映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

アクターズ・コースへのメッセージ2014 〜その3〜 西山洋一・村井さだゆき・高橋洋・鈴木卓爾

西山洋市(フィクション・コース講師)

ぼくはフィクション・コースの講師ですが、フィクション・コースもアクターズ・コースと関係がないわけではありません。むしろ大いに関係しています。劇映画の第一の被写体は俳優であり、俳優がいなければ劇映画を撮ることはできません。

そこで当然のこととしてフィクション・コースの実習ではアクターズ・コースの皆さんに出演をお願いすることになります。生徒の実習作品のみならず講師の作品にもたびたび出演してもらっています。皆さんどうもありがとう。ぼくたちは新しい被写体がさらに次々と出現してくれることを待ち望んでいます。

高橋洋(脚本コース講師)

これからの映画は「演出の映画」だと思う。

監督の映画でもなく、俳優の映画でもなく、「演出の映画」。演出とは、監督があーだこーだ指示することではなく、俳優や監督・スタッフの間に起こってしまう「何か」であって、「演出の映画」とはその「何か」が俳優の肉体を通して出現するさまを記録したドキュメンタリーなのだ。(この間の事情は、アクターズ・コースの講義録である塩田明彦の『映画術』を読んで貰うと判ります)映画が監督のものでも誰のものでもない、人々の間に起こる「何か」なんだと判ったトタン、従来の映画の分業システムはすべて見直されるだろう。 人々は当たり前じゃないやり方を見つけ出そうとするだろう。これって実は、かつて撮影所にあった「大部屋」のノリに近いのだ。無名の俳優とスタッフたちが入り乱れて、毎日毎日、映画を作っていた時代。大部屋俳優たちが活躍の場を発見していった映画って、決まって面白いのである。僕の世代にとっては、『仮面の忍者 赤影』や『仁義なき戦い』がそうなんだけど。映画美学校では、アクターズ・コースの出現によって、そうした状況が生まれつつある。ここに来ると、アクターズやフィクション・コースの生徒や講師たちが、時には脚本コースの生徒まで巻き込んで、しょっちゅう映画を撮っている。何だかよく判らないけど、やたら楽しそうで活気がある。映画美学校が目指しているのはこれなんだと思う。何だかよく判らないけど活気がある場。俳優を目指すみなさん、ぜひ、この「場」を目撃して、体感して下さい。そして自分の「場」とは何かを見つけていって欲しいのです。

村井さだゆき(脚本コース講師/脚本家)

映画美学校の中で、脚本コースとアクターズ・コースは、同じ2011年の春に開講し、共に歩み成長してきた縁の深いコースです。授業でも何度かコラボレーションを行い、受講生同士の交流を促してきました。こうした交流を通じて両コースの受講生が得たものは大きいはず。一つには、作品作りについて、全く違う立場からの発想を学ぶということがあります。脚本家と役者は必ずしも意見を一致させる必要はないのですが、意見をぶつけ合うことは、お互いの視野を広げるのに大いに役立ったでしょう。もう一つは、フィクションコースを含めて人的交流を促すことによって、我々は一つの制作スタジオの機能を手に入れることが出来るということです。その成果の一つが、今春公開された映画『イヌミチ』。これによって我々は、プロの肩書を持つ脚本家と俳優&女優を、世に送り出すことが出来たのです。実は、映画美学校にいれば誰であっても、こうした企画を自ら発案し、仲間を募ってそれを具現化する方途が用意されているのです。我々も、そうした複数のコースの受講生同士が協力し合う作品作りを、大いに奨励しています。ぜひ、新しいエンターテインメントを発信する仲間に加わってください。

鈴木卓爾(アクターズ・コース講師)

映画美学校アクターズコースは開校から三年が経ち、学びと出会いと気づきの場として試行錯誤を繰り返しながら独自のカラーを見出しつつあります。講師、受講生ともどもかなりの熱量でやっています。俳優の体力よりはマインドの部分を養う、頭の後ろにセンサーつけるような、俳優神経が身に付く様な俳優講師らによるカリキュラムは、俳優を続けていくうえで恒久的に続けられたらなと思えます。私は講師の側の人間ですが、受講してみたいです。

【以降、その1、その2の再掲となります】

古澤健(アクターズ・コース主任講師/映画監督・脚本家)

僕自身が映画美学校で学んで、映画監督になりました。しかし、「出身校」というのには違和感があります。この10数年、僕は現在進行形で映画美学校に関わっているからです。映画の現場で知ったこと、感じたこと、見つけたことを、共有し、考える仲間がいつでもここにはいる、という感覚です。商業映画での経験を持ち帰り、生徒や他の講師とともに考え、一緒に自主映画を作り、その成果を携えて商業映画の現場へと向かう。それが僕と映画美学校との関わりです。映画美学校はもっとも開かれた現場である、と僕は思っています。原点であり、最前衛の場所、それが僕自身にとっての映画美学校です。この数年、アクターズ・コースで出会った「新人俳優」(と仮に呼びます)との対話を通じて、僕はより一層表現への理解を深めました。いま撮影中の『クローバー』という映画の現場では、僕はアクターズ・コースで考えたことを試しています。そしてその結果を携えて、またアクターズ・コースでみなさんと一緒に表現について考えたいと思っています。受け身ではなく、積極的に問いを深めることのできる人たちと、今年も出会えることを期待しています。

◉兵藤公美(アクターズ・コース講師/俳優/劇団青年団

演技の技術というものは、とてもあやふやなもののように感じている人の方が多いのではないでしょうか。歌やダンスならわかりやすく、この音域が出せるようなったとか、ピルエットが2回転できるようになったとか、技術の向上が目に見え、認識しやすいように思います。演技の技術では、何が、「できている」と呼ぶものなのか曖昧な印象があると思います。

一つには、「心を操る作業」であると言えると思います。この、「心」という実際人間の身体には存在しない部位を、さもあるかのように語ることで、演技術が曖昧なイメージになり、「気持ちを込めることをがんばる」「取り憑かれたかのように役になりきる」という難しいことになるのですが、実は明確に技術として語り、認識できることは、演技にもあります。映画美学校アクターズコースでは、演技の仕組みを理解して、技術を獲得し、自分の演技のやり方をみつけて、幅広い活動に繋げていくことを目指しています。

山内健司(アクターズ・コース講師/俳優/劇団青年団

欲のある人に来て欲しい。ぜひ来て欲しい。俳優としてどこか遠くに行きたい人。どこに行きたいのか、それを見定めたい人。技術はきっとあなたの行動範囲を拡げてくれる。その拡がった旅がさらなる展望を生む。技術とはつまるところ、生還することなんじゃないかな。監督や演出家の無限の欲望のまっただ中に、思いっきり飛び込んで、さまざまなリスクをとりながら、作品をつくる。そしてそこから無事還ってくる。そのやり方。どこに行きたいかを思い描くことと、技術は、きっと両輪なんだよ。俳優の旅は人それぞれ。なんだか、うずうずしている人に、ぜひ来て欲しいのです。

◉松井周(アクターズ・コース講師/劇作家・演出家/劇団サンプル主宰・劇団青年団

アクターズ・コースは俳優という仕事について考える場所だと思っています。俳優の能力とは?技術とは?を実践しながら考えるトレーニング・ジムのような場所。「演技」についてはこれまで様々なことが言われてきました。それらについて議論するのも面白いと思います。けれど、まずは先入観抜きで、歩いたり、挨拶を交わすところから始めたいです。「人間」ってこんな動物なんだなあという実感と認識から始めることが「演技」について大きな収穫をもたらすと信じているからです。実験のような、遊びのような、真剣勝負のような、楽しい時間を過ごしましょう。

古舘寛治(アクターズ・コース講師/俳優/劇団サンプル・劇団青年団

俳優は他の芸術芸能、音楽家や画家、ダンサーなどと同じように才能だけでなく技術が必要だというのが世界での考え方です。その技術を磨く場が不足しているこの日本で、立ち上げ4年目をむかえる映画美学校アクターズコースがその場を担っていってほしい。そう強く願います。

◉深田晃司(アクターズ・コース講師/映画監督『ほとりの朔子』)

こんにちは。深田と申します。現在2014.3.28)アクターズ・コース2期高等科では、映画撮影の準備が進んでいます古澤健さんが総合プロデューサーのような立ち位置で受講生と一緒に脚本を練り、それを鈴木卓爾さんと私で共同監督します。

映画美学校アクターズ・コースの一番の特色と先見性は、ここが監督や演出家ではなく、ベテラン俳優陣が中心となって後進の指導にあたる点にあると思います。なぜなら、監督は100人いればそれぞれ提示するゴール、世界観は異なります。しかし、俳優はそんな有象無象の監督、演出家に付き合っていかなくてはならないからです。そのベースの技術、身体、精神を伝えられるのは、俳優しかいないと思っています。しかし、時には独善的な監督のワガママに振り回されてみる実践経験も必要です。このプログラムが、若い俳優たちにとって、カントクという厄介な生き物を知るいい機会になればと願いつつ、雨に濡れる渋谷を眺めています。

◉野村政之(劇団青年団制作部/劇団サンプル ドラマトゥルク)

私は講師ではありませんが、アクターズ・コースの受講生募集の広報をお手伝いさせていただいているので、結果的に、アクターズ・コースがどんな蓄積をしてきて何をアピールできるのかを、1年置きにヒアリングすることとなっています。

開講して3年が経ち、いよいよ映画美学校ならではの魅力が見えてきました。実際に現場に立つ講師陣とともに俳優の技術を習得できること、自然発生的な有志企画や映画美学校他コースとの協働、ジャンル合わせではなく 俳優 という存在の主体性を意識できること、などがまず言えますが、加えて重要なのが、映画美学校という場を通じ、映画と演劇、講師と受講生の垣根を越えて新たな現場が生まれていること。アクターズ・コース自体の変化と展開が現れてきました。

多分、映画美学校アクターズ・コースは単に養成コースではなく「創造現場への入口」なんだと思います。この先どんな風に発展していくのか、とても楽しみです。