映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

修了生トーク(8)大谷ひかる(4期修了生)×中川ゆかり(1期高等科修了生)その3

その2からの続きです!

 

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ただそれをする、って

中川:『Urban Folk Entertainment』ではダンサーだけがいるわけじゃないんですよね?

大谷:ダンサーの方もいたけど、別のジャンルの方もいました。それぞれ分野もってるのに全然ちがうことやらされてる中で、ちょっと自分の分野をちらつかせる瞬間をつくってみたいな感じがほんとに。

 中川:牽制しあうみたいな。

大谷:そうそう。それを捩子さんが面白がるところがあって。

中川:以前別の機会で共演した声のアーティストの方が出演されてました。

大谷:あ、聞きましたよ〜。それはどういうものだったんですか? 

中川:音楽と朗読のコンサートです。

大谷:え、朗読と声のアーティストとのセッションっていうのは、けっこう想像ができないんですが……。それは、交わるものなんですか?

中川:少し説明すると、音の一個として言葉と声があるだけで、朗読もボーカルじゃなく、バンドの一員という感じです。今度機会があったらぜひいらしてくださいね。

大谷:やっぱり想像つかないですけど、ぜひ。

中川:言葉って人から与えられるもので、自分とは関係ないな、とよく思います。で、機械みたいに自分がそれを通すことで余計なものを纏わせずに言葉本来のものが出ることあんのかしら、いい感じにそのものだけになるといいな、とずっと思ってました。あ、私濾過器になりたいのか。

大谷:そのようですね(笑)。

中川:多分小さい頃に、人が喋る言葉を聞いているとエゴや装飾を着せられて渡されることばっかりで、なんかかわいそうだと思ったんです。そんなことされなくても、充分このものは素晴らしいし、美しいんだから余計なことすんな、と。それそのものが持ってるものを味わえれば十分で、味わえるように渡すことが私の仕事、というのが何の思い込みか知らないけど、あったんです。演技は常に恥ずかしくてできなさを感じるんですけど、言葉を読むのは、まあ誰でもできるでしょ? ずっと読んでると口が勝手に動くようになる。音や声については、もちろんテクニカルな部分ではいくらでもやれることはあるんですけど、それ以前に、言葉との出合い方、付き合い方が気楽だったんですよね。本を読むのが好きだったんです。特別いい声じゃなくても、まず表現に関われるのが朗読でした。

大谷:そうですかね……。私は朗読、本当に難しいと思います。何も考えずに読むだけっていう行為は、ほんとに。

中川:うーん、私が受け身ということじゃないでしょうか(笑)。今も年に一回くらいは同じ方とつくる機会があるんですけど、年々、色んな角度で準備に格闘するようにはなりました。しかし音楽の人って、1日リハーサルするだけでいきなりセッションするとかざらにありますよね。それって私たちと随分違いますよね。自分はこれができます、っていう武器がはっきりしてる。自分ができることをちゃんと持って、「私これできるけど、どう?」と振る舞う姿を20代の時にずっと見ていて、自分にもそういうものが欲しいなって思いながら何も持たずに30代突入しましたけど。

大谷:なんでしょうね、話を聞いてると中川さんはやっぱり演劇に向いてるような……。なんかそれこそやっぱり、俳優さんが楽器になるときって画面を通してっていうより舞台で、じゃないですか? それはやっぱり、どちらもやられるのがいいですよ。

中川:そうですね、がんばります。

大谷:出力の度合い、幅のつけ方。私もまだ自信がないですけど、この幅を広くもてるっていうのは大事なことだと思う一方で、俳優として強みがあるのはまた別の話というか、何であれ“特徴があるかどうか”だと私は考えちゃうんですよね。いや、でもそれも難しいんですけど。

中川:難しいですよね。俳優としてはできておかなきゃいけないことはありますしね。

大谷:そうですね。

中川:自覚的にチューニングして合わせていけるか、その場に働きかけられるかということ。それができるかどうかが、演技のクオリティ以前の創作への姿勢の問題ですね。その上で自分の特徴を自覚的に使っていけたら何らかの形で続けていけるなとは思ってます。

大谷:そうですね。あの、私中川さんに聞いてみたかったことがあるんですけど。

中川:なんでしょう?

大谷:『ジョギング渡り鳥』(鈴木卓爾監督)で中川さん走ってたじゃないですか、私あの走り姿がすごい良いなって思ってて。

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鈴木卓爾監督作品・映画『ジョギング渡り鳥』より)

 

中川:あら、ありがとうございます。

大谷:さっき土手を走ってたというのを聞いて、あ、やっぱり元々走ってたんだなって思いましたけど、その走ってる時は演技してるぞって実感はあったんですか?

中川:いや、これもまた、ただ走ってただけです(笑)。

大谷:あ、そうなんですね(笑)。でもやっぱり撮られてることは無視できないことだとは思いますけど、あの時何を思って走ってたんだろうって興味があって、今日会ったら聞いてみようと思ってました。

中川:ありがとうございます。あれがもし褒めてもらえるとしたら、ひとえに環境ありきです。向こう岸から見ていてくれた監督やスタッフはもちろんですが、あの時鳥が飛んでくれたとか、あの時晴れててくれたとか、あの時間と場所に立たせてくれた人たちのおかげでしかなくて。私はほんとにただ走ってただけでした。

大谷:ただできるっていうのは、本当に幸せですね。

中川:うん。それに走るのは、行為として明確ですよね。あと、私はもともと長距離は全然得意ではなくて、さっき話した土手を走る話は本当にどうしたら良いかわかんなくて、とりあえずできそうなことが土手を走るだけだったっていう。『ジョギング渡り鳥』に関していうと、合宿の撮影の間に積み重ねてきた時間があったんですよね。継続的な時間や関係性、今この人と一緒にやってる、この場所にいる、っていうことへの信頼感だけだった気がしますね。

大谷:それはまた羨ましい。

中川:だから、まったく初めての人にいきなりカメラ向けられて、走って下さいって言われて相手が求めてるものが出るかは分からないですよね。あの映画では、出演者全員そうだと思うんですけど、私たちは卓爾さんのまなざしありきであそこにいられました。あの人があんな風に見ててくれたから私たちが反射できた、お互いへのまなざしがあったからその場にいられた。ほんとにそれしかないと思うんですよね。多分誰一人として一人だけで立ってる人はいないっていう感じがして、なんかね、ここには居ていいんだって思えたんですよね。あれは一生に一度しかない幸せな体験だったと思います。

大谷:良いですな。

中川:いくつかのお話が絡み合っていく映画で、そのタイトルになった「ジョギング渡り鳥」っていうパートを私が受け持ってて、そのパートは元々卓爾さんが温めていた企画があったので、比較的最初の時点から柱がしっかりありました。あの映画では、人と人の間や、隣にあるものが見えるので、全体を見てほしいです。

大谷:『ジョギング渡り鳥』は、誰かが目立たないことが良いっていうのがありますよね。

中川:ほんとにそうです。「その他大勢」の映画で、そこがすごくいいところです。多分それをそのまま受け取ってもらえたら、ほんと支えになるんじゃないか、と。そういうものと出会えるのが芸術だと思うんです。誰のものでもない、もっと大きいものに触れる。その時って小さいことと大きなことが一緒くたにあって、何にも囚われないような感覚になれる。それが芸術でなくて、愛とか、別のものとかに見出す人もいるかもしれないですけど。私は、それと出会えるのが芸術かな、強いて言えば。ざっくり「芸術」とくくるのはなんだけど。

大谷:それは、私も同じです。

 

その4に続きます!