古・本番に走っていったのでした。相変わらずアクターズ・コース修了生はあちこちで活動中です。という前振りとともに、こちらもご活躍中の4期修了生・大谷ひかるさんのインタビューをご紹介します。

どこかで見覚えありますか? そう、5期募集のチラシのあの人です!

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(舞台「石のような水」稽古より)

大谷さん、いよいよ今週9/24(木)より出演舞台『熱帯樹』(作・三島由紀夫作、演出・関美能留)が始まります。この夏にたっぷりお話しさせていただいたので前回に引き続き、1期修了生・中川とのクロストーク形式で複数回に分けてご紹介します。

それではまず1回目からどうぞ!

 「作ること」を考える。

大谷:あれですよね、中川さんとしっかり喋るのは……。

中川:初めてですよね。

大谷:はい、緊張してます。私喋る時力が入っちゃうんですよ。喋り方をまねされた時に気づいたんですけど、すごい体に力が入ってるみたいで。

中川:何かあるんでしょうね、それ、なんなんでしょう。

大谷:たぶん言葉にできないもどかしさを、力みと身振り手振りでどうにかしようとしてるんじゃないかと。だから、その力みが言葉になるように勉強しなきゃいけないと思います。言葉にするのは、怖いというか、危険なことだと思う時もあるんですけど、でもやっぱり言いたいことがあるからには、言葉にできるようにしていかないとな、と。

中川:言いたいことって、文字通り言葉にしたいって感じですかね? じゃなくて、何かを作ることも含むことですか?

大谷:私は元々作ることに対して苦手意識がすごくあって。でも、それこそ初めて舞台に出るってなった時に、作ることを自分がどう考えているかと向き合っていかないと、演劇はやっていけないなっていうふうに思いました。

中川:ほうほう。

大谷:自分で「作りたい」という欲は今はないんですけど「作れそうな人だと思われたい」はあるのかもしれない。なんでそう思うんでしょうね。演出家さんのタイプにもよると思うんですけど、私は演出家の言うことを結構そのままやってみせたいって思う方なんです。優等生でありたい、みたいな。けどその時に演出家には内緒で、こんなことをやってやるっていう企みは絶対俳優として持っていたくて。創作現場では対等でいたいんですよね。対等に見てもらいたい、というのがあります。

中川:それはすごいよく分かります。対等な関係性の作り方、色んな方法がありますよね。私は同じ舞台の上でやりあうより先に裏のことというか(笑)、人間性の部分で先に関係を作ることが圧倒的に多いんですけど、それでいいのか、と常に思います。同じ舞台上で対等を目指したい、というのはやっぱりあります。

大谷:ああ、やっぱり。

中川:オファーをいただいた場合は、作り手として期待や信頼していただいていることは信じていいと思うんですけど、応える以上にいい意味で裏切りたい、驚かせたいという欲がモチベーションにもなりますよね。まあ私の場合は、自分の作りたい欲と、人の作品に参加することは、直結していない気がしています。

大谷:中川さんの中で、作りたいっていうのは、ふと出てくるものなんですか? それとも前々からある何か?

中川:うーんと、気になることを形にしたい欲はどこかに常にあるんですよね。

大谷:そうなんですね。

中川:けど、何でもかんでも自分が作ったり言ったりすればいいわけじゃなくて、言われるのを待ってる言葉やテーマがあって、それを言うのに一番相応しい方法で、相応しい人がやればいいよね、とよく思います。たまたま自分がいた方がいいこともあるだろうとは思いますが、全部、適材適所が好きです。出来事が適切に行われれば良し。適切って誰から見て?というツッコミは当然ありますが(笑)、その状況において、という感じ。とはいっても、そこに変な欲が入るときもあって難しいんですけどね。

大谷:じゃあ、ご自分がパフォーマー側に立つ時はどんな心持ちなんですか? その作品に立ち会うときの、折り合いの付け方というか。

中川:何よりも、まずは相手やその場所に自分は何を渡せるんだろう?と考えます。せっかく一緒にやるなら+αを持ち込まなきゃという思いは強いんですが、例えば、パフォーマーとしての場合だと、自分を通してちゃんと表に出すまでが、周りと比べて遅い気がします。

大谷:はい、はい。

中川:一般的な速度があるかわからないんですけどね。自分にとってこれはどういうことなんだろう、と本気で自分とそのものを往復し始めるまでがめちゃくちゃ時間がかかります。課題との対話の糸口を見つけるまでがね。

大谷:なるほど。

 

私たち、「もの」派です

中川:別の時にも話したんですが、私はもともとパフォーマー気質じゃないんだと思うんです。でも、「他者に対してどう出会うか」という時に私は俳優をその間に置きたいというのがあって、手放せないんです。それと、自分の肉体的な欲求というか、多分いい思い出があるんですよね、俳優を始めたときに。

大谷:それ、聞きたいです!

中川:はい、私も大谷さんと共有できるのか聞いてみたいです。大谷さんは、「よーい、スタート」って瞬間に、自分じゃなくていきなり勝手に「その人」が動くみたいな時って、ありますか?

大谷:私自身じゃなく、役がってことですか?

中川:はい。私は二十歳くらいで演劇や自主映画に出始めて、そのときの体験です。カップルが別れるシーンで、手が触れるか触れないかの距離で和室で並んで座ってるんですね。で「よーいスタート」が言われた瞬間に、「あ、私すっごい今この人と別れたくない」って思いがすごい勢いで内側に湧いて、手を取ったんです。その過程で演出側から具体的な指示があったわけでもなく、自分も直前まで何も思ってなかったのに、勝手に体が動いた。

大谷:それって、状況に動かされた?

中川:完全にそうでした。いきなり感情がぶわーっと出てきて、なんだこれ!って。これが不思議で気持ち良くて、もっと味わいたいと思いました。あと、初めて外で出演した演劇でゲネの時に、緊張するでも没入するでもなく、そこにいる自分を「あ、今こんななってるわ」って斜め上の方から見てる自分がいる感覚があって。それも、なんだこの感じ、と思ったんですよね。

大谷:へええ。

中川:あとね、当時、イギリスでアクティングコーチの経験を持つ方と新劇の演出家さんのワークショップで、ボディワークやヴォイストレーニング、シーンスタディを短期集中で受けてたときのことです。演技と身体と声のトレーニングをしたのはそれが初めてで、訓練は超面白かったんだけど、でもその後どこで続ければいいのかわからなくて。とりあえずできることを、ということで走ってたんですよ、明け方とかに土手をね。で、走ってたら突然、あ、体がここにあるな、って思ったんです。

大谷:おお……。

中川:木とか石とか川とか、そういう無機物と同じ感じで「物」としてここにある、って感覚がぽん、と生まれた。人間は透明な器みたいなもので、注がれるものによって色も形も変わるけど、「人」という「物」として地面に置かれてんじゃんって。そんな感覚が二十歳の時に立て続けにあって、これは自分の人生にとって良い発見だって気がしました。ものとして、あるべくしてあるみたいな在り方が必ずあるんじゃないか、と思った。そこからですね、俳優の時間がもっと欲しいって思ったのは。

大谷:私は、今中川さんが言った「自分を越えたところにある体感」ってのを、この間の公演で感じました。

中川:捩子ぴじんさん演出の『Urban Folk Entertainment』ですね。

大谷:はい、あの時に捩子さんが、例えば私の出演シーンで「今は別に大谷さんを見てるわけじゃない。お客さんは大谷さんの体で運んでくるものを見てる。たまたまやってる人が大谷さんなんだよ」って言いました。あと、今回は10名キャストがいて「10人の体で運んでいるものを見せてほしい」とも言っていて。

中川:ああ、その感じ、すごく興味があります。

大谷:私が俳優さんでこの人すごいなって思うのは、その人の体に宿ってるものや、その人の体に来ちゃったものがある、と感じるときです。何かを通せている体っていうのはほんとにすごい。でも、自分がやる時は客観的には全然見えないんですけどね。ただ、さっき中川さんが言った、自分が勝手に動くという体験は私もあります。ほんとに良い本番ほど記憶にないものですよね。

中川:なんなんでしょうね、あれ。不思議ですよね。できれば意図的にその瞬間を起こしたいって思うんですけど。

大谷:私もそのモチベーションはあります。でも、どこまで技術として捉えるかには迷いもあります。俳優だったら再現可能にしてなんぼと思いつつ、何を大事としてやるか。自分にその時間が訪れる仕掛けを考えていくっていうことなのかもしれないですよね。

中川:そうですね。通せてる時間が長ければ長いほどよさそうな気がするけど、どこまで意図的に起こるんでしょうね。何か方法があるんじゃないかと、そのための技術が知りたくて学校に入りました。随分色々なことを教わって、4年経ちましたけどなかなか。自分はいつも頭と体の言語がバラバラな気がします。

大谷:私は、頭と体がバラバラってけっこう良いイメージがあるんですけど。

中川:ほんとに?

大谷:言い方の問題かもしれないですけど。捩子さんの稽古でも、立禅をよくやってて。

中川:立禅?

大谷:はい、座禅じゃなくて立ったままする禅です。一応手の形が決まってて10分くらいぼーっと立ちながらいろんなことを考えるんですよ。頭に出てくるものを無視せずに、けど、一つ一つ考えることもしない。ただそこにあるな、って認識する。その間、目に見えてるものももちろんあって、それも同時に「あ、あるな」って。その、見えてきたものとか考えてきたものを、どれも同列に並べていくということをやっていました。その時、頭と身体が別れているってことに明るいイメージを持てました。その感覚なんなんだろって思いながら、なんか良いなって。

中川:いいですねえ。

大谷:同じく今回の公演では伝統芸能がキーワードとしてあって、出演者が円になって一人ずつ、自分の地元にある伝統芸能として舞を踊るという稽古もやりました。いかにもほんとにあるもののようにみんなに教えて、自分が教えた舞を10人がひたすらやり続けた時に、ほんとにどうでもよくなるんですよ、すべてが(笑)。一つの動きを続けて気づいたら30分経ってた、みたいな状況では、自分を超えたところに感覚が行っちゃうっていうのがあって。そういう時間、そういう状況があるっていうのを舞台って起こせる、というか。

中川:はい、はい。わかります。

大谷:その作品では、ものとしての体が一つテーマになっていました。演出した捩子さんは演劇というものをそこの舞台に立っている人も含めてそれ自体が何かを映し出す媒介、ひとつのメディアであると述べていました。さっきの話に戻ると、私も俳優をしてる時に、自分を「物」だなって思う瞬間って、変な話、ちょっと快感を覚えることもあるんですよね。

中川:私はかなりそうです。むしろそれがないと、ちょっと辛いくらい。

大谷:そうですよね、そうかもしれない。

中川:でも、タイプはあると思うんですよね。ものといっても、無機的な感じもあれば、動物っぽさや有機的な感じもあるし。人智超えたよね今、てのが理想の「もの」派です(笑)。

大谷:あ〜、私も「もの」派だな。

 

 

その2に続きます!

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