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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース2019年度公演「シティキラー」2020/3/5(木)〜3/10(火)上演!

「逢えない僕らの思うこと」 Vol.2 〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜

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2020/3/30 18:00

 

この日は『シティキラー』舞台監督・黒澤多生、出演俳優の山田薫、星美里、百瀬葉も参加。

 

  • okichirashi インスタログを間において

 

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非公開で開始された okicirashi インスタ画面


山内:なんとなく実際のログを見ながら喋ってみましょうか。これが okichirashi インスタの投稿の記念すべき一発目ですね。

 

一野:山田さんのお母さんですか。おしゃれですね。

 

本橋:僕は人と会ったときに演劇のチラシを渡すのってちょっと無粋だなってつい思っちゃうところがあるんです。みなさんに聞きたかったんですが、そういうの今回はなかったですか?

 

山田:実は私、学校に行ったことは最初は言ってませんでした。チラシを渡す日に徐々に話していって、最後のこんなのやってるよってタイミングで実際にチラシを渡した。自分の中でドラマがあって面白かったです。いざ1枚目を渡したことでその後は楽になってお店とかにも持って行きやすくなりました。

 

一野:1枚目が一番ハードル高かったんですね。お母さん驚いてました?

 

山田:私は身内っていうのが一番ハードル高かったですね。最初娘が出てると思ってなかったみたいで、話し始めは「何いってるんだろこの子?」って思われていて、最後に名前を見て「おおー!」と(笑)。

 

山内:山田さんは最初の広報ワークショップのとき、例えばフリースクールだとか学校に行けない子に来てほしいって話をしてましたよね。その話のとき、今作制作の浅田さんが劇が届きにくいところに具体的に過去に経験したアプローチのことを話してくれた。

 

山田:ALSの方へのアプローチでしたね。気軽に劇場には来られない状態だけれど、来てくれたことがあると。

 

山内:そういう人たちに劇場にきてほしいと組織的にアプローチしようとしたらものすごい大変だったというのを踏まえ、それじゃあまず今回はみんなできる範囲でやろうと方向転換しました。僕も個人的な知り合いに声をかけようとか考えた。そのときに、自分で渡しに行くのが似つかわしいなと思ったんですよね。それで「okichirashi」プロジェクトとして非公開でログだけとろうとインスタをはじめました。そしたら山田さんが最初にこれをあげてくれて、主旨にあってます?ってすごい気にされてたのを覚えてます。

 

山田:こんなに身内な感じでいいのかって(笑)。逆に嬉しかったです。

 

山内:これでいいんですよね。むしろこれがいいんだなって。本当に、人と人との間にチラシがある。本橋さんの質問の「人と会うときにチラシを渡しづらい」ことに関していうと、僕は東京出身ですが、演劇をやってると20代のときに高校とか大学の友達を一旦全部なくすんですよね。みなさんわかります?

 

山田:どういうことですか?

 

山内:見に来て、前売り買ってってそればっかり言って友達を一巡するんです。どうやらあいつは芝居見にこいしか連絡がこないらしいっていうので学生時代の人脈って一回絶えるんですよ。割と演劇あるある、俳優あるあるなんですけどね。芝居を見に来てっていう行為が、どっちかっていうと下世話というか。だからお芝居の宣伝をする行為がものすごく心理的にハードルが高くなっていた自分がいて。なのでお芝居のチラシを渡すことの大変さについて本橋さんの質問は体感としてすごくわかります。

 

本橋:そうですね、こうやって改めてインスタの画像を見ながらチラシを渡した状況の話を聞くとすごく面白いなと思いました。やっぱり「人と人の間にチラシを置く」ことの感触はすごくあるんだなと思いました。同時に、チラシのデザインはすごく大事だなと実感もしてます。過去にもらったり渡したりしてきた経験を思い出すと、このチラシダサいなって自分で思ってるものを渡すのは自分に嘘がある。だから自分にとっても相手にとってもいい時間じゃなかったなってすごく思います。

 

一野:今回のチラシは渡しやすかったですか?

 

一同:渡しやすかったです!

 

一野:よかったです(笑)。

 

山内:僕はこの okichirashi インスタログをとる企画が同時にスタートしていたのでなおさら渡しやすくなっていました。

 

一野:本橋さんから最初にチラシ制作の依頼があったのは結構前で、その時にいわゆる演劇公演風のチラシではないものにしたいという希望を聞いたところからスタートしました。ことさら意識したわけではないんですけどね。面白かったのは、最初はチラシに「演劇公演」という文字が入ってなかったんですが、出来上がったデザインを見たら、やっぱり演劇公演のチラシには見えないかも? ということで後から付けたんです。だからある意味最初の狙いは成功したのかなと。

 

本橋:補足すると「演劇公演」とつけたかったのは、自分の中の演劇のチラシに対する考え方も影響しています。僕の知る限り、演劇のチラシって「演劇公演」て書いていないものがすごく多いんです。それもチラシの渡しづらさとして引っかかっているのかも。演劇をやってる僕らは A4 サイズのこのチラシって演劇のチラシだよねって普通に思うんですけど、馴染みのない人からしたらそもそもこれはなんなのっていうのが最初の印象なはず。なのであえて、すごく入れたいと思ったというのが理由です。あと僕は公演を始めるときに必ず最初に「今からここで演劇公演をやります」とナレーションを入れていて、それも同じ気持ちからやっています。

 

本橋:次のログは山田さんの息子さんですか?

 

山田:そうです。

 

山内:一時期この息子さんはお芝居の感想をイラストで書くことで小劇場界を席巻したんです。小学生の頃ですかね。

 

山田:ですね。それを Twitter にあげてました。

 

山内エゴサーチする小劇場界隈の人々の間で、感想をイラストでかいてる小学生がいるぞってことですごい話題になりました。最近見ないなーと思ってたら、うちの息子です、と山田さんが。昔の僕が出てたお芝居についてかいてくれたものも見せてくれました。時々有名な中学生観劇ブロガー、高校生ブロガーって現れますけど、小学生イラストレーターとしてとても有名でした。

 

一野:山田さんは今回がお芝居の出演は初めてだったんですよね?

 

山田:去年本橋さんのリーディング公演に参加しましたが、こういう風にちゃんと公演にでるのは初めてです。

 

一野:全然そういう風に見えませんでした。

 

山田:本当ですか? 嬉しい、だいぶ緊張してましたけど。

 

本橋:山田さんはむちゃくちゃ演劇みる人ですよね。演劇以外もですけど。それもあったと思います。関係ないかな?

 

山田:どうなんでしょう。でもやっぱり場数を踏んでる人は違うなと思うので、やっぱり経験は大事な気がしました。それに慣れてしまうとどうなのかはわかりませんけど。私はもともと割と何度同じものを見ても笑える人間なので、毎回新鮮にできるタイプだとは思います。経験してそれがなくなっちゃう人はつまんなくなっちゃうんですかね?

 

一野:毎回新鮮なリアクションできるってすごい才能じゃないですか。

 

山内:すごいすごい(笑)。

 

山田:(笑)。でもかなしいお芝居だと同じようにはできないかもですね。今回は一瞬一瞬が楽しかったので、何度やっても楽しかったし新鮮でした。

 

山内:そういうことはあると思いますよ。アクセスする感情の得意不得意、体の状態の得意不得意は、絶対あると思います。

 

一野:そういう体の状態を作るっていうのは役者さんの大事な仕事なんですね。

 

山内:やっぱりあらゆることにすっとアクセスできちゃう体の方はいますからね。お芝居向いてる人っているんだなって。いまだにすごい嫉妬します。

 

本橋:それでいうと、山田さんの役は劇中で息子役の方とのシーンでネガティブな面もあったと思うんですけど、どうでしたか?

 

山田:関係者で見ていて気づかれた方からも指摘されたのですが、怖くなって声がでづらくなってましたね。結構辛かったのが見えたみたいです。見えてしまったことに反省してますが。

 

山内:次のログに進みましょう。僕はこんなふうにコンビニの店員さんの身体が写ってるものなんて見たことないです。

 

本橋:これはどういう写真なんですか?

 

山田:うちの近くのコンビニで何年もバイトしている方との写真です。私もほぼ毎日行くのでレジ越しに話す関係が続いています。この企画のスタート時点で演劇を見たことがない人に来て欲しいと思ったのですが、彼女は毎日コンビニで働いているので見たことないかもしれないと。それで声をかけたら「行きたい」と言ってくれて今は LINE 友達です。

 

本橋:チラシ渡したのがきっかけですか?

 

山田:はい。稽古中は頻繁にコンビニに行けなくなっていましたが、公演中止になったお知らせをする必要があって LINE の ID を私が渡して、そこから。

 

本橋:なるほど。すでに関係が築かれてる人に宣伝のチラシを渡すのは確かにその行為がノイズになる可能性があるけど、チラシを渡すことをきっかけに関係性が進むのは素敵なことですね。

 

  • コレクティブを間において

 

山内:それです。演劇を口実に人と話す。僕が映画美学校で毎年続けている「渋谷ノート」という試みがあります。受講生が渋谷で街を歩いている人できになる人に声をかけて録音もさせてもらって、その会話を書き起こして演じるというワークです。一言一句、ノイズも書き起こして台本化する。あれは「生の、本物のしゃべり言葉ってどうなってるんだろう?」っていうのを調べること、ものすごいハイコンテクストな言葉に触れるという目的があるんですが、同時に、演劇を口実に渋谷の街を歩いてる人に話しかけるというのが実は一番の目的でもあります。そうじゃなきゃ、話しかけないですよね。僕自身も演劇のリサーチを口実に、初めて話しかけられる人がいっぱいいます。それを口実に気になっていた人に話しかける。そういうイメージはありました。

 

本橋:コミュニケーションてなんなんでしょうね。今だから正直なことを言うと、僕、9期生の人たちがすごく仲良さそうにしてるのがすごく羨ましかったんですよ。今回に限らず、演劇をやるときにいつも思うんですけど(笑)。俳優同士って仲良くなりやすいことが多いけど、僕はどうしてもそこには入れない。脚本・演出という役割というより僕自身の傾向かもしれないですけど。創作に関することを話すことになっちゃって、それも心地よいんですけど、そうじゃなく関わることがなんか僕はできなかったな。

 

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「シティキラー」場面写真


山内:2回目で一野さんと本橋さんが言ってた間にお芝居とか本とかを間に置いてるから話せる、というのと同じことですね。僕からすると、間にチラシがあるから話せるというのも同じだと思っています。例えば俳優同士の場合は間に台本があるから話せるというのもあるんだけど。でもコレクティブという集まり方を考えると、俳優と演出はなぜかコレクティブになりにくいんですよね。スタッフと演出だと意外と実現しやすいのに、俳優が関わると難しくなる印象があって。

 

本橋:なんででしょうね。

 

山内:割と最近思ってることの一つには、スタッフと俳優は仕事の時間軸が全然違うというのがある気がします。スピード感が一桁二桁くらい違う。ミュージシャン同士ならそのセッション内でパッとコピーとか実現できるかもしれないけど、俳優の場合はまずセリフを新しく覚えることも大変ですが、演技を作っていく時間の流れ方が俳優によっても全然違うというのが今の所の中間報告の一つです。

 

本橋:僕は俳優同士のコミュニケーションに、わからないけどどこか高尚なものを感じています。例えばどこかジャングルの奥地で一つの巨大な洞窟に暮らしている少数民族のコミュニティや戦争塹壕の中のコミュニティみたいな。周りにその人たちしかいなくてそこでコミュニケーションをとらないと死んでしまう。必要性があって関係性を構築している、生きることと直結しているコミュニケーション。そこに自分がほいほい入っていけないなと思ってしまう。

 

一野:すごい動物的な。

 

本橋:そうですね。あくまでこれからパフォーマンスをしていく上での集まりなわけで、揉め事がある死活問題だからっていうのはあるのかも。

 

一野:僕はまだまだ演劇の人と触れ合ってる数は少ないですが、演劇の人たちがいる空間ってすごく居心地がいいです。すごく協調性があるのに独立してるっていうか。みんな違うのに今から一緒にやりますってなったら急にできるってすごいです。そういうタイプは普段はまわりにいないので。

 

山内:本橋さんの現場を横で見てると、解放されてる感じがします。許されてるとかそういう上下関係でもなくて、なにかの回路が開かれてるような。直感の回路でやってて、違う時は違うってフィードバックも実感しやすい。

 

一野:自由な空気は感じますね、ものすごく。

 

【コレクティブな人の集まり方について】

ヒエラルキーをなくした表現者の集団である「コレクティブ」という人の集まり方は、2010年代より、アートのみならず、演劇でも大変に注目されています。それはもっともパワフルな人の集まり方であると同時に、システムとか制度が引き起こしている「分断」や「孤立」と闘っているのかもしれません。

演劇では快快サンプルの試みは大変に知られていますし、近年では劇団mamagotoの挑戦が大変注目されます。

映画美学校修了生のあいだでも、「月刊長尾理世」など、アクターズ・コース、フィクション・コースをまたいだ映画コレクティブといえる集団があらわれています。(山内)

 

  • 出演俳優/受講生を間において

 

山内:百瀬さん、どうでした?

 

百瀬:おっしゃる通り今までもってたこうしなきゃああしなきゃ、ってのは捨てられた感じがします。

 

本橋:僕はこれまで3回俳優に感覚を揺さぶられた経験があったんですが『シティキラー』で4回目があって、それは百瀬さんでした。『シティキラー』の中で、床に空いてる穴を百瀬さんと星さんが見つけるシーンがあるんですが、そこで百瀬さんは唾を吐くんです。衝撃を受けたしめちゃくちゃ感動しました。日常で、外で仲間と旅に出たら実際やるよねって感覚的にわかる行為なんですけど、演劇はあくまで借りた場所で他人とやってるフィクションだから、やれないことの方が多いですよね。それを百瀬さんはやっていて。そういう我々が大人である以上セーブしてしまうことをどうやって引き出せるんだろうってよく思うんです。

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「シティキラー」場面写真


山内:本橋さんは常にそういうものを探してますよね。動物的な感じというか。それは飴屋法水さんのものづくりの佇まいと似てる気がします。

 

本橋:確かに影響を強く受けてるので…。色々な方の影響を受けていますが、できるだけゼロ地点からそういうところにたどり着けたらと思うんですけど。

「ビュー・ポイント」という映画美学校の講師の近藤さんが授業でよく実践する動きや発声を細分化、パーツ化したりしてルールをもちつつ身体的に実験する訓練かつパフォーマンスのようなものがあって、今回もいわゆる客入れの時間に俳優に舞台上でやってもらっていました。稽古も含めて「ビュー・ポイント」で感動する瞬間はいくつかありました。ルールに基づいて動いている人たちがそのルールで本当に遊び出す瞬間っていうのがあって。その時間内に生成されるルールを破ったり守ったりする時間がすごくいいんですよね。ルールが真ん中に置かれているからこそ起きることだっていうことに感動したりしましたね。

 

一野:枠組みがあるから外れられるっていうのはあるよね。

 

山内:このログには他にもいい写真がたくさんあるんです。Twitter には普通写らない体がありますよね。非公開にしてよかった。

 

中川:見られるためにやってるのではなく、やってる人との関係でしか起きない体や表情が写っていたりしますよね。親密さがある。

 

一野:僕は居酒屋のテーブルにチラシが置かれて、その上に料理が置かれているこの写真が好きです。直接渡せないからテーブルに置いてきたっていう(笑)。自分の分身を間接的に置いておけるものとして使ってる感じがすごく面白かったです。

 

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okichirashi インスタログより。居酒屋のテーブルの上に「シティキラー」チラシを置いた


山内:置きチラシを個人的にやっていこうと9期生と話した時に、その人たちが通りそうな動線にそっと置くって話をしてたよね。梶井基次郎の『檸檬』みたいな。

 

:その発想の発端は受講生の一人、関口さんですね。私生活の中の動線をそれぞれが模索するみたいな話をしてて。

 

一野:配置の仕方に色々工夫はありそうですね。

 

本橋:置きチラシってそもそもそういうものかもしれませんね。僕も置きチラシはすごく好きで、これからの時代の演劇チラシは折り込みよりそっちだなって思ってたんですけど。初回にも話しましたが、チラシって大多数より個人に出会うものだなって気がします。すごく自分にとっていいなって思うお店だと、置いてあるチラシを見たり持っていったりするからそういう風に作品と出会うのって素敵だなって。その場所での経験がそのチラシに含まれたりもする。

 

一野:オンラインの宣伝だとこの写真みたいにランチョンマットとして使えないもんね。笑い話でもあるけど、反面すごく重要でもある気がしますね。こういう使われ方もすごく嬉しい。

 

山内:自分と似たような人に来てもらうなら自分の動線に置けばいいって話があったよね。

 

:そう思ったのは本橋さんの文化圏と自分の文化圏が似ていたからです。それゆえに本橋さんの文化圏を拡張できるのかなと。実際に置きチラシを通じて本橋さんの友達の友達という人とも出会いました。

 

一野:タグ付けみたいなことなのかな?

 

山内:それって、自分と本橋さんの文化圏の重ならない部分にチラシを置くことで本橋さんが拡張されるって感じ? あえてちょっとはみ出るみたいな。どうやって世界が拡張できるか僕自身知りたくて。

 

:私の周りにいる人たちは、自分と面白いと思うものが似ている人たちが多いので、知り合いがいる店とかに置いてました。

 

山内:なるほどね、きっと好きだろうなと思う人に存在を知ってもらうということですね。

 

一野:そういえば背中の部分にチラシを入れられるデザインのカバンを見かけたことがあります。歩くことで広告になれる、これは面白いなって。例えばパンクバンドのチラシを入れてたらその人パンクが好きなんだってわかるっていう。その人がチラシを背負って歩くことで、その人がどんな人なのかも見えるのがプロダクトとして面白いなと思いました。動線を媒体にするってことを実直に形にするとそういうことになるのかなと。話しかけられそうじゃないですか、そういうカバンをもってたら。

 

:ファッションみたいですよね。演劇って持ち歩くことができないけど、それでだったら持ち歩けますよね。

 

本橋:チラシは広告的な要素があるけど、そもそもファッションは一目でこういう人だってすごく把握しやすくて意識しますよね。一番身近な自己表現の一つで面白いですよね。

 

:演劇はその場でしか見ることができないですが、ファッションもそこにその人が存在しないと見られないという点で似てるかも。何かの媒体を介してしか見られないし、同時にその人がそこにいないと見られない。演劇の広告の可能性ってどこにいけるんだろうって考えます。

 

本橋:そういえば星さんに最初に話したのって、その服どこで買ったのって聞いたのだった気がしますね

 

:紙でできた手術着を反対にしてコートにして着てたっていう(笑)。

 

一野:おしゃれ(笑)。

 

  • 「フォーカス」と「フィジカル」を間に置いて

 

本橋:さっきでた拡張というワードは意識しています。自分が半径1メートルくらいの話しか作れないなって悩んだ時期があったんですが、フォーカスが絞られたものを作ると逆に広がっていくって気づいたんですよ。フォーカスをめちゃくちゃ絞って背景がボケて見えなくなるように作ると、そのボケた背景を見ている人たちが自分の経験と照らし合わせて勝手に広げてくれる。そういう作り方を意識しています。

 

山内:フォーカスを絞るというのはキーワードな気がします。世界を拡張する方法としてもうちょっと言葉をくれますか。

 

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3回目ZOOM画面より。中段左端の本橋氏は手元のライターをカメラに近づけている


本橋:例えばこうやってライターをすごく寄りで見るとします。こうするとライターの情報をすごく提示することになる一方で、このライターがどこにあるのかはわからなくなる。例えば今だと部屋で僕がライターもってるという情報が隠れる。そうするとこの画面を見る人は、ライターそのもの以外の外側を自分で補填したりし出すじゃないですか。そうすることで、その見た人個人個人の世界と接続する気がする。僕はそういうことを意識しているような気がします。

 

一野:すごくわかるような気がします。描かないからこそ他者にわかるっていうのはありますよね。細密に自分の背景まで書いちゃうと自分にぴったりはまる人しかハマらないけど。周囲・背景をぼかしてることで、幻想かもしれないけど、見ている人がこれは自分のことなんじゃないかって想像しやすくなるんじゃないかなって。

 

本橋:それはアピチャッポン作品にも繋がるような気がします。作品の中に個人的な感覚を突き詰めておいているような気がします。そのことで自分の文脈に置き換えやすくなるというか。

 

:クローズアップすることで取り扱っているものの要素がすごく大きくなりますよね。ライターをアップにしたときに「ライター」としてではなく、プラスチックという素材、色とか光とか、物質が見える。その方が世界の広さが見えるというか。

 

一野:ライターって言葉にしちゃうと「ライター」でしかない。ライターを表すのに、黒いとか、プラスチックとか、言葉のレベルでも別のものがでてきますもんね。

 

本橋:例えば僕の場合、人とのコミュニケーションでも、その人が経験したことを伝えてくれるときにディティールを熱烈に語られても「うわー話してんなー」と思っちゃって全然頭に入ってこなかったりするんですよね。状況ではなく擬音とか体感を伝えてくれる人の方がわかるし、コミュニケーションをとりやすいなって思ったりしちゃうんですよね。

 

一野:関西人に多いやつですね(笑)。道の説明するときに「そこガーッといってからサッと入って」とか言うから。

 

本橋:その方がコミュニケーションが楽しい感じがするんですよね。自分に起きた感じがする。その感覚とちょっと似てたりするかな。

 

中川:一気に抽象化するみたいな。

 

本橋:そうですね。外から見るとすごく抽象化されていて、でもその人本人から見るとすごくフォーカスが絞られた状態になってるっていう。

 

中川:言い方が難しいですけど、例えば私が何かを感じたって伝えるときに「私」はぼかすけど「私が感じたこと」にフォーカスする。私が痛かった状況ではなく、その痛さが痛みとして伝わるみたいな。すごく主観的なんだけど同時に主語を避けるというか。テキストでは伝わりにくいことかもしれないですけど。

 

本橋:作品づくりにおいては主観的な目線と俯瞰した目線が両方必要だとは思うんですけどね。ただ僕は、コミュニケーションとか人と関わる上で、そういうところが一番大切なんじゃないかと思ってる感じするんです。どんな話においても、他者がその人になれるかどうか。その人の中で、膨らませていけるというか。見た人、聞いた人が話の主人公になれること。

 

一野:少なくとも語り手が自分の感じたことを自分の言葉で言わないと伝わらない。どっかで観念的な、フィジカルではないものが混ざると嘘の言葉になるような気もしますね。擬音で聞いた方がその人本人のリアルな感覚は伝わるな、と思うんですけどね。

 

本橋:コミュニケーションにおいては色々な意見がありますよね。

 

  • いま、逢えない僕らの思うこと

 

山内:今回の対談は、僕たちがこういう営みをしてきたということを報告したいという動機がありました。俳優の学校にありがちな、卒業したら芸能界に何人いけるとかそういうこととかけ離れちゃってる営み。広報ワークショップをやってみたら、この人たちの感覚が面白いという手応えがあって、とても個人的な営みとして実践して、それを振り返った跡を残したいというのがありました。みなさんどうでした?

 

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3日目にあたるこの日は最大8名が同時に対談に参加した


百瀬:今の状況になってから自宅にずっといて、TVや映画やドラマをずっと見て過ごしていて人と喋ってなかったので、楽しかったです。欲望として、人と喋るのって楽しいことなんだって体感しました。

 

スマホから Zoom をやっていると一画面に4人しか映らないので顔色を伺いながらスライドさせて喋ってました。それが面白かったです。

 

黒澤:上演が中止になってしまってからいま話してる話って公演やってたときに話してた話なのかもしれません。それを聞けて面白かったです。公演が中止になったことによって、逆説的に今なお、続けていられるようになったのもいいなあと思いました。

 

山田:okichirashi インスタを始める前は漠然とチラシという媒体はなくなっていくと思っていました。オンラインの方がお金もかからないし無駄もない。それでも、そこに物質があって、渡されることで起きるストーリーや質感はあたたかくていいなと思いました。なくなるであろう文化なのかもしれないけど、なくしたくない。

 

一野:僕も純粋に嬉しかったです。デザインをしているだけでは見られない表情を見させてもらった。いま「置きチラシ」というフィジカルな記録について話すときに、前日に東京都知事の会見があって東京に行かない選択になった経緯があって。フィジカルなものについて話すときに、全然フィジカルじゃない状態で話すことの落差。Zoom で話した感覚まではテキストでは伝わらないだろうけど、こういう状況下で話しているということを残したいです。それと僕はやはり、逢いたいです。

 

中川:元々 okichirashi インスタのログを見せていただいたときに感動したのは、山内さんもおっしゃっていた、人が写っていたことです。等身大の感じがすごくした。演劇や表現をすることも、それを渡すことも、自分の体のままみなさんがやってこうとする感じがすごくいいなと思ったのがありました。この人たちが話す言葉は聞いてみたいとが思って参加しました。今こうして背景が部屋で画面を共有して話していることも、インスタでログを見た感覚と共通するところがあります。PC を間において、お一人お一人プライベートの延長、等身大で話している言葉、声が素直に出てる感じがして居心地のいい時間でした。

 

本橋:僕は最後にすごく感動した『シティキラーの環』の一番最後にでてくる一野さんが作ってくれたロゴを共有して閉めたいです。ロゴってデザインにこんなに物語を組み込めるんだなって感動しました。こんなに「シティキラー」が文字にぶつかってるとは思ってなくて(笑)。想像してたのとは違う不思議なものでした。

 

山内:Zoom でどうしたらいいの、と戸惑った初日の感じが忘れられません。今はZoom でお話しする身体感覚が面白かったと言えます。画面共有も面白い。もっともっと用意したらある意味何時間でも楽しめる。『シティキラー』に関しては終わっている感じがしなくて、まだ同じ夢の中、出来事の中に依然いるような気がします。今日はこれで仮にピリオドを打ちますが、全然続くな、という感覚です。作品ももっと育つような気がしてます。

 

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一野氏の手で作られた『シティキラーの環』のラストシーンに現れるロゴ
【3回目を終えて】

人のつくるものを信じられないときがあります。信じられないというより、それと関係が切り結べないとき。そういうムードのとき。今、もしかしたら世界が、まさにそうなのかもしれません。日々のニュースで報じられる世界のありさま。SNSやインターネットで目にする更新され続ける情報。

いま目の前で起きている未知で予想をはるかに超える被害や制限、プレッシャー、またそれらから醸成される警戒を強いられる非日常的なムードをまとった日常を送りながら、非日常が描かれたフィクションを、今のあなたは見たいでしょうか? 全く見たいと思えない、あるいは、そこに引きこもりたい。両極端な振れ幅にそれぞれの人が揺れているようにみえます。フィクションとの健全な関係を結びにくい。少なくとも私自身にはそういう実感がありました。

けれど教えてもらってから知った非公開で綴られたインスタのログを眺めていたら、この人たちの話す言葉には逢ってみたくなった。そこには、等身大の人の行為が映っていたから。背伸びもせず、武装もせず、過剰に恐れず。演劇公演のチラシを自分と誰かの間において、等身大に人に話しかける、俳優になろうとする人々の姿。

「話す言葉」を、その人が「つくるもの」と言えるとして。この人たちの言葉なら、聞いてみたい。この人たちが作るものなら、見てみたい。これを作る人たちになら会ってみたい。

今作の制作とはそんなに関係の濃くない私は、そういった動機で今回の対談に参加しました。

参加合計4時間強にあたる全通話はすべて均等に行われたわけではなく、背景に各人の私生活が垣間見える私的な空間と接続されているような異世界感を伴うものでした。どこか散漫で、私的で、個人的で、親密に同じ時間を共有しているのに、身体的には離れている“逢えない”私たち。様々なレイヤーの間に生まれるラグに少しずつ各々の体を慣らしながら、相手との距離を確かめながら進められるミーティングは翻って自分の身体性と、いまここにない他者の身体性を強く意識する時間になりました。こうして書いていても多層的な『シティキラー』のこだまの中にいるような。ここにいないフィクションのはずの人々が、確実にまだそこに、いるような。残響を体に残しながら、ひとまず閉じることにします(中川)。

 

(舞台写真撮影:かまたきえ)