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映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

修了生トーク(8)大谷ひかる(4期修了生)×中川ゆかり(1期高等科修了生)その2

その1からの続きです。

 

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「演劇」と「映画」の嘘のつき方

大谷:ちなみに中川さんは、映画でも演劇でもご自身のスタンスには違いはないんですか?

 中川:自分自身の土台にある感覚は一緒ですが、それぞれに別の層が加わる感じです。多くの場合、演劇の方が一つのシークエンスの単位が長い。映像だと分単位や秒単位のこともあるし、だから始めた頃は時間の経過を体感しやすい分、演劇の方が時間や環境が自分に浸透して演じやすいんじゃないかと思ってました。ただ、そうとも言い切れない気もします。私は面識はないんですが、竹中香子さんっていうフランスのコンセルヴァトワールで俳優の修練を積まれている女優さんに憧れていて。竹中さんのブログがとても充実していて面白いんです。

大谷:はい。

中川:竹中さんが「映像は、良いって思ったときに終わる、けど演劇は良いって思ったときから始まる」っていうようなことを書かれていて、仰る通りだな、と納得しました。演劇と映像の時間の過ごし方やOKの出方は違いがありますね。

大谷:はい、はい。

中川:私は積み重ねていく実感が弱い気がします。身体には積もっているんだろうけど、どうもリセットされやすいんじゃないかな、と。

大谷:昨日稽古場であんなことあって、今日はこうだったな、っていう積み重ねみたいな感じがですか?

中川:うん。あの感覚になじみたいです。自分に蓄積したものをちゃんと反映して、次の日にはそれを経て違うことを繰り出す。積み重ねがありつつも発展形を出すというプロセスを実現できるのが本当にすごいなと思っています。

大谷:でも、私は映画の現場のほうが信じられないというか。

中川:なんで?

大谷:圧倒的に、映画の方がすごい嘘をつかなきゃいけないじゃないですか。

中川:え、私からしたら演劇の方が嘘つかなきゃいけない。

大谷:そうなんだ!

中川:視点の違いだとしても、真逆で不思議ですね(笑)。

大谷:私は映像の経験が少ないので想像込みですけど。当日その場で初めて渡された物を、今までずっと使ってきた物だと思って使うことがありますよね。一つのものでさえそんな感じなのに、その場所と人と環境と色んな要素があって、でも丁寧にリハーサルの時間があることは少ないですよね。それは、イメージが追いつかないんじゃないかって思います。

中川:山内さん(山内健司/俳優)や公美さん(兵藤公美/俳優)からも同じ話を聞いたことがあります。私からすると、ブラックボックスの何もない空間の中であれだけの説得力を持たせられる演劇の嘘のつき方が本当にすごいと思っちゃいます。あと、さっきも話した個人への蓄積という意味でも、現場への働きかけ方や稽古中の自分のギアの上げ方、コントロールとか、長い稽古期間を重ねることに慣れて、習慣化することで培われるんだろうなと想像します。

大谷:向き不向きもあるんでしょうね。

中川:そんな気がしますね。なんというか、嘘への飛び込み方が演劇の方がタフな気がします。何にもないところに見立てをするでしょ? じゃあここで、お母さんと娘が喋ってて……ってでっちあげていく。置かれているのは俳優だけ、みたいな。演劇は環境からでっちあげなきゃいけないから、頼れるのは自分の体だけって時にもうどうしていいかわからなくて。

大谷:なるほど、なるほど。

中川:そういえば、この「置かれる」感覚はさっきの「物」感と近いところがあって、そこにちゃんと「ハマる」みたいなのがやっぱり好きなんですね。その環境にハマると、自ずと次の一手が決まってくる、っていうのが始めた頃の理想でした。最近はそれからの逸脱を狙おうと、企みだけは持ちますけど(笑)。

大谷:その「ハマる」「置かれる」っていう時の周りっていうのは、撮る人だったり……?

中川:うん、撮る人もだし、物理的な環境もですね。映像だと実物がある。用意された環境にすちゃって入ると、その世界に置かれた人として振る舞い出す。もちろん好き勝手に動くわけじゃなく、実現してほしい存在感、行われて欲しい行為とか求められることはあるんだけど、それは監督、スタッフ含めた周りの人や物に力を借りられる安心感があります。例えば窓を開ける芝居で、舞台上で黒い壁を前にしていきなり窓を開ける、イメージを別の場所に重ねて行為することの不安さといったら。みなさんどうやってるの?って本当に思います。この違いはね、結構でかくて、怖いです。

大谷:たぶんあれですよ、面白がってるところが違うというか。

中川:きっとそうだよね。

大谷:例えば映画も演劇もどっちもすっからかんのところに俳優が一人で立ってるとして、映画の場合、その人が立ってるだけの映像を何分見れるかな、私。5分……いや、1分くらいしか見れない気がする(笑)。でも演劇は、何もしなくても、人が立ってるだけでいつまで観てられるかは未知数な気がします。

中川:それはなんで?

大谷:やっぱり生だからだと思います。

中川:あ、そうか。それは生への、信頼なんだね。

大谷:私は絶対的にそれが大きいです。なんで舞台をやりたいかって、生であることが譲れないところにあるんです。お客さんと舞台に立つ人は見る人と見られてる人だと思うんですけど、舞台に立っている人がここにいて「この海が」って言ったときに、ここは海だと思うしかなくなるわけじゃないですか、お客さんは。そういうところが演劇の魅力。こっちが言っちゃえばそうだからっていう感じが。

中川:そうね、うん。

大谷:その嘘をつくことに対しては好奇心しかないというか。

中川:すごいなあ、それ。

大谷:すごく怖いもの知らずみたいな発言ですけど(笑)。いやでもやっぱりそう言いたいっていうのがあって。映画の方が本物だと思っていて、だからこそ自分もうまい嘘つかなきゃってどうしても思っちゃう。あっけらかんと、わりきって出来るならいいんですけど。

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中川:なるほど。今の話で言うと、映像だと共演者同士は同じところに立って「ここに海があるね」って話しますね。カメラマンや監督、スタッフは同じ場所にいるけど一歩外側から見ながら、俳優同士がつく嘘に付き合う。カメラは機械だからそのまま写すけれど。その後でお客さんがそれを見る。なので、嘘をつく相手の間にちょっとずつ何かが挟まっていますね。もっと正確に言わなきゃいけないけど、ともあれ、物理的に、同じ時に同じものを担う相手が違う層であるっていうのはありますよね。

大谷:ありますね。

中川:そこに演劇の強さも感じます。舞台と客席が嘘を一緒に持つ感じ。すごく羨ましいというか、その強さがいつか欲しいなと思う。私は本当に一人じゃ立てなくて、何かがあるからそこにいられる感覚が常にあります。この場所に置かれたらその環境に染まっちゃう、かなり影響を受けやすいタイプ。

大谷:素直なんですね(笑)。

中川:それだけがとりえです(笑)。演劇でしか鍛えられないこと、演劇のプロセスにはヒントがいっぱいあると思います。嘘のつき方や、そこに立つこと、見立ての力。そこになんとか俳優として手を伸ばして、立っていられるようになりたいです。

大谷:カメラの前と人前でやることの違いは結構大きいですか?

中川:覚悟の仕方はちがう気もしますが、やっぱりどっちも生身の人、もの相手にやるのは同じだなと思います。ただ繰り返しですが、被写体は人でもカメラは機械だから、その無慈悲に写す感じを映像の現場ではどこか無責任に面白がっているところがあります。1期の古内さんとも話したのですが、背景も映してしまうし、良くも悪くも経験や過程、チームワークが映り込む感じもあって。

大谷:あぁ……なんだろ、話を聞いてたら、極端ですけどその一回が決まれば良いってすごくいいことだとほんとに思いました(笑)。

中川:ね、でも作り方次第ですよね。演劇でも背景が織り込まれることはありますよね、もちろん。劇団の良さって、そういう積み重ねが影響しやすい環境ということもあるし。

大谷:そうですね。

中川:この人とだったら安心して冒険できること、方法論の蓄積ができることもいいですよね。映画だと、特に俳優部は、都度バラバラなところから短期でチームを作るのが多いですしね。

大谷:けど、もちろん一概には言えないですけど、作品としての強度っていうのは映画の方がやっぱりすごいと思う。

中川:あれ、なんでだろう。どこに思うんですか?

大谷:単純に、一番良かったものをつなげられたものですし。

中川:なるほど。

大谷:しかも、まず見る人がいないところで完成させなきゃいけないってことがあるじゃないですか。でも演劇は、稽古場で起きる事と本番で起きる事って全然違うんですよ。

中川:ああ、違いますよね。

大谷:例えばアクターズ・コースの公演では、日頃は学校の地下で稽古してるのに本番は劇場でやる。これは当たり前みたいなことだけど当たり前って思っちゃいけないと思うんですよ。全然違うところでやるから。こないだの捩子さんの公演では、なんだかんだ二か月くらいクリエイションして、毎日ちょっとずつふつふつ湧いてくるものを取り扱ってたんです。

中川:贅沢ですね〜。

大谷:そうなんです! ただこれが、1時間半くらいの時間を横浜赤レンガ倉庫でやるときに、どう生成されるかはほんとに予想がつかなかったんですよ。だから作品にする過程がよくわからないというか、むしろ、これが作品になるってどういうことなんだ、と。本番終わっても思うし、見に来た人の言葉聞いてようやく、なんとなくああこんな作品だったのね、って感じがあって。

中川:ほんとに贅沢ですね。見たかったな、次絶対見に行こう。

大谷:シリーズ化のようなかたちになるのかもしれない……どうなんだろう。

中川:見に行きたいし、願わくば一緒にやってみたいです、すごい。

大谷:ほんとになんでしょうね、あれは。

 

その3に続きます!

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