映画美学校アクターズ・コース ブログ

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自分という土壌を耕すこと 〜「俳優」という存在について(2)

 ◆言葉とどう付き合うのか 

古澤 僕は公演を2回拝見したんですが、まず謎だったのは、このマンションはどの街にあるのだろう、ということ。僕の勝手な仮説で言うと、大宮だ、というのが結論なんですが。
松井 (笑)
古澤 「典子」の妹が「今からなら終電に間に合う」ではなく「今からなら新幹線に間に合う」って言うじゃないですか。それで。
松井 なるほど。僕は勝手に八王子だと思っていました(笑)。
古澤 もうひとつ、解決がついていないことがあって。この物語は、何時頃から何時頃までの話なんだろう、と。後半、「立花」が「帰って晩ごはん作って待ってる」って言うじゃないですか。これから帰って晩ごはんを作るということは、少なくとも22時よりは前かなと僕は感じてしまう。でも芝居が始まる時の雰囲気は、もっとずっと早い、夕方頃のような印象があって。
松井 僕も、時間が圧縮されている感覚を持ちましたね。午後の早いうちから始まって、すごい速さで時間が進んでいくような印象。
古澤 だから観終わった頃には、何だかずいぶん遠いところに来ちゃったなあ、って思いました。そういう場合、俳優がよすがにすべきは「リアリティ」ではないですよね。自分のよく知る現実や生活感覚は、その時間軸の中では手がかりになり得ない。面白かったのが、劇中、田中家を訪れた「柳田」という女の子が「わたし、粛清されちゃうんですか?」って言いますよね。でもそれを演じる女優は「粛清」なんて単語は知らないわけです。どういう気持ちでしゃべったの?って本人に聞いたら「しゅくせい、って平仮名をイメージしています」って。

f:id:eigabigakkou:20130321210753j:plain(写真:下江隆太)

松井 芝居って、そういうことだと思うんですよね。世の中、自分がしゃべる言葉にしても、どこまで本当に理解しているかって言われたら、怪しいじゃないですか。「すべての台詞を理解してしゃべれ」って言う演出家もいるけど、みんなして「理解」した勉強の成果を見せられる演劇って、本当に面白いのかなと。例えば棒が1本あったとして、それを伸ばして何かを取ろうとする猿もいれば、かゆいところを掻いてる猿もいて。それぞれの方法で、言葉というツールを使って何かを伝えようとする、台詞そのものの意味はそんなに関係ない。というか、台詞の意味よりも、身振り、音、距離、視線などそれ以外の膨大な情報が存在するし、そこに台詞が乗っていれば、それで充分面白いと思うんです。
古澤 彼女にとって「しゅくせい」は、「意味」ではなく「字面」や「響き」といった物質的なもの。そういう物質に動物として反応しているんですよね。すごい。だからこそ世界が無限に広がっていく。松井さんのお芝居では、一見意味に満ちた物語ですらナンセンスなものになってしまう瞬間があるように思えて、その秘密が、少し見えた気がします。

つづく

[構成:小川志津子]

 

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