映画美学校アクターズ・コース ブログ

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自分という土壌を耕すこと 〜「俳優」という存在について(3)

◆俳優に問われるのは才能より努力

古澤 もうひとつ、お聞きしてみたいんですが。今回は平田オリザさんの既存の戯曲があったわけですが、「まるでアテ書きみたいだった」という感想を、多く耳にしたんです。僕もそう感じました。これは、どういう現象なんでしょう?
松井 まずは、オリザさんの本の力だと思います。人間がこう語りかけられたら、こう答えるであろうという予測を緻密に積み重ねて作られた本なので。それと、僕たちは、稽古場で試行錯誤をめちゃくちゃしています。いろいろと役を入れ替えて、本読み稽古を何回もしているし、役が決まってからも、何か言いにくそうにしていたら、一度言いやすいようにセリフを崩してみたり、何か動きながら言ってみたりしました。あとは「ちょっと無理してほしい」ということは言いましたね。何か緊張感のあるセリフを言う時、無理は承知で、それをキープしたまま言ってみる。自分の「無理」に意識が行くと、セリフの力が抜けたりするんですよ。
古澤 はじめから「この人はこの役がやれる」という確信があったわけではないんですね。ある役を振ってみて、その人がそこまでたどり着けるかどうかは、「演出家と俳優が努力を共有できるかどうか」っていうことなんですかね。
松井 そうですね。それができるかどうかは、最終的には、賭けだと思います。
古澤 それと以前、俳優に問われるのは、才能ではなく努力だともおっしゃっていましたね。

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(ダメだしが書かれた松井さんのノート)

松井 「才能」の二文字って、俳優が本当は自分でやらなきゃいけないことを、ある意味、隠蔽してしまうと思うんですよ。環境に対して自分がどう反応しているかを観察することや、身体の調子に意識的であること、精神面がタフであること。これらすべてはトレーニングで可能だし、どんな俳優もそれをキープしなきゃいけないと思うんですね。人とは変わったしゃべり方とか、ちょっとした可愛らしさだけで一生やっていけるほど、この仕事は甘くない。現時点で何らかの個性が人より秀でていたとしても、その幅を自分で広げていかないと、すぐ消費されてしまいますよね。自分にしかない武器を持ちつつ、別の武器を見つけていくことは、俳優なら常にやっておくべきことだと思います。
古澤 僕は、努力というのは、自分の外側にあるものに対して、きちんと耳を傾けることだと思うんです。自分の想定を超えた他者の存在に気づき、耳を傾けなければ、努力すら始められないというか。
松井 そうなんですよね。だから、日本の演劇学校にはすごく興味があって。いったい日本の演劇は、どんなふうに伝承されて、成果を評価したりされたりしてきたんだろう、って。
古澤 そのへんを明らかにするためにも、アクターズ・コースには様々な講師の方に参加していただきたいと思うんです。俳優の技術というのは天から与えられるものではなく、継承可能なものなのだ、ということを証明していきたい。でないと、俳優という職業自体に未来がなくなってしまいますから。
松井 僕は第1期と第2期の修了公演に携わりましたが、自分がどういう状況に置かれているのかを、みんな客観的に把握できていたんですね。「ダメなんです僕ぅ……」ってスネちゃったりする人がひとりも出なかった(笑)。すごくクールに山を登ってきたんだな、という印象を受けました。
古澤 おそらく映画美学校の良さは、映画監督も俳優も脚本家も育てるけど、個々人の「映画とは何か」「演技とは何か」「脚本とは何か」に関しては、何らかの特定した価値観を授けることはしていない点です。生徒たちの多様性は、多様性として残す。講師もすごく多彩だから、それによる戸惑いもあるだろうけど、でも、その戸惑いや混乱をも、僕たちは、よしとする。アクターズ・コース講師の山内健司さんがこの作業を「耕す」とおっしゃいましたが、俳優はまず自分の土壌を豊かに耕すことを覚えて、出会った映画監督や演出家から何らかの種を植えられることで、様々な花や作物を育てていく。つまり俳優の仕事というのは、作り手と俳優との間に生まれる何か、なんですよね。それを大らかに育てられる俳優が、ここから生まれてくれたらうれしいと思います。

(おわり)

[ 構成・写真:小川志津子]

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