映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

「演技論演技術」/言葉を仕分ける、根拠を探す

 

演技論、演技術の書籍・テキストをひたすら読むゼミです。毎週課題テキストを10 数ページ読みこみ、事前に簡単なレポートを提出。それを元にディスカッションをします。大学のゼミのイメージです。ゲストに若手の研究者、関係する演劇人をできるだけ招きます。現代演劇のテキストについては出演歴のある修了生を招きます。(高等科要綱から抜粋)


山内健司さんが担当する基礎ゼミ、「演技論演技術」。

先日、11月30日に第9回目の講義が終わったところである。講義回数としては全16回予定と、このゼミが回数としては高等科のゼミの中で一番多い。
ゼミの内容的に、数回積み重ねた上でレポートを書いた方が理解が深まるのではないか?と思ってここまで寝かせていたのだけれど、実は回を重ねるごとに古今東西様々な演技論・演技術が頭の中を巡り巡って頭の中がより混乱を来している気がしてならない。
というわけで、自分の頭の整理も兼ねつつ、これまでの講義を追っていくこととする。
(文:浅田麻衣 )

 


講義前の準備について

講義に際して、次に取り上げるテキストの指示部分をまず「レジュメ」に起こす受講生が1人決定しており、その者がレジュメを締め切り日までにSlackに投稿。そして、受講生それぞれも読み込んだ感想を締め切り日までに投稿する。それを各自読んだ上で、講義を迎える。


これまでに取り上げた人物は以下となる(敬称略)

1)リー・ストラスバーグ/『メソードへの道』(第1回講義/第2回講義)
2)
コンスタンチン・スタニスラフスキー/『俳優の仕事』
3)アンドレ・アントワーヌ/『現代の俳優術』
4)平田オリザ/『現代口語演劇のために』
4)杉村春子/『演技ノート』

5)田中千禾夫/『物言う術』
6)山崎努/『俳優のノート』
7)安部公房/『安部公房の劇場』


私自身は大学などの教育機関で演劇を学んでいない。高校演劇から演劇を始め、その後大学の演劇サークル参加、そして関西の劇団に入って活動という経歴。現場を渡り歩いて「この本参考になるよ」ということを漏れ聞いたら「じゃあその本読もうー」というノリで読んできたのだが、それはあくまで「その当時の座組みで必要だから」読むという意識だったのだと今になって思う。だから色々な演技論、演技術が頭の中で整理されることなく沈殿していた。
山内さんが先日のインタビューでおっしゃっていたのだが、「演技についての言葉が、日本では混ざっている」ということ。これは講義の最初ではわかっていなかったけれど、ようやくそれが実感としてわかるようになってきた(これについては後述する)

 

レジュメ/講義の進行について

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レジュメは各回違う人が担当するのだが、個性が滲み出ていて面白い。
それぞれのレジュメを見て常に思うのが(人によってやり方は異なると思うけれど)「?」と思ったところをそのままにしない。例えば、著者の生きた時代背景を調べるだとか、当時同じく活動していた演劇人を紐解いてみるだとか、様々なアプローチを行ってみる。それが「素敵だな」と思うのは、無理に現代の私たちの今の言葉で「要約を」しようとせずに、引っかかったところをなぜ引っかかったのか丁寧に救い上げているところにある。

講義は、まずレジュメを担当した者の感想を聞き、その後その人自身がレジュメの説明。そこから山内さんとレジュメ担当者のディスカッションを経て、ディスカッションは全体へと移行する。


全体でのディスカッション

これは、既に書き込んだ感想を基にしても良いし、当日の流れ、レジュメを聞いて改めて考えたことを話しても良い。
この場は決して「正解」を探す場ではないので、話す言葉がまとまらずとっ散らかってしまっていていいし、ただ疑問を話してもいい。

印象的だった回が、平田オリザさんの『現代口語演劇のために』を読んだ回。そして、そこにまさしく青年団初期から参加している山内さんがいるということ。これまでが海外の演出家/俳優だったからというのもあるけれど、目の前にその演出を受けてきた俳優がいるということは妙に心がざわついた。

言葉を仕分けること、その言葉が発せられた「根拠」とは

これまで取り上げられてきた人物は、演出家だったり、俳優だったりとそもそもの出発点が違う。そして語る言葉も「演技論」「演技術」、はたまた「芸談」であったりと、きちんと紐解いてみると、あれ、違うな‥‥ということに気づく。

そして、その人物の一人語りで語られるその書体には、あまりその人自身のコンテクスト(文脈)がないことが多い。私自身の癖で「教科書のように読んでしまう」というものがあったのもあり、講義当初は「そういう考え方があるんだ、成程」とただ享受する姿勢が強かった。
だが、皆の感想を読んだり聞いたりするにつれ、その言葉が持っている重層的な部分を自然と頭の中でレイヤーで分けていったり、「?」と感じた部分、「なんだか圧力として感じてしまう重い文章だけど、なぜ自分はそう感じたんだろう」と考えるようになってきた。まだまだ私は出発点に立っただけだと思うけれど、この講義で脈々と繋がっている「演劇」という壮大なスケールなものに対して敬意を払い、それを紐解く作業が面白いなと思えてきたのはとても楽しい。
(まだ頭は混乱状態だけれど、詰め込むだけ詰め込んでおくのは良い気がしてきた)

 

蛇足(つけたしです)

今後さらに、より現代に連なっていくけれど、今度はその演出を受けた「アクターズ生」がゲストで参加するのも非常に楽しみ。個人でやると「わからん!」とただ放り投げてしまうだろうなと思った本に取り組めていることは非常に嬉しい。そして、この講義を受けると、必然的にいろいろ稽古で試したくなる(舞台やりたいですね!)

 

先日山内さんにインタビューした内容で私自身整理できた部分も多かったので、よろしければ是非読んでみてください。

eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp

 

文責:浅田麻衣 

アクターズ高等科・講師インタビュー/山内健司さん

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「アクターズ・コース俳優養成講座 2020年度高等科」は6名の講師がそれぞれゼミを担当しています。そのゼミの内容は、講師の皆様がそれぞれ企画しました。今回は「演技論演技術」「俳優の権利と危機管理」「俳優レッスン」を担当する山内健司さんにインタビューいたしました。

・「演技論演技術」

演技論、演技術の書籍・テキストをひたすら読むゼミです。毎週課題テキストを10 数ページ読みこみ、事前に簡単なレポートを提出。それを元にディスカッションをします。大学のゼミのイメージです。ゲストに若手の研究者、関係する演劇人をできるだけ招きます。現代演劇のテキストについては出演歴のある修了生を招きます。

・「俳優の権利と危機管理」

「俳優の権利と危機管理2020」〜俳優がフラットに話せる関係性をつくるためには - 映画美学校アクターズ・コース ブログ

・「俳優レッスン」

通年で日曜日に実施していた俳優レッスンを行います。基本はダイアローグのテキストを2時間×3回の自主稽古を経てレッスン日に上演していきます。定期的な演技の実践をすることで、各人の課題に取り組み、技術の向上を目指します。最後に成果発表としてショーイングを予定しています(別途稽古時間有り)。

 

 ——まず、「演技論演技術」の話をさせていただけたらと思うんですけれども。このゼミをやろうと思った経緯について教えていただけますか?

山内 直接的には、この春に自分が参加した「演技論」という友人の大学のゼミがあって。それは今から遡って古代の哲学にいくっていう演技論なんですけれども。その授業の現代のあたりで、平田オリザの回があってその時呼ばれたんですよ。「現代口語演劇のために」(著:平田オリザ)を学生たちが読んで、それについて僕がいろいろお話をして。で、どうせ呼ばれるんであれば、オンラインで行われるその授業が、どういうふうにはこばれるのかっていうのに興味があって3カ月間くらい参加していて。それがオンラインだから、講師があちこちに声をかけて、30代くらいの演出家とか俳優とか、色んな人が集まってて。逆に周りの人たちが盛り上がっちゃって。多分、今はね、アリストテレスぐらいまでいってるのかな? 今は外と学生が半々ってところじゃないかしら。そういう野放図な感じの大学がまだあるんだってすごく嬉しくなっちゃって。今、大学っていうと本当に単位だとか出席だとか世知辛いことが昔より多い中で、面白いからどんどん人が来ちゃうとかそういう雰囲気ってもう無理なんだなってとっくに諦めてたんですけれども、図らずもそういうのが実現してるのを見て。で、「あ、オンラインでも演劇論を読んでみんなで文章書いて、読んで、ただおしゃべりするっていうので成立するな」っていうのを体験して「これいけるわ」って思ったのが直接のきっかけではありました。
 それ以外に、ずっと気にはなっていて。この間の(講義で取り上げた)杉村春子さんの言葉とか、すごい面白いけど言い返せない、「あーおっしゃるとおりでございます」としか言えないじゃん? あの種類の言葉が実際たくさん流通してるじゃん。あとそれとは別に、演技論って、演技について話してるんだけれども、すごく魅力的であってもそれは実は演出家目線だったりだとかで、それを実現する時にかならず俳優は別の演技の言葉や方法を必要だったりするし。あともう1つ、演技のやり方を語っているんだけれども、それがどういう価値観に基づいているのかっていうのがあまり語られていなくて、それをやるモチベーションが難しいものとか。正解を示されてるみたいで苦痛だったり。色んな言葉のレイヤーがあるなと思って。それらをばーっと仕分けてて、今まだ5、6回(講義を)だけど、少なくとも見たことなかった地図が出来つつあるんで、すごくいいなと思ってます。そういう演技の言葉で、なんでそれをもって良しとしているのだろうっていう、そのことが気になってるんですよね。
 演技で、例えばコンテンポラリーの演劇の言葉で俳優に「負荷をかける」なんて言い方がありますよね。俳優からしたらずいぶんな物言いで。なんでそんな当たり前のように人が人にそういうこと言うんだろう?っていうふうに思ってて。多分これは演劇を見る側とか演出家の視点の言葉なんですけれども。あと、いわゆるリアリズムの演技について敬意なく言葉でディスったりするってよくありますよね。いろいろな言葉の仕分けをしたかったっていうのは正直なところあります。
 だから、方々に検証したいところがあるんですけれども。例えば、新国立(劇場)だよね。新国立の研修所が15年間やってきて、RADAの影響もきっとあるのかな、ボイスとムービングっていうのをやるようになって、精神論的な「なりきり演技」っていうのを演技論ではうしろにしりぞかせたっていうのはすごいいいことだと僕は思っていますけどね。感情を直接表すんじゃないんだよ、行為した結果に感情が表れるんだよっていうことはそれ以前の演劇でも言ってはいたんですけれども、それがちょっと一般になったのは功績ではあるなと僕は思いますけどね。
 そういうこととか、日本のいわゆる演技の言葉の根拠っていうことを知りたいっていうのはあります。日本の演技にぴたっと張り付いている新劇、それがいいと思っている根拠をきちんと言葉で捕まえたいというのとか。あとそれからさっき言った、杉村春子さんの「おっしゃるとおりでございます、演技の魅力はそこにあります」ていう言い返せない言葉。これだと、なんでそんなに自分は圧を感じるのかなっていうことをちゃんと知りたいっていうのがありますし。
 あともう一つはコンテンポラリーな演技ですよね。コンテンポラリーで色々突き詰めたような演技、そのカンパニーでしか「通用しないよ」なんて言われちゃうような感じのことってあるじゃないですか。「通用しないよ」って言われたら俳優はすごい嫌な気持ちになりますよね。「そっか、俺、よそじゃ通用しないんだ。でもこれ本気でやらないと突き詰められないしな」っていう、そういう表現ってあるじゃないですか。ああいう表現に対して、きちんと言葉の足場が欲しい感じがするんですよ。まだまだ若手で見ててかなり極端だなあって印象抱いちゃうようなカンパニー、表現ももしかしたらあるかもしれないよね。でもなぜこれを良しとしたのかっていう文脈というか、それを演技の言葉できっちりとつなぎたいっていうのは正直あります。そのための言葉の地図の見取り図が欲しい。もういい歳してなんだけど、ようやくそこに着手してるっていう感じ。

——講義の中で、それぞれのコメントで、特に横田(僚平)さんや酒井(進吾)さんのコメントに圧倒されるんですけど。それぞれの体験から滲み出たものがコメントで出てくるっていうことがすごく衝撃的で。私はどうしても、教科書として読んでしまう癖ができてしまっているので。例えば杉山春子さんでも、「ここは自分の体験と重なるけど、これは違うレイヤーだな」みたいな分け方ができるんだ!っていう発見ができたのがすごく嬉しかったです。

山内 そうですよね、僕もそう思います。横田くん、酒井さんはまさにそう思いますよね。見取り図とか知識がなくて「俺はこれがいいと思う、いけないと思う」と真剣なんだけど独善に陥いるようなあやまちを演技論ではしちゃいがちだと僕は思っていて。横田くんや酒井さんは特にそれがなくて、自分の現場と結びつけてて言葉がフラットなんだよね。なんか昔の演技の言葉って、こう例えばリー・ストラスバーグの言葉について「これってさ、こういうことでさ、これが古いじゃん」みたいなことを、なんで上から目線なのか分からないんだけれども、そういう語り方をするのもやっちゃいがちなんだよ。それをしないっていうのがあのゼミ自体に習慣付いてきたっていうのが一番今面白いよね。昔の本を読むときに、ちゃんと敬意を持って接しているっていう。

——先人たちの言葉をただ享受するんじゃなくて、じゃあ今の、現代の私たちはどう思うのかとか。あと、読んだ時の違和感をどう言葉にできるのかみたいなことを講義の中でみんなが教えてくれてる感じがしていて、すごい贅沢な時間だなって思ってます。

山内 ただ享受って言ったけど本当にそうだよね。そういう言葉に向き合う時に、ただ受け身になって受けて「これおいしい、これまずい」っていうふうに消費しちゃうのが一番いけないパターンですね。それと真逆で、いい感じになりつつあるんじゃないんですか、今。言葉がぶわーっと日本の演技術では混ざってる。そこを現場で仕分けたいんですよ。

——これからどんどん進んでいって、実際にその演出家から演出を受けたっていうアクターズ生の話も聞けるわけですけど。

山内 みんな「あっ、それいいかも!」って、うわーっと引っ張られちゃうかもしれない。めちゃくちゃ引力強いやつばっかりだから。その引力の強さ、そういう言葉とどう付き合っていくか。その言葉のレイヤーをうまく仕分けしていきたいよね。言い返せない言葉もあれば、演劇論の言葉もあれば、演技術の言葉もあれば、芸談の話もあるっていう、その認識を持って、最前線の演出家たちの現場の言葉を解析するっていうのは本当に楽しみです。

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——他、山内さんが担当してらっしゃるのは、「俳優レッスン」と「俳優の権利と危機管理」ですね。俳優レッスンは、これまで受けたことのない人の受講が多い気がしますが、印象としてはどうですか?

山内 そうですね。うん、めちゃくちゃいいよ。テキスト選ぶ時点でも相当。僕が担当したのは初回のテキストを選ぶ時だったんですけれども。相当いろんなものが出てきたし。基本的には、リアリズム演技のテキストっていうものをやろうっていうのがあるんですけど。でもこれまでも、小説を持ってきて構成してやるっていう人もいたし、あと面白かったのはね、イラクの帰還兵の手記ってものを構成してやるっていう、(佐藤)考太郎くんのもあったし。そういうお試しを行うっていうのはすごくいいなと思った。

——自分がかつて受けた時、発表に至るまでの稽古を自分たちで組み立てなきゃいけないから、それが結構ハードルが高かったんですけれども。実際受けてみたら、まず自分たちを知る時間をとって、そこから積み重ねていくっていうのがすごく贅沢な時間だなと思って。あんなふうに稽古ができるって現場ではなかなか難しいので。

山内 浅田さんがいた時で、本荘(澪)さんと鈴木(良子)さんのペアで、あまり(演劇)経験ないもの同士で作ってて。で、アクターズの受講生の時の講義では、だいたい演技はこういう段階があって、こういう段階があって、こういう段階があるよっていうのをやるんですけど。修了後の俳優レッスンの時は「今まさに足りないのは、あの時話したあのことだよ」って必要としてるタイミングで言えて。わりと基本的な「ビートを切って動詞を見つけるっていうこととかを、今ちゃんと勉強してみたらどう?」て2人に勧めたら、それをめちゃくちゃ勉強してきて。次回の発表の時にめちゃくちゃ良くなってて。あれは結構感動したね。
 演技の技術書ってさ、順番に読んで何とかなるっていうんではなくて、やっぱり何かこうぐいぐい吸い込みたくなる、ぐいぐい吸い込む瞬間って絶対あると思っていて。俳優レッスンの中で、「今、今だよ」っていうことを言ってあげられるのはとってもいいような気がしますね。

——自分が受講生の時は、いいところ見せなくちゃみたいな変なプライドとか、あとすごい緊張もあって、講師陣の言葉をうまく受けとれなかったことがすごく多かったなと思い返していて。今回、こういう形で振り返りができたっていうのはすごいありがたいですね。

山内 そうだね。やっぱり「期」になるとね。その期で何とかやっていかなきゃいけないっていうか、座組みとしてコミュニティーが形成されるじゃない?そのことってやっぱり大きいですよね。

——やっぱり人間関係を崩せないし、挑戦しようとしても、これはやったらダメか?って思いが生まれたところはありましたね。

山内 「だめかぁー」が本当はこないほうがいいんですけど。だからその意味ではもうちょっと(受講期間が)長ければ色んな機会ができるんですけれども、わずか半年ですから。もうちょっとのんびりできるといいんですけどね。難しいですよね。やっぱり経済的なことが一番大きいと思うんですけれども。学費もそうだし、時間もそうだし、キャリアもそうだし、皆さんの生活もそうだし。
 だから「短期をやった上で、継続的に学びの手段がある」っていうのはわりとこの国の今の現状には適しているなとは僕は思うんですけどね。でもやっぱり2年ぐらいのんびりやったほうがいいんだろうな、本当は。ただ今度は、「学校」になるとほら、日本の学校教育って、独特の緩み方をするから。受け身っていうかモチベーションっていうか。それがまた難しいところではあるんですけれども。

——いわゆる大学での演劇教育と、アクターズ・コースの違いってどこにあると思いますか?

山内 端的に言うとほら、大学で演劇を学んだ人ってあんまりこっち(アクターズ・コース)に来ないじゃない。大学出た人はもう大学で4年間勉強したしな、って思って「もう学ぶっていうんじゃないだろう、現場だろう」みたい人が多かったりするんですけれども、それはもうしょうがないと思うんだけどね。でもさっき言ったけど緩いから。モチベーションバラバラだし、特にマスプロの大学の演劇の大学だったりすると、もう演技のトレーニングなんてできないし。じゃあ、いつ演技を学ぶんだろうって。あとそうね、アクターズ実際10年やってきて、現場に出たら本当にもう、頑張ってるアクターズ生たちがたくさんいるんで。そのことがやっぱり眩しいよね。みんな頑張ってると思います。

——自分自身、修了公演が終わって、別に自分は演技が上手くなったわけじゃないなと思って。それは決して悪い意味ではなく。仲間を作れたっていうことと、あと「渋谷ノート」とかで、自分でも何かが作れる可能性があるのかもしれないっていうことを半年間で教えてもらったなぁと思っていて。

山内 DIYでしょ?

——そうです(笑)

山内 (中川)ゆかりさんのインタビューの結論がDIYって、あれ面白かったですね。お芝居、DIYでちょうどいいと思うんだけどなぁ。

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——あと、山内さんが担当している「俳優の権利と危機管理」。この前の「俳優の権利と危機管理」で韓国の俳優さん、韓国で活躍していらっしゃる助監督さんの話を聞けたのは本当に良かったです。

山内 あれすごかったね。素晴らしかったね。(米川 幸)リオンが「今のような動きになって、制度になって、ハラスメント講習会があって、現場で演技しやすくなりましたか?」って聞いたら、即答したじゃん。「なりました」って。あのとき本当に希望を感じました。本当に素晴らしかったですね。

——もちろん彼らが闘ってきた歴史、背景があると思うんですけれども。すごい良かったし、全ての質問に的確に即答した俳優さんの胆力も感じて。

山内 頑張ろうって思いました。あと例えば音楽の印税ってさ、やっぱりすごいじゃない?1つヒット曲出したらそれで食べていけるじゃない、今。俳優ってさ、なんで作品で1つヒットが出てもそれで食べていけないんだろうね。印税ということなんですけどね。音楽にはそれがあって、役者にはないっていうのがずっと昔から不思議で。やっぱり音楽の人たちは、著作権で印税っていうことを自分たちで勝ち取ってきたんだよね、間違いなく。ヒットを出したらそれでやっていけるっていう。
 だから、印税とは直接関係無いけど、韓国の人たちが契約で自分たちの労働環境を変えていった話も結構こたえましたね。多分いい作品出して、それで俳優がきちんと経済的に保障されるようになったら。俳優の生き方のモデルも変わってくると思うんだけどね、本当に。権利的な部分は、俳優の生き方っていうのを太くする大きな道ですよね。だからそういう意味で、先日の話は大きな希望でしたね。「働きやすくなりましたか?」「当たり前です、もちろんです」っていうのが「この人たちなんてまともなんだー!」と思って。ぶわーっとあの瞬間に、酸素が流れてきたような感じがしましたね。本当に。

 

——山内さんの関わっていらっしゃることで、コココーララボ(https://co-co-co-la.wixsite.com/cococola/about-labo)の取り組みが気になってました。

山内 あれは「演出の言葉ってなんだろう」とか、あるいは、「俳優同士が演技について話すやり方」とか、あるいは、じゃあ現場にいる制作だとか、本当はみんな何を言ってもいいはずなのに、言わない、みたいな感じで何となく黙ってることが当たり前になってることってすごく多いと思っていて。そのことを問い直している感じですね。例えば稽古場見学に自分が行ったとして、ちょっとお邪魔しただけだから「あれは何だったんだろう?」って色んなことを聞けないし、聞けるわけないし、聞いたら失礼だし、聞いたら何も分かってないことがバレちゃうし、とか色々思ったりするじゃないですか。でも本当は何言ってもいいはずじゃん。
 コココーラではだから、とりあえず話してみる時間をいちいち作ってみるってことをやってますね。たとえば制作とかスタッフの人も、稽古場に来たり来なかったりする人もいるじゃない。日本だといくつも現場を掛け持つことが多いから張り付くことって難しい。そのことってやっぱりでかいじゃん。たまにしか来ないのに何か言ったらまずいんじゃないの?ていうかさ。

——ありますね。謎のバイアスがかかりますね。

山内 そうそうそう。そこにある、俳優と演出家の言葉のコンテクストには立ち入れないんじゃないの?って思ったりすることって結構あるでしょう? でも何言ってもいいと思うんだよね。この間の稽古で面白かったのはね、演出と俳優の3人で稽古して45分経過したら、その45分を見てた人が、見てた間に考えた事を喋るって時間を作って。人間だから色々考えてるじゃない、その考えてることをフラットに話そう。演技についてどうこう、その芝居について役に立つ立たないとかはいいから、色々考えてるそのことを話せばいいんじゃないのっていう。でもやっぱり目の前の作品のことになんとなくまつわることをみんな話すわけだけれども、結果的にはね。つまりは、言葉をフラットにしていくっていうことだと僕は思ってます。

 

——ずっと気になってたんですけど‥‥。山内さんはオリザさんと出会って演劇を始めたかと思うんですけど、それまでは一切演劇に関わっていなかったんですか?

山内 いや、えっとですね。高三の時かな。(劇団)つかこうへい事務所の解散公演の『蒲田行進曲』に間に合ったんだよ、ギリギリ。都会の高校生だったはずなのに、あんまり行かなかったから。で、「柄本(明)さんのヤスは観たほうがいいよ、観なきゃダメだよー」みたいなことを言う先輩がいたんだよ。「あーそうなんだー」という感じで。でも柄本さんじゃなくて、解散公演だったから(ヤスは)平田満さんで、(銀四郎役は)風間杜夫さんと加藤健一さんの時で。加藤健一さんの大楽(千秋楽)のときに観に行ったのかな。どうやったらお芝居見られるかも分からなくて、とりあえずやってるらしいっていうことで新宿の紀伊国屋ホールに行って、そしたら列があるんで並んでたら、当日券で入れちゃって。しかも、紀伊国屋ホールの最前列のさらにその前に座布団を敷いて座ったんだよね。センターのちょっと下手位だったかな。平田満さんの唾を直に浴びて。『蒲田行進曲』の最後のほうでもうド汗をかきながら、平田満さんが30分位長台詞を一人で喋るっていうのがあって。それを見て、もう感動っていうか洗礼を受けちゃって。あとオープニングからしてさ、根岸季衣さんとかもものすごい目力でこう、すごい素敵だったんだよな。
 でも高校の時に、大学行ったら演劇やってもいいかなっていうのはなんとなく思ってたんだよね。時代でもあったんで。それこそ野田(秀樹)さんとか、鴻上(尚史)さんが出てくるちょっと前くらいかな。あとオフィス300とか如月(小春)さんとか、すごい人たちがいっぱい出てきてた時で。「大学行ったら演劇やるって言う未来もあったりしてー」って思っていたんだけれども、なにせ入った大学は高校位の規模の大学だったんで。一学年300何十人しかいなくて。で、無理だなって思ってたら、オリザが「劇やる」とか言って。「あーそうなんだ」って1年の5月に見て、その冬には手伝ってて、1年後の大学2年の春には出てたって言う感じですね。あっそうか、演劇こんな小さい大学にいてもできるんだって思って。

——初観劇はつか(こうへい)さんだったんですね。

山内 つかさんだったね。あとその後『熱海殺人事件』の伝説的なアイちゃんをやってた井上加奈子さん、本当に可憐な女優さんですけど、その方とご一緒する機会がすごいあとにあって。当然本番には平田満さんがやってきて。もう直立不動ですよ。「わわ、私は、あああ、あなたのー、唾をあああ、あびてー」みたいな感じで。20年位前ですね。緊張しました。‥‥あ、ごめん。もう一つあったんだ。あんまり人に話してないな。「柄本さんのヤスは見なきゃだめだよー」って言われた以外に、図書館になぜかね、つかこうへいさんの写真集があったんだよ。

——写真集ですか?

山内 うん、『前進か、死か!!』っていう。それをなぜか知らないけど手に取っちゃったんだよね、忘れもしない。その写真集にやられちゃったんだよ「すげえ、これはやばい」と思って。だから加奈子さんがね、平田満さんに「珍しいよ、写真集から入ったんだよ、この人は」って紹介してもらったっていうのがありました。そういえば。今ネットであるかな?

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——あ、中古で売ってます!

山内 これを手に取っちゃったんですよ。コテコテだな、今見ると。あと、『寝盗られ宗助』の演出について事細かに書いた本もあってね、あれは貪るように読んだなぁ、そういえば。あれは面白いですよ。いつ頃読んだんだろう、結構衝撃で、それで演劇っていいなぁって思ったんですよね、そういえば。

 

——最初つかさんって、意外でした。その後オリザさんと出会って、お芝居を始めて。そこから「教える」っていう立場になられる契機みたいなものはあったんですか?

山内 直接的には、何だっけな。1人1ワークショップとかいってやってた時代があったんだよな。あれが面白くて。何でもいいから自分の知っていることをワークショップ化する、みたいな。

——それは青年団内で?

山内 そう。利賀で合宿か何かやってる時で時間もあったから、そんなことやってる時代があって。その時に自分が演技をどうやってやってる、みたいなのをちゃんと言語化するっていうのを初めてやってみて、っていう前段階がありますな。それがあって、で、桜美林(大学)にオリザが呼んでくれて。普通演劇を教える人って、自分が学んできたことを教えるじゃない? でも僕は誰にもある意味教わってないから、自分がやってきたことを言語化をするっていう作業やってて、すごい大変だったのね。演劇の授業をやるっていうのが。まぁ始まりは大学で、「僕に授業で何をしてほしいの?」って聞いたら、「みんなのモチベーションを上げてくれ」ってオリザが言ってて、なるほど、と思って。それが始まりですね、教えるのは。
 でもそれとわりと同時期の、フランスの演劇人との出会いっていうのが大きくて。フランスの演劇人っていうのは、公共劇場の俳優と商業劇場の俳優ていうのがはっきり分かれていて。公共劇場の俳優は公共劇場が百個ぐらいあるから、それを主な仕事場にしてる俳優で。その公共劇場の俳優たちを間近に見てだな、ようは誇り高かったんですよね、みんな。それが羨ましくて。例えばアフタートークとかでも、日本だとアフタートークって演出家がやるトークショーみたいな感じなんですけれども。フランス人の演劇のアフタートークは、俳優たちも舞台の最前列に足をぶらぶらさせて座って「じゃあ何か質問ある人?」っていきなり始まる。で、質問があったら、その質問した人と1対1でお話をするっていう、そういう時間なんですね。で、「この質問、誰が答える?」みたいな感じの時は、1人の俳優が「じゃあ、答える」とか言って。俳優が自分はこの作品をどう思っていて、自分の役をどう思ってて、みたいなことを全部自分の言葉で話すのね。その姿を見ててかっこいいと思ったんですよ。自分の言葉で社会と直接つながるっていうかっこよさへの憧れが、同じ頃にあった気がしますね。で、桜美林で教えるってなって、そうかそうか、自分の仕事をちゃんと言語化していこう、自分のやっていることを喋れるようになっていこうと思ったのが教える最初ですね。
 で、自分がやっていることがどういうことなのかっていうことをとにかく言語化していって、言語化していく過程で「言語化したものをじゃあ中学生にやってみたら?」って勧められたのがワークショップの始まりだったのね。だから教えるっていうよりは自分のことを、自分の言葉で喋って、社会と直接つながりたかったっていうのが一番大きいかもしれませんね。

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——今まで自分は、自分は教えるというのは難しいなと思っていて、距離を取っていたんですけど。私も大学とかで学んできたわけではないので。でも今の山内さんの言葉で、社会と直接つながるっていうモチベーションはすごくしっくりきました。いいですね。

山内 本当にオススメですよ。でもあれだね、アクターズ・コースをはじめて近藤(強)くんとか古館(寛治)くんとか、あとそれから映画そのものと近しくなったっていうのがあって。リアリズムと圧倒的に距離が近くなって。最近は、自分のやってる演技について「どんな演劇やってるんですか?」って聞かれたら、「いやまああの、割と日常会話を普通の声でやってます」って言ってもみんなポカーンとするだけだから、「あ、はい、リアリズムの演劇をやってます」とか言ったら、みんな「あっ、そうですか!」みたいな感じになるからこれはいいやって。最近はもうだから、自分のことそう言っちゃってるんだけども。リアリズム演技っていうと、どっちかって言うと新劇の主義主張だとかっていうイメージがすごいあったんで。でも「リアリズムの俳優です」って言えるようになったのは、ほんとこの20年くらいで、演技に対する言葉が少し豊かになってきたことと関係があるかもしれませんね。僕自身特に、アクターズ・コースに関わって、すごい演技の言葉が豊かになったし。
 そうそれで、アクターズ・コースが始まる前にも、似たようなこと自分でやってるのよ、実は。古館くんに、3時間2回のワークショップをやってくれと。どんな演劇人生を歩んできたのかっていうことを紹介するワークショップをやってくれって企画したんだけども。その時に、「あぁそうか、古館くんはこういう時間を経てきたんだ」って、アメリカでの話を聞いたりとかして。そのワークショップは3時間のワークショップのために取材の時間を3時間かけるっていうのを目標にしていて。それで、話を聞きだして、こういう時間にしようっていうプログラムを一緒に立てて。そんなふうな企画を自主的にやってまして。その時はだから、古館くんがアメリカ滞在7年で、近藤くんにいたっては11年で。だから合わせてアメリカ18年シリーズとか言ってやって。とにかく人がどうやって演劇を学んできたっていうことへの関心が強かったですね。
 あと同じ時期にやったのが、今度「演技論・演技術」でもやる安部公房スタジオの『安部公房の劇場』って本にある演技論で、それ読んでみてもさっぱりわからないの。で、実際安部公房スタジオ最後の新人って方が、青年団にいたのね、大塚洋さんっていう。で、「ここに書いてあるこのプログラムをちょっとやってみてくれない?」って、大塚さんを呼んでワークショップやってもらう会とかをやったりもしてましたね。

——すごく贅沢な時間ですね。

山内 あとよく(中川)ゆかりさんが演技論の時に言う(ロベール・)ブレッソンのモデル論のような演技と、オリザの演劇論に出てくる演技が近いんじゃないかっていうのは昔からなんとなく思っていたんだよね。だからブレッソンの『シネマトグラフ覚書』を題材に、深田(晃司)くんに映画について考えるっていうワークショップを企画してやってもらったのが2008年くらい。あれ面白かったね。ちょうどそれ、想田(和弘)さんの「演劇1・2」の撮影の時で、「演劇1」かな、深田くんのワークショップのシーンが出てくるんだよ。でも深田くんはモデル論にはそんなに興味なかった、実はね。でもやっぱり「映画っていうのはヒューマニズムじゃないよね」っていう話になって、演技って人間中心主義になりがちな論が多いっていうのは気になってたみたいで。で、深田くんが「映画っていうのはヒューマニズムじゃないですよね、ねー、想田さん」とか言って、そうしたらカメラ回してる想田さんが「そうですねー」みたいに顔上げて話してて。ある意味すごい豊かな時間でしたね。そんな、人の演技論っていうものにすごい興味があったっていうのはありますね。そういえば。

——演技論についてその人が感じていることを読む、そして話すっていう時間はすごく豊かなんだなって最近すごく思います。それを「講義、授業にする」っていうとどうしてもかまえちゃう部分も出てきちゃうところはあるんですけど。

山内 そうね、どういう時間が一番豊かなのかなって言うことを考える必要はありますね。それこそさっき言ったように、演劇の言葉っていってもレイヤーがいっぱいあるんで。それが何かウニョウニョ混ざっているのはあんま良くないなと思ってて。つまり、演技術の話に芸談が入ってくると僕はやっぱり圧になると思うのね。自分の成功体験みたいな話になってきちゃうわけじゃん、ある意味。その辺をうまく仕分けて、どういう時間にするかっていう事は結構大事だと思いますけどね。

 

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https://www.scenoha-festivaltokyo.jp/sugiyama.html

——今後、山内さんがやりたいと思っていること、考えていることはありますか?

山内 これ、これ見てよこれ。これの「旅人48景」ってあるでしょう?それの一覧を押していただくと、アップされた8つの作品があります。これが私の最近のDIY作品です(笑)。完全にDIYです、これは。これはね、池袋に「景」を発見するっていう作品なんだよね。風景の「景」なんだけども。F/T終わっても楽しめるんで。よかったらやってみて。現地でやると楽しいですよ。これは阿部(健一)さんていって、ずっとそういう街で演劇を作ることをやってた人が進行で、青年団の杉山至が企画ディレクションやってるんだけれども。これほんとに、「渋谷ノート」ですよ、発想としては。まさに。

 

——では、そろそろ時間なのでよろしければ何か一言。

山内 はい。DIYでやっていこうと思います。豊岡行ってね、どういう生活になるかイメージつかないんですけれども。大学ができてすごい目がキラキラ人した人たちが全国からやってくるっていうのはそれはもう鼻血が出そうなくらい楽しみです。一方でほんとに演劇をやるのに大変な時代になりつつあるからね。まぁでも、人権大事にしてDIYでやってたら間違わないんじゃないの?(笑)。

 

 

2020/11/14 インタビュー・構成/浅田麻衣

 

山内 健司(やまうち けんじ) 

1984年より劇団青年団に参加。平田オリザによる「現代口語演劇」作品のほとんどに出演。代表作『東京ノート』はこれまでに15カ国 24都市で上演された。劇場の中での演劇と、街や人と直接関わる劇場の外での演劇の、双方に取り組む。映画出演作として『歓待』など。平成22年度文化庁文化交流使として全編仏語一人芝居をヨーロッパ各地の小学校で単身上演。

 

高等科生の現在/アクターズ1期修了・中川ゆかりさん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第二弾はアクターズ・コース1期を修了した中川ゆかりさんです。

 

——大学は早稲田の演劇専攻だったかと思うんですけれども。演劇を始めたのはそこからになるんですか?
中川 遡ると中学校の演劇部が一番最初です。賢い同級生2人が入ったのが理由。自分が興味あったわけじゃなかったし、いつ辞めようってずっと思ってた(笑)。ただ、一個上の人たちがめちゃめちゃド派手な人たちだったのね。普通の中学なのに茶髪とかルーズソックスとかがすごい可愛くて。で、その人たちがなぜかすごい一生懸命演劇やってた。
——ギャルだ!‥‥ギャルが?
中川 そう!それがすごいかっこよかった。出身の神奈川県は演劇が結構盛んで、中学2年生の時、高校演劇をみんなで観に行って。県立高校の先生が書き下ろしたミュージカルの台本を借りて自分たちも上演しました。第二次世界大戦を描いた物語で、ひもじくて「じゃがいもください」って将軍に迫る群衆の一人を演じている時に、自分じゃない人=役の出来事を自分のことのように実感したのがすごく面白くて。その時に確か地区大会で優勝して、以降すごく真面目にやるようになりました。その後は同じ神奈川県発の(劇団)扉座の作品とか、いわゆるストレートプレイもやりました。そこで「演劇面白いんだー!」って思うんだけど、話飛ぶけどさ、私すごく友達がいなくて(笑)。だから中学生の自分は、演劇面白いなって思いながらもそれ以上に普通になりたい欲が強かった。何よりも友達が欲しい、仲間が欲しい。同時に「書く」こと、自分で物語を書くとか、小説、漫画を読むのも大好きでした。一人でできるし(笑)。高校は進学校に行くんですけど、演劇部はなかったんです。とにかく普通に友達がいる生活への憧れがすごかったのでなぜかバスケ部のマネージャーになったんだよね。
——うわあ、体育系。
中川 自分はプレイしないけど、チームの一員ってことが画期的だって思ってた(笑)。『スラムダンク』の知識しかないのに3年間真面目にやってました。頑張る人を応援したい気持ちには嘘はない、みたいな。でも高1の時に見た『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年/ラース・フォン・トリアー監督)にやべえってなっちゃった。強烈でした。なんかやばいもの見つけた感がすごくて、演劇部を思い出した。でも辞めれなくてさ、マネージャー。セルマ(ビョークの役名)を思いながらテーピング頑張る自分に悶々として…それ以降、他人のためだけにやりたいことを諦めるのは絶対やめようって学びました(笑)。普通に真面目な高校生活を送りながら内側では「ビョークになりたい!」ってなってた。そもそもビョークは職業俳優じゃないので色々間違ってることはさておき、「なりたい!」みたいにすぐなっちゃうんですよね。「これをやりたい」じゃなくて「これになりたい」っていうお年頃。この映画はとにかく声のインパクトがすごかった。人の声はすごいってここで知った記憶があります。
 当時、大学の講義を高校内で模擬聴講できる仕組みがあって、早稲田の文学部の教授がDragon Ashとかミスチルとかのポップスやラップのライムとシェイクスピアとか古典演劇の韻の共通項を挙げていくっていう面白い講義をやってた。そこで志望校決めました。同じく高3の夏に大学でも模擬講義を受けました。その時にはすっかり早稲田で演劇専攻するつもりで演劇の講義を受けたんですけど、そこで(サミュエル・)ベケット不条理演劇を教わった。それまでは中高生の演劇と日常的に見てるTVドラマや映画しか知らなかったので、役を演じることって「役の人として生きる」という生々しさを伴うものしかないと思ってたし、そういうものに自分も反応してました。 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』もしかり。その生々しさは怖いけどすごくかっこいいことなんじゃないかって思って。そこにベケットですよ。「意味わかんないじゃん!」って(笑)。太刀打ちできなさすぎて、どうやら演劇って私が思ってるのと全然違うってことの衝撃がまたすごかった。演劇無理かもと思いつつ、これがどうやら世界基準ですごいんだ、と知識としても得た。
 それくらいから分裂が始まるんですよね、自分の中で。自分がその折々でいいと思うものと、その世界でいいとされているものとをどう並べて、どう捉えていいのか分かんなくなった。演劇の難易度はどんどん上がっていきました。それでも言葉とか声とか物語への興味はずっともっていたので、まあやっぱりなにがしかは書いてました。日記とか、詩とか。難しいものでもあるんだけど、好きなものはいつも演劇や映画の中にあった。映画は小さい頃から親の影響で色々見てたものの、自分の容姿のコンプレックスで映像にはすんなりいけないだろうっていう自主規制もあった(笑)。当時、早稲田大学の第一文学部は専攻を二年生から決めるスタイルだったので、とりあえず文学部に入りましたね。 

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20代の頃の一コマ
 

——二回生で結局演劇に進むんですよね?
中川 うん。わかんないと思いつつ、いきましたね。「演劇映像専修」の演劇コース。今やってる「演技論・演技術」(※アクターズ高等科、山内健司さんの講義)のような座学とか、あとは当時ワークショップの枠が授業の中にあって私の年は宮沢章夫さんがいらしてました。
——遊園地再生事業団の。
中川 そうそう。同じく演劇専攻の学生に「遊園地再生事業団がすごく面白い」って聞いて初めて観ました。それまで映画はあれこれ見てたけど、演劇は全く見てなくて。遊園地見たときはベケットの時と同じで結構ポカーンとしつつ(笑)、今はこれがかっこいいのかって知る。自分が知らないだけだから、詳しい人たちがいいって言うなら何かあるんだろうって思って宮沢さんのワークショップや講義を学内外で受けてました。
 そのあたりからチェルフィッチュの岡田(利規)さんの市民向けワークショップに参加したり、ようやく日本の現代口語演劇に触れ始めるんですよね。今はまた方法論が進化してるんだと思いますが、初期の「3月の五日間」前後の、話す元のイメージ、モーターを身ぶりで回していく体験をしたり。今のリアリズムってこうなんだって現代演劇に触れつつ、知識の面では演劇史と芸術学を学んでました。歌舞伎や能などの日本の古典芸能からベケット、(ベルトルト・)ブレヒト以前・以後を知って、叙情的なものじゃなくて叙事的といわれるものに接近します。演者・観客双方ともに役との同一化やカタルシスのための演劇ではなくて、啓蒙的な、知的な行為として演劇を捉えるようになった。
——ベケットというと、「感動」という表現ではないですよね。
中川 感動の仕方がちょっと違うよね。ベケットにも心は動かされる。情念ではなく知的に構築された美しさ、ポエジーによって自分が動かされることにも同時に気付いていくので、いいものを教わったんだと後で思います。装置としての俳優、人形のような俳優への興味が強まりました。セノグラフィー、アフォーダンスとか。このときは演劇が好きだからというより、俳優に接近するため--俳優は何をしているのか、どうやったら魅力的な像がそこに存在するのかを考えるには、演劇を学ぶ方が適切なんじゃないかと思って勉強してた感じがある。
 個人的な文脈では、結局大学でも友達できないとか美醜コンプレックスの塊は継続してましたね(笑)。だから事務所に入って芸能活動という選択肢は念頭になくて、演劇なら私でもやっていいんじゃないかという謎の思い込みが根強くあった。今考えるといろんな面からどうかと思うんですけど、10代の自分にはすごく切実だった。自分が必要とされる場所、機能する場所はどこかって意味ではずっと切実なんだろうけど。
 ちょうど私が大学生の頃は新国立劇場の俳優養成所ができるタイミングでした。開校直前に、同じカリキュラムのテストケースとして2週間のワークショップ参加者募集が新聞で出たんですよ。なぜか書類が通って、みっちり朝から晩までRADA(Royal Academy of Dramatic Arts)のボディワークとかボイストレーニング、新劇系の基礎的な訓練の機会を得ました。他の講師には井上ひさしさんや、栗山民也さんや宮田恵子さんといった演出家もいらして。初めて本格的な俳優のレッスンに触れたのはこの時ですね。
 それまでの自分は、とにかく頭でっかちという自覚がありました。そもそもすごい妄想癖が強いし本を読んだり物語に没入するのが好きで、頭だけフル稼働で身体がおきざり。身体と中身が一致してないけどどうしていいかわからなかった。今考えると離人症に近い症状もあったと思います。そんな状態から、身体の存在に気づいたのがここ。自分にとって多分ユリイカ的なことが起こったんですね。
 でもその後学ぶ場所が分からなくて、「これは自分の人生に絶対いいことなんだけど、どうやって続けていけばいいんだ?」ってずっとぐるぐるしてしまって。でとりあえず朝走ってた、ありがちだけど(笑)。そしたらすごい自然物の存在が、がつんときたんです。足元の砂利とか、木とか、日の光とか、なんかそういうありとあらゆる「もの」を初めて自分の体が感じた、みたいな。そこら中にある「もの」と同等に、自分も地球を構成している有機的な一個の「もの」なんだ、みたいな。もの感が、すごい。
——すごいところにいかれましたね。
中川 スピ(リチュアル)系ぽいですよね、正直。めっちゃ合理的というか物理的なんだけどな。ただ実際それまで身体に対する違和感はずっとあったし、それは他者との関係性とも密接に結びついてたんですよね。10代の頃は常に自分の内側でしか本音を喋ってなかった。内側に溜めて書くとか、それしか自分を保てるものがない。自分の内外で起きるあらゆる出来事を書いて、整理して、納得するっていう処理の仕方をしてた。でも書くときって動く場所は一部だから「ここにいる体は一ミクロンも動いてない」っていう動かなさがまたコンプレックスで。頭でっかちな自分を嘘くさいとも思ってた。俳優はすごく身体的な人々だから、そこへの憧れもあったんです。目の前の人を魅了して、働きかける。映画見ててさ、泣いてる子にクラウンが花を出すと泣き止む、とか出てくる。クラウンがすげえ、これになりたいっていう憧れです。
 物理的に存在するものと自分の身体が同じ地平にある。身体も「もの」だって感覚はその後も私の思考に大きく影響してます。情緒や装飾、誇張、デフォルメは必須ではなくて「もの」はそのもので既に意味とか、存在が十化充満している。これはだいぶ美術寄りの発想ですかね。当時イサム・ノグチとか、(アルベルト・)ジャコメッティなどの彫刻とか、あとは写真が大好きで、「こんなに充たされてるものがここにあるぞ」って興奮してた。「俳優もこうなれるんじゃないの?」って。あと、アウグスト・ザンダーっていう写真家が大好きなんだけど、そこで写された人のもの感にも「これだ!」って。その後写真家の友人にその話をしたら、ザンダーの写真はすごく演出されて撮られてると教わるんですけどね。そんな時に(ロベール・)ブレッソンを知ったので、これまたすぐこれだってなっちゃった。いわゆるお芝居、リアリズム演技とは違うところに自分の芸術性を見出してました。影響受けやすいな、ほんと…。

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2007年、携わったパフォーマンスのフライヤー
 

——その後、教わってきた新国立とかそちらの方向に進もうとは思わなかったんですか?文学座俳優座とか‥‥
中川 当時就職活動のつもりで大小問わずいろんな演劇観てたんですが、新劇にはリアリティを感じられなかったんですよね。あと、早稲田って演劇サークルが盛んなことにも期待してたんですけど、これまた自分の感覚には合わなかった。ただ当時ジャニーズ事務所東京グローブ座で大学と組んで学生と演劇を作るプロジェクトがあって、その初回の時に出てるんです、私。
——出たんですか!
中川 実は過去イチ商業ベースですね(笑)。オーディションもあった。岡本健一さんが出演してくださって、だから一回共演したんですよ。モブなりに真面目にやってて、岡本さんに直接励ましをいただいたことが鮮明に思い起こされる…(笑)。そのときようやく「演技やっていいのかもしれない」って思ったな。大学卒業前後に宮沢章夫さんの舞台の手伝いに行った時とかにも「まあ、でも、やったらいいよお前は」って言ってもらって。まあそれは背中を押してもらったというか、ほしい言葉をくれただけな気もするんだけど(笑)。誰かに許可をもらわないとやっちゃいけない、みたいな呪いは解けてなかったなー。
 すごい話飛ぶんですけど、ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』は演出家からの目線なんですよね。演出・監督側からの俳優に対する要請。で、無意識と比較して、自意識・意思的な部分はすごい邪魔だと。人の真実の行動とはひたすら行為を繰り返すことでようやく到達しうるのだっていう。最近「演技論・演技術」の授業で読んでいる、例えばスタニスラフスキーリー・ストラスバーグなどのリアリズム演劇の演技論でも到達目標として無意識は話題に出てきて、だから実は目指すところは近いとようやく知り始めました。ただ、ブレッソンのモデル論はどうしても演出家目線だから、俳優本人がモデル論を自覚的に試そうとすると意識的な試みになる。学生の時はひたすら混乱してました。もの派の私としてはドキュメンタリーや写真に映された非職業俳優の存在感の強さに感動してて、とすると俳優いらないんじゃない? って超自己矛盾。自分の芸術観と俳優やりたい欲がぶつかって、やらない理由の方ばっかりすぐ見つかっちゃう(笑)。なんかいつもわざわざめんどくさい方にいきがちだな…。周りは結構すぐ舞台立ったりしてるのに自分はすんなりやれない。めっちゃそのことばっかり考えてるのになんでやれないんだろう? ってほんと、常に。ていうかそもそも演劇より映画ばっか見てた。
 その後、大学の教授からPort B(ポルト・ビー)を紹介していただいてお手伝いに行きだしました。当時Port Bは舞台で上演する作品と職業俳優ではなく街中で生きている市井の人々を「役者」にして、観客が出会うスタイルの作品を並行して手掛けてました。集まるクリエイターも非職業演劇人だった。大学卒業後、数年はフルタイムで働きながらPort Bをきっかけに知り合った方々と非職業俳優としてパフォーマンスを作ってました。自分なりのモデル論の実践というか、現在の日本で自分が芸術を実装、実践するにはこれかな、と。バイトしながら舞台にたつ演劇人という像は自分にはしっくりこなくてアマチュアリズムが当時の私のリアリティだった。そのときは即興音楽家の方との作業だったのでお芝居ではなく、バンドメンバーに近かったですね。密かに国内外のすごいミュージシャンと共演してたんだよな、素人なのに…(笑)。私は主に朗読です。目標は、自分という器を通って、ろ過して、装飾を脱がせた言葉そのものの意味が音として鳴るように、音楽に参加すること。楽器としての声を目指してました。あくまでアマチュアで。
 しばらくそうやっていた時に東日本大震災がありました。その時に改めて、思想云々はさておいて「俳優やりたい!」ていう欲と「シンプルに映画が好きだ!」てことに素直になれました。当時『クリーン』(2004年/オリヴィエ・アサイヤス監督)が、たぶんリバイバル上映されてたのを見たんです。マギー・チャン演じるヒロインが昔バンドのボーカルだったんだけど今はやめてて、もう一回歌い始めるっていう展開にめちゃめちゃ自分を重ねて…(笑)。当時二十代後半にかかって会社員として週5日働きながら土日使ってパフォーマンス作って発表してって生活を一生やっていくのか? てことに足りてなさもあって。
 この時も最初は、とにかく映画の勉強をしたいって思った。大学卒業時も映画美学校の説明会に行っていたので改めて調べたら、ちょうど「アクターズ・コース」ができる年だったのでそっちに。やっとここまで来た(笑)。
——で、アクターズ・コースに入ったわけですね。
中川 はい。説明会の時に山内(健司)さんが話していたことが「この人が言ってることわかる!」ってアマチュアなりに思ったのがめっちゃ大きかった(笑)。

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アクターズ・コース第1期高等科実習作品『ジョギング渡り鳥』より
 

——青年団の芝居は観てたんですか?
中川 学生の頃から観てました。でも当時は自分の進む方向とは思ってなかった。多分完全に指向性の問題ですよね。とにかくもの派、存在命!みたいなことになってたので。
——で、アクターズに2年間いたわけですよね。
中川 うん、2年間行きましたね。
——じゃあ本格的に映画美学校で映像と演劇を、身体も伴ってやったっていうことですかね?
中川 ちゃんとお芝居をやるのはそこがスタートです。ちなみに今はものだけじゃなくて生き物って思ってるよ!
——アクターズ・コースが終わった後は、劇団とかに所属はしてないんですっけ?
中川 してないですね。場所探したり人探したりはしたんですけど、でも、なかったなぁ。並行して、子ども向けのワークショップをやる側に立つようにはなりました。俳優としてファシリテーターのアシスタントに入ったり。やっぱり、いかに日常に芸術を実装するかってことを考えて。ただ、なんにせよ一緒にやれる人がいないことにいつも悩んでる。なんでかな。友達いないと同じこと、ずっと言ってますよね(笑)。
——あ、でも佐野(真規)さんとかと一緒にPV作ったりしていたのは?
中川 『River River』は佐野さんが持ってきてくれた話です。個人で受けた仕事を一緒にやろうって言ってくれた。感謝…。すごい最小限のメンバーで、横須賀で二日間撮影してめちゃ楽しかったです。前後しますが、『ジョギング渡り鳥』の後、「海に浮かぶ映画館」を主催している深田隆之さんの長編『ある惑星の散文』に出演しました。この作品では私が元俳優の役だったこともあって、海に浮かぶ映画館でこの長編を上映後に自作自演の一人芝居をやらせていただいたりもしました。深田さんとはその後も色々ご一緒してます。あ、いるのか、一緒にやってくれてる人。
——(笑)。舞台とかはそんなに?
中川 全然やってないですね。映画美学校にいる間に1本呼んでもらったのがあったくらいで。演劇メインの方にすごい聞きたかったんですけど、次の出演作が決まる仕組みってどうなってるの?
——自分が関西にいた頃は、劇団に入ってしまえば、なぜか呼ばれてたんですよ、怖いくらいに。自分がすごかったわけでは決してないけど、とりあえず使おうぜみたいないろんな劇団に呼んでいただいて。若かったのもあると思うんですけど。
中川 (芝居を)観ていいなって思われるパターンだ。
——ワークショップとかオーディションに行きまくり顔を覚えてもらい、っていうパターンももちろんあると思うんですけど。ただ私は長期的、継続的に創作する仲間が欲しい人だから、なかなか難しいなって思います。ワークショップとかオーディションの刹那的な出会いだと。もちろん自分の技術不足もあるんですけど。
中川 私もそうですね、継続的に一緒に作れる人が欲しい。前に山内さんとその話をしてたら「そんなのね、まずは1人でやったらいいんだよ」って言われました。「1人でやってれば繋がったりするからさ」って。それで一人芝居やったってのもある。山内さんがこれまで考えてこられたことって自分のリアリティと直結してるんですよね。自分が考えてることをずっと前からやってて超先に進んでる人、みたいな。山内さんの一人芝居って、ご自身の生きてきた時間と、その場所と、その場所に折り重なった時間とこれから先(未来)を今この身体に集約するみたいな作り方されてて、それがすごくかっこいいなーと。自分も一人芝居作るときはそういうことを意識して作っているつもりです。年1本とかコツコツ継続しようと思いつつも、最近は書くのが捗らない。自分が面白いと思わなきゃ書き始められなくて。職人的な、量産できる蓄積がないので、なかなか捗らないですね…。
——事務所には入ってますよね?あれは自分から出したりしたんですか?
中川 今の事務所(ユーステール)の代表兼マネージャーの神原(健太朗)さんが『ジョギング渡り鳥』を観てくれて、神原さんが開催してる映画遠足というイベントで知り合ったのがきっかけですね。映画のオーディションってフリーだと機会がなかなかないですからね。神原さんは本当に映画がお好きでインディーズ作品もよく見てらっしゃるし、髪色変えるのも面白がってくれるし、とてもありがたいです。

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中川さんのご自宅にある本棚(一部)
 

——私はずっと関西にいて、4年前くらいに東京に来たんですけど、改めて信用ってフリーの立場だと得るのは大変だなと思いました。あと結局オーディションがネットとか、人づてくらいしかないし。私も事務所入ったらいいのかなって考えたりもしますけど。でも結局は、事務所というか仲間が欲しいっていうところに行き着いてます、現状。
中川 それはすごいあるよね。事務所は私もたまたまご縁があっただけです。自分でやってつながる方がダイレクトっていう山内さんの意見はもちろんごもっともって感じだよね。
——いざ自分がやるとしたら、どうしたらいいのかっていうのは常々思ってますね。
中川 浅田さんはログライン・ピラティスも来てくれるけどさ、演じるだけじゃなくて、その土台を自分で作る欲もあるんでしょう? 
(※ログライン・ピラティス:アクターズ修了生、フィクション・コース修了生の有志で集まっている緩やかな団体。ログラインから企画・脚本を考える)
——欲はあるんですけどね。一緒に創る仲間が、なかなか……
中川 そこは難しいですよね、本当に。稽古もさ、したいと思ってもすぐできなくない? 演技の本とか読んでると「次これやってみようかな?」とかアップデートしたことを試したい、稽古したいと思っても、そのために人を付き合わせるとき誰に言ったらいいかわからない。同じテンションやペースでやれる人求む、常に。というかマイペースすぎる、私。
——緊急事態宣言で出勤勤務がなくなった時、一人芝居のレパートリーを増やせたらいいなと思って、やろうとしてたんですけど。でもやったところで誰かに対して見せないと意味がない、でも誰に見せるの?ってなって。社会発信できるレベルじゃない!どうしたらいいの?ってなってました。なんとか最近は、少しですが自分が作った映像を出せるようにはなったんですけど。
中川 私もつい自分の癖として、人前に出せるものになるまで表に出せないって思いがち。そんなこと考えずに一回出したほうがいいけど、難しさを勝手に持ちだしてしまいますよね。
——そんなにハードルないはずなんですけどね。
中川 性格か習性か。でも小さくても、作って出すところまでちゃんとやるっていうのはやっぱり大事だな。今後の展望としては自分の企画をちゃんと脚本化したいです。いま先に進めてないので年内に初稿をあげるところがまず目標。
——やべえ、私も書こう。書いて撮るまでいけたら最高ですよね。
中川 そうだね。数年かかるのは承知の上で、何とか作りたい。
——来年形にして、メンバーを募って、撮れたら最高ですよね。頑張ろう。
中川 定期的にお互いのネタを「こうなったら面白くなるんじゃないか?」って意見を出しあっていくのはポジティブで本当に楽しいよね。励まされるし、お互いにいい風に使えたらいいなっていうのは常に思っています。
——場所は使ってなんぼですからね。ログライン・ピラティスでは皆さんの意見の言い方も、忌憚なく、でもすごくうまくアドバイスくれるっていうか。提示の仕方がうまいなって思います。
中川 そうなんですよ。あの集まりはまさにブレストをしてて、否定的にならずに発展させあう感じがとてもいいよね。あとみんな映画好き。よく見てる。監督・脚本がメインの方もいるので創作母体としても可能性がある。逆に俳優部は少ないです。同じメンバーで新・旧『椿三十郎』のシーンを分析して、同じカット割りで試し撮りするっていう勉強会もやりました。同じシーンを今の自分たちの感覚で撮るとしたらどう撮るかまで。これも4人ぐらいで、俳優部私のみ。黒澤明はほんとにすごかったって体で思い知る会だった(笑)。打ちのめされる。勉強になる。
 元々の思考もありますけど、私は何か作るときに最初に物語や言葉が最初にあります。1人でやるDIY精神ももともと強い。出演映画の配給宣伝や広報とかなんでもやってきたしなー。そういう意味では、「自分で作れる俳優になる」、アクターズ・コースのキャッチフレーズのまんまですかね? ただ特段売れてないしコンスタントに作れてはないので(笑)、まだまだ。人から呼んでもらうことはさておき、自分で書いて作る準備をしてます。

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近影
 

——自分も今その境地ですね。呼ばれるの待ってたらもう遅いなって。自分で呼ぶくらいの気概はないとダメだと思ったんですよ、ここ数年間で。一時期オーディションにめちゃめちゃ応募していた時もあったんですけど、それもなんか違うなって。選ぶ・選ばれないっていうのが今の私にはちょっとしんどいなって。
中川 誰かの物語に入っていく、そこで何ができるだろう? という興味もあります。最近やっと私もそういう機会を楽しもうと思えるようになった。今まではとにかくそういう場が怖いのもあって自分でやるのでいいです、みたいな消極的な感じもあったんですけどね(笑)。今は出来なさも含めて挑戦することにポジティブになってるな。もう36歳だし。10年前にそうだったらもうちょいアグレッシブな生き方だったかな? どっかに常に引く癖があるよね。日本の、特に女性でそういう人は少なくないと思いつつ、自意識に足を絡め取られずに素直に手を挙げられる、物事に向かえる人を見ると素敵だなって本当に思います。この凸凹な過剰さも自分かーとかは思いつつ、なんせまあ、一つ一つに時間がかかる。
——私も30超えてからですね。だからもう自分で作ろう、DIY精神です。
中川 そうですね。一人でもDIY精神でいこう!ってのが今回のキャッチフレーズ。
——でも1人だと寂し過ぎるから一緒に稽古しましょう(笑)。
中川 本当にやろうね。基礎訓練、自分のための。ひたすら実践するのはすごく大事だなと思ってます。上手くなりたい。当たり前じゃないか、失敗ぐらい!ってようやくこの年齢で思う。ほんと遅い。ここまで時間がかかったってことは、これからもかかるね。今後も大人として、経年に伴う等身大の、現在的な知性をもって映画を作りたいです。アジア映画人の文脈に連なりたい。数年後にこのインタビューがいい形で発掘されますように…(笑)。

 

2020/10/27 インタビュー・構成/浅田麻衣

 

中川 ゆかり(なかがわ ゆかり)
1984年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業、映画美学校アクターズ・コース第1期高等科修了。ユーステール所属。俳優としての活動のほか、都立高校での演劇講師や海外映画・ドラマの日本語吹替版制作進行も行う。最近は赤みピンク髪。

 

「俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜」/映画の歴史から探る俳優の演技について

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アクターズ・コースで以前学んだ、映画史における演技の変遷から辿る「現代の演技」についての思索を発展的に継続します。演じることについてみんなで考えながら、広く生きることの哲学まで関心を広げていくことを目指します。一方で、今の日本映画の状況と社会の状況を比較しつつ、俳優という職業の在り方を考えていきます。(高等科要綱から抜粋)

深田晃司さんが担当される基礎ゼミ「俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜」。(※基礎ゼミ:希望者全員受講可能できるゼミ)

第1回目の冒頭は、ゼミについての説明から始まった。

ー俳優の演技について、ホン読みをしたりして実際に台詞を喋って考えるというよりは、「俳優の仕事」について考えるイメージ。哲学的、観念的に「そもそも演技とはなんなのか」という話をしたい。俳優の技術というよりも演じることの哲学までおりていく、皆で考えていけることを目標にする。また、社会における文化芸術の価値についても話していきたい。

普段、舞台や映像などに関わる際に、「なぜ自分が演じるのか」ということは折に触れて考えることはあるけれど、「なぜ表現が社会に必要なのか」ということは考える機会が少ないように感じて、それが私自身今回この講義を受講しようと考えたきっかけでもある。
自分が劇団に所属している時にはそういうことを考えたり、ディスカッションすることが多かったけれど、フリーで動くようになった今、なかなかそういうことを考えたり、そしてそれを話せる場、団体というものは少ないように感じていた(それは最近、不健康な気がしてならない)。
このゼミを20人ほどが受講しているのだけれど、非常に心強く感じている。

 

 

まずは自己紹介から

今回、人数が多いゼミということもあり、受講生の自己紹介から始まった。深田さんからのお題は「お芝居をやろうと思ったきっかけは何か」ということ。同期からそういうことを聞くことはあったけれど、やはり期をまたぐとなかなかそういうことを聞く機会は少ない。人数が多くて自己紹介は実は1時間40分にも及んだけれど、とても面白い時間だった。

また、自身が受講生の時にも思っていたけれど、深田さんは「受講生を一人の俳優」として向き合ってくれている。講師、受講生としての立場はもちろんあるけれど、上記のように向き合ってくれるのはとても嬉しい。対等にあろうとすることを無意識下に行ってくれているというか。

映画の歴史について

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第1回目の今回は、深田さんがアクターズ・コース生にこれまで講義をしてきた内容の振り返りが主となった。
映画の誕生、歴史について深田さんが語っていく。印象的だったのは上の画像にもある「写真銃」の話からの「カメラの暴力性」の話。写真銃というのはなかなかにごつくて、個人的には非常に心惹かれる物体ではあるのだけれど、ただ「銃」という呼称のとおり、少々暴力的なイメージもある。

カメラに向いていると、相手が期待することを言ってしまったりするし、カメラは決して透明な存在ではない。それが与える暴力性も俳優は知っておく必要がある。そして職業俳優は、「カメラを透明な存在」として扱える技術が必要になってくる(もちろん透明ではありえないのだけれど)

「無意識」の発掘

話はサイレント映画、そしてトーキーにうつっていく。

youtu.be

「Sunrise: A Song of Two Humans | F.W. Murnau (1927).」

サイレント表現では、言葉がないため表現が「記号的」になる。参考資料として皆で見た上記の映画は、表情は押さえめではあるが、女優のほうは3割ほどデフォルメしている印象。しかし作品のバランスとして非常にいいバランスで成立している(一部抜粋でも非常に面白かった。早く全編を見よう)

そこから、トーキーにうつっていく過程で俳優が喋る必要性、すなわち「声」が求められてくる。そこで、演劇・舞台を主に活動してきた「舞台俳優」と映像とが接近する。演劇の俳優が映像の世界に入っていくようになる。そして、話は1930年代の『グランド・ホテル』、1950年代のロベール・ブレッソンの作品との比較へとうつっていく。
「●●らしく見える」‥‥輪郭がくっきりとした演技は非常に分かりやすいけれども、普段私たちは生活を全て説明しているか?悲しい人は誰から見ても「悲しい」という素振りをしているか?

これまで人間は全て自分を意識でコントロールできると思っていたが、「無意識」が概念として発見された20世記と、それまでとで映像の演技は違ってくるのではないかということを深田さんは述べた。

自分たちの行動は自由意志で選択しているが、その選択が果たしてどこまで自分自身の意識で選択されているのかは誰にもわからない。『グランド・ホテル』はあまりにもコントロールされすぎている。悲しい人が誰から見ても悲しい表現をすることはない。むしろそういうふうに見える人は自意識過剰に見える。(子どもが泣き叫んでおもちゃをせがむのは、日常にあることであり、それが適切なサイズといえる)

「演劇的演技/映像的演技」について

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「演劇的演技」と「映画的演技」の本質は一緒だが、アウトプットの仕方が違う。演劇の演技は劇場のサイズに左右される(例えば、客席が3000人と300人の場合とでは明らかに演技が異なってくる)
「オーバーで演技が合っていない」と言われてしまう場合は、敢えて演出家が意図している場合もあるが、往々にして単純に空間のサイズに見合っていない場合に言われることが多い。

深田さんが映画で求めている演技は、「観客が0人」をベースにしている、という。届けなくちゃいけない観客は「そこにはいない」。目の前には共演者しかいないという感覚が意識されるかどうかで変わってくる。

「説明的である」演技は悪なのか?

舞台を主に活動してきた俳優が、「説明的、オーバーな演技をしている」といわれることは往々にしてある。しかし、深田さんは「説明的であること」は決して悪ではなく、適切な説明量が必要だと語った。

2種類のCMを参考に説明へとうつる。どちらも「家族」を描いたものであるが、一方は朝食の準備を笑顔で幸せそうにしている母親がメインのCM。一方は、日常を過ごす家族を淡々と、あまりデフォルメすることなく映し出したCM。前者の笑顔は家族に見せているものではなく、その笑顔はカメラの奥にいる視聴者への説明としての「記号」として描かれているから、我々は違和感を感じる。(朝食の準備を「毎日している」ということが前提に描かれているCMだが、果たして人は毎日笑顔で準備をするか?という違和感)説明量の適切さについてそのCMを比較することで知った。

「演技する」というスイッチが入ると、そこにいない観客が幽霊のように立ち上がり、過剰な演技をしてしまうことがある。まずきちんと目の前の俳優に届けることが必要。

受講生時代に受けていた講義の復習という一面が強かった講義であるが、改めてこの講義を受けて、普段無意識下で自戒をこめて行っている行動(演技の説明量の調節)を文字化、言語化することの大切さを感じた。
映画美学校アクターズ・コースはその学校名が表すとおり、「映像と演劇」が交わる場であるが、監督がこのように演劇、演技について語ってくれることは自分にとって多角的に演技について語るチャンスをくれる貴重な場所である。

これから更に、演技について深堀りしていく過程に入っていくのが非常に楽しみである。

 

文章:浅田麻衣

高等科生の現在/アクターズ6期修了・米川幸リオンさん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第一弾はアクターズ・コース6期を修了した米川幸リオンさんです。
修了後、チェルフィッチュなどに参加。また、現在アクターズ・コース6期の同期だった仁田直人さんと「伯楽-hakuraku-」という団体で映画をつくっています。
(注:お話を聞いた浅田がアクターズ同期かつ、関西で同じく日々を過ごしたため、少々会話がくだけております)

 

——京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)を卒業して、すぐに東京に来たんだっけ?
米川 そう。2016年の3月に卒業して、4月には東京来て、9月には映画美学校入ってって感じかな。
——東京に来たのはなんで?
米川 それは、鈴木卓爾さん、映画監督の。(京造の)卒業制作で『人間シャララ宣言』を撮った時に卓爾さんにメインキャストで出てもらって。そこですごい面白い経験がいくつかあって、それで卓爾さんともっと一緒に何か作りたいなって思ってたけど、「卒業」っていうことで大学をどうしたって出なきゃいけないっていう感覚になって。でも卓爾さんのこと、卓爾さんがどうやっていまのような考えを持っていったのかってことに興味が湧いていて。そしたら卓爾さんは映画美学校をやっている、やっていた経験があるって聞いて「あっ、受けたい」って思って来たっていうのが一つと。もう一つは、暇だった。っていうのが(笑)二大巨頭です。
——‥‥卓爾さんの講義って6期あったっけ?
米川 6期はなくって。5期までは一応あったのかな?みたいな。でも俺らが入るタイミングでやめたのかな。「あっ、あっ‥‥」ってなって。入れ違いだ、って。
——じゃあ最初の思惑とはちょっと外れた。
米川 まあでもなんか‥‥自分が「即戦力」みたいなことではないと思ってたから。業界というか、これから活動していくにあたってもっと勉強したいな、もっと勉強しなきゃなんにもできねえよなっていう状態だったから、だから映画美学校で勉強できるのは素直に楽しみやった。まあ、全部あれですけど。暇の言い訳なんですけど(笑)

——6期の時って、一番印象的だったことってあります?半年間色々ありましたけど。
米川 ‥‥今思い出そうとして、話そうとしたら色々と出てきちゃって、どれだ!ってなってるんやけど。‥‥講師陣の、言葉がすごい面白かった。
——言葉か。
米川 なんていうの?金言、みたいな。「金言ってこういうことか!」って思うことが多々あって。俺が今でも創作してる時に支えられてる言葉があって、山内(健司)さんが講義中に、誰だろう‥‥誰だったかが、すごく芝居のテンポが速かった時に、山内さんが止めて「速いね」って話をして。「一回息を吸ってみましょう」って言った後、その人に対して「ここには吸っていい空気があります」って言って。「わっ!」ってなった。「空気を吸っていい」って考え方って面白いなって。ここには吸っていい空気があります、って言った後に、そのあと続けて「誰に言われてやっている芝居でもないからね」って言って。「たしかに!うわっ何だそれ〜〜!」って。それだけで受講料払ってよかったって思っとる(笑)
 今特に思い出すのはそれかなあ。それを言える状態とか経験って…どういうこと?って。そういうのがすごく面白かったな、俺。っていうのが色々なシチュエーションでずっと続いてるような‥‥なんか、あの半年間は俺の中ではいまでもポジティブにずっとふわふわしてる。
——私、言葉を逆に覚えてない‥‥あの時は週4、5の講義で本当てんやわんやで、いろんな宿題に追われてたから、それをこなすのが精一杯で。ようやく気付けたって感じがするな、この1・2年間で。特に山内さんの演出された『革命日記』で役者参加した時。稽古中、「再現性って分かる?」って話になって。それに「同じ芝居をすることですよね」って受講生が答えて「君、毎日お味噌汁とか作る?自炊する?」「あっ、します」「毎日自炊する時に色々考えてやってる?」「いや、無意識でやってます」「それだよ!」って。「同じ料理を毎日無意識に作り続ける、それを演技の時もやるっていうことが再現性なんだよ」って言われて。「ふはーー!」って思って。
米川 うわあ、なるほど。山内さんすごいね。味噌汁毎日作りながら「これが演技か!」って思ってるのか?すごい‥‥。浅田さんが、山内さんの『革命日記』出演するって見た時に、恐怖と羨ましさがバーン!ときたね。本当になんか、なんだろうね。アクター「ズ」って感じがしたね。山内さんが演出することって。 

f:id:eigabigakkou:20201127165802j:plain修了公演『Movie Sick』映像シーンのための撮影に出かけた時の一コマ

 

——今思うと、受け入れられる空間だったなーと思いましたね。絶対否定から入らないから、そこがすごいなと思って。演技初めての子もいたけど、あのへんがすぐに馴染めていったっていうのはそれもあるのかな、って。
米川 すごいよね。今高等科やってても、やっぱりそれはつよく感じる。
——緊張は多少あるけど、傷つけられない空間っていうのは感じる。
米川 山内さんが「俳優の権利と危機管理」の講義の中で、「自分が作品の企画に回る時と、回らない時ではコロナとかの問題でも違ってきますよね」って話をしてた時に、その流れだったかな、権力構造で上に立った場合は、下に対して「どれだけケアしてもしすぎることはない」って言ってて。俺も最近は、(仁田)直人たちと一緒に映画を作る時なんかは企画サイドに立つことがあるから。そのこころがけかたっていうのはね、とても影響受けてるなって思ったんだよな。
 さっき言っていた「全員を受け入れるスタイル」もあるし、あとは映画美学校の修了公演で山内さんが演出した『革命日記』でも、俺2回くらい小屋入りした時リハを見に行ってて、そこでもめっちゃケアしてるのが分かった。「おっ、すごい」って。
——最初の段階でおっしゃってたんだよね。「僕はみんなより年上で、キャリアもあって、しかも男性で演出だから、これはハラスメントの温床になる可能性がある。だから、もし何か感じたらすぐに僕に言って欲しい」って。それも「あっ!」って思って。「すごい、めっちゃキャリアがある人がこんなペーペーの私にそんなことを‥‥」と思ってびっくりした。演出の時もすごい考えてらっしゃったと思うんだけど。でも考えすぎても演出なんかできひんし、そこはずっとせめぎ合いで考えてたと思うんだけど。
米川 そうだよね‥‥本当に。おれはいま「伯楽-hakuraku-」ってチームで映画づくりをやっとって、自分たちがその映画の企画者としてやる時には、俺、ケアばっかり考えてる。もちろん企画からいっしょに立ち上げるんやけども、そこにはどういう問題がつきまとうのか?とか。俳優は経験したから、俳優をしてる時って、カメラ向けられるだけでストレスだったなって思って。「それってどういうふうにしたらいいんだろう?」ってずっと考えてる。で撮影前のリハーサルをするってなっても、俺が撮影前にリハーサルするのが好きじゃないから「みんな嫌がってないかなー」とかずっと気にしとる。そしたら何もできないんだけど、本当。でもやっぱり考えるしかない。
——ずっと考え続けないといけないよね、主催者は。その責任は本当に重いなーと思いましたね。
米川 この前、コロナの講義があったじゃん。それで、「コロナの時はうちはこうやって対処をしていこうと思います」っていうステートメントなりを出す必要があるんだなってつよく思って。で、今、撮影をしたいと思っているから。そのステートメントなりはね、自分の中で徐々に作り始めてるっていうのがある。それもケア、というか。出演してもらう人たちにね。本当に、正されましたね。姿勢がね。背筋がね。「スンッ」と(笑)
——今年なんか撮るの?伯楽-hakuraku-。
米川 伯楽-hakuraku-は、今年中には撮りたいねって話してて。12月とかに撮れればいいねーとは言っとるんやけど、でもどうなるだろう?って感じ。でもそれより俺としては、新作を撮るっていうのも重要やけど、去年末に完成した『ワクラバ』の配給に動けた方がいいな、とも思っとる。まだ(コロナが)くると思っとるから。今俺たちの案は、人里離れた山奥の小屋なりで、キャストも3人とかに最小にして、スタッフもメインは伯楽-hakuraku-のメンバーで固めて、っていうできるだけ小さなチームで撮るんならいけるんじゃないかな?ってなっとるけど、そんだけ制限つけた上でやるのはさすがに窮屈かな、とも思うんやけど、でももちろん撮りたいのもあるし。ごちゃごちゃしてます。

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チェルフィッチュ ツアー中の一コマ
 

——じゃあ今、自分で企画で動いてるのは伯楽-hakuraku-?出演してたチェルフィッチュ関係は終わったんだっけ。
米川 本当なら今年は『消しゴム山』でヨーロッパツアーをして、来年東京に行けたらいいねって話だったんだけども。ヨーロッパツアーは今年予定されてたのは全部なくなってしまって。まあ来年(コロナが)落ち着いてくれればたぶん上演できるだろうから、舞台はそれで、あと今並行してオンラインで作品もつくってます。‥‥うん、だからチェルフィッチュは続いてる。劇場版が『消しゴム山』で、京都とニューヨークですでに上演してて。金沢の21世紀美術館でも上演をして、それは美術館版『消しゴム森』。で、オンライン版は『消しゴム畑』。消しゴムシリーズはどこまでいくのかっていうのは興味深いところです、我々も。
——バランス的になんかいいね、自分が主催する企画と、他の人が主催してる企画をやれるって。映像で小森(はるか)さんのも参加したんだっけ?
(注:小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』)
米川 そう、小森さんと瀬尾(夏美)さんのにも参加した。東日本の震災で被害の大きかった陸前高田で撮影をして。それこそいま伯楽-hakuraku-で活動しとんのも、その陸前高田の隣町の住田町ってところで。伯楽-hakuraku-では直接的に震災を扱っているわけじゃないけども、その町の背景というか、文脈というか、それは無視できないから。それに『消しゴム山』もね、小森さんと瀬尾さんが岡田(利規)さん、金氏(徹平)さんを陸前高田に案内したらしいんやけど、『消しゴム山』も震災後の復興の様子に疑問を持ったことが創作のきっかけになってるし。そうやって映画美学校終わってから、東日本の震災のことをよく考えるようになったっていうのがある。
——小森さんとクリエイション始めたのって映画美学校修了してから?
米川 映画美学校終わってから、1年半後の2018年の9月くらいかな。3週間ほど陸前高田で過ごして。ひたすら町の人たちに話を聞いて、カメラに向かって「こういう話を聞いてきました」っていうのを伝えるっていう、ある種記録なんだけど。そこには「伝承」っていうものをすごく大事にしていて。伝承が生まれる瞬間を撮りたいっていうのがあって。あ、そうそうそう。だから結構その、「伝承」とかそういうものがね、この間オンラインでね‥‥やべえおれ本当雑談するみたいに喋ろうとしてる。もっとちゃんと線をつなげて喋りたかったんやけど。それは後で頑張ります。これは余談として聞いてください。
——大丈夫です。
米川 今年の5月はじめ頃にね、友達とオンラインで『あっちこっち、そっちどっち』って映画を撮って。一人は大学の同期の男の子で、そいつが脚本、あと俺の恋人が撮影で、俺は出演で。で、みんなで企画から一緒に立ち上げて、3人で15分くらいの短編を撮ったんやけど、そんときに、「伝承」とはまたちょっと違うかもだけど、「寓話」っていうか「おとぎ話」というか、そういうのをテーマにして撮って。すごく影響を受けてるんだよね。最近、あとは「幽霊」とかね。これは岡田さんの影響を受けてるし。

——そうだね。小森さんといい、チェルフィッチュといい、伯楽といい、その土地?に根ざしたものをやってるな、とはリオンの活動を見てて思って。色んな土地に行ってたじゃないですか、特にチェルフィッチュで。あ、でもチェルフィッチュはその「土地」で「演じる」わけだから、創作とはまたちょっと違うのか。土地を探るというよりも、「旅行者」に感覚が近いのかな。
米川 でもやっぱり面白くて。その土地土地で、土地の文脈は全然違うから。おんなじパフォーマンスでも、全然違う解釈をされて。だから自分でも「この土地には、こういう背景があるなー」っていうのを事前に調べといて、まあ数少ない知識やけど、それをその土地で上演するときに「あれのこれがこうやって重なっていくんじゃないか?」っていうのを自分でも考えながらパフォーマンスしてる。
——へー、面白い。
米川 すごいびっくりした経験があって、そんなふうにテキスト喋りながら全然違うことを考えとって、そしたら客席から「ガタッ」って音がしたんよ。そんでハッとなって「あれ、おれ今、喋ってたー!」って思ったっていうのがあった。それは本当に自分も一緒に客席から観とるみたいな感じで。あれはドイツのフランクフルトでの上演だったんだけど。それは衝撃やった。衝撃の体験。各土地でやるっていうことに興味を持ったのはある。チェルフィッチュではそうやって海外や日本各地でも上演したときに、解釈のされ方が変わるのがすごい面白かった。
——海外では言語が違うけど、「この受け取られ方はなんか違うな」って肌感覚でわかったっていうこと?それとも演じてるときに、「自分」が変わってるっていう感覚なのかしら。
米川 なんかね、それは『三月の5日間』やったんやけど。あれはイラク戦争が起こったタイミングの話なんやけど、それをイラク戦争だけのものとして解釈されなくて。フランスのトゥールーズで公演した時は、ちょうどデモをしてて、そういうのとかもなんか、重なってきたりとか。それは何のデモかは分からなかったんだけど、「頻繁にデモしてるんだよー」って教えてもらって。どうにでも解釈されろ!って思ってやっとるんやけど。‥‥でも解釈してもらわないと困るなー、とも思ってるかな。だから解釈してもらうために、なんだろう‥‥何もしないじゃないけど、スクリーンになる、みたいな感覚でやっとるかな。チェルフィッチュは。
——スクリーン?
米川 プロジェクターから映像を映すときってスクリーンに投影されるやんか、映像が。スクリーンがないと映像は上手に投影されないけど、スクリーンがあると映像は投影されるから、俳優はスクリーンみたいなものになればいいんだな、っていうのを『三月の5日間』やっとる時に知ったね。どうやったらスクリーンみたいなものになれるのかまだ分かんないんだけど。‥‥これぜんぜん主観的な言語。ちょうどこの前、リー・ストラスバーグの『メソードへの道』を山内さんの講義で読んでさ、「なんだよ霊感って!」って思ったんやけどさ。なんて主観的!って思ったんやけど、ほぼ一緒。スクリーン(笑)
 観客が想像した時に、その想像をあてはめられるようにしておく‥‥これは岡田さんが言っとったんだけど、「役」っていうものは「服」みたいなもので。それを観客が俳優に「着せる」から「役」になるっていう考え方。自分で着るんじゃなくて、観客が着せる。
——おおお‥‥‥
米川 みたいなふうにしたほうが面白いよねっていう。これはスクリーンの例えと一緒。てか岡田さんの方が全然分かりやすいね。
——分かりやすいけど、これを実現させるのって‥‥
米川 岡田さんがすでにテキストの上でやってくれとるからね。「ミノベくんと」って言ってくれとる。観客に「ミノベくん」を着せられる瞬間は、やっぱりわかる。そうするとほら、ダラダラしてるっていわれるあの変な挙動とかが解釈されていかれる感覚?最初はほんと解釈何もされへんくて、ただ立っとるだけなんやけど。途中からね、「あの動きってああいうことだよね」って勝手に観客の中で起きて。っていうのは体験したかなー。
——岡田さんとか、リー・ストラスバーグの演技についての本を読んでも「それはちょっと主観的!どう演技に反映させたらいいんですか!」って思ってしまうなあ。でも岡田さんのテキストによって役を着せられる、っていうのはなんとなくわかる。
米川 テキストですでにかなりそれがね、起きるようになっているからね。だから俳優は何をするんだろって考えるんだけどね、いっつも。ただ立ってて、ただ喋ればいいんじゃないかって思うんだけど、でもやっぱりそうではないから(笑)

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伯楽-hakuraku-で陸前高田を訪れたときの一コマ
 

——究極そうなんだろうけどね。でも在学時も講師陣が色々教えてくれたじゃないですか。現代口語演劇のこととかいろんなメソッドを。多分身体の中に落ちてると信じてるんですけど。でもまだ言語化できてない。
米川 わかります。今回高等科が選択ゼミ制になって、「全部受けたい!」って本当に思ったんだけど、でも現実的にそれは無理だなってなって。でその(ゼミの)中でも、俳優レッスン(注:実技ゼミの一つ)を今まで受けたことがなかったんだけど、受けよって思ったのは‥‥何をすればいいのか分かんないから、俳優が。何をすればいいのか本当に分かんない。
 2016年に映画美学校に入学した時は、もうちょっと何かがあったんよ、俺の中で。「演技をする」って。観客として観てる時とかもそうやけど、「演技はこういうところが面白い」みたいなのがあったんだけど。それがね、今はもっとないんよね。今このない状態で「ダイアローグ」、もっといえば青年団の現代口語演劇のテキストをやるのって、当時よりさらに難しいんじゃないかって思って。より何やればいいか分からんってなって。すごい興味わいてね、それが俳優レッスンを受けようって思った動機でした。
——俳優レッスン、まだ2回目とかだっけ。
米川 次が2回目かな。今もリハーサルしとるけど、すっごい面白いんやけど、何もしてない(笑)椅子に座ってテキスト読んどるだけ。普通に座って、話聞いて、セリフ返して、セリフ返して、をやっとるだけで。テキストに書かれとる演出的な指示というか、全無視してやっとる(笑)何やればいいのかわかんなくて!面白いんやけど。
 ‥‥あっ、やっと喋れるよ、今。だから、高等科を受けようって思ったのは、いろいろとわかんなくなっていて、俳優にしても演技にしても。でも俺自身はこのわかんなくなった状態を、とてもポジティブに捉えていて。そんな時に、「演技っていうものがどうやって変わっていったのか?演技の文脈を座学でやってみませんか?」っていう内容の募集が、俺の興味とぴったりハマって。っていうので、受けた。今回。演技の変遷はどんなんだったのか。それを知ったところで、このわかんない状態は変わらんかもやけど、でも知りたいって思ったね。演技の文脈。そう、最近「文脈」がテーマです、私。文脈が一番面白い。いっちばん面白い。そやね、そっから喋らんとあかんかったんや。やっと喋れる(笑)
——文脈って、歴史とか?
米川 歴史とか、バックボーンもそうやし、歴史的文脈、あと個人にも‥‥経験、コンテクスト、背景とか、なのかな。2016年、映画美学校に行っとる間は、山内さんにも言われたけど、「リオンは自分のことがすごい興味がある」って言われたんよ。それは本当にそうで。映画美学校に通って講義を受けてる時も、全部自分のためだけに聞いてた。パフォーマンスも自分のためにやってた。で、チェルフィッチュ『三月の5日間』に出るようになって、ようやく自分は、人に喋るのがめちゃくちゃ下手だってことに気づいて。これは変えたいなって思った時に、ちょうど小森さん、瀬尾さんと一緒にやってたんだけど、お二人は話を聞くのが本当に上手で。よし、まずはそれから始めようって思って。まずは話を聞くのが上手くなろうって思って。そしたら岡田さんとかも話聞くのめっちゃうまいんやなって分かったんやけど。
 そういうモチベーションで話を聞いてると、言葉になってないものをすごい感じるようになって。特にその人が喋っている時に、その人の過去みたいなものが見えてくるようになって。文脈、コンテクスト‥‥それがすごい面白いって思うようになった。そうすると例えば、物とかでも、経年劣化したモノとかさ、お茶碗とか欠けてるのとか見ても「あ、文脈ある」って思うようになってさ。「面白い!」って思うようになっていって。で、映画美学校の今年の募集に「俳優の、演技の言葉がどうやって紡がれてきたか」、つまり俳優の文脈を「勉強しましょう」って言われて、それは俺すごく興味があることだって思って受けたって感じです。
——繋がりましたね。すごい、過去と今が繋がりましたね。
米川 よかったー。でもそれでも、エゴイスティックなのは変わらんけどねー。

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——6期の受講してた頃って、みんな狭い世界だったなって思っていて。佐々木(透)さんの修了公演での稽古で、ようやくみんなの人格が分かったなって思って。みんな結構わがままだったじゃん。自分大好きみたいな人が多かった、私もだけど。
米川 うん、みんなわがまま。わかるわかる。
——もちろん仲良かったと思うんだけど。深く広がっていけなかったなーとは思ってて。あの半年間だけではね、難しい。6期で一緒に何か企画やるやる詐欺起こしてたけど、結局やらなかったですね。
米川 そうなの。やりたいの。最近それはね、思ってるんですよ。それこそ伯楽-hakuraku-で映画を作れてるわけだし、それをね、広げたいんだよね。広げたいっていうよりは、6期といちからつくりたいのだけど。ちょっとそれは、直人が今いろんな企画を自分の中でめっちゃ立てとるから、それがうまくいって、お金ができたらそれを元手にやりたいなーっていうのが野望です。やり方めちゃくちゃだけど。でも考えとる考えとる。そうなの、作りたいのー。本当に。
——私も「やりたいー」って思いながら、どないすんねんっていう。私も土地についてすごい興味があって。原宿でフィールドワークをしながら、創作をするっていうのを以前やったんだけど。原宿を散歩して、でも誰も原宿について詳しく知らないから、メンバーがただ原宿を歩いて、素敵だなって思ったところに身体を合わせる。ちょっとこの木気になるなーと思ったら、その木に触れて、思った振り付けをやってみるとか、ポールダンサーの人は「これちょっと登れるわ」って言って木に登り出すとか、すごい面白かったんだけど。そういう「なんでこれを気になったんだろう」って思うところから、最終的に作品を作ったんだけど、そういうのすごく面白いな、と思って。
 私は都会には興味がない人間だなと思ってたんだけど、渋谷ノート(注:アクターズ・コース、山内健司さんの講義。渋谷をテーマに、最終的に1本の作品をつくった)の時のあの懇切丁寧な山内さんの渋谷にまつわるお話がめちゃくちゃ面白くて。「渋谷ってそんなに好きじゃなかったけど、結構愛せるな」と思って、そんで原宿も結構好きになって。ただ撮る、ただ作るっていうだけじゃなくて。せっかくそこで撮る、作るならそこでやる意味みたいなのが見出せたらいいなって。それを6期なら共有できるんじゃないかって思っている、んだけど。どどどど‥‥
米川 分かります。分かります。俺もさ、渋谷ノートやっとる時ってさ、今みたいに「文脈が気になる」っていう状態では全然ないっていうかさ。「渋谷ノート」だけど、渋谷のことをそんなに探る気持ちがなかった。そもそも渋谷に興味を持つ方法から知らなかったし、だから渋谷っていうものにアプローチするにしても、なにをしたらいいのか分かんなかったんだけどさ。
 今でも忘れられへんのやけど、山内さんがさ、渋谷の地図出してきてさ、「地図見るのっておもしろいよね」って言ってさ。「何が?」って思ったんよ、俺。「何が?」って思ったんやけど。佐世保で今、自分たちで映画作りましょうって企画が動いとるんやけど、それでこないだ佐世保の地図を見とったんね。そしたらさ、川があって、その川の近くにはこう、小さな町があって。でもその川が伸びて行った先には山があるから、そうなると一気に人がいなくって、でも川沿いに浄水場なりがたくさんあって、野球場もテニスコートもあって、みたいなさ。なんかね、「地図っておもしろ!」と思って。
——あれ?(笑)
米川 文脈じゃーん!って思って。そんとき俺、「あっ山内さんのやつや!」って思って。俺も4年越しで地図おもろ!が追いついたよ。
——やったね(笑)
米川 で、その後下の期とかの渋谷ノートも見に行ける。‥‥「下の期」ってなんか嫌な言い方やな。別に後輩って感じでもないから。先輩後輩、それこそnoteにも書いてあったけど「先輩後輩ない」ってその通りだな、と思って。一応上の期に敬語使うんやけどね。‥‥6期以降の期の渋谷ノートの発表を観に行って、そんときは文脈に興味を持ち始めとったから、その渋谷ノートっていうワークを面白いって思う経験があった。山内さんが、なんで渋谷面白いって思ってるのかが分かった。それは結局文脈っていうことなんだけど。渋谷ノート、すんごく面白かった、俺。

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アクターズ・コース受講生時代、井川耕一郎さんの講義で撮影した作品『ゴカイモン』ある一コマ https://youtu.be/vJytfXyvg3Y

 

——あれがあったから、リオンも言ってる、文脈‥‥連なっていくものの良さ、分断されてないんだっていう。俳優も大昔からいて、でもそんなん感じ取れるわけないやんって思ってたんだけど、意外と脈々とつながっていってるんじゃない?って思った。面白かったね。
米川 その当時はねー、わかんなかったからなー。もったいない。
——「一人芝居をやる」っていうそっちの方向にいってしまって。
米川 何やればいいの?っていうね。俺でもさ、3人(米川/同期の四柳智惟/浅田麻衣)で撮った『ゴカイモン』、半年にいっぺんくらい見直す機会があってさ。相変わらずクレイジーやなって思いながら。あの時の俺は、酷い。って思いながら観てて。「本当にごめんなさい。あの時の俺は酷かった」みたいな。なんていうの?備忘録じゃないけど。
——そんな思いで見てるの?(笑)
米川 でもやっぱり、すごいあれは面白いと思ってて、俺。それで友達に「映画美学校時代に面白いの撮ったんだよ」って話して送ったりもするんやけど。一文、「編集もしたけど、編集をした頃の俺は酷いやつでした」ってつけて送る。なんかね、俺が酷いの。お二人はまったく酷くないんやけど、ただただ俺が酷いの(笑)全部、ニヤついて撮っとる感じ。あんときのおれ嫌いだな、と思う(笑)
なんていうの?あの当時はカメラを回して一歩引いとる感じ。今はそれよりも一歩出て、人と付き合おうっていうモチベーションに変わったから。ちゃんと話を聞くぞ、みたいな。でも『ゴカイモン』でくるっと振り返ったらカメラ構えてる俺がいてさ、「へっへっへ」みたいな。リオンのそれがね、作品の中にちらっちらって出てくるんよ。もう、「本当こういう奴嫌い」って言いたくなるけど、あの作品はすっごい気に入ってる。
——あれね、ふざけすぎた感はあるね。めっちゃ面白かったけど。
米川 あれいいよね、あの感じ。なんていうの?ずっとふざけとるんよ。本当にずっとふざけとる。パンクってわけじゃないけど、基本的に「シンプルにやっても面白くないんじゃない?」っていうところからやってるやんか。別に一人一役じゃなくていいんじゃない?みたいな。フィクションを信じて作っとったから、それがすごい好きなの、俺。まだやり方が分かんないなりに、でもフィクションって感じる時は面白いってことが分かってたから。それを大事にして撮っとるから、すごい好き。ただ、ちらちら見えるリオンが嫌、っていうだけ。ちらちら、っていうよりずっとカメラ回しとるからね。
——今ならまた違う形で撮れるんでしょうけどね。やりたいな、と。やれんのかな?
米川 やりたいと本当に思う。
——やりたいとは思ってるんですよ。
米川 同じくです。作りたい。本当に思う。
——いや、今日面白かった。6期でなんかやりたくなった。
米川 あ、嬉しい、嬉しい。相談しましょう。
——まあ、『ジョギング渡り鳥』(注:映画美学校アクターズ・コース第1期高等科実習作品)も発表まで4年くらいかかったと聞きますし。
米川 バッチリです。今から6年かけたらいいから。やりましょ(笑)
——より深めたら面白いことができる、かも。
米川 はず、です。

 

2020/10/08 インタビュー・構成/浅田麻衣

 

米川幸リオン(よねかわ こう りおん)
1993年三重県生まれ。父がイギリス、母が日本、のニッポン人。
京都造形芸術大学映画学科俳優コースと映画美学校アクターズコースを卒業。主な出演作品は、チェルフィッチュ『消しゴム山』、『三月の5日間』リクリエーション、小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』、ミヤギフトシ『感光』、など。また、伯楽-hakuraku-のメンバーとして、岩手県住田町での自主映画の企画〜上映までも行なっている。
@08Leon22
 

「断片映画制作ゼミ」/青柳美希さんインタビュー

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「アクターズ・コース俳優養成講座2020年度高等科」は、希望者全員が受講できる「基礎ゼミ」、人数制限のある「実技ゼミ」、修了生が全員参加できる「オープンゼミ」に分かれています。
今回は「実技ゼミ」のうち、竹内里紗さんが講師を務める「断片映画制作ゼミ」について、実際に講義を受けているアクターズ・コース8期修了生の青柳美希さんにお話をお伺いしました。

「断片映画制作ゼミ」(竹内さんのゼミ説明より抜粋)
5つの架空の映画の断片からなる5 分程度の映像作品を一人一本制作します。5つの断片全てに、制作者本人が出演します。うち3つは自分で演出・撮影、1つはペアでお互いを演出・撮影、残りの1つは竹内が演出・撮影します。イメージとしては、最後に架空の作品群のショーリールのようなものが出来上がる予定です。演技としてチャレンジしてみたいことと映画として撮ってみたいものの両方の視点から断片を発想し、自分で出演・演出・撮影をするという試みを通して、演技と演出の相互作用、演出と撮影の相互作用を考える良い機会になればと思っています。

 

——「断片映画制作ゼミ」をなぜ受講しようと思ったんですか?
青柳 アクターズ8期の時、フィクション・コースとのミニコラボ実習で竹内さんとご一緒して。私、映像を作るってことに結構苦手意識みたいなのがあって。出るのもそうだし、自分で作るのも結構苦手だなーと思っていて。でも竹内さんとだったらやってみたいかも、と思って。
——フィクションとのミニコラボはどんな感じでした?
青柳 竹内さんの班は、フィクション・コースとアクターズ・コースの2人、私と斉藤(暉)君が、脚本の段階から「どう作る?」って長い時間かけて話し合って。最後に竹内さんが脚本バーっとまとめて撮るっていう流れだったんですけど。竹内さんがフィクション・コースの人たちからも私たちからも積極的に意見を聞いてて、なおかつそれを何でも面白がってくれるっていうか。結構講師ってなると身構えちゃうところがあるんですけど。竹内さんは私たちとすごく近くて。ものづくりって苦しい場面ってあるじゃないですか。全然、打開策が浮かばないみたいな感じで。皆「ウーッ」ってなる感じ。でも竹内さんはあっけらかんとしてて。その明るさに皆助けられるというか。女神というか(笑)
——あっけらかんって、例えば?
青柳 なんだろう、結構竹内さんも不安に思ってるんだと思うんですけど、「なんとかなるよ!」みたいな(笑)明るいポジティブさというか。

——このゼミって6人だけですよね。
青柳 そうです。めっちゃ少人数で。自分で作品を3本撮って、その後ペア作品を1本撮って、で竹内さんが最後撮るので、全部で5本撮るんですけど。今自分の作品が2本終わったところです。
——「自分で書いて、自分で撮る」って、モノローグというか、相手は不在で1人芝居なんですか?
青柳 それも自由にしていいよ、みたいな感じで。もちろんコロナ対策をきちんと取った上で、例えばカメラを同居人に頼むとか、そういうのも全然していいみたいな感じです。結構皆違いますね。モノローグやる人がいたり、普通に劇映画、ストーリーがあるようなものを作ってくる人がいたり、あとは本当に「断片」みたいな感じで撮る、だったり。最初の1本目を撮るまでは竹内さんや皆と会話しながら進めて。「こんなの撮りたい」とか、「こんなこと考えてるけどみんなどう考えますか?」とか。
——じゃあ竹内さんは、アドバイザー的な立ち位置なんですね。「こんな風に撮ったらいい」的な。
青柳 そうですね。アドバイスとか、あと撮る上でこういうことを気をつけた方がいいとか、YouTube見て説明してくれたり。

f:id:eigabigakkou:20201127162408j:plain青柳さんが作った「断片」映像 あるシーン

——作品の尺って何分くらい?
青柳 1・2分の断片を撮っていって、最終的に5分くらいになる感じなんですけど、私が1本目で4分つくってきちゃって(笑)すごい怖いですね、中編くらいになるんじゃないかと(笑)
——青柳さんは一人芝居を?
青柳 そうですね、ほぼ一人芝居で最後ちょろっと同居人に出てもらうみたいな感じなんですけど、ほぼほぼ一人芝居で、「食べる」ことをテーマにしてて。「土を食う女」みたいなストーリー。
——土を食べる‥‥
青柳 「食べる」っていう行為についてすごく考えてて。でも1分くらいの短編にするにはテーマが膨大すぎて。それを竹内さんに相談したら、「まず撮れる身近なもの」から考えて、そこから色々連想して、繋げて考えていくやり方がいいんじゃない?ってアドバイスいただいて。それから、身の回りで「都会に土ってないよなー」って考えたところから色々連想していって、土を食べるってところに行き着く、みたいな(笑)
——なんだか呪術めいてますね。
青柳 自分で撮ってつないで、完成したものを見たとき「えっ何これ?」みたいな(笑)
——1本目と2本目、3本目と作った動画はストーリーは繋がっていくんですか?
青柳 いや、それもお任せっていう感じで。2本目を全然違うものを撮ってきてくる人もいたり。
——じゃあルールは、自分が出るってことと、撮影にあたって感染予防対策をちゃんとしておくっていう2つで。
青柳 そうですそうです。
——断片が繋がっていくイメージかと思ってたけど、結構変わってていいんですね。
青柳 面白いです。「これ繋がったらどうなっちゃうんだろう?」みたいな。
——最終的に繋げて、土からどこにいくんでしょうね。食べることがやっぱりメインストーリーになっていくんですかね?
青柳 強いですよね、「食べる」って。なんか見ちゃうんですよね。人が食べてるってことに特別感を感じるっていうか。それが映像になったときに、ハッとする。‥‥なんかうまくいえないけど。なんか。‥‥うまくいえないや(笑)

——編集も自分で、ですよね。
青柳 そうですね、iPhoneで撮ってiMovieで編集してます。
——そうか、アクターズの受講生時代って編集の講義はなかったんでしたっけ?
青柳 一瞬あったんですけど、切ってつなげるくらいしかやらないみたいな。がっつり自分で撮って、編集して、作品にして提出っていうのは初めてですね。
——今回、脚本は書いた?それともエチュードみたいにやりました?
青柳 脚本は書いてなくて。「ここで何する」みたいに箇条書きにして、「土食う」「土食う」みたいな(笑)あまりセリフは作らずに、「この画だけは撮る」っていうのを決めていって。‥‥でも私なんか、楽しさに目覚めてしまって。
——撮ることの?
青柳 撮ることの。映像作品に呼んでもらって、自分で演技する時って、私めちゃくちゃ緊張してたんだなっていうのが今回分かって。っていうのも今回自分でカメラ設置して、自分で演じて、自分で確認して、じゃないですか。でも全然緊張してないんですよ。画面に映る私っていうのが。恥じらいとかなくって「私が思い描いている私」と、「今映像に写っている私」が、今一緒だぞ、みたいな。
——想像と映像が合致しました?
青柳 結構合致しました!
——じゃああまりテイクを重ねることなく?
青柳 そうですね、ポンポンポンと進んでいって。1・2日で撮影、編集込みでできちゃいました。

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青柳さんが作った「断片」映像 あるシーン
 

——合致したんですね。私、アクターズ時代、自分で撮った時「あれ、思ったより違う‥‥」って結構思っちゃって。
青柳 へえーーーー。
——合致しないというより、「もっとこうしたら」っていうのが多かったのかも。「ここはもっと手がこっちだな」とか、そういう粗が見えて絶望した(笑)そういうのはあまり青柳さんはなく?
青柳 そうですね。でも映像で現場に呼ばれたとき「えっ、私こんな演技してたの!?」とか「ここはもっとこうだろ!バカ!」ってなることは多くて。それで映像がすごく苦手だなーと思っていて。その監督の世界観みたいなのに私が馴染み切れてないというか。なんか私って、多分その場に入っていってすぐに演技ができるタイプじゃなくて。
——「おはようございまーす!はい、リハ始めます!」「リハ終わりました、次本番でーす!」みたいな瞬間的なやつ。
青柳 みたいなのがたぶん壊滅的に向いてなくて(笑)対話することで自分に積み重ねてくタイプだなってここ最近で気づいて。でも自分で撮るってなったらその対話の必要がなくて、あとは出すだけって感じだから。映像の現場ってだいたい事前に1日リハがあって、じゃあ次本番っていう現場が私はすごく多くて。それに戸惑ってる自分もいて。「ここよく分からなかったけど‥‥こうやっちゃったけど大丈夫かなー」みたいなのがちょっと現れてるのかな。
——いうなれば現場って、即エチュード(即興劇)みたいな感じなんですかね。監督の好みもわからないから、「とりあえず自分出しとこ!」みたいな。でも撮影は、演劇のエチュードの緊張感ともまた違いますよね。
青柳 舞台よりもっと自意識過剰になってしまうというか。「見られている」って感じが強いですね。
——身体が緊張状態に入ってしまうのかしら。
青柳 でも、映像でも「ハイ!」ってカチンコ打たれたら、それで切り替えてできる人もいるじゃないですか。そっちの方が求められたりするじゃないですか。でもそういうのってみんなどうしてんの?みたいな(笑)
——私、大学生の頃に「観客席に自分1人だけを置け」って言われたことがあって。それで演じてみたら、その頃の私は自意識のかたまりだったから「うわー恥ずかしい、演技するの無理!」ってなっちゃって。でもそれを続けていったら、自意識って減っていった気がしますね。自分ってイコールカメラみたいなものかなと思って。鏡みたいなものだから、演劇において。
青柳 なるほどー。
——逆に舞台の方が一時期苦手になっちゃって。実際にお客様いるから、もちろんそれは嬉しいし、快感なんですけど、見られてることが逆に怖くなっちゃって。カメラの無機質感のほうが頼れる感じがしてしまって。これはもっと映像を勉強したいなって思って映画美学校に入ったっていうのはありましたね。
青柳 へえー。面白い。「自分を置いてみる」か。

f:id:eigabigakkou:20201127162729j:plainフィクション・コース第22期初等科&俳優養成講座2018 ミニコラボ実習作品『性愛頭痛幸男』(監督:竹内里紗)

 

——青柳さんの、受講生時代のミニコラボ見れてなくて残念。
青柳 竹内さんのミニコラボは、「ED治療院の助手」みたいな(笑)性欲を常日頃から抑圧してて、それが(斉藤)暉くんと出会ったことでふつふつと湧き上がる、みたいな(笑)
——めちゃくちゃいいじゃないですか。
青柳 めちゃくちゃ面白かったですね。ED治療院の治療のカリキュラムみたいなのがあって、「愛のワーク」っていうパワーワード(笑)
——そういうミニコラボがあって、若干映像に対して苦手意識が薄れて。そして今回のゼミで映像に対して意識はまた変わった感じですか?
青柳 そうですね。自分が映像に対して自意識過剰で緊張してたんだなっていうのが無意識であって。で今回、自分で自分を撮ることでそれが理解できて。あと自分ってこういう風に見えるんだ、とか。「この角度だと全然知らない自分だ」って思ったり。映像を撮ることで「自分を知る」っていう作業が結構膨大で。「次何撮ろう?」って思っている間も「自分ってなんなんだろう」みたいな問いになってくる、みたいな(笑)でもだんだん枯渇してきてます(笑)もうないよ!みたいな。
——3本も自分を被写体に撮るって結構大変ですよね。ペアワークになったらまた違う角度も見出せそうだけど。
青柳 私、全体のテーマとして「自分にかかってる呪い」みたいなのをテーマにしてて。例えば「人を羨ましく思ってしまう自分」とか「私がもっとこうじゃなかったらよかったのに」とか、あと「他人のものが欲しくなってしまう自分」だったりとか。あと「食べることで自分を変えようとしてる自分」。「自分から逃れたいっていう呪い」をテーマにしてて。でもこういうテーマって闇落ちしやすいっていうか、自分が(笑)
「あっ!闇がこちらを覗き込んでいるー!」みたいな。今は大丈夫なんですけど(笑)でも枯渇していくと、どんどん自分の深いところに手を出しがちというか。でも見てくれる人のことも考えながら、闇落ちしすぎず、自意識過剰にならず、自分に引き寄せすぎず、中間に置くっていうことを心がけながらやってます。
——おおー。

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『The origin of my play』(監督:浅田麻衣/「アートにエールを!」提出作品)
 

青柳 あっ、浅田さんの「アートにエールを!」の作品見たんですけど、面白かったです。あれでも、結構闇落ちしませんでした?
——‥‥あれ撮る前に私、3週間ぐだぐだしてたんですよ。企画意図は「自分の演劇のルーツを探る」で、企画出した時はすごいやる気だったんだけど、いざやろうと思うと「なんでこんな辛い作業で自分を追い込まなくちゃいけないの?」っていう思いが出てきてしまって(笑)
青柳 うん、うん。
——セルフドキュメンタリーってめちゃくちゃ恥ずかしい。
青柳 そうですよね!私見ててすごい気になって。「浅田さん今どんな気持ちなんだろう」とか。
——私は誰にみせたくて、何を目標にしてるんだ?って撮る意味が分からなくなってしまって(笑)考えても考えてもやっぱり分からないから、「他者が見た私の像を浮かび上がらせることでなんとかなるだろう」と思って、ようやく高校演劇部時代の先輩とかにアポをとって。あと高校時代の闇歴史のVHSを発掘して。
青柳 (笑)。私も高校演劇やってたんで、あのシーンは私も赤くなりました(笑)自分のことを思って。「うわー!懐かしいなー!」って(笑)
——自分の演技の変遷を見るのが一番地獄でした。
青柳 それは恥ずかしさとか?
——「こんなものを人にみせてたんだ」という厚顔無恥さを叱りつけたかった、当時の自分に。それもあって、私は竹内さんのゼミは大変そうだなと思ったんですよ。自分の断片を探していくのって今はきついなと。
青柳 あー、なるほどなるほど。
——知らない部分も見えてきてもちろん面白いと思うんだけど、撮ったばかりのセルフドキュメンタリーを思い起こしてしまって。だから逆に、受講希望出した修了生すごいなと思ってました。
青柳 なるほど。私は舞台がなくなって、って時期に浅田さんのドキュメンタリー見て、なんか浅田さんかっこいいなって思って。‥‥だってめちゃくちゃ恥ずかしいじゃないですか。演劇のルーツっていって辿ってるけど、自分史もたどってるから。めちゃくちゃ「ううっ‥‥」ってなるものを「えいっ!」っていって出してるから(笑)そのかっこよさにしびれるっていうか。あれを見てて、浅田さんを追ってるんだけど、浅田さんを見ながら私も自分を追ってるみたいな、その感覚が秀逸だなーと思って。
——それは‥‥意図してたけど、感じてくれてたらすごい嬉しいです。
青柳 すごい感じました。あんなに身を削った作品、他になかったもん。覚悟。覚悟が見えました。

——でも、竹内さんのも覚悟じゃないですか?あの募集要項みて、これは覚悟がいるなって思いましたけどね。
青柳 私もずっと最後まで悩んでて。自分にまず映像が撮れるのかってのも怖かったし、最終的に発表するじゃないですか。人に見れるレベルまで自分が何かを作れるかなっていう不安があって。でもちょうどコロナで色々なくなった時に、自分ってマジで何もできないんだなっていうのがすごくあって。映像を作ったことがあるっていう俳優さんももちろんいるじゃないですか。そういう人はコロナ禍でも映像作ったりとか、youtubeでなんかやったりとかしてて。自分でコンテンツつくる、みたいな。「俺がエンタメだ!」みたいな感じが凄まじく私には眩しくて。
 結局私って組織に属して、その中で与えられた役割やってただけなんだな、って絶望して。「なんて弱い役者なんだ!」みたいな。結構落ちてましたね。「こんなつまんねえ奴!」って。そういうのもあって、断片だったらできる、かもって。「自分で頑張って、コンテンツ、私も作りたい!」みたいな感じでした。
——結局役者って、脚本家と演出家がいないと何もできないのか?って無力感ありましたね。だから私も5月に動画作ったりとかしてたんですけど。でも「見れるレベルに達することができるのか」とか、「こんなもの見て誰が嬉しいの?」って自虐的な意識が常に心の中にあって。
青柳 そう!そうそう。
——舞台の時はそんなにないのに、映像になるとなんでこんなに自虐的になるんだろうってのはすごく不思議で。
青柳 そうなんですよね。なんか拷問みたいな気持ちになります。「うわー!もうやめてくれー!見せないでー!」みたいな(笑)難しいですよね。「やりたいことやるんじゃい!」って気持ちと、「こんなの撮って大丈夫ですかね?」みたいなせめぎ合いが常にあって。あったほうがいいと思うんですけど。
——世間の映画監督はどうしてるんですかね?
青柳 竹内さんが講義で話してたんですけど、「やっぱりどれだけ作ってても、出す前は怖い。逃げたくなる」みたいな。
——竹内さんでさえ‥‥
青柳 私も意外だなーって思って。「えーい!いけー!」っていう感じかと思ってて。竹内さんで逃げたいんだから、当たり前だよな。
——その意識がない監督もいるんでしょうけどね。いるのかな?
青柳 「勝手に見ろ!」みたいなスタンス?

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——でも舞台のお客様って映像より優しい気がするんですよね。
青柳 当たり外れみたいなところは寛容かもしれませんね。舞台は。見に来たからせっかくだからいいところ見つけて帰りたい、みたいな感じなのかな。
——舞台、自分と合わなかったら無言で帰るからなあ。映画はなんか言いたくなるんですよね。なんでだろう。
青柳 確かに。レビューとか「くそつまんない」とか「見るに堪えない」とかありますよね。なんでなんだろう。公共性なんですかね。演劇の。映画って個人との対話、みたいな。映画と、個人。演劇は客席側も集団になるから、そういうこともあるのかも。
——空間として一緒の時間を味わってる、体験してるっていうことかな。映画ももちろん体験してるんですけど。
青柳 自分はめっちゃ微妙だった時、隣のお客様がめっちゃ感動して拍手してて「ええっ!?」って思って。「私が違うの!?」みたいな。
——それはある。
青柳 でも、すごい、誠実。誠実さって大事だなって思いました。テーマとか薄いな?って思っても、その人が本当に誠実に作ってたら、結構気持ちよく見れるっていうか。
——何に対しての誠実さなんだろう。
青柳 なんだろう。その作品に対しての責任‥‥?いや、自分なりに考えを持って、完成させるぞ!みたいな気持ち、とか。あとは本当にこれがやりたいっていう誠実さ‥‥。でも、自分の作る上での誠実さというか、見てくれる人のことを忘れずに作らなきゃなーと思います。
——誠実さの有無みたいなのはなんなんだろう。私、「この作品には誠実さを感じない」って時、「何で私は今そう感じたんだ?」って考えるけどいつも答えは出なくて。
青柳 言葉にしようとすると難しい。
——感覚的なんですよね、「これは嘘だ!」とか「誠実じゃない」みたいなのは。
青柳 なんか肌で感じますよね。
——肌感覚か。言葉にできるんだろうか。
青柳 言葉にできたら最強な気がします。
——山内さんの「演技論演技術」を頼みにしよう。あれを受けたら語彙が増える気がする(※「演技論演技術」:山内健司さんが担当するゼミ)
青柳 私もそれをめちゃくちゃ祈ってます。「どうにかなれー!」って(笑)

——竹内さんのゼミ、11月で終わっちゃいますね。
青柳 さみしいー。ずっと続けたい、この講義(笑)
——でも自分を撮り続けるの、いいかもしれないですね。
青柳 定期的に自分を見つめ直す機会、みたいな感じがしてめちゃくちゃいいです。自分今、こんなこと考えてたんだ、とか。こういうアウトプットの仕方もできるんだ、みたいな。
——他人を撮ったことはない?
青柳 あっ、でも2作目で他の人に出てもらいました。稽古行って、その帰りに「今ちょっといいですか?」みたいな感じでゲリラ的に何人かに出てもらって。自分の想い浮かんでる画を人に説明するっていうのが結構難しいんですけど、できるようになってきた感覚があって。それはこの講義のおかげなのかな。「今こういう画が浮かんでるんですけど、こう撮りたいから、こうして」とか。
——じゃあこれから誰かを撮ろうとか、ありますか?
青柳 機会があったら撮りたいかも、って今すごい思ってます。この講義が終わっても、撮り続けようかな、みたいな。

 

2020/10/06 インタビュー・構成:浅田麻衣

 

青柳美希(Aoyagi Miki)
1992年生まれ、福島県出身。映画美学校アクターズコース8期生。舞台を中心に活動するフリーの俳優。2020年10月29日より4日間、ウンゲツィーファガーデン”meme”『窓の向こうシアター』をプロデュース、自身も出演する。

 

 

「俳優の権利と危機管理2020」〜俳優がフラットに話せる関係性をつくるためには

「特殊な状況下の中で、俳優はどうしたら立ち尽くさずに進めるのか」

第1回目の講義は、主任講師の山内さんのそんな言葉から始まった。
「俳優の権利と危機管理2020」と冠されたこの講義は、実はアクターズ・コース生にとってはお馴染みの講義でもある。この講義は「オープンゼミ」とされて、アクターズ・コース修了生なら誰でも受けられる講義。
講義を進めるのは主任講師の山内健司さん、深田晃司さん。

 

「俳優の権利と危機管理」とは? 

俳優は立場としてどうしても弱くなりがちで、そして演技の場はハラスメントの温床になってしまう危険性がある。そんな我々がお互いに安全(心/身体ともに)な場所をつくるための重要性を探り、そしてハラスメントの基礎知識を身につけるための講義がアクターズ・コースには第2期から存在する。そしてそれは年々アップデートされ、講義は受講生のみだけでなく修了生にも案内され、修了生も参加できるのがこの講義の特徴でもある。

私が受講生の時も第1回目の講義で受けた記憶があるのだが、一番記憶に残っているのが「ハラスメントを話すにあたって、過去の経験、記憶を話すのは秘密の暴露という一面があります。それはマインド・コントロール、集団圧力が発生してしまうことでもある。それは決してやめましょう、この場所を安全な場として活用してください」という言葉。

「守られている!」と思うと同時に「もしかして、過去の○○もマインド・コントロールといえてしまうのでは」と恐怖を感じたのも事実。私の期は演劇経験者が多いこともあって、話が進むにつれていろいろ思うことがあったのか、「シィィィン」となる瞬間も多く、「もしかしたらこの言葉も秘密の暴露、圧力が発生してしまうのでは」と内心ヒヤヒヤしながら講義を終えた記憶がある。
それももう4年前のことだけど、その時は正直怖くてなかなか言葉にすることができなかった。でも年を重ねて、また、アップデートした講義を受けるにつれ、少しずつ言葉にしていくこと、それが他者を、そして自分を傷つけないようにするということができるようになってきた気がする。 

「俳優の権利と危機管理2020/1」〜はじまり

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「俳優の権利と危機管理2020」第1回目は「コロナと俳優」をテーマに進んでいく。オンライン講義で、30人弱が参加。アクターズ1期〜9期と全ての期が揃うのは実は初めてなのでは?内心ちょっとワクワク。
まずは、コロナについての基礎知識を共有しようということで数本の動画を見て、その後数人に分かれて話をしたのちに、それを全体共有。 

・テレビだけの情報だと怖かった。それで家に引きこもっていたけど、逆に外に出ることで「そうでもないな」と思い怖さがなくなった。
・人それぞれで危機管理の意識が違うから、実際に会った時に戸惑うことがある。
・飲食(飲み会など)や普段の生活など、正直なところをぶっちゃけて話す場はないから他人がどうしているか気になる。こういった少人数の場だとありがたい。
・映像の現場がこの前あったけれど、やはり本番時に俳優はマスクを外す必要がある。俳優部はどうしても感染のリスクが高くなってしまうと思った。

 オンラインということで話しづらいのでは?と当初は感じていたが、話す人数(単位)を減らしてみると、思ったよりもフラットに話せる場ができると感じた。 

「コロナは労働問題」という視点

深田さんの「労働問題は映画の現場にそもそもあった。多くの現場、特にインディペンデントの現場は法が定めていることを守れていないというのが悲しいけれど事実」という話を皮切りに、「コロナは労働問題といえるのではないか」という話になる。

感染症対策も正直それぞれの座組で異なっているのが事実。そしてそれ(感染症対策)を俳優から話題に出す、話す権利はもちろんあるはずだ。

それを深田さんが監督目線(日本と海外の俳優の組合の話など多岐に渡った)で話し、その後山内さんが俳優目線で話す。山内さんは
・自分が企画者の座組
・自分が後から参加する(呼ばれてきた)座組
で異なってくるのではないか、という目線に立った。前者はコロナに対して言える環境であり(むしろ言う必要がある)健全な組み立て方ができる可能性がある。しかし、後者は既にトップが積み上げてきたものの中では言いづらく、弱い立場になってしまう。とどのつまり、コロナは新たな「労働問題」であると。

「言えるようにしていく」、そうすることこそが安全対策であり、トップの責任は視線の高さを同じにできるかどうかではないのか。
そこに深田さんが「言い過ぎ」ということは決してない、それはコミュニケーションの問題であり、座組ごとにルールをつくることができるかどうかということだ、と2人の会話は連なっていく。

我がこととして話す、フラットに話せる関係性

「ルール」や「ガイドライン」があると安心する。それさえ守れば自分や身近な人は守られるんだ、という気持ちがあるからだ。しかしそれは「受け」の姿勢にもつながり、それをただ享受し、遵守するだけでは我が事として考えることは難しくなってきてしまう。
新型コロナウイルス」はまさしく「新型」で多くの情報が溢れ、間違った情報も最初は多く流出していた。そんななかでルールやガイドラインを作るということはひどく難しく、様々なガイドラインが現在も存在する。

しかし、飲食店がある程度リスクを背負って営業しなければ潰れてしまうのと同様に、俳優もある程度自分のリスクを考えながら撮影および舞台を請け負う必要があるのが現在であり、そのためには正しい情報を得ることと、そして自分が関わる座組の中でフラットに話せる関係性をつくる必要がある。

アクターズ・コースは1期〜9期と現在存在するが、そこにあまり上下関係はなく(なんとなく上の期に敬語で話す感じはあるけれど)「同志/仲間」感が強く、フラットに話せるな、とこの講義(特に数人に分かれての話をする時)を受けて感じた。

それは一体なんなのか、単に学び舎として場を共有した安心感からなのか?と茫洋と感じている間に今回の講義は終えてしまったが、この高等科が終わるまでにこの関係性を言葉にできたらいいなと思った初回の講義だった。そしてこの関係性を他の座組に踏襲していくことの難しさも感じた。

  

文章:浅田麻衣