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映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

【応援コメント!】俳優のブライアリー・ロングさんより!

@『Movie Sick ムービーシック』

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
もうすぐ本番ですよ!こっちも気が気じゃありません!早く観たい!
さて今回は、俳優のブライアリー・ロングさんに今回の公演への応援コメントを頂きましたので、そのコメントを全文掲載致します!
ブライアリーさん、誠にありがとうございます!

 

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映画美学校アクターズコースの皆様、大好きな演出家の佐々木さん、公演のご成功を願っています。
私は演劇や映画を、学校では勉強していないけど、映画美学校のコースはとても面白そう、私も受けてみたいと思ったことがあります。
自分を映画に出会わせてくれた深田晃司監督を始め、素晴らしい映画監督が沢山出ている学校なので、皆さんも今後スクリーンで沢山見れると思います。
佐々木さんの作品に出演したことは私にとって勉強にもなったし、とても楽しい時間だったので、皆さんも精一杯楽しんでください。
劇場でも、映画のセットでも、皆さんに会える日を楽しみにしています。

ブライアリー・ロング(俳優)


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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

予約受付はこちらから!
→ 映画美学校アクターズ・コース2016年度公演『Movie Sick』 予約フォーム

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【応援コメント!】脚本家・映画監督の保坂大輔さんより!

@『Movie Sick ムービーシック』

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
今回は脚本家・映画監督で映画美学校フィクション・コース講師の保坂大輔さんより応援コメントを頂きましたので掲載致します!

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映画美学校アクターズ・コース「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」受講生が出演、映画美学校フィクション・コース受講生がスタッフ、そして現役の映画監督である講師4名がそれぞれ監督し、短編映画を創り上げた「ミニコラボ」。

今回は保坂さんの作品に出演した3名について「それぞれの印象と今後に期待すること」を寄稿頂きました!ありがとうございます!


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アクターズ応援コメント 保坂大輔

 

仁田直人

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仁田君にはアイドルの役を演じて貰いました。「純粋」で「一生懸命」なアイドルを必死に演じてくれたと思っています。そんなに長い時間を共有していないけど、仁田君本人もまさに「純粋」で「一生懸命」な人だという印象を僕は持っています。まだ滑舌が悪かったり、芝居がテイク毎にバラバラだったりするけど、そのひたむきさを持って、自分の信じた道を進んで行って欲しいです。いつか「黒い仁田」も見せて下さい(笑)。

 

外崎桃子

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外崎さんにはアイドルのストーカー役を演じて貰いました。アイドルの自宅マンションのゴミ捨て場に忍び込み、使用済みのパンツを手に入れるというシーンがあります。「嗅いで下さい」という僕の指示に対し、外崎さんは思いっきり嗅いだ後に咳き込んでむせるという芝居を足してくれました。良い芝居でした。単なるストーカーではなく、あの瞬間に彼女の「生」が一気に立ち上がったのだと思います。これからもアイデアを持って、色々な役に立ち向かってほしいと思います。

 

塗塀一海

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塗塀君にはアイドルの生き別れのお兄さんの役を演じて貰いました。難しい役だったと思います。ほぼ全編、寡黙にアイドルの弟を見守り、唯一のセリフが「頑張れよ!」の一言でした。セリフがない故に、間の取り方、立ち振る舞い、一つ一つの動作に神経を尖らせ演じてくれましたよね。その甲斐あり、お兄さんはどの役以上に葛藤を感じ、想いが伝わる人物になったと思います。塗塀君の力です。


保坂大輔 Hosaka Daisuke
1977年生まれ。立教大学映画研究会で8ミリ映画を作り始め、その後映画美学校フィクション・コース第5期に入学。監督・脚本した修了作品『世界は彼女のためにある』が2005年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で審査員特別賞を受賞。その後の監督作に『くりいむレモン いけないマコちゃん』(07)、TVドラマ『ケータイ刑事シリーズ』、『東京少女シリーズ』など多数。近年は脚本家として活動。清水崇監督『戦慄迷宮』 (09)、『ラビットホラー』(11)は 世界50カ国で配給公開され、ヴェネチア国際映画祭出品を始め、国内外で大いに話題を巻き起こした。その他の脚本作品に江川達也監督『King Game』(10)、英勉監督『貞子3D 2』(13)など。監督最新作は、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2016やニッポンコネクション2016にて上映された、第17期高等科コラボレーション作品『お母さん、ありがとう』(15)。


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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

予約受付はこちらから!
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【応援コメント!】映画監督・大工原正樹さんより!

@『Movie Sick ムービーシック』

【応援コメント!】映画監督の大工原正樹さんより!

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
今回は映画監督で映画美学校フィクション・コース講師の大工原正樹さんより応援コメントを頂きましたので掲載致します!

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映画美学校アクターズ・コース「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」受講生が出演、映画美学校フィクション・コース受講生がスタッフ、そして現役の映画監督である講師4名がそれぞれ監督し、短編映画を創り上げた「ミニコラボ」。

今回は大工原さんの作品に出演した3名について「それぞれの印象と今後に期待すること」を寄稿頂きました!ありがとうございます!

 

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『やす焦がし』の鈴木睦海さんと金岡秀樹くんについて

 

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鈴木睦海さんは「オンナは黙ってサッポロビール」のような人でした。ミニコラボ実習では、アクターズコースから配属された二人が「どんなシナリオで、どういう役をやったらその個性が輝くか」をフィクションコース生の班員が模索するところから始まります。僕が採用した設定は、フィクション生の志和樹果さんが書いてきた〈雑貨屋を営む若い夫婦の浮気騒動〉でした。いつもニコニコ楽しそうにしているけれど芯が強そうな鈴木さんのキャラクターが、この『やす焦がし』の若妻・きょん役と合わされば、僕らの想像を少し超える人物を生みだしてくれるのではないかと思ったのです。結果、とても不思議なヒロイン像を一緒に作ることが出来ました。短い映画ですが鈴木さんの役は劇中にやることが多く、舞踏、読経、歌、ミシン掛けにアクセサリーの細工、そしてもちろんドラマ上の役作りと、かなり忙しかったはずです。けれど彼女は、どの課題もコツコツと寡黙にやり遂げていきました。やる前にあれこれ質問はせず、まずは自分で納得いくまでやってみるという姿勢に「潔いなー、根性あるなー」と感心しました。映画作りのプロセスも楽しかったようで、ロケハンや美術の手伝い、仕上げでも編集から整音まで、ほとんど皆勤賞で作業に付き合い、好奇心に目を輝かせながらフィクション生より映画作りを楽しんでいるように見えました。彼女のこの「なんでも楽しむ才能」と持ち前の愛嬌は、これからも役者として必ず活きてくると思います。でも、たぶんまだ何か隠している……。

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今風の若者でも熱を感じる人が多い役者志望の中で、金岡秀樹くんは珍しい宇宙人でした。現場を通じても控え目な優男の貌を崩さず、そのくせどこか心ここにあらずというか、居心地はたしかに悪そうなのだけれど、それをあまり苦にしていない佇まいというか……。といっても役者を志すくらいですから、きっと秘めたる欲望はあるはずで、それを表に見せるのは今ではないと機会を伺っているのかもしれません。大学で神主の勉強をしているという彼がなぜアクターズに入ったのか、最初の方で訊いた気はするのですが、いま覚えていないということはきっと上手くはぐらかされてしまったのでしょう。なんとも捉えどころのない不思議な人です。金岡くんの役は劇中で唯一心の安定した人物だからこそ、その振る舞いが難しくもありました。陰できょんを支える優男ながら、包容力も必要な役です。ラストで安男(松下仁くん)に真実を告げる時の短いセリフが、この拓平という役の見せ場だったのですが、そこは一発OKでした。リハの時からそのトーンが的確だったので、金岡くんには役を捉える潜在的な直感力があるのだと思います。これからの課題としては、普通の歩き方と相手の目を見て芝居ができるようになってほしいなと思います。

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たしか「映像の演技」を志望してアクターズに入ってきた鈴木さんと金岡くんですが、3月の佐々木透さん演出の本公演でどんな芝居をしているのか、また、本気の舞台を経験した二人の「映画の演技」がどう変わっていくのか、とても興味があります。

 

大工原正樹 Daikuhara Masaki
1962年生まれ。高校時代から自主映画を作り始め、大学在学中に中村幻児の雄プロダクションに所属。廣木隆一、石川欣、鎮西尚一らの助監督を務める。その後廣木らが設立した制作会社フィルムキッズに所属し、89年、ピンク映画『六本木隷嬢クラブ』でデビュー。以降は『もう・ぎりぎり』(92)、『未亡人誘惑下宿』(95)、『のぞき屋稼業 恥辱の盗撮』(96)、『同・夢犯遊戯』(96)、『風俗の穴場』(97)などのVシネマを監督する。テレビドラマでは「真・女神転生デビルサマナー」(00)、「七瀬ふたたび」(00)、「ミニチカ」(06)などを監督。他に音楽ビデオ、CF、TV番組、VP等の演出作は数百本に及ぶ。映画美学校では、『赤猫』(04)、『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』(10)、『坂本君は見た目だけが真面目』(14)を監督している。新作『ファンタスティック・ライムズ!』(仮)が2017年に公開予定。

 

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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

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『Movie Sick』稽古見学日記(第2回)/井川耕一郎さんより

@『Movie Sick ムービーシック』

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
今回は映画美学校アクターズ・コース「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」主任講師である井川耕一郎による稽古見学日記(第2回)をお送りします!

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フィクション・コースの講師として長年映画美学校に携わって来た井川さん(写真中央)。

その井川さんが今期からアクターズ・コースの主任講師として、新鮮な目でアクターズのみんなを見守っていた記録——
それではどうぞ!

 

『Movie Sick』稽古見学日記(第2回)

2月1日。
稽古初日。13時スタート。
Scene1は、鈴木睦海さんが仁田直人くんにムービーカメラの前で事件のことを語るように求めるが、仁田くんが抵抗するという芝居。
1回目では、睦海さんと仁田くんが自分たちでどうしたらいいかを探りながら演じた。
それを見て佐々木透さんが言う。「演出家によって考えはちがうと思うんですが、ぼくはリアルふうなものはリアルじゃないなと思ってます。そのひとの切実さが出るのがリアル。ニュアンスじゃなくて、相手に届けるように演じて下さい。相手役のために、相手を助けるように」
また、アクターズ・コース生全員に向けて次のようにも言った。「みんなでクリエーションしましょう。いっぱい迷って、いっぱい悩む。とにかく元気にやって下さい」
2回目をやる前に佐々木さんは四柳智惟くんに、舞台にあがって睦海さんと仁田くんの二人を見るように、と指示。四柳くんは腕組みをして二人を監視するようににらみつけた。
睦海さんが仁田くんにいきなり「騒いで」と無茶な要求をするあたりで、佐々木さんは四柳くんに「騒いで」と指示を出した。四柳くんが何事かわめく。びっくりするほど声が大きいので、何を言っているのか分からない。普段はもの静かなやつなのに。
2回目のあと、佐々木さんが言う。「今の段階ではよっつん(四柳くん)が必要。よっつんは途中でしゃべってもいいです。むー(睦海さん)はもっと言葉を大切に。自分の生理だけでものを言うのは日常。相手との呼吸を大切に」
このあと、Scene1が2回くりかえされる中、睦海さんの「騒いで」という要求に応えるのは仁田くんではなく、他の9人全員ということになった(客席から見えないところで騒ぐ)。
4回目のあと、佐々木さんが仁田くんに言う。「直人はずっとふらふら動いているけれど、動いている理由が分からない。止まるのを若いひとは恐がるんだけど、動く・止まるをきちんとしてほしい。何もできないから突っ立ってますという方が、ふらふら動くより潔い」


Scene1をもう一度やったあと、Scene2に移る。
Scene2では、事件当時の混乱がフラッシュバックのように舞台上に出現する。
佐々木さんは「ひとの波が来た。直人は波に飲みこまれる。むーはカメラの前でそれを見つめている」というふうにねらいをアクターズ・コース生に説明する。11人全員の気持ちが一つにならないとうまくいかない部分だろう。
2回演じていくうち、混乱の中、誰がムービーカメラとイスを持ち運ぶかが決められる。
「セリフだけやってみる?」と佐々木さん。
セリフだけを2回読んでみる。「もっとよどみなく。間がない方がいい」「疾走感がちょっと出てきた」
このあと、佐々木さんは「ワークショップふうになってしまうんだけど」と前置きしてから、まずは5人のアクターズ・コース生に、横一列になって足をそろえて舞台を往復するように、と言った。
「カズ(鈴木幸重くん)、途中から列に入れる?」「カズが入ったら、リオン(米川幸リオンくん)、列からぬけて」
同じことを残りのアクターズ・コース生も行ったあと、全員で舞台を往復することになった。
「今度はセリフを言いながらやってみよう。自分のセリフを言い終えたひとは列からぬける。でも、往復の波は消さないように注意して」
列から一人ぬけ、二人ぬけ……、最後に浅田麻衣さんと睦海さんだけが舞台に残った。立ち止まって、Scene3の浅田さんと睦海さんのやりとりが続けられる。
二人の芝居が終わったところで、休憩となる。14:30。

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14:45に稽古再開。
三脚の上のカメラがビデオカメラから16mmカメラに変更される。
Scene1からおさらい。
「Scene2が難しい。ここをがんばれば、このあとは転がる」と佐々木さん。
全員でScene2のセリフだけを二回読んでみる。
「もう一回やろう。みんなのチームワークを信じています」
動きながらScene2を再度やってみる。11人全員の芝居からScene3の睦海さんと浅田さんの二人芝居になる。浅田さんは舞台上にある物や空間の広さを有効活用して演じようとしている。佐々木さんが浅田さんに言う。「イスの使い方が面白いね」
その後、Scene2がくりかえされる。11人を役に従ってグループ分けし、セリフだけを3回。動きながら3回。演じているうちに、混乱している感じから様式化された動きへと変化していった。
今さっき「様式化」と書いたけれども、これをネタバレにならないように説明するのは難しい。佐々木さんとしては、声は混乱を演じているのだけれども、身体の動きは別の何かを連想させるというふうにしたいのだろう。
動きが見えたところで、Scene2からScene3までやってみる。
次にScene4をやってみる。舞台に登場しない重要人物から事件の再現を記録するように命じられた睦海さんが、被害者10人を何とか説得しようとするシーン。佐々木さんは被害者の間でさまざまな意見が飛び交う部分を書き足したいとのこと。


それから、稽古はScene2に戻った。6回くりかえされ、そのたびに一人一人に具体的な指示が出る。
7回目はScene2の続きでScene3も演じられた。
Scene3だけを3回。1回目のあと、佐々木さんは台本には書かれていない指示を睦海さん、浅田さん以外の9人に出した。
Scene4を1回やってみたあと、10分休憩。
休憩のあとは、Scene1からScene4までをおさらい。
佐々木さんはScene2の混乱からScene3の静寂へとメリハリをつけたいようで、浅田さんに次のように言った。「Scene3の出だしは、長い間のあと、セリフをぽつんぽつんと」
また、Scene4では鈴木幸重くんと四柳智惟くんのやりとりの面白さを見せたいとも言った。
この日は、米川幸リオンくんの長い独白があるScene5をためしにやったところで稽古終了(17:30)。


(第3回に続く)


井川耕一郎
1962年生まれ。93年からVシネマの脚本を書きはじめる。主な脚本作品に、鎮西尚一監督『女課長の生下着 あなたを絞りたい』(94)、常本琢招監督『黒い下着の女教師』(96)、大工原正樹監督『のぞき屋稼業 恥辱の盗撮』(96)、山岡隆資監督『痴漢白書10』(98)、渡辺護監督『片目だけの恋』(04)『喪服の未亡人 ほしいの…』(08)やテレビシリーズ「ダムド・ファイル」など。最新作は監督も務めた『色道四十八手 たからぶね』(14)。本年度より映画美学校アクターズ・コース主任講師。


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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

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【応援コメント!】映画監督の万田邦敏さんより!

@『Movie Sick ムービーシック』

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
今回は映画監督で映画美学校フィクション・コース講師の万田邦敏さんより応援コメントを頂きましたので掲載致します!

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映画美学校アクターズ・コース「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」受講生が出演、映画美学校フィクション・コース受講生がスタッフ、そして現役の映画監督である講師4名がそれぞれ監督し、短編映画を創り上げた「ミニコラボ」。

今回は万田さんの作品に出演した3名について「それぞれの印象と今後に期待すること」を寄稿頂きました!ありがとうございます!

 

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浅田麻衣さん、太田英介くん、鈴木幸重くんとは、20分に満たない短編映画に出演してもらっただけのお付き合いなので、彼らについてはその範囲でのことしかわかりません。もっとも太田くんは、映画美学校フィクションコースの修了生でもあり、監督志望のフィクション生としての太田くんのことは多少知ってはいますが、役者としての太田くんのことを知る機会は、今度の短編製作が初めてでした。

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浅田さんは、芯の強いひとなんだなという印象を持ちました。声音がしっかりしているから、そう思ったんだと思います。発声にぶれがなく、自信に満ちています。ひとつの気持ちや感情を、ストレートに表現できる役者さんだな、と思いました。グイグイ押してくる女性の役を、シリアスにもコミカルにも演じられるのではないでしょうか。

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太田くんは、与えられた役を一所懸命探り、迷いながら演じていたように思いました。立ち止まっては考え、考えては数歩進み、また止まって考える、という印象です。性格なのだと思います。しかし、いわゆるスイッチが入ると、生き生きと、のびのびと、普段とはまったく違った面を見せてくれました。驚かされました。単純に内向的なだけ、あるいは外向的なだけではない、複雑なキャラクターを演じられるのではないでしょうか。

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鈴木くんは、瞳がくりくりとしているのが印象的でした。その瞳で何かをじっと見つめるとき、そこにある種の怖さのようなものが出現して、面白いと思いました。それは、見透かすといった意地悪さや、温かい眼差しとかいったものとは別の、狂気に近いものかも知れません。ひとは何かを鈴木くんほどには真っ直ぐ見つめないものです。面白い物語には欠かせない、本格的な悪役を演じる鈴木くんを見てみたいと思いました。

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万田邦敏

1956年生まれ。映画監督。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。映画美学校講師。主な監督作品に『UNLOVED』(01)『The Tunnel』(04)『ありがとう』(06)、『接吻』(07) 『シンクロナイザー』(16)。映画美学校では、コラボレーション作品として、『夜の足跡』(00/シネマGOラウンドの一本)、『う・み・め』(04)、『×(かける)4』(08)、『イヌミチ』(13)を監督。

 

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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

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【スペシャル対談!】「映画 × 演劇」(佐々木透 × 深田晃司)【後編】

@『Movie Sick ムービーシック』

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
特別企画!今回の修了公演を担当する佐々木透さんと、映画監督・深田晃司さんのスペシャル対談の後編です!

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大好評だった前編に引き続くこの対話!見逃してはなりません!
それではどうぞ!


「映画 × 演劇」 佐々木透 × 深田晃司

【プロフィール】
佐々木透
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

深田晃司
2002年より長短編3本の自主映画制作後、06年、『ざくろ屋敷』を発表、パリKINOTAYO映画祭にて新人賞受賞。09年、長編『東京人間喜劇』を発表。同作はローマ国際映画祭、パリシネマ国際映画祭に選出、シネドライヴ2010大賞受賞。10年、『歓待』 で東京国際映画祭「ある視点」部門作品賞、プチョン国際映画祭最優秀アジア映画賞、TAMA映画祭最優秀新人監督賞を受賞。
05年より劇団青年団演出部に所属しながら、映画制作を継続。11年にこまばアゴラ劇場で初の映画祭を青年団俳優とともに企画開催した。16年、『淵に立つ』で第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した。


:::::以下対談本文(後編):::::


佐々木透(以下 佐) 先ほどから話している脚本コースの講義で、受講生からの質問で「例えば戯曲の言葉と脚本の言葉の違いって何ですか」「佐々木さんが考える戯曲の言葉って何ですか」というのがあったんですね。それで僕は「身体を伴う言葉であることが戯曲では大切なのではないか」と答えたんです。「たくさん喋ろうが少なく喋ろうが、やっぱり肉体が伴っている、「ボディ」ということですけど、そういうものに手が掛かっていないものは言葉としては非常に弱いんじゃないか」と何とかお答えしたんです。
僕は「足していく」方が好きなんですよ。好きというか、足すことでしか達せられない感覚を今のところ信じていて。

深田晃司(以下 深) 足すというのは「言葉を足す」ということ?

佐 そうですね。で、オリザさんは「引く」。もうトコトンまで引いて、本当に引いたところからの肉体というか、そういうものになっていると思うんです。そこまで行くと、「足す」ことも「引く」ことも最終的には「詩」にもなるし、その「詩」というのは身体というか、何か肉体的であるなぁというのがあって。そこに到達出来れば、表現としては一先ず何とか立てたと思うようにしていて。ある意味青年団のやり方というのを「映画的」と考えて、そうやって1つ結論付けられてもいいかなと思ったんですけど、例えばあれ以外のやり方がないのかなというのを、今回の修了公演のテーマにはしたいかな。

深 なるほどねぇ。いや、観たいですね。青年団から離れてちょっと話戻っちゃうんですけど、まさに佐々木さんも非常にご縁があるSPACで、去年かな、フランス人のフレデリック・フィスバックさんの演出でコルネイユの『舞台は夢』をやっていたのですが、これはまさにさっき言ったような舞台にカメラを持ち込んでその映像をライブでスクリーンに映写しながら進めてゆく作品でした。
最近ビデオカメラが手軽になってプロジェクターも安くなったから本当にそういう作品が増えて来たなと思うのですけど、やっぱりその中でも上手くいっているのもあればなんだかなぁというものもある中で、僕は結構上手くいっているな、面白いなと思った作品でした。
夜の森で男と女が不倫したりなんなりっていうシーンになったら、突然カメラマンが舞台上に2人現れて、その俳優の顔を映し出しながら芝居がそのまま進むんです。その瞬間、完全に舞台が「従」で映像が「主」になっちゃうんですね。舞台だけ観ているともうほとんど成立していないんですよ。もちろん男と女が舞台上で芝居をしているんですけど、とりあえず観客は映像の方を観る。不倫をしている女の顔をアップで撮っているんだけど、当然舞台上は森には全く見えないんですね。でもスタッフがカメラの前で木の枝を揺らしたりして、それをちょっとなめることで「あ、夜の森だ」と映像の方では森に見えるという(笑)。

佐 へぇ〜(笑)。

深 それをリアルタイムでスイッチングしてカットバックとか「編集」しながら、そのシーンは映像の中だけで完結させてしまった。

佐 でもそれだけですか? そのシーンだけ?

深 そのシーンだけ(笑)。それ以外のシーンでも一応使ってはいるんですけど、そこまで確信犯的にヘンなことをやっていたのはそのシーンだけなんですよね。

佐 そこだけ確信犯的に、ということは「お前はどっち観るの?」っていうことなのかなぁ。だって舞台じゃないですか。で、舞台で同じことが同時間で別の視点を生むっていうことでやっているのに「お前は劇場に来ているけど、どっちを観るの? 実相としてどっちを観るの?」みたいなことなのかな(笑)。それは非常に興味深いですね。でもその部分だけだったらどういうメッセージがあったんだろうなぁ。

深 それは正直分かんないんですよ(笑)。

二人 (笑)。

佐 でも印象には残ったということですよね。

深 非常に印象には残りましたね。まぁ公演タイトルが『舞台は夢』という、俳優が演じている芝居の内容と、舞台で俳優が演じることと、「人生はそもそも夢である」というようなことが入れ子構造になっている中で、そこにさらに「映像の中で生きる俳優」というものが入れ子構造の1つとして挿入されていたと思うんです。だから、入れ子構造の1つとして挿入させるためには「映画作品」としてそこで完結させなくちゃいけない、舞台を補完するものではなくて入れ子構造の1つとして成立させる、という意図があったのかなぁと観ながら思ったんですけどね。

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話していて思い出したけど、これは「映画的」かどうかは全く関係なく、単にカメラを使った演出で面白かったのは東京デスロックの『ROMEO&JULIET』ですね。

佐 結構前じゃないですか?

深 2009年です。ご覧になりました?

佐 拝見してないですね。

深 あれは舞台にスクリーンがあって、リアルタイムでそこに映像が流れていて。まぁ東京デスロックだから当然マトモにはやってないんだけど(笑)、かなり実験的な舞台のフックとして「ロミオとジュリエット」が使われていた。最後にロミオがジュリエットのもとに近付いていく場面で、当然舞台ではセリフとか舞台転換とかを駆使して表現されるものが、東京デスロックではキラリふじみのマルチホールの入り口のところからロミオをスタートさせて、しかもロミオに目隠しをさせていた。だからロミオ役の俳優はもう手探りで進んでいくしかなくて、自動販売機を触ったりだとか道を間違えたりだとかするのをリアルタイムでカメラで中継しながら舞台にやって来るまでスクリーンで見せるという方法をやっていて、あれは面白かったですね(笑)。

佐 そのような話も高橋先生としたんですよ。映画人はテレビの中継に怯えた時期があった、みたいな話になって(笑)。
僕は「同時性」みたいな部分で、ネットの生中継のメディアが段々台頭して来た時に得も言えぬ焦燥感に襲われた、というような話をしたんです。ドキュメンタリーじゃないんですけど、例えば生きるか死ぬかみたいなことの動画を自撮りでも何でもいいから撮っていて、それを中継していて実際にセンセーショナルなことが起こっちゃったものを同時間に見ているという、得も言えぬドキドキ・ハラハラ・ワクワク、そういうものが演劇のハラハラみたいなものと「同時性」という点で比べると、ちょっとこれはマズい、演劇が対抗出来るとすれば「場」「同じ場所にいること」くらいじゃないかと思った。
それも2009年とか2010年くらいにUstreamとかニコニコ動画とかが段々と出て来て、今はコンテンツの使われ方としても割と固定して来たので心は落ち着きましたけど、当時はざわつきましたね(笑)。

深 なるほど。その話を聞いて、僕の意見はちょっと違うかなと思っていて。「一回性」と「再現性」ということに関して言うと、僕は映像の方が「一回性」の表現だと思っていて。例えばUstreamでの「同時性」でドキドキするという、その感覚は多くの映画人が追い求めるものだと思うんですね。
分かりやすい例だと、アッバス・キアロスタミ監督なんかは、脚本に縛られない、俳優がカメラの前でリアルに生きてしまう瞬間を追い求めていて、『クローズ・アップ』っていう作品では実際にテヘランで起きた詐欺事件をそのまま使ってしまった。ある裕福な家庭のもとに、自分はモフセン・マフマルバフというイランで一番人気のある監督であると名乗った男がその家庭の中に入り込んでいって「君たちを使って映画を撮るよ」と一週間ぐらい居座ったんだけど、本物の写真を見たその家族の長男が「全然違げえじゃん、コイツ」と気付いて嘘が発覚して、警察に通報して逮捕された、という詐欺事件をキアロスタミが面白いと思って、すぐにカメラを持ってその犯人役の男のインタビューを撮って、その男が出所したらその男と詐欺に遭った家族を全員集めてそれを映画にしちゃった。

佐 (笑)。

深 だから再現というか、彼らを俳優にして、同じ事件を映画にしてしまうということをやっていて、やっぱりその映画的な生々しさたるや凄いんですね。カメラの前で何かが起きているという感覚は多分かなりリアルタイムに近いものがあって。
「演劇は生で、映画は複製芸術だ」とも言えるんだけれども、一方で言い方を変えてしまえば、演劇は絶対に繰り返せないといけないじゃないですか。演劇が演劇として成立するためには、俳優は10回でも20回でも同じことが出来ないといけない。そういうことが宿命としてある表現の中で、映画の場合はカメラの前で俳優が1回真実を見せてくれれば、10回やって10回とも別のことをやっていてもそれでもうOKというメディア。そういった意味では、実は映画の方が「一回性」の生々しさというのは技術的には出しやすいんじゃないかと思っていて。

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多田淳之介さんの『ROMEO&JULIET』がドキドキしたのは、演劇でありながらさらに目隠しして俳優がどっちに動けばいいのか分からないという緊張感の中でそれを同時中継するという、再現芸術である演劇に中に「一回性」みたいなものをぶち込もうとしたのかな、と思ったり。

佐 「一回性」「一過性」を別の言葉で言うとインプロですかね。インプロみたいなシーンを演劇の中に作る、か。

深 どっちが「再現性」でどっちが「一回性」かというところになると、実は結構捩じれてくるんです。

佐 捩じれてきますねぇ。でも演劇と映画はやっぱり別なんですよね、きっと。別は別なんだけど、でも俳優がいて、ディレクションする立場の人がいて、というのがあって、ここまでは同じなんだけど、立ち上がる過程も違うし、以前創作過程の時間の流れ方が違うというお話はさせて頂いたんですけど、やっぱり時間の考え方が全く違いますよね。

深 う〜ん…難しいですね。

佐 別に結論を出すあれじゃないですから(笑)。

深 ここで結論出ちゃったら修了公演する意味なくなっちゃうから、その結論は修了公演で見せて頂ければ(笑)。

佐 いやいや(笑)。そうだ! 深田さんは演劇を作ろうとは思わないんですか?

深 一応青年団に入団する時に、流石に演劇やる気ないですと言ったら落ちそうな気がしたんで、オリザさんに面接で「演劇も作りたいと思っています!」って言ったと思うんですけど、12年作ってないですね(笑)。

佐 (笑)。でももしそれをやったらアタックなことだし話題にもなるんじゃないですか。

深 何となく妄想したのは何本かあるんですよ。本当に昔「これやったら面白いかもしれない」と思ったのは、まさに偶然性を演劇の中にガンガン入れていくというアイデア
三谷幸喜さんの『君となら』という舞台があって、自分が高校生の時にテレビの中継で観たのですが、その最後のシーンで面白かったのが、婚約者の男性がその恋人のお父さんに自分を認めてもらわなくちゃいけない、となるところ。それで、そのお父さんが出した条件が「バスケのシュートを決めろ」というもの。それを実際にやるのだけど、舞台では当然一発で決まるとは限らないのですよ。だから決まるまでやり続けるっていうあのドキドキ感。

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その作品は最終的にはシュートが決まってハッピーエンドになるんだけど、どっちに転ぶか分からない偶然性的な部分を全面的にぶち込んでそのどちらになるかで物語が分岐していくっていうアイデアは面白いと思った(笑)。俳優が何かをやって、成功したらこっちの物語になる、失敗したらこっちの物語になるっていうのを細かく分岐していって、10回公演したら10回とも物語が変わってしまうっていう(笑)。これを演劇でやってみたら面白いかなぁって。

佐 昔、僕らの世代にはゲームブックってあったじゃないですか。

深 あ、そうそう。もうその発想です。

佐 ゲームブックっていつの間にか廃れちゃったけど面白かったですよね。アルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルが書いた『石蹴り遊び』という小説があってですね、これはゲームブックなんかよりもっと昔の作品で、割とゲームブックの本流なんじゃないかなと思っていますけど、深田さんが今仰ったみたいに結末が変わるみたいなんですよ。「このパターンで読んで下さい」「別のパターンで読んで下さい」みたいな指示があるらしい。この発想は、構造的には凄く演劇だなぁと思っていて。
だから、僕らは「これが演劇だ」みたいな感じではなくて、色々な側面で捉えるところに来ているじゃないですか。そういうふうにして常日頃から表現の意識を浮遊させているというか。それで自分の表現に新しい要素というか、創作のモチベーションにするということがあると思うんです。
だけどやはり多くの人にとっては「映画は映画」「演劇は演劇」と、ジャンルの意識というのが改めて凄く強いのだなぁと思いましたね。だから、こっちから「いや、それはそうなんですけど、別にこういう見方も出来ますよ」ということを何となくガイドすれば、感覚が開いて来るみたいなんです。そういうところで色々なものが生まれて来るんじゃないかぁと思うんです。

深 修了公演では映画と演劇の新しい形みたいなものを見せてくれると(笑)。

佐 映画の人にそんなこと言われてもう本当にヒドいですね(笑)。

深 難しいですよね。

佐 難しい。

深 ここに来た時は全然考えてなかったんですけど、今回は佐々木さんがそう宣言してくれたので(笑)。

佐 いや、別に普通に芝居やってもいいのですけど、仕事としてただ単に流れていくっていうのは何か面白くなくてね。

深 でも、この対談のスタート地点に戻るけど、確かにそうなんですよ。映画の中で演劇が効果的に使われている作品というのは確かに凄くたくさんある。最近でも濱口竜介監督の『親密さ』という映画で、前半が演劇を準備する若者達の姿で、後半が2時間全て演劇の中継で費やされるという。その演劇の様子が映画として捉えられていて面白いんです。演劇の中でも「あ、これは映画だ」っていうのを出来れば、ね。

佐 そうそう。

深 場面転換が激しいとかスピーディーだとかで「映画的」だと言われる舞台もあるんだけど、それってやっぱり表層的で映画の本質なのかぁっていう気がするんですよね。別に色々な逃げ道を潰していっているわけじゃないですけど(笑)。

佐 いいんです、いいんです。もう逃げ道を全て潰してくれた方がいいです、逆に。「あれは深田さんが言っていたからやれない」とか、その方がね(笑)。でもやっぱり「モンタージュ」っていう強烈なキーワードを頂いたので、6期生にはもう自分が掴んだかのように「モンタージュだから!」みたいなことは言えるなと思います(笑)。「いいか、映画は、モンタージュだ!」っていうふうに(笑)。

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でも、修了公演を終える前に帰結しちゃいそうで怖いんですけど、やっぱりオリザさんの舞台は「映画的」だなと思いましたね。人がいなくなるっていう。

深 やっぱり演劇って、基本的に主役は俳優じゃないですか。俳優がいなければ舞台は成り立たない。でも映画って、映画における俳優って、実はたくさんある被写体の中の1つでしかない。もちろん何か物語を撮ろうとすると俳優が一番映ることは間違いないのだけれど、でも実は俳優じゃなくてもカメラにとって魅力的であれば、被写体が水でも木でもよくて、必ずしも俳優って存在を必要としないのが映画という表現だったりするんですよね。
だからオリザさんが描こうとしているものは、もちろん俳優を使って舞台を作っているけれど、個々の俳優一人一人というよりは舞台そのもの、舞台を描いている内と外の社会的な空間だったり、あるいは舞台の裏で流れている見えない歴史だったりするのではないかなと。別に舞台に人がいなくなってしまっても舞台が成り立ってしまうのは、お客さんの「想像力」をガッチリ掴んでいるからなんですよね。

佐 そうなんですよ〜…平田オリザさんを持ち上げる会みたいになっちゃってますけども(笑)、本当に思っていることですからね。
演劇の歴史って2500年以上前からあるじゃないですか。古代ギリシャの時代というのは「神と人」という対立構図があって、それが長らくずーっと続く。僕はその構図を打ち破った瞬間というのは、シェイクスピアが初めて「神と人」ではなくて「人と人」にした時だと思っていて。それで、ここからまたしばらく色々あるんですよ。色々な凄い劇作家がいる中で、その方々が色々やった中で、その上で大事件を起したのが平田オリザさんだと思っている。
「神と人」の物語から「人と人」の物語になって「物語なんてもうないだろ」と思っていたら、ただただ日常の中の一瞬に物語を見た。それはとんでもないことだなと思うところがあるので、演劇史的に、僕の中では第三次大事件みたいな感じで思っていて、ここから先ってなんなんだろうなと。

深 青年団は「大事件を描かない」ということを選び、今までの芸術が題材にして来たドラマチックな瞬間というものを次々にオフにしてしまった。その代わりに選んだのが、僕たちの日常の99% いつもの繰り返しの、ドラマチックなものがない日常的なところ。むしろその99% の方にも色々なことが起きているんだということを青年団は毎回発見しながらやっているのだと思うのですけど、多分映画の方でもその発見は凄く重要で。
もちろんそうではないものもあるのだけれど、映画はこれまでドラマチックな瞬間ばかりにカメラを向けて来たし、今でも多くの映画がドラマチックな瞬間、クライマックスだったりカタルシスだったりを求め続けているのですね。所詮映画なんて生まれてから100年しか経っていない芸術なんで、やっぱり幼年期にある表現なんです。だから、この100年間で繰り返し繰り返し映画ファンを満足させてきたカタルシスを、多分どこかで切り捨てていく。そういった意味で、映画もまだまだこれから第一次・第二次・第三次の革命が起きる余地っていうのはたくさんあると思う。
青年団がそれまでの演劇的な快楽みたいなものを切り捨てて、1つの新しい表現というものを発見したように、多分映画も自分を含めたシネフィルが気持ちいいと思う映像的な記号とか運動とか活劇とか、そういう映像の快楽みたいなものに距離を置けたときに、初めて次の表現というのが出来るのだろうなと思うんですね。そういった部分でも、青年団の舞台を初めて観た時に自分は凄く可能性を感じていたと思うんですね…
なんて、話せば話すほど修了公演と離れていくという楽しい対談ですけど(笑)。

佐 (笑)。まぁしょうがないですよね。
修了公演は…映画美学校に集まっていらっしゃる方がもう本当に基本的にハードルの高い方たちですからねぇ。でも闘いますよ。生き様を見せてしっかりやらせて頂ければなぁと思いますけど。でも素朴な問いだったんです。映画美学校がなんで演劇なのって。そこしかなくて。

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僕も西の人間なので、割とベタベタなのが好きなんですよ。例えばですけど、凄くロマンチックな劇団名なのにやっている作品がもの凄く社会派で重たいとか、そういうのだと「劇団名のイメージはどこにあるの!?」というくだらないことに異常に固執しちゃう。
名前ってやっぱり看板だから、その看板ぽいものをやってほしい。看板がズレていても、それが意識的にされているならいいのですが、何となくズレていると「あれ? 広告と違くね?」みたいになっちゃうから。
でも、映画美学校のアクターズ・コースが出来た時のコンセプトが「舞台にも映画にも耐えうる俳優を育成しよう」というところから出発しているというお話は聞いているんですけどね。

深 色々な考え方があると思うんですけど、多分どこかで映画の表現と演劇の表現は違うけど重なる部分は多い、という発想だったり…

佐 そうなんですよね。

深 俳優の演技、映画の演技をするためには演劇での演技・経験というのがそのままプラスに活かせるという確信が多分どこかにある。古舘寛治さんはよく「演劇の演技も映画の演技も全く同じだ」って言い切りますけど。古舘さんはリアルの原理主義者みたいなものなので(笑)、どこかにそういう発想が根本にあるんじゃないのかなと思うんです。

佐 だからやっぱりルーツっていうか、演じることとかも含めて演劇っていうのが非常にウエイトが大きいというか強いと思うのですね。
このエピソードもやはり井川さんから教えてもらったことなのですが、昔の映画監督で伊藤大輔さんという方が、まだト書きやセリフなどの映画脚本の形式が何も決まっていない時に、師匠の小山内薫さんから「あなたは映画をやりなさい。映画の脚本を書く人がいないからお前がやりなさい」と言われたらしいんです(笑)。
師匠に言われたから止むに止まれずやるしかなくて、その中で、やはり映画だけにしか有効でない脚本が必要だとどこかで考えられたらしく、生涯ずーっと脚本のあり方みたいなものを考えられていたっていう話を聞いて、そうなんだなぁ、演劇と映画の因縁がそんな時分からあるんだなぁって思いました。

深 映画の場合、スタート地点はやっぱりサイレントなので、映画と演劇の距離が接近してくるのは多分結構時間が掛かったんじゃないかなと思っていて。

佐 音声が入っていく、ということですか?

深 1920年代にトーキーになってから、喋れる俳優というのが大量に求められた時代に「喋れて芝居出来るやつはどこにいる!? 演劇だ!」みたいな感じで、多分演劇の俳優がガッと流れて来たんじゃないかなと思うんですけど。

佐 アニメの時もそうですよね。きっと吹き替えを専門にやっている俳優さんって当然いなかったからやっぱり「どこにいる!? 演劇だ!」みたいな(笑)。

深 それは流石2500年の歴史のある演劇だと(笑)。

佐 そうですね、やっぱり演劇って色々便利なんだなぁ〜。

深 映画の場合はスタートラインでは写真とかそっちの表現の方に多分親和性が高くて、段々と演劇の方に接近していったというところがあるのではないかなぁと思ってはいるんですけど…これ、ドンドンとりとめもなくいつまでも続きますよ!(笑)。

佐 そろそろ締めましょうか(笑)。

【了】(構成:スズキシンスケ)

 

 

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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

予約受付はこちらから!
→ 映画美学校アクターズ・コース2016年度公演『Movie Sick』 予約フォーム

 

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【スペシャル対談!】「映画 × 演劇」(佐々木透 × 深田晃司)【前編】

@『Movie Sick ムービーシック』

こんにちは!ムビシク応援隊のSです!
やって来ました、特別企画!
今回の修了公演を担当する佐々木透さんと、映画監督・深田晃司さんのスペシャル対談の前編をお送りします!

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「映画」、「演劇」、それは何なのか、そしてその両立は可能なのか…
Sのイントロ文章なんか要りません!脳汁全開!完全に必読!
それではどうぞ!


「映画 × 演劇」 佐々木透 × 深田晃司

【プロフィール】
佐々木透
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

深田晃司
2002年より長短編3本の自主映画制作後、06年、『ざくろ屋敷』を発表、パリKINOTAYO映画祭にて新人賞受賞。09年、長編『東京人間喜劇』を発表。同作はローマ国際映画祭、パリシネマ国際映画祭に選出、シネドライヴ2010大賞受賞。10年、『歓待』 で東京国際映画祭「ある視点」部門作品賞、プチョン国際映画祭最優秀アジア映画賞、TAMA映画祭最優秀新人監督賞を受賞。
05年より劇団青年団演出部に所属しながら、映画制作を継続。11年にこまばアゴラ劇場で初の映画祭を青年団俳優とともに企画開催した。16年、『淵に立つ』で第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した。


:::::以下対談本文(前編):::::


―今回の修了公演では「演劇を映像化したことはあるけれど、演劇の中に「映画」を取り込めていないのではないか」ということがモチーフになっています。映画を使って何かをするということではなく、演劇の中に「映画」を両立させるにはどうしたらいいか、せっかくの映画美学校修了公演なのでそういうことは出来ないか、と現在も模索しながら稽古中です。

深田晃司(以下 深) なるほどね。今までは「数式」とか「会計」を発想の元ネタにしていましたが、それが「映画」になったということですね。

佐々木透(以下 佐) そうです。先日脚本コースの講義の中でも高橋洋先生とお話しさせて頂いたのですが、映画美学校の修了制作で演劇をやるということがあまり腑に落ちていないんです(笑)。「なんで「映画」という名前を学校名に付けているのに最後は演劇なの?」と(笑)。もちろん色々な事情や狙いがあってそうしているのは分かっているのですけど、どうせだったらそこに「なんでやねん」って言ってみないと面白くないな、と僕は思ってしまったので。

深 もしかしたら受講生の中でも内心そう思っている子は多いかも(笑)。

佐 「俺、映画やりたいのに、舞台って聞いてねえよ」って(笑)。実際に舞台に立ったことがない人も今期の受講生にいますし。僕は別に映画も演劇も、どちらもやることとしては最終的には同じだと思ってはいますけれども、ただ、表出のされ方が全く違うものなので、そうやって問いを突き詰めていけたら…
この間も高橋先生から「演劇の想像力を映画に落とし込むことはあっても、その逆ってないですよね」という話をされて「ああ面白いなぁ」と。一応深田さんは青年団の演出部にもいらっしゃるから、割とその辺のことって結構お考えだったと思うんですけど、どんな感じですか?

深 考えてみると…あまり考えていないのですけど(笑)。

佐 (笑)。

深 「演劇の想像力」と「映画の想像力」、そこがまずどう違うのかなというのはあるんですけど、僕の中では演劇の方が、こと「想像力」というその一点に関してはやっぱりなかなか敵わないなというところがあるわけですよね。
例えば『スターウォーズ』の宇宙と、五反田団の前田司郎さんがアトリエヘリコプターを宇宙空間にしてしまうこと、その2つの宇宙を比べてみても前田さんの作り出す宇宙の方がもの凄い広がりがあるような、永遠に広がっていくような印象があるんですよね。だからそういった意味で「想像力」というものに関して映画は演劇に負けちゃっているんじゃないかなという印象はあって。じゃあ「映画的想像力」というものがあるとすれば、それって何なんだろうなと。

佐 高橋さんと「戯曲と映画脚本の違いは何だ」ということも話したんです。「映画脚本はマニアとかに向けてシナリオとして売ることはあっても、手にする人がほとんどいない。戯曲もそうなのかもしれませんが、戯曲と映画脚本で考えたら、商業的な流通量で言えばその差は歴然としている。それについてどう思いますか?」と聞かれたんです。

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「戯曲と台本の違い、あるいは脚本の違いは何ですか?」と問われた時のよくある答えの1つに「戯曲は文学だ」みたいなことが言われる。もちろんそういう側面はあるのですけど、それって「文学」という、割と抽象的な概念で具体性がないなと思って、あんまり演劇をやっている身としては言いたくないなぁと。で、その時に反射的に答えたのが「映画は残る」と。作品として残るけれども、演劇は作品として残らないから戯曲が強度を持つんじゃないか、と。

深 だから戯曲が優位性を持つと。

佐 そういう話をさせてもらったら高橋先生が「なるほど」と仰ってましたね。

深 映画の台本・脚本と演劇の台本・戯曲の違いに関して、「戯曲は文学だ」という前提になっているという点で言うと、確かにイプセンの『人形の家』という作品が僕は大好きで、自分が色々な作品を語る中で参考にしたり引用したりするのですが、実は舞台自体は観たことがないんですね(笑)。岩波文庫版で読んで面白いと思ったんですけど、考えたら映画の台本が岩波文庫になっているなんて聞いたことがない。

佐 そうですよね。

深 そこは確かに今仰った通り「映画は残る」ので、どうしても作品そのものの優位性みたいなものが文字よりも強くなってしまうというのはあるかもしれないんだけれど、あとは「セリフの強度」というのもあるのかなと思っていて。映画の場合、特に日本の映画の場合だと、海外の台本と比べてト書きを書き込まない傾向が強くて。そうなってくると、言葉というところが、これも現代演劇になるにつれて色々と状況は変わって来つつあるのですけど、でもやはり本来的に演劇は言葉の強度というのが凄く強い。
俳優が喋らなければ舞台がなかなか進んでいかない、みたいなところもある中で、そのセリフを読むだけでもある種の文学的作品としても楽しめる。だけど映画における言葉というのは、映画における言葉自体が作品を占めるウエイトとしてはやっぱり演劇と比べると小さいので。文字で書かれた台本だけだと、作品としての完結度が弱いのかなというところで差が出るのかなと。

佐 その問題が起こる大元は「再演」という考え方が映画にはない、というところからその話が始まったんですよ。例えば昔の映画を、本当に珍しいケースでその当時作られた映画脚本を使うこともないとは言えないけれど、やっぱり今やるのだったら今の言葉に変えないと、とか、どうしても無理が起こると仰っていたので。

深 そうですね。ガス・ヴァン・サントが『サイコ』をリメイクした時に、カット割もオリジナルのヒッチコック版を再現して台本もほぼ同じだったようですけど、それも特殊ケースだし。
でも「映画的想像力」と「演劇的想像力」というところで、じゃあその「映画的想像力」って何なんだろうというところはまだ掴み切れないところがあるのですが、僕は演劇にはなくて映画にはあるものでキーになるのは「モンタージュ」「編集」ではないかなと思っていて。これはゴダールか誰かが言っていたと思うんですけど「編集とは二つの異物の衝突である」というような言い方をしていて。
凄く原初的なモンタージュの定義の以前によくあるのは、例えば紳士の顔が映っていて、その間にリンゴの映像が1つインサートされると、そこで紳士がリンゴを見てお腹を減らしている・食べたいと思っているという「紳士の欲望」がそこで捏造され「想像」されていく。一方で、インサートされるのがリンゴではなく女性の裸になれば、もしかして紳士は欲情しているのではないか、と。そこで紳士の表情が全く変わらなくてもそこで生み出されていく「想像力」というのは変わってくる、と。
だからやっぱりモンタージュによって映画の様々なモチーフをスクリーンに並べていくわけで、その並べ方1つによって観ている人の想像力、想像の仕方が全てドンドンとコントロールされて移り変わっていく。
映画はカメラと被写体の関係で、演劇はお客さんと役者・舞台の関係、というように「視点の基点」みたいなものが映画と演劇では違うんですけど、やっぱりカメラの場合はどうしても「被写体」「モチーフ」になるんですよね。映画は如何にスクリーンにモチーフを並べていくかという作業になるので、そこでもしかしたら演劇とは違ってくるのかなと。

佐 高橋先生がやっぱり同じように「演劇になくて映画にあるものというのは「編集」ということなんじゃないか」と挙げられていたんですけど。

深 あぁ、やっぱり。

佐 ただ、実際に演劇で「編集」が行われてないかというと、高橋先生も舞台を数々ご覧になって抱いた印象として、登場人物の出ハケとか色々な演出効果を使う時に「これは「編集」だ」と思ったそうなんですよ。

深 それは分かります。広義の意味で編集的な演出がなされていたりする、と。僕は出ハケに関しては、本質的に舞台の出ハケと映画の出ハケはそんなに変わらないんじゃないかと思っているところがある。青年団の制作で映画の評論等もやっている野村政之と前に話した時に、彼が「演劇の場合は俳優の肉体を使って「編集」を行っている」と言っていた。縮めたり早めたり省略してしまったりとか、そういった「編集」を行っているという言い方をしていて「なるほどなぁ」と思ったんですけど。
ただ、多分映画の編集の方がもっとスピードが遅い・早いとかではなく、ただ「並べていく」っていう作業、しかもそれがぶつ切りに並べられていくという作業であると。演劇でぶつ切りに並べていくということが不可能かどうかは分からないのですけれど、恐らく難しいし、これまで「映画的想像力」みたいなものが演劇の舞台に持ち込まれることが少なかったとすると、広義の意味で「モンタージュ的効果」というのがあったとしても、やっぱり「モンタージュ」というものを演劇に持ち込むというのが本質的に難しいからではないかと。

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映画の技術的なご先祖様は「写真」だから、映画の中では写真作品が並んでいて、そこに「モンタージュ」を行う中で効果が生まれていくものであると。あるいは写真の、平面芸術の元祖は「絵画」になってくるので「絵画」でもいいのかもしれない。絵画も画家が花瓶をモチーフにするか花をモチーフにするか、それで色々と変わってきて、それが一連の展示において乱暴に並べられていく。演劇はどうしても持続して、シームレスに継続していく舞台なので、暗転とかをドンドンと用いていくという方法論もあると思うんですけど、実際そういうものは観たことがないなと。

佐 最近の傾向として演劇でも映像をちょこちょこ使っていると思うのですが、それが「映画」かというと「映画」ではない。その辺の差というのは何なんだろうなというところを深田さんに聞いてみたいなと思うんですけどね(笑)。

深 それは難しいですね。確かに演劇を観ていて映像が使われて面白いなと思うものは色々ありました。『アマルガム手帖+』(2016年1月こまばアゴラ劇場にて上演されたリクウズルームの作品)では使っていないですよね?

佐 プロジェクターで字幕を出したりはしましたが、あれも映像といえば映像ですね。ただ、あれが今お話しになった「モンタージュ」かというと、そういうのでもないしなぁみたいな(笑)。関係性としては「補完」に近いようなものなので。

深 確かにそれはありますね。今の「補完」というのはもしかしたらいいキーワードかなと思うんですけど。やっぱり映画の場合って、映像しか存在しない。もちろんかつてはサイレント時代に活動弁士とか伴奏音楽とかが入ったとしても、それは映像を補完するものとしてあったわけで、あくまでも映像が「主」。演劇などのライブパフォーマンスに映像が入る場合はどうしてもそのライブパフォーマンスが「主」になって、映像が「従」になっていく、ライブパフォーマンスを補完していくものになってくるので、中々そこが均等にぶつかり合うというところまで行っていないですよね。

佐 活動弁士は圧倒的に目立ちますよね。

深 それでも映画の場合は弁士がいてもスクリーンに映る映画が「主」だと感じますね。ただ、例えばハイバイなんかは映像を面白く効果的に使っていますけど、あれを観ても「映画」を観ているのではなくて映像もひっくるめて「演劇」を観ているんだという演劇体験としての方が強いですよね。

佐 ただ、それだけを聞くと、じゃあ演劇が上位なのかという話に聞こえなくもなくなりますよね。だって、映画は演劇から影響を受けるけど、演劇は映画からの影響が、結局は演劇の作品として表出されるということになるので…
これも高橋先生との話の中で出て来たのですが、舞台があって、本番をその舞台でセットを組んで「舞台の作品」としてやるんだけど、そこに全部カメラをセットする。そして、カメラが入った途端に舞台の演劇作品のはずなのに、それは「映画」になっている、そういう作品があるというのが大変興味深くて。

深 え、舞台記録のカメラということではなくて?

佐 記録のカメラということではなくて、カット割も全部決めた「映画」の作品になると。不思議なのは、俳優の意識もカメラが入るとカメラに向かうということです。舞台の本番をやっている時は観客の視線に対して向けるものが、複数のカメラの視点へ向かって演技を始めるから、舞台の作品を全く同じようにやっているようでも、カメラが入ると何故か「映画」になると。そういった感覚的なお話をされていて。

深 ああ、なるほどね。最近だとね、山内ケンジさんの『At the terrace テラスにて』も『トロワグロ』(第59回岸田國士戯曲賞受賞作)をシンプルにそのままに映画化するとかやっていましたけど。

佐 高橋先生が紹介してくれたその作品は「映画化」ともちょっと違うみたいでしたけどね。
高橋先生との講義では中原俊さんの『12人の優しい日本人』を最初にちょっと観て、いわゆる長回しというところから「ここが演劇っぽい」、映画と演劇の「間の子」だ、みたいなところから話を始めたのですが、「映画では今、実は長回しに可能性を見ている流れがあるんだよ」みたいなことを仰ってましたけど。

深 演劇を如何に撮るかという話になってくるとそこはまた非常に難しいのですが…
僕は、映画と演劇の関係だと、非常に複雑な捻くれた関係になっているなと思うんです。まず自分は元々映画がもの凄く好きで、いわゆる映画至上主義者だったんですよ。まぁシネフィルっていうやつなのですけど。

佐 いいですね(笑)。

深 そういう頑迷な人間にありがちなのは、やっぱり演劇をね、バカにしがちなんですよ。はっきり言って(笑)。

佐 (笑)。どうバカにしているんですか?

深 単純に、演劇に色目を使った映画は面白くないという印象が強いんですね。例えば、ローレンス・オリヴィエシェイクスピアの作品を何本か映画化しているのですが「なんか弾けないよね」と。でも一方で、オーソン・ウェルズみたいな人がシェイクスピアをやると、何かもの凄く映画として立ち上がるという印象があって、その差はなんなんだろうと。
あるいは舞台の映画化では、例えば三谷幸喜さんの『ラヂオの時間』は演劇版と映画版で双方とも評価されてスマッシュヒットを飛ばしている。三谷幸喜さんがもの凄い映画ファン・オタクで、映画版には非常に映画的な技法というものがふんだんに盛り込まれているんですよね。
例えばカメラをトラックバックしながらズームアップすると人物が浮き上がるんだけど背景が遠退いて見えるという、そういったカメラ的な技法を駆使して映画化しているんだけど、それが中々「映画」として立ち上がっていないんじゃないかという側面もあったりして。でも長回しで演劇の視点に近くして撮ると「映画」になるのか、というのも中々難しいところだなぁと思っていて。

佐 考えても結論なんか出ないのですけど、普段「こういうもんだろ」と考えていることからはちょっと解き放たれて、ああでもないこうでもないとなって七転八倒するので、僕は考えること自体が面白いなと思うんですけどね。

深 映画と演劇ということに関して僕の個人的なこれまでの体験からすると、一番自分の中でしっくり近付いた瞬間というのは、やっぱり青年団の舞台を初めて観た時なんですね。とにかく面白くて。それまで映画至上主義者だったので演劇を低く見ていて、しかも学生演劇みたいなのに誘われて観に行くと、ことごとく「あちゃー」みたいな内容ばかりだった。「このタイミングで松任谷由実を流すか」みたいな。とにかく舞台で俳優が熱演すれば熱演するほど気持ちが冷めていく状況がある中で、青年団の舞台を観て非常に面白かった。

佐 (笑)。何をご覧になったんですか?

深 初めて見たのは『忠臣蔵・OL編』という作品なんですけど、まずそれがめちゃくちゃ面白くて「なんだこの舞台は」と。それで気になって何本か観るようになって、初めて本当に凄いと思ったのは『海よりも長い夜』という駒場東大寮の解体問題を扱った、平田オリザさんの中でも「組織と個人の相剋」みたいなものを題材にした作品なんですけど、そこで描かれる戯曲の言葉と構成が凄く面白くて。「映画的想像力」「演劇的想像力」というカッコ付きのジャンル付けとは関係のない、単純に観客・観る者の「想像力」を圧倒的に引き出してゆく方法論がそこにあるなと思った。
つまりオリザさんの傾向としては、舞台上の役者は誰も本音らしきものを語らないんですよ。不用意に感情をさらけ出さないし本音を漏らさないし、さらけ出していたとしてもそのさらけ出している感情は本当にその人の本音かどうかなんて分からないよね、という人間観で描かれていて、これは凄く現代的な人間観だなと思う。で、それをさらけ出さないんだけど、それを観る人はその本音らしきものが想像出来るようには出来ていて、やっぱりそれは戯曲の構成が上手いからなのですよね。
例えば人物の出ハケであったり、どこで誰と誰が話して誰が一人ぼっちになるであったり、そういう物語の構成が圧倒的に上手いから、みんな本音らしきものを話さなくても本音を想像出来るように出来ている。その出ハケの上手さというのが、自分の敬愛するエリック・ロメール監督とか、あるいは成瀬巳喜男監督作品における脚本の構成とか、そういったものと通じると20代の時に感じちゃったんですよね。だから青年団に入ってそれを勉強したいと。僕の中ではその当時、現代の日本語で一番洗練された形でそれを実践していたのが青年団だった。その時に自分の中では、映画と演劇はかなりリンクしたところがあって。

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佐 青年団の話になったので青年団の話をすると、僕は演劇の人間として青年団を観てやっぱり同じように感銘を受けた。もう本当に当時、もの凄い衝撃だったんですよ。僕が10代の頃に一番最初に観たのが『ソウル市民』でしたけど、もう本当に今までのいわゆるステレオタイプな、深田さんもおイヤな感じの…(笑)。

深 辟易していたあの感じですね(笑)。

佐 辟易する類のものが一応常識として身体の中にすっぽりと収まっていた時期に、それとは全部真反対のことをやっていた。もちろん表現方法もそうなのですが、これを例えば「編集」「モンタージュ」というところにお話を持ち込んでみると、僕が一番衝撃だったのは「舞台上から誰もいなくなる」ことで。

深 いなくなりますねぇ。あの瞬間がゾクッとする。

佐 僕もやっぱり同じようにあの瞬間がゾクッとした。劇場に来て、やっぱり人間を観に来ているとどこかで思っていたんですけど、あの瞬間に「人間を観ているんじゃなかったんだ…」というふうに、あそこで自分の中の理解の何かがひっくり返ったんですよ。その時に「あ、これ、凄いな」と思っちゃって。
さきほど映画美学校で講師をされている井川耕一郎さんと少し話をしていたのですが、井川さんは最近スピルバーグの初期の映画を観ていたらしいんですよね。そうしていたら「スピルバーグっていう人は、本当はあまり人を撮りたくなかったんじゃないか」ということに気が付いたみたいな話をされていて(笑)。

深 特に初期はね(笑)。鮫撮ったり車撮ったり、そんなのばかりですからね。

佐 もちろん笑い話として「本当にこの人、人を撮りたくなかったんだろうな」と仰っていたのですが。その時に僕が「演劇で人がいない作品は成立するのだろうか」ということを笑い話としてしたんです(笑)。劇場に来て、人が美術としているとかでもなく、単に舞台で物だけがある、それって演劇として成立するのかなって(笑)。まぁオリザさんはロボットとかとも演劇をやっていますし(『さようなら』))、深田さんも『さようなら』を映画化していますが、あの作品に出て来るロボットも、役割としては結局「人間」じゃないですか。

深 まぁそうですね。

佐 僕も大好きなんですけど、宮沢賢治の『シグナルとシグナレス』みたいな、いわゆる擬人化ということでもなく、ただ舞台で人がいなくて物を観るという演劇が成立するのだろうかと話していたのですが、今深田さんとお話ししていて僕が唯一その瞬間を観ているなとフッと思い出したのが、やっぱり青年団の「舞台上から誰もいなくなる」瞬間がその感覚に近いなと思った。あれってよくよく考えたら、やっぱり演劇を下に見ていた人の価値観がひっくり返るほどのものですから。

深 (笑)。

佐 やっぱり「映画的」でもあるんだろうなと。

深 そうですね。この宝を自分の映画表現に持ち帰って来ようと海賊のような気分で青年団に入っていった感じなので(笑)。やっぱりそれは、映画とか演劇とかの表現の垣根を越えて圧倒的だった。映画も演劇もカメラの視点とか観客の視点とか色々言うけれど、でも結局は作品と鑑賞者の「想像力の交換」であるというところで言ったら、やっぱりそれは演劇も映画も音楽も絵画も全て一致するわけで。
多分その凄く本質的なところで優れたことをやれば、全部ドンドン重なって来るということだと思うんですね。逆に「表層の部分」というのは全部分かれてくるんです。もしかしたら今僕たちが囚われてしまう「映画的想像力」「演劇的想像力」と書く時の「〜的」って部分は、実は凄く表層のもので分かりやすいところ。

佐 そうですね。

深 映画と演劇のコラボレーションをやろうとすると、どうしても表層の部分を重ね合わせていじくって交わっているような気持ちになってしまうから、作品としては中途半端なものになりがちで。大抵スクリーンに映画でも流しながらライブパフォーマンスをするとかダンスしたりするとか(笑)、やっぱり表現としては非常に未完成なものになってしまう。やっぱり表層的な分かりやすい「映画的」「演劇的」っていうところに囚われてしまうと、多分中々難しいんだろうなと。

佐 釘差しますねぇ〜これから修了公演をやろうとする人間に(笑)。

深 そうですね(笑)。ここに来るまで全然考えてなかったけど話しているそうかもなっていうのが出て来てね(笑)。

佐 表層的になりそうな感じもしなくもないですけど(笑)。

——後編に続く(構成:スズキシンスケ)

 

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2017年3月2日[木] - 3月5日[日]
アクターズ・コース2016年度公演
『Movie Sick ムービーシック』

作・演出:佐々木透(リクウズルーム)
リクウズルーム代表。ク・ナウカシアターカンパニーで演出家・宮城聰のもと俳優として活動。退団後、執筆活動に取り組む。「日本の劇」戯曲賞2013最優秀賞受賞、第5回泉鏡花記念金沢戯曲大賞受賞。 文学への深い知識、鋭い感性と美意識を持ち、”戯曲構造”と”物語の可能性”を探る事をテーマに創作活動を行う。

出演:浅田麻衣、太田英介、大西美香、金岡秀樹、
   鈴木睦海、鈴木幸重、外崎桃子、仁田直人、
   塗塀一海、四柳智惟、米川幸リオン
  〔アクターズ・コース映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座〕
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公演日程
2017年3月
2日(木)19:30〜★
3日(金)19:30〜★
4日(土)14:00〜/19:00〜
5日(日)14:00〜/18:00〜
★=終演後アフタートーク開催〔30分程度を予定〕

※未就学児童の入場はご遠慮ください。 
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は開演の20分前 
※演出の都合上、開演後はご入場をお待ちいただく場合がございます。

会場:アトリエ春風舎
〒173−0036 東京都板橋区向原2−22−17 すぺいすしょう向原B1


チケット料金(日時指定・全席自由、予約・当日とも)
一般:2,300円
学生:1,800円※公演当日、受付にて要学生証提示

予約受付はこちらから!
→ 映画美学校アクターズ・コース2016年度公演『Movie Sick』 予約フォーム

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