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映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

【講師リレーコラム】あなたのオススメってなんですか? |古澤健[映画監督]

今回は監督として、そして最近では俳優としても活動し、大忙しの日々を送る古澤健さんからメッセージをいただきました!

映画『アナザー Another』や『クローバー』、テレビドラマ『37.5℃の涙』など、監督作をご覧になったことのある方も多いのではないでしょうか。

今回はそんな古澤さんからの「オススメ映画」についてのお話。
それではどうぞ〜!

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ひとにオススメの映画や本を紹介するのは難しい。あるいは、「あなたのいちばん好きな映画はなんですか?」という質問には途方に暮れてしまう。 
答えられるけどね。 
難しい理由について書いてみようと思う。 

高校生のとき、ロードショーに飽き足らず、いわゆる「名作」と呼ばれる映画も観てみようと思った。でも、この「名作と呼ばれる」というのがクセモノだ。誰がそれを「名作」と呼んでいるのか。本屋や図書館に行くと、映画史上の名作100選みたいなタイトルの本が何冊かある。あるいは「70年代ベスト10」とかそういうの。高校生だから、手持ちのこづかいは少ない。なるべく無駄づかいはしたくない。少ない投資で多くの見返りが欲しい。というわけでそういうガイド本の情報は必要だと思った。 
あるとき、池袋の文芸坐という映画館で『第三の男』がかかっていた。これは当時どのベスト本にもタイトルが上位にあがっていた。名作といえばこれ、みたいな扱い。だったら観るしかない。文芸坐は名画座だから二本立てだ。それも高校生には嬉しい。 
帰り道、すごいすごいと興奮したのは、『第三の男』ではなく、併映の『暗黒街の弾痕』だった。これだって名作中の名作だ。でも、当時僕が目を通していた本ではそのタイトルがあまり見当たらなかった。なんでだろう。 
1 僕が読んでいた本の執筆者・編集者がサボっていた。 
2 その当時の流行りではなかった(古典にも流行りすたりがある、ということを後に知る)。 
3 僕の調査能力が劣っていた。 
この三つの要因が重なっていたのだろう。まあそれでも、いまでも僕は『暗黒街の弾痕』をスゴい映画だと思っていて、そういうスゴい映画と出会えたという意味で結果オーライだ。 

当時こういうこともあった。 
テレビで『雨月物語』が放映されるというので予約録画をして観てみた(いまでは信じられないが、80年代には地上波で溝口やフェリーニタルコフスキーが当たり前のように流れていて、僕はその恩恵にあずかった)。が、どうしても面白いと思えなかった。ヨーロッパで高く評価されている、と聞いても、それはきっと単なる東洋趣味なんだろう、と思った(紋切型のイチャモンですね)。いわゆる「名作」というのは、どうも選んだ連中が自分の教養の高さを披露するためのツールなんじゃないか、と疑ってもみた。その後、大学生になって、銀座の並木座溝口健二特集に行くことになる。今回は完全に「勉強」モードだった(その理由はあとで書く)。つまらなくても頑張って観る!くらいの気持ちだった。が、『近松物語』『夜の女たち』『祇園の姉妹』『赤線地帯』どれもめちゃくちゃ面白いじゃないか! 興奮しっぱなしだった。その後しばらくして『雨月物語』を再見してひっくり返ることになる。 
このときの問題。 
1 出会うタイミング 
2 溝口健二といえばまず『雨月物語』を紹介する怠惰 
このふたつの体験を経て思ったことがある。自分が好きな映画に出会うためには、もったいないとか言っていたらダメなんだ、と。ひとが勧める映画が自分に合うかはわからないのだから、映画の大海に飛び込んでもがき続けるしかないんだ。ガイド本はほとんど役には立たない。 

それとまた別の話。 
高校のとき、現代国語の最初の授業で先生が「あれ、ほら、ラストで犬のウンコ食っちゃう映画……」と思い出せないでいるときに、真っ先に手をあげて「それって『ピンクフラミンゴ』ですよね!」と言った。その先生とは『ゼイリブ』やら松苗あけみの話でも気があった。と、その先生のことを思い出すと、中1のときの塾の先生のことも思い出す。僕に「人肉食っちゃう小説読むか」と『野火』を勧めてくれた。先生なんてろくでもないな、と当時思っていたし、いまも思っているが、そのふたりの先生は僕にとって年上のいい友人だったと思う。 
高校のときの現国の先生にはその後、19世紀のロシア小説は読んどけよ、と言われて、素直に従って、その結果ゴーゴリといい出会い方ができた。 
初めてつきあった女の子はアメリカ文学を専攻していて、彼女の影響でバロウズを読み、挫折して、でも現代アメリカ文学とは出会えた。 
誰がガイドになってくれるかは大事だ。ガイドがいらない、ということでもないんだな。 

最後に。 
なんだかんだ言って、僕は権威に弱い(ここまで読んだら伝わると思うけど)。自分が大好きな『バタリアン』や『悪魔のいけにえ2』や『グレムリン』や『スプラッシュ』のことを堂々と「好きだ!」とずっと言えなかった。大学の映画サークルに入って、先輩たちに「お前、教養がないな」と笑われたのが結構ショックだったから。だから並木座に通ってもみたし、ブレッソンを観てわかったふりをしてみたりした。しばらくロメロやフーパーやクローネンバーグの名前を出すのを控えてしまった。 
でも、自分が同時代で出会ってしまったものこそ自分を作り上げている、ということを実作をするようになって強く感じるようになった。たとえば僕にとっては『家族ゲーム』は映画版ではなくて、長渕剛主演のテレビ版だ(しかも『2』)。 
新しい作品を生み出すときは毎回迷ってしまう。映画とはなんだろう?と本気でわからなくなる。そういうときは、自分の出発点に戻るしかない。 
同時に、自分の視野の狭さにも気づいている。同時代的な感性や、自分の趣味や興味だけでは出会えなかったたくさんの作品と出会ってしまっているから。 
ひとりの人間が一生で観られる映画の本数なんてたかがしれている。みんなで手分けをしなければ、どこにどんな映画があるのかすらわからない。 
あなたのオススメと僕のオススメが違うことで、そこから対話を始めて一緒に世界の広さを感じられたら、と願っている。 

 

古澤健

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