映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

月刊 兵藤公美 with 四方智子 12月号(最終回/全3回)

「ラジオのようなブログ記事」──それが『月刊 兵藤公美 with 四方智子』。

俳優・兵藤公美(映画美学校アクターズ・コース講師)が、映画美学校事務局の四方智子と共におしゃべりする企画です。

初回の12月号は「20代の頃について」をテーマに、四方家にて手作り料理を嗜みながらの楽しい収録となりました。(収録日:11/20)

※いきなり超真面目な話になったり、わけの分からない近況報告になったり、話があっちゃこっちゃ飛びまくりますが、あえてまとめず・なるべくカットせず、むしろそれを押し出しています。「ラジオ感覚」でお付き合い下さい。

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──…………もう今日、一応決めていたトークテーマの「20代について」とかどうでも良くないですか?(笑)

 

兵藤公美(以下兵藤) そうだ! 20代に繋げなきゃ!

 

四方智子(以下四方) そうか、今日20代についての話するんだったんだ。

 

兵藤 忘れてた。繋げたい。

 

四方 私も忘れてた。

 

──もう録れ高十分ですから……

 

四方 でも公美さんは女子大生の時に演劇三昧だったからー

 

──無理やりいくんですね……

 

兵藤 そう。だから流行とかはなかったってことです。だからあんまね、女子とかそういうのを意識したこと、あんまないんだと思うんだよね。

 

 四方 女子を意識していないということは、男子も意識していないってことになりますよね? 男子、意識してました?

 

兵藤 う〜ん……

 

四方 何て言うんだろう、男子女子みたいなのって、分けがちじゃないですか。なんか公美さんは、そこをあんまり分けてない気がする。

 

兵藤 確かにそういう風な感じだったかも。演劇っていう1つのものを作らなきゃいけなかったから。

 

四方 だから私も、映画美学校に19歳で入って、その時は別に男子女子っていう分け方じゃなかったんですよね。1つの映画を作るためにみんなで協力する、みたいな。基本は、面白い映画を作るのだーみたいなのにみんな向かって考えているみたいな場にいたから、その時はなんだろう、ブランドもののカバンも買わなくていいし(笑)、洋服でこういう風に見られるみたいなのはあんまり思わなかった。それこそ女子大だったから、いまでいうカーストがやっぱり凄くあったんです。トップの子は読者モデルやっていて、地方から出てきたホントガリ勉みたいな最下層の子が、夏休みを経たら凄いギャルに変わってたりとか。そういうのも全部見ていたから、そういうものから上手いこと映画美学校に入ることで脱せられたっていうか。あのままでいたら、あの価値観の中に4年間いなきゃいけなかったんだなーっていうのはありますよね。あのまんまだったら、そういう価値観の中で考えてやっていかなきゃいけないし、多分それこそ就職氷河期だったんで、就職出来る出来ないとか、それこそ女子大だからいいとこに就職するしないとかも出て来ただろうし、っていう、それこそ本当に東京カレンダーのようなところに巻き込まれてたかもしれないから、なんか、打ち込めるものに大学の時に出会えて良かったなって、いまでは思いますよね。

 

兵藤 そうだよね。私なんか演劇しかなかったもんねっていう。でも大学の中で付き合っている人とかいたはいたけど……でもさ、結局別れるわけだし。なんか別れたら、ツラい・泣いて学校来られないとか…………「何やってんの?」って思ってた。

 

四方 (爆笑)

 

兵藤 「何しに来てるんだろ、この子? もったいねー」と思ってた(笑)。私は大学時代が超楽しかった!

 

四方 楽しそう(笑)。

 

兵藤 楽しかったよね〜大変だったけど、でも演劇作るの、楽しかった。

 

四方 いい意味で言いますよ? 公美さんは基本的に演劇バカだから(笑)。

 

兵藤 そうだね(笑)。ジャンキーだから私。

 

四方 演劇ジャンキーだと思う。だから、スッゴイ楽しかったんだと思う。それしか考えられない場所にいられるって、凄く幸せなことじゃないですか、好きな人にとっては。

 

兵藤 そうだねぇ。「ここで絶対恋愛したい」とか、そういう発想はなかった。

 

四方 そもそも、大学で演劇専攻に行こうと思ったのはなんでなんですか?

 

兵藤 それはね、高校で演劇をしていたから。映画演劇部だったんだけどね。

 

四方 映画もやっていたんですか?

 

兵藤 映画も撮っていたよ、8ミリで。そのためにわざわざ箱根に合宿とか行くの。

 

四方 高校生なのに? 凄い。じゃあ昔から演じたいみたいなのは想いとしてあったと。

 

兵藤 あったんだろうねぇ。でも、最初はエンターテイメントみたいなものに興味があったんだろうね。

 

四方 TVとか好きでした? 小っちゃい頃は。

 

兵藤 TVは好きだった。ドラマとか良く見ていたよね。

 

四方 でもTVじゃなくて演劇、ってなっていったんですね。

 

兵藤 そう。やっぱあの時やっていたドラマが、あまりにしょうもなかったっていうのがあるよね。80年代から90年代前半のドラマってさ。

 

四方 どれですか(笑)? 『抱きしめたい!(I WANNA HOLD YOUR HAND)』(1988)とかですか?

 

兵藤 一番ヒドいのはね『恋のパラダイス』(1990)っていうのがあったんだけど。

 

四方 ああー!

 

兵藤 本木雅弘とか鈴木保奈美とか、なんか男3女3の話で、ずーっとあの人が好きみたいなことで悩んでて…………「働かないの?」って思った。

 

四方 (爆笑)あの時代はほら、バブルですから。

 

兵藤 貧困でどうのとかさ、引きこもってどうのみたいな、そういうドラマはなかったの。ぜーんぶ、素敵なマンションに住んでいる大人が、愛だの恋だので悩んでいる人しか出て来なくて。

 

四方 そう。だから私、そうなれると思っていましたもん。

 

兵藤 ホントに!? 「うそやーん」と思っていたね、私は。

 

四方 あの頃まだ小学生で、トレンディなドラマの影響で、絶対に大人になったら、赤いハイヒールを履いて、カツカツ歩いて、丸の内で働くOLになってると思っていたんですよ。

 

兵藤 …………本当に…………または港区住まい?

 

四方 港区(笑)。いまで言う港区女子みたいになりたいっていう願望はないけれども、バリキャリの女にはなってると思ってたんですよ。ガッツリ働いて、ハイヒール履いて、メインストリームにいられると思っていたんですよ。

 

兵藤 あの時代のドラマにそんな働いている女の人、出て来たっけ? それって、働いているシーンはないけど、ただOLっぽい格好して、一応職業はOLだよっていうだけのやつでしょ?

 

四方 でも、制服じゃなくて、ちゃんとスーツ着てって思っていたんですよ。

 

兵藤 でもそういう大人、周りにいないしさ(笑)。

 

四方 そう(笑)。結局いないよねって思ったし、自分もならなかったし、周りにもいないし、本当にあれはただの幻想だったんだなって思うんだけど。

 

兵藤 私は逆に、なんか自分と遠い話だなって感じがしてた。

 

四方 へー。

 

兵藤 ドラマはねー、ホント私、距離感があったねー。だからなんか、こういう人たちは関係ないなって思っている時に、高校生の時に、NHKがバブルだったからか、結構ぶっ飛んだ「ニューウェーブドラマ」ってドラマを作っていて。で、それで見たのが、『ネコノトピア ネコノマニア』(1990)っていう作品。登場人物が、登校拒否の女子高生、これが工藤夕貴。多分母子家庭の子みたいな感じなのね。で、もう1人が真木蔵人で、いまで言う就職していないニート的な家出少年。普段は怪我もしていないのにギブスを巻いていて、それで夜中になるとジョキジョキ切って走る男の子。陸上の選手だったのを諦めた人だったのかな、確か。他には、ネコを100匹くらい飼っている、ちょっと認知症入っているおばあちゃんが岸田今日子。で、家族を置き去りにしてて、競馬ばっかりやっているおっさんが萩原健一。メインキャストがこの4人なの。それで、高校生の真木蔵人工藤夕貴が、恋愛にならないの! そこに私、スッゴイシンパシー感じて! 結局2人は恋愛っぽくならず、それぞれ旅立つって話なの! 真木蔵人が橋からバーンって浅い河原に降りて、工藤夕貴と「またねー」とか言ってバイバイするラストなんだけど、何て言うの、美しすぎなくて。その河原もすっごいショボい感じで、川にバシャンとかじゃなくて、なんかちょいダサな感じが凄くいいの。真木蔵人萩原健一はどっかの屋上に住んでるわけ。で、何かってあると、カネがなくなると「ネコおばさんのとこ行こうぜ」って言って、岸田今日子からネコをもらって保健所に売るっていう、そういう仕事をしてて。

 

四方 それは仕事なのか……(笑)

 

兵藤 だから要するにホームレスっぽい感じよね。そこに登校拒否の工藤夕貴が、学校に行かないでフラフラしているうちに出会って、3人で共同生活始めるっていう話。工藤夕貴は、泊まりはしないんだけど、ほぼほぼ一緒にいるっていう。で、岸田今日子との交流があったり、岸田今日子の家に工藤夕貴だけ泊まったりとかして、その猫おばさんの孤独とかを見たりとかするの。で、ちょっと気持ちがおばあさんの方に行ったりもするんだけど、岸田今日子は相当ボケちゃって、凄く距離感のある息子に引き取られちゃって、突然さよならすることになるの。でも若い2人が、最後は未来に向かってくみたいな感じにめっちゃ感動して。たまたまビデオに録ってたの。だからそれからそのドラマを見まくっての繰り返し。何でこんな面白いんだろうと思って。別に私、登校拒否でもなんでもなかったんだけど、やっぱリアリティを感じたのかなぁ。「こういうのも作れるんだ!」みたいな。「こういうドラマってあるんだ!」っていうのが衝撃だったんだよね。『恋のパラダイス』しかないのかなぁとみたいに思っていた時に(笑)。

 

四方 でも公美さんはさ、恋パラしか見てないのがダメなんじゃないですか(笑)。結構色々ありましたよ。

 

兵藤 いや、『東京ラブストーリー』(1991)とかあったけどさ。もちろん流行ってたし好きだけど、なんかリアリティを感じなかったんだよ。面白いってそんなに思えなかったの。でも「こんな話をやっていいの!?」「こんなに救いのない大人たちを描いていいの!?」みたいなものに出会ったってこと。萩原健一は結局、何で自殺をしたのかとか、理由も一切分からないわけ。最後、300万を競馬で取って、それを持って証明写真を撮って、お金を封筒に入れて多分家族に送って、その後首つって死ぬのね。で、それを真木蔵人が見つけるんだけど、別にそこで嘆き悲しむでもなく、ただ「あっ」っていう感じで、そういう受け止め方とか、その後を描かないとか、そういうのがなんか衝撃だったの。だけど、スッゴイさ、想像するわけですよ。萩原健一がなぜ死んだのかとか、説明はされないんだけど、でも大体分かるじゃん、とかね。それが結構TVでは衝撃の体験だったよね。『ネコノトピア ネコノマニア』はね、結構な私の分岐点ではある。

 

四方 それ、凄く見たいです。

 

兵藤 Amazonで買うわ、私。じゃあ次は上映会する?

 

四方 やりますか(笑)。

 

兵藤 見ちゃう? 小野誠彦(オノ セイゲン)っていう結構有名な人が音楽をやっていて、それもかっこいいんですよ。最後のセリフとか覚えちゃってるんんだよ? 凄くない? 17歳だよ、私これ見たの。

 

四方 でもその後見返してるんですよね?

 

兵藤 そうです、見返してますね。2年間くらいずっとそれ見てた。本当にいま監督がいたら会いたいもんね……いまだったら私会えるんじゃないかな!? 会いたい! 話したい! それでもう「こういうの好き!」ってなって、色んなことを全部映像で説明するみたいなのじゃなくて、「こんなんでいいんだ」っていうことにちょっと興味が向かっていったんだよね。で、それが多少青年団に繋がるっていうか。

 

四方 それでいうと、映画美学校の講師はそれだよなって思いました。

 

兵藤 そうだね。映画美学校にも繋がる。

 

──っていうか、『ネコノトピア ネコノマニア』で検索すると、上から3番目に公美さんが書いたブログの記事が出て来る(笑)。

 

四方 (爆笑)

 

兵藤 ヤバい!(笑) 私の衝撃のドラマ体験として書いたヤツね。

 

──「NHKのホームページ」「Amazonの販売情報ページ」で、その次です。

 

兵藤 すげえな!

 

四方 でも何か、見方がもうちゃんとしている感じですよね、高校生の時なのに。

 

兵藤 『恋のパラダイス』とかに違和感を持っていたわけだから。

 

四方 『恋パラ』が本当にイヤだったんでしょうね(笑)。

 

──嗜好って変わりませんか? 20代の時に好きだったものを、いまでも好きでいられるのってなかなか。

 

兵藤 あるよね。

 

──この作品に関してはそういうのはないんですか?

 

兵藤 ないね。いまでも多分好き。象徴的な人しか出て来ないじゃん? 社会の中で、わりとこう、当時だったらちょっと隠されている人なの。登校拒否の人とか認知症気味の人とか、フリーターとか、全員がアウトローっていうか。それってあんまり、時代的に作られてなかったと思う。それに高校生だったし、実際に会ったとしても目についてなかったんだよね。それでも何か凄く「これは何となく状況は分かるぞ」とか思えるという。『恋のパラダイス』とかやっぱり分かんないわけ。

 

四方 もう公美さん分かったよー(笑)。

 

兵藤 だって『抱きしめたい』とかはさ、毎回ラストシーンがさ、浅野ゆう子がさ、自分の家のロフト・中2階みたいなところからカラオケしながら降りて来るっていうやつで。

 

四方 そうそう(笑)。

 

兵藤 「こんな家ある!?」と思って。やっぱりね、リアリティ感じられなかった。

 

四方 だけど……大人になったらあんな生活出来るんだって、小学生の頃の私は思いましたよ(笑)。きっと港区にはああいうマンションがあるんだなって(笑)。当時はお台場はなかったけど……

 

兵藤 だからまさに「夢の島」みたいなことでしょ? 霞だよね、それはもう。でも私、そういう人とは友達にはなれないなとは思っていた。

 

四方 私は夢見る少女だったから全然そんなことは思わなかったですね。映画美学校通ってなかったら、全然違かったかも。それこそもしかしたら私も港区に住むマダムとかになっていたかもしれない(笑)。リアリティないな〜。

 

兵藤 全然違うなぁ〜そう考えると私、マジで演劇しかやってないなぁ〜本当にそういう界隈と縁がないから。

 

──将来について全然迷ったりはしなかったんですか?

 

兵藤 うーん……無我夢中にやっていた、みたいな方が近いかなぁ。迷うとかはなかったよね。

 

──よくアクターズ・コースの修了生とか知り合いの若い役者さんは、会うとやっぱり色々迷っていたりすることもあるんですよね。そういうのはなかったんですか?

 

兵藤 そうだねぇ……そういうのはなかったかも。でも、桐朋学園大学に落ちていたら、演技は諦めるみたいなことは親と約束したような気がする。それで桐朋に入れたから、演劇科だし演劇やらなきゃしょうがないってなるじゃない? 卒業する時に1つ決めていたのが、もうお金を払って養成所とかには行かないってことだったの。もう大学で4年間やったし、すぐプロとして使ってもらいたいって思っていた……おこがましいよね、いま思えば。そしたら、どうやら青年団が団員を募集しているって聞いて、そのままオーディション受けて青年団に入って、っていうところが、まぁ大きいっちゃ大きいかもね。私の俳優人生の始まりなんて結局そこからだから。青年団で演劇のルールみたいなことを学んでみたいな感じだったよね。「俳優ってこういう仕事なんだ」「こういう考え方するんだ」ってこととかは、全部劇団に入ってから学んだから。それで入ったら入ったで、凄く忙しかったの。いまの無隣館みたいに創作課題はあるし、バイトはしなきゃいけないし、新人だから折り込みにも行かなきゃいけなかったし、同期とも自主企画とか色々やってみたくなったし、アゴラで劇は観放題だから劇も観なきゃいけないし、旅公演もあるし、みたいな。劇団に入っても目まぐるしく忙しくて、そういう風に悩んでいるヒマはなかった。そういう状態のまま、25歳くらいまではワーッと駆け抜けて来る。で、それから26、7歳くらいで客演とかをしだして、色々な演出家がいるんだってことを知っていくっていう。でも31、2歳の頃とかに、俳優としての自分の身の振り方をどうしようかと思った時はあったよ。でもそれは「演劇を続けるか辞めるか」とかそういうことじゃなくて、誰とどんな仕事をするのかとか、そういうことでは悩んだ。で、当時は自分で決めた方向が、それで良かったのかも分かんないっていうのは凄くあったよ。その頃は悶々としていたよね。まぁその間、出演する舞台はあるからやっていくんだけど、その時自分が下した選択を「これで良かったんだ」って思うまでには時間がかかったよね。大きな選択だからね、俳優としてどう生きるのかっていうのは。それはいまのテーマでもあるしね。今後自分が何をしたいのかなぁとかね。でもそれはちょっと20代の頃とは違うよね。「何でもやりたい!」みたいな感じではなくなっているしね。

 

四方 自分で何か立ち上げるみたいなのはないんですか? カンパニーを立ち上げるとか。

 

兵藤 そういうのとかもね、やってもいいんだよなって最近ふと思ったりもする。でも私、結構演出家とかはもの凄く特殊な仕事なんだっていう刷り込みがあるのかもしれない。俳優と演出家は全く違う仕事で、私には到底出来ないみたいな思い込みがあるのかもしれない。普通にやってもいいはずなのにね。

 

四方 私から見ると講義とかでもやっていることだと思うから、そんなに気負うことなのかなとも思っちゃうんですけどね。

 

兵藤 そうなんだよねぇ。やっぱりね、俳優はそういう教育をされていないっていうのはあるよね。俳優って、まだまだ日本の俳優っていうのは一番地位が低いみたいなことが、私の中にはまだあるんだなって。

 

──俳優の地位が低い!? 演出家が上ってことですか?

 

兵藤 そう。

 

──そうか、劇団だったらそうなんですか。商業映像の世界だと、むしろ逆ですからね。芸能事務所とスポンサーが強いので。

 

兵藤 商業映像だと役者が高級小道具として扱われるからね。

 

……終わらないラジオ。

ここからまだ1時間以上話は盛り上がりましたが、今号は一旦ここでお開きと致します。(構成:スズキシンスケ)