映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

【本番直前スペシャル対談!】佐々木透 × 松井周【後編】

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
特別企画!今回の修了公演を担当する佐々木透さんと、劇団「サンプル」主宰・松井周さんのスペシャル対談の後編です!

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大大大好評だった前編に引き続くこの対話!ムビシク前の必読記事!
それではどうぞ!

 

 
「通し稽古を見学したのちに」 佐々木透 × 松井周

佐々木透
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

松井周 1972年、東京都生まれ。1996年に平田オリザ率いる劇団「青年団」に俳優として入団。その後、作家・演出家としても活動を開始、2007年に劇団「サンプル」を旗揚げ、青年団から独立する。2011年『自慢の息子』で第55回岸田國士戯曲賞を受賞。2011年『聖地』(演出:蜷川幸雄)、2014年『十九歳のジェイコブ』(演出:松本雄吉)、2016年『ルーツ』(演出:杉原邦生)など脚本提供も多数行う。

 

:::::以下対談本文(後編):::::


佐々木透(以下佐) 今回の修了公演は「映画」というものを念頭において臨んでいるのですけど、松井さんは「映画」と「演劇」ってどういうふうにお考えになられてます?

松井周(以下松) 「演技」に関しては、僕はあんまり変わらないと思っているんですよね。俳優がやることとしては、根本的にはある状況の中で「自分だったらどうするか」ということの「素材」として投げ込まれて「その状況だったら、私はこうするだろうな、多分」ということで「動かされてしまう」という感じが出れば良くて。僕はその状況の中に俳優としてポンと投げ込まれて「あ、こういうセリフが出るんだ」ということだったら「このセリフはこういう欲求に基づくんだろうな」って動いていくから「映画」と「演劇」であんまり違いはないんですけど、ただ深田くんとの対談でも言っていたと思うんですけど、「編集」っていう感覚が演劇の方は少ないという感じはある。
僕はよくドライブに例えるんですけど、演劇はやっぱり時間がリアルタイムで流れているから、その中での身体の持っていき方として「1時間半の間、自分の身体をちゃんとコントロールして、しかもコントロールされていない状態も自分の中で遊びながら、というドライブを最後までやる」みたいな感じがあって。そこに関しては「ライブ」の感じというのかな、ピンボールの球みたいにどんどん弾かれてほしい、みたいな。本当は自動的に弾かれる状態になっていれば観ていてスリリング。「次どこに行くか分からない」っていう。台本はあるからその気持ち悪さはあるんですけど、俳優はそういう遊びが出来ると思っていて。

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だから「映画」だとやっぱりそれが…どうやってあの演技を繋げていくのかとか、全然分からない部分があります。

佐 例えば青年団の演技の質というのは、割と映像でも全然問題なくそのままスルッといけるというか。ただ僕が学んで来たものは、ステレオタイプというのかは分からないけど、客席に向かってしっかり身体を見せて、強い身体性で強いセリフを言うということを基軸にやって来た。
そういう人間からすると、「映画」と「演劇」では表出されているものは全く違っていて。「何にフォーカスするか」ということに関しては「違っていても同じだ」ということは分かるんですけれども、やっぱりいかんせん見た目が全然違うから。それって単純にビジュアルが違うから、視覚情報として考えた時に「本質は同じです」と言ったとて、普通の人にはそれは分からないじゃないですか。そういう時に僕みたいなタイプは「何を考えて、どういうふうに伝えればいいのかな」みたいなことを凄く考えるのですけど、そういうことについて松井さんはどう考えているのかというのが聞きたいですね。

松 例えば「ある部分はストップして彫刻になってほしい」とか「ここは本当に自分の身体が3倍くらいの大きさになっているかのように喋ってくれ」とか、そういう状態を演劇で要求することは僕にもやっぱりあります。でもその時に、俳優が何を根拠にその状態になるのかというと、演出家としては「そこはただ見た目的に彫刻になってほしいだけだから」って多分言うと思う(笑)。

佐 (笑)

松 俳優は「彫刻にならなきゃ」と思ってやるけど「なんで彫刻になっているのか分からない…」という時に、その感覚を、マンガでも絵でも本当の彫刻でもいいんだけど「これがもし人が凍らされて彫刻になってしまって、誰かにコレクションされている状態」とか、「自分が彫刻になりたい」という「欲求」を探って欲しい。本当はないかもしれないんだけど、もしかしたら「誰かの彫刻になってポーズを取っていたい」という「欲求」すら人間は持っていると思っていて。それは日常生活ではないのかもしれないけど、ある種の変身願望・変態願望っていうのを俳優が持っていないわけはないと思っているんですよ。

佐 さすが「サンプル」ですね(笑)。

松 いやいや、でもね、絶対あるから(笑)。そういうのも引き出して出来ると思うんですね。

佐 今「欲求」という言葉が何回か出ましたけど、僕も結構今の現場で「欲求」って言うんですよ。「今どういう「欲求」で動いているのか」というのが見えないと、動いたのは動いたのでいいけど、僕らはそれが「成立しているかしていないか」を価値判断するわけだから「動くに至った生理でも何でもいいから、その「欲求」がきちんと自分の中で把握されていないとダメだからね」という話はするんです。「今はそのようには見えない。僕がディレクションするのはここまでで、自分の中で「欲求」というのは見つけて」と。

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松 そうそう。

佐 そこで止めている、というか。もし僕個人の感覚を言ってしまうと、感覚というのは人それぞれ違うから変なふうになってしまう危険性があるので、その辺りで留めておかないと自由度が上がらないというか。振り付けてもいいし「振り付けてから自分で考えろ」というやり方もあるんですけど、やっぱり考えてほしい。「欲求」という言葉の意味も含めて考えてほしいので。
あと同じくらい「関係」のことは言います。「関係」とだけ言いますね。

松 なるほどね。「関係」というのはどういう意味で?

佐 例えば、今の僕にとっての松井さんとの「関係」というのは、外の人からは見えなくても何かしらの「関係性」がある。そういうことの切実さが乗れば、と。僕は昔から松井さんが大好きですと。

松 (笑)

佐 「もう俳優の頃から凄く好きで」という僕の中の松井さんへの歴史みたいなものがあって、それで今こうやってお話させて頂いているという「関係」が僕の中でしっかり構築されているのを第三者・他者が見て「あ、この人は松井さんが好きなんだな」と。そうすれば「関係」は外側からでも感じることが出来る。その「関係」をちゃんと成立させてくださいね、と。それはどういう理由でも良くて。例えば嫌いなんだったら嫌いでもいい。設定は俳優で作っていいから、ただちゃんと「関係」作ってほしい、みたいなことで。でも「「関係」って何だ」ということは説明せず、「関係」という言葉だけ言います。

松 なるほどね(笑)。でもそれ、割と受講生たちにとっては禅問答じゃないけど、「関係」という言葉がもし「 」(カッコ)に入って浮いちゃっていたら、訳が分かってないかも。例えば「昔プレゼントを1回あげた」とか「昔一緒にどこかに旅行に行った」とかがあればね。そこは確かに、具体的に演出家が言ったらそれで決められた「関係」になっちゃうのかもしれないけど。

佐 それもいいんですけど、僕の作り方は…僕のイメージしたものがそもそも面白いと思っていないので(笑)。

松 え! そうなんですか?

佐 それは悪い意味じゃなくて、僕個人の思っている外側のものがこの現場で見たいことだから、どういうものを持ち込んで来るのかというアメージングが現場では欲しいんですよ。「そういうことなの!?」っていう。

松 「もっと見せてよ!」ってね。俺ももっと見せてほしかった(笑)。

佐 だから「え!? これ読んでなんでそうなったの!?」みたいなことがもっともっと起こるといい。もちろん僕は自分で書いたイメージを持っていますけど、それを追いかける、みたいなことはしないんです。
でもそれを大事にしている作家さんもいらっしゃるじゃないですか。完全に作家の中のイメージを立ち上げたいという作家さんもいるので、その作家性に関しての善し悪しというのはどっちでもいいと思っているんですけど、僕はそこはあんまり気にせず「書かれてあることに縛られないようにしてね」とか、難しい話を結構しちゃっていて。「行間! 行間!」とか。結構ト書きとかちゃんと守るんですけど「こんなの無視して!」とか言っている(笑)。だって書かれていることがちゃんと実践されてはいないし…

二人 (笑)

佐 「◯さんにはちゃんと守れって言われているしなぁ…」とか、もしかしたら心の中で考えているかもしれないんですけど。

松 ああ、今までの講師が言って来たことと違う、とか。でもここの受講生・修了生たちは「言っていることが違うことを面白がれよ」っていう教わり方だから、全然問題なくそういうのに対応出来るんですけど。

佐 あ、本当ですか。

佐 そう思っているんですけどね。だからやっぱり単純に、今は泳ぎ方を知らなくて、その泳ぎ方がやっと見えて来た中で「息継ぎも出来る、まだ先に行けるんだ」というその状態で満足しそうだな、と僕は今日通しを観て思ったんですよ。まだ泳ぎ方がやっと分かって来た段階で、それを「演出家が言っていることの全てだ」っていうふうに思いそうだなという感じと「でもまだ先に行かなきゃいけないのかな」という疑問が混ざっているような感じというのかな。

佐 …合田くんはどう思っているんですか? 今日はたまたま努力クラブという京都の劇団の合田くんが遊びに来てくれているんです。すいません、話振っちゃいましたけど、せっかくだから聞いてみたいなと思って。

合田団地(以下合) …完全にボーッとしてました。何でしたっけ?

全員 (笑)

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佐 稽古とかで何を大事にされているんですか?

合 僕は「どんだけ暴力的に見えるか」みたいなことを。「どんだけ殺伐とするか」とか。

松 ほぉ(笑)。

合 「どんだけマイナスの方向にベクトルを引っ張れるか」みたいなことをやりたくて。今日の通し稽古を観て、もし自分だったら多分「黙っているシーンをどんだけ深い沈黙に引っ張っていけるか」みたいなことばっかりやっていますね。

佐 へぇー。でも松井さんも割とそうじゃないですか。マイナスと言ったら変ですけども、状況を結構徹底的にラジカルにお考えになって。

松 そうですね。僕の場合は「空気」みたいなものを作るまで沈黙があったりとか、その「空気」をはみ出ようとしたりとかは確かにあるかもしれない。だからシチュエーションで人がどういうふうに動くか、という感じの、ネガティブな状況とかも似ているのかもしれないですけどね。
話を戻すと、俳優がいま佐々木さんの世界にどれくらい迷い込んで、そこから何かを掴もうとしているのか、そこがそれこそ「ドキュメンタリー」として今日は見えたなという感じがしていて。いくつかのメタレベルなこと、「この人は普通の世界の人のようで普通の世界じゃないものが見えているのかな」とか、そういう感じを行ったり来たり、自分の中のスイッチみたいなものに気付いて自分でビックリするみたいな、そういうスイッチみたいなものが俳優の中に起こりそう、でもまだ発火していないというか、その回路が出来そうで出来ていないみたいな感じ。で、それが出来たら色々なところでそのスイッチが起こる、そのスイッチというのが人によってちょっとずつズレて起こっていたりする、みたいに見えたら、この世界がもっと面白くなるだろうな、と。

そうだ、本番は映像が入るんですよね? その映像っていうのはスイッチのきっかけになるものなのか、それともまた全然違ったものなのか。

佐 この間実験したら、スイッチのきっかけになりえそうだなぁみたいなものはありましたね。ただ、いわゆる映像を舞台で流して、その中でライブパフォーマンスをするみたいなことは今の演劇でままあるじゃないですか。ただそれって、映像ではあるけど「映画」ではないなぁっていう。
この間脚本コースの主任講師の高橋洋先生と講義の中でお話していた時に、「演劇」と「映画」の違いみたいなところから、やっぱり「演技」の言及になった。面白かったのが「舞台の中で演技をしているとして、そこにカメラが意図を持って配置してある。そこで芝居を始めて、それぞれのカメラのムービング等も設定して撮り始めると、舞台作品のはずなのにカメラの視点が入ると「映画」になる」と高橋先生は仰るんです。
でも変じゃないですか。舞台でやっているのにカメラという視点が入ったら、意識的なのか無意識的なのか、いつも通りやっているようでもカメラを意識して俳優の演技が始まり、その瞬間に「映画」になる。それが凄く面白くて。

松 「シュレディンガーの猫」じゃないけど、観察される視点があるとね。

佐 そうやって映画は演劇に影響を受けた作品があるんだけど、演劇が映画に影響を受けたというのは、作品のテーマとかではそういうことはあっても、構造的にはそういうふうなことは起こりえないんじゃないかみたいな話になって。

松 ああ〜確かにそうかもしれない。

佐 それは「演劇が先に生まれて、その後に映画が生まれた」という歴史からそういうことになっているのか。「演技する」ということの本質は変わらないはずなのになんでなのか。ムリだという答えが決まっていたとしても、そういうことを考えて手を伸ばして考えてみるという機会があってもいいんじゃないかなと。

松 なるほどね〜面白いですね。

佐 せっかく「映画美学校で「演劇」をやる」ということなんだったら「映画美学校ならでは」みたいなことを。

松 確かに「視点がある」ということは凄く映画的ですよね。それに合わせてどうしても何かを意識してしまうというか。

佐 今回の修了公演はフィクション・コースも巻き込んでいて、映画の観点・価値観から色々と聞くと「ああ確かに」と思うことがいっぱいある。舞台だと、観客のいる客席からの見え方って同じじゃないですか。だけど「何を観るか」という自由度はある、と。映像・映画になるとそれが限定されるわけじゃないですか。例えばこうやって松井さんと話している時に、松井さんの手だけを写すとか。演劇だと、いわゆる1:1の大きさで倍率は変わらないけれど、映像になるとアップになったり引いたりとかそういうことが起こる。だから性質がもう根本から違うなと思って。
で、今回僕は「時間」ということを1つモチーフに考えたんですけど、一瞬でもいいから僕らが普段映画を観ているようなもの、「今映画? 映画!?」みたいな感じのところに手が掛かるようなことが起きればなぁと。

松 「時間が重なる」みたいなことなんですかね?

佐 「編集」というのがポイントで。演劇にも、広義の意味で「編集」というのは、「演出」と言っていいのか分からないけれど、そういう意味では存在するけど、いわゆる「切って貼って」みたいなことは演劇では起こらないじゃないですか。結局連続している時間で作品を作っていくので、例えば「この日晴れているからシーン8を撮りに行こう」みたいなことは演劇では起きないわけじゃないですか。絶対に「シーン1から8まで順送りで行く」という手順を踏まないと、演劇は出来ない。これは深田さんとも話したんですけども、そういうことは映画では平気で起こるから、今回の修了公演でも何かを起してしまえば「「演劇」だけど「映画」だ!」みたいなことが起こらないかなぁと一瞬考えたんです。

松 映像になった時に僕らが感じる時間で言うと、ここじゃないどこかで撮られているだろう映像を観ている時に「いまここで起きていることから意識が離れていく」みたいなことがあって、そのことが面白いというか。自分の時間というか「こういう景色どこかで見たことあるな。どこだっけ。旅に行った時の伊豆大島かな」とか、映画を観ているとそういうふうに感じることがたまにあるんですけどね。

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でも、僕はそれが実は演劇にも起こると思っていて。演劇でも、その光の感じとかが「映画的」というか、違う時間を感じさせるみたいなことがあって。でも映像の方がそういうところに入りやすい感じはあるんですけど。

佐 この間の深田さんとの対談で1つのある結論に達したんです。演劇でもそういうことが起こるというのを僕も知っていて、それは何かと突き詰めたら、青年団のお芝居なんですよ。

松 ああ。

佐 それはもう僕の中で揺るぎない事実としてあって。別に青年団平田オリザさんを立てているわけでも何でもなくて(笑)。特にそう感じるのは、深田さんとの対談でもお話しした通り、舞台上から人が全員ハケて、舞台だけを観ている瞬間というのがやっぱり超異常で。

松 誰もいない状態ですね。

佐 僕は「演劇」って人がいないと成立しないと思っていたんですよ。ていうか、多分しないんですよね。「舞台美術だけをみる演劇」、そこまで考えてみたんですけど「それって美術館なの? 何なの? 現代アート?」みたいな。だけど、青年団のそれは時間がキープされているから演劇として成り立っているのだけど、演劇の時間としては本当に異常な時間で。映画でもそういうような似た感覚があるなと思って「あの無人の舞台の風景を、僕は映画の時間としても情報処理出来る」と深田さんとわーわー盛り上がって語り合ったんですけど(笑)。だからそれ以外に何かないかなと。

松 確かに分かります。だってあれ、おかしいですよね。観客というものがいないとして想定すると「誰も観ていない風景」を見ていることになるんですよね。

佐 そうなんですよ、超異常なんですよ(笑)。

松 そういう話になるとドンドン面白くなっていくんですけど(笑)、「誰も観ていない時に演技している人っていうのは一体何なんだろう」と思ったことがあって。

一同 (爆笑)

松 僕は廃校になった学校の建物全体を使って演劇をやったことがあるんですよ。で、朝から放課後まで色々な教室で授業をやったり運動場で何かずっと芝居をしているんですけど、観に来たお客さんは当然1回で全部は観られないんです。だから、誰もお客さんがいなくても俳優は一生懸命演技をしていた。でもそれはちょっと無駄だから(笑)。

一同 (爆笑)

松 「炎天下でそんなことするのは疲れるし、無駄だからやめよう」となったんだけど、俳優はみんな凄く面白がっちゃって。でもそれは演技じゃなくて本当のことじゃないですか。

一同 (爆笑)

松 だから、映画より演劇の方が逆がない(「演劇」の中に「映画」がない)というのは、演劇というのは日常も演技だからなのかなと。

佐 ああ〜そうかぁ〜。

松 やっぱり演技なんですよ。元々家族関係とかも僕は演技だと思っているので。親子なんて稽古してやっと親子になるみたいな感じがあるから。

佐 (笑)

松 お互いに何か振る舞い方を提出して、稽古して、と。
だから今回の『Movie Sick ムービーシック』みたいなのが凄く面白くて。演技なのか演技じゃないのか、それは再現なのか今起きていることなのかみたいなこと、それが、やっている人が分からない状態で、誰かに指摘されて「あれ?」って戻るとか、そういう感じが僕は凄くリアルに思うんですよ。

佐 普通にベッタベタにいわゆる虚構のお話を作る、額縁的な舞台も全然嫌いじゃないんですよ。一方で、侵食するとか、どっちか分からないっていうことって、今まさに仰っていた通り、僕らの日常も「本当にこれが今起きていることなのか?」みたいなことって、創作のテーマの根本には常に流れていて。

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最近はきちんとお話を組み立てるということを極力やるようにしているんですけど、今回のミッションは、出演者を含めて「映画美学校のアクターズ・コース6期」という状況が主役・メインだとしたら、やっぱりこの人たちが今何に取り組んでいるのかみたいなことに乗っかる方がいいんじゃないかなぁと思ったんです。僕の個人的な思い入れで作ったものにはめ込むんじゃなくて「今あなたたちは何なの?」っていうことに乗っかる方が、と。

松 それは面白いですよね。だから僕もそういうふうにもっといけるなと思った。それこそ僕は普段演技している、自分が俳優をやっているというのもありますけど「普段も演技しているのに何故さらに舞台上で演技するの?」「その欲求は何ですか?」というところを俳優はちゃんと考えていけるのかな、と。それは答えがあるかどうかは分からないけど、そのことについてちゃんと考えているかどうかということは、演技を勉強する受講生にも疑問に思ってほしいというか。
それぞれね、職場やバイト先でも演技して、美容院とかでも多分演劇やっているなんて多分言わないとか(笑)、色々演技しながら過ごしているだろうにと。だから隠れキリシタンのように…いや、それは分からない(笑)。もっと自信を持ってやっている人もいるかもしれないけど(笑)。

佐 (笑)。隠れキリシタンも演技みたいなもんですからね。隠れているんだから。

松 そうそう。「俳優です」ということを言うというのは、割とみんなハードル高いと思うんですよ。「それで食えてないし」「バイトしながらだし」とか。でも「俳優だ」と言って、それを職業にするなりなんなりにすると考えた時に「じゃあ自分のそう言い退ける根拠みたいなものは何なの?」というか。別に僕はバイト続けながら俳優を続けるのだって「俳優」と言っていいと思うし、もちろん職業としてやるのもいいと思うんですけど、とにかくその「欲求」のことを肯定するなり自分の武器にするのだったら、その「根拠」を考えた方がいいと思う。

佐 ほぉ。「根拠」。

松 そう。だからそのことを疑うとか迷うとかでもいいんですけど。何かそういうことについての話なのかな、という感じもしたんですよね。

佐 確かに「根拠」ということが別の言葉でテキスト上・台本上では書き起されている。「自分」という言葉で置き換えているなと今思った。僕が、書いた身として「「自分」って何だろう」と思っていたのが「ああ、「根拠」ってことか」と腑に落ちました。

松 そう。「自分」ですよね。「それでどうすんの?」というところ。

佐 やっぱり「自分が本当は何をしたいのか」みたいなことですよね。

松 そこなんですよね。

佐 それが早い段階でお客さんに分かればいいなとも思うし、別に分からなくても楽しめるものであればいいなとも思うしね。

【了】(構成:スズキシンスケ)

 


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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

予約受付はこちらから!
→ 映画美学校アクターズ・コース2016年度公演『Movie Sick』 予約フォーム