映画美学校アクターズ・コース ブログ

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個人史から語るアクターズ・コース、その3

アクターズ・コースが発行する「ときどき、アクターズ第3号」。「個人史から語るアクターズ・コースその3」は、ちょうど今埼玉、深谷にて高等科短編映画制作で撮影合宿中の第2期高等科受講生。唐鎌将仁さんのインタビューです。ぜひご覧下さい。

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映画美学校において、彼は異才である。ダンサーである。とても異世界であるように思われる。けれど唐鎌将仁の中では、二つの世界は、確かにつながっていたのだった。(取材・文/小川志津子)

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[撮影:下江隆太]

――皆さんにお聞きしているのですが、小さい頃はどんな子でしたか?

僕は普通にしてるだけなんですけど、なぜか「変」とか「気持ち悪い」みたいなことを言われてましたね。どちらかと言えば「よくわからない人」っていうカテゴリーに入れられてました。小学校3年の時に、北海道から東京に転勤してきたせいもあると思うんですけど。ランドセルとか、みんなと同じのを買わなくていいって言われたんだけど、いざ学校に行ってみたら、みんなお揃いのランドセルと上履きで(笑)。そんな中、ひっそりと生息していた感じです。

――部活は?

中学では、ハンドボール部でした。かなりマイナースポーツですけど(笑)。高校では、軽音部に入りましたね。ずっとギターに触ってみたくて、ついに買ってみたはいいけど、「ベースが足りないんだ」って言われて、借りたベースを弾きました(笑)。でも高校では、それまでとは違う居心地でしたね。中学までは「変わってる」って言われてた部分を、高校では面白がってもらえたというか。僕はすごいくせ毛で、それがコンプレックスだったんですけど、高校では「いい髪型してるじゃん」って言われたりとか。

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――表現、というものに出会ったのはどんな経緯でしたか。

もともと、自分から能動的に「こういうことをやりたい」っていう欲求を抱くことがあまりないんです。音楽とかアートとか、表現を志す人が身近にいて、僕はそのそばでふわふわしていて。ただ、その人たちと一緒にいたい、っていう思いだけだったんです。大学3年生の頃、大学の講師として宮沢章夫さんがいらしたのもあって『トーキョー/不在/ハムレット』(05年)を観たんですね。そこで上映された短編映画の中で、宮沢さんが監督をされたものを観た時、何かざわざわしたものを感じたんです。一体どうやって演出してるんだろう、その場で何が作用してるんだろう、って。ダンスシーンがあったんですけど、それを振りつけていたのが「ニブロール」の矢内原美邦さん。友だちに誘われて、彼女のワークショップを受けたところ、矢内原さんから「夏、空いてますか」っていう連絡を受けて。「裏方ですか?」「いえ、出る方です」。えーー!って思いながら参加したのが、ダンスとの出会いです。

 ――もともと身体を動かすことが好きだった?

いえ。何なら、今でも、そんなに好きではないです(笑)。何が何だかわからないままにやってると「君、面白いよ」って言われるという、高校時代と同じ構図が展開されて。ただ、僕の体感として、日常の何十倍もの密度で時間が過ぎていった感じがしたんですね。何者にも代えがたい時間というか。大学を卒業して、派遣の仕事をするようになっても、またやりたい、っていう思いがどこかにありました。

――映画美学校には、どのようにして出会いましたか。

大学で映画に惹かれていた頃から、存在は知っていて、憧れの場所ではあったんです。でも黒沢清さんや青山真治さんがいらして、恐れ多くて近づけなくて(笑)。でもある時、観に行った芝居で、アクターズ1期生の修了公演『カガクするココロ』のチラシを見たんですね。知り合いが参加していたのもあって、いろいろ話を聞いたら、良さそうだなと思えたので。

――ダンスをしていた人が、芝居を学ぶというシフトチェンジはどのように?

映画美学校で「音楽美学講座」を持たれていた大谷能生さんと、舞台を通して知り合っていたんですけど、ある公演で「今回はお前が一番ダメだ」って言われたんです。舞台上では踊り手一人一人が、それぞれが独自のスクリーンであるべきなのに、お前はそれすらできていない、と。思い当たる節はあったんです。「映画のように表現する」って言うと「映ってるもの」を想起しがちだけど、そうじゃなくて「フィルムそのもの」みたいな存在でありたいと常々思っていて。舞台上に立つ上で、「映画である」ということを深く考えたい。それが叶えられる場所が、気づけば、映画美学校に出来ていた(笑)。それでアクターズ・コースに入りました。

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――入ってみて、何か変化はありましたか。

演劇であれダンスであれ、はっきりとした物語を孕まないものを面白いと思うようになりました。それはたぶん、僕が芝居を、ある意味、ダンスとして観るようになったせいだと思います。舞台の上にある身体を観て楽しむ、というか。その上で、コンテンポラリーダンスと現代口語演劇は、極めて近しいと思いました。身体の動きや、せりふだけを磨いたとしても、何も面白くない。舞台の上で、何らかのイメージを、どれだけ強くつかむことができるか、なんですよね。形態が違うだけで、やっていることは同じなんじゃないかとさえ思います。

――映画美学校でよかった、と思った局面はありましたか?

僕は所属している「大橋可也&ダンサーズ」の公演があったので、高等科の前期は受講しなかったんですが、僕たちの公演に、講師の兵藤公美さんに演技指導として参加していただいたんです。ダンサーって、言葉を発することに対して、とても抵抗感があるんですけど、僕らがアクターズで稽古してきたことを、試しにダンサーにやってみてもらって。そしたら、兵藤さんも振付家の大橋も、おそらく想像していなかったであろう何かが生まれたんですね。うまく言葉にできないんですけど。ダンスと現代口語演劇とは、相当面白い関係を結べるんじゃないかと、その時思いました。その実感が、今の自分にとっては大きいですね。堀りがいがあるなと思っています。

――何かの答えがわかったのではなく、次の問いが生まれた?

映画美学校で生まれた何か」というよりは、僕が今までやってきたことと往復するうちに見えてきた何か、という感じですね。修了公演はひとつの作品として終わりましたけど、それはパッケージにすぎなくて。そんなものじゃない、それ以上の何かがここにあるんじゃないかというはっきりとした実感があります。発話するということも、充分、ダンスになりうるというか。たぶん僕は、言葉のある演劇というものに、嫉妬しているんじゃないかと思います。人は、人の動きだけを単純に観続けることはできないと思うんですね。どうしたって、何らかの理由や意味や感情を探してしまう。その、観る人の想像力を、舞台よりも外側に飛ばしたいという思いが僕には強くあるんです。そういう時、「今ここに言葉さえあれば……!」って思ってしまったりする。もちろん、意図的に言葉を避ける踊り手もいるけど、でも「やっちゃいけないこと」なんて無いと思うんですよ。

――おっしゃる通りだと思います。

映画美学校には、監督や脚本家や批評家を志す人がいて、いろんな種類の人たちがひしめいているじゃないですか。その人たちが僕らの舞台を観に来てくれた時の、反応が本当に面白くて。僕は今、自分で作品を作ってみたいという思いがあるんですが、それをどこでやれば、面白いリアクションを受け取れるだろうってことを考えていくと、やっぱりこの学校って相当面白いなと思うんですよ。舞台を観る習慣はあまりないけれど、ものを作ることを志向している人たちが集まる場所。そういう客層って、他を探しても、得難いなと思うんです。普通に公演を打っても、集まるのは基本的に、すでに興味のある方たちですからね。この学校を発表の場として試行錯誤していくのも、かなり面白いだろうなと思っています。

――野望は広がりますね。

僕は、映画美学校に「ダンス部」を作りたいんです(笑)。アクターズのメンバーを中心に演劇集団が出来るのはうっすら想像がつくけど、「ダンス部」って想定外じゃないですか。「動き」に「言葉」を継ぎ足すのではなく、ゼロからごちゃまぜにして考えるチーム。そういうことを、思い切ってやってみちゃってもいいのかもしれないと、最近思うようになりました。