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映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

【『石のような水』稽古場レポート】演じること、観ることの変化について 吉田高尾

 映画美学校アクターズ・コース第4回公演「石のような水」の稽古場を見学させて頂いた。仕事帰りでスーツ姿で行くということもあり、自分が行くことで、稽古の邪魔になりはしないかとおそるおそる映画美学校の地下スタジオへ向かった。TAの坂西さんに言われるがままに椅子に座り、アクターズ・コース講師の松井周さんが俳優の方々にタイミング等の細かい指示を出しつつも、ひとつひとつの動作と台詞についての演劇プランを提案したり、時には俳優自身からプランを引き出そうとしているその共同作業を見ていた。

 

それは私にとってとても新鮮なものだった。観客として演劇を見ている時は、劇の上演中に演出家が劇の進行を止めて、俳優の演技指導を始めて、もう一度、同じところを演じさせるというようなことはまず起きない。しかし、稽古ではそれが起きる。というより、それこそが稽古だ。そんな当たり前のことを改めて言い出してなんになるのだと思われる方もいるかもしれないが、自分が練習してきた演技をして、その演技について即座に査定が下るというのを初対面で何を考えているかわからない人に見られるというシチュエーションは中々もって理不尽な状態だと思う。「本当はこんなんじゃないんだ」「いつもはもっとうまくやれるんだ」「今日来ただけのお前に何がわかる」そんな素振りは誰一人見せない。いい演技をするという目的のためにはそういったマイナスな感情は邪魔になる。そもそもそんな感情は起きない。本当に?

 

演劇を観る観客の一人である私は少なからず笑いや拍手で俳優に影響を与えられると思っていて、自分は無視されないという前提で観ている。そして俳優は、観客は居ないという演技をして演劇を進行する。しかし、この稽古場見学で私のその前提と、俳優の演技が揺らぐ出来事があった。それは、二人の男が遊んだ帰りに何気ない会話をするシーンで、始めはコーヒーカップ片手に会話していて、何度目かそのシーンの練習を繰り返した後に、スマホを見ながら会話するように松井さんが指示をした時だ。この時スマホの内容を俳優が見ながら会話をした時に、私はそこに本当にスマホを見ている人を観た。スマホを見ている人を演じている俳優ではなく、観客も相手役も演出家も無視をして、ただスマホを見ている人がそこにいた。そして、そんな魔法のような演出が生成される現場に遭遇して、今、この地下スタジオで何か新しいものが作られていることに心の底からわくわくしていた。

 

吉田高尾/映画美学校批評家養成ギブス第三期生。

ecrito.fever.jp

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