映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2021、9/1(水)開講決定!

高等科生の現在/アクターズ第3期修了・酒井進吾さん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第四弾はアクターズ・コース3期を修了した酒井進吾さんです。

——アクターズ・コースに入るまでに、演劇ってされてらっしゃったんですか? 

酒井 僕小田原なんですけど、社会人の劇団に入ってたのかな。なんかまあ演劇好きな連中が集まって年に一回、公民館っていうか市民会館みたいなところでやる、みたいな。そういう感じのものをやってましたね。 

——社会人劇団に入る前までは、演劇には関わりはなかったんですかね。 

酒井 大学の時に、観劇サークルっていうのに入ってました。その時金沢にいたんですけど、月に1,000円か2,000円払って演劇を観に行く、みたいな。 

——上演するんじゃなくて、観に行く。 

酒井 はい、観劇だけのためのサークルで、あと一切何もないという。 

——じゃあ、その社会人劇団に入ったのは、観劇体験がきっかけなんですかね。 

酒井 きっかけはあれです。それまでバンドやってたんですね。バンドでラッパを吹いてて。そのバンドも、まあ好きなことやってるバンドだったんですよね。で、なんかある日「もうちょっと音楽理論勉強したら伸びるのに」って言われた瞬間、なんか壊れたんですよ。「えっ?何言ってんの?何言ってんの?」みたいな。壊れて、それから全然そのバンドを続ける意思がなくなってしまって。やーめた、って言って、やめちゃったんですよ。で、そのバンドの周辺にいる人たちに「マイクをやってくんない?」って言われて。なんだか知らないけど、ミキシングかなんかやんのかなと思って行ったんですよ。そしたら「マイク」っていう役だったんですよ。人の。 

——「マイク」役。 

酒井 まあ、そういうどうでもいいきっかけで。「やってみる?」って言われた時に、やっぱバンドやってたっていうのがあって、人前で何かやってるっていうことに意味があったんでしょうね。「やりたい」って自分が言ったっていうことは。ひとごとみたいにいいますけど。で、やってみて、演出家の言ってることが分からなかったんですよ。どっちかっていうと感情系のことを言われたんですね。感情っていう言い方はしないけど「そういう表現じゃないほうがいいな」とか。「えっ、何言ってんのこの人?」っていうか。どうみても正解はないじゃないですか。まあ、その人の正解はあるんだろうと思うんですけど。分からなかったんですね、全然。
 で9、10年くらいやってたんですかね。ある日主宰の人が「解散します」って言ったんです。それが2013年、アクターズに入る‥‥いや違うか。その一年前になくなって、「あっそうですか」って言って。でもなんかムラムラしてて。だんだんその、分からない演劇に興味を持っていったんですよ。で「行ったらわかるのかー?」と思って。その頃は(アクターズ・コースは)一年間だったんですね。「あっ、一年間頑張ればなんか分かんのかな」と思って行った、っていうことですね。 

——アクターズ・コースで一年間やって、何か分かりました? 

酒井 いや、分からなくていいんだって思ったんです。答えは。分からないものが好きなんですね、私。分からないと興味を持たないっていうことがあって、で、研究やってるんですけど、研究では、分からないことが出発なんですよね。大抵のものは。分からないものに対してどうやってアプローチしていくかみたいな感じなので。今の研究は分からないことは棚の上に置いときますけどね。分かることをカスタマイズする時代なので。ある意味頭いいなあって思いますけど。だから、分からなくてもいいというか、なんかいろんなことを放り込んで、実験に似てるなと思ったんですよ。「あ、演劇って実験してればいいんだ!」っていうのは思いましたね。それから小田原に戻って、一回自分で書いて演出して、上演をしたんですけど。創るっていうことは、(アクターズ・コースに)行ってなきゃまずしなかったですね。 

f:id:eigabigakkou:20210128135255j:plainアクターズ・コース第3期実習作品『どきどきメモリアル』(古澤健監督)

——私、完全に文系の頭で全然分かってない気がしてならないんですけど‥‥所謂国語とかとは違って、理科とか数学って分かりやすさ、答えが明快に一つあるのかと思ってたんですけど。‥‥あ、でもその見つける過程がすごく時間がかかるということなんですかね。 

酒井 見つからないですね。分からないものを、自分なりに正解を客観的に人に伝えなくちゃいけないわけじゃないですか。「ST○P細胞はあります」みたいな。ああいうノリになってくるわけですよね。まあぶっちゃけ言うと(笑)。半分、半分どころかそれを論文に書いたりしなくちゃいけない、まあ、会社はそれを仕事として認めてませんけど。でも、書くわけじゃないですか。だから、何をもってそれが「本当だ」というのを自覚しないと書けないんですよ。逆に言うと、他の人の論文を読んで他の人と同じことをやっても、なかなか同じ答えは出なかったりするんですよ。やっぱり。ただ、まあ当たり前ですけれどもすごく影響力のある素晴らしい論文っていうのはやっても同じ結果が出ますよ(笑)。だからそうなってくると、やってることが本当に起こるかがまず示さなきゃいけないことで。「誰がやっても起こる」とか。ST○P細胞になりますけど、だんだん。そういう世界になってくるんですよ。‥‥それを自分で判断をするってことですよね。
 あ、昔、上司と喧嘩したことありました。「統計的に有意だから、この差はあるんだよ」って上司に言われて。「いや、ないですよ。1.1倍しか変わらないですよ」「あるの!」って言われて。「有意差がこんなについてんじゃん」って言うですよ。本当はその統計のアプローチって、この二つが、「差がない」と仮定したら、「差がない」ことがおこるのは5%よりも下だから十分「差があること」はおこりうるってことなんですよ。だから効果を言ってるんじゃないんですよね。それは「差がないことはめったにおこらない」って言ってるだけで、結局その10%の差っていうものを、他者に伝える度胸があるかって話ですよ。もし、それを上司の言うように「出ました」って言って隣にぱっと伝わって、隣の人間がやったとして出んかったら、ぶっちゃけおしまいじゃないですか(笑)。「大丈夫だよ」って何を根拠に大丈夫って言ってんのかよく分からなくて喧嘩したことはありましたね。‥‥なんか、何の話にもつながりませんけど。 

——いや、面白いです。逆説的な感じがすごく。 

酒井 「差がないことはめったにおこらない」っていうことが正しい言い方。起こってる効果を言ってるんじゃないんですよね。でも、有意差主義っていうのがあって。有意差がついちゃったら、「統計的に起こってることだから、次いってみよう」によくなっちゃうんですよ。そうすると、3回目くらいで転ぶっていう。3回も有意差は続きませんから、確率の掛け算みたいになってくるんで。だから怖いんですよね。データを自分で「マジだ」って言うのは。‥‥だから、分からないということに対してそうやって、自分の中で自分なりの物差しを使って再現をみてくことは好きだったんですよ。だから、分かるということよりも「これはおこるんだ、本当に?」程度ですね。そんなことをずーっとやってましたね。 

f:id:eigabigakkou:20210128135520j:plain『額』舞台写真

——実際にご自身で作品を作った時、テーマにしたこととかあったんですか? 

酒井 『額』っていう作品だったんですけど。ちょっとありがちっていえばありがちですけど、大きな額が舞台の中にあって。女性の画家がその絵を売りに来て。美術館の椅子みたいなところに座ってるんですよね。そこに、Aっていう男と、Bっていうのは昔恋人だった男。もう破綻しそうな男B、その男が「売ろう」って言ったわけですよ。その絵を。で、絵に対してすごく興味を持ってる男Aっていうのがいて、ぐじゃぐじゃするっていう話です。額だけなので絵っていうのはそこにないんですけれども。Aから見たCみたいなのがあって。みんなそれに対してのCに違う感覚を持ってて。で、ひっくり返すと額って見てるものと見られるものが逆になったりするじゃないですか。「面白いかも」って感じでやってみました、みたいな(笑)。うまく説明できませんけど(笑)。  
 売りたくない女性の画家と、売らなきゃ芸術にならないんじゃない?っていう男と意見が対立して、男は「いい作品だ」っていうふうに分かった、同時に自分が無能だと分かった。同じように画家を目指してたわけですよ。だから売りに回ったと。で、女の画家の方は「意味わかんない」っていうのでぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃあって、それでその、来た男Aが茶々を入れるっていう話で。でその、見に来た男の過去の経験と、女の画家の、男との過去の経験がだぶったりするのもあって。要するに「額」って切り取って「作品にして留めちゃう」っていうことと、女の画家がやりたかったことっていうのは切り取ることじゃなかった、っていうことが、こう「どっちなんだ?」っていう感じです。どっちなんだ、っていうかどっちもなんだろうね、っていう話です。 

——今聞いてて、美意識のこととかをなんとなく考えてたんですけど。額縁に絵がそもそもない、ないものに対して人間が語るとか、不思議な世界観ですね。 

酒井 それを、なんとかっていうアーカイブにあげたんですね。脚本をこうシェアできる。そしたら2回上演されて、その作品が。その時は嬉しかったです。一個が高校生だったんです。で、もう一つは名古屋の大学生の演劇サークルだったんですけど。名古屋は観に行けなかったんですけど、高校の方は観に行けて。演劇部に「難しいんで解説に来てください」って言われて。それを選んだ子も「面白そうだからやってみようと思いました」みたいな感じだったんですけど。なかなか面白かったですけどね。 

——いいですね、自分の作品を他者がやってくれるって。 

酒井 そうですね、へええーーーって思いました。 

——しかも高校生が。 

酒井 県大会があって、代表には全然なれなかったんですけど。審査員のコメントが面白かったです。「よくこんな作品を選んだね」って言われて(笑)。面白かったですね。でも結構、よく覚えてないですけどいいコメントをいただいたと思います。 

——『額』の後は、作品は作ってらっしゃらないんですか? 

酒井 今ちょっと稽古してます。稽古してるんですけど、またコロナでぐじゃぐじゃで色々あって。やるよやるよってずっと嘘ついてるみたいな(笑)。 

——それは舞台作品? 

酒井 まあ舞台でしょうかね。人前でやるっていう意味では舞台ですけど。『額』っていう作品も会議室でやったんですよ。 

——劇場とかではなかったんですね。 

酒井 なかったですね。そんなお金があるわけでもなかったし。借りれたらいいわ、みたいな。今回も借りれたらいいわ、みたいな感じです。

——舞台ではなく、映像を作るっていう方向にはいかないんですかね? 

酒井 うーん。いかないですね。私物覚えも悪いですし滑舌も悪いじゃないですか。カットに集中するっていうのは怖いですね。映画美学校まわりの自主映画とか、そういうのにはいくつか出たことがあるんですけど。一緒にやってすごく楽しい人たちもいましたけど、なんていうんですかね。迷惑感この上ないですよね、この私が、周りのスタッフに対して。うまくいかないと(笑)。なんていうのかな。あの雰囲気に対して。いや、俳優以外の皆さんすごくいい人ですよ。でも、いい人っていうのがいないじゃないですか、演劇作っている時。なんていうんだろう、ある意味、スタッフの方が観客に見える‥‥観客でもないのか。でも、ありえないものが存在してますよね。カメラとか。ある出来事をみんなで創っている意味では同じなんでしょうが。なんか違いますね。 自分が未熟なだけなんですが。でも、「出演、どうですか?」って言われたらすぐ「はい、ぜひ」って受けますけど。そういうきっかけは大切にしようと思ってますけど。どっちのが好きかって言われたら、演劇の方が好きなんですかね。 

——見るのも演劇の方が多いですか?あまり映画館には行かれない? 

酒井 いや、映画は見ます、わりと。それも映画美学校に行くようになってから見るようになったかもしれないですね。映画って本当に『スターウォーズ』とかしか観てなかったです。所謂超娯楽大作しか観なかったですけど。そういうものじゃないんだ、っていうことに気づきましたからね。だいたいあの、地方にいると小劇場みたいなものってないじゃないですか。だから、こんなに幅広い作品があるっていうのはほんまに社会人になるまで知りませんでした。それに「創る」っていうことが映画美学校なんで、「創る」って視点で映画をみるとすごくいろんなものがあって面白いなぁと思いました。ざっくり言ってしまうと。 

——その、映像の現場が苦手ってなんなんですかね。 

酒井 なんでしょうね。映画ってやっぱりこう、自分の感覚じゃないところがあるじゃないですか。その人の足元みたいなところに顔が映ってたり・・・自分の五感じゃないところに「ある画角がやってくる」みたいな。あれが苦手です。「この一瞬に鼻の穴撮ってんのかな、今?」みたいな。「何してんだろう?」みたいな。「はい、OKです」って言われても分かんないじゃないですか。(撮った素材を)見せるところもありますけど。で、ラッシュとかがあって「うわーー」みたいな(笑)。 

——最終的に作品になったものを見ても「うわーー」ってなります? 

酒井 作品になった時思いますね。ラッシュの時は全部あるじゃないですか。「えっこれ撮ったんだ?へえ‥‥」みたいな。まあそれはそれで別に、うん。でも作品になったら、「え〜〜こうなる」みたいな。編集作業に加わったわけでもなんでもないわけですからって思いますけど。なんか刻まれた感あります。自分が未熟なだけですけどね。演劇が好きなのって多分、人間が人間を見てるっていうこと自体の情報量が多いからのような気がするんですよね。私なんか、台詞覚えも悪いけど台詞を聞き取るのも悪くて。劇観に行っても、自分と波長が合わない台詞は流れていってしまう。何言ってんのか分かんない状態にすぐなってしまう。どっちが妹でどっちが姉だったっけ?みたいな。でも人の動きをずっと見てるのは好きなんですよ。そっちの方ばっかり見てたりとか、音響とか光り具合とか、そういうものに興味がいってしまうのも多くて。「人見てないじゃない」って言われるかもしれませんけど。
 人がどこ見てんのかって人の勝手で、言葉を聞きながら何を見てるのかって勝手じゃないですか。そういう勝手感も演劇って生々しいっていうか。いいのかなって思いますね。それが映像になって切り取られてしまうと、ある種の物体のように見えます。彫刻みたいに周りに回ったら変わることもないですよね。逆にいうと、完全に受動体になってみようと思ったり。私にカメラマンの目と耳をつけた・・みたいに観ると、結構面白かったりします。色んな作品が。 あと演劇って、何遍も何遍も繰り返してできるじゃないですか、同じことが。それがいいんでしょうね。何遍も何遍も実験して、有意差じゃないけど。再現性を探り合うみたいな、なんか似てるんですよね、そういうことが。

——確かに稽古って実験ですよね。 

酒井 そうなんですよ。実験とすごく親和性が高いなと思って。演劇楽しいですよ。でも残ったりするわけじゃないですけどね。 

——そこ好きですけどね。残らなさ。 

酒井 それはそれでいいんじゃないのかなておもいます。 

f:id:eigabigakkou:20210128135453j:plainle9juin 『娘、父、わたしたち』 (作・演出 藤井治香)舞台写真

——観劇してて、「この舞台は良かったな」「このシーンは未だに覚えてるな」っていう舞台あります? 

酒井 やっぱり私、一番衝撃的だった舞台は青年団ですよ。「なんじゃこりゃ?」って思いましたもん。素朴に驚いた。なんだこれは、みたいな。今まで演劇とは人の前でパフォーマンスをすることだって思ってきた人間だったんで。あとは松井(周)さんの作品ですね。気持ち悪いじゃないですか。気持ち悪いこと、分からないことって、自分にとってはすごく近いことなんで。なんでこんな気持ち悪いのこれ?って。‥‥っていうか半分は、ストーリーや背景っていうのもありますけど。最近なんか、そういう気持ちわるさみたいな感覚的なことにぶつかってます。「演劇で何がしたいんだ?」みたいな(笑)。 

——それは自分に対してですか?

酒井 そうですね。何を創ろうとしてるんだ?っていうことすごく考えます。なんか、「フィクション」ってよく出てくるじゃないですか、(アクターズ・コース高等科の山内健司さんの)「演技論演技術」の講義で。フィクションの意味がよく分からない(笑)。 

——あれってなんなんですかね?私も、前に「浅田はフィクション性高い」って昔言われたことがあって、全然分からなくて。

酒井 そう。分からないんですよ、フィクション。フィクションがでかいって何?みたいな。 

——フィクションの意味は、虚像、嘘、作り話‥‥虚構性が高い?物語性が高いっていうことですかね。 

酒井 逆にいうとそういうこともありますよね。どこが、何がフィクションなの?みたいな。 

——そう考えると、フィクション、ノンフィクションの境目もなんだか。 

酒井 安部公房の演劇論があった時に、「仮面」って出てきたじゃないですか。仮面被ったら自分の顔じゃないんだから「嘘」だよね、みたいな。でも仮面っていう実在するモノを被るわけじゃないですか。ああ!って思ったんですけど。じゃあ、モノに嘘があってもいいわけですよね。空間に嘘があってもいいし、心の中に嘘があってもいいし。社会に嘘があってもいいわけじゃないですかなんか、心の嘘みたいなそんな心情的な描写が得意なわけでもないし、何の嘘つきたいの?みたいな(笑)。で、ふと戻ると『額』のことも嘘だったのかなって思うわけですよ。舞台の上に額があるって嘘ですよね。じゃあそういうものをポンと出すことによってああいうことが起こったんだって最近思うようになって。で、なんかポンって出せばいいんだって最近思ってて(笑)。なんか「出す」とか極端に何か「無くなる」とか。なんかそんなんでいいんじゃないの?みたいな気がしてて。 

——嘘を考え出すと、逆に「本当」って何なの?とかすごい手繰って考えてしまって。 

酒井 本当っていうものが、ぶっちゃけて言うとないじゃないですか。対極として嘘と本当を1軸にしたところで、ここからは嘘、とかはないわけですよね。本当とフィクションって常に表と裏みたいに同時に存在してるものじゃないかなって。そう思った時に、面白いことが頭に浮かぶのかなーと思って‥‥何にも浮かばない今日この頃ですね。 

——関西にいた頃、顔を白塗りにして作品を何個か作ってたんですけど。今思うとそれを「仮面」というか嘘にしてたんだろうなと思うんですけど。コンクールに出した時には「意味が分からない」ってめちゃくちゃ言われましたね。 

酒井 意味が分からないっていうじゃないですか、人って。意味が分かる方がびっくりするというか「本当に意味分かってんの?」って思うじゃないですか、どっかで。「えっ何分かってんの?」みたいな。自分も分かんないのに分かったんだ、みたいな。わかる・わからないって真実・フィクションみたいだなぁって。今稽古してても、「使ってる日本語がおかしい」とか言われますけど。意味分かんないって。「いや、分からなくてもいいです」って言うとみんなドン引きして。(笑)。

——演出が言ってることが分からないと作品作れないから(笑)。 

酒井 「いや、とにかく普通にやってみましょう」みたいなことを言ってるんですけど。その普通が感覚的にこっちからみるとちょっと違うフィクションだったりするわけじゃないですか。ある人がやってるものが。逆に「そのフィクションもありなのか?」みたいな。フィクションの付け所っていうのか。でもそういうところのフィクションはどうでもいいんですって言ったら、またまたなんか大変になっちゃいますし。大変なことっていうか、みんなで楽しんで創ってるんでいいっちゃいいんですけど。 

——だから今、「演技論演技術」で古今東西色んな人が自分のやってることに意味をつけたりとか、「これが私の演技術だ」って本を書いていることが、本当に凄いなって思いますね。 

酒井 それがある意味フィクションですよね。多分。言語化して何かのフレーム、一種のマスクじゃないけど、そういうものを創造して反応として何か出てくるっていうことをリアリティーってしましょうみたいな。そのフィクションに対して、なんかこうなっちゃった、っていう方がリアリティーみたいな。そのまあ例えば、「横隔膜の高さ!」とか降りてくるにはとか‥‥それによっておこる人間の反応が面白いんでしょうね、多分。そういうことから思うと、フィクションを言語化できるって凄いなと思いますね。 

——その演技論の本自体がもはや「演劇」に見えるし、その本をふむふむって読むことの行為がもはや面白いなと最近思って。 

酒井 そういったものが根底に流れてる戯曲って、もうそれだけで凄いんでしょうね。そういう風にしなくても、違うように料理できるかもしれませんけど。‥‥だって演技論聞いて、その人の演技見て「うん、なるほど」って言ってるのが観劇なのか?みたいな気もするし。美術館に行った時、最近多いじゃないですか。説明があるのが。「この展示はこういうテーマに乗っ取って書いております」みたいな。読んじゃいますけど。絵を見て。題名を見るみたいなことをやれなくなっちゃう。自分が弱いだけなんですが。それを見ちゃうと。そもそも背景こうだよ、みたいな。ああいうものを見ちゃうとえ~どうしよって思います。なんか、もうダラダラっと置いといてくれよ、みたいな(笑)。 

——まず見て、自分の感覚で感じたいですよね。そのあと背景があるならあるで、もちろん知りたいですけど。最近情報が凄い過多な気がしてます。優しくしようとしてんのかは分からないですけど。 

酒井 なんか、分かりやすいことがすごくいいこと、みたいになってきてるんで。どんどん。 

——分かりやすさを美徳とするあの感じ、なんなんですかね。 

酒井 気持ち悪いですね。‥‥やっぱり、なんか共有したいからじゃないですかね?(笑)。なんかこう、情報量を減縮して共有したい、みたいな。「あーそこ分かる」みたいな一つのことにして。 

——それってなんか独裁的な、ナチス的な何か凄い恐怖を感じる。 

酒井 そうそう、だから怖いんですよ。みんな好きなことをやってる時の盛り上がり方とか、導火線があったら「ボン!」といったらみんな「ボン!」っていくんちゃう?そういう気もあって。怖いなーと思いますね。 

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標本室『セルフサービス』(構成・演出:松井周)

酒井 今はあれですか、浅田さんはどっかで稽古に励んでたりするんですか? 

——今は、一つの作品の稽古っていうのは高等科の俳優レッスンの稽古くらいですね。一度、アクターズ同期の子と神社で別役実の作品をやったのは面白かったですね。最後にギロチンで人形の首を飛ばしたりとかする結構過激な内容を神社で。あと、稽古途中で御神体に背を向けてやってもいいのか?って話になって、神主さんに相談したら「あ、御神体の鏡を隠すので大丈夫ですよ」って言われて。 

酒井 紙(神棚封じ)も貼ったってことですか? 

——あ、紙は貼ってないですね。私がやったところは、御神体の扉を閉めればOKでした。 

酒井 家でもあるじゃないですか、仏壇と神棚があって、「法事やるときには紙貼っとけ」って。まさに、紙がフィクションっていうことですよね。そういうの何かないかな、と思ってるんですよ。最近興味持ってるのが、時々「演技論演技術」のところにも書いちゃってますけど「脱人間中心主義」とか。人間が考えているわけですけどね、演劇とかも。人間から生まれてきたのかもしれませんけど。なんかこう、(「演技論演技術」の)岡田(利規)さんの時にもちらっと思ったんですけど。俳優が何かを演技してると、人間自体が浮き立ってこないっていうこともありますよね。だったら、立ってるだけでいいの?とか言われそうですけど。「じゃあ何するんだよ?」と言われると、「うん、何するのかな?」ってなっちゃいますけど。そういうのになんか興味があるんです。で、先ほどの『額』にしても、モノとか「何かがない」とかいうことのにすごく色々思ったりします。人間が右往左往してしまうっていうとそれで終わりなんですけど。特定の目的をもって誰かが誰かに何かをするみたいなところではないところというか。

——でもそうなると、所謂「現代アート」とかそういう方向にカテゴライズされてしまうんですかね。演劇になりえるんだろうか。 

酒井 アートっていうのも分からないですけど。なんていうんだろう、フィクションがどこにあるんだろう?と近いんですよ。例えば「風が見える」っていうのもフィクションじゃないですか。「風が見える奴が出てきて演技をするって何?」みたいな。音とかもそうですよね。うまく言えないんですけど。フィクションっていうか何か建てつけになるのかな?って

——その話聞いてて思い出したんですけど。先輩が田んぼで演劇やるって言って、昔観に行ったんですよ。田んぼにドン!って篝火みたいなやつがあるだけのところで。最初に「演劇やりまーす」って俳優が言って、篝火に火をつけて。そこから10分くらい何も起こらず、「何この時間‥‥」ってなってたら、俳優が出てきてゴロゴロ田んぼを転がって、転がり切ったら起き上がって「終わります」って言って終わったんですけど、あれはもうめっちゃ拍手しましたね。私一人だった気がしますけど、拍手したの。 

酒井 素晴らしい。素晴らしいというか、うん。 

——そうだよね!と思って、全部が腑に落ちたんですよね。 田んぼ、火、人間、ってあったらそうするわ!と思って。私が勝手に分かった気になってるだけかもしれないですけど。 

酒井 そういうことですよ。なんか。いや、地面があって、人間がいて、やることっていうか、そういう関わりってなったら、いろんなものが削ぎ落とされていくっていうか。うまく言えないですけど。地面に対する欲求みたいなものってもくもくと湧いてきたりするじゃないですか。人によって違うかもしれないですけど。そういうのは何だろう、演技とはちがってくるのか?とか。 

——物語があって、役があってっていうのも勿論好きなんですよ。ただあの時目撃したようなこともやりたいなとはずっと思ってるんです。

酒井 地方だから、とか言ってもあれなんですけど、なかなかそういうことに「楽しい!」って思ってくれる人が少ないっていうか、いないですよ。だいたい、「ああ、芝居をやってるんだ」って難しいというか。伝えるのが。

 ——他者への言語化っていうこともありますよね。私自身、俳優レッスン現在受けてますが、もちろん作品として仕上げたいという最終目標はありますが、相方を組む子との共通言語を稽古を通して見つけたい、自分の内面で思ってることをちゃんと言語化したいというのはありますね。 

酒井 言語化って本当にそうですねね、自分のボキャブラリーが少ないというか国語が嫌だったのを今本当に後悔してますね。 

——そうですか?すごく言葉を持ってらっしゃる気がしますけど。 

酒井 ないですよ。ないです。「なんか、1と2の間ね」みたいなことしか言えないんですよ。「AとBがあって、このへん」みたいな。そういう、仮想の軸があってこのへん、としか言えないというか。軸の言葉さえないんですね。こうしてみようということが提案できればいいんでしょうけど、それがなかなか難しい。分からないことばっかりであれなんですけど。 

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音のイメージ
——高等科受けても、結局分からないことばかりで良かったですね、個人的には。 

酒井 面白いですよね。でもなんか、何か創ってみようっていうネットワークみたいなものがあるっていうのはすごく羨ましいですよ。私的にいうと。地方のことばっかりいうのはあれですけど。探し方が足りないだけだろって言われそうですが。 

——いや、ネットワーク‥‥ほぼ断絶してるんで‥‥創作ってなると今一緒にやるっていう人はなかなか‥‥やろうねって誓い合ってる人はいますけど(笑)。 

酒井 ほんまに、ずっと稽古してますよ。ダラダラダラダラ(こつこつこつ)。みなさん、創るということに興味をもっていることは嬉しいんですが。何か足らないというか大切なものが見つかってない気がして。でも、ものすごく気持ち良くしたいんですよ、逆に。気持ち悪いのがすごく好きだから「何これ?」っていうぐらい気持ちいいってどおうなんだろう?とか。俳優が台詞を喋るじゃないですか。喋り方のリズムっていうか音っていうか身体にす~と通り過ぎてくみたいな。 疑問すらなんかもう右から左に全部流れていっちゃうみたいな。そういうのをこっちにしたら、別の世界が立ち上がらないかなと思って(笑)。ごめんなさい、抽象的なことばかり言って。 

——いや、どうやったら立ち上がるんだろうとずっと思ってました。 

酒井 言葉の意味じゃなくて音の意味とか、みたいな。すごく人間臭いこと言ってますけどね、逆に。ひっくり返してしまうと、いろんな自分の周りの音っていうのが、自分に話しかけてくるっていうようなことが立ち上がらないのか。風なことを考えてます(笑)。 

——すごく観たいですそれ。

酒井 すっごく面白くないですよ(笑)。人に話してすごく墓穴を掘ってるんですけど。むかーしそれを、覚えてないかもしれないですけど横田(僚平)さんに喋ったら、「酒井さん無謀だわ!」って(笑)。面白そうだけどね、なんか、なんだそれは?って感じですよね。「なんだか分からない」って言われて、そうだねー、みたいな(笑)。台詞っていうよりも人の喋り声に興味深々です。 

——むずっ。 

酒井 もうこうやって人に喋るごとに自分の首を絞めて、なんとかしないといけないと思うこのごろです。。 

——楽しみにしてます。 

酒井 今年中には上演にこぎつけたいですが・・。

 

酒井進吾(Sakai Shingo)
1961年生まれ。三重県出身。金沢大学理学部生物学科修士課程卒業。映画美学校アクターズ・コース第3期終了。
すきなもの:ナス、生姜、お酒
最近の興味:思弁的実在論・アート・太極拳
メーカーで研究員をやりながら、マイペースで演劇の世界を探索。現在、次回作にむけて稽古中。

出演作:
2016年『額』作・演出・出演 
2017年 『おそろし村』(加藤正顕監督)
2018年 le9juin 『聞き覚えのある名前』(作・演出 藤井治香)
2018年 le9juin『娘、父、わたしたち』 (作・演出 藤井治香) 
2019年 "Mistakes in Tokyo" (Steffan Griffiths監督)
2020年 8月 標本室『セルフサービス』(構成・演出:松井周) 

 

2021/1/19 インタビュー・構成/浅田麻衣