映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース2019年度公演「シティキラー」2020/3/5(木)〜3/10(火)上演!

『シティキラー』を見た:高橋洋(脚本家・映画監督)

先日行われた上演記録撮影時にご覧頂きました、映画美学校講師の高橋洋さん(脚本家・映画監督)から演劇版『シティキラー』の感想を頂きました。
是非ご覧ください!

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『シティキラー』を見た

ウィルス騒動のせいで中止になってしまったアクターズ・コース2019年度修了公演の舞台を、記録として撮影するというから見に行って来た。
いつもの通り、チラシも見ず、予備知識はほとんど入れずに行った。
唯一聞いていたのは、今年は14人の受講生のためにわざわざ当て書きのオリジナル台本を演出家が書き下ろしたということだった。それで中止とはメンバーの無念さは察するに余りある。

アトリエ春風舎に入るなり、さっきまで稽古をしていたのだろうか、舞台と楽屋の間を忙しげに動き回る受講生たちの喧騒に私は包まれた。チャンとアルコール消毒してから腹ごしらえの握り飯を食べていると、どうもさっきからパジャマ姿の女子が行ったり来たりしている。衣装だということはおおよそ察しがつくが、でも稽古から? 何か途方もない間違いに誰も気づいていないんじゃないかという気もしてきて、子供の頃によく見た悪夢のパターンでなぜかパジャマ姿のまま学校に来てしまって進退窮まるというのがあるんだが、それを思い出して心落ち着かず、ザワザワし始めた。思うにこの辺から私の中の現実と虚構の境界は怪しくなって来たのかもしれない。この女子は結局、芝居の最後までずっとパジャマだった。

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「そんじゃあ、そろそろ始めましょうか?」みたいなゆるーい感じで、何となく芝居が始まったらしく、人々は無言のまま思い思いに歩き回ったり、グルグル旋回したりする情景になった。4台置かれたキャメラも回り始めたように思う。こういう始まり方は近年多いので判ってるつもりなんだが、桟敷席に座っていた講師の近藤強さんが手すりにもたれながら「はい、3人ぐらいで集まって」とか「回転も取り入れてみよう」(適当な記憶)とか指示を出して来たので驚いた。舞台って一度始まってしまったら俳優お任せの世界で、演出家はやることがないとよく聞くが、これって見物の前で公然と介入するの? いや、よく考えたら、近藤さんは演出家ではなく、今回の公演は本橋さんという人だから(きっと、出入り口のあたりにさっきからずっと立って舞台を見渡している人がそうだ)、そうか、近藤さんは演出家の役ということなのか。にしても、劇中に演出家役が登場する芝居ならこれまでもあるけど、近藤さんの佇まいはあまりにリアルというかモロに裏方ではないか? そういう趣向? ひょっとしてもの凄く斬新なことに自分は立ち会っている? この調子でさっきから戸口に立っている本物の演出家もリアルに介入して、芝居にダメ出ししたりするんだろうか?

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そんなことを思ってるうちに、背の高い女子(後に主役のバックパッカーと判る)が木の根につまずき、リアルに転んだ。その人はいささか動揺したようにそのまま小走りに出入り口に向かい、外に出て行ってしまった。
本当に芝居は始まっているのか、不安になってきた。
でも、さっきから水滴の効果音がずっと流れている。そこに何か作り手の確信のようなものが感じられる。それに、転んだ彼女が、私が入ってきたのとまったく同じ出入り口から地続きの現実に消えていく姿を見送れたのはなかなか思いがけない体験で、私は自分の席がベスト・ポジションだと感じていた。今回の公演は、いつもとは違って、舞台の側面に2列ほどのわずかな席が設けられていて、私はその一隅に深田晃司監督たち数人と座っていたから、出入り口まで見通せたのだ。こんなわずかな席の数で本公演の時はどうするつもりだったのか心配になった。

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近藤さんの指示で無言の運動は終わり、そしたら僕のいた席の列から、さっきまで時おり舞台に降りてきては楽器を爪弾いたりしていた人が現れて、開演の挨拶を始めた。
え、この人が演出家の本橋さん?
じゃあ、出入り口にずっと立っている人は?
もはや、何も信じられない。この人が語った、どうやら発想のモティーフになったらしい昨年、7月ぐらいに隕石が地球とニアミスしたという話も、初耳でかなり驚いたが、本当かどうか判らないと思った。
どうやらさっきまでの無言の運動は、近藤さんが授業でやってる「ビュー・ポイント」というものだと説明もされたが、それだって怪しく聞こえる。
しかも、挨拶が終わって、今度こそ開演かと思ったら、舞台装置の裏手から「電球が切れたましたー」みたいな声が上がった。すると出入り口に立っていた人が、映画の現場で言えば美術さんみたいなリアルな身のこなしで舞台をまたぎ、問題解決に向かったのだった。そのためだけにあの人がずっと出入り口に配置されていたのだとしたら、この手の込み方はほとんど天才的な演出なんじゃないだろうか? 私はそんな気すらして来たのだった。

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かくして、パックパックを背負った長身の子が出入り口に現れると、もはやどう形容していいか判らないが「通常の芝居モード」みたいな気配が立ち込めて、私の心のざわつきは次第に収まり、さっきまでの喧騒の空気はいつの間にか嘘のように清浄そのものになっていた。
このバックパッカーが舞台にポッカリ空いた穴に向かって、「(自分探しかなにかで?)旅に出たのだー!」と自らに与えられた設定をいきなり叫ぶのは、昔、平田オリザさんの『演劇入門』で読んだ、高校演劇にありがちなやってはいけない説明台詞「美術館っていいなあ!」へのひねりの効いた返答に思えて面白かった。多くの映画はこういうことをさり気なくやろうとして、かえって不自然になり尺を使い過ぎている。
バックパッカーが最初に出会う幽霊?のごとき女の陰鬱な声のトーンは、この舞台のベースを作り出すものでよかった。後にゲストハウスの住人に尋ねても、誰もそんな人を知らないのはゴーストストーリーの王道の在り方である。
にしてもこの陰鬱な声の女とさっきウロウロしていたパジャマ姿の女子が二人組なのは、何となく判るのだが、夢精してしまった男が語る夢の話に思い切り食いつくぶっちゃけな感じの女がこの二人組の世界と現在とを自在に往還するのは何でなんだろうとずっと気になった。

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芝居のテイストはきわめてナチュラルなものだった。
パックパッカーと入れ替わりにゲストハウスを立ち去る常連客を女子二人が見送る場面は、そこに込められた情感と共に、女子ってこういう時めんどくさいんだよなーと普段思ったりするどうでもいい感慨すら立ち上がってくるものだった。これは先ほどまでの、近藤さんが桟敷から指示を出していたり、転んだ女子が外に出て行くリアルとは違う。むしろ、そうしたリアルによって立ち上がったフィクションと現実の境界の曖昧さの中で演じられるナチュラルという感触がした。ただナチュラルのものを見ても、自分はさほど感心はしないだろう。だが、たとえば『ローマの休日』で描かれるのはローマを訪れた人なら誰でもするような観光スポット巡りに過ぎないのだが、アン王女がすることですべてが変わるように、そこに眼に見えないもう一つの層という異物を通すことによって、ナチュラルな芝居自体が別のアプローチに見えるということかも知れない。それ故に自分は、マジシャンの男がOLの常連客にコクる場面の成り行きを引き込まれるように見たのだろうか。もっとも絶対「無理です」と言われると思ったのだが(それくらい大人な女の感じがしたということです)。この告白の場面でも使われていた多層世界の表現(屋外での二人の芝居と室内の客たちのダベリが同一空間で同時に進行する)は、映画でも同じ動きを作り出すことは出来るだろうが、そこに「層」があると感じさせることは出来るだろうかと考えさせられた。

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隣家のおばさんの息子が突如歌い出す場面や、ウズベキスタンから来たオーナーの友人がロシア語?を喋る場面はやはり端的に印象深い(ロシア語?を聞いたぶっちゃけ女が「やっぱ“鳥語”は判らねえ」とボヤく連続ギャグも秀逸)。それは一人一人に見せ場が作られた台本であるからこそ余計に、その人物の振り幅が見たい欲望に駆られるからだろう。なかなか欲張った願望ではあるが…。
そういえば、タイトルの『シティキラー』って何なのかは判らなかった。タイトルがテレビ画面に現れるのはカッコよかったんだが。もっともこれは演劇ではよくあることで、別にそこに不満があるわけではない。むしろ帰り道に考えたのは、映画のタイトルの扱い方との違いの不思議さであった。

ところで…冒頭に14人の受講生と書いたが、この感想で触れた登場人物をオーナーを演じた近藤さんを除いて数えると13人である。私は困惑した。後で聞いたら、どうしてもスケジュールが合わず参加できなかった人が一人いたんだそうだ。しかし…ゲストハウスを立ち去るバックパッカーをみんなで見送るラスト・シーン、私は人力スローモーションで手を振る人々を、最近の舞台って映画みたいなシーンを作るなあと思いながら人数を数えていたのだ。近藤さん以外に14人いた。このシーンは撮影の都合でもう一度繰り返されたんで、私はその時も数えた。14人、間違いない。映像がアップされたらぜひチェックしてみて欲しい。この手のものの常として14人目は写っていないだろうが…にしても、不思議なのは、何で私はわざわざ数えたのだろう?

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高橋洋(脚本家・映画監督)
1959年生まれ。学生時代は早大シネマ研究会に所属、『夜は千の眼を持つ』など8ミリ作品を発表。映画同人誌「映画王」の編集にたずさわる。90年に森崎東監督のテレビ作品『離婚・恐婚・連婚』で脚本家デビュー。主な脚本作品に、中田秀夫監督『女優霊』(95)『リング』(98)『リング2』(99)、北川篤也監督『インフェルノ蹂躙』(97)、黒沢清監督『復讐 運命の訪問者』(96)『蛇の道』(98)『予兆 侵略する散歩者』(17)、佐々木浩久監督『発狂する唇』(99)『血を吸う宇宙』(01)、鶴田法男監督『リング0バースデイ』(00)『おろち』(08)がある。なかでも『リング』シリーズは大ヒットを記録、世界にJホラーブームを巻き起こした。04年『ソドムの市』で長編を初めて監督。他の監督作に『狂気の海』(07/映画美学校フィクション・コース第9期高等科生とのコラボレーション作品)、『恐怖』(10)、『旧支配者のキャロル』(11/フィクション・コース第13期高等科生とのコラボレーション作品、映画芸術2012年ベスト4)。 編著書に「大和屋竺ダイナマイト傑作選 荒野のダッチワイフ」(フィルムアート社)「映画の授業」「映画の魔」(青土社稲生平太郎との共著「映画の生体解剖」(洋泉社)シナリオ集「地獄は実在する」(幻戯書房)がある。脚本最新作は三宅唱監督『Netflixオリジナルシリーズ 呪怨』、監督最新作は『霊的ボリシェヴィキ』(17/フィクション・コース第19期高等科生とのコラボレーション作品)。