映画美学校アクターズ・コース ブログ

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スペシャル鼎談!「古澤健/松井周/佐々木敦」【後編】

こんにちは! 『友情』応援隊のSです! 今日はいよいよ本番初日!

本番直前の今回は映画監督・脚本家の古澤健さん(写真左)、サンプル主宰の松井周さん(右)、批評家の佐々木敦さん(真ん中)による鼎談の後編をお送りします!

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言うまでもなく全員必読!!

刺激に満ちあふれた脳を揺さぶる言葉をご堪能あれ!!!

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〜特別鼎談・後編〜

 

佐々木敦(以下佐々木) 『ジョギング渡り鳥』(以下『ジョギング〜』)は試写とか結構やっているじゃないですか。評判的には悪くないんでしょ?

 

― ダメな人は本当にダメですね。

 

佐々木 ダメな人は最初の5分くらいでもうダメなんじゃないの、あの映画は。

 

古澤健(以下古澤) 『ジョギング〜』は今の編集バージョンになる前から色々な映画祭に応募しては落ちていたという意味では、映画プロパーの人ですら受け付けないおいうことがある映画なので。やっぱり見方が分からないと思うんですよね。それでいいんだと僕は思うんですけどね。どうもそういう野蛮人の姿がドンドンなくなっているのだなという。

 あと、これから映画の学校に行こうだとか俳優養成の学校に行こうと思っている人が「ここはめちゃくちゃな学校だから行こう」という動機ではなくなっているのかな。今は「なるべく上手くなりたい」「プロになりたい」「映画を作るとしたらデビューしたい」とか、そっちが先に立つのかなと思う。言っちゃいけないかもしれないけれど「ここに来てもデビューは出来ないかもしれないけれど」と言っちゃうと、みんな引くんだろうな。

 

松井周(以下松井) でも、昨日も話していたんですよ。演劇とか映画の俳優になるという時に「趣味か仕事か」と二者択一の感覚、「どうせ趣味でやっているんでしょ?」というのと「もう絶対にプロ/仕事だ」という、そうじゃない形があるのではないか、と。『ジョギング〜』だってそうだろうし。別の仕事をしながら作品に参加して、時々作品の作業をしながら働いて、というようなことでやっていく姿、そのモデルというのを多分映画美学校アクターズ・コースでは示すことが出来るという感じがするんです。アクターズ・コース以前にも映画美学校には元々そういうところがあるし。だから、そういう層もいるのではないかなという気はするんですよね。

 

佐々木 本当にその通りだと思う。

 

古澤 僕は結構山内さんの考えていることと近いことを考えていると思っていて。いわゆる俳優とか役者というとそれで食っているとか、そういう風な発想をするけどそうじゃなくて、それをやることによって見えてくる世界というか、そういうのがあるという話を山内さんはたまにしているんです。

僕もそれを実際に感じていて、例えば普段商業映画をやっている時は、良い映画を撮ろうと普通の考え方でやっているけど、一方で映画の現場の経験を経ることで「人間ってこういう風に動くんだ」というのを感じることがあるんですよ。対役者とか対スタッフとの関係性の中で、映画の内容とは関係ないし映画に役に立つとも思えないけれど、1つの生き方として映画制作を通じて「人ってこういうふうに反応するんだ」というのを学んだり。

だから僕の中では一種の人類学的なフィールドワークに近いところというか、そういう感覚があるんですよ。「カメラが中心にある映画というコミュニティ」というか、そういう制作形態、ある期間限定の社会があって、そこで人はこういう風に振る舞えるんだなとか、あるいはそこでこういう異物感があるんだなと。それを見ていることが楽しいというか、それが自分にとって生きている中で非常に楽しい。

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だからそういう意味で、映画の作り方を映画学校で学ぶとか、あるいは役者のことを学ぶというのは、ある種そういうところに参加する1つの手札を手に入れることで。そこで自主映画かもしれないし小劇場かもしれないし、あるいは商業的な作品かもしれないけれど、そういう色々な異世界に一回入って、そこで色々な人を観察して、それをもう一回帰って来た時に自分にフィードバックする旅、というか。そういうパスポートを手に入れる1つの手段であるのかなと思うんですよ。そういう意味で言うと、職業として映画や演劇の世界に入ることが最終目標ではない感覚が僕には結構あるので、それをみんなも感じてもらえれば面白いのかなと思うんですよ。

さっきの話に戻りますけれど、映画というのが安く作れるようになったことの1つの利点というのは、そういう形で参入出来るというか、作ったものが商品として流通することが目標なのではなくて、作ること自体が実は目的にもなれるんだ、ということだと思うんです。

 

佐々木 その通りだと思いますね。最初の方でPFFのグランプリがビデオ作品だった話をされていたじゃないですか。ちょっと広い視野で見ると、映画のメインがデジタルになると、昔と比べると少なくとも撮るという意味でのハードルは極端に縮減されたと思うんですよね。だから、ベーシックコストは凄く下がっているから、映像を作るということに関して参入障壁は凄く低いと思うんですよ。1本の映画を作っちゃうということは結構簡単になって来たと。

簡単になったもう一方では、出口というのが結構難しいと。つまりちゃんと公開して、それがそれなりの評価を得たり利益が出たりとかそういうことまで考えると、もしかすると昔よりももっと状況が悪いかもしれない。

でも、演劇については、ゼロ年代に「小劇場すごろく」と言われたようなものが事実上ある意味で崩壊している。小劇場じゃなくても小劇場的な演劇は出来る。「次はすずなりだ」「次は本多劇場だ」「パルコ劇場だ」というような考え方を一切取らなくても、あるボリュームの中でやっていくことで評価も得られるし持続性もある、しかも面白みもあるということが出来てきた。その映画と演劇の流れって、時代的には平行していると思うわけですよ。そういうようなことが、多分アクターズ・コースの背景にはやっぱりはっきりとある。

もっと踏み込んで言うと、映画でも演劇でも俳優さんの養成学校って他にもいっぱいあるわけですよね。それはまさに俳優訓練校だったりとか、いわゆる専門学校だとかするんだけど、そういうところは今も「プロになれる」みたいなことをもちろん標榜しているわけですよ。さっき古澤さんは「プロになれるなんて言えないわ、このコース」と言ったけれども、今尚「プロになれる」と言っているところからもそんなにプロって出ているわけじゃないと思うんだよね。そういう時代じゃないから。だからそれはある意味ではウソをついているわけですよ。「夢を売っている」というわけで、そういう夢を売るということよりも、そういうことじゃなくてこのカリキュラムに参加すること自体が面白くて、それが何かの役に立つんだということの方が多分、正直。

「俺、俳優のプロになりたいんです」と言う人とか、ここに来てもらわなくても良くないですか?(笑)そうじゃない人が『ジョギング〜』みたいな映画を撮ったりとか訳の分からない修了公演とかをやったりして、そういうのに面白がって来てくれる人たちに向けてドンドンやる。それが何だか盛り上がっている感じになっていけば「あ、何か面白そうだ」と思う若い人もきっと出てくると思う。そういう方が正しい形のような気がする。「ここでプロになれます」みたいなことを言っても、基本的にそのことに誰も責任は取れないじゃないですか。

 

古澤 責任は取れないし、回りを見渡した時に非常に貧しく感じてしまうというか、ある種の画一化の方向にしか向かないよな、という。

 

佐々木 そう。だからそんなことでTVとか大作映画とかの端役を得られたりとか、劇団の養成校に行って公演に出られることになったといってチケットノルマ何十枚も頼まれるとかっていうのより全然マシだと思うんですよね。そっちの方が全然健康的だし、面白いことが生まれてくる可能性があるから。

もちろんそれで凄い勢いで受講希望がジリ貧になっていったら問題あるかもしれないけれど、僕は全然それでいいのではないかと。少なくともアクターズ・コースに関してはもうそれでいいんじゃないの。映画美学校ってそういうもんじゃないんですか、と思いますけどね。凄く無責任なことばかり言っているけれど。

 

古澤 アクターズ・コースが今後どうなって行くのかだとか、さっきも5年と言いましたけれど、もっと言えば結果って10年くらい見越さないといけないと思うんですよ。

映画美学校って振り返ってみた時に、最初は「最強のインディペンデント映画作家を生み出す」ということを掲げてはじまったにも関わらず、他の映画学校に比べて職業監督の輩出率がもの凄く高い。それはもの凄い矛盾。「プロを目指しますよ」と言ったところが結果出せていなくて、「プロなんか目指さない、俺たちインディペンデントだ」と標榜している連中が一番プロフェッショナルとして作品を生み出していけるという矛盾、そういうのってあると思うんですよ。

それって何故かというと、僕らのしていることって、そもそも貧しさではなくて豊かさを作り出そうということだから。演劇でも映画でも僕らの根源的なところで、見たことがないものが見たいだとか、そういう欲望に応えることが僕らの使命だと思うんですよね。この世の中には限りがあるけれど、色々なものが見たいなぁというか。

そういう風に考えると、プロを目指そうと言っちゃった時に、ある意味で排除してしまうというか。『ジョギング〜』みたいなものを撮ろうとしても絶対に排除されてしまう。でも「ここではいいんだよ」「とりあえずお前らの自由にやってみろ」って。自由な発想をすることがいかに難しいか。

人間の身体って教育を受けないと、自由に動けない。一度レッスンを受けないと人間の身体って本当に不自由じゃないですか。身体の動かし方のレッスンって、新しいことを付け加えるのではなくて。元々人間の身体には可動領域がもっとあるはずなのに、社会性を身につける中でいかに人間の身体は不自由になっていくのか、ということが僕の実感なんです。

だから教育って何をするかと言ったら、一回それを外していくというか「元々あなたの身体はもっと自由に動けるはずですよ」ということで。もっと発想も自由にいけるはずなのに、何かを作ってごらんと言うと、みんな紋切り型になってしまう。それを外すことが、映画美学校の良さなのかなと思うんですよね。

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松井 それはそうですよね。演技とかも多分そうだし。「演技ってこういうもんでしょ?」っていうのを、TVとか色々なもので見たことの真似をするというのを外す、というのはやはり最初にやるなと思うし。ずっとそればっかりやっている気もするし。

 

古澤 その1つの結果として『ジョギング〜』という極北の映画があり、『友情』がどうなるかという。これは開けてみないと分からないですけど。

 

佐々木 こういう学校はどこも大変みたいですからね。座・高円寺の劇場創造アカデミーで僕は1年に3回授業をやっているんですけど、毎年全然生徒が集まらないから、このままいくと開講出来ないのでチラシ配ってくれだとか頼まれたりするんです。

それはもっと大きな意味で日本・東京の問題だから、仕方がない部分もあるかもしれないですけど、その中でも個性を出すということしか映画美学校の場合は生き残る方法はないと思うのですよね。過激化するしかないというか。

 

古澤 個性とかラディカリズムを、それこそ貧しくなっている日本の中でみんな求めなくなっているよなぁ。それは映画美学校に限らず感じるから、それをどう変えるかだと思う。

でも、若い人たちに「あなた方は恵まれた時代に生まれたからでしょ?」と言われると、本当にその通りですねって思ったりもしますけど。上手く言えないですけど、本当に繰り返しになってしまうけれど、ビデオカメラを手にした時に、本当に貧しい人たちでも出来るんだという、デジタル化はそういう武器だと思うんですね。

だから映画の長さが90分から120分だというのだって、今までの商業映画の歴史の中でたまたまそうなっただけであって、それが1分であっても10時間であっても本当はいいはず。そのことに対して、頭で考えるのではなくて肉体で反応出来るような人がもっと出て来てくれれば面白いのになと思うんですよね。

 

松井 鈴木卓爾さんが、「ワンピース」って言うんですかね、カメラを固定してただその画面の枠の中で演技をするということをやっていますけど、それはもう映画なのか演劇なのか分からないですよね。たまたまそれをカメラで撮っているから映画になっているけど…

 

佐々木 カメラではなくてそこに観客がいれば、それはもう一幕ものですもんね。

 

松井 そうなんですよ。そういう風に演劇を作って、それをライブで観る人もいて、映像にしてYouTubeに残すとか、そうしたらもう演劇なのか映画なのかよく分からない。その自由さというか、映画だからこう、演劇だからこう、とかではなくて、場所もどこでやってもいいし、それこそiPhoneで撮ってもいい。フィクションを撮ったり、フィクションじゃないものも撮る。僕は『ジョギング〜』を観た時に「あ、これはまだ何かがあるな」と、そういう垣根の超え方への期待が高まった。それこそお金がない状況でも逆にそのことでまだやり方があるという感じですね。

 

佐々木 『ジョギング〜』の演劇側版みたいなのが出て来たら面白いですよね。映画で『ジョギング〜』みたいなことをやってもいいのだったら、演劇の方でも『ジョギング〜』みたいなことをやってもいいというか。

 

古澤 寺山修司さんがやった野外劇とかは、何かコンセプトありきに感じてしまうんですよ。もうそれを、何かを壊そうとかではなく、気付いたらやってしまったみたいな連中がいたら面白いのになと思うんですよね。『ジョギング〜』ってそういう感じの匂いがするから。

 

佐々木 結果論ですよね。結果こういう映画になっちゃったよ、ということで。

 

古澤 だから、俺らはお金がなくて小屋が借りられないからその辺の公園でやろうみたいな、そういうバカなことをやったらいいのに。

 

松井 そうそうそう。昨日、毎日演劇をやって大晦日にその年の総まとめの演劇をやる人たちがいると聞いて、なんだかもうそのくらいの感じでもいいなと。どこでやってもいい。

 

古澤 ちなみに僕の印象ですけど、最近バー公演(※酒場と演劇を行うスペースが共存する、バーでの演劇形態)って増えているような気がするんですけど、あれは昔からある形なんですか?

 

松井 僕は多分最近だと思いますね、ああいう形は。

 

佐々木 多分あったはあったかもしれないけれど、きっとそんなに頻繁ではないですよね。そういうのって面白いと思うと同時に、もう一方ではいかに従来のスペースのハードルが上がってしまっているかというのもあると思うんですね。そのキャパさえ満たせないからそういうところにドンドン行かざるを得ないという。

それは、やっぱりゼロ年代に一回松井さんを含む今の第一線で活躍する40歳前後くらいの人たちというのが、普通の劇場では出来ない、でもやるにはどうしたらいいかということを考えて、まず第一にセットは簡略化した方がいいよねだとか、どこでも出来るものがいいよねだとか、そういうことで発想を生んで来たということがあると思うんですよね。それで演劇というものをやったり観たりする場所のバリエーションというか可能性の幅がグッと広がったということがある。それはクリエイティビティにもフィードバックして凄く良い効果を得たと思うわけですよ。それを逆手に取らないと面白いことになっていかないから。

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ただ、今起きていることはその次の段階の、ある意味では縮小なんだけど、ある意味では前よりももっと全体的な観客人口が減っているということを指していると思う。

 

古澤 僕は、20代はよく劇場で観ていて、30代は演劇から遠ざかって、40代になって映画よりも演劇に行く回数が増えているという感じになっていて。そうなった時に、素人目線で凄く面白いと思って色々と演劇について勉強をしたんですけど、そうしたら今はみんなが演劇は大変だと言っていて。「え、大変なんだ。こんなに面白いのになぁ」って思っちゃうんですよ。映画を観るよりも、といったら語弊があるけども、バー公演とかも含めて、色々なところで必ず毎日どこかで面白いことをやっているのに、演劇の人は、色々なインタビューを読むと…

 

松井 大変です(笑)。

 

佐々木 それはそうだよね(笑)。

 

松井 また話を戻しますけど、映画は上映される時にお客さんをどれだけ呼ぶかということについては、映画館側に依っているみたいなことを前に聞いたんですよ。演劇の場合だと、お客さんの人数によって全部の予算を組んでいるから、確実に入れない限りもう絶体絶命というところがあるのですが。

 

古澤 そうですよね。そういう意味で言うと映画の場合は、商業映画の場合だと制作する段階で劇場ではこれくらい、ソフト化された時にこれだけという見取り図をプロデューサーが立てないと企画にゴーが出ない。もちろん観客数みたいなのと同じです。でも例えば、この企画だったら大手のレンタルソフト屋が乗ってくれるから、前もって何本分のお金を出資してくれるみたいなこともあって。

 

佐々木 要するにファンドだよね。でも、レンタルソフト屋が『ジョギング〜』に乗ります?

 

古澤 難しいですよね。お金を出す方としてはそこで面出しをするためにはやっぱり有名な人が、ということになってキャスティングに口出しをしてきたりだとかそういうことはあったりする。だから、そこの目標に向けてもちろん配給会社も宣伝会社もそれをいかにクリアするかという努力をもちろんしますけど、作っている現場の人間はあまり観客の顔が見えない。

人数とかいうことではなく、どの規模の映画でも台本に書かれている世界観だとか監督の考えている世界観をどうすれば実現出来るかというところでみんなが一丸となっているけれど、動員にかけての感覚はやはりないんですよね。

 

松井 その動員までを含んで、空間にどれだけの人が入ってどういう空気になるかっていうのも、多分演劇の場合はちょっと範囲が狭いんだと思うんですね。でもその分、その場にあることというか、そのことをどう利用するかとか、どういうルートで人が入って来て、どうやってフィクションの世界に入って来てもらえるかという考え方みたいなことは、遊び場を作る感覚と凄く近いので演劇はそれがありきで考えられる。そういう発想の仕方は凄く遊びに近いというか、空間ありきなんですよね。

 

古澤 さっきは演劇と映画の違いみたいな言い方をしたんですけど、今のを聞いたら実は同じだなと思う。それは、僕にとって映画を観た記憶って映画館と結びついているんですよ。例えば『ポンヌフの恋人』はシネマライズで観たな、『バタリアン』は新宿アカデミーで観たな、とか。昔の映画に関してはそういう風に結びついているんですよ。で、僕は今演劇を面白いと思うのも土地と結びついている感覚があってそれはいいんですけど、映画がそれこそデジタル化以降の傾向としては…

 

佐々木 まぁどこでもかけられるもんね。特にシネコンだし。

 

古澤 映画は元々そういう意味では、発想としては今のYouTubeとかと実は変わりないというか。ある土地と結びついている演劇・演芸・音楽があったとすると、それを不特定多数の世界中にばらまくことが出来る、土地から離れたもっと軽やかなメディアなんだというのが、多分発明された時の発想としてあったと思うんですよ。でも、結果として人ってどこで観ただとかの記憶って凄く重要だったんじゃないかなと思う。

それでデジタル時代になって、YouTubeとかをiPadとかで見れたりだとか、Huluだとかそういう配信メディアになった時に、今度はまた場所から離れた抽象的なコンテンツそのものにもう一回変貌しなおそうとしている感じがある。それが20世紀までの映画の記憶と変わって来ているのがあるのかなって。映画って元々そういう軽やかなものだと思ったら、20世紀の100年かけて気付いたことは結果として違うんだと。そういう意味ではそこに演劇と親和性というか、実はどこで何を観たかというのは重要な体験だった、と。

で、いかに今映画が体験から切り離して、そのものとして存在しようとしているかみたいなのが、もう一回21世紀のやり直しの感じなのかな。でもそこに反発というか違和感を覚える人は演劇とかライブとかそっちの方に行くんじゃないかな。もう10年くらいですけど、音楽の方も今はライブの方が重用しされているというか、ライブ回帰しているじゃないですか。その辺も大きな2つの流れがあるのかなという気がするんですけどね。

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僕はさっき演劇と映画の違いについってぱっと言ってしまったのですけど、考えるとやっぱり演劇を観るという体験が、劇場で何かを観るということでは映画でも音楽でも演劇でも共通している部分があるのかなって。そういう体験を求めてしまう部分というのがどうしてもあるのかなという気はするんですけどね。

 

佐々木 映画美学校は劇作家・演出家コースとかやらないの? 次にやれるのはそれじゃない? いっぱい講師をしてくれそうな人がいるから(笑)。そのままアクターズ・コースの講師がスライドしてくればいい。意外と劇作家・演出家を育てるっていうのはなくないですか?

 

松井 ないですね、そういえば。

 

佐々木 今は制作を育てるのもあれば役者を育てるのもあるけど。結構面白いんじゃないかと思うけれどね。

 

― 演劇は役者から演出に回る人が多い印象なのですが、演出だけの人っているんですかね。

 

松井 オリザさんとかはそうじゃないですかね。岡田利規さん(チェルフィッチュ主宰)とかもそうですね。その違いは俳優からそこに行くということよりも、多分前田司郎くん(五反田団主宰)とかもそうかもしれないですけど、演出をやりたいという人はやっぱり人と違う風に世界を見せたいという感覚の強い人が多い。そうですね、僕は俳優として誰かが提示した世界の中で遊ぶという感じもあるので、そこはあまり関係がないのかなという感じがするんですよね。

 

佐々木 たまたま一人の人が両面を持っていることもあるし、全然別のこともあるっていう感じ?

 

松井 うん、そうかなぁ。

 

古澤 一方で座付き作家っていうのって、今いるんですか?

 

松井 いないですね。文学座も座付き作家はいないし。でも例えば、てがみ座っていうところは長田育恵さんという劇作家の人がやっている劇団ですけど、演出家は別の外部の人を呼んでくるとか、そういうのはありますけどね。

 

古澤 だからそういう学校をつくるとしても、ちょっと想像がつかないというのがあるのかな。映画監督とか映画の脚本家って何となくイメージがつくと思うんですけど、演劇の演出だけを目指す人とか演劇の台本を書く専門の作家を目指すという、そういうイメージって共有されているんですか?

 

松井 いや、どうだろう。

 

佐々木 単純にアクターズ・コースがもうあるから、順序としてアクターズ・コースの派生物としてそれは出来るんじゃないかなと。つまりフィクション・コースがあってアクターズ・コースが出来ているというのも逆さまなプロセスと考えることが出来れば、ね。そうしたら例えば、一人の人がアクターズ・コースも劇作家・演出家コースも半分ずつ受けることが出来るようになってくれば、最終的に映画美学校を母体にして映画も作れるし演劇の公演も打てる、みたいな感じ。そこから独立して何かが出来ていくというのももちろんあるだろうけど、そうやって縦の線が見えてくると歴史が出来てくる。それを面白いと思って入ってくる人が将来的にも出て来てくるかもしれないし。

 

古澤 そういう意味で言うと、作品が誕生することの意味も期待しなければいけないけれど、映画美学校出身で、これからは劇団単位ではないかもしれないけれど、そういう新しいものが生まれてきたりすればちょっと面白いかなという気はするんですよね。その時のメンツがアクターズ・コース、フィクション・コース、色々混ざっていれば。元々演劇なんか興味のなかった連中がはじめても良い。一回あるんですよね。フィクション・コースの子が、オリザさんの講義はオープンになっているから参加して、参加したら面白いとなってアクターズ・コースの人たちと公演をやったりしたんですよ。そういうことが今後も起きていけば面白いなって。

 

佐々木 だから「劇団ジョギング渡り鳥」でも良いわけだよね。これがこのまま劇団化してやっているみたいな(笑)。そういうのでも良いわけだし。

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松井 実際やりそうだしね。

 

佐々木 凄くグダグダな芝居になりそうですけど(笑)。でもそれはそれで面白いというか。何しろなくなると思っていたから、5年を節目に(笑)。

 

古澤 ちゃんと、希望かどうかは分からないけれど、前向きな鼎談にはなりましたね。その前向きさに世間がついてきてくれるかどうか(笑)。

 

佐々木 だから『ジョギング〜』も、評判は色々かもしれないですけど、堂々と送り出してほしいですよね。「こんな凄いの、出来ちゃった!」というような感じでいかないと。ツッコミを入れる隙を作らないようにしないと。ツッコミ所は満載の映画なので(笑)。僕は凄く大好きですけどね。

【了】(構成:スズキシンスケ)

 

※『ジョギング渡り鳥』2016年3月19日 新宿 K's cinemaにて公開!!※

www.youtube.com

ジョギング渡り鳥 - 映画『ジョギング渡り鳥』公式サイト

 

2016年3月3日[木] - 3月6日[日]

映画美学校 アクターズ・コース 2015年度公演 『友情』

作・演出:鎌田順也(ナカゴー) 原案『堀船の友人』

 

出演 秋本ふせん 奥崎愛野 川島彩香 菊地敦子 佐藤 岳 綱木謙介 戸谷志織 トニー・ウェイ 豊田勇輝 深澤しほ 渕野実優  的場裕美 連 卓也 山田雄三 (映画・演劇を横断し活躍する俳優育成ワークショップ)

【NEW!】<日替わり出演>
古澤健(3/3 19:00) 松井周(3/4 19:00)
しらみず圭(3/5 14:00) 鈴木智香子(3/5 18:00)
四方智子(3/6 14:00) 市沢真吾(3/6 18:00)

 

【NEW!】応援コメント随時アップ中!

映画美学校 | アクターズ・コース2015年度公演『友情』応援コメント

 

公演日程 2016年3月3日[木] - 3月6日[日]

3日(木)19:00★

4日(金)19:00★

5日(土)14:00/18:00

6日(日)14:00/18:00 ★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

*受付開始は開演の40分前、開場は開演の30分前。

*演出の都合上、開演後は入場をお待ちいただくことがございます。

 

【NEW!】アフタートークが決定しました!
★:終演後に、作・演出の鎌田順也とゲストによるアフタートークを開催いたします。〔30分程度を予定〕

3月3日(木)19:00
トークゲスト:九龍ジョー(ライター/編集者)、古澤 健(映画監督)
3月4日(金)19:00
トークゲスト:松井 周(演出家/サンプル主宰)、山内健司(俳優/青年団)、近藤 強(俳優/青年団

 

チケット

予約・当日共

一般 2,300円 学生 1,800円

*日時指定・全席自由

*未就学児童はご入場頂けません。

 

チケット予約 ⇒ 友情 予約フォーム

会場:アトリエ春風舎

〒173-0036 東京都板橋区向原2-22-17 すぺいすしょう向原B1

東京メトロ有楽町線副都心線西武有楽町線小竹向原駅」下車 4番出口より徒歩4分]

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