映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2021、9/1(水)開講決定!

映画美学校アクターズ・コース、高等科開講中です

f:id:eigabigakkou:20201125202434j:plainこんにちは、映画美学校アクターズ・コース(「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」)です。
映画美学校アクターズ・コース、本来は2020年9月に記念すべき第10期を開講予定でしたが、今年度につきましては新型コロナウイルス感染状況を踏まえ、また、受講される皆さまの安全を第一に考え、新規募集は行わず、修了生を対象としたオンラインを中心とした講座とすることとなりました。

詳しくはこちらをご覧いただけたらと思います。

eigabigakkou.com

 

非常に忸怩たる思いでしたが、しかしこの状況下でも学びを止めたくないという講師陣および事務局の思いのもと、現在アクターズ・コースは修了生を対象とした「アクターズ・コース俳優養成講座2020年度高等科」を開講、9月から講義をオンラインを中心に始めています。

 

その高等科講義の模様をお送りするととともに、講師の紹介や高等科生の紹介などを行うことでアクターズ・コースについて多角的に知っていただけたらと思います。
記事は定期的にUPしていく予定です。

 

是非ご覧いただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします!

 

広報:浅田麻衣(アクターズ・コース第6期修了生)

アクターズ高等科・講師インタビュー(古澤健さん×竹内里紗さん)

f:id:eigabigakkou:20210601144546p:plain左上:竹内里紗さん、真ん中:古澤健さん、右上:浅田麻衣

2021年3月末を以て終了した、アクターズ・コース修了生を対象としたアクターズ・コース高等科。その高等科のしめくくりとして、「せいかつ発表会」が開催されました。
発表会では、『断片映画創作ゼミ』『映画創作ゼミ』および『映画の生成過程を観察・体験する』の参加者たちのゼミ内での成果の発表を行いました。
今回のインタビューは、せいかつ発表会を担当された古澤健さん、竹内里紗さん、広報(かつ映画創作ゼミ受講生)の浅田麻衣で3人でお話をさせていただきました。

映画創作ゼミ

https://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2021/02/19/171641

——『映画創作ゼミ』の企画は、お二人が話して企画されたんですか?

竹内 山内(健司)さんが「映画を作るゼミってどう?」って提案してくださった感じでしたっけ。俳優講師陣の方々がそういうことを勧めてくださったような。

古澤 (アクターズ・コース高等科の)年間の講義の内容を決める時に、結構早い段階で修了公演がないっていうのは講師の中でも決まっていたので、作品を作るような時間を作ろうっていうことだった気がします。

竹内 それで、じゃあ映画を作ろうかっていう。

古澤 そっちに重点を置くような流れだったと思います。 

——竹内さんの方(『断片映画創作ゼミ』)で各々の断片的な映画は作っているけど、集団創作で作りたいっていうことだったんですかね?

竹内 そうですね、私のゼミも含めてそれぞれ講師ごとのゼミがあって、最終的にどこにたどり着くのか、みたいなところで集団での映画制作はどうかということだったと思います。今回演劇の公演は、コロナの関係で難しそうっていうのもあって、映画の方がもう少しその小回りがきくというか、可能性があるんじゃないか?みたいな話になって。

——今回、(映画創作ゼミの)第一回目の講義でもう班分けをして、さあ作ろうね、みたいな感じだったと思うんですけど。講師が監督してっていうよりは、アクターズ・コース生が作品を作るっていうコンセプトは最初から決まっていたんですか?

古澤 そうですね。一番最初は、何本作品を作るっていうよりは、撮りたい人は全員撮ってくるような感じはどうだろう?くらいに考えてたんですよ。出演はするけど、スタッフや監督の方には回れない人もいるだろうし、逆にスタッフをやってみたいっていう人もいるだろうし、そこらへんは自由にしようっていう発想だったんですけど。ただ一番最初に、年間の授業の構想を練る段階では、コロナの状況っていうのが改善しているのか、それとも変わらないのかっていうのが見通しが立たなかったんで決めかねていました。年末近くになってようやく、どういう形でやろうかっていう話を竹内さんとしましたね。で、その中でお互い意見を出す中で、3班くらいの体制で、それぞれに撮ってきてもらうっていう方向が決まりました。班ごとに一本ずつみたいな形はどうだろう?っていうふうになって、で蓋を開けてみたら、申し込み時点よりも参加人数が減っていたので、まあそれならば2班体制にしようっていうところに落ち着きましたね。

——実際‥‥どうでしたか?映画創作ゼミ。

古澤 どうだったかの評価は、僕らよりも受講した浅田さんの方から伝えてもらったほうがいいかなーと思うんだけど(笑)。講師会議でも振り返ったんですけど、やっぱり僕の中では、期を跨いで今回集まっているっていうところがすっぽり抜けていたというか。やっぱりグループで創作するとなると、何をするかとか何をやりたいかっていうこと以前に、その人の人となりっていうのをお互いに理解した上でこのチームで何をしようか、とかこのチームだったらどういうことを言えるのかっていうことを語る時間が必要だったと思うんですけど、ちょっと勘違いしてたんですよね。今回は半年を通してみんなが参加するのではなくて、半年の中でいくつかあるゼミを選択してみんなが受講するっていう形だったので、このゼミ自体が年度の最後の方にあるけれども、みんなにとっては「初めまして」の場でもあるっていうことが抜け落ちていて。なのでうまくいかなかった部分もあったんじゃないかな、という気はしています。そこはこちらの認識と準備不足だったなっていう気はしてますね。

竹内 そうですね。結果的にできあがった作品が面白かったからよかったねって終わらせて良いのかというところで、反省点が出てくるというところではあるんですけど‥うーん。私も皆を見ていて、映画を撮る時って何を作るかももちろん大事だけど、どうやってみんながアイディアを出し合っていくかとか、どう作品制作に関わっていくか、みたいなプロセスをすり合わせていくこともかなり重要になってくるなと改めて思いました。そういう意味では、上手くいかなくて大変だったとは思うけれどそういうプロセス自体を体験するっていうことも大事だったのかなって思って。演劇の稽古とかだと、演出家と出演者同士である程度時間をかけて共通認識を作っていきながらの創作になると思うんですけど、映画はそれぞれ役職が異なる人が参加していることが多いし、全員が集まるのも一瞬で時間がないことが多い。この大変さは、初めてだから大変っていうのもあるし、期を跨いでいるから大変っていうのもあるけど、根本的に映画制作によくある大変さだなとは、思いました。

古澤 よく映画にとって「演出ってなんだろう」っていう話をすると、キャスティングの段階でほぼ9割演出が終わってるっていう話があるんですけど。それでいうと映画ってやっぱり、準備でほぼ9割なのかなっていうか。それはちょっと伝え方が難しいんですけど。演劇と映画を比べる時って、演劇は稽古の時間があって、で、本番に向かうじゃないですか。で、それと比べると映画っていうのは本番の時に、その日に初めてロケ場所に行って、で、テストが何回かあるだけで、初めましての人とお芝居しなくちゃいけないから、何も準備ができないまま、っていう言い方っていうか比較のされ方がある気がするんですけど。
 一方で、やっぱり監督の立場で言うと、その日にできることってほぼないんですよね(笑)。ちょっとした軌道修正、「そこ、大袈裟かなーっていう気がするから、ちょっと抑えめにいこうか」って言ったりするけど、根本的に俳優が台本を読んでキャラクターを自分で作り上げてきたら、それを根本から変えることって不可能だし。あるいは、演技指導って言い方あるじゃないですか。演技指導って、ありえないと思うんですよね。限られた時間の中で、全然芝居ができない人に「よし、じゃあ1時間で芝居できるようにしよう」なんてことできないし、ならやっぱりそういう意味でいうと準備の段階、キャスティングの段階である程度決まっちゃうなーって思うし。竹内さんが言った通り、それはキャスティングだけじゃなくて色々な準備をきちんとしていれば、その時間が一番大事なんだなっていう気がすごいするんですよね。
 「映画の撮り方って何?」って問われると、「カット割りはどうするの?」とか「どう撮るの?」っていう話になりがちだけど、そういう技術的なことって実はそんなに大きい問題じゃないっていうか。知ってて損はないけど、知らなくても映画には絶対なるっていう。竹内さんの担当した『断片映画創作ゼミ』もそうだし、今回の『映画創作ゼミ』でもそうだけど、やっぱり、出来事から発想するっていうのが俳優の強みだなーっていうか。カット割り以前に、カメラの前で出来事を起こしてるっていうことで、それが映画になるんだっていう。それが映画の根本なんだなっていう気はすごいしましたね。

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A班作品・スチール(浅田麻衣・宇都有里紗・小林未歩・深澤しほ

——受講生時代も井川(耕一郎)さんの講義で撮ってみたんですけど、それはわりと1週間くらいですぐに脚本に起こせた記憶はあって。でもそれは2ヶ月くらい同期の子たちと交流があったからできたんだなっていうのを今回痛感して。今回のゼミで、Zoomを使ってミーティングは何回か重ねていたんですけど、抽象度が高いところから脚本に起こすまでがこんなに大変だったんだ!ってびっくりしてしまって。演劇だと、例えばワークショップとかオーディションとかで、「じゃあここはこういう設定で、こういう人物設定で」って言われたらみんなパッとやれるのに、なんで映画だとこんなに動けないの?ってある種新鮮な驚きがあって。「私はこういうの好きだけど、こういうのいいですよね」とかめっちゃそういう意見は出るのに、「じゃあどういうの撮る?」ってなるとシュンってなっちゃうっていう。

古澤 それは、逆に聞きたいのは演劇の時って、なんでパッと出るの?

——まず考えるより演じるしかないじゃないっていう‥‥演じてお互いを知るしかないっていうところが私はあって。で、そこから面白いのがあったらじゃあこれを本番に使ってみようか、とか思うんですけど。あの思考回路ってなんなんだろう‥‥。

古澤 やっぱり映画撮ろうって思うと、フィクション・コースでもアクターズ・コースでも「用意しよう」って思うのかな? 俳優同士が「じゃあちょっと集まってエチュードしようか」とか言うと(もちろんエチュードするにしてもある程度の準備っていうか題材とか決めなきゃいけないと思うんだけど)、「よし、ここで出来事起こそう」っていう感じで結構すぐにできる感じはするけど、映画の場合は「じゃあ今度の日曜日に撮影の予定にしよう。その前に、まず考えようか」ってなるのかな?

——そうですね、どこで、誰と、みたいなところが映画だと掴みにくいんですよね。演劇だと例えば「こういうメンバーが集まった、じゃあこのメンバーだとこういう戯曲もあるし、もしくはエチュードする?」とかすぐに段階を踏めるんですけど、映画だと思考停止するっていうのは‥‥なんなんですかね。

古澤 演劇の場合だと、例えば公民館に集まって、何人かが集まって2人1組で何かやろうってなったときに、「じゃあここは川っぺりっていう設定にしよう」「ここ公園にしよう」とか見立てて、そしたらもうすぐ始めるじゃないですか。で、映画の場合って多分みんな、「どうする?何撮る?どこで撮る?」って話になって、で、ちゃんと考えないと行き先も決まらないよね、とかそういう感じがあるのかな?

——ありますね。なんか、ちゃんとベースを決めないと撮れないんじゃないかっていう脅迫観念がありましたね。特に今回は。

古澤 そこが、実はずーっと、フィクション・コースにいる時もアクターズ・コースにいる時も超えたい壁として実はあって。個人的なことで言うと、フィクション・コース11期とか13期生と一緒に自主映画をやってる時に、何やったかっていうと、とりあえず「今度の日曜日に集まれる人」って言って井の頭公園に人を集めて、参加するひとがみんなカメラを持ってきて。で皆が「古澤さん、今日なにするんですか?」って「いやー、考えてないんだけど、ちょっと何かやろう」って言ってうろうろして、1時間くらい雑談してて「あ、じゃあ俺の高校時代を再現しよう」とか言って、「じゃあお前、高校時代の古澤ね」「お前、中山っていう後輩ね」って言って急に始めたんです。で、撮ってみて「あ、なんかそれ面白いな、この続き、こういうシチュエーションにしよう」とか考えて、「今日は色々撮れたから今日はおしまい、飲みに行こう」みたいなことを言って。で編集して、翌週とかに「あのシーンとあのシーンの間にこういうシーンがあるときっと面白くなるから、次は西荻に集合ね」とか言って、それで20分くらいの短編を撮って。で、今度はできあがったのを見て「あっこれの続編作れない?」とか言って。「未来から古澤がタイムスリップして過去の古澤に会いに行く話を撮ろう」とか言って、まあそういうふうに自主映画を撮ってたことがあって。
 で、「あ、映画でもこういうことできるんだ」って感触があったんですね。そのシリーズは結果として3部作になって、3本目になると、所謂カット割りみたいなものもあるし、合成カットもあるし、映画っぽい映画なんだけど。1本目は、みんなそれぞれ受講生たちがカメラを持ち寄ってるから、僕が撮ってる様とかを撮ってたりとか、あるいは僕がちょっと外れてるときに、受講生同士が「ちょっと古澤さん、何しようとしてんの?全然さっぱり分からないんだけど」とか雑談をしてるのとかが映ってたら、それも本編に組み込んでやっちゃうみたいな感じで。ドキュメンタリー、メイキング映像と本編がぐちゃぐちゃに混ざりあってるみたいなものだったんだけど。それを何ていうのかな、自分の中での、まあ敢えていうけど成功体験というか、こういう形でも映画ってできるんだー、っていうのがあって。それをなんとか世の中に広げようとしても一向に広まらないっていう現実があって(笑)。『ゾンからのメッセージ』って映画も、初めは深田(晃司)くんと(鈴木)卓爾さんと僕とでそういう形でやろうっていうふうに。二人には僕のさっき言った映画を見せた上でやったけど、どうも伝わってなくて、結果としては卓爾さん一人で監督する形になって、僕が脚本をちゃんと書く形になったんだけど。だから、今回も自分の頭のどっかでは「カメラと人さえあれば映画はすぐできる」っていう思いがあったんだけど、まあそうはいかないんだな、っていう。やっぱり人が映画を撮ろうってなると、急になんか身体が動かなくなるっていうところはすごいして。そこは乗り越えたいなーっていう感じはすごいあるかな。

——うちの班も撮影10日前になって、もうヤバイってなってばーっと決めたんですけど。人数多いと厳しかったのかな?ばーっと決めた時にいたのが2人だったんですけど。その前までのミーティングではなかなか決まらなくて、ただだべってしまって。

竹内 でもそういう、ただだべった時間っていうのは、確実に、どういう形でかは分からないですけど、最終的なものに反映されているんだと思いますけどね。私も途中まで考えた企画を最後がらっと変えちゃったりしちゃうことあるけど、その手前で話してたことはやっぱりどこかに反映されてるなと思うし。あの時間なんだったんだろう?みたいなのは結構よくあることなんじゃないかなっていうふうには思います(笑)。

古澤 創作ゼミから離れるけど、竹内さんのゼミの『断片映画創作ゼミ』って、発想から撮影までってどのくらいのスパンだったの?

竹内 1本目を撮るまでは2週間から3週間くらいは発想する時間があったかもしれないですね。(断片の)4本なり5本を一つのコンセプトを持って取り組もうって話をしていたので、まずはそこを考えるところから始まって、1本目を何を撮るか決めるのに3週間くらい。そこからは1週間おきくらいですかね。1週間考えて次の1週間で撮る、みたいな感じでやってました。

古澤 それはやっぱり、こっちの『映画創作ゼミ』と違って、グループじゃないからっていうのはあったというか、違いって感じました?

竹内 確かに一人で撮るので何を撮るか決めやすいっていうのはあると思います。あとは、言葉にしてもらってて。毎回、一つの言葉とかでもいいんですけど、例えば「食に関する呪いの話」とか、自分が次にやりたいアイディアを具体的でなくてもいいから言葉にして発表する場っていうのを毎回作っていて。それは結構大きかったのかなっていうのはあります。抽象的な言葉でもいいんですけど、何か決まっていれば、具体が決まってなくても、撮る時に目的を持って取り組める、みたいな雰囲気はあったように思います。でも、そういった抽象的な枠組みですら、グループだと決めるのに時間がかかるんですよね。

古澤 『断片映画創作ゼミ』の場合は、自分が出て自分で撮るから、ゼミの中で発言はするけど他の人に遠慮とかはしないですよね。発表すること自体。

竹内 そうですね。

f:id:eigabigakkou:20210215212709j:plainB班(齋藤暉・茶円茜・那須愛美・日向子)/茶円茜監督作品・スチール
古澤
 B班の方は最初の打ち合わせとかは結構迷ってはいたけど、やっぱりそれぞれが撮りたいのを持ち寄ってやろうって感じだったから、そういう意味では早かったのかな。A班に比べて。

——そうですね、早くに決まってたと思います。

竹内 B班もオムニバスの繋げ方みたいなところで結構それぞれの意見が分かれてはいたんですけど。最終的に繋がる一個の話にするとか、ドラマ風に一話二話みたいにする、とか。でも話し合う中で、それだけ違うんだったらバラバラに撮ろう、みたいな感じになってましたよね。それは潔いなと思ったんですけど。

古澤 B班の打ち合わせの方には参加して、こっちもどの程度関与するか探り探りだったんだけど。オムニバスのような構成にするのか、それぞれバラバラにやるっていう方向性にするのかってなったときに、「とはいえ出ている人は同じだから、登場人物の名前は共通にしたら?」ってアドバイスはしたんですね。二つのものを繋げるときにコンセプトが一貫してないとくっつかないように見えるけど、共通のものがあると、それだけで意図などなくても一本に見えるみたいなものが映画の本質的なところである気はして。やっぱり皆は少し引っかかるんですね、「オムニバスでやるとしても、一本にするなら一本を貫くコンセプトを考えなくちゃいけないんじゃないか」って。「コンセプトを考えなくちゃ地獄」のスパイラルに陥ってしまうという。そのへんをぱっと乗り越えられるともっと気軽に映画が撮れるんだろうなっていう気はしますけど。

——古澤さんがA班の打ち合わせの時におっしゃってくれた、「動作をシャッフルして撮って繋げるだけでも、観客はそれを想像でつなげるから、映画になるよ」っていう話が心に残っていて。だからA班の映画もなんとかなるんじゃないかって小林(未歩)さんと話をしてたんですけど。A班の映画は基本無意味で非生産的な行動だけだけど、つなげてみたら「彼女たちはどこか遠いところからこの地に流れ着いたんだろうか」とか背景を考えて感想を伝えてくれた方もいて。観客の想像に委ねていいんだっていうのは今回撮ってて面白かったのはありますね。

古澤 B班の方はさっき言ったように、登場人物の名前を一緒にするっていう力技で繋げたら、それぞれバラバラに発想したものだけど一本の群像劇のように見えてきたところがあって。A班の方は同じ素材なのに、編集によって全部違った見え方がしたじゃないですか。だから、多分僕が最初に言ったことよりも、皆が編集してみたら「本当にそうなんだ」っていう実感があったということのほうが重要ですよね。繋げ方が違うことで、観客がそこに勝手に物語なりなんなり読み込んで、いくつかのカットが集積して一本の映画になってる感じがするっていうか。初めからやっぱり、構築した映画の像を発想しようとしちゃう癖っていうのは皆多分あって。そうすると、なかなか現場が始まらないのかなっていうのは思うかな。

——B班、ラッシュは全部見てたけど、最終的に全く別の作品が生まれててすごい面白かったです。自分たちの作品も、編集はすごいしんどかったけど楽しかったですね。3人がそれぞれ編集したので「あっこういう解釈ができるんだ」とか「ここ切ったんだね」とかそういうのをスクリーンで見れたのはすごいいい経験でした。

竹内 確かに。B班は撮りながらも、ラッシュを受けて脚本の順番を入れ替えたりとか、セリフを切ったりしてましたし、あと、編集の時もシーンの順番を入れ替えたりとか、最終的に落としたシーンもあったりとかもしてて。演劇にはできないじゃないですか。あるものを外側からいじるみたいな。順番を入れ替えたりとか。演劇とはまた違った映画の作品づくりの仕方、面白さみたいなものを、なんか分かり始めてるというか。「こういうふうにしたら全然印象が変わるんだ」みたいなことを毎回発見してる感じがすごいありましたね。

古澤 そうですね。昔、平田オリザさんの稽古場を見学する機会があって。その時に感じたのは、平田オリザさんの演出って稽古場でする編集なんだなーって思ったんですよ。僕らが編集室でやってることを稽古場でやってる感じ。もうちょっと間を詰めようとか、その場で、ワープロソフトで台本を表示しながらカチャカチャって台詞付け加えたり削ったりっていうのを、みんなの芝居も間とかを詰めながら同時進行でやっていて、それがすごい面白くて。
 当時はそこが演劇と映画の違いに感じたんですよね。編集っていうのが創作のどの段階であるのかっていうのが。ただ、重要度っていうとどっちも同じなんだなっていう気がするんですよね。だから、映画の現場の本番っていうと撮影現場って捉えるんだけど、実はやっぱり作品としての本番って編集の段階なんじゃない?っていう気がして。そうすると、撮影の現場のトライアンドエラーっていうのをもっともっと気軽にできるといいんじゃないかなっていう気がすごいしてて。さっき言った自主映画のあり方ってそうなんだけど。そもそもなんで台本をきっちり作って、プランを構築して、撮影現場に臨まなきゃいけないかっていうと、(演劇でいうと小屋押さえるのと同じで)機材をレンタルしたりとか、皆のギャランティのこととかあって、集中的に1週間とか1ヶ月とか決めてやらないといけないのよ。要は商業映画っていうのが100年かけて経済合理性にのっとって現場を運営するためにそういうふうにするんだって発想だと思うんだけど。
 そうじゃなくて自主映画で、iPhoneで撮って、出演者がスタッフを兼ねて、それぞれがバイトとか生活をしてるんだけど週末が空くからその日にやろう、って発想だったら「今週撮った素材はあまり面白くなかったけど、ちょっと面白いアイディアが浮かんだから来週集まってやり直そう」っていうのはもっとできる気がしてるというか。あるいは今週撮ったやつを編集して、見て「ああ、もう一回やり直そう」みたいなことをできるんじゃないかなっていう気がするんだよね。さっき言った話とまた今度は逆のことを言うんだけど。準備に時間を費やして、そこをきっちりやっとけば本番は1日だけで済むよね、っていうのが今までの撮り方とすると、そうじゃない撮り方もあるんじゃないかな。準備なんてしなくていいよ、とりあえず用意するのは人間とiPhone。で、撮ってみて「今週この小道具があったらもっと面白いものが撮れたかもしれない、よし、来週小道具を用意しよう」みたいな。そういう映画の撮り方みたいなこともできるのかなっていう気はするかな。どうしてもこう、監督目線っていうか、フィクション・コースの人の発想の仕方って、なんだろう、物語寄りなのかな、キャラクター寄りなのかな。出来事っていうよりはお話を語ろうとするというか、ある抽象的なテーマだったり、メッセージだったり、なんかそういうことなのかな。言いたいことをちゃんと考えないと発言できないみたいな。俳優はもっと、言いたいこともなく、とりあえず声出してみよう、とか身体動かしてみよう、とか原始的な、いい意味で子供っぽく遊べる感じがすごいするっていうか。そうするともう、出来事自体は本当にいくらでも起こせるから、それが何を意味してるのかなんか放っておいて、それを起こしてしまえばそれを撮ろう、ということが映画の人よりも発想しやすいなっていうのはすごいするんだよね。それはだからA班のを見てて、撮り方もそうだし編集のやり方を見てても、そう、こうやって映画なんていくらでもできるよねっていうような希望をすごい感じるものにはなったなーって思いますけどね。

f:id:eigabigakkou:20210601151036p:plainB班/那須愛美監督作品・スチール
——そうですね。A班は「とにかく長尺回して撮ったら素材が集まるだろう」がコンセプトで(笑)。でも、現場で初めて4人が集まって、最初はやっぱり変な感じでしたけど、だんだんと「これ撮ったらいいかも」とか湧いてくるのが面白くて。あんなふうにラフに「あっ今あれ撮りたいから三脚持ってきて!」とかしたことはあまりなかったので、それは俳優がやってる強みなのかな、と思いましたね。‥‥あと、カット割りが。那須(愛美)ちゃんとも話してたんですけど、カット割りの概念が本当になくて、繋がらない!ってことが本当に多くて。現場で、割ってみるかーと思って割ってみたけど、使えない‥みたいなことが編集で多発して。

古澤 それ、浅田さんとかが話してたよね。うーん。僕はカット割りとかはどうでもいいと思ってて。さっき浅田さんが自分で言った通り、お客さんがそこって勝手に繋げちゃうもんなんだよね。例えば、A班で言うとラッシュを見たときに、たまたまラッシュの順番もあったけど、途中で夜のカットがあって、また昼のシーンに戻って、それは実際の撮影の順番とは違うけど、ラッシュが並んでる順番がたまたまそれだったから、そうすると一夜明けたように見えるというか、何日か経ってるように見えるねって小林さんと話してて。でもそれって別にそういうふうに撮ってるわけじゃないじゃない。本来カット割りってそういうものっていうか、「こういうふうに撮ったらうまく繋がる」っていうものじゃなくて、Aっていう素材とBっていう素材とCっていうのがあって、そのことによっていくつでも物語ってできてくるし。本質はあらかじめプランしたカットの並びじゃなくて、撮れちゃった素材をどう並べるかの問題でしかないから、なんか浅田さんの問題意識がどのへんにあるか正確には分からないけど、うまく繋がらないっていうのが、どうだろうね。

——多分ね、映画っぽいことをしたかったんです、多分(笑)。いわゆる「映画」って呼ばれるようなものを撮ったことがなくって。アクターズ6期の時もドキュメンタリータッチのものだったのでほとんどカットは割ってなくて。なのでB班みたいな、「パンがある」「そこに手を伸ばした」「食べた」でそれぞれ割ってみる、みたいなのを最初はやろうと思ってたんですけど、あっできない‥‥ってなって。それで先日の『フィクション・コースを知る』の講義で、初めて撮りましたっていう作品を見て、「えっなんでそんな簡単にカット割れるの?」「えっなんで割れないんですか?」ってお互いにびっくりして。

竹内 (笑)。確かにそれを考えると、面白いですよね。どちらも初めての映画制作のはずなのに。でもどっちの作品も面白かったですよ。フィクション・コースの方も、整理されちゃってるから面白くないっていうわけでは決してなくて。両コース、両方の面白さがあるなと思うんですけど。

——お互い初映画っていう観点に立って映画を見てみると、本当に違っててびっくりしました。

竹内 今でも私も(カット)割りを分かってない時、いっぱいありますよ。皆が見やすいようにすることが作品的に求められているんだったら綺麗に繋がるようにするけど、そうじゃなくてもいいんだと思ったら好きなところを撮るし、場合によるというか。それに私も、カメラマンに聞かないと分かんない時が結構あって。例えば1カット目と3カット目だけが自分の中で決まってて「1カット目はここ撮りたい、3カット目はここ撮りたい。でも間スムーズに繋げる方法が分からんわ!」っていう時とかは、カメラマンに何個かアイディアを出してもらって「ああ、じゃあこれかなあ」っていうことも全然あるし。古澤さんはどうですか?

古澤 僕はさっき浅田さんが言ったように、もっと若い時は「えっなんで分かんないの?」っていう立場だったと思うんで。分かっちゃうんですよね、分かっちゃうっていうのも変だけど。で、映画のカット割りって2種類あると思ってて。5分間の元々の出来事を、どういうふうに分割していくかっていう発想と、あと、編集する前はその出来事がトータル何分になるか分からないけど、ブロックを積み重ねていったら5分になりましたっていう発想があって。それって根本的に発想の方向性が違いますよね。あらかじめ5分の出来事を想定してそれを分割するのって、僕はどっちかっていうと説明的だなって思うんですよ。要は、起承転結があって、それをどういうふうに、どういう順番で情報を整理していくと人は起承転結を感じられるかっていうような発想だよね。もう一方の方は、ゴールを決めずになんか積み重ねていくみたいな感じで、で、「えっ、ここにたどり着いちゃった?」ってことがあると、僕はそっちの方が面白いなと思うんです。僕自身は多分、分割することはできちゃうんですよ。どういうふうに整理すると、人は見やすいかっていう。でも、自分は放っておくとそれができちゃうから、ささっと現場で段取りとか見ると、それがぱっとこういうふうにやれば伝わるなーと思うけど、伝わったところで、伝わることは面白さじゃないよなっていうことがあったりするから。なんとか違うものを見つけよう見つけようとはしてるんだけど、難しいですね。確かにゴールを決めずにやると、3カット目くらいから「やばい、全く何も伝わってない」っていうことがあったりする。

竹内 (笑)。そうなりますよね、あれ?みたいな。

古澤 うーん。でも頭混乱してきた時には、さっき浅田さんが言った通り、「これは、お客さんの想像を刺激するかどうか、だな」という。さっきのカットの位置関係がよく分かんないなーとか悩むこともあるけど、そのことが分かったところで、お客さんは別に楽しくないだろ、とか思ったら、そのことはもう考えないようにしよう、とか。そういうことはあったりするかな。だから繋がらないカットを目指そうとしちゃうところはあるかな。繋がらないっていうか、そこをあまり考えないというか。うーん。いや、でももっと簡単に説明できると思ったけど、説明始めると難しいですね(笑)。

竹内 そうですね、カット割り。でも最悪全部撮れるわけじゃないですか、引きで。一個ボンって置いたら。全部映るとこに置いたら全部映るから、そこから考え始めたら、どんな割りもプラスにしかならないじゃないですか。だからそういう気持ちで私はやってるかもしれない(笑)。

古澤 その時の「全体が見える」っていう「全体」っていうのが、人によって違うんですよ。

竹内 ああ、確かに。それはそうですよね。

古澤 鈴木卓爾監督の全体ってすごい広いんですよ。『ジョギング渡り鳥』とか、まあもちろん他の映画でもいいけど、見て欲しいんだけど、とにかく「えっ、あんな遠くから人来るの?」っていうところ、ロングがものすごい違うんですよ。「あっ、この人の芝居場って半径1キロくらいあるんじゃないか?」っていう。

全員 (笑)。

古澤 だから、今、竹内さんが全体をとらえるところに置けばいいって言ったけど、もしかして卓爾さんが全体を見えるところっていったらビルの上に置いちゃうかも。そうすると見えないんですよ。そう、引きの絵になったときに見えなくなるものもあるから。だから、結局それもわからない。全体わかるところにポジション置けばいいけど、その場合には手元の芝居は見えなくなるし、だから、うん。逃げ道はないんですよ。何やったって(笑)。

竹内 そこからどうする、はありますよね。全体を置いたら、落ちるものがあるじゃないですか。これが撮れない、みたいな。ってなったときに、じゃあどこに置いたらいいんだろう、とか割らないと撮れないとか、そういうのが出てくるから、だからまずは全部映るところ、みたいな意識っていう感じはありましたけど。逆に全部が映っているから面白くないから、どこを撮らないか(どこだけ撮ろうか)も考えられるし。でも確かに芝居場が1キロみたいなことがあったら、最初からそれ選択肢に入ってこないですよね(笑)

古澤 (笑)。

竹内 毎回その選択肢ないから、じゃあどこ撮る?みたいな感じにはなりますけど。

古澤 そういう時に例えば発想として、引きの絵をこうやっとけば出来事全体を抑えられて、ここから落ちちゃうもの、見えにくいものに寄っていこうって発想になった時にその時にやっぱり怖いなって思うのが、寄ってった絵がただ単に情報になることってあって。表情の寄りとか撮るんだけど、単にこの人がある出来事に対して喜んでます、悲しんでますよっていう情報になった瞬間に、映像がすごく貧しくなることって実はあって。それは手の寄りとかもそうなんだけど。本当は、例えば寄った画になった時には、引いた画の時には見えない肌のキメとかが見えるじゃないですか。その肌のキメが綺麗だね、とか、一言の情報に集約されない、ある豊かさというか。それを捉えることができたら寄りのカットは映画にとって意味があるなーっていうふうに思うんだけど。でも大概やっぱり、頭で割ったカット割りはさっき言った、5分間をどういうふうに情報として処理していくかっていうふうになると、本当につまんないし、一言でしか言えない、一言で言い切ってしまうような映画になってしまう。そこがまあ、難しいな、というふうに思うことかな。だからそういう意味でアクターズ生が撮ったカットがどのカットも面白いなっていうのは、そういう情報に集約されない、ノイズまみれというか、引きの画も寄りの画もどっちも整理されてないなっていうことか。

竹内 確かに(笑)。マジで意味がないっていうか、変わらないところがいいですよね。それはすごい思いました。

古澤 そうそうそう。

竹内 引きでも寄りでも特に。

——そう、寄ったのに画が特に変わらなかったんですよね‥‥。現場では、カット割るために手元撮ろうぜ!って言って撮ってみたんですけど、全然使えないんですよ。あと、なぜかずっと同じ場所しか撮ってなくて。同じ場所の引き、寄り、だけみたいな。撮影開始して3〜4時間してようやく「あ、回り込んで撮ればいいんだ」「撮る場所別にここだけじゃないじゃん」って気づいたんですけど。だからひたすらに貧しい映像が続く(笑)。ラッシュ見て愕然としました、面白かったけど。

古澤 前も言ったかもしれないけど、やっぱりそういうカットってだんだん撮れなくなっていくっていうか。学んでいくにしたがって、浅田さんの言うところの「映画っぽいカット」の撮り方って、だいたい勉強すればみんな撮れるようになっていって。荒々しい、野性的なカットって撮れなくなっていくんだよね。そのことの良し悪しってあるなーっていう気はすごいするかな。やっぱりどこかで理想とするのは、今この瞬間に動画を撮れる機械が発明されて、皆は渡されたら何を撮る?みたいな、そういうのを見たい気持ちが強くて。今はもう、生まれた瞬間から動画が身の周りにあることが当たり前の世の中で僕らは生きてるから。ノイズまみれとはいえ、めちゃくちゃなことって実はあまり起きないというか。相対的に、商業的な映画に比べたらA班はノイズまみれかもしれないけど、とはいってもここにこういうふうに置いたら、こう映るよねっていうのは何となく分かるよねっていう。だから、そういうところはありつつも面白かったね。あれは自分には撮れないなっていう。それこそフィクション・コースであれをやられたら、講師として「お前ら、何やってんだ」っていうふうに言うと思うけど(笑)。

竹内 ちょっとくらいは準備してこい!みたいな感じはありますよね(笑)

古澤 そういうことがつまんないなと思ったからアクターズ・コースを始めたんで。あ、もうあれでいいんだって見てて本当に楽しかったよ、なんか。うん。

f:id:eigabigakkou:20210601152300p:plainB班/齋藤暉監督作品・スチール
——受講生時代よりは、映画っぽいみたいな映画撮ろうぜってなってたけど、ああなってしまったのは面白かったですね。真逆で。

古澤 でも、逆に質問なんだけど、演劇やるときは演劇っぽさみたいなことってみんなは目指すの?

——うーん。わりとそこから逸脱したいみたいな感情は私はありますけど。結局、「〇〇っぽいよね」みたいなくくりが生まれてきちゃうんで。そこからどう脱却するかみたいなところは考えているんじゃないかな‥‥。

古澤 不思議なのは、映画やるときはみんな、急に映画っぽさを目指そうとしちゃうんだよね。でもまあ、それは何だってあると思うんだよね。僕は演劇のことをあまり知らないんだけど、演劇の世界で「演劇っぽいのをやろう」っていう人もいるだろうし、小説とかもあるんだろうな、素人だけど小説ならイメージできるかな。例えば、19世紀的小説というか、ドストエフスキーとか、ああいうのだと、小説っぽいよねって感じがするけど、現代小説とかだと「えっ、小説ってこれでいいの?」って思ったりして。で、自分がもし書くとなったら、「あっ、こっちじゃなくて物語がしっかりした小説っぽいものを書こう」とか思うのかなー、とか思ったりするけど。

竹内 私は「演劇やってください」って言われたら、めちゃくちゃびびり倒しますね。喋って人の前で見せたらそれは演劇だよ、とか言ってもらえても「えーっ!?」みたいな。どうしよう、どうしようって。自分はちょっと怖くてできないって思いましたけど。そう思うと、皆が今回撮ってるっていうこと自体がすごいのかもしれない。

——確かに今話してて、思った以上に「映画っぽさ」に囚われていたんだなって思いましたね。なんだろう、参加した映画の現場とかでさくさくカットが決まっていって「あっ、これが映画というものなのか‥」と思ったりしてた影響もあるんだろうか。

古澤 映画のある種の人たちはさ、映画っていうのが歴史的に一度完成してしまって、その後ほとんど映画じゃなくなってるっていう感覚があるから、もはや失われてしまったけど、あのエデンの園を回復するためにやるんだっていう。そういう意味では映画っぽさっていうか、「映画」っていうのがきちんとあって、それを回復するんだって言うような意識がすごい強いんじゃないかなって思う。映画っぽさっていうと世代ごとにいろんなものがあると思うんだよね。多分そういう目でみると、現代の映画とか、テレビとか見てる人にとっては、初期のサイレント映画とかは映画っぽく逆に見えないかもしれないよね。映画っぽさっていう言葉はどこか同時代的な感性に支配されてるところはあるかなって思うから。そういう意味で言うと、映画っぽさを目指すんじゃなくて、もっと荒々しいところをやると、そうすると思いもかけず「あっそれは1930年代に起こったことで」って言われるかもしれないし、あるいはそれこそ、一番最先端の現代に届くことかもしれないし。なるべく映画っぽさっていうところからは離れた方がいいかなっていう気はするかな。

——映像と映画の違いも結局よく分からなくて。「撮ってるこれは映画たりえるのか?」って思ったりしていて。でも普段演劇っぽさとか全然考えてないはずなのに、映画っていうジャンルに入ってしまうと、視界が狭くなってしまうというか。それはさっき古澤さんがおっしゃっていたような荒々しさとはかけ離れちゃうかなーって思って。‥‥雑な感想ですね。

古澤 でもそういうふうに思えるってすごいなって。まさに僕らは、日々それと向き合いながら仕事してるんで。自分のやってることって本当に映画なのか?っていう。それはもう本当に答えがないから。演劇もそうだと思うんだけど。確信があってこうやれば映画になるっていうことは一回もないというか。やっぱり、何か掴んだなって思って次の作品にいった時には、同じことやっても映画にならないっていうのはすごい実感としてあるから。まさにそういう意識を持ったところから人って映画の人生を歩み始めちゃうんだよなーっていう(笑)。

——うん、これからもラフに撮りたいなーとは思います。もちろんフィクション・コースの方とも撮りたいけど、アクターズ・コース生との撮った感触は全然違って。あれはなんだったんだろうって思い続けてますけど。

竹内 でも、次撮る時に同じやり方でやろうとしたら、うまくいかないっていうこともありますよね。その時の関係性だったりだとか、映画に対する考え方とかがあってあれができてるから。どんどん荒々しさはなくなっていくかもしれないけど、新しい向き合い方が見つかったらすごい楽しみだなっていうふうには思います。え、あれってiPhoneで撮ってたんでしたっけ?

——あ、そうですね。全部iPhoneです。

竹内 でもiPhoneがあれば。

——いつでも撮れるから、本当ありがたいです。 

竹内 いや、iPhoneすごいですよね。そうか、A班全部iPhoneだったのか。それ全然考えてなかった。普通にまったく、そんなこと思いもせず見てました。

——B班ってiPhoneじゃなかったんですか?

竹内 B班は全部一眼かな?iPhoneじゃないね。

古澤 B班は複数台使ってたよね。

竹内 そうですね、2台使って。でも、普通ちょっとカメラが重くなったら、置くじゃないですか。固定したりとか。もちろん固定してるんですけど、茶円(茜)さんとか芝居中に三脚動かしたりとかしてて。わっ、重くなっても、囚われなければこんな動かし方ができるんだーって。本番中に突然ズームしたりして、バードウォッチングみたいな感じで撮ってましたしね(笑)

——あのズームは最高に良かったですね。

竹内 どのシーンでもギュイーンってズームしてたから。

古澤 あのズームしてる茶円さんもすごいけど、それを編集で残した斎藤(暉)くんもすごいなーって思う。あれは元々ああいうことをやりつつ、いろんなテイクをそれぞれのカット用に撮っておこうっていう話だったらしいけど、でもその割には現場で毎回芝居が違うから繋がらないっていう。配慮があるんだかないんだか分からないなーって。

竹内 お芝居を撮るだけが撮影じゃないよなって改めて思いました。あの長いカットで、お芝居もすごい面白かったけど、やっぱりズームがあることでテンポ感というか、流れができて。B班は照明とかもこだわってて。本当に全然知識がない中で、どうやってあの部屋を朝にするかとか夜にするかとか考えたり、顔とかが暗いとちゃんと明るくしたりしていて。すごいなーって思いました。

古澤 それは誰がそういうのを引っ張っていったんだろう?那須さん?

竹内 那須ちゃんが結構やってましたね。でも途中からみんなそういうのを分かってきて、全員でやっていました。

古澤 すごいよね。自分学生の時そういう発想できなかったなーと。

竹内 しかも、当ててるーっていうわざとらしい感じじゃなくて、ふわっと明るくしたりとか上手にできてて。でもやっぱり時間がかかるって言ってた。せっかく芝居もできてるのに、もう!って言いながらやってて。わかるーって思いました。

古澤 現場の時間感覚も変わってくるからね。僕も大学生の時に初めて撮影現場を見学しに行った時に、こんなに時間かかるんだーって思ったけど今は全く感じないもんね。一昨日自主映画が1本クランクアップして。5日間撮影してたけど、関わった学生の子達はへとへとな感じだったけど、時間感覚がまだ一般人の時間感覚なんだよなーって。こっちはすごい楽だなって思って撮ってたけど。

竹内 でもさっきの話でもありましたけど、何回も撮り直しができるというか、ああ、今日日が暮れちゃったねってなったらまた集まって同じシーンをやったりも、自主映画だったりとか知ってる仲だったらできることだから。時間をかけなくなってくようにはなってほしくないというか。効率的なことよりも、納得いくまでやっていくようにはなってほしい。

古澤 そうそうそう。なんていうか、映画っぽさを目指すのもいいんだけど、そうすると現場で例えば茶円さんがああいうことをしようとしたら多分止める人が出てくる気がするんだよね(笑)。

竹内 あれ、私も悩みましたよ。茶円さんの後ろに立ってたんですけど、途中で三脚とか動かすからすごい絵が揺れてて、これ使えるのかなー?って。でもちょっと止めるのは違うなと思って見てたんですけど。でもすごい面白かったのは、それを那須ちゃんがチェックするじゃないですか。で、那須ちゃんが「これ動かさないでくだい」とか言うかなと思ったんですよ。でも言わないんですよ。

古澤 おおお。

竹内 ええっ!?みたいな。見た時になんかあるんじゃない?って思ったけど、いいんだ‥‥って思って。あの凧揚げのシーンとかも、整理して撮っちゃうとすごくつまらないようなことになると思うんですよ。台詞を録るのを後回しにしたっていうこともあったと思うんですけど、すごく躍動感のある凧揚げのシーンになってて。あーすごい面白いなって思いました。あれって凧と芝居場とで高低差もあるし、そもそもちゃんと凧が上がるかどうか不安で、色々カット割とか考えて現場にいかなきゃ!って思うシーンだと思うんですけど。とりあえず行ってその場の勢いで撮るってすごくいいなって思いました。反対に斎藤くんとかは、脚本書きながらロケハンに行ったりしていて、撮りたいアングルのイメージがちゃんと自分の中にあって、現場ではそれが一体どこかってところでカメラの位置を調整するっていうのを繰り返してて。正対したかったりとか、あとはシンメトリーにしたい欲求とかあって。そういう欲求も皆の中で撮り始めたらどんどん出てくるから。自分が何やりたいんだろう?って考えこむよりも、まずは動いてみるっていうのが大事なんだなと思いました

古澤 もちろんゼミを始める前に、今回ゼミでこれがしたいなーっていう思いはあったけれど。やってみたら、いい意味で思ってもない結果が出て、あっ良かったなっていうか。思った以上にアクターズ生が撮る映画って面白いな、っていう。いわゆる映画っぽい映画って、見てもドキドキしないっていうか。安心して見て「ああ、確かに映画っぽいなー」以上の感想が特に沸かないというか。作る方は映画っぽさを求めちゃうんだけど、見てるお客さんって別に映画っぽさを求めてるわけじゃなくて、びっくりしたいっていうか。見たことないものを見てみたいっていう思いがあると思うんで。そういう意味でやっぱりアクターズの今回の4本は映画見たなっていう感じがすごいしたかな。


——ぼちぼちいい時間になってきましたが。「せいかつ発表会」で何かあります‥‥?自分の作ったものがスクリーンで流れるっていうことがめちゃくちゃ緊張してあまり記憶がないんですけど。

古澤 地下スタジオでのちっちゃいスクリーンと、試写室の大きいスクリーンだとやっぱり違いました?

——全然違いましたね。辛かった‥‥。初舞台の時を思い出しました。感想聞きたいけど聞きに行けなくて怖がってもじもじしてる感じ。

竹内 でも3プログラム、それぞれ40分をお客さんが飽きずに見ていて、本当にすごいことだと思いました。飽きてきたりすると、客席の雰囲気が変わってくるんですけど。あの3プログラム全部、みんなすごい集中して見てて。

——最後の小林さんの作品とかも全然みんな集中して見てくれてて。うちらの作品って結局素材一緒だし、私と小林さんのって最初の7分くらいまで編集同じなんですよ。怒られないかな?とか小林さんと喋ってたんですけど、飽きずに見てくれてる‥‥ありがとうございます‥って思いました。

竹内 私も、自分の断片ゼミで作った作品をちょっと流すのでさえ緊張したから、あーみんなもすごい緊張してるだろうなーと思いました。上映後も感想聞きたいけど、怖い怖い怖い!みたいになってましたね(笑)

——昔、フィクション・コースの同期の講評にたまにお邪魔してたけど、作品それぞれを講師陣がボコボコに講評してて。あれ今更ながらに鋼メンタル必要だよな‥って今回思いました。

竹内 でも、講評の方がボコボコにされるけど、意見聞けるじゃないですか。あっこういうふうに思ってたんだ、みたいな。でも上映会って自分から聞かないといけないから。言ってくれる人もたまにいるけど、ふわーって解散するときとかあるじゃないですか。あれ怖くないですか?私、あれはあれで結構怖いなと。

古澤 でもダメ出しって、演出家もそうだし、講師もそうなんだけど一番楽なんだよね。一番仕事してるふりができるというか。仕事してる感すごいあるじゃん。ダメ出しって。なんかやっぱりこう、受講生もそうなんだけど、ダメ出しされて「あー、ダメか、頑張ろう」ってまで含めて講義受けてる感があるけど、「よかったよ」「うん、よかった」ってなると「えっ、もっと何か言ってくれねえかな!?」って。

竹内 確かにフィクション・コースの子も、講師に「うん、いいんじゃない?」って言われて「えっ‥‥もっと言ってよ」って思いました、って言ってました。それは本当に良かったんじゃない?って言いましたけど(笑)。

古澤 難しい、だからそのへんは。けなされたら傷つくし、褒められたら逆に不安になるし。どこまで我儘なんだろうって(笑)。

全員 (笑)。

竹内 でも上映するまでの体験ができてよかったなって思いました。撮って終わり、じゃなくてちゃんと見てもらうみたいなところ、しかもちゃんとスクリーンに映すところまでできて。自分たちの作っているものが映画だっていうことを、自分たちではあまり認められないところがあるじゃないですか。「こんなの映画かな?」みたいな。でも流してみんなで見て、反応ももらって、前向きな気持ちになれたんじゃないかな?って。堂々と作品だって言える一本になれたんじゃないかなって。

古澤 でも考えてみたらアクターズ・コース10年やってきて、初めてちゃんと人前に見せるものを作ったっていうか。体制がどうだったかっていうのは置いといて、うん。もっとやってきてもよかったかなっていう気はしたかな。講義の中で完結してたけど、見せるところまでやって映画だなっていう気はしましたね。

——そうですね。なんだかんだ受講生時代は、ミニコラボも撮りましたけど言ってフィクション・コースだけでしか共有できなかったから。ちゃんと外部に開いてっていう機会がなかったから、そういう意味でもすごい有意義な時間をいただけた気がします。

古澤健(Furusawa Takeshi)
高校生の頃より8ミリ映画を撮り始める。『home sweet movie』が97年度PFFにて入選(脚本賞)。98年『怯える』がクレルモンフェラン短編映画祭に招待される。『超極道』(01/瀬々敬久)で脚本家としてプロデビュー。脚本作品として『ドッペルゲンガー』(02/黒沢清)『こっくりさん 日本版』(05/坂本一雪)など。監督作品としては『ロスト☆マイウェイ』(04)『making of LOVE』(10)『アナザー Another』(11)『今日、恋をはじめます』(12)『ReLIFE リライフ』(17)一礼して、キス』(14)『青夏 Ao-Natsu』(18)『たわわな気持ち』(19)『キラー・テナント』(20)など。プロデュース作品としてアクターズ・コース第2期高等科生とともに製作した『ゾンからのメッセージ』(18/鈴木卓爾監督)がある。 

竹内里紗(Takeuchi Risa)
1991年生まれ。神奈川県出身。立教大学映画美学校にて万田邦敏監督に師事し、東京藝術大学大学院映像研究科を卒業。主な監督作に、『みちていく』(14)『みつこと宇宙こぶ』(18)『21世紀の女の子/Mirror』(19)ANA オリジナルショートムービー 『再見』(20)などがある。

 

2021/3/18 インタビュー・構成/浅田麻衣

アクターズ高等科・講師インタビュー/兵藤公美さん

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「アクターズ・コース俳優養成講座 2020年度高等科」は6名の講師がそれぞれゼミを担当しています。そのゼミの内容は、講師の皆様がそれぞれ企画しました。
今回は『俳優レッスン』『アクターズ・ラボ』『フィクション・コースを知る』を担当する兵藤公美さんにインタビューをいたしました。

俳優レッスン』
https://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2021/02/12/144038
『フィクション・コースを知る』
https://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2021/03/13/160223
『アクターズ・ラボ』
毎回多彩なゲスト講師を招いてその生き方や知見を解きほぐしながら共有していきます。ゲストには 俳優、演出家、監督だけではなくプロデューサーや翻訳家なども予定。演じることだけではない、俳優としての世界の見え方を広げていきます。

——今日の俳優レッスンはどうでした?(※このインタビューは俳優レッスンの講義後に行いました)

兵藤 よかったよね。面白いよね、本当。最近の俳優レッスンはさ、本当に「発表の場」になってるなって感じがして。レッスンっていうか本番みたいな雰囲気だよね、どのチームも。それがなんか、すごく変わってきてるっていうか。いい方向に進化してるのかなーっていうふうに思う。

——これまでは、わりとラフな感じだったんですか?

兵藤 うーん、そうだね。ある程度みんな練習してきて、見せるって感じだったんだけど。ここまで本番感、みたいな雰囲気ではなかったかな。別にその頃もゆるいってことはないけどね。やり方としては「1回目やってみましょう」、で、「フィードバックして、もう一回やろう」って感じで。そういうスタイルでやってたから、みんなもそのつもりもあったかもしれない。一回目はまあこんな感じでやって、私とフィードバックして2回目それを踏まえてやるっていう。稽古していくみたいなスタイルで定着してたから。なんか、ある時からこういう感じに。

——今日もすごい緊張感でしたよね。

兵藤 本番感がすごかった。そうなると、1回でもういいのかなー?って。もうやる必要ないよね、っていう。ここ最近そういう雰囲気あるなって思いますよ。特に高等科になってから。

——確かに、2年前自分がやった時は、「じゃあやってみるか、間違ってももう1回やってみよう」っていうラフさがあった気がして。今回の、終わった時にダメだった時の「ああっダメだった‥‥」みたいな感じはなんなんでしょうね。

兵藤 なんなんでしょうね。1回目からすごい緊張感があるというか。今までとなんか違うな、という感じがあるね。そういうふうに仕向けたわけじゃないんだけど。自然とそうなった感じなんだよね。

——新しいメンバー(アクターズ・コース第9期生)が入ったのもあるんですかね。

兵藤 確かに、それもあるかもね。楽しみなんだよね、私。俳優レッスン。講義の中でも。人の演技を見れるっていうね。しかも2回とか3回とか連続で担当するとその変化が見れるっていうのがすごく面白くて。講師的にはそういうふうにやった方がより楽しめるなって。

——そうですよね。今回のタームは特に連続して担当されてますよね。

兵藤 今回も変化を見れて、いやすごいなっていうことしかないんだけど。初回からみんなやってくるなーっていう感じで。「なんかもう言うことないんだけど‥‥やっとけば?」みたいな感じで。そういう雰囲気があるよね。もちろん見て、私も思いついて「ここ、こうしたらいいのかな?」とか「私だったらこうするかな」とか「台本にはこういうふうに書かれている気がする」とかいうのは思いついたりするんだけど、でもそれよりも、観客っぽい感じが自分でもしてて。それがね、すごく毎週楽しみ。
 みんな最初からセリフは入ってるし、余計なストレスがないというか。で、みんなも私に見せて、私に何か言われる前提っていうよりは、「人の目がある場」みたいな。ずっと2人で稽古してて、いざ「観客に見せる日」みたいな、そういう雰囲気があるなと思って。別に私に見られるとかっていうんじゃなくて、人の目がある日。そういう緊張感だったり、高揚感だったり、そういうのがあるなーと思って。だから私も、「なんか言わなきゃ」とかあまり思わないし、「もういいんじゃない?いいと思う」っていうことがほとんど、っていう(笑)。困ってることがあれば言ってもらえれば言えるけど、みたいな。なんかそういうふうに私もすごい変わってきた感じはあるかもしれない。
 どう思ったかコメントをしなきゃな、っていうふうに前は思ってたけど。でも今はみんなの方で「ここ実は困るんですよね」っていうことがあれば、「あっそうだったんだ」みたいな。「じゃあこうなのかな」って。やっぱ俳優がアクターズ・コースのレベルみたいな人たちだと、違和感って見えてこないっていうかね。こっちが分からないところで、「実はここやりづらい」って思いながらやってたっていう、そういうレベルの人たちかなって気がするから。「逆に言って!」みたいな。そしたら言える」みたいな。演技は自分のものだっていうことをすごく理解しているメンバーだなっていうところは共有できてて、そこも見ててすごく楽しいし、そういうスタンスでやってる、そういうスタンスで演技を学ぼうとしている姿勢にいつも私は打たれますね。

——今の情勢で、舞台を踏めることもどうしても減ってしまったから、楽しいっていう思いがもしかしたら先立ってあるのかもしれませんね。演劇を発表することが今はどうしてもリスクがあるから自分で企画を立てるにもしんどいし、でも高等科っていう場だと、もちろん気をつけなくちゃいけないことはたくさんあるけれど、公然と「演技ができる」場があるわけだから。

兵藤 確かに。なるほどね。だから発表感が強くなったっていうのもあるのかもね。すごい特別な時間な気がするものね。マスクはしてるけど、みんなと会えてできるっていうことが貴重な気がしてるもんね。

f:id:eigabigakkou:20210317181641p:plainある日の俳優レッスン

——初回の山内さんの講義はZoomで。その前に稽古は対面でしてたんですけど。やっぱり、みんなの演技を直接見たいなっていう思いがあって。2回目の兵藤さんの講義で対面で会えた!っていうのはすごく嬉しかったですね。

兵藤 作る喜びをね、味わってますよね。いや今日のみんなの演技もよかったな、本当に。面白かった。もったいないよね、私だけ見てて。こういうのを本当に見せたいなーっていう。すごいレベル高いことやってるなって思う。まあ私は何もしてないんですけど。みんなの意識が年々、っていうかコロナが結構関係してるのかな。みんなもそれぞれ(アクターズ・コースを)修了して年数は様々だったりするけど。演じる喜びっていうか、演技が自分に必要っていうか、そういう意識。「分からないけど習おう」っていうことじゃなくて、「自分には表現したいことがある」みたいな感じが今回はすごいしてますね。まあ大体いつもしてるんだけど、アクターズ・コースは。
 修了直後の人たちと、修了して数年経ってて、俳優として成長したり成熟したりしてきた人たちが、俳優レッスンに来て、どんどん自分で自分を磨いてるって感じがして。でも遠い期の人と出会って組んでっていうことを、平然とみんなやってるっていうのとかで、アクターズ・コースの力強さっていうかね。そして人との繋がりっていうのが広がるっていう。それもすごいね、羨ましいぐらいに思います。

——距離感いいですよね。アクターズ・コースの。対等に表現者としていようぜ、みたいなことが暗黙の了解としてあるから、やりやすいなと思います。

兵藤 そこがみんな本当に社会性があるというかね。まあ、俳優レッスンする人はそれが必要っていうのはありますけど。演技の指導もそれぞれ、3人(山内・近藤・兵藤)ですごい違うんだろうなと思いながら私はやってて。私は結構、その人に合わせて演技の向き合い方の言葉を言うんだけど、時にははっきり提案していってみるというか。「演出」みたいな、本当に「演技指導」みたいな。解釈だったりとかさ、それを一緒に考えて、「こういう演技してみない?」みたいな感じで。でもそれってすごい具体的なことじゃん。そういうことは私、昔は俳優レッスンではやっちゃいけないとか思ってて。なんか、答えを言うみたいな感じあるでしょ?そういうのってよくないんだ、とか思ってたんだけど。
 なんかある時から、でも人によってはそれでイメージが広がる人もいるし、私が言ったから、私に言われた通りにやるっていうことでもないし。人が言ったこと、他者が言ったことに近づく行為でもあるんじゃないかな?とふと思って。なんかその方が私やりやすいしって思って。遠回しに抽象的なことを言って、「こうじゃないかな?」みたいなふうに言いたくなる時もあるんだけど。本当人によるんだよね。俳優それぞれに対して。今は、具体的に「こういう演技やってみようよ」って言う方が、私も楽しいし、二人もよくなる、みたいな気がしてて。ここ数年そういうスタイルに私も変えたりとかしてる。
 昔はちょっと、「演技指導はなしだよね」みたいな感じはあったんだけど。私は、自分が楽しいっていうのも大事だし、レッスンしながら二人が楽しくなっていくことも大事だし、と思って。だったら単刀直入にそこを突破する、そこを突破して一気に楽しい方にいって、「こういうことか」って気づくことって、それは何も悪くないんじゃないかな、答えみたいな感じはしちゃうけど、そこからまた二人にしかできないことを作れるわけだし、と思って。そういうのとかね、最近私のスタイルみたいなものが自分でも見えてきた気がしていて。人によってどういうふうに言葉をかけようかなとか、だんだん私なりのスタイルが見えてきた感じがしていて、そこも楽しい。やってて。

——例えば、兵藤さんに言われて「こうでなきゃいけない」っていう人はいないですからね。

兵藤 そうだね。そこもコミュニケーションっていうか。私が言ったことってすごく強かったりもするしっていうことだけど。でもそれは「俳優の権利と危機管理」の講義からしても、俳優って演出家に言われたことを叶えるものじゃないよー、とか、俳優は俳優として自立してるものなんだよ、っていうことも言ってるし。意識の持ち方一つで、受け止める側も違うよなと思って。「言われたからやらなきゃ」っていうふうにも考えられなくも全然ないのに、やっぱりその知識があることで、「まあ別に兵藤さんが絶対じゃない」ってみんな分かってる、だからこそできるっていうこともあるけど。それもすごく風通しがいいよなーと思って。やっぱりそこは、長年の積み重ねが実を結んでる感じはして。修了生たちはわりとみんなそういう意識持ってるしっていうので付き合えるな、っていうのがすごい楽しいですね、私は。

——確かに、受講生時代は「講師」と「生徒」っていう概念が強かったかもしれないですね。で、混乱するというか。「山内さんはこう言ってたけど、でも兵藤さんはこう言ってたしな‥‥。でも次の講義は山内さんだから、山内さんが言ってたことを叶えたらいいのか?」とか、でもそういうことじゃなかったって今になって気づくんですけど。言葉をちゃんと分けることができなかったし、誰のための演技かっていうのも分かってなかった気がします。

兵藤 なるほどー。

——アクターズ・コースを修了して3、4年経って、対等で同じ表現者としてやってるんだっていうことをようやく感じ出した気がします。

兵藤 わー、なんかすごい嬉しいね、それ。今充実の時なのかも。

——高等科は、本当に、みんな、よい。

兵藤 そうだねー。やっぱ、もう一回やりたいっていう人が集まってるっていうのもあるかもしれない。

f:id:eigabigakkou:20210317182704p:plainある日のアクターズ・ラボ 

——アクターズ・ラボでも、色々な方々に会えて本当によかったです、今回。

兵藤 そうだね、また新しい意識の広がりがあったよね。

——贅沢な時間でしたね。竹中(香子)さんのワークショップもすごい面白かったです。

兵藤 面白かったね。あれはね、本当に目から鱗でしたね。「プレゼンさせる」っていうね。
 「私たちはこういう設定にして、こういう解釈でやります」って言って、それだけ話し合わせて練習はせずに、本番はぶっつけっていう。でもそれだけをとにかくすり合わせておけばなんとかなるんだね、っていうことが証明された時間だったなと思って。
 普通ね、創作の発表会だったら「とにかくまずやってみて」みたいな。「とにかくエチュードして、練習して作ろう」ってなるところを。「これってこういう解釈っていうことだから、この設定でやろう」で、「はい、じゃあ時間です」って。でもそれがね、OSでもあるよね。俳優脳の。それがあれば、あなたがどういう演技をしようと、その設定だよねっていうところを信じられる。それはなんかね、眼から鱗だった。「そっか練習しなくていいんだ、できるんだ」って。でも想像力というのはそれぞれじゃない?それぞれがどういうふうにそれを考えて、どう表現するのかっていうのは個人個人じゃないですか。でも、みんなその設定は話したから大丈夫っていう謎の信頼感が見えて。尊重もするし、今やってることを。すごい時間でしたね。あれは面白かった、3チームとも違ってね。

——私がいたチームも最後かなり焦ってて。話す時間が本当に短くて、あっ他の2チームは決まってる、やべやべやべってなって。最後の10秒くらいでばーっと決めたんですけど、あっやれるんだって思って。

兵藤 ねー。本当に面白かった。

——「俳優こそ作品を分かってる」って竹中さんおっしゃってたじゃないですか。俳優が想像力も言葉も持ってるのに、それを言わないのは不健全だっていう話をされていて、「ああっ!」ってなって。すごい素敵な言葉だと思って。

兵藤 本当に発見が多かったね。改めて、更新された。気づかされたね。

——関係性ってアップデートされるんだなって。昔は本当に「演出家が神!」みたいに勝手に思ってて。「俳優も同じ立場だよ」って言われても「絵空事じゃん」って思ってたんですけど。それができる環境も作れるし、作ろうとしてる人がいるんだっていうことを気付かされた時間でしたね。

兵藤 すごいね、希望があって。未来が明るかった。活動してる人たちが「どうしてこうなった?」っていう話を聞くのもすごい面白いよね。私も知らないことが多くてびっくりで。

——アクターズ・ラボは第9期からできたんでしたっけ?

兵藤 そうだね。最初にやったのは、そう。

——ゲストを呼んでたんですか?

兵藤 それぞれ講師が持ち回りで、自分の友人アーティストをみんなに紹介する、みたいな。みんなと出会ってもらう、みたいなテーマでやってたかな。今後もやりたいよ、あれは。

——人の辿ってきた歴史って、ただそれを聞くだけで楽しいんだーって思いました。

兵藤 みんなもね、聞いて考えてる感じもよくて。感想とかさ、あの時間も私好きだったんだよね。「そんなふうに聞いてたんだ」とか「そんなふうに考えてたんだ」とか思って。みんななんか、とっても柔らかく聞いてくれてるんだなーと思って。

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兵藤 まいまい(※浅田です)も、高等科いかがでしたか?終わりに近づいてますが。

——色々な講義を受けてきたんですけど。「演技論演技術」である程度筋立てたって歴史だとかを学んで、役者と演出家の関係性、それが深田さんのゼミの例えば韓国のハラスメント対策に結び付いたりだとか、そしてそれが、アクターズ・ラボの俳優のあり方、演出家との向き合い方だとかに結び付いたりして、そのあたりがリンクしていくのが面白かったです。俳優としての在り方を考える機会をすごくもらって、高等科で。そういうのって当事者に聞かないと分からないし、考えることもサボってしまうし。毎年危機管理の講義はやっているのでアップデートはされてるんですけど、本当に「今」この瞬間を生きてる人たちに聞けるっていうのは本当にありがたい機会だと思いましたね。結局演技のことはまだよく分からないけど、それでいいかと思えるようになったのは良かったなと思ってます。

兵藤 私も分かんないもん、実のところ。

——でも特に、大学の講義とかだと聞かれたりしません?「私の演技どうでしょう」とか「どうなったらうまくなるんでしょう」とか。

兵藤 それは聞かれますね。

——どう答えるんですか?

兵藤 そこでその人が何に、何を問題としているかっていうことを私は探りますね。演技はこうだっていう話をしてもあんまり意味はないっていうか。でもそれが実は、演技のテクニックの問題じゃなくて、別のところにある自分の、例えば恐れを何か持ってるだとか、メンタルコントロールのことだったりだとかだったりするから。一概にテクニックのことで話すっていうことよりは、まずその人を知って話す、コメントするってことが多いかな。一緒に考えたい。

——オーディションで受かる術、とかも答えようがないですよね。

兵藤 でもそれねー、大学生には聞かれるね。そういう時は抽象的になっちゃうかも。勝つためのテクニックは確かにあるかもしれなくて。どういう呼吸になってるか、とか、どういう間を使うのかとかはあると思うし。でもどうせ人柄見てるしなーとか、見た目見られてるしなー、とかあるからなんとも言えないしね。「テクニック的なことはもちろんあるけど、でも競争社会だけじゃないかな、表現って。っていうことも知っとく方がいいんじゃない?」みたいなそういう抽象的な返しとかですかね。でもそれは色んな先生がいるから、はっきり「オーディションに受かるためのハウトゥー」を語ってくれる先生もいるからね。その人に聞いてみてもいいんじゃない?って思ったりもして。

——事務所に入る云々の話もありますよね。

兵藤 そうだね。その時々で俳優もやりたいこと変わるし、みんなもそうあっていいんじゃないかなーって私は思うし。それで事務所入って何かやるっていうこともありだし、入れないから別のことやって発見があるっていうことも往々にあるしね。実際私がね、そんな感じだったかも。コンテンポラリーダンサーになりたい?みたいな。「公美ちゃん、パフォーマンス系しかここ数年してないね」みたいなさ。そういう時代ありましたけど。やりたかったんでしょうね、ダンス。どうしてもやりたかったんでしょうけど。

——その時の感情に任せれば。

兵藤 そうですそうです。

 

兵藤公美(Hyodo Kumi)

1973年生まれ、横浜市出身、桐朋学園大学演劇専攻科卒。
1996年、青年団に入団(現在も在籍中)。《舞台》青年団東京ノート」、パスカル・ランベール「愛のおわり」、Q「バッコスの信女 - ホルスタインの雌」など。《映画》市川準あおげば尊し」、深田晃司「歓待」、篠崎誠「SHARING」、前田司郎「ふきげんな過去」、沖田修一子供はわかってあげない」など。青年団を中心に、外部出演や映画作品にも多数出演。

 

2021/2/21 インタビュー・構成/浅田麻衣

アクターズ高等科・講師エッセイ/深田晃司さん

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「アクターズ・コース俳優養成講座 2020年度高等科」は6名の講師がそれぞれゼミを担当しています。そのゼミの内容は、講師の皆様がそれぞれ企画しました。今回は『俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜』『アクターズ・ラボ』を担当する深田晃司さんに一問一答形式で答えていただきました。

1、『俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜』をやろうと思った経緯ってなんですか?

 基本的に演技の専門家は監督ではなく俳優自身だと考えています。なので、私から演技論のようなことを伝えるのはほどほどにして、それよりも俳優としての取り組みは何もカメラや舞台の上でうまく演じることだけではないということを伝えたいと思いました。俳優になりたいと思った人、自分は俳優であると自覚している人が、少しでも長く少しでも楽しく俳優であり続けるためには、俳優という職業を取り巻く環境についても知っておいたほうがよいと思うからです。

2、アクターズ・コース高等科のゼミで印象的だったことを教えてください。

 ときどき映画美学校の外でも俳優ワークショップなどを行うのですが、やはりアクターズ・コースをすでに経験してきている今回の受講生は、俳優という属性にまつわる社会的な問題意識がやや高いと感じました。これはアクターズ・コースで継続して行われている「俳優の権利と危機管理」の授業の成果なのかも知れませんが、何よりも皆さんが映画美学校を修了後にきちんと自分たちの仕事や自分自身と向き合ってきたこと、さらにコロナ禍で足踏みせずに前に進みたいという姿勢の顕われだろうと思いました。
 2年前に台湾で知り合った映画学校の学生が、助成金や労働保険のことなどとても詳しく把握していたことは今でも強く印象に残っていますが、やはり学校という場で行えることはまだまだたくさんあると感じます。
 また、山内健司さんと行った『俳優の権利と危機管理』ゼミで韓国の若手俳優キム・イェウンさんをオンラインでお招きしたのですが、キムさんから伝えられた日本よりもハラスメント対策が数歩進んでいる韓国の状況は私にとってもとても刺激的で、また3時間程度と短い時間ではあったものの、若い俳優同士の対話は教える/教えられるという関係性以上の有意義な時間になったのではと感じました。

 

3、映画美学校フィクション・コース修了生かと思うのですが、アクターズ・コースの講師として担当するまでにはどんな経緯があったんでしょうか。

 私は映画美学校を20歳前半の頃に修了をしてから、自主映画を作るたびに撮影機材を借りに足繁く映画美学校に通っていてお世話になっていたのですが、実はそこにあるコミュニティからはやや距離を取るようにしていました。
 そこにいけば、日本映画の最前線に立つ講師陣と話し酒を飲み(自分は下戸ですが)映画論を交わすことができ、まるで自分が映画の最前線にいるような錯覚に陥ってしまう、それがとても不安だったからです。
 ただ、古澤健さんからアクターズ・コースを作るというお話を聞き、とても面白いと思いました。当時は、俳優向けの演技ワークショップが盛んになり始めた頃でしたが、そのほとんどが監督や演出家を講師に迎えていることに違和感を覚えていました。監督や演出家の多くは「演技」の専門家ではない、向かうべきゴールを示すことはできてもそこへの行き方を手取り足取り教えることはできない、という思いがあったからです。また、監督や演出家のワークショップではそこにあるキャスティング権が言外に特典となってしまっていたことも不満でした。だから、アクターズ・コースのように、経験豊かな俳優が、自らの知見を若い俳優たちに伝えていく場を作ることができるのなら、ぜひそのお手伝いがしたいと思い参加しました。

 

4、映画美学校フィクション・コースに入ろうと思った経緯を教えてください。

 中学の頃から映画バカで、映画ばかり見て生きていました。ただ、たまたま見ていたのが自分が生まれる前の海外の映画や白黒映画ばかりだったので、「自分が映画作りに関わる」という発想自体がゼロでした。コミュニケーション能力に自信がなく集団創作をできるとは毛頭思っていなかったことも理由のひとつです。だから、大学2年性のときに、映画を見に行ったユーロスペース映画美学校フィクションコースの夏期講座のチラシを発見したときに、まさか映画を学ぶことができる、映画を作る側に回れるという考え自体に衝撃を受け、そのまますぐに申し込みました。夏期講座を終えたあとに、秋から始まる本講座に通うことになった理由は、夏期講座のグループワークで自分が撮りたいと思った企画を撮らせてもらえなかった消化不良感があったからです。 

 

5、アクターズ・コースの講師として関わってきて、印象的なことはありますか?

 私自身が、生徒の皆さんと言葉を交わすなかで勉強させてもらっているという印象です。まだまだ至らない講師で申し訳ないと思っています。 

 

6、深田さんがご自身の映画を作るときって、ご自身の中で普遍的なテーマのようなものはあるんでしょうか?

 自分にとって信じられること、より普遍に近いと思うことが自分にとって最も大切な「モチーフ」だと思っています。そうなると「結局人間は孤独だよね」ということや「人って死ぬよね」みたいなことを毎回あの手この手で繰り返し描くことになります。ここらへんのモチーフは何度描いても答えがでることはないので、一生取り組んでいくことになるんだろうなと思っています。 

 

7、『本気のしるし』絶賛公開中ですが、この作品で初めてトライしたことなどはありますか?

 10話の連続ドラマを作るということ。漫画原作であるということ。他の脚本家と一緒に物語を作っていくこと、です。

 

8、深田さんの作品は、すれ違い続ける人間の微妙な機微がとても繊細に描かれていると思ったのですが、演じる俳優にリクエストしたことなどはあったのでしょうか。 

 心の機微をこう演じて欲しいみたいなリクエストをしたことはないと思います。毎回お願いしているのは、目の前の共演者とカメラの前でもきちんとコミュニケーションを取りながら演じて欲しい、ということです。そうすれば、脚本に隠された複雑な機微みたいなものが自然と観客の心のなかに浮かびあかるに違いないと思っています。

 

9、深田さんにとって「映画」とはどのような存在でしょうか。

 作り手としても一映画ファンとしても、世界をよりよく知るためのきっかけを与えてくれるものです。演じることも同じなのではと思っています。

 

10、深田さんにとって「俳優」とはどのような存在でしょうか。

 映画作りの創造性に関わる大切なパートナーです。あと、自分にできないことをしてくれる人。いつも助けられています。

 

11、今、興味を引かれていることはありますか?(もしくは、問題だと思っていること、感情を引っ張られるようなことなど)

 日本の文化(に限らずですが)の場の安心安全をどうすれば高めていけるかです。

 

12、アクターズ・コースを今後受講希望される方に何か一言お願いします。

 映画を作ることや演じることは、仕事になる場合もあればそうではない場合もありますが、どちらにせよ限りある人生を豊かにしてくれるものだと思っています。ぜひお気軽にお越しください。

 

深田 晃司(ふかだ こうじ)
1980年生まれ。99年映画美学校フィクション・コース第3期に入学。長・短編3本を自主制作。06年テンペラ画アニメーション『ざくろ屋敷』でパリ第3回KINOTAYO映画祭新人賞受賞。08年映画『東京人間喜劇』でローマ国際映画祭正式招待、大阪シネドライブ大賞受賞。10年『歓待』が東京国際映画祭日本映画「ある視点」作品賞、プチョン国際映画祭最優秀アジア映画賞受賞。13年『ほとりの朔子』でナント三大陸映画祭グランプリ&若い審査員賞をダブル受賞。15年『さようなら』でマドリッド国際映画祭ディアス・デ・シネ最優秀作品賞受賞、16年『淵に立つ』で第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査委員賞受賞。最新作『よこがお』はロカルノ国際映画祭コンペティション部門正式招待。著書に小説『淵に立つ』『海を駆ける』『よこがお』がある。特定非営利活動法人独立映画鍋共同代表。2020年連続ドラマとして製作した『本気のしるし』の劇場版が第73回カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクションに選出。

 

フィクション・コースを知る/フラットな場でお互いに作品を語る

フィクション・コース生の作品を上映し、監督や出演者を招いて作品について話し合うという講義です。映画制作者と俳優はオファーする/されるという関係から始まることも多いですが、両コースが併設されている映画美学校の特色を生かして、まずは作品を観て話す場を作ることでお互いの存在を知り合うところからはじめてみるということをしてみたいと思っています。作品作りをする人たちとコースを越えて出会うことで、お互いに刺激を得ながら学びを深めていく仲間と出会うきっかけになることを目指します。(*高等科要綱から抜粋)

兵藤公美さん、竹内里紗さんが担当するゼミ『フィクション・コースを知る』。
このゼミは、アクターズ・コース第9期から生まれた講義から派生したゼミである。
現在、アクターズ・コースでは修了生を対象にした「アクターズ・コース高等科」、そしてフィクション・コースは第24期初等科後期が開講されているが、コロナ禍ということもあり、この2つのコースの交流の機会というのは非常に少ない。
そういった事情もあり、こういった機会があることはとても刺激的。

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これまではオンラインでのゼミだったが、この日は対面での講義となる。
初めまして、の方々が多い中やはり空間を同じくした方がおしゃべりしやすい、ということと作品性とはまた異なる監督たちの姿を直に見ることで、その監督たちの雰囲気含めて一緒に体感したい、と兵藤さんが最初に説明された。

今回はフィクション・コース第24期初等科前期修了/後期受講の方々の6作品たち。
スクリーンで見たのち、監督が前に行ってみんなでおしゃべり会。竹内さんがおっしゃった「お茶会」という名の通り、作品のこと以外にも好きな映画だとか、また、映画美学校に入ったきっかけなども話していただく。

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アクターズ・コース受講生時代、自分が出演しているということもあってフィクション・コースの同期(第20期生)の作品をスクリーンで見る機会がたびたびあったけれど、その時はやはり講師陣の「講評」としての部分が強かったのと、自身も出演している作品ということもあって「いたたまれない‥‥!」という思いで萎縮している部分も強かった(今思うとそこまで下を向くことはなかったのだけれど)

フィクション・コースTAの松本さんが「普段の講評だとどうしても「習作」としての一面が強いけれど、この講義でアクターズ・コースの人たちは一つの「作品」として感想を述べてくれる。なのでそういった違いも感じてもらえたら」という言葉が印象的だった。確かに、フィクション・コース生たちは作品の尺がどんどん長くなっていって、そこから修了制作という形になるけれど、我々はその過程は知らずに、今回の作品を「一つの作品」として見ている。

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当たり前のことだけど、それぞれが見て感じることが全然違っていてとても面白い。
監督目線からの竹内さんの言葉や、また、俳優目線から見る兵藤さん、アクターズ生たちの言葉たち。
個人的には「映画創作ゼミ」で自身の作品の編集真っ只中ということもあり、「なんでそんなにカットをちゃんと割れるの‥‥?えっフィクション・コースに入ってから初めて映画を作った‥‥?嘘でしょ‥‥?」と内心感動の嵐でした。(知り合いの監督たちにはカット割りという概念がないということにびっくりされるけど、本当に割る概念がないんです)

お互いに勉強中ということが根底にあるのが強いのかもしれないけれど、フラットに感想を話せる場として非常に素敵な時間だった。アクターズ・コースの中で「フラットに話せる場づくり」というのはずっと考え続けられていることだけれど、それがまさに活きている場所だったように思う。今後も続いていくといいなと思った講義だった。

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文責:浅田麻衣

映画創作ゼミ/自分たちで作品を創る、不自由さから得られる何か

コロナ禍のもとで、映画作りは再考を迫られています。映画作りは少なくないキャスト・スタッフによる共同作業であり、狭い空間での密集は避けられないと考えられます。ではどうすればいいのか。
感染対策をした上で、これまでどおりの映画作りをなんとか維持しようとするのもひとつの道です。しかし一方で、映画の歴史を振り返ったときに、非常にマイノリティーではあるけれど、実は多様な映画の作り方があったことは事実です。その中にはたったひとりでキャスト・スタッフを担った映画もあれば、ダイアローグがあるにも関わらずカットバックでは無言の顔しかない映画や、映画であるにも関わらず全編がスチール写真で構成された映画もあります。それらは決して実験映画などではなく、劇映画なのです。あるいは、非常にオーソドックスな撮り方をされているにも関わらず、この状況の中で観ることで新しい映画の作り方のヒントを与えてくれる映画もあるかもしれません。
このゼミでは、そういった作品の一部と接することから出発して、基本的な機材の使い方、編集ソフトの使い方を学んだ上で、実際に映画を企画・制作してもらいます。ゼミで制作された映画は、発表会で上映をし、ゼミ生以外にも鑑賞してもらいます。(*高等科要綱から抜粋)

古澤健さん、竹内里紗さんが担当する実技ゼミ「映画創作ゼミ」。広報を担当している浅田も受講しています。
全6回からなる今回の講義。各回ごとの進行と、講義を受けた感想を綴っていこうと思います。(文:浅田麻衣 )  

第1回講義:1月6日(水)

第1回。本来は対面での講義の予定だったが、緊急事態宣言が明日にも発出されるということで、急遽オンラインでの講義に変更となった。
まず感染対策レクチャーが行われ、その後は講師による今回のゼミの説明。

f:id:eigabigakkou:20210218141910j:plain講義中のメモ 

映画の歴史はまだ浅く、「コロナ禍」である現在も、この短い歴史の中では「ありふれた例外」のうちの一つにすぎない。(サイレント→トーキーへと変化があった際も、それも歴史の中の「ありふれた例外」の一つであるといえるのかもしれない)。
感染対策をしなくてはいけない、という強制性も創作にとってはつきものの不自由さであり、この不自由さ、そしてこの不自由さから得られた技術は決して今後不必要になる技術ではない、という古澤さんの言葉が印象的だった。

自身、2020年の4月〜5月にかけて「今でしかできないことがあるのではないか」と思いZoomを使いつつ遠隔で映像を撮ってみたり、一人でMVを作ってみたりと色々やってはみたものの、直に対面で撮影できないということは自分にとってマイナス要素でしかなくて、ただ疲労してしまったというのが否めない。
でも、講義の中でいろいろな映画のシーン、こんなやり方もある、こんなことも面白いかも、と提案してもらって、単にあの疲労は、自分がこれまで「映画をなんとなく」見てきて、撮り方などの学びの蓄積がなかったからだったのではないか?と感じた。

映画は空間も、時間さえも超えることができる。アクターズ・コース受講生時代にも、一本集団創作したことはあるけれど、あの時から4年経って果たして今の自分が何を撮れるのか。本日グループ分けをして、その後は集団創作にさっそく移る。

第1回-第2回講義 幕間(第1回ミーティング)

私の所属はA班(班はA班とB班の2つ)。A班は期も全員バラバラのため、初めましての人もいる。まずは簡単な自己紹介から始まったオンラインミーティング。そこから自分が常日頃思っていること、好きな場所、どういう作品が好きか、などの話。
こういう時何が難しいって、抽象度が高いところから具体性を持たせる段階をどこに持たせるのか、ということ。

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第2回講義:1月13日(水)

この日もオンライン講義。機材の使い方や、実際に撮影をするときの注意点などについての講義だった。
今回の創作ゼミは、自分たちが持っている機材で撮影を行うというのも大きな特徴。(個人であまり持っていないであろう三脚、照明などは講師の方から借りることができる)。今回はiPhoneで撮影する人が多いので、デジタルズームやAE/AFロックなど、普段なんとなく使っているけれどそれを映画撮影ではどのように使ったら効果的なのか、眼から鱗の情報が沢山。
2人のバストショットを撮るにも、レンズや三脚の使用で動画から与えられる印象は異なってくる。フレームへの意識‥‥‥。この日の講義の最後に、テスト撮影を次回までに行うことが課題として提示される。

第2回講義-第3回講義 幕間(ミーティング×2、テスト撮影)

テスト撮影に向けて2回ミーティングを重ねる。やはり具体的なアイディアにするのは難しい‥‥が、一つのワードとして出てきたのは「食べる」ということ。食べている時の姿、咀嚼音、また食べているその環境などを撮ってみようという話になる。あとは各々持っている機材の確認。

講義が13:30からなので、午前に集合。肉まんを購入して映画美学校近くの公園で、まず食べる姿を撮影。その後は各々気になったものを撮影。
↓この絶妙な距離感‥‥(これがのちのち企画に生きてくるとはその時はついぞ思わなかった。面白いものです)

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第3回講義:1月27日(水)

前半は古澤さん、竹内さん、TAの釜口さんの3名による模擬撮影を見学。3人で出演・スタッフを全て兼ねる。撮影にかける時間配分などが体感として身についていないので、それを実感するための講義。

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竹内さんが書いた模擬撮影用の脚本では、3人ともが出演するシーンと2人が出演するシーンに分かれているので、1人が出演を終わったらぐるっとカメラに映らないように回ってカメラへ移動、パンをする1コマもあり。自分は絶対に録音を回すのを忘れるな、とか、照明も気にするようにしなきゃ、とかいざ自分がその撮影に参加した場合忘れそうなことを片っ端からメモ。
監督は古澤さんだったのだが、カメラ位置とかカットを割るところの判断だとか、どうしてあんなにスパスパ決められるんだろう‥‥。特に私はカット割りが絶望的に下手だろうなという予感があるので、とにかく目に焼き付ける。

第4回講義:2月3日(水)

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第4回目の講義では、それぞれの班が撮影してきたものをスクリーンで見ながら、お互いにその映像への感想や疑問を伝えあった。既にこの段階でA班とB班の進めているもの、撮ろうとしているものが全く違っていて面白い。B班は既に脚本を書いていて室内での撮影を進めており、A班はテスト撮影のちの、今後どうしようか、という段階。

ラッシュ(未編集、NGテイクなどもそのまま繋いでいる状態の映像)を見るたびに贅沢な時間だな、と思う。俳優として撮影に参加している時はできあがった作品だけしか見れないことが多いけれど、ラッシュだとNGテイクからのOKテイクからの変遷が見れて面白いし、このカットの監督とカメラの意図はどこにあるんだろう、と考えるのも楽しい。脚本を知らないので、まっさらな状態でお互いに感想を伝え合うと「そういう風に見えるんだ」と作品作りにもフィードバックができる。

そして、今回でもう第4回。来月には作品ができていないといけない。果たしてA班、大丈夫か。

第4回講義-第5回講義 幕間(2月3日〜2月14日撮影本番)

テスト撮影の反省から、抽象度が高い、曖昧なことを言っていたら(特に期日が決まった創作だと)作品に起こしていくことは我々の班にとっては難しそうなので、具体性を持ったアイディアを持ち寄ることにした。第4回目の講義後ミーティングを重ねた結果、「会話を介さず、ただ非生産的なことをしながら河川敷にいる女たちの集落の話」をすることに決定。
脚本は書かずに、起こしたいイベントや即興などを連ねていく作戦を考えた。10日ほどで準備、怒涛の追い上げ。そして撮影。

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助っ人の皆様、本当にありがとうございました(古澤さんにも全力疾走をお願いいたしました)
晴れてよかった。

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第5回講義:2月17日(水)

この日、スクリーンで見る用にラッシュを繋いだのだが、2時間30分になってしまった。まずはB班のラッシュを全員で見る。B班も河原でロケをしていたのだが、A班と同様に走りまくっていた。河原だと人は走ってしまうのか?
B班は室内での撮影も多いので、照明もこだわっていてとても面白い。

我々A班はとにかく素材を撮りまくった結果、「これは一体どうやって編集をすればいいんだ?まあひとまずラッシュ見てみっか」というラッシュになってしまったが、意外と2時間半集中して見れるもので。何故だろう‥‥。
古澤さんから、「ラッシュで得た感覚を忘れずに編集に生かして」ということで、色々助言をいただく。人間関係を明確にしていなかったけれど、即興を連ねることで少しずつ「こういう関係性なのかな?」と思えてきたり、また、カメラを通して見る俳優の姿が普段とは全然違っていて、自分たちで回していながらも面白いなとしみじみ。

さて、編集に入ります。ここから果たしてどんな作品になるのか。

 

2021/2/17 文責:浅田麻衣

俳優レッスン/積み上げる、実践する

通年で日曜日に実施していた俳優レッスンを行います。基本はダイアローグのテキストを2時間×3回の自主稽古を経てレッスン日に上演していきます。定期的な演技の実践をすることで、各人の課題に取り組み、技術の向上を目指します。(別途稽古時間有り)。(*高等科要綱から抜粋)

山内健司さん、兵藤公美さん、近藤強さんが担当する実技ゼミ「俳優レッスン」。
要綱にある通り、俳優レッスンはアクターズ・コース修了生を対象に開かれていたレッスンでもある。受講生時代修了公演が終わって、今後どうするか、自分はどうしたいのかということを考えていた当時の私にとって、「継続した学びの場」があること、立ち返る場所があるということは非常に心強い存在であった。

ただ、この俳優レッスンは、講師からフィードバックを与えられるだけの講義ではない。レッスン日に向けて自主稽古を設けて、自分たちで課題に向けて稽古を重ね、それを発表しなくてはならない。自分は今回、第2タームを受講している。その模様をレポートに起こしてみようと思う。
(文:浅田麻衣 ) 

レッスン日までの稽古について

レッスン初日では、各々が取り組む課題(脚本)の選定とペア作りを行う(基本的にダイアローグだが、モノローグを希望する場合は1人で取り組んでも良い)。みんながやりたい課題を持ち寄って読んでみるのだが、それがまず楽しい。自分が知らない脚本に出会えたり、また、「課題には向かないかもしれないけど、ただ読んでみたい」という理由で脚本を持ってくるのももちろん可能。
私も今回、10年前に自分が取り組んだ脚本で当時けっちょんけっちょんにお客様にも言われ、個人的にも「なんでこんなにもできないんだろう」と撃沈した脚本を持ってきたのだが、久々に読んで「あれ、なんで当時あんなに自分は苦しんでいたんだろう‥‥」と思うことしばし。(当時の悲惨な思い出が払拭されたのは面白いけれど、その理由がなんなのか考えてみよう)

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レッスンまでの稽古について

ペアが選定された後は、それぞれで稽古開始。
私が一昨年に参加した時はアクターズ・コース第1期の方がペアで、お互い顔は知っているけど、芝居を一緒にやる機会があるなんて思いもしなかった方だった。そのため、まず「初めまして」から始まり、関係を築き合うところ、共通言語つくりから始まった俳優レッスンだった。
今回私のペアは第8期の修了生さんで、一緒に修了公演『革命日記』で共演もした相手。レッスン日までにお互いの予定を合わせ、稽古日を組む。

当日、レッスン日

レッスンは朝10:00〜。この日は兵藤さんが担当。午前中に発表ということで、身体もそれに合わせて起こしていかないといけない。
全員揃った後、まずは「名前鬼」で身体と頭を起こしていく。

※「名前鬼」とは(色々バージョンがあるようですが、ベーシックなものを)
1、参加者で円を作り、1人ずつ自分が呼ばれたい名前を発表。
2、1人鬼を決めて、円の中央に鬼が立つ。
3、鬼にタッチされそうになったら、自分と鬼以外の誰かの名前を呼ぶ。
4、呼ばれた人に鬼が交代。呼ばれた人は「はい!」と挙手をしながら返事をして、亜dれかにタッチしに行く。
5、鬼にタッチされる前に名前を呼べればセーフだが、名前を間違えたり、名前が出てこなかったりして名前を言えずに鬼にタッチをされたらアウト。

「名前鬼」は連続して思考する頭と身体が必要になるので、兵藤さん曰く、稽古前によくやるワークとのことだった。確かに演技中の身体と頭に状態が似ている。
それが終わったら、各ペアで発表スタート。

f:id:eigabigakkou:20210210161618p:plain(個人的には、ただ「やってしまった」感で敗北感でいっぱいでした。稽古始めたばかりの、あの「やってしまった」感は一体なんなんでしょう) 

終わった後は、まず「やってみた感想」を聞かれる。これはどの講師が担当される時も同じ。受講生時代も演じた後はまずこれを聞かれていた。そしてそれを基にフィードバックや、講師から見ての感想、提案が為される。
この「やってみた感想」がなかなか難しい。受講生時代言われていたのは、違和感があったところをそのままにしない、なるべく具体的に、明確に話す。そしてそれを払拭したいのか、もしくはそのままでやってみてもいいのか、今後のプランを明確にデザインするということ。勿論具体性が持てない場合は曖昧なままでもいいが、まず共有するために言葉にするということは「自分で創れる俳優になる」というアクターズ・コースの根幹になることだなと思う。

f:id:eigabigakkou:20210210162524j:plainこの日の自分メモ

この日は、お互いにやってみた感想を話し、その後兵藤さんからの意見と今後のプランについて話し合い、発表終了。

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その後は他ペアの発表を見る。この日は対面での講義が初見だったので、それぞれがどのように仕上げてきたのか、見るのがまず楽しい。そしてフィードバック後に芝居をもう一度返す組があったのだが、そこでの変化も面白かった。

当然のことだけど、二人で稽古している時と決定的に違うのは「観客がいる」ということ。ある組で、観客の方で笑いが生まれたシーンがあったのだが、それは演者としては予見していなかった笑いだったとのこと。ちょっと対応に困ってしまった、という感想が演者から出たが、兵藤さんから「じゃあ笑いがおさまるまで待ってしまっていいんじゃない?」という提案が出る。演者が観客も同じ呼吸に連れていけている証拠だから、そこは笑いがおさまるまで待ってしまってもいいだろう、と。呼吸、リズム、呼吸。

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最初俳優レッスンについて知った時、期を跨いでのレッスンということで、知らない人に当たった時、まずお互いの創作姿勢を知るところから始まるって途方もなく大変だし、自分たちで創作するということに自信が持てなかったため、数年受講を迷っていた時期があった。明確な目的意識がないと、台詞覚えも演技も曖昧な状態でやってしまうということがあるのでは?という危惧。

確かに自分たちで積み上げなくちゃいけないことも多いし、予定も立てなくちゃいけなくて大変な面はあるけれど、過去2回やって少なくとも意識として「適当にやる」ということはないし(まあそもそもそんな意識を持つ人が受けないですよねということも気づいていなかった)途中停滞した時も、「停滞してるわ」という危機感がお互いに生じるので、過去やった演技のワークを引っ張り出してきたり、全く違うアプローチでやってみたりと、俳優視点から創ったらこうなるんだ、ということが見えて面白かった。

あとレッスン日は2回。過程を楽しみながらやっていこうと思う。


文責:浅田麻衣 

高等科生の現在/アクターズ第3期修了・酒井進吾さん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第四弾はアクターズ・コース3期を修了した酒井進吾さんです。

——アクターズ・コースに入るまでに、演劇ってされてらっしゃったんですか? 

酒井 僕小田原なんですけど、社会人の劇団に入ってたのかな。なんかまあ演劇好きな連中が集まって年に一回、公民館っていうか市民会館みたいなところでやる、みたいな。そういう感じのものをやってましたね。 

——社会人劇団に入る前までは、演劇には関わりはなかったんですかね。 

酒井 大学の時に、観劇サークルっていうのに入ってました。その時金沢にいたんですけど、月に1,000円か2,000円払って演劇を観に行く、みたいな。 

——上演するんじゃなくて、観に行く。 

酒井 はい、観劇だけのためのサークルで、あと一切何もないという。 

——じゃあ、その社会人劇団に入ったのは、観劇体験がきっかけなんですかね。 

酒井 きっかけはあれです。それまでバンドやってたんですね。バンドでラッパを吹いてて。そのバンドも、まあ好きなことやってるバンドだったんですよね。で、なんかある日「もうちょっと音楽理論勉強したら伸びるのに」って言われた瞬間、なんか壊れたんですよ。「えっ?何言ってんの?何言ってんの?」みたいな。壊れて、それから全然そのバンドを続ける意思がなくなってしまって。やーめた、って言って、やめちゃったんですよ。で、そのバンドの周辺にいる人たちに「マイクをやってくんない?」って言われて。なんだか知らないけど、ミキシングかなんかやんのかなと思って行ったんですよ。そしたら「マイク」っていう役だったんですよ。人の。 

——「マイク」役。 

酒井 まあ、そういうどうでもいいきっかけで。「やってみる?」って言われた時に、やっぱバンドやってたっていうのがあって、人前で何かやってるっていうことに意味があったんでしょうね。「やりたい」って自分が言ったっていうことは。ひとごとみたいにいいますけど。で、やってみて、演出家の言ってることが分からなかったんですよ。どっちかっていうと感情系のことを言われたんですね。感情っていう言い方はしないけど「そういう表現じゃないほうがいいな」とか。「えっ、何言ってんのこの人?」っていうか。どうみても正解はないじゃないですか。まあ、その人の正解はあるんだろうと思うんですけど。分からなかったんですね、全然。
 で9、10年くらいやってたんですかね。ある日主宰の人が「解散します」って言ったんです。それが2013年、アクターズに入る‥‥いや違うか。その一年前になくなって、「あっそうですか」って言って。でもなんかムラムラしてて。だんだんその、分からない演劇に興味を持っていったんですよ。で「行ったらわかるのかー?」と思って。その頃は(アクターズ・コースは)一年間だったんですね。「あっ、一年間頑張ればなんか分かんのかな」と思って行った、っていうことですね。 

——アクターズ・コースで一年間やって、何か分かりました? 

酒井 いや、分からなくていいんだって思ったんです。答えは。分からないものが好きなんですね、私。分からないと興味を持たないっていうことがあって、で、研究やってるんですけど、研究では、分からないことが出発なんですよね。大抵のものは。分からないものに対してどうやってアプローチしていくかみたいな感じなので。今の研究は分からないことは棚の上に置いときますけどね。分かることをカスタマイズする時代なので。ある意味頭いいなあって思いますけど。だから、分からなくてもいいというか、なんかいろんなことを放り込んで、実験に似てるなと思ったんですよ。「あ、演劇って実験してればいいんだ!」っていうのは思いましたね。それから小田原に戻って、一回自分で書いて演出して、上演をしたんですけど。創るっていうことは、(アクターズ・コースに)行ってなきゃまずしなかったですね。 

f:id:eigabigakkou:20210128135255j:plainアクターズ・コース第3期実習作品『どきどきメモリアル』(古澤健監督)

——私、完全に文系の頭で全然分かってない気がしてならないんですけど‥‥所謂国語とかとは違って、理科とか数学って分かりやすさ、答えが明快に一つあるのかと思ってたんですけど。‥‥あ、でもその見つける過程がすごく時間がかかるということなんですかね。 

酒井 見つからないですね。分からないものを、自分なりに正解を客観的に人に伝えなくちゃいけないわけじゃないですか。「ST○P細胞はあります」みたいな。ああいうノリになってくるわけですよね。まあぶっちゃけ言うと(笑)。半分、半分どころかそれを論文に書いたりしなくちゃいけない、まあ、会社はそれを仕事として認めてませんけど。でも、書くわけじゃないですか。だから、何をもってそれが「本当だ」というのを自覚しないと書けないんですよ。逆に言うと、他の人の論文を読んで他の人と同じことをやっても、なかなか同じ答えは出なかったりするんですよ。やっぱり。ただ、まあ当たり前ですけれどもすごく影響力のある素晴らしい論文っていうのはやっても同じ結果が出ますよ(笑)。だからそうなってくると、やってることが本当に起こるかがまず示さなきゃいけないことで。「誰がやっても起こる」とか。ST○P細胞になりますけど、だんだん。そういう世界になってくるんですよ。‥‥それを自分で判断をするってことですよね。
 あ、昔、上司と喧嘩したことありました。「統計的に有意だから、この差はあるんだよ」って上司に言われて。「いや、ないですよ。1.1倍しか変わらないですよ」「あるの!」って言われて。「有意差がこんなについてんじゃん」って言うですよ。本当はその統計のアプローチって、この二つが、「差がない」と仮定したら、「差がない」ことがおこるのは5%よりも下だから十分「差があること」はおこりうるってことなんですよ。だから効果を言ってるんじゃないんですよね。それは「差がないことはめったにおこらない」って言ってるだけで、結局その10%の差っていうものを、他者に伝える度胸があるかって話ですよ。もし、それを上司の言うように「出ました」って言って隣にぱっと伝わって、隣の人間がやったとして出んかったら、ぶっちゃけおしまいじゃないですか(笑)。「大丈夫だよ」って何を根拠に大丈夫って言ってんのかよく分からなくて喧嘩したことはありましたね。‥‥なんか、何の話にもつながりませんけど。 

——いや、面白いです。逆説的な感じがすごく。 

酒井 「差がないことはめったにおこらない」っていうことが正しい言い方。起こってる効果を言ってるんじゃないんですよね。でも、有意差主義っていうのがあって。有意差がついちゃったら、「統計的に起こってることだから、次いってみよう」によくなっちゃうんですよ。そうすると、3回目くらいで転ぶっていう。3回も有意差は続きませんから、確率の掛け算みたいになってくるんで。だから怖いんですよね。データを自分で「マジだ」って言うのは。‥‥だから、分からないということに対してそうやって、自分の中で自分なりの物差しを使って再現をみてくことは好きだったんですよ。だから、分かるということよりも「これはおこるんだ、本当に?」程度ですね。そんなことをずーっとやってましたね。 

f:id:eigabigakkou:20210128135520j:plain『額』舞台写真

——実際にご自身で作品を作った時、テーマにしたこととかあったんですか? 

酒井 『額』っていう作品だったんですけど。ちょっとありがちっていえばありがちですけど、大きな額が舞台の中にあって。女性の画家がその絵を売りに来て。美術館の椅子みたいなところに座ってるんですよね。そこに、Aっていう男と、Bっていうのは昔恋人だった男。もう破綻しそうな男B、その男が「売ろう」って言ったわけですよ。その絵を。で、絵に対してすごく興味を持ってる男Aっていうのがいて、ぐじゃぐじゃするっていう話です。額だけなので絵っていうのはそこにないんですけれども。Aから見たCみたいなのがあって。みんなそれに対してのCに違う感覚を持ってて。で、ひっくり返すと額って見てるものと見られるものが逆になったりするじゃないですか。「面白いかも」って感じでやってみました、みたいな(笑)。うまく説明できませんけど(笑)。  
 売りたくない女性の画家と、売らなきゃ芸術にならないんじゃない?っていう男と意見が対立して、男は「いい作品だ」っていうふうに分かった、同時に自分が無能だと分かった。同じように画家を目指してたわけですよ。だから売りに回ったと。で、女の画家の方は「意味わかんない」っていうのでぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃあって、それでその、来た男Aが茶々を入れるっていう話で。でその、見に来た男の過去の経験と、女の画家の、男との過去の経験がだぶったりするのもあって。要するに「額」って切り取って「作品にして留めちゃう」っていうことと、女の画家がやりたかったことっていうのは切り取ることじゃなかった、っていうことが、こう「どっちなんだ?」っていう感じです。どっちなんだ、っていうかどっちもなんだろうね、っていう話です。 

——今聞いてて、美意識のこととかをなんとなく考えてたんですけど。額縁に絵がそもそもない、ないものに対して人間が語るとか、不思議な世界観ですね。 

酒井 それを、なんとかっていうアーカイブにあげたんですね。脚本をこうシェアできる。そしたら2回上演されて、その作品が。その時は嬉しかったです。一個が高校生だったんです。で、もう一つは名古屋の大学生の演劇サークルだったんですけど。名古屋は観に行けなかったんですけど、高校の方は観に行けて。演劇部に「難しいんで解説に来てください」って言われて。それを選んだ子も「面白そうだからやってみようと思いました」みたいな感じだったんですけど。なかなか面白かったですけどね。 

——いいですね、自分の作品を他者がやってくれるって。 

酒井 そうですね、へええーーーって思いました。 

——しかも高校生が。 

酒井 県大会があって、代表には全然なれなかったんですけど。審査員のコメントが面白かったです。「よくこんな作品を選んだね」って言われて(笑)。面白かったですね。でも結構、よく覚えてないですけどいいコメントをいただいたと思います。 

——『額』の後は、作品は作ってらっしゃらないんですか? 

酒井 今ちょっと稽古してます。稽古してるんですけど、またコロナでぐじゃぐじゃで色々あって。やるよやるよってずっと嘘ついてるみたいな(笑)。 

——それは舞台作品? 

酒井 まあ舞台でしょうかね。人前でやるっていう意味では舞台ですけど。『額』っていう作品も会議室でやったんですよ。 

——劇場とかではなかったんですね。 

酒井 なかったですね。そんなお金があるわけでもなかったし。借りれたらいいわ、みたいな。今回も借りれたらいいわ、みたいな感じです。

——舞台ではなく、映像を作るっていう方向にはいかないんですかね? 

酒井 うーん。いかないですね。私物覚えも悪いですし滑舌も悪いじゃないですか。カットに集中するっていうのは怖いですね。映画美学校まわりの自主映画とか、そういうのにはいくつか出たことがあるんですけど。一緒にやってすごく楽しい人たちもいましたけど、なんていうんですかね。迷惑感この上ないですよね、この私が、周りのスタッフに対して。うまくいかないと(笑)。なんていうのかな。あの雰囲気に対して。いや、俳優以外の皆さんすごくいい人ですよ。でも、いい人っていうのがいないじゃないですか、演劇作っている時。なんていうんだろう、ある意味、スタッフの方が観客に見える‥‥観客でもないのか。でも、ありえないものが存在してますよね。カメラとか。ある出来事をみんなで創っている意味では同じなんでしょうが。なんか違いますね。 自分が未熟なだけなんですが。でも、「出演、どうですか?」って言われたらすぐ「はい、ぜひ」って受けますけど。そういうきっかけは大切にしようと思ってますけど。どっちのが好きかって言われたら、演劇の方が好きなんですかね。 

——見るのも演劇の方が多いですか?あまり映画館には行かれない? 

酒井 いや、映画は見ます、わりと。それも映画美学校に行くようになってから見るようになったかもしれないですね。映画って本当に『スターウォーズ』とかしか観てなかったです。所謂超娯楽大作しか観なかったですけど。そういうものじゃないんだ、っていうことに気づきましたからね。だいたいあの、地方にいると小劇場みたいなものってないじゃないですか。だから、こんなに幅広い作品があるっていうのはほんまに社会人になるまで知りませんでした。それに「創る」っていうことが映画美学校なんで、「創る」って視点で映画をみるとすごくいろんなものがあって面白いなぁと思いました。ざっくり言ってしまうと。 

——その、映像の現場が苦手ってなんなんですかね。 

酒井 なんでしょうね。映画ってやっぱりこう、自分の感覚じゃないところがあるじゃないですか。その人の足元みたいなところに顔が映ってたり・・・自分の五感じゃないところに「ある画角がやってくる」みたいな。あれが苦手です。「この一瞬に鼻の穴撮ってんのかな、今?」みたいな。「何してんだろう?」みたいな。「はい、OKです」って言われても分かんないじゃないですか。(撮った素材を)見せるところもありますけど。で、ラッシュとかがあって「うわーー」みたいな(笑)。 

——最終的に作品になったものを見ても「うわーー」ってなります? 

酒井 作品になった時思いますね。ラッシュの時は全部あるじゃないですか。「えっこれ撮ったんだ?へえ‥‥」みたいな。まあそれはそれで別に、うん。でも作品になったら、「え〜〜こうなる」みたいな。編集作業に加わったわけでもなんでもないわけですからって思いますけど。なんか刻まれた感あります。自分が未熟なだけですけどね。演劇が好きなのって多分、人間が人間を見てるっていうこと自体の情報量が多いからのような気がするんですよね。私なんか、台詞覚えも悪いけど台詞を聞き取るのも悪くて。劇観に行っても、自分と波長が合わない台詞は流れていってしまう。何言ってんのか分かんない状態にすぐなってしまう。どっちが妹でどっちが姉だったっけ?みたいな。でも人の動きをずっと見てるのは好きなんですよ。そっちの方ばっかり見てたりとか、音響とか光り具合とか、そういうものに興味がいってしまうのも多くて。「人見てないじゃない」って言われるかもしれませんけど。
 人がどこ見てんのかって人の勝手で、言葉を聞きながら何を見てるのかって勝手じゃないですか。そういう勝手感も演劇って生々しいっていうか。いいのかなって思いますね。それが映像になって切り取られてしまうと、ある種の物体のように見えます。彫刻みたいに周りに回ったら変わることもないですよね。逆にいうと、完全に受動体になってみようと思ったり。私にカメラマンの目と耳をつけた・・みたいに観ると、結構面白かったりします。色んな作品が。 あと演劇って、何遍も何遍も繰り返してできるじゃないですか、同じことが。それがいいんでしょうね。何遍も何遍も実験して、有意差じゃないけど。再現性を探り合うみたいな、なんか似てるんですよね、そういうことが。

——確かに稽古って実験ですよね。 

酒井 そうなんですよ。実験とすごく親和性が高いなと思って。演劇楽しいですよ。でも残ったりするわけじゃないですけどね。 

——そこ好きですけどね。残らなさ。 

酒井 それはそれでいいんじゃないのかなておもいます。 

f:id:eigabigakkou:20210128135453j:plainle9juin 『娘、父、わたしたち』 (作・演出 藤井治香)舞台写真

——観劇してて、「この舞台は良かったな」「このシーンは未だに覚えてるな」っていう舞台あります? 

酒井 やっぱり私、一番衝撃的だった舞台は青年団ですよ。「なんじゃこりゃ?」って思いましたもん。素朴に驚いた。なんだこれは、みたいな。今まで演劇とは人の前でパフォーマンスをすることだって思ってきた人間だったんで。あとは松井(周)さんの作品ですね。気持ち悪いじゃないですか。気持ち悪いこと、分からないことって、自分にとってはすごく近いことなんで。なんでこんな気持ち悪いのこれ?って。‥‥っていうか半分は、ストーリーや背景っていうのもありますけど。最近なんか、そういう気持ちわるさみたいな感覚的なことにぶつかってます。「演劇で何がしたいんだ?」みたいな(笑)。 

——それは自分に対してですか?

酒井 そうですね。何を創ろうとしてるんだ?っていうことすごく考えます。なんか、「フィクション」ってよく出てくるじゃないですか、(アクターズ・コース高等科の山内健司さんの)「演技論演技術」の講義で。フィクションの意味がよく分からない(笑)。 

——あれってなんなんですかね?私も、前に「浅田はフィクション性高い」って昔言われたことがあって、全然分からなくて。

酒井 そう。分からないんですよ、フィクション。フィクションがでかいって何?みたいな。 

——フィクションの意味は、虚像、嘘、作り話‥‥虚構性が高い?物語性が高いっていうことですかね。 

酒井 逆にいうとそういうこともありますよね。どこが、何がフィクションなの?みたいな。 

——そう考えると、フィクション、ノンフィクションの境目もなんだか。 

酒井 安部公房の演劇論があった時に、「仮面」って出てきたじゃないですか。仮面被ったら自分の顔じゃないんだから「嘘」だよね、みたいな。でも仮面っていう実在するモノを被るわけじゃないですか。ああ!って思ったんですけど。じゃあ、モノに嘘があってもいいわけですよね。空間に嘘があってもいいし、心の中に嘘があってもいいし。社会に嘘があってもいいわけじゃないですかなんか、心の嘘みたいなそんな心情的な描写が得意なわけでもないし、何の嘘つきたいの?みたいな(笑)。で、ふと戻ると『額』のことも嘘だったのかなって思うわけですよ。舞台の上に額があるって嘘ですよね。じゃあそういうものをポンと出すことによってああいうことが起こったんだって最近思うようになって。で、なんかポンって出せばいいんだって最近思ってて(笑)。なんか「出す」とか極端に何か「無くなる」とか。なんかそんなんでいいんじゃないの?みたいな気がしてて。 

——嘘を考え出すと、逆に「本当」って何なの?とかすごい手繰って考えてしまって。 

酒井 本当っていうものが、ぶっちゃけて言うとないじゃないですか。対極として嘘と本当を1軸にしたところで、ここからは嘘、とかはないわけですよね。本当とフィクションって常に表と裏みたいに同時に存在してるものじゃないかなって。そう思った時に、面白いことが頭に浮かぶのかなーと思って‥‥何にも浮かばない今日この頃ですね。 

——関西にいた頃、顔を白塗りにして作品を何個か作ってたんですけど。今思うとそれを「仮面」というか嘘にしてたんだろうなと思うんですけど。コンクールに出した時には「意味が分からない」ってめちゃくちゃ言われましたね。 

酒井 意味が分からないっていうじゃないですか、人って。意味が分かる方がびっくりするというか「本当に意味分かってんの?」って思うじゃないですか、どっかで。「えっ何分かってんの?」みたいな。自分も分かんないのに分かったんだ、みたいな。わかる・わからないって真実・フィクションみたいだなぁって。今稽古してても、「使ってる日本語がおかしい」とか言われますけど。意味分かんないって。「いや、分からなくてもいいです」って言うとみんなドン引きして。(笑)。

——演出が言ってることが分からないと作品作れないから(笑)。 

酒井 「いや、とにかく普通にやってみましょう」みたいなことを言ってるんですけど。その普通が感覚的にこっちからみるとちょっと違うフィクションだったりするわけじゃないですか。ある人がやってるものが。逆に「そのフィクションもありなのか?」みたいな。フィクションの付け所っていうのか。でもそういうところのフィクションはどうでもいいんですって言ったら、またまたなんか大変になっちゃいますし。大変なことっていうか、みんなで楽しんで創ってるんでいいっちゃいいんですけど。 

——だから今、「演技論演技術」で古今東西色んな人が自分のやってることに意味をつけたりとか、「これが私の演技術だ」って本を書いていることが、本当に凄いなって思いますね。 

酒井 それがある意味フィクションですよね。多分。言語化して何かのフレーム、一種のマスクじゃないけど、そういうものを創造して反応として何か出てくるっていうことをリアリティーってしましょうみたいな。そのフィクションに対して、なんかこうなっちゃった、っていう方がリアリティーみたいな。そのまあ例えば、「横隔膜の高さ!」とか降りてくるにはとか‥‥それによっておこる人間の反応が面白いんでしょうね、多分。そういうことから思うと、フィクションを言語化できるって凄いなと思いますね。 

——その演技論の本自体がもはや「演劇」に見えるし、その本をふむふむって読むことの行為がもはや面白いなと最近思って。 

酒井 そういったものが根底に流れてる戯曲って、もうそれだけで凄いんでしょうね。そういう風にしなくても、違うように料理できるかもしれませんけど。‥‥だって演技論聞いて、その人の演技見て「うん、なるほど」って言ってるのが観劇なのか?みたいな気もするし。美術館に行った時、最近多いじゃないですか。説明があるのが。「この展示はこういうテーマに乗っ取って書いております」みたいな。読んじゃいますけど。絵を見て。題名を見るみたいなことをやれなくなっちゃう。自分が弱いだけなんですが。それを見ちゃうと。そもそも背景こうだよ、みたいな。ああいうものを見ちゃうとえ~どうしよって思います。なんか、もうダラダラっと置いといてくれよ、みたいな(笑)。 

——まず見て、自分の感覚で感じたいですよね。そのあと背景があるならあるで、もちろん知りたいですけど。最近情報が凄い過多な気がしてます。優しくしようとしてんのかは分からないですけど。 

酒井 なんか、分かりやすいことがすごくいいこと、みたいになってきてるんで。どんどん。 

——分かりやすさを美徳とするあの感じ、なんなんですかね。 

酒井 気持ち悪いですね。‥‥やっぱり、なんか共有したいからじゃないですかね?(笑)。なんかこう、情報量を減縮して共有したい、みたいな。「あーそこ分かる」みたいな一つのことにして。 

——それってなんか独裁的な、ナチス的な何か凄い恐怖を感じる。 

酒井 そうそう、だから怖いんですよ。みんな好きなことをやってる時の盛り上がり方とか、導火線があったら「ボン!」といったらみんな「ボン!」っていくんちゃう?そういう気もあって。怖いなーと思いますね。 

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標本室『セルフサービス』(構成・演出:松井周)

酒井 今はあれですか、浅田さんはどっかで稽古に励んでたりするんですか? 

——今は、一つの作品の稽古っていうのは高等科の俳優レッスンの稽古くらいですね。一度、アクターズ同期の子と神社で別役実の作品をやったのは面白かったですね。最後にギロチンで人形の首を飛ばしたりとかする結構過激な内容を神社で。あと、稽古途中で御神体に背を向けてやってもいいのか?って話になって、神主さんに相談したら「あ、御神体の鏡を隠すので大丈夫ですよ」って言われて。 

酒井 紙(神棚封じ)も貼ったってことですか? 

——あ、紙は貼ってないですね。私がやったところは、御神体の扉を閉めればOKでした。 

酒井 家でもあるじゃないですか、仏壇と神棚があって、「法事やるときには紙貼っとけ」って。まさに、紙がフィクションっていうことですよね。そういうの何かないかな、と思ってるんですよ。最近興味持ってるのが、時々「演技論演技術」のところにも書いちゃってますけど「脱人間中心主義」とか。人間が考えているわけですけどね、演劇とかも。人間から生まれてきたのかもしれませんけど。なんかこう、(「演技論演技術」の)岡田(利規)さんの時にもちらっと思ったんですけど。俳優が何かを演技してると、人間自体が浮き立ってこないっていうこともありますよね。だったら、立ってるだけでいいの?とか言われそうですけど。「じゃあ何するんだよ?」と言われると、「うん、何するのかな?」ってなっちゃいますけど。そういうのになんか興味があるんです。で、先ほどの『額』にしても、モノとか「何かがない」とかいうことのにすごく色々思ったりします。人間が右往左往してしまうっていうとそれで終わりなんですけど。特定の目的をもって誰かが誰かに何かをするみたいなところではないところというか。

——でもそうなると、所謂「現代アート」とかそういう方向にカテゴライズされてしまうんですかね。演劇になりえるんだろうか。 

酒井 アートっていうのも分からないですけど。なんていうんだろう、フィクションがどこにあるんだろう?と近いんですよ。例えば「風が見える」っていうのもフィクションじゃないですか。「風が見える奴が出てきて演技をするって何?」みたいな。音とかもそうですよね。うまく言えないんですけど。フィクションっていうか何か建てつけになるのかな?って

——その話聞いてて思い出したんですけど。先輩が田んぼで演劇やるって言って、昔観に行ったんですよ。田んぼにドン!って篝火みたいなやつがあるだけのところで。最初に「演劇やりまーす」って俳優が言って、篝火に火をつけて。そこから10分くらい何も起こらず、「何この時間‥‥」ってなってたら、俳優が出てきてゴロゴロ田んぼを転がって、転がり切ったら起き上がって「終わります」って言って終わったんですけど、あれはもうめっちゃ拍手しましたね。私一人だった気がしますけど、拍手したの。 

酒井 素晴らしい。素晴らしいというか、うん。 

——そうだよね!と思って、全部が腑に落ちたんですよね。 田んぼ、火、人間、ってあったらそうするわ!と思って。私が勝手に分かった気になってるだけかもしれないですけど。 

酒井 そういうことですよ。なんか。いや、地面があって、人間がいて、やることっていうか、そういう関わりってなったら、いろんなものが削ぎ落とされていくっていうか。うまく言えないですけど。地面に対する欲求みたいなものってもくもくと湧いてきたりするじゃないですか。人によって違うかもしれないですけど。そういうのは何だろう、演技とはちがってくるのか?とか。 

——物語があって、役があってっていうのも勿論好きなんですよ。ただあの時目撃したようなこともやりたいなとはずっと思ってるんです。

酒井 地方だから、とか言ってもあれなんですけど、なかなかそういうことに「楽しい!」って思ってくれる人が少ないっていうか、いないですよ。だいたい、「ああ、芝居をやってるんだ」って難しいというか。伝えるのが。

 ——他者への言語化っていうこともありますよね。私自身、俳優レッスン現在受けてますが、もちろん作品として仕上げたいという最終目標はありますが、相方を組む子との共通言語を稽古を通して見つけたい、自分の内面で思ってることをちゃんと言語化したいというのはありますね。 

酒井 言語化って本当にそうですねね、自分のボキャブラリーが少ないというか国語が嫌だったのを今本当に後悔してますね。 

——そうですか?すごく言葉を持ってらっしゃる気がしますけど。 

酒井 ないですよ。ないです。「なんか、1と2の間ね」みたいなことしか言えないんですよ。「AとBがあって、このへん」みたいな。そういう、仮想の軸があってこのへん、としか言えないというか。軸の言葉さえないんですね。こうしてみようということが提案できればいいんでしょうけど、それがなかなか難しい。分からないことばっかりであれなんですけど。 

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音のイメージ
——高等科受けても、結局分からないことばかりで良かったですね、個人的には。 

酒井 面白いですよね。でもなんか、何か創ってみようっていうネットワークみたいなものがあるっていうのはすごく羨ましいですよ。私的にいうと。地方のことばっかりいうのはあれですけど。探し方が足りないだけだろって言われそうですが。 

——いや、ネットワーク‥‥ほぼ断絶してるんで‥‥創作ってなると今一緒にやるっていう人はなかなか‥‥やろうねって誓い合ってる人はいますけど(笑)。 

酒井 ほんまに、ずっと稽古してますよ。ダラダラダラダラ(こつこつこつ)。みなさん、創るということに興味をもっていることは嬉しいんですが。何か足らないというか大切なものが見つかってない気がして。でも、ものすごく気持ち良くしたいんですよ、逆に。気持ち悪いのがすごく好きだから「何これ?」っていうぐらい気持ちいいってどおうなんだろう?とか。俳優が台詞を喋るじゃないですか。喋り方のリズムっていうか音っていうか身体にす~と通り過ぎてくみたいな。 疑問すらなんかもう右から左に全部流れていっちゃうみたいな。そういうのをこっちにしたら、別の世界が立ち上がらないかなと思って(笑)。ごめんなさい、抽象的なことばかり言って。 

——いや、どうやったら立ち上がるんだろうとずっと思ってました。 

酒井 言葉の意味じゃなくて音の意味とか、みたいな。すごく人間臭いこと言ってますけどね、逆に。ひっくり返してしまうと、いろんな自分の周りの音っていうのが、自分に話しかけてくるっていうようなことが立ち上がらないのか。風なことを考えてます(笑)。 

——すごく観たいですそれ。

酒井 すっごく面白くないですよ(笑)。人に話してすごく墓穴を掘ってるんですけど。むかーしそれを、覚えてないかもしれないですけど横田(僚平)さんに喋ったら、「酒井さん無謀だわ!」って(笑)。面白そうだけどね、なんか、なんだそれは?って感じですよね。「なんだか分からない」って言われて、そうだねー、みたいな(笑)。台詞っていうよりも人の喋り声に興味深々です。 

——むずっ。 

酒井 もうこうやって人に喋るごとに自分の首を絞めて、なんとかしないといけないと思うこのごろです。。 

——楽しみにしてます。 

酒井 今年中には上演にこぎつけたいですが・・。

 

酒井進吾(Sakai Shingo)
1961年生まれ。三重県出身。金沢大学理学部生物学科修士課程卒業。映画美学校アクターズ・コース第3期終了。
すきなもの:ナス、生姜、お酒
最近の興味:思弁的実在論・アート・太極拳
メーカーで研究員をやりながら、マイペースで演劇の世界を探索。現在、次回作にむけて稽古中。

出演作:
2016年『額』作・演出・出演 
2017年 『おそろし村』(加藤正顕監督)
2018年 le9juin 『聞き覚えのある名前』(作・演出 藤井治香)
2018年 le9juin『娘、父、わたしたち』 (作・演出 藤井治香) 
2019年 "Mistakes in Tokyo" (Steffan Griffiths監督)
2020年 8月 標本室『セルフサービス』(構成・演出:松井周) 

 

2021/1/19 インタビュー・構成/浅田麻衣