映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

【講師リレーコラム】演じることについて|深田晃司[映画監督]

今回の講師は、最新作『淵に立つ』が第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞された深田晃司さん。
俳優養成講座では、俳優自身が創作し、撮り/撮られる「映画創作ワークショップ」を担当します。

私たちはなぜ映画を作るのか?なぜ演じるのか?なぜ表現するのか? そこには目に見える成果を得るだけではない何かがありそうです。

映画監督の目から見た「演じること」の魅力について、深田さんが語って下さいました。
それではどうぞー!

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 以前、ある映画で身体障害者の役をオーディションで募集したことがあった。  
 それは全身麻痺に近い状態、正確には遷延性意識障害というのだけど、そういった障害を持った十代の女性の役で、おかげさまでオーディションにはたくさんの応募を頂き、二日に分けて数十人の俳優たちと対面することとなった。  

 

 応募頂いた俳優たちには、障害を持った役であることと障害の内容は事前に伝えていて、当日はその役柄を彼女たちなりに咀嚼してもらったうえでその場で演じてもらうことにした。  
 アプローチの仕方は様々で、実際にそういった障害のある方が身近にいた者もあれば、テレビや映画で下調べをして臨んでくる者もいた。中にはまったくの想像で演じる場合もあった。  
 何しろ、十代から二十代初めという多感な時期の女性に集まってもらい、顔も含め筋肉の麻痺した人を演じてもらうのだから、それぞれ様々な思いを抱いてオーディションに臨んでくれたものと思う。  
 その中に、一際思い悩んだ表情の応募者がひとりいて、オーディションが始まっても彼女はなかなか動くことができず、理由を聞いてみると、障害者を演じること、障害者を形態模写のように「真似」することそれ自体に抵抗感があり、納得できないままオーディション会場に来てしまったというのだ。これは、簡単に演じていいものではないし、不謹慎であるとも言えるのではないか、と彼女はいう。  
 これは、非常に重い問いかけであった。彼女はつまり、演じることへの疑問を通じて、映画製作それ自体に疑問を突きつけたのだ。  
 私はそのとき、考えながら、こんな感じのことを答えたように思う。
 
 確かに難しい問題だと思います。演じたくなければ演じなくても構いません。納得できないままやるべきではないと思います。ただ私たちは考えなくてはなりません。俳優にとって演じるということはどういう意味を持つものでしょうか。これは、なぜ映画監督である私は映画をつくるのか、それとも重なってくることです。  
 映画を作ること、世界に向けてカメラを構えることは、私にとって世界を見つめることであり、それはこの不可解な世界をよりよく理解したいと思うからです。他者を演じるというのも、つまりはそういうことではないでしょうか。  
 私たち健常者にとって、障害を持った方はときにやや遠い存在かも知れません。その気持ちを理解できると簡単には言えないでしょう。しかし、それは本質的には健常者であるか障害者であるかは関係なく、そもそも人間は誰とだって遠い存在で、誰を演じるにしてもそこには畏れが伴うはずです。分からないからこそ、映画を作ることを通じて、あるいは演じることを通じて、他者をより理解し世界を知ろうとするのではないでしょうか。障害を持つ方をよりよく演じようとすれば、実際にその障害について理解しなくてはなりませんし、どういう気持ちなのかも想像しなくてはなりません。ときには障害者の方と直に触れ合い、その仕草や表情をじっと見つめなくてはならないでしょう。それは必ずしも不誠実なコミュニケーションとは言えないでしょうし、演じ手の世界をより広げることになるのではないでしょうか。  

 こんな感じのことをそのとき、もうちょっと吃りながら、話したと思う。この答えが果たして正しかったのかどうかも分からないし、どれだけ彼女が納得してくれたかも分からない。とにかく彼女は彼女なりにおずおずとではあるものの、演じてみせてくれて、オーディションは無事に終わった。  
 この彼女との対話を通じて、私自身が芸術表現の意味について再考できたことは、私にとっても貴重な体験だったと思う。  
 演じることを学ぼうとしている皆さんに私なりに伝えたいのは、俳優になることの価値は、必ずしも職能として映画やテレビや演劇で活躍する機会を得ることだけではない、演じることを通じて他者を知り世界をよりよく知るきっかけとなることにあるということです。  
 映画美学校に限らず、新人俳優に向けての教育機関はいろいろとあり、そこで多くのことを学ぶことになると思いますが、そういった演じることの素朴な価値も心のどこかに留め置いておくと、演じることの楽しさを少しだけ底上げできるのではないか、とひとりの映画監督の端くれとしては思っています。

(深田晃司)