映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース2019年度公演「シティキラー」2020/3/5(木)〜3/10(火)上演!

『シティキラー』の軌跡

映画美学校アクターズ・コース俳優養成講座2019の修了公演『シティキラー』。


2020.3/5〜10、演劇公演としての上演に向けて半年前から準備をしていましたが、主催である文化庁より新型コロナウィルス感染症の拡大防止に係る要請を受け中止となりました。

しかし、直後に路線を踏み切り、2種類の映像作品が生まれました。
演劇公演としてのシティキラーが今後上演されるのかは4/21現在わかっていないです。

 

ここにシティキラーの軌跡たちを残します。

 

                   映画美学校アクターズ・コース第9期生 一同
                    リード文章:本橋龍 文章:瀧澤綾音 構成:浅田麻衣

     

上演中止『シティキラー』

中止前公演予定日時 2020/3/5〜3/10

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予約開始日からご予約を多くいただき、本番約3週間前には売り止め。追加公演を企画するも1日で売り止めとなる。
500名ほどのお客様と出会える予定だった。


劇生(出演)
秋村和希、淺村カミーラ、井上みなみ、宇都有里紗、関口果耶、中島晃紀、瀧澤綾音、原涼音、廣田彩、星美里、百瀬葉、森皓平、山田薫(アクターズ・コース 映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座2019)、近藤強

スタッフ
舞台監督:黒澤多生(青年団) 美術:本橋龍、小駒豪 照明:小駒豪
音響協力:櫻内憧海 宣伝美術:一野篤 フライヤー絵:坂口恭平 
演出助手:那須愛美 修了公演監修:近藤強、兵藤公美、山内健司 
制作:浅田麻衣 制作協力:井坂浩(青年団) 協力:青年団

 

とあるゲストハウスの共有スペースに旅人たちは募った。夜の宴のさなか、1人が「今、生まれてきて良かったと思ってる」とボヤいた。月すら見えない満天の曇り空だった。雲の向こうでそれは光った。

シティキラー。都市を滅ぼすほどの大きさの隕石はその巨大過ぎないサイズ故に発見が難しく、8割以上が未発見のまま地球を過ぎ去る。

予告もなく、終わりはくる。変わる。始まる。 

映像作品①『シティキラーの環』

3/8.9.10撮影 3/11公開

『シティキラー』中止の決定後から企画が始動。
作・演出の本橋龍さんの知己、映像作家の和久井幸一さんを迎え本来本番期間であった3日間で撮影し『シティキラーの環』として1環15〜20分の全8環の映像作品に再構築。

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<第1環>https://youtu.be/eNWh038oOoU

<第2環>https://youtu.be/S1yN3SlcWfE

<第3環>https://youtu.be/--_KX8FcyHg

<第4環>https://youtu.be/9-142HLy1sQ

<第5環>https://youtu.be/kr1vQ3-HVww

<第6環>https://youtu.be/orFuNn4S9zI

<第7環>https://youtu.be/gCC1WVIWSIc

<第8環>https://youtu.be/eNmF5qPq3vg

<Balchraggan (by John Somerville)>https://youtu.be/Kv9bMCbcWw8

劇生(出演)
秋村和希、淺村カミーラ、井上みなみ、宇都有里紗、関口果耶、中島晃紀、瀧澤綾音、原涼音、廣田彩、星美里、百瀬葉、森皓平、山田薫、近藤強

中村大史

スタッフ
監督:和久井幸一 作:本橋龍 照明・美術:小駒豪 ロゴデザイン:一野篤
助監督:黒澤多生、那須愛美 制作:浅田麻衣 監修:近藤強、兵藤公美、山内健司
撮影:和久井幸一、高良真剣、新藤早代、上原愛
録音:和久井幸一、本橋龍、高良真剣 編集:和久井幸一

映像作品②『シティキラー』演劇版フルバージョン配信

3/6.7撮影 4/5公開

『シティキラーの環』と並行して企画が始動。当初想定していた撮影よりカメラ台数を増やし、カメラ4台で撮影。
映画美学校フィクション・コース修了生による2日間の撮影を経て、編集もフィクション・コース修了生に依頼。できあがった映像をyoutubeにて公開した。

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f:id:eigabigakkou:20200304153409j:plain                                     
https://www.youtube.com/watch?v=_aHAiDaLFBI&t=584s

※劇生及びスタッフは『シティキラー』に準ずる

スチール撮影:かまたきえ
上演映像撮影:星野洋行、小濱匠、鎌田輝恵、小林徳行
編集:秋野太郎

劇生(登場人物/出演者)

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                                      相関図作成:山中美幸

コイシ(瀧澤綾音)…訪れた人。カメラ持ってる。
アサト(秋村和希)…静かな住人。
マチダ(山田薫)…ヤマミ荘を手伝ってる。
チミ(原涼音)…タイラの友達。
タイラ(関口果耶)…チミの友達。
モリコ(宇都有里紗)…OL。
マコト(中島晃紀)…マジシャン。
トクロウ(森皓平)…夢精した人。
オヤカタ(廣田彩)…夢の話を聞く人。
ネムリ(井上みなみ)…去っていった人。
ヤマミ(近藤強)…ヤマミ荘のオーナー。
シトラ(淺村カミーラ)…ウズベキスタン出身。
誰か1(星美里)…帽子被ってる。
誰か2(百瀬葉)…パジャマ。

街(中村大史)(『シティキラーの環』のみ出演)

『シティキラー』から『シティキラーの環』への日記

2019年
7/31 アクターズ・コース俳優養成講座2019の申込締切。

8/5〜7 アクターズ・コース俳優養成講座2019(以降、「アクターズ第9期」と呼称)選考。『シティキラー』作・演出の本橋龍さんとも顔を合わせる。

9/2 初講義。第1回目の講師は『シティキラー』にも出演する近藤強さんだった。

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9/19 「俳優の権利と危機管理」講義。
アクターズ・コース初期からある講義、らしい。

10/18.21 作・演出の本橋龍さんによる、修了公演にむけたワークショップが2日間開催される。本橋さんが以前執筆した脚本、『ごめんなさいの森』、『さなぎ』を読む。
本橋さんが演劇をどのように考えているかの話を聞く。

12/8 武漢にて、最初の新型肺炎発症患者が出たとされる。

12/16 『シティキラー』チラシ公開。

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12/23 広報ワークショップ。どんなひとに観てもらいたいか、どうしたら観てもらえるかを考えた。以降、それぞれ係に分かれて全員で広報を担当する。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/16/130620

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12/30 『往復書簡』企画、第1弾公開。
受講生、講師陣、TAと、アクターズ・コースという場に集った人々の往復書簡。http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2019/12/30/164203

 

2020年
1/11 『シティキラー』チケット予約開始。

1/14 アクターズ・コース第9期生による『シティキラー』Instagramを開設。https://instagram.com/eibiactor9_citykiller?igshid=17w674rjx2i8e

1.23 中国/武漢封鎖
『シティキラー』の第1稿の1部が送られてきた。当て書きの台本。

1/28 『シティキラー』稽古開始。
『シティキラー』の第1稿完成台本をもらう。みんなで声を出し、初めて読んだ。広報本格化。週1で会議を行う。

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1/20 『往復書簡』企画、第2弾公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/01/20/125045

2/2 『往復書簡』企画、第3弾公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/02/184556

2/4 ダイヤモンド・プリンセス号にて新型コロナウイルス感染者を確認、下船が延期される。

2/16 『シティキラー』全公演のチケット完売。

2/17  アクターズ・コース第9期生インタビュー公開開始。

第1弾 秋村和希(アサト役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/17/130643
https://www.instagram.com/p/B8ln4hcFCWu/?igshid=1bvyv3nwzhl5m

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第2弾 淺村カミーラ(シトラ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/17/130717
https://www.instagram.com/p/B8n5zyNlpos/?igshid=6i77nc7xhrf0

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2/18 『シティキラー』追加公演の決定を発表。
アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第3弾 瀧澤綾音(コイシ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/18/110809
https://www.instagram.com/p/B8n4DBwFTgJ/?igshid=1i9hrnhs6qa9u

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第4弾 井上みなみ(ネムリ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/18/110847
https://www.instagram.com/p/B8lm2wElXsg/?igshid=144vkdkl1lvj5

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2/19 『シティキラー』追加公演予約を開始。
アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第5弾 宇都有里紗(モリコ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/19/180000
https://www.instagram.com/p/B8vByEFFf-p/?igshid=1qngvj890syus

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第6弾 関口果耶(タイラ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/19/180000_1
https://www.instagram.com/p/B8soD35lYxr/?igshid=17qlm3s0oht11

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2/20 追加公演のチケット完売。
アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第7弾 中島晃紀(マコト役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/20/180000
https://www.instagram.com/p/B8nYnkNl0E5/?igshid=1lup2j6tee2zp

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第8弾 原涼音(チミ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/20/180000_1
https://www.instagram.com/p/B8lm8SOlR7v/?igshid=65uaqxnezvtb

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2/21 初通し。終了後、美学校 実作講座「演劇 似て非なるもの」講師の生西康典さん、作・演出の本橋龍さんの対談が開催される。

橋龍さん×生西康典さん対談【前編】
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/18/204212

橋龍さん×生西康典さん対談【後編】
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/20/200000

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アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第9弾 廣田彩(オヤカタ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/21/130000
https://www.instagram.com/p/B8nYqLWlIvu/?igshid=38yx3hvezv7w

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2/22 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第10弾 星美里(誰か1役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/22/130000
https://www.instagram.com/p/B8qRANkF536/?igshid=10dsf5h86mxhc

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2/23 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第11弾 百瀬葉(誰か2役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/23/130000
https://www.instagram.com/p/B8no66llkWf/?igshid=kotymeywv1t9

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2/24 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第12弾 森皓平(トクロウ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/24/130000
https://www.instagram.com/p/B8nYrCMlNz3/?igshid=1xaru7ff2vmuz

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2/25 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第13弾 山田薫(マチダ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/25/130000
https://www.instagram.com/p/B8p6NzSFRqp/?igshid=1owdt7vo23j2t

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2/26 第14回新型コロナウイルス感染症対策本部が総理大臣官邸にて開催される。

2/28 劇場入り、仕込み。
うがい手洗いなどをより強化。制作サイドで、お客様への対応についても詳細を詰めていく。

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3/1 稽古開始。

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上演に向け、"アクターズ・コース2019年度公演における新型コロナウイルス発生に伴う対策について"の声明を発表。最大限安全を確保した上で公演を行う旨記載。全体でも対応策を共有した。

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帰り際、みんなで床に絵を描く。

 

3/2 場当たり。
文化庁から要請があり、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため公演中止を決定。

 

3/3 公式に「新型コロナウイルス発生に伴うアクターズ・コース2019年度公演『シティキラー』公演中止のおしらせ」を発表。

場当たり、通し。
本橋さんより、和久井幸一さんに撮影してもらうかもと話を聞く。

 

3/4.5 ゲネプロ
関係者にみてもらう。この2回が主にひとに演劇のかたちとして共有する機会だった。

 

3/6.7 『シティキラー』演劇版フルバージョンを撮影。
映画美学校フィクション・コースの修了生星野洋行さん、小濱匠さん、鎌田輝恵さん、小林徳行さんに来ていただき撮影。本番の開演同時刻から、上演。音楽の関係で2シーンのみ別撮り。

 

3/8〜10 『シティキラーの環』撮影。
和久井幸一さん、高良真剣さん、新藤早代さんに来ていただき、和久井さん指揮のもとシーンの撮影方法に合わせ区切りながら撮影。
撮影後のバラシの際に中村大史さんによるアコーディオンが流れていた。

第9期 山田薫さん誕生日(3/11)の前祝い。(次の日には会えないため、3/10にお祝い。)

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 3/11『シティキラー』1環公開
https://youtu.be/eNWh038oOoU

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3/17 『シティキラーの環』2環公開。
https://youtu.be/S1yN3SlcWfE

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3/19『シティキラーの環』3環公開。
https://youtu.be/--_KX8FcyHg

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3/21『シティキラーの環』4環公開。
https://youtu.be/9-142HLy1sQ

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3/22 佐々木敦さんの劇評を公開。佐々木さんには、無観客で関係者のみの『シティキラー』ゲネプロ上演を鑑賞いただいた。

演劇版『シティキラー』評 佐々木敦
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/20/sasaki

3/23『シティキラーの環』5環公開。
https://youtu.be/kr1vQ3-HVww

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3/24 映画美学校脚本コース講師である高橋洋さんによる『シティキラー』の感想を公開。

『シティキラー』を見た:高橋洋(脚本家・映画監督)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/24/takahashi

3/25 『シティキラーの環』6環公開。
https://youtu.be/orFuNn4S9zI

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3/26 過去、映画美学校講師であった九龍ジョーさんに、公演レビューを執筆いただいた。
https://qjweb.jp/journal/13090/

3/27 『シティキラーの環』7環公開。
https://youtu.be/gCC1WVIWSIc

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3/29『シティキラーの環』8環 公開。
https://youtu.be/eNmF5qPq3vg

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4/5 『シティキラー』演劇版フルバージョン公開。

https://www.youtube.com/watch?v=_aHAiDaLFBI&t=584s

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続いていく、『シティキラー』

4/15 関係者のみのゲネプロを観ていただいた山﨑健太さんによる、レビューが公開。
https://artscape.jp/report/review/10161215_1735.html


4/17 「逢えない僕らの思うこと」vol.1〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜 公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/04/17/185621

4/19 「逢えない僕らの思うこと」vol.2〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜 公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/04/19/185918

4/21 『シティキラーの軌跡』公開。


*随時更新中 『シティキラー』『シティキラーの環』にまつわるtogetter
https://togetter.com/li/1482145

「逢えない僕らの思うこと」 Vol.2 〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜

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2020/3/30 18:00

 

この日は『シティキラー』舞台監督・黒澤多生、出演俳優の山田薫、星美里、百瀬葉も参加。

 

  • okichirashi インスタログを間において

 

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非公開で開始された okicirashi インスタ画面


山内:なんとなく実際のログを見ながら喋ってみましょうか。これが okichirashi インスタの投稿の記念すべき一発目ですね。

 

一野:山田さんのお母さんですか。おしゃれですね。

 

本橋:僕は人と会ったときに演劇のチラシを渡すのってちょっと無粋だなってつい思っちゃうところがあるんです。みなさんに聞きたかったんですが、そういうの今回はなかったですか?

 

山田:実は私、学校に行ったことは最初は言ってませんでした。チラシを渡す日に徐々に話していって、最後のこんなのやってるよってタイミングで実際にチラシを渡した。自分の中でドラマがあって面白かったです。いざ1枚目を渡したことでその後は楽になってお店とかにも持って行きやすくなりました。

 

一野:1枚目が一番ハードル高かったんですね。お母さん驚いてました?

 

山田:私は身内っていうのが一番ハードル高かったですね。最初娘が出てると思ってなかったみたいで、話し始めは「何いってるんだろこの子?」って思われていて、最後に名前を見て「おおー!」と(笑)。

 

山内:山田さんは最初の広報ワークショップのとき、例えばフリースクールだとか学校に行けない子に来てほしいって話をしてましたよね。その話のとき、今作制作の浅田さんが劇が届きにくいところに具体的に過去に経験したアプローチのことを話してくれた。

 

山田:ALSの方へのアプローチでしたね。気軽に劇場には来られない状態だけれど、来てくれたことがあると。

 

山内:そういう人たちに劇場にきてほしいと組織的にアプローチしようとしたらものすごい大変だったというのを踏まえ、それじゃあまず今回はみんなできる範囲でやろうと方向転換しました。僕も個人的な知り合いに声をかけようとか考えた。そのときに、自分で渡しに行くのが似つかわしいなと思ったんですよね。それで「okichirashi」プロジェクトとして非公開でログだけとろうとインスタをはじめました。そしたら山田さんが最初にこれをあげてくれて、主旨にあってます?ってすごい気にされてたのを覚えてます。

 

山田:こんなに身内な感じでいいのかって(笑)。逆に嬉しかったです。

 

山内:これでいいんですよね。むしろこれがいいんだなって。本当に、人と人との間にチラシがある。本橋さんの質問の「人と会うときにチラシを渡しづらい」ことに関していうと、僕は東京出身ですが、演劇をやってると20代のときに高校とか大学の友達を一旦全部なくすんですよね。みなさんわかります?

 

山田:どういうことですか?

 

山内:見に来て、前売り買ってってそればっかり言って友達を一巡するんです。どうやらあいつは芝居見にこいしか連絡がこないらしいっていうので学生時代の人脈って一回絶えるんですよ。割と演劇あるある、俳優あるあるなんですけどね。芝居を見に来てっていう行為が、どっちかっていうと下世話というか。だからお芝居の宣伝をする行為がものすごく心理的にハードルが高くなっていた自分がいて。なのでお芝居のチラシを渡すことの大変さについて本橋さんの質問は体感としてすごくわかります。

 

本橋:そうですね、こうやって改めてインスタの画像を見ながらチラシを渡した状況の話を聞くとすごく面白いなと思いました。やっぱり「人と人の間にチラシを置く」ことの感触はすごくあるんだなと思いました。同時に、チラシのデザインはすごく大事だなと実感もしてます。過去にもらったり渡したりしてきた経験を思い出すと、このチラシダサいなって自分で思ってるものを渡すのは自分に嘘がある。だから自分にとっても相手にとってもいい時間じゃなかったなってすごく思います。

 

一野:今回のチラシは渡しやすかったですか?

 

一同:渡しやすかったです!

 

一野:よかったです(笑)。

 

山内:僕はこの okichirashi インスタログをとる企画が同時にスタートしていたのでなおさら渡しやすくなっていました。

 

一野:本橋さんから最初にチラシ制作の依頼があったのは結構前で、その時にいわゆる演劇公演風のチラシではないものにしたいという希望を聞いたところからスタートしました。ことさら意識したわけではないんですけどね。面白かったのは、最初はチラシに「演劇公演」という文字が入ってなかったんですが、出来上がったデザインを見たら、やっぱり演劇公演のチラシには見えないかも? ということで後から付けたんです。だからある意味最初の狙いは成功したのかなと。

 

本橋:補足すると「演劇公演」とつけたかったのは、自分の中の演劇のチラシに対する考え方も影響しています。僕の知る限り、演劇のチラシって「演劇公演」て書いていないものがすごく多いんです。それもチラシの渡しづらさとして引っかかっているのかも。演劇をやってる僕らは A4 サイズのこのチラシって演劇のチラシだよねって普通に思うんですけど、馴染みのない人からしたらそもそもこれはなんなのっていうのが最初の印象なはず。なのであえて、すごく入れたいと思ったというのが理由です。あと僕は公演を始めるときに必ず最初に「今からここで演劇公演をやります」とナレーションを入れていて、それも同じ気持ちからやっています。

 

本橋:次のログは山田さんの息子さんですか?

 

山田:そうです。

 

山内:一時期この息子さんはお芝居の感想をイラストで書くことで小劇場界を席巻したんです。小学生の頃ですかね。

 

山田:ですね。それを Twitter にあげてました。

 

山内エゴサーチする小劇場界隈の人々の間で、感想をイラストでかいてる小学生がいるぞってことですごい話題になりました。最近見ないなーと思ってたら、うちの息子です、と山田さんが。昔の僕が出てたお芝居についてかいてくれたものも見せてくれました。時々有名な中学生観劇ブロガー、高校生ブロガーって現れますけど、小学生イラストレーターとしてとても有名でした。

 

一野:山田さんは今回がお芝居の出演は初めてだったんですよね?

 

山田:去年本橋さんのリーディング公演に参加しましたが、こういう風にちゃんと公演にでるのは初めてです。

 

一野:全然そういう風に見えませんでした。

 

山田:本当ですか? 嬉しい、だいぶ緊張してましたけど。

 

本橋:山田さんはむちゃくちゃ演劇みる人ですよね。演劇以外もですけど。それもあったと思います。関係ないかな?

 

山田:どうなんでしょう。でもやっぱり場数を踏んでる人は違うなと思うので、やっぱり経験は大事な気がしました。それに慣れてしまうとどうなのかはわかりませんけど。私はもともと割と何度同じものを見ても笑える人間なので、毎回新鮮にできるタイプだとは思います。経験してそれがなくなっちゃう人はつまんなくなっちゃうんですかね?

 

一野:毎回新鮮なリアクションできるってすごい才能じゃないですか。

 

山内:すごいすごい(笑)。

 

山田:(笑)。でもかなしいお芝居だと同じようにはできないかもですね。今回は一瞬一瞬が楽しかったので、何度やっても楽しかったし新鮮でした。

 

山内:そういうことはあると思いますよ。アクセスする感情の得意不得意、体の状態の得意不得意は、絶対あると思います。

 

一野:そういう体の状態を作るっていうのは役者さんの大事な仕事なんですね。

 

山内:やっぱりあらゆることにすっとアクセスできちゃう体の方はいますからね。お芝居向いてる人っているんだなって。いまだにすごい嫉妬します。

 

本橋:それでいうと、山田さんの役は劇中で息子役の方とのシーンでネガティブな面もあったと思うんですけど、どうでしたか?

 

山田:関係者で見ていて気づかれた方からも指摘されたのですが、怖くなって声がでづらくなってましたね。結構辛かったのが見えたみたいです。見えてしまったことに反省してますが。

 

山内:次のログに進みましょう。僕はこんなふうにコンビニの店員さんの身体が写ってるものなんて見たことないです。

 

本橋:これはどういう写真なんですか?

 

山田:うちの近くのコンビニで何年もバイトしている方との写真です。私もほぼ毎日行くのでレジ越しに話す関係が続いています。この企画のスタート時点で演劇を見たことがない人に来て欲しいと思ったのですが、彼女は毎日コンビニで働いているので見たことないかもしれないと。それで声をかけたら「行きたい」と言ってくれて今は LINE 友達です。

 

本橋:チラシ渡したのがきっかけですか?

 

山田:はい。稽古中は頻繁にコンビニに行けなくなっていましたが、公演中止になったお知らせをする必要があって LINE の ID を私が渡して、そこから。

 

本橋:なるほど。すでに関係が築かれてる人に宣伝のチラシを渡すのは確かにその行為がノイズになる可能性があるけど、チラシを渡すことをきっかけに関係性が進むのは素敵なことですね。

 

  • コレクティブを間において

 

山内:それです。演劇を口実に人と話す。僕が映画美学校で毎年続けている「渋谷ノート」という試みがあります。受講生が渋谷で街を歩いている人できになる人に声をかけて録音もさせてもらって、その会話を書き起こして演じるというワークです。一言一句、ノイズも書き起こして台本化する。あれは「生の、本物のしゃべり言葉ってどうなってるんだろう?」っていうのを調べること、ものすごいハイコンテクストな言葉に触れるという目的があるんですが、同時に、演劇を口実に渋谷の街を歩いてる人に話しかけるというのが実は一番の目的でもあります。そうじゃなきゃ、話しかけないですよね。僕自身も演劇のリサーチを口実に、初めて話しかけられる人がいっぱいいます。それを口実に気になっていた人に話しかける。そういうイメージはありました。

 

本橋:コミュニケーションてなんなんでしょうね。今だから正直なことを言うと、僕、9期生の人たちがすごく仲良さそうにしてるのがすごく羨ましかったんですよ。今回に限らず、演劇をやるときにいつも思うんですけど(笑)。俳優同士って仲良くなりやすいことが多いけど、僕はどうしてもそこには入れない。脚本・演出という役割というより僕自身の傾向かもしれないですけど。創作に関することを話すことになっちゃって、それも心地よいんですけど、そうじゃなく関わることがなんか僕はできなかったな。

 

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「シティキラー」場面写真


山内:2回目で一野さんと本橋さんが言ってた間にお芝居とか本とかを間に置いてるから話せる、というのと同じことですね。僕からすると、間にチラシがあるから話せるというのも同じだと思っています。例えば俳優同士の場合は間に台本があるから話せるというのもあるんだけど。でもコレクティブという集まり方を考えると、俳優と演出はなぜかコレクティブになりにくいんですよね。スタッフと演出だと意外と実現しやすいのに、俳優が関わると難しくなる印象があって。

 

本橋:なんででしょうね。

 

山内:割と最近思ってることの一つには、スタッフと俳優は仕事の時間軸が全然違うというのがある気がします。スピード感が一桁二桁くらい違う。ミュージシャン同士ならそのセッション内でパッとコピーとか実現できるかもしれないけど、俳優の場合はまずセリフを新しく覚えることも大変ですが、演技を作っていく時間の流れ方が俳優によっても全然違うというのが今の所の中間報告の一つです。

 

本橋:僕は俳優同士のコミュニケーションに、わからないけどどこか高尚なものを感じています。例えばどこかジャングルの奥地で一つの巨大な洞窟に暮らしている少数民族のコミュニティや戦争塹壕の中のコミュニティみたいな。周りにその人たちしかいなくてそこでコミュニケーションをとらないと死んでしまう。必要性があって関係性を構築している、生きることと直結しているコミュニケーション。そこに自分がほいほい入っていけないなと思ってしまう。

 

一野:すごい動物的な。

 

本橋:そうですね。あくまでこれからパフォーマンスをしていく上での集まりなわけで、揉め事がある死活問題だからっていうのはあるのかも。

 

一野:僕はまだまだ演劇の人と触れ合ってる数は少ないですが、演劇の人たちがいる空間ってすごく居心地がいいです。すごく協調性があるのに独立してるっていうか。みんな違うのに今から一緒にやりますってなったら急にできるってすごいです。そういうタイプは普段はまわりにいないので。

 

山内:本橋さんの現場を横で見てると、解放されてる感じがします。許されてるとかそういう上下関係でもなくて、なにかの回路が開かれてるような。直感の回路でやってて、違う時は違うってフィードバックも実感しやすい。

 

一野:自由な空気は感じますね、ものすごく。

 

【コレクティブな人の集まり方について】

ヒエラルキーをなくした表現者の集団である「コレクティブ」という人の集まり方は、2010年代より、アートのみならず、演劇でも大変に注目されています。それはもっともパワフルな人の集まり方であると同時に、システムとか制度が引き起こしている「分断」や「孤立」と闘っているのかもしれません。

演劇では快快サンプルの試みは大変に知られていますし、近年では劇団mamagotoの挑戦が大変注目されます。

映画美学校修了生のあいだでも、「月刊長尾理世」など、アクターズ・コース、フィクション・コースをまたいだ映画コレクティブといえる集団があらわれています。(山内)

 

  • 出演俳優/受講生を間において

 

山内:百瀬さん、どうでした?

 

百瀬:おっしゃる通り今までもってたこうしなきゃああしなきゃ、ってのは捨てられた感じがします。

 

本橋:僕はこれまで3回俳優に感覚を揺さぶられた経験があったんですが『シティキラー』で4回目があって、それは百瀬さんでした。『シティキラー』の中で、床に空いてる穴を百瀬さんと星さんが見つけるシーンがあるんですが、そこで百瀬さんは唾を吐くんです。衝撃を受けたしめちゃくちゃ感動しました。日常で、外で仲間と旅に出たら実際やるよねって感覚的にわかる行為なんですけど、演劇はあくまで借りた場所で他人とやってるフィクションだから、やれないことの方が多いですよね。それを百瀬さんはやっていて。そういう我々が大人である以上セーブしてしまうことをどうやって引き出せるんだろうってよく思うんです。

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「シティキラー」場面写真


山内:本橋さんは常にそういうものを探してますよね。動物的な感じというか。それは飴屋法水さんのものづくりの佇まいと似てる気がします。

 

本橋:確かに影響を強く受けてるので…。色々な方の影響を受けていますが、できるだけゼロ地点からそういうところにたどり着けたらと思うんですけど。

「ビュー・ポイント」という映画美学校の講師の近藤さんが授業でよく実践する動きや発声を細分化、パーツ化したりしてルールをもちつつ身体的に実験する訓練かつパフォーマンスのようなものがあって、今回もいわゆる客入れの時間に俳優に舞台上でやってもらっていました。稽古も含めて「ビュー・ポイント」で感動する瞬間はいくつかありました。ルールに基づいて動いている人たちがそのルールで本当に遊び出す瞬間っていうのがあって。その時間内に生成されるルールを破ったり守ったりする時間がすごくいいんですよね。ルールが真ん中に置かれているからこそ起きることだっていうことに感動したりしましたね。

 

一野:枠組みがあるから外れられるっていうのはあるよね。

 

山内:このログには他にもいい写真がたくさんあるんです。Twitter には普通写らない体がありますよね。非公開にしてよかった。

 

中川:見られるためにやってるのではなく、やってる人との関係でしか起きない体や表情が写っていたりしますよね。親密さがある。

 

一野:僕は居酒屋のテーブルにチラシが置かれて、その上に料理が置かれているこの写真が好きです。直接渡せないからテーブルに置いてきたっていう(笑)。自分の分身を間接的に置いておけるものとして使ってる感じがすごく面白かったです。

 

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okichirashi インスタログより。居酒屋のテーブルの上に「シティキラー」チラシを置いた


山内:置きチラシを個人的にやっていこうと9期生と話した時に、その人たちが通りそうな動線にそっと置くって話をしてたよね。梶井基次郎の『檸檬』みたいな。

 

:その発想の発端は受講生の一人、関口さんですね。私生活の中の動線をそれぞれが模索するみたいな話をしてて。

 

一野:配置の仕方に色々工夫はありそうですね。

 

本橋:置きチラシってそもそもそういうものかもしれませんね。僕も置きチラシはすごく好きで、これからの時代の演劇チラシは折り込みよりそっちだなって思ってたんですけど。初回にも話しましたが、チラシって大多数より個人に出会うものだなって気がします。すごく自分にとっていいなって思うお店だと、置いてあるチラシを見たり持っていったりするからそういう風に作品と出会うのって素敵だなって。その場所での経験がそのチラシに含まれたりもする。

 

一野:オンラインの宣伝だとこの写真みたいにランチョンマットとして使えないもんね。笑い話でもあるけど、反面すごく重要でもある気がしますね。こういう使われ方もすごく嬉しい。

 

山内:自分と似たような人に来てもらうなら自分の動線に置けばいいって話があったよね。

 

:そう思ったのは本橋さんの文化圏と自分の文化圏が似ていたからです。それゆえに本橋さんの文化圏を拡張できるのかなと。実際に置きチラシを通じて本橋さんの友達の友達という人とも出会いました。

 

一野:タグ付けみたいなことなのかな?

 

山内:それって、自分と本橋さんの文化圏の重ならない部分にチラシを置くことで本橋さんが拡張されるって感じ? あえてちょっとはみ出るみたいな。どうやって世界が拡張できるか僕自身知りたくて。

 

:私の周りにいる人たちは、自分と面白いと思うものが似ている人たちが多いので、知り合いがいる店とかに置いてました。

 

山内:なるほどね、きっと好きだろうなと思う人に存在を知ってもらうということですね。

 

一野:そういえば背中の部分にチラシを入れられるデザインのカバンを見かけたことがあります。歩くことで広告になれる、これは面白いなって。例えばパンクバンドのチラシを入れてたらその人パンクが好きなんだってわかるっていう。その人がチラシを背負って歩くことで、その人がどんな人なのかも見えるのがプロダクトとして面白いなと思いました。動線を媒体にするってことを実直に形にするとそういうことになるのかなと。話しかけられそうじゃないですか、そういうカバンをもってたら。

 

:ファッションみたいですよね。演劇って持ち歩くことができないけど、それでだったら持ち歩けますよね。

 

本橋:チラシは広告的な要素があるけど、そもそもファッションは一目でこういう人だってすごく把握しやすくて意識しますよね。一番身近な自己表現の一つで面白いですよね。

 

:演劇はその場でしか見ることができないですが、ファッションもそこにその人が存在しないと見られないという点で似てるかも。何かの媒体を介してしか見られないし、同時にその人がそこにいないと見られない。演劇の広告の可能性ってどこにいけるんだろうって考えます。

 

本橋:そういえば星さんに最初に話したのって、その服どこで買ったのって聞いたのだった気がしますね

 

:紙でできた手術着を反対にしてコートにして着てたっていう(笑)。

 

一野:おしゃれ(笑)。

 

  • 「フォーカス」と「フィジカル」を間に置いて

 

本橋:さっきでた拡張というワードは意識しています。自分が半径1メートルくらいの話しか作れないなって悩んだ時期があったんですが、フォーカスが絞られたものを作ると逆に広がっていくって気づいたんですよ。フォーカスをめちゃくちゃ絞って背景がボケて見えなくなるように作ると、そのボケた背景を見ている人たちが自分の経験と照らし合わせて勝手に広げてくれる。そういう作り方を意識しています。

 

山内:フォーカスを絞るというのはキーワードな気がします。世界を拡張する方法としてもうちょっと言葉をくれますか。

 

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3回目ZOOM画面より。中段左端の本橋氏は手元のライターをカメラに近づけている


本橋:例えばこうやってライターをすごく寄りで見るとします。こうするとライターの情報をすごく提示することになる一方で、このライターがどこにあるのかはわからなくなる。例えば今だと部屋で僕がライターもってるという情報が隠れる。そうするとこの画面を見る人は、ライターそのもの以外の外側を自分で補填したりし出すじゃないですか。そうすることで、その見た人個人個人の世界と接続する気がする。僕はそういうことを意識しているような気がします。

 

一野:すごくわかるような気がします。描かないからこそ他者にわかるっていうのはありますよね。細密に自分の背景まで書いちゃうと自分にぴったりはまる人しかハマらないけど。周囲・背景をぼかしてることで、幻想かもしれないけど、見ている人がこれは自分のことなんじゃないかって想像しやすくなるんじゃないかなって。

 

本橋:それはアピチャッポン作品にも繋がるような気がします。作品の中に個人的な感覚を突き詰めておいているような気がします。そのことで自分の文脈に置き換えやすくなるというか。

 

:クローズアップすることで取り扱っているものの要素がすごく大きくなりますよね。ライターをアップにしたときに「ライター」としてではなく、プラスチックという素材、色とか光とか、物質が見える。その方が世界の広さが見えるというか。

 

一野:ライターって言葉にしちゃうと「ライター」でしかない。ライターを表すのに、黒いとか、プラスチックとか、言葉のレベルでも別のものがでてきますもんね。

 

本橋:例えば僕の場合、人とのコミュニケーションでも、その人が経験したことを伝えてくれるときにディティールを熱烈に語られても「うわー話してんなー」と思っちゃって全然頭に入ってこなかったりするんですよね。状況ではなく擬音とか体感を伝えてくれる人の方がわかるし、コミュニケーションをとりやすいなって思ったりしちゃうんですよね。

 

一野:関西人に多いやつですね(笑)。道の説明するときに「そこガーッといってからサッと入って」とか言うから。

 

本橋:その方がコミュニケーションが楽しい感じがするんですよね。自分に起きた感じがする。その感覚とちょっと似てたりするかな。

 

中川:一気に抽象化するみたいな。

 

本橋:そうですね。外から見るとすごく抽象化されていて、でもその人本人から見るとすごくフォーカスが絞られた状態になってるっていう。

 

中川:言い方が難しいですけど、例えば私が何かを感じたって伝えるときに「私」はぼかすけど「私が感じたこと」にフォーカスする。私が痛かった状況ではなく、その痛さが痛みとして伝わるみたいな。すごく主観的なんだけど同時に主語を避けるというか。テキストでは伝わりにくいことかもしれないですけど。

 

本橋:作品づくりにおいては主観的な目線と俯瞰した目線が両方必要だとは思うんですけどね。ただ僕は、コミュニケーションとか人と関わる上で、そういうところが一番大切なんじゃないかと思ってる感じするんです。どんな話においても、他者がその人になれるかどうか。その人の中で、膨らませていけるというか。見た人、聞いた人が話の主人公になれること。

 

一野:少なくとも語り手が自分の感じたことを自分の言葉で言わないと伝わらない。どっかで観念的な、フィジカルではないものが混ざると嘘の言葉になるような気もしますね。擬音で聞いた方がその人本人のリアルな感覚は伝わるな、と思うんですけどね。

 

本橋:コミュニケーションにおいては色々な意見がありますよね。

 

  • いま、逢えない僕らの思うこと

 

山内:今回の対談は、僕たちがこういう営みをしてきたということを報告したいという動機がありました。俳優の学校にありがちな、卒業したら芸能界に何人いけるとかそういうこととかけ離れちゃってる営み。広報ワークショップをやってみたら、この人たちの感覚が面白いという手応えがあって、とても個人的な営みとして実践して、それを振り返った跡を残したいというのがありました。みなさんどうでした?

 

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3日目にあたるこの日は最大8名が同時に対談に参加した


百瀬:今の状況になってから自宅にずっといて、TVや映画やドラマをずっと見て過ごしていて人と喋ってなかったので、楽しかったです。欲望として、人と喋るのって楽しいことなんだって体感しました。

 

スマホから Zoom をやっていると一画面に4人しか映らないので顔色を伺いながらスライドさせて喋ってました。それが面白かったです。

 

黒澤:上演が中止になってしまってからいま話してる話って公演やってたときに話してた話なのかもしれません。それを聞けて面白かったです。公演が中止になったことによって、逆説的に今なお、続けていられるようになったのもいいなあと思いました。

 

山田:okichirashi インスタを始める前は漠然とチラシという媒体はなくなっていくと思っていました。オンラインの方がお金もかからないし無駄もない。それでも、そこに物質があって、渡されることで起きるストーリーや質感はあたたかくていいなと思いました。なくなるであろう文化なのかもしれないけど、なくしたくない。

 

一野:僕も純粋に嬉しかったです。デザインをしているだけでは見られない表情を見させてもらった。いま「置きチラシ」というフィジカルな記録について話すときに、前日に東京都知事の会見があって東京に行かない選択になった経緯があって。フィジカルなものについて話すときに、全然フィジカルじゃない状態で話すことの落差。Zoom で話した感覚まではテキストでは伝わらないだろうけど、こういう状況下で話しているということを残したいです。それと僕はやはり、逢いたいです。

 

中川:元々 okichirashi インスタのログを見せていただいたときに感動したのは、山内さんもおっしゃっていた、人が写っていたことです。等身大の感じがすごくした。演劇や表現をすることも、それを渡すことも、自分の体のままみなさんがやってこうとする感じがすごくいいなと思ったのがありました。この人たちが話す言葉は聞いてみたいとが思って参加しました。今こうして背景が部屋で画面を共有して話していることも、インスタでログを見た感覚と共通するところがあります。PC を間において、お一人お一人プライベートの延長、等身大で話している言葉、声が素直に出てる感じがして居心地のいい時間でした。

 

本橋:僕は最後にすごく感動した『シティキラーの環』の一番最後にでてくる一野さんが作ってくれたロゴを共有して閉めたいです。ロゴってデザインにこんなに物語を組み込めるんだなって感動しました。こんなに「シティキラー」が文字にぶつかってるとは思ってなくて(笑)。想像してたのとは違う不思議なものでした。

 

山内:Zoom でどうしたらいいの、と戸惑った初日の感じが忘れられません。今はZoom でお話しする身体感覚が面白かったと言えます。画面共有も面白い。もっともっと用意したらある意味何時間でも楽しめる。『シティキラー』に関しては終わっている感じがしなくて、まだ同じ夢の中、出来事の中に依然いるような気がします。今日はこれで仮にピリオドを打ちますが、全然続くな、という感覚です。作品ももっと育つような気がしてます。

 

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一野氏の手で作られた『シティキラーの環』のラストシーンに現れるロゴ
【3回目を終えて】

人のつくるものを信じられないときがあります。信じられないというより、それと関係が切り結べないとき。そういうムードのとき。今、もしかしたら世界が、まさにそうなのかもしれません。日々のニュースで報じられる世界のありさま。SNSやインターネットで目にする更新され続ける情報。

いま目の前で起きている未知で予想をはるかに超える被害や制限、プレッシャー、またそれらから醸成される警戒を強いられる非日常的なムードをまとった日常を送りながら、非日常が描かれたフィクションを、今のあなたは見たいでしょうか? 全く見たいと思えない、あるいは、そこに引きこもりたい。両極端な振れ幅にそれぞれの人が揺れているようにみえます。フィクションとの健全な関係を結びにくい。少なくとも私自身にはそういう実感がありました。

けれど教えてもらってから知った非公開で綴られたインスタのログを眺めていたら、この人たちの話す言葉には逢ってみたくなった。そこには、等身大の人の行為が映っていたから。背伸びもせず、武装もせず、過剰に恐れず。演劇公演のチラシを自分と誰かの間において、等身大に人に話しかける、俳優になろうとする人々の姿。

「話す言葉」を、その人が「つくるもの」と言えるとして。この人たちの言葉なら、聞いてみたい。この人たちが作るものなら、見てみたい。これを作る人たちになら会ってみたい。

今作の制作とはそんなに関係の濃くない私は、そういった動機で今回の対談に参加しました。

参加合計4時間強にあたる全通話はすべて均等に行われたわけではなく、背景に各人の私生活が垣間見える私的な空間と接続されているような異世界感を伴うものでした。どこか散漫で、私的で、個人的で、親密に同じ時間を共有しているのに、身体的には離れている“逢えない”私たち。様々なレイヤーの間に生まれるラグに少しずつ各々の体を慣らしながら、相手との距離を確かめながら進められるミーティングは翻って自分の身体性と、いまここにない他者の身体性を強く意識する時間になりました。こうして書いていても多層的な『シティキラー』のこだまの中にいるような。ここにいないフィクションのはずの人々が、確実にまだそこに、いるような。残響を体に残しながら、ひとまず閉じることにします(中川)。

 

(舞台写真撮影:かまたきえ)

「逢えない僕らの思うこと」 Vol.1 〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜

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映画美学校アクターズ・コース2019年度公演『シティキラー』の脚本・演出を担当したウンゲツィーファの本橋龍氏、今作のチラシデザインを担当した一野篤氏、映画美学校アクターズ・コース主任講師の山内健司氏により、3/27-3/30にかけて合計3日間に渡るZoom 対談を行った。

今回の公演にあたり広報の一環として受講生各人が見て欲しい人にチラシを手渡し、置きチラシをした記録を非公開で残す「okichirashi(置きチラシ)インスタログ」というちょっと変わった活動をしたので、それをフックに『シティキラー』について話しませんかという企画だ。

当初は京都府在住の一野氏を東京に招き、東京で対面した対談を予定していたが、対談予定日の前々日夕刻、東京都知事による緊急会見が行われたことにより状況は一転した。新型コロナウィルスの爆発的な感染拡大による首都東京のロックダウンを防ぐため不要不急の外出の自粛は要請されたし、と東京都による公式見解の発表。いわばこの公式宣言を受け、今回の対談もまた遠距離移動を避ける形でどうやって実現できるのかLINE グループによる関係者の話し合いを経て、多数話者の同時参加が可能な通話動画アプリ Zoom によるオンライン対談という形を試してみることにした。

Zoom による対談は実質準備運動にあたる初回を含め合計3回行われた。参加者は本橋氏・一野氏・山内氏に加え編集の中川による4名を基本とし、2回目以降は今作俳優部である受講生も数名自由に対談に参加している。

 

【『シティキラー』上演中止〜2つの映像作品について】

 『シティキラー』(作・演出:本橋龍)は映画美学校アクターズ・コース俳優養成講座2019(通称9期生)の修了公演として、2020年3月5日〜10日の上演にむけて準備されていた。公演3日前に主催である文化庁より新型コロナウィルス感染症の拡大防止に係る要請を受け中止となる。

http://eigabigakkou.com/news/info/11706/

 

中止決定の直後より路線を切り替え、「連ドラ版」と「上演版」の2種類の映像作品が生まれる。

<『シティキラー』『シティキラーの環』感想まとめはこちら> https://bit.ly/3cpeIKv

 

連ドラ版『シティキラーの環』は映像作家、和久井幸一をむかえ、15分×全8回の作品として再構成して、新規に撮影。Youtube にて配信、公開。(3/8.9.10撮影。3/11より公開。)

<第1環>

<第2環>

<第3環>

<第4環>

<第5環>

<第6環>

<第7環>

<第8環>

<Balchraggan (by John Somerville)> https://bit.ly/2VA775d

 

上演版『シティキラー』は舞台上演の記録映像として、映画美学校フィクション・コースの修了生たちによって、4台のカメラによって撮影。全編120分の作品として、Youtubeにて配信、公開。(3/6.7撮影。4/5公開。)

https://www.youtube.com/watch?v=_aHAiDaLFBI&t=584s

 

2020/3/27 13:00

東京都知事の自粛要請会見後2日後

 

前日に LIINE で試してみようと決めた Zoom 対談。

可能性や方法を検証するべく、操作性の確認から開始しました。分割された画面から時に誰かの画面共有を試し、各人の背景を眺めながらお喋り。この日はゆるやかに本題へ。

 

  • 僕らの間にチラシを置いて

 

本橋:この「okichirashi」プロジェクトのログを見直して不思議な気持ちになっています。それぞれの投稿に「この人が来てくれることになった」と書かれているけど、結果的にこのほとんどの人が見ていないわけです。だから今回は公演中止になった状況が含まれる話になりますよね。こういう状況でこのインスタを元に話をするというのは僕の中でつながるものはある。

 

一野:もともとチラシってどれだけ印刷しても実際に作品を観るお客さんはその一部ですよね。公演を見ていない人にとっては、チラシだけがその作品の印象として残るんじゃないかと前から思っていて。今回のような状況だと尚更ですよね。

 

山内:改めて、今なんでこの「okichirashi」企画をしたかと言うと、チラシや演劇を口実に人と会うことがいいと思ったんです。実際今回ログを見ていて、実際に人と人が会う演劇の上演と全く同じ役割をチラシが果たしてるなと思いました。今、国際的にも演劇の公演でチラシがこんなに配られるのは日本だけだし、ネットで十分という声もあります。でもチラシを口実に人と話すことができるのはすごくいいと思った。いくつか、特に印象的な写真があってチラシを間に挟むことにより、人の見たことがない表情や生身の人の体が、インスタの向こう側に浮かび上がっている。特に9期生の面白いところは、チラシを渡したい相手が日常的に劇場にくる人ではない人だったところです。その欲望が見えました。

 

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初回 Zoom 画面

一野:この企画によってチラシがあったほうがいいと改めて思い直せたことはデザイナーとしてとても嬉しいです。僕は自分の仕事が身体的に作用するかどうかはわりと意識しています。グラフィックは単に情報を伝えるだけのものではなく、フィジカルなもの・感触があるものだと。演劇の人と一緒にクリエイションをすることでグラフィックの可能性が広がる感じがします。

数千部、数万部の折込チラシだとマスメディアを扱っているという感じがしますが、このインスタのログを通じてチラシを人に手渡す行為を目にすると、プライベートなものに織り込まれていく実感が得られます。一人一人に手紙を渡す行為に近いというか。会えなくても、とかげの尻尾のように自分の分身を置いていく。それはフィジカルにものがあるからこそ発生する代え難い行為だし、それ自体も新たに身体性を誘発する行為だと思います。これを見て、届ける相手を絞っていく作り方もあるな、と。いまはネットを筆頭に他のメディアがたくさんある時代になり、なぜわざわざ印刷するのかがより問われています。だからこそクオリティがあがり印刷物の黄金時代がくる予感もある。演劇と関わりながら実験的にやれたら面白いと思います。

 

本橋:そういえば紙って食べると味違いますよね。上質紙はまずかったけど、藁半紙は甘みがあって食べられる(笑)。

 

一野:外国人からしたら海苔食ってるのも紙食ってるように見えるみたい(笑)。日本人てとりわけ紙が好きな国民性ですよね。家の建具とか日常的にもよく使われているし紙の種類も豊富で、普段の仕事でも紙選びにはエネルギーを相当使います。チラシはもういらないんじゃないかと思うときもあるけど、オンラインだけの告知だとちょっとつまらないところもある。そもそもオンラインのものって100年後に残るのかと考えると微妙な気がするけど、紙なら100年後も残るだろうと思える。

今こういう状況になってあらためて、物質としてないこと、フィジカルではないことへストレスを感じています。僕たちはいま何をできるのか。今この会えない状況で、置きチラシを介在させて人と人が会うことについて、フィジカルではない場所で話すこと自体が面白いと思う。

話を進めるにあたって、この対談にタイトルをつけてみるのはどうでしょう?

 

山内:タイトルは次までに考えてくるという宿題にしましょうか。そのプレゼンから次回キックオフということで。

 

本橋:いいと思います。この状況だから出てくる気がしました。楽しみです。

 

【okichirashi(置きチラシ)インスタログとは】

 毎年アクターズ・コースでは修了公演にあたって広報ワークショップというものを実施しています。定員数10名のアトリエでの公演に集まることができる観客の人数ははっきりと有限です。どんな客席だったらいいと思う?ということを立ち止まって考え、その人たちにどうやったら来てもらえるかを考えます。

今回のワークショップは去年の12月23日に実施され、9期生たちの誰に見て欲しい?という願いが、膨大な数の付箋に記され壁を埋め尽くしました。

しかし、例えば「この作品を見て救われるかもしれない人」という願いがあったとして、その人にどうしたら劇場に来てもらえるか、そのアプローチを広報として本格的にやるのは、途方もなく大変です。

そこでアプローチが難しいものについては、個人々々が地道に置きチラシをする、手渡す、それだけでいいじゃないか。でも各人がチラシを手渡した記録を、ログとして内部だけで共有してみないか、ということになりました。それがたくさん積もったら、何か違う風景が見えるかもしれなくない?

その記録が、非公開の okichirashi インスタログとなります。(山内)

 

【1回目を終えて】

ボリュームのあることを話すには普段と違うエネルギーがいる。普通の会話とテンポが違う。タイムラグ、音声・通信の中断、聞こえているか不安を感じる、気が散る要素が多く散漫になりやすい、映像ならではの間ができる。同時に、背景に各人の日常が写っているのは面白い(この日はスマホ参加の本橋さんの背後で今作舞台監督黒澤多生さんが洗濯物を干していた)。普通の対談と比較するとストレスを感じたり薄く感じたりするが、これはこれでラフに気楽に話せて楽しい。圧縮できないものもある一方で、情報は圧縮すれば濃い内容になるのかもしれない。慣れればノーストレスで会話できそうだからどこかのタイミングで、うまく話せるような時間がいつかくるような気がする。(編集:中川ゆかり)

 

2020/3/28 13:00

 

  • タイトルを間に置いて

 

一野:僕が考えたタイトル案は「逢えない僕らの思うこと」。「会う」ではなく「逢う」。なんかキュンとする方の字です(笑)。逢うことを絶たれてしまった状況で、会うこと、フィジカルなことがどういうことなのか、逆に考えるチャンスではないかと。この状況で演劇は可能なのか考えたいというのもあります。

 

山内:素敵ですね。僕は「人と人が会うということ」「ゴロっとものがある、ゴロっと人がいる」ていう案をもってきました。演劇は生身の人がやるものだけど、劇場では例えばホントに目の前でコンテンポラリーダンサーが無音ですごいエネルギーで踊っていても眠くなったりするような不条理なことが時にある。生身の人の重みを感じるのは実は簡単ではないのかもしれないと思ったりします。それはたぶんシアターという制度、人と人の向き合い方が人を眠らせてしまうところがあるのではないでしょうか。例えば突然目の前で事故が起きたら人や物のものすごい存在感が否応なく意識されます。そんな風にゴロっとものが見えるようになりたいというのが、僕が演劇で目指してることです。そのためには演劇とか演技はシアターという制度に一ミリも寄りかかってはいけないと思います。この「okichirashi」ログもゴロっと人がいるような感じがする。ゴロっとチラシがある。この感覚が僕の一番大事なことです。それは劇場で眠くなるとか、大量の印刷物としてチラシを漫然と眺めてしまうのとは真逆のことがここにある気がする。

 

本橋:山内さんの言うシアターの制度というのはどういうことでしょう? 演劇界の常識、共通感覚のようなものですか?

 

山内:例えば本当によくない人と人の向き合い方ですが、舞台の上はなにか恥ずかしいことをやったり、特別なものを見せつけたい人がいたり、やらかしちゃう人がいる場所。その一方で客席は匿名で影の中にいて自分がやらかしちゃう側になるとは夢にも思わない場所、とか。客席と舞台をそういう非対称的な関係性にしてしまうのは僕にとって退屈で仕方がないシアターという制度といえますね。でも今回は、広報ワークショップから「okichirashi」企画が立ち上がり、公演中止になり、「シティキラーの環」につながり…なんか人がずっーとゴロっと目の前にいるなーって考えたりしていました。

 

一野:言葉は違っても興味のある部分はすごく似てるのかなという気はしてます。中川さんは何か案はありますか?

 

中川:「“オン”ライン・ミーティング」とか考えました。「okichirashi」プロジェクトもそうですが、人と人とのラインを作る作業をいま ON-LINE でしている感じです。この“ ”は海外ドラマで欧米圏の方が会話中で人の言葉を引用するときにしたりするジェスチャーのイメージです。ちょっと揶揄的なニュアンスがこもったりもしますけど。“ ”の中は別の前置詞か、空白かもしれないです。

 

本橋:結構今の状況にしっくりくる感じもありますね。どれも。

 

山内:僕は「逢えない僕らの思うこと」が好きですね。優しく響くし、今のこの会えなさゆえの、肉体的な渇望がたくさんの人に届きそうな気がします。

 

本橋:「僕ら」が僕ら3人に向いちゃうように響くと、いろいろな人が関わっていることが隠れてしまうかも。

 

一野:じゃあタイトルは後に回しますか。内容にあってるものをあとで決めましょうかね。

 

  • 「作る」を間に置いて

 

山内:僕が気になってるのは一野さんと本橋さんの出会い方です。お二人は『シティキラー』の前から何作か協働していますが、何を原動力にしてるんですか? 

 

一野:きっかけは僕が本橋さんの作品を観たことです。もともと演劇には全く興味がなかったのですが、東京で仕事がある時にたまたま Twitter で評判がよかった本橋さんのソロユニット、ウンゲツィーファの作品『転職性』を観たらめちゃめちゃ面白かった。そのときに感じたものが僕の演劇への興味の原点なんですけど、その次の作品『自ら慰めて』もやっぱり面白くて、チラシに書いてあったアドレスに何か手伝えることあれば連絡くださいとメールして、そのあと直接会って、本橋さんの話し方とか、まとってる空気も含めて、なんか一緒に仕事ができそうだと思いました。ちょうど本橋さんも脚本集を作りたいと思っていたようで、その実作が最初の協働ですね。

 

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ウンゲツィーファ「青年童話脚本集」


一野:そのあと関西にも来てもらって、もし関西で公演をするならここが良いかもって場所をまわったりご飯を食べたりしながら時間を過ごして、脚本集を含め、何が一緒にできそうかイメージを共有していきました。

 

本橋:一野さんが好きなスペースなどを紹介してもらって一緒に場所を巡りながら色々話ができました。

 

一野:大阪では友人の集まるパーティーウクレレ弾いてもらって好評でした(笑)。

脚本集に関していうと、普通は頭からお尻までひとつながりの流れがあると思うんですけど、本橋さんはシーンごとにバラバラにしてもいいし、なんなら一冊の本じゃなくてもいい、と。本橋さんにとって大切なのは全体を貫く物語や筋の展開よりも、ひとつひとつのシーンであることが徐々に分かってきました。手製本だからできたのですが、この脚本集では、選ぶ本によって写真が挿入されているページや順番が異なります。そのため、シーンと写真は必ずしもリンクしていないですし、個体ごとに印象が変わるつくりになっています。中綴じ製本で、背からノドまで紙製のタグが貫通した作りになっていて、造本的にも面白いことができました。

 

本橋:1ページごとに紙の質感が違っていたり、ホチキスではない止め方なのですぐバラバラにできる感じがフィジカルでも面白いな、と。この脚本集を作る過程でも元々は電話やメールのやりとりだったんですが、直接会って話したいと一野さんが提案してくれて。東京から関西へ足を運んで、日々の生活の体感を共有しているのは協働にじんわり影響している実感があります。2日間みっちり過ごした関西滞在のうち、しっかりミーティングとして脚本集の話をしたのは実質2時間くらいですが、直接会って話すことでお互いに関係性を築いたことがすごい大きなことでした。よく覚えているのは奈良駅で飲んで別れたときに一野さんが「なんか今俺生きててよかったなって思ってる」って言ってたんですよね。

 

山内:それか。

 

一野:『シティキラー』のセリフになってますよね。覚えてます。まあ酔っ払ってたけど(笑)。

 

本橋:その言葉とかあの時の空気とかはなんだかすごく得難いものだったなと個人的に思いましたし、思い出したりしました。

 

一野:そういった時間や、打ち合わせ以外の時間がこの脚本集にはたっぷり入ってる気がします。本橋さんがどういう人かとか、言葉にできない部分がめちゃくちゃ大事だった気がします。

 

本橋:例えば僕と一野さんだと脚本集とか、チラシとか、演劇とか、間に一個挟んでいることでコミュニケーションの形ってすごく変わりますよね。こういうものづくりが間に入った上でのコミュニケーションが僕は好きで、それが僕は一番まっすぐ話せる気がします。『シティキラー』のメンバーとも作品を介してはすごく色々話せるけど、作品なしになると受講生の人たちと全然話せないかも。

 

一野:わかる気がします。一番自分が饒舌になれる分野というのは仕事かもしれません。デザインを介しての方が僕も話せている気がします。面と向かったコミュニケーションだけだと難しいことは多いですよね。ちなみに脚本集『自ら慰めて』には、制作時に考えたことや本の構造についての記録が付録として付いています。

 

山内:面白いですね。ウクレレデリバリーや関西に打ち合わせに行くフットワークも含めて、本橋さんの人との協働の仕方はやっぱり面白いなー。

 

本橋:僕は演劇をやる上で、3人で作るなら3倍にならないといけないという気持ちがあります。10人でやるなら10倍。ただどうしてもそうならないことはすごく多いので、ちゃんとその人数分の倍増ができるようにとはいつも心がけてます。

 

一野:他者と協働することで自分の思い描いてたものからは結構離れて行くことがあると思うんですけど、本橋さんはそういうものに対して許容できる状態で最初から真ん中に自分が座ってるように見えます。自分の思惑から超えたものにするためにゆるくしてる感じはあるんでしょうか?

 

本橋:そうですね。いつも思うのは、自分が創造/想像できるものは自分以下のものしかない。自分含むそれぞれが個人的に創造/想像するものではなく、もっと偶然起きたものや、わかんないけどいいというものを大切にしていきたいと常々思ってます。『シティキラー』は特にそうなった感触がすごくありました。

 

一野:僕もゲネプロを見て、過去の作品以上にそういう感じがしました。出演者の多さもあると思うし、全体として言葉で説明するのが難しい作品だなと。こんなにいろいろなことが起こっているんだとドラマ版の映像(『シティキラーの環』)を見ていて思いました。

 

本橋:自分がこれまで撮影に関わった作品で『シティキラー』が一番好きなんですけど、今までで一番出演者に対して演出的に言葉が少なかったですね、好きにやってくださいとしか言ってないと思います(笑)。

 

一野:逆になかなかできないことって気がしますけどね。

 

  • 『シティキラー』を間において

 

山内:今年も2月と3月に再演しましたが、青年団で26年にわたって上演されている『東京ノート』という作品に僕はずっと出演しています。この作品はフラグメント=断片を再構成していくような作りですが、初演時には「物語がない」と言われていました。演劇史的にいうと『東京ノート』はそれ以前の、物語の筋立てがはっきりあったオールドスクールな作りへの異議申し立てではあった。ヨーロッパでも同じ動きはあり、いまだにこの20~30年くらいこの方法が席巻しています。2019年に堀夏子さんが春風舎で演出した『東京ノート』の別の公演も、つなぎ方としてはカットアップ的な手法ですが、ある意味すごくメインストリームな感じが僕はしています。『シティキラー』の現場も似た感触を覚えました。ただ圧倒的だったのは、イメージ・直感・メタファーで連鎖していく、脳直でつなげていく感じですごく気持ちよかったです。オールドスクールの価値観では繋がっていないように感じても、ものすごく論理的に感じます。これの後は確かにこうだよね、と。脚本集にもついている「青年童話集」という言い方は合っていますよね。いわゆる神話や童話というタームを使っても説明できるかもしれないけど、本橋さんはそんなにそこは考えてないですよね。

 

本橋:考えてないですね(笑)。

 

山内:その潔さもすごく気持ちいいです。

 

本橋:演劇のコミュニケーションの取り方は現代のコミュニケーションの取り方が強く反映されていると感じます。主にチェルフィッチュ以降、モノローグを多く取り入れた手法やディスコミュニケーションな状況を色濃く反映した作劇が増えていて、その次がそろそろあると感じています。個人的にはそれは「雑談」だろうと思ってます。僕自身の日常でもありますが、一対一で真面目に応答し合ったり聞き合ったりするコミュニケーションというより、聞いているけどあんまり聞いていないような体感。それでも感情の変化や様々な機微のコミュニケーションは楽しんでいる。これはひろく現代、僕に近い世代のコミュニケーションの取り方だなと感じます。

 

一野:ある種の散漫な感じかもしれませんね。本橋さんの作り方は空間が多層的に作られているのがいつもすごく面白いなと感じます。『シティキラー』でも主な舞台となっているヤマミ荘、夢、雪山…いろいろなレイヤーが連続して現れて、見ていて頭の中が忙しくも面白かった。それによって立ち上がる感情が確かにあるという感じがします。ノイズをノイズのまま残しておく。いつもここでありながら、ここじゃないものがちゃんと存在しているということを思い起こさせてくれる演劇というか。それこそが「シティキラー」ということだと思うんですけど、見えないけど通過してるものを描くのは想像力だと思います。日常生活ではかなり意識しないとそういう感覚になりづらいと思うんですけど、それが多層的な演劇の構造によってすごく表現されている感じがしました。

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「シティキラー」場面写真


山内:例えば劇中で銀色の保温シートで雪山にみせたり、「ここは雪山だ」と宣言したりして観客が雪山だと思う。それは歌舞伎も含め演劇特有の嘘、「見立て」ですよね。でも今作にあるのはそうじゃないなという印象を僕も受けてます。それはさっき一野さんがおっしゃった、「ここじゃない場所が確実に存在している」ことへの意識というか。ここが雪山に見えることが大事なんじゃなくて、雪山というここではない世界が隣に確実にあるということが見える世界というのが、この作品の気持ち良さと説得力なんじゃないかな。だから本橋さんがアピチャッポンが好きというのはすごくわかります。

 

本橋:現時点で全作品を網羅しているわけではないんですけれど、『ブンミおじさんの森』と『フィーバー・ルーム』はめちゃくちゃ衝撃を受けた作品です。僕は新しいことをしようとかアートへの意識はほぼないんです。でも、ゼロ地点から、演劇、エンターテインメントをつくりたいという気持ちはすごくあります。アピチャッポンの作品を見ると、作家が素材を渡して受け取る人との間で完成される印象を受けますが、僕自身の創作でもそう思っています。人々の間に作品をおいて、完成させるのはそれぞれ。僕は僕、俳優は俳優、見た人は見た人で完成させる、というような作り方を考えます。その割には僕の作品では物語を用意してもいますね。素材だけをパッと渡すよりガイドや取扱説明書は置いておきたいという感じもあって。

 

一野:あくまで見る人を前のめりにさせるために物語はある、ということですね。本橋さんの作品は物語を話すだけでは作品を伝えることにはならないという感じがすごくします。その場にいないとわかんないという感じ。

前田司郎さんが今の新型コロナウィルスによる状況をふまえてこんな風にツイートされていて面白いなと思いました。「演劇の無観客上演ていうのは、無対戦相手試合、無読者読書みたいなもんで、そういう意味で、もうそれは演劇じゃないと思うのです。ただ演劇は自由で、演劇じゃない演劇も演劇なので、考え続けます。」これって、一般的に考えればプロレスには対戦相手と観客は別にいる。読書に関しても、読書している時点で読者がいるわけだから、言葉自体が矛盾になっていますよね。誰を観客に設定するかで作品への向き合い方は変わるんでしょうか。無観客で行う演劇上演は、演劇なんでしょうか? 大阪でも山本精一さんが無観客でコロナ撲滅のための絶叫ライブをされてましたが、ほとんどシャーマンというか、神様と自分だけの関係で成立しているようにも思えます。それは果たして「表現」なのかを今あらためて考えるのは面白いかもしれません。

 

本橋SNS で「無観客でやるのは演劇ではない」という発信はよく目にしますね。でも僕は意外と演劇には無観客に強度があると思います。というのは、演劇の稽古は無観客でありつつ観客がいると想定して稽古を行なっているので慣れているんですよね。例えばバンドやスピーチなどは、聞いている人がいる想定で実際のボリュームでの練習はあまりされてないんじゃないかな。『シティキラー』も関係者に向けたゲネ公開のみになりましたが、不思議な感覚はありつつも実は違和感はないかもなと思いました。

 

一野:ただその稽古はいずれお客さんが入る想定で行いますよね。いざ実際に入らないことになると、想定していたものが実施されないことってやっぱり大きいもののようにも思えます。

 

本橋:確かにそれは大きいんですよね。逆にいうと実はそもそも稽古に違和感は感じてます。なんなんだろこれ、て(笑)。

 

一野:稽古しない演劇ってあるんですか?

 

  • 「演技」を間において

 

山内:ありますよ、一回しかやらないものも。前田さんが言ってる演劇の自由というのはよくわかります。今でも神様に向けてやる演出、奉納というものもあるしそれも演劇だと思う。無対戦相手試合も演劇だよねと思ったりしますね。だから稽古場でお客さんがいないことについては、今日最初に話した演劇ってこういうものでしょというシアターという制度、認知の枠組みの問題という気がするかな。観客が入る前提での通常の稽古を経ていざ実際に入らない事が起きると俳優の体はノッキングを起こします。

でも今回に関しては、わずか七ヶ月間のコースではあるけど、俳優たちは観客との間に、劇場を間に挟むシアターの体と、カメラを間に挟む映画の体とを両方経験してきている。舞台『シティキラー』の映像記録はシアターの体で、『シティキラーの環』は映画の体で演じているように僕は見てました。ここを集団丸ごとでシームレスに移動できてしまうハイブリッドな集団て、日本ではそうないんじゃないかと感動していました。カメラを置いた演技というのは、僕も最初はどうやればいいかわからなかったです。カメラの向こうにいるカメラマンに向かってやればいいのか? とか色々考えてて。今もよくわかんないですが、中間報告としては「ここでちゃんとやるから」ということ。シアターではなく、とにかく、ここでちゃんとやる。そういう風にしか言いようがないんだけど、頼むからそれを撮っててという感じ。ちゃんとできたときは「今の撮っててくれたかな?」って思う。そういうつもりで、僕は今カメラと向き合ってます。

 

本橋:どういうことですか?

 

中川:山内さんのおっしゃるカメラ前での「ここでちゃんとやるから見てて」という感覚は私もすごくもってます。例えばインディペンデント映画の作り方でよくありますが、キャストもスタッフもお互いに交代しながらやっていると、割と自然に、そこにいる人・もの・場所もふくむ全員と一緒にここでやる、という感覚をもちやすいです。共演者とだけという感覚ではなくて、カメラも、カメラの向こうで撮影している人も、場所も、全部込みでここでちゃんとやる感覚。プラス、あくまでも理想としてですが、今は存在しないけど今後その映像をいつか見るであろう人の「いま」も込みで、ちゃんとやるから、って思います。全部がフラットといえばフラットだし、一つ一つ、一人一人の超いろんなレイヤーの時間をひとつのいま、ここにしたい、というか。とにかく今ここにいるんだっていう。理想的だし抽象的な言い方で説明になってないかもですが(笑)とにかくそういう風に映画の演技をつくりたい、やりたいと思います。

 

山内:うん。ただ演劇でも、その場にいる体が「現実とフィクションのあわい」という感じになるとすごいつまんなくなっちゃうよね。僕の感覚だけど、実際舞台に立っているときは、実際に立つ前に今からやる世界についてものすごいイメトレします。すーごいイメージしといて、そのことに自分で盛り上がっておいてからその盛り上がりを全部忘れる。消去する。そういうややこしいプロセスが一つ必要な気が僕はしています。演劇でいまこの体だけで、となると、どうしてもフィクションに飛べないんです。ぬるいお芝居になることが多いですよね。

 

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「シティキラー」場面写真

一野:役者さんて、例えば『シティキラー』なら、今演じてるのがアトリエ春風舎であるっていう現実の空間は意識してるんですか? 役の中の空間にいることを100%の状態にするのが理想なんですか?

 

山内:そのときはやっぱり完全にアトリエ春風舎にいるしかない。実際にいる場所やいる瞬間以外のことを考えちゃうと、それ以外のことを考えている人がそこにいることになってしまう。説明するとややこしいので繰り返しますが、あそこが(劇中の主な舞台となった)ヤマミ荘と考えちゃうと、「ヤマミ荘ということを演じようとしている人」になっちゃうんですよね、どうしてもね。劇場にいるときは劇場の中に直接いないと、面白く無くなっちゃうような気が僕はしています。なので僕はやはり準備が必要だと思います。その前の段階でヤマミ荘って何って考えたりとか盛り上がったりとか。その辺は人によって違いますが、一回そこをくぐっておかないとお芝居にならないような気がします。

 

一野:「ここじゃない架空のヤマミ荘に自分がいる」だとダメだけど、「今この場がヤマミ荘である」はいいんですか? 

 

山内:いや、「今この場はこの場である」くらいがいいんじゃないでしょうか。ヤマミ荘というワードは消えるような気がします。

 

本橋:人それぞれ、俳優それぞれによって考え方が違うものですよね。僕も複数回の俳優経験があり、三つの自分があると考えています。もとは役の自分と現実の自分の二つだと思っていましたが、いざやってみると三つあると。役の自分、現実の自分、もう一つその中間の「演技をしている自分」です。とある作品で、「お盆に乗ってるコーヒーをテーブルの上に置く」という演技をするんだけど、現実にはテーブルがなくて、代わりに床にコーヒーを置くっていうシーンがあって。この時の自分は役の自分か現実の自分かどっちだ? という葛藤があって。これが役と現実の間にいる自分、という感じです。

 

山内:例えば演出家に「そこセリフの前の間(ま)を詰めて」と言われたら間を詰めようとする自分、ですね。

 

本橋:そうです。そういう、演劇という外枠のレイヤーを自覚している自分も必要だなと。役の自分にも現実の自分にもそれぞれに近いけど、どっちともちょっと違う。これはあくまでも僕個人の感覚かもしれません。

 

山内:あると思います。

 

一野:なるほど、現実と演技の関係って面白いですね。

 

【2回目を終えて】

Zoom を介した会話に慣れてきた。この日は途中から受講生2名が聴講、途中で一人の口笛が聞こえてくる。「置きチラシ」ログの話にはまだ入っていない。でも、意識的にも無意識のうちにも、人と人の間に何かを置くことで起きる何かについて話し続けている。(編集:中川ゆかり)

 

(舞台写真撮影:かまたきえ)

『シティキラー』を見た:高橋洋(脚本家・映画監督)

先日行われた上演記録撮影時にご覧頂きました、映画美学校講師の高橋洋さん(脚本家・映画監督)から演劇版『シティキラー』の感想を頂きました。
是非ご覧ください!

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『シティキラー』を見た

ウィルス騒動のせいで中止になってしまったアクターズ・コース2019年度修了公演の舞台を、記録として撮影するというから見に行って来た。
いつもの通り、チラシも見ず、予備知識はほとんど入れずに行った。
唯一聞いていたのは、今年は14人の受講生のためにわざわざ当て書きのオリジナル台本を演出家が書き下ろしたということだった。それで中止とはメンバーの無念さは察するに余りある。

アトリエ春風舎に入るなり、さっきまで稽古をしていたのだろうか、舞台と楽屋の間を忙しげに動き回る受講生たちの喧騒に私は包まれた。チャンとアルコール消毒してから腹ごしらえの握り飯を食べていると、どうもさっきからパジャマ姿の女子が行ったり来たりしている。衣装だということはおおよそ察しがつくが、でも稽古から? 何か途方もない間違いに誰も気づいていないんじゃないかという気もしてきて、子供の頃によく見た悪夢のパターンでなぜかパジャマ姿のまま学校に来てしまって進退窮まるというのがあるんだが、それを思い出して心落ち着かず、ザワザワし始めた。思うにこの辺から私の中の現実と虚構の境界は怪しくなって来たのかもしれない。この女子は結局、芝居の最後までずっとパジャマだった。

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「そんじゃあ、そろそろ始めましょうか?」みたいなゆるーい感じで、何となく芝居が始まったらしく、人々は無言のまま思い思いに歩き回ったり、グルグル旋回したりする情景になった。4台置かれたキャメラも回り始めたように思う。こういう始まり方は近年多いので判ってるつもりなんだが、桟敷席に座っていた講師の近藤強さんが手すりにもたれながら「はい、3人ぐらいで集まって」とか「回転も取り入れてみよう」(適当な記憶)とか指示を出して来たので驚いた。舞台って一度始まってしまったら俳優お任せの世界で、演出家はやることがないとよく聞くが、これって見物の前で公然と介入するの? いや、よく考えたら、近藤さんは演出家ではなく、今回の公演は本橋さんという人だから(きっと、出入り口のあたりにさっきからずっと立って舞台を見渡している人がそうだ)、そうか、近藤さんは演出家の役ということなのか。にしても、劇中に演出家役が登場する芝居ならこれまでもあるけど、近藤さんの佇まいはあまりにリアルというかモロに裏方ではないか? そういう趣向? ひょっとしてもの凄く斬新なことに自分は立ち会っている? この調子でさっきから戸口に立っている本物の演出家もリアルに介入して、芝居にダメ出ししたりするんだろうか?

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そんなことを思ってるうちに、背の高い女子(後に主役のバックパッカーと判る)が木の根につまずき、リアルに転んだ。その人はいささか動揺したようにそのまま小走りに出入り口に向かい、外に出て行ってしまった。
本当に芝居は始まっているのか、不安になってきた。
でも、さっきから水滴の効果音がずっと流れている。そこに何か作り手の確信のようなものが感じられる。それに、転んだ彼女が、私が入ってきたのとまったく同じ出入り口から地続きの現実に消えていく姿を見送れたのはなかなか思いがけない体験で、私は自分の席がベスト・ポジションだと感じていた。今回の公演は、いつもとは違って、舞台の側面に2列ほどのわずかな席が設けられていて、私はその一隅に深田晃司監督たち数人と座っていたから、出入り口まで見通せたのだ。こんなわずかな席の数で本公演の時はどうするつもりだったのか心配になった。

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近藤さんの指示で無言の運動は終わり、そしたら僕のいた席の列から、さっきまで時おり舞台に降りてきては楽器を爪弾いたりしていた人が現れて、開演の挨拶を始めた。
え、この人が演出家の本橋さん?
じゃあ、出入り口にずっと立っている人は?
もはや、何も信じられない。この人が語った、どうやら発想のモティーフになったらしい昨年、7月ぐらいに隕石が地球とニアミスしたという話も、初耳でかなり驚いたが、本当かどうか判らないと思った。
どうやらさっきまでの無言の運動は、近藤さんが授業でやってる「ビュー・ポイント」というものだと説明もされたが、それだって怪しく聞こえる。
しかも、挨拶が終わって、今度こそ開演かと思ったら、舞台装置の裏手から「電球が切れたましたー」みたいな声が上がった。すると出入り口に立っていた人が、映画の現場で言えば美術さんみたいなリアルな身のこなしで舞台をまたぎ、問題解決に向かったのだった。そのためだけにあの人がずっと出入り口に配置されていたのだとしたら、この手の込み方はほとんど天才的な演出なんじゃないだろうか? 私はそんな気すらして来たのだった。

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かくして、パックパックを背負った長身の子が出入り口に現れると、もはやどう形容していいか判らないが「通常の芝居モード」みたいな気配が立ち込めて、私の心のざわつきは次第に収まり、さっきまでの喧騒の空気はいつの間にか嘘のように清浄そのものになっていた。
このバックパッカーが舞台にポッカリ空いた穴に向かって、「(自分探しかなにかで?)旅に出たのだー!」と自らに与えられた設定をいきなり叫ぶのは、昔、平田オリザさんの『演劇入門』で読んだ、高校演劇にありがちなやってはいけない説明台詞「美術館っていいなあ!」へのひねりの効いた返答に思えて面白かった。多くの映画はこういうことをさり気なくやろうとして、かえって不自然になり尺を使い過ぎている。
バックパッカーが最初に出会う幽霊?のごとき女の陰鬱な声のトーンは、この舞台のベースを作り出すものでよかった。後にゲストハウスの住人に尋ねても、誰もそんな人を知らないのはゴーストストーリーの王道の在り方である。
にしてもこの陰鬱な声の女とさっきウロウロしていたパジャマ姿の女子が二人組なのは、何となく判るのだが、夢精してしまった男が語る夢の話に思い切り食いつくぶっちゃけな感じの女がこの二人組の世界と現在とを自在に往還するのは何でなんだろうとずっと気になった。

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芝居のテイストはきわめてナチュラルなものだった。
パックパッカーと入れ替わりにゲストハウスを立ち去る常連客を女子二人が見送る場面は、そこに込められた情感と共に、女子ってこういう時めんどくさいんだよなーと普段思ったりするどうでもいい感慨すら立ち上がってくるものだった。これは先ほどまでの、近藤さんが桟敷から指示を出していたり、転んだ女子が外に出て行くリアルとは違う。むしろ、そうしたリアルによって立ち上がったフィクションと現実の境界の曖昧さの中で演じられるナチュラルという感触がした。ただナチュラルのものを見ても、自分はさほど感心はしないだろう。だが、たとえば『ローマの休日』で描かれるのはローマを訪れた人なら誰でもするような観光スポット巡りに過ぎないのだが、アン王女がすることですべてが変わるように、そこに眼に見えないもう一つの層という異物を通すことによって、ナチュラルな芝居自体が別のアプローチに見えるということかも知れない。それ故に自分は、マジシャンの男がOLの常連客にコクる場面の成り行きを引き込まれるように見たのだろうか。もっとも絶対「無理です」と言われると思ったのだが(それくらい大人な女の感じがしたということです)。この告白の場面でも使われていた多層世界の表現(屋外での二人の芝居と室内の客たちのダベリが同一空間で同時に進行する)は、映画でも同じ動きを作り出すことは出来るだろうが、そこに「層」があると感じさせることは出来るだろうかと考えさせられた。

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隣家のおばさんの息子が突如歌い出す場面や、ウズベキスタンから来たオーナーの友人がロシア語?を喋る場面はやはり端的に印象深い(ロシア語?を聞いたぶっちゃけ女が「やっぱ“鳥語”は判らねえ」とボヤく連続ギャグも秀逸)。それは一人一人に見せ場が作られた台本であるからこそ余計に、その人物の振り幅が見たい欲望に駆られるからだろう。なかなか欲張った願望ではあるが…。
そういえば、タイトルの『シティキラー』って何なのかは判らなかった。タイトルがテレビ画面に現れるのはカッコよかったんだが。もっともこれは演劇ではよくあることで、別にそこに不満があるわけではない。むしろ帰り道に考えたのは、映画のタイトルの扱い方との違いの不思議さであった。

ところで…冒頭に14人の受講生と書いたが、この感想で触れた登場人物をオーナーを演じた近藤さんを除いて数えると13人である。私は困惑した。後で聞いたら、どうしてもスケジュールが合わず参加できなかった人が一人いたんだそうだ。しかし…ゲストハウスを立ち去るバックパッカーをみんなで見送るラスト・シーン、私は人力スローモーションで手を振る人々を、最近の舞台って映画みたいなシーンを作るなあと思いながら人数を数えていたのだ。近藤さん以外に14人いた。このシーンは撮影の都合でもう一度繰り返されたんで、私はその時も数えた。14人、間違いない。映像がアップされたらぜひチェックしてみて欲しい。この手のものの常として14人目は写っていないだろうが…にしても、不思議なのは、何で私はわざわざ数えたのだろう?

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高橋洋(脚本家・映画監督)
1959年生まれ。学生時代は早大シネマ研究会に所属、『夜は千の眼を持つ』など8ミリ作品を発表。映画同人誌「映画王」の編集にたずさわる。90年に森崎東監督のテレビ作品『離婚・恐婚・連婚』で脚本家デビュー。主な脚本作品に、中田秀夫監督『女優霊』(95)『リング』(98)『リング2』(99)、北川篤也監督『インフェルノ蹂躙』(97)、黒沢清監督『復讐 運命の訪問者』(96)『蛇の道』(98)『予兆 侵略する散歩者』(17)、佐々木浩久監督『発狂する唇』(99)『血を吸う宇宙』(01)、鶴田法男監督『リング0バースデイ』(00)『おろち』(08)がある。なかでも『リング』シリーズは大ヒットを記録、世界にJホラーブームを巻き起こした。04年『ソドムの市』で長編を初めて監督。他の監督作に『狂気の海』(07/映画美学校フィクション・コース第9期高等科生とのコラボレーション作品)、『恐怖』(10)、『旧支配者のキャロル』(11/フィクション・コース第13期高等科生とのコラボレーション作品、映画芸術2012年ベスト4)。 編著書に「大和屋竺ダイナマイト傑作選 荒野のダッチワイフ」(フィルムアート社)「映画の授業」「映画の魔」(青土社稲生平太郎との共著「映画の生体解剖」(洋泉社)シナリオ集「地獄は実在する」(幻戯書房)がある。脚本最新作は三宅唱監督『Netflixオリジナルシリーズ 呪怨』、監督最新作は『霊的ボリシェヴィキ』(17/フィクション・コース第19期高等科生とのコラボレーション作品)。

演劇版『シティキラー』評:佐々木敦

 シティキラーとは、殺人鬼のことではなくて、もしも地球に衝突したら一個の街を丸ごと破壊してしまいかねないほどの大きさを持った小惑星のことである。

 である、と書いたが、わたしもつい最近知ったのだ。知ったときにすぐに思い浮かべたのは、ラース・フォン・トリアー監督の『メランコリア』だった。あの映画ではメランコリアという小惑星が地球にぶつかって人類は滅亡する。街どころではない。わたしはトリアーの作品を好きではないが、あの映画は偏愛している。キルスティン・ダンスト演じるヒロインは、強度の鬱によって周囲も自分自身も破滅の寸前まで行っていたのに、メランコリアの接近を知るやいなや、誰よりもしっかりした人間になる。そういうことは、東日本大震災の後にもあったらしい。あったらしい、というか、わたしの鬱の知人も、あのあと元気になった。わたしはそういうことを昔、本に書いたことがある。

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 『シティキラー』は、映画美学校アクターズ・コース2019年度修了公演として、講師を務めたウンゲツィーファ主宰の演劇作家、本橋龍の作演出によって2020年3月にアトリエ春風舎で上演されるはずだった。初日二日前、公演の中止が発表された。「主催である文化庁より、新型コロナウイルス感染症の拡大防止に係る要請を受けて」とのことだった。公演チケットの予約状況は上々で、追加公演も決まっている状況でのストップだった。結果として直前のキャンセルになってしまったが、そのこと自体が、関係者がギリギリまで上演の実現のために尽力していたことを推察させた。無念だろうと思った。同様のことは他にいくつも起きており、それぞれにさまざまな事情があるのだろうが、わたしにとって『シティキラー』の中止は、ことさらに残念な出来事だった。すごく期待していたからだ。現在もっとも注目と信頼に値する劇作家、演出家のひとりである本橋龍が、アクターズ・コースの俳優たちとともに、どんな芝居を創り上げてみせるのか、わたしはワクワクしていたのだ。

 公演は中止になってしまったが、本番と同じかたちでゲネプロは行われることになり、わたしは映画美学校の関係者として、その場に立ち会うことが出来た。わたしはアクターズ・コースの立ち上げの際、演劇関係の講師の選定にアドバイザーとしてかかわっており、それとはまた別に、批評の講座である「批評家養成ギブス」を映画美学校でやらせていただいていたことがある。そんなわけで、事務局の四方智子さんにお声がけいただいたのだった。

 前置きが長くなってしまったが、わたしは『シティキラー』のゲネを観ることが出来た。それはとても本橋龍らしい作品であり、そしてまたとても映画美学校アクターズ・コースらしい作品でもあった。それに敢えて言うならば、とても「今」らしい作品でもあったと思う。今こそ観られるべき演劇だった。今、観たかった演劇だった。

 映画美学校アクターズ・コースに限らないが、こういった俳優養成のスクールの公演には、常に或るひとつの前提というか条件がある。それはもちろん、受講生の数や顔ぶれによって座組みがある程度決まってしまうということだ。アクターズ・コースは毎期修了公演を行っているが、既存の戯曲をやる場合は、キャストの方で調整せざるを得ない。だがオリジナルであれば、当て書きかどうかまではともかく、最初から出演する者たちがわかっている状態で作劇をすることが出来る。『シティキラー』がそうであったのかどうかをわたしは知らないが、間違いなく言えることは、これが群像劇/集団劇であるということだ。出演者は全部で十四名、うちひとりアクターズ・コース講師の近藤強である。他の十三人が修了生だ。そのなかにはすでに劇団に所属しているひとや、舞台で何度も観たことがあるひともいた。だが全員が綺麗にフラットだった。それは誰かの物語ではなく、彼女ら彼らの物語だった。これは重要なことだと思う。『シティキラー』には「主役」がいなかった。というか全員が主役だった。

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 とはいえ当然、劇の始まりを告げる役割の者はいて、コイシという女性がゲストハウスを訪ねてくるところから物語は幕を開ける。そこはどことは名指されていないが、日本のどこか地方の山のほう、でも人里離れた場所というわけではない。コイシは今日からしばらくここに住む、ためにやってきたのだ。そこはヤマミ荘という名前で、なぜならヤマミという男がオーナーであるからだ。ちょうどコイシと入れ替わりにヤマミ荘を出ていくネムリの送別会が行われていたところで、コイシの前に次々と住人たちや近隣の人などが顔を見せる。あっという間にコイシは狂言回しから解放されて、皆が皆、互いにさまざまなことを好き好きに喋り、話し、語る。

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 『シティキラー』には、いわゆる「メイン・ストーリー」は存在しない。だが見方を変えれば、そこには無数の「サブ・ストーリー」がある。物語が溢れかえっていると言ってもいい。登場人物の数と、その組み合わせ/掛け合わせの数だけ、ストーリーがある。これは筋を追う演劇ではなく、語られる/話されるたくさんの気持ちや考え、想いを聞く演劇だ。そんな中から、やがて彼女ら彼らの見えざる関係性や、そこで新たに生まれる関係性がほの見えてくる。彼女ら彼らの来歴や、どんな人間なのか、どんなことを考えているのか、どんなことに心動かされたりされなかったりするのか、などなどが浮かび上がってくる。だがそれらは完全にわかることはない。観客に知れるのはほんのわずかなことでしかない。しかし確かに伝わってくるのは、彼女ら彼らが、そこに、ここにいた、ということ、彼女ら彼らが、ここに、そこにいる、ということである。演劇というものは常にそうだ。そこにいるひとたちがそこにいないひとたちをいることにする。俳優と呼ばれるひとたちがそこにいて、彼女ら彼らは俳優である以前にひとりひとりの人間であり、しかし同時に彼女ら彼らはそこにはおらず、どこにもいない想像上の人物たち、でもある。友愛のようなものが、恋愛のようなものが、共感のようなものが、違和のようなものが、その他さまざまな感情の函数が、現れては消えてゆく。ヤマミ荘という架空の空間に集ったひとたちの、ちいさな物語が重なり合う。

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 シティキラーはどうなったのか? コイシは時々、まるで小説の語り手か何かのようにモノローグするのだが、彼女は何度か、ひとつの街を滅ぼすほどの大きさの隕石が地球にぶつかる寸前ですれ違ったらしい、と言う。けれども、私たちは、彼らは、そのことを知らなかった、と。ヤマミ荘の近くには隕石が落ちた跡がある。廃墟もあるらしい。『メランコリア』とは違って、これはシティキラーが、アースキラーが衝突しない話だ。それどころか、そのことに気づいてさえいないままで終わる話。世界の終わりにぎりぎりまで近づいたことを知らずに終わる話。だからこれは一種のユートピアの物語だと言っていいのだろう。ユートピアとは「どこにもない場所」という意味である。これは「場所」の物語だ。ヤマミがヤマミ荘を開いたのは、2012年。東日本大震災がきっかけだった。コイシの後にヤマミ荘にやってくるウズベキスタン人のシトラは、こんなことを言う。「ここは雪原だったり部屋の中だったり山の上だったり森の中だったり海だったり夢の中だったり劇場だったり住宅街だったり廃墟だったりします」。シトラはこの台詞を、最初はロシア語で、二度目はウズベク語で言う。もちろん正解は「劇場」だ。アトリエ春風舎というのがその劇場の名前だ。しかしそこは雪原だったり部屋の中だったり山の上だったり森の中だったり海だったり夢の中だったり住宅街だったり廃墟だったりもするし、何よりもヤマミ荘であり、ヤマミ荘の一階と二階と三階のどこでもあり、でもほんとうは地下一階なのだった。どこでもあり得るがゆえにどこでもない、どこにもないのだが、そこに、ここに、疑いなくある場所、ユートピア

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 『シティキラー』は、ひとつの場所に、あるとき集まったひとたちの物語だった。そのひとたちは、幾つかの偶然、でも部分的には必然にとてもよく似ている幾つもの偶然の導きによって、そこにあるとき一緒にいたりいなかったりした。そのことを『シティキラー』は物語る。出来るだけ丁寧に、だが隙間だらけであることは十分に承知で。自分と入れ替わりでヤマミ荘に寄宿するコイシのことを、ネムリは「私の転生先」と言う。ヤマミ荘を去ることは死ぬことに等しい。だがそこには悲壮感はない。なぜならその気になればいつだって戻ってこられるからだ。たとえそれきり二度と戻らなかったとしても、それはそうなのだ。実際、ネムリから届いた手紙を皆が読んでいると、彼女はあっさりと現れる。みんなネムリがそこにはいないことを承知しているが、それでも彼女が今、ここにいることをわかっている。

 実は劇の最初にコイシが出会うのは「誰か」と呼ばれる誰かだ。コイシが「誰かいますかー」と無人の空間に声を投げかけると、誰かが「誰もいません」と答える。だからその人物、いや、その存在は「誰か」と呼ばれる。その誰かは劇の最後にも登場して、始まりと同じことを言うだろう。だから結局、誰もいなかったのだ、という見立てはたぶん正しいが、だがそれと同時に、誰かも含めて、そこには十四人のひとたちが確かにいたのだった。この目で見たのだから間違いない。シティキラーは街を滅ぼさなかった。その寸前までは近づいたが、それは彼女ら彼らの居場所を崩壊させることはなく、あっさりと宇宙の果てに去っていったのだ。彼女ら彼らは、実のところは誰もいなかったのだが、そこにいた。全員が、間違いなく、そこに。

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 ヤマミ荘には別名が二つある。アトリエ春風舎、そして映画美学校アクターズ・コースである。

 

佐々木敦
HEADZ主宰。ことばと(書肆侃侃房)編集長。芸術文化の複数の領域で活動する。著書多数。近著として『私は小説である』『この映画を視ているのは誰か?』『アートートロジー』。初めての小説「半睡」が新潮2020年4月号に掲載。

[特別企画]本橋龍さん×生西康典さん対談【後編】

2月21日(金)、演出の本橋龍さんと、美学校講師である生西康典さんとの対談が行われました。今回は対談の後編です!

 

 [プロフィール]

生西康典 
1968年生まれ。舞台やインスタレーション、映像作品の演出など。
作品がどのようなカタチのものであっても基本にあるのは人とどのように恊働していくか。
美学校 実作講座「演劇 似て非なるもの」講師。
https://bigakko.jp/course_guide/mediaB/engeki/info

インスタレーション作品:『風には過去も未来もない』『夢よりも少し長い夢』(2015、東京都現代美術館山口小夜子 未来を着る人』展)、『おかえりなさい、うた Dusty Voices , Sound of Stars』(2010、東京都写真美術館『第2回恵比寿映像祭 歌をさがして』)など。空間演出:佐藤直樹個展『秘境の東京、そこで生えている』(2017、アーツ千代田3331メインギャラリー)。書籍:『芸術の授業 BEHIND CREATIVITY』(中村寛編、共著、弘文堂)。

 

[対談参加者]
橋龍、生西康典 、瀧澤綾音

秋村和希、星美里、百瀬葉、山田薫
小駒豪(『シティキラー』美術・照明)浅田麻衣(『シティキラー』制作)

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生西 ご自分で集められたんじゃない役者さんというか、今回って映画美学校の生徒さんですよね。

本橋 そうですね。

生西 そういうのって初めてですか?

本橋 初めてですね。

生西 自分が選んだんじゃなくて、むしろその生徒さんたちが先にいて、そこに選ばれてつくられた、みたいな。

本橋 初めてです、かね。一応なんか、3日間ワークショップやって1日本番みたいな企画のものが一回あって。(※)それはあったんですけど、そのときはすごい短期間だったんで。こんな長期間こうやって関わるのは初めてですね。
※20190728 同時代劇作家ワークショップ・プログラムvol.2リーディング公演『ごめんなさいの森』

生西 やっぱ全然違いますか?

本橋 うん、全然違う・・かなあ。違うのかなあ。うん、違う気がしますねなんか。なんなんだろうなあ・・少なくとも僕は、関係性がフラットに感じれてるなあっていうふうには思っておりますね。

生西 そうかあ・・・・

本橋 うん・・・。どうなんだろう。えっフラットじゃないんでしょうかね、絶対ね。だって俺、ギャランティもら・・お金もらってやることになってるからなあ(笑)
うん・・なんか・・そうですね。個人的には心地よくものづくりというものをさせていただいてるって気がします。

生西 そこの違いってどういう感じなんですか?自分で出演者選ばれる場合って、自分が書かれた戯曲に対して、この役はこの人がベストっていうか、いいだろうと思って多分頼まれるんですよね、きっと。今回の場合って出演される方が決まってから戯曲を書かれたんですか?

本橋 一応入学試験みたいな、入学オーディションみたいなものがあって。その時点から参加させていただいて。その講師の人たちと、どの方に入学してもらって、みたいな会議をしたんですけど。
その時点からいて、意見も言わせていただいてるっていうのはあるんですけど。でも普段も、この役はこの人がぴったりだ、っていうよりはもうちょっと関係性というか、この人とだったらお互いノーストレスで作品つくりできるんじゃないかっていう人を選ばせていただいた上で、あとで作品のことを考えて、っていうことではあるんですけど。

生西 あ、そっちが先なんですね。

本橋 でもやっぱりそうですね。自分からお願いして出てもらうっていうことがあるから、どうしてもなんか・・・

生西 そうですよね。製作的なことも兼ねてってことですもんね。自分の。

本橋 あ、はい。ですね。今ここでやってることと状況は根本が違うような気がしますね。

 

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生西 当て書きみたいなことって今回ってされてるんですか?

本橋 当て書きっていうのかわかんないですけど、昔から書くときに出るっていう人を考えて、うん・・・その人がこういうことをしゃべったらいきいきするんじゃないかな、みたいなことを考えながら書いてるって感じではありますね。

生西 セリフ書かれてるときに、その人の声で再生されることってあります?

本橋 勝手にどんどん喋り出す、みたいなときはありますね。それで僕としてはこういった流れで考えてたのに、どんどん関係ないことを喋り出しちゃって、っていう。できるだけそれはそのままのっけて、っていう。
そういう時が書いてて楽しいなとは思いますね。どんどん邪魔されちゃう、っていう。で、そこにのっかっちゃって。そしたら自分の思ってた方と全然違う方にいっちゃって、っていう。

生西 登場人物が語り出すみたいな。

本橋 そうですね。今回の脚本もすごくそういうところがあって。当初なんとなくこういう話になるだろうって考えていたところから、書いてるうちに全然なんか・・自分のやってる感覚としては、できるだけどんどんなんか、自分がこういきたいなって思うところと違う危険地帯にどんどん進んでいくようにっていうようなことで書いてはいて。なので、全然思ってたものと違う感じにはなりましたね。

生西 作・演出をされてるじゃないですか。書かれてる段階で、登場人物が自分の思考からぐっと外れて語り出すみたいな、動き出すみたいなことがあって。なおかつそれが生身の役者さんでやるときって、そういう状況って起こるんですか?

本橋 あるんじゃないかな。あると思います。

生西 もしくは極端に言えば、自分のイメージ通りに動いてもらうみたいなことは、たぶん本橋さんにはないだろうなって気はするんですけど。

本橋 そうですね。それはそうだと思っています。といいつつ・・・脚本の所在みたいなことは、必要なのかみたいなことはその都度毎回考えて。これ、ないほうが・・

生西 脚本が、ですか?

本橋 はい。でもやっぱり、短い期間で演劇をできるだけシンプルな時間でつくるって考えると、脚本というものがあったほうが圧倒的に効率がよいなとは思ってるんですけど。

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生西 さっき稽古拝見してる時、結構セリフ直されるんだなと思って。

本橋 セリフを直す・・どういったこと・・

生西 そこ(のセリフ)はまたちょっと考えたいみたいなことを結構おっしゃってたんで。

本橋 はいはい、そうですね。

生西 やってみて、セリフをまた変えられたりって結構するのかなって思って。

本橋 特に作家の僕の意図が強く出てるところはどんどん削いでいきたいっていう思いがあって。というのはありますね。

生西 そこはやっぱり戦いなんですね。劇作家の本橋さんと、演出家の本橋さんっていう。

本橋 そうですね。回路は全然違うなって思います。演出をしながら、「なんでこれこんなこと書いたんだろう」みたいに思ったりしながら。生西さんって脚本みたいなものを書くことはあるんですか?

生西 稀。ほとんどないんですけど。

本橋 あ、あるはあるんですね。

生西 はい。セリフっていえるかわかんないですけど。

本橋 それは、文章みたいなものを書いて、

生西 それを言ってもらう。

本橋 脚本ってどうしても構造上、言葉が強くなっちゃうなって思って。脚本っていう形式を本当はもっと解体してやれたらいいんだろうなって思いつつ。ずっと現状、人の名前が書いてあって、セリフが書いてあってっていうことの連続を形式上やってるんですけど。もっと豊かな脚本のありかたってある気がするなって思ってたりするんですけど。なんか・・

生西 セリフってどう書くのか全然未だにわからなくて。喋り言葉ってどうやって書けば書けるのかって思いますけどね。

本橋 書けないっていうことですか?

生西 書けない、ですね。

本橋 へえ・・・逆にでも書けないってその感覚がちょっと・・

生西 そうですよね。

本橋 興味がありますね。自分のしゃべったようなことをたとえばこうやって書いてみたら、一応書けるじゃないですか。それはまた違う?

生西 あ、自分がモデルなんですか。そういう場合って。

本橋 僕はそうですね、喋る内容だとかは人のことで考えたりするけど、脚本でわりと細かく言いよどんだりとかっていうのもテキストで書いてあるんですけど。それは自分が喋ってる感覚で。まあ半々かなあ。自分とその人と半分。でも口元・・喋ってる感じは結構自分の口の感じで書いてますね。でそれで、それをやる人に言い方とかは全部言いやすいように変えちゃっていいんでっていう。

生西 あ、そうなんですね。

本橋 ただ、なんとなくその空気感を読み取っていただけると、みたいなことで。自分の喋り口調でテキストにしてるって感じですね。

生西 (瀧澤に)結構直したりするの?

瀧澤 私できるだけ本当は(正確に)読もうとしてて。「あっ」とかがすごくいっぱいあって、「あっ」「あっ」「あっ」とかがいっぱい書いてあって、とか「・・・」がめっちゃ多くて。「あっ」なんとか、「・・・」とか、点、句読点がすごく多い。
だからできるだけセリフに合わせて言おうとしてやってるけど多分違うこと結構言ってる。言いよどみ方は結構自分の言いよどみ方で結構言ってるかなって。

 

生西 言っていいのかわからないけど、瀧澤さん、今回の役が自分の持ってる自分のイメージからすごい真逆っていうか遠い?

瀧澤 自分の嫌な部分っていうか・・なんだろう、自分が自分の中で「こうある自分はあまり好きじゃない」ってところが、「あっ」ってところにいっぱい出てて。「これは、私は俯瞰するときなんだな」って思って。

生西 まだつくられてる途中だから、もしかしたら勘違いかもしれないけど。舞台上でしゃべってる瀧澤さんってのが、普段の瀧澤さんにすごい近いなって思って。

瀧澤 うふふ。

本橋 さっき生西さんがおっしゃったのは、瀧澤さんが思ってる瀧澤さんの・・・

生西 セルフイメージと。

本橋 ああ。

瀧澤 セルフイメージっていうか・・・

生西 ああ、違うんだ。

瀧澤 こういう部分もあるってのがすごいわかって。自分がありたくないなって部分がすごく前面に出てる(笑)

生西 そうなんだ、すごいな。本橋さんすごいですね。

本橋 えっ、そうなんですか?

生西 ばれてるんだ。

瀧澤 ばれてますね。

本橋 実際どうなんですか?脚本書いて、実際出演する人が「あ、私のこの部分をなんで知ってるんだ」みたいなことをおっしゃったりとか

生西 あ、あるんですね、やっぱり。

本橋 かなりあって。ただ僕、それは全部占いみたいなものだと思っていて。

生西 ああー。当てはまっちゃう。

本橋 そうそうそう。多分、ぼやかして書いてるから、なんとなく沿ったことで言ってて。だから自分でそう思ったりとか、人が「あ、これ本当あなたっぽいね」って思ったりするのかなあ、なんてことを思っていて。実際そのへんが・・・僕は少なくとも自覚的に人のことを読み取って書いてる感覚ではないので。

瀧澤 それも思いました。同じようなセリフがやっぱり散りばめられてて、別の役でも。だけどそれを読み取ってるのは自分だから。ってすごく最近思って。

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本橋 それで思うのは、やっぱり人ってそこまで大きくは変わらないのかなみたいことも考えたりとかして。自分が問題意識があって、なんとなくこうやって書いたことを、「あっ私ちょうどこのこと考えていて・・・」とかおっしゃってくださる場面があったりして。やっぱり共通でそういうことって思っているのかな、とか感じたりします。

生西 話が全然変わるんですけど。本橋さんが九龍ジョーさんの雑誌(Didion)で飴屋(法水)さんと対談されたのを前読んだんですけど。

本橋 あ、恐縮です。

生西 (本橋さんの)兄弟にでしたっけ?なんかあの、赤ちゃんが生まれて。会いに行った時に自分中心じゃない世界があるっていうふうに感じられて泣いてしまったって言われてて。それがすごく印象に残ってて。

本橋 あ、ありがとうございます。

生西 僕、昨年の10月に子供が生まれたんですけど。

本橋 あ、そうなんですね。おめでとうございます。

生西 だからいま(生後)4ヶ月半くらいなんですけど。自分がそういうタイミングだったのもあって。あと、結婚を2年くらい前にしたんですけど。そのときにもそういうことを思ったんですね。自分が中心じゃない、というか。それですごい楽になったんですけど。

本橋 うんうん。

生西 だから、すごい、ああって思って。

本橋 はいはいはい。

生西 あと、さっきの・・「バブみ

本橋 バブみ

生西 バブみってうまく言えないんですけど。今赤ん坊が目の前にいる生活なんであれですけど。赤ん坊って甘えてるんじゃなくて、いつも必死っていうか。だって自分が何にもできないから。だからあれはもう全力なんで。

本橋 なるほどね。

生西 甘えてるのと全然違うなっていうか。だってミルク飲まないと死ぬみたいな状況だから。

本橋 ああ、そうか、そうですよね。

生西 全力っていうか、あんなに懸命な生き物っていないなって思って。

本橋 はあ、なるほど・・・

生西 だって、適当ってのがないじゃないですか。

本橋 そうですね。

生西 だって・・人間の子供くらい本当に無力な存在ってないんじゃないかなっていうくらい。普通動物の子供って、(生まれてきて)ちょっと経ったらもう立てるし、動けるし。完全な無防備って逆にすごいなって思ってて。赤ん坊ってじいっと相手の顔見るんですけど。

本橋 みますよね。

生西 あの見られてる感じもすごいなって思ってて。だってあんなに人から見られないし、見ることもできないですよ、大人になると。そんなことしたら「あんたどうしたの」って言われるだろうし。
でも演出家って、基本的に見ることだなって思ってるから。見ることくらいしかできないというか。

 

本橋 ちょっと話変わるかもしれないけど。人をじっと見ることができるって、演劇で起こるなって思うんですけど。

生西 そうですよね。

本橋 お客さんが。

生西 観客もそうですよね。

本橋 僕、自分の実質6畳のお部屋の中で演劇公演をするときがあって。演者の人とお客さんの距離感がすごく6畳なんで近いんですよ。結構・・・(生西さんに近づいて)これくらいの距離の時もあって。多分演劇が始まるまではやっぱりずっとこうやって(生西さんをじっと見つめて)見れないんですけど、始まった途端にもちろん演じる側もそんな目を合わせないんで、こうやって(生西さんを見つめて)見ることができるっていうのがすごく面白くって。

生西 そうですよね。見ることもないし、見られるってこともないし、そんなに。

本橋 それ、面白いなって思いましたね。そのときすごい考えたのが、居酒屋とかで集団で飲み会みたいになったときに、たとえばそのなかにカップルがいて、痴話喧嘩みたいなものを始めた時って、結構みんな興味を持って聞いてたりするけど、目線はなんか上のメニューをじっとみたりとか、手元でこうやったりして、こうやって、こうやって(生西さんに近づいて見つめる)みることはできないじゃないですか。でもそれを見えてる状態だな、みたいな感覚が演劇やっててあって。すごく不思議だなって思ったのを、今の赤ちゃんの話を聞いて思い出したんですけど。でもそうですね、赤ちゃん・・・赤ちゃんの必死っていうのはそうですよね・・・

 

生西 でも、居酒屋の話と電車の話ってすごい近いですよね。本橋さんの中に、そこになにかあるんでしょうね。

本橋 確かに、それはそうかもしれませんね。居酒屋、電車・・そうですね。

生西 (全体をみて)そういう感覚ってあります?本橋さんみたいな感覚って。

本橋 電車と居酒屋・・

生西 そんなに意識します?

星 めっちゃみちゃいます、私。

生西 あ、むしろガン見しちゃう?

星 ガン見しちゃうタイプの人間。

本橋 それでさ、パッって目があったらそらす?

星 そらします。

生西 あ、そらすんですね。

星 そらしますね。

生西 見てないよ、って?

星 うん、・・・逃げますね。

本橋 このあいだ、電車乗ってる時に向かいの高校生かなんかが、めっちゃ俺のことこうやって(下から覗き込む)見てて。でも別に、不良とかそういうタイプではなくて。ずっと見てて。「あっ見られてる・・・」って思って、
で、一回パッと目合っちゃったんですよ。そうしたら向こうもスッとそらして、俺も、ああって思ったら、またずっと見てて。

一同 (笑)

 

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本橋 あっ、見られてるーって思って。あまり目を合わせると申し訳ないから、ずっとこうやっとこうって・・・(下を向いて)ちょっと今それを思い出したんですよ。

生西 なんで申し訳ないんですか。目を合わせてるのはあっちなのに。

本橋 そうなんですよ。でも合っちゃったらね、お互い、なんかこう・・・でも、目が合うってなんなんですかね。なんで目が合う、のか・・

生西 お互いに見てるんでしょう(笑)

本橋 まあ、意識してってのは、お互いがピンって繋がった瞬間、コミュニケーションになっちゃうっていうか・・

生西 そうですよね。そうだと思います。

本橋 そうですよね。それもなんか、考えてみると不思議な感覚でしたね。人の目って結構じっと、話す時とかってよく見られます?

生西 どっちかといえば(見ます)。僕電車の中でも向かいの人見ちゃう方なんで。すごい嫌がられてると思います。

本橋 あ、本当ですか?なるほど。

生西 なんか面白いじゃないですか、だって向かいに座ってる人って、いろんな人がいるし。顔見てるだけですごい面白いっていうか。

本橋 僕あんまり、話す時もずっと目とか見てられないタイプですね。

生西 あ、そうですか?

本橋 うん。そんなに・・・。でも一時期よりは見れる様になったんですけど。ちょっと前まではかなり見れなかったですね。

生西 まったく見ない人いますよね。

本橋 いますね。目合ってる感じなのに、合ってない気がする人もいますよね。

生西 それ怖い(笑)

本橋 いません?焦点がなんか・・定まってない?あれ、どういうことだろう・・

生西 いや、いる気しますよ。

本橋 形式として合わせてるのか・・・。いますよね。

生西 なんなんでしょう。興味ないんでしょうねきっと。

本橋 あ、うん、たぶん。そうなんでしょうね。生西さん、僕、Twitterのあのアカウントのあのアイコンだけすごく知っていて。僕の作品って観に来ていただいたり・・・

生西 あ、『さなぎ』を。

本橋 あ、そうですよね。それで、感想を書いていただいてたのかな・・・それでなんか意識して。僕も細かく覚えてないんですけど。なんかすごい、優しそうなおじさんのアイコンのイメージがめちゃくちゃあって。あ、『さなぎ』を観に来ていただいてたんですね。

生西 あのアイコンは飴屋さんに、「生西さんはあんなに可愛くない」って言われましたね。

本橋 あれすごく可愛い。

生西 滅多に僕に何も言わないのに、たまにいうことそれか!って。すごい嬉しそうに言ってましたね。「生西さんはそんなに・・そんなに可愛くないよね」って。そりゃそうだろうけど。

本橋 飴屋さんとはなんか、関係性というか、どういった・・

生西 自分の作品に結構参加していただいてて。

本橋 どういったタイミングで出会われたというか・・・

生西 いつだろうなあ・・。なんか「動物堂」をされてたときに、

本橋 あ、そのタイミングで。

生西 その時はほとんど接点なくて。宇川直宏さんって、今DOMMUNEやってる人が友達で、彼が雑誌の広告の撮影で動物を借りにいく時に、ついていったんですよ。

本橋 うんうん。

生西 その時に飴屋さんに初めて会って。なんかふくろうのちっちゃい、なんか・・置物みたいなやつもらったんですけど。その後もずーっと会ってなくて、みたいな感じで。

本橋 えっ、何もらったんですか?ふくろうのちっちゃい?

生西 なんだろうなあれ。なんか、陶製の、陶器の。

本橋 えっ、置物?

生西 置物なのかな・・なんかよくわからないですけど。

本橋 へえー。なるほど。動物堂の・・・

生西 飴屋さんが一番太ってた時。

本橋 あっ、太ってたんですねそのとき。

生西 太ってましたね。

本橋 そうなんだ・・・

生西 なんか、なんだっけあれ・・・美少年みたいにデビュー(東京グランギニョル)の頃から言われてたのがすごい嫌だったらしくて。

本橋 あ、それで。

生西 わざと太った(らしいです)

本橋 意図的に。そうなんですね、確かにそういう流れがありましたよね、空気がね。動物堂の話、飴屋さんの『君は珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』をみて、すごくみてみたいなって思いました。もう知ったタイミングでなかったんで、跡地だけみにいったんですけど

生西 そうみたいですね。

本橋 その対談の時に知って。

生西 東中野でしたっけ?

本橋 そうですね・・・。対談、お互い喋ってる感じですけど、結構そういう空気でもなかったり。僕が特に全然喋らなくて、間に九龍さんがいて、九龍さんが回してくれるっていう感じで。それで、九龍さんが「お前いっぱい質問考えてきてくれー」みたいなことを言われて。でも俺全然思い浮かばなくて。

生西 あ、そうなんですか。

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本橋 聞きたいこと・・・なんだろう・・・そんなないなあ・・とか思って。でも一応無理矢理考えていって。で、行ったら、「本橋くんがいっぱい質問 用意してくれるみたいなんで」とか言って(笑)で、「言ってくれ!」って感じで。
俺自分でも、「これそんなに聞きたいことじゃないけど・・」ってとりあえず喋っても、飴屋さん答えなかったりとかして。「こういう質問なんですけど・・・」って言ったら飴屋さん黙ってるんで、「ん、まあ、これは大丈夫です」って感じで引き下げたりとかして(笑)
で、絶妙なやり取りをしているうちに、突然飴屋さんが「僕と本橋君の違いは本橋君がすごく大切にしてる青春という概念が僕にはないんだよね」ということをおっしゃってくださって。僕それにすごいハッとしたんですよね。なるほどー、っていうか。僕は確かにそういうところにすごい執着があるというか。恋愛、というか、異性とのコミュニケーションにすごく意識があるなあと思って。「青春という、概念が、ない」・・!

生西 言い切るのもすごいですよね。

本橋 そう。そういった人と僕はこれからコミュニケーションをとっていけないかもしれないと思って。すごく貴重な時間でしたね。

生西 結構長いこと話されたんですか?

本橋 えっと、そんなに長くは。時間としては1時間半とか2時間とか。飴屋さんのお家に行ってって感じだったんですけど。飴屋さんも確かそのとき、展示やってて、あの、ずっと美術館に座ってらっしゃって。それですごい疲れてて。

生西 その時なんですね。

本橋 そうですね。そのタイミングでした。

生西 僕見れてなくて。

本橋 僕もちょっと行けなかったな。・・・・瀧澤さんなんか、聞きたいこととか。

瀧澤 えっと・・通しみてどうだったか?

生西 あ、通しですか?通しの感想って難しくないですか?すごく面白かったですよ。

本橋 あっ、ありがとうございます。『さなぎ』はどんな印象でした?

生西 『さなぎ』も面白かったですよ。

本橋 あっ、ありがとうございます、すいません、なんか。

生西 こういうのって何言えばいいのかな。

本橋 そうですよね。それはそうですよね。

瀧澤 私今日見てて、モリコ(※)とマコト(※)のシーンとかどう見てたのかなーって、生西さん。
※『シティキラー』脚本中に出てくる人物

生西 そこがポイントなんですか?(笑)

瀧澤 なんかそのシーンの時ふと気になって。

本橋 あ、でも、なんか気持ちはわかる。

生西 僕、飴屋さんみたいに青春の概念がないわけじゃないけど、もう中年だから、あんまり関係ないよね。結構遠いですよね。わかんないけど。あの、オペラみたいな歌を突然歌われた時はハッとしましたけど。すごいいいシーンだなと思って。

本橋 (秋村を見て)彼は元々オペラをやっていて、っていう。

生西 すごい失礼な言い方なんですけど、オペラを歌いそうには全然見えてなかったんで。その方がいきなりオペラを何の文脈もなく歌い始められたから、ドキッとしたというか、シーンが引き締まるというか。空気がバッて変わって。その後もなんか、首を切るシーンに繋がってて。それがすごいドキッとしましたね。

瀧澤 歌の名前なんていうんだっけ?

秋村 ドン・カルロってオペラがあるんですよ。僕が歌っている役の人が、あなた(ドン・カルロ)のために死ぬからっていう歌なんです。

生西 へえー。エピソードの中にありましたよね、女性二人の。

本橋 ありましたね、「チミ」っていう人と「タイラ」っていう人が(※)
※『シティキラー』脚本中の役名。

生西 片方は、自分が死ぬかもしれないけど助ける、みたいな。自分の命よりも大事だ、みたいなことを言ってて。そういうのとも繋がってたんですか?

本橋 その意識あったんですかね・・あれ(オペラの選曲)は秋村君が自分で。

秋村 元々違う歌を、全力で、裏で歌う予定だったんですけど。表で小さい声で邪魔しないように歌うっていうテイストに変わった時に、もっとふらっと歌えるやつがいいなってなって。僕が音大出る時に、卒業試験と卒業演奏会で歌った曲があの曲で。それなら頭で全部覚えてるから、パッと歌えるなってなって。

生西 そうなんですね。・・邪魔しないっていうか、、、すごい空気作ってましたけど。完全に。

秋村 だから、一種の・・なんだろう。強い色になって覆いかぶさって、見えないようにしたら嫌だなって思ったのはあります。

生西 すごい合ってましたけどね。本番でなくなっちゃったら嫌だな(笑)それはないか。

 

本橋 生西さんは、演劇を見ようと思う時って、どういった演劇を見られるんですか?

生西 どういった演劇・・

本橋 生西さんがやられてることって、パッと演劇っていうよりは、どちらかというとインスタレーション寄りということを伺っていて。演劇に対して興味があるとしたら、どういう部分なんだろうなって思ったりするんですけど。

生西 倉田翠さんって、演劇とダンスをやってる方のカンパニーの名前・・なんでしたっけ。アキアカネ、でいいんでしたっけ。

浅田 akakilike(アカキライク)。

生西 いつも呼び方名前間違えちゃって。僕、倉田さんの名前ずっと知って気になってたんですけど、京都ですよね、倉田さん。だから見たことなくて。去年だっけ、薬物依存だった人たちの施設、なんでしたっけ・・・

浅田 ダルク(※)ですね。※京都ダルク

生西 ダルクの人たちと、倉田さんがつくってる舞台があって。それはダンスというか演劇で、倉田さんは踊ってましたけど。その時初めて倉田さんの観たんですけど。
冒頭のシーンが、会議用の長テーブルを舞台の前っつらに出してきて、、出演者10人以上いたのかな。だーーって前に並ぶんですよ。そういう人たちだから、元ヤクザだったりだとか、結構いい顔したおじさんたちがほとんどなんですけど。
ほんとこれくらいの距離で、だーーって顔が並んで。それがすごい迫力あってよかったんですけど。そのあともふわーっと後ろでみんなが雑談しながら料理をしてて、一緒に。そのなかで一人一人が自分に起こったエピソードみたいなのを語ってく、みたいな感じで。
重々しくはやってないんですけど、すごく重くもあって。たとえば、自分が依存してそれで家族に迷惑かけて、申し訳ないと思って自分が死ぬしかないって思って、ドアノブにタオルかなんかをかけて死のうとしたみたいな動作をやるんですけど。反復して。その人の存在が斬り込んでくる、みたいな感じで。
あのときの、人の顔が見えてくる感じがすごく面白くて。別に本人がやってるからどうこう、とかじゃなくて、なんか出ちゃうものというか。そういうやり方が一番いいかどうかっていうのは別の話なんですけど。
あとあの、さっき、自分が役者を選ぶかどうかみたいな話をしてたんですけど。僕が最初につくってた時って、自分がやっぱりつくりたいと思って、あまり役者じゃなくてミュージシャンだったり、いろんな(ジャンルの)人に出てもらって声かけてやってたんですけど。
演出してるっていうより、今考えたら、誰と誰が出てくれるか、っていうか組み合わせみたいなのがすごく大事で。自分はむしろ何もしてなくて。場だけつくってて、そこで何が起こるかみたいなのを自分が見たいみたいな感じだったんで、一公演しかやらないっていうのもそういうことだったと思うんですけど。(小駒豪さんに)あれ、『日々の公演』(※)っていつでしたっけ? 美学校・ギグメンタ2018『日々の公演』

小駒 えーっと・・・2年前の・・・

瀧澤 おばあちゃんが亡くなった時だから、2年前だ。

生西 豪君にも照明で付き合ってもらってたんですけど。『日々の公演』で、ワークショップ形式の公演をやったんですけど。台本だけ(事前に)鈴木健太くんに書いてもらって、7枚くらいの台本があるんですけど、7つのシーンがあって。1シーンがペラ1枚みたいな感じで。申し込んでくれた人とつくるってやつで、(当日の)昼過ぎに集まって夜公演、みたいな、毎日。それを10日間くらいやったんですね。で、(参加者が)何人来るかも当日にならないとわからなくて。来ない人もいるし。

本橋 え、その来ない人って・・・

生西 申し込んではいるけど、来ない、とか。初日はゼロだったんですよ。誰も来なくて。

本橋 えっ!

生西 申し込んでた人いたんですけど来なくて。鈴木健太くん、その台本書いてくれた子が一人芝居でやってくれたんですけど。
セリフもだから、あまり役名で割り振られてなくて。参加者には、台本はなるべく全部丸暗記してきてくださいってお願いしてて。それでどこでどう切るかみたいなのも、その日ごとに全部変えてたんですけど。(参加者は)1人の日もあれば、3人の日もあれば、5人の日もあるみたいな感じで。その日会ってその日作るみたいな感じだったので、(あえて)何も準備してなくて。とにかく来た球を打ち返すみたいな感じで。すごい鍛えられたんですけど。
そういうほうが最近面白くて。自分が知ってるすごい人、とかそういうんじゃなくて、全員どういう人かもわからない人たちとパッとやって、その時間を共有してつくる、みたいな。本当に自己紹介も何もしないでいきなり作りはじめて。自己紹介する時間もなかったんで。その人をただひたすらじっと見て、この人このセリフっていうのを割り振っていって。なんとなくその中で動きをつけたりとか、任せたりとか、その場で全部判断して。

本橋 この人はちょっとあまりにも、自分と考えることと違くて、一緒にやるの難しいかも、みたいに思うような人が来られることはなかったですか?

生西 それはなかったですね。

本橋 そういう可能性ってあるんですかね。

生西 そういうっていうのは・・・作れない場合?

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本橋 なんだろう、なんか・・・考えが根本的に違うから、みたいな・・。あ、でも今想像するのは、たとえば、わりかししっかり演劇というものを考えていて、そういう人はそもそも来ないと思うけど。「あなたのやり方はわからないから、もうちょっと具体的に組み立ててください」みたいな。それもまたちょっと違うのかもしれないけど。ちょっとこの人僕あまり好きな気持ちになれないな、みたいな人と・・・

生西 そうですね。でもあとで考えたら、やってることってその人のいいところを必死で見つけるみたいなことをずっとやってて。あっこの人は声がいいなあ、とか佇まいがいいなあとか。とにかくその人のいいところをみつけるみたいなことだけやってた気はするんですけど。
その、合わないっていうか、そういうのも昔あって。一番初めに、自分が選んでない人とやったのって、ダンスの公演だったんですけど。7日間ワークショップやって、7日目は発表みたいなやつでやったんですね。山崎広太さんっていうダンサーの方に頼まれて、そのフェスの中でやったんですけど。宇波拓さんって音楽家の方がいて、彼を巻き添えにして、2人でやって。
初日、ダンスっていっても色々あるから、いろんな出自の人がいて。その中の一人の女性が「私はリアリティがないと踊れません」みたいなことを言って、場が凍りついたみたいになって。で、そのとき宇波さんが映画音楽の作曲もされてて、一睡もしてないみたいな状態でそれまで一言も喋らなかったんですけど、突然パッと目見開いて喋り始めて。「じゃあ、舞台上に死体があったらリアリティありますか」みたいなことを言い出して。さらに場の雰囲気が最悪になっていって、泣き出す女の人とかもいて。それを広太さんが近くで見て、「生西さん面白い、今もう面白い!」とかって大喜びしてる主催者がいて。最終的には面白い作品をつくれたんですけど、そんな状態でも。
(最初は)すごい険悪な雰囲気でしたけど。だからやっぱり、(どんな人とでも)一緒につくれると思ったんですよね。でもだいたいなんかね、自分から舞台に立ってやりたいって人って我が強い人が多い印象ですね。

本橋 集団で何かするってね、そういうやっぱ、ありますよね。

生西 自分が舞台に立って人に見られたいってすごい感覚じゃないですか?

瀧澤 私あまり見られたくないなって。

生西 そうなんだ。

瀧澤 見られてるっていうことも知ってるんですけど、前に一人でやったときに、『演劇 似て非なるもの』の講座の元受講生の竹尾さんが見に来てくれて、わたしのことを見てたってことをすごい真摯に感想を言ってくれて。あ、私って、ここにいたんだ、こんなに真摯に見てくれてる人がいるんだって感動して。それがすごい自分の中で大事な記憶で。うん。

生西 でも、見られることで存在するみたいなのあるんじゃないですか?もともと「自分」なんて言ってても、人を反射みたいにして自分が見えるわけだし、そんな確固とした自分なんて。一人で・・・ロビンソン・クルーソーみたいになって、自分ってあるかっていわれたら、あんまそんなことないですよね。だから見てくれる人がいて存在するみたいな感じがあったんですかね。

瀧澤 なんか、すごく感動して。今思い出しました。

生西 観客の存在ってすごく面白いですよね。だってちゃんと見てない人もいっぱいいるわけだし。そういう人が一人いるだけで全然空気変わっちゃうから。

 

瀧澤 (時計を見て)と、いうところで、いい感じに・・・

本橋 でも演劇・・カラオケとかってどうなんですかね。

生西 カラオケですか。

本橋 舞台に立つのが結構すごい特殊な感覚だよねって、でもカラオケとかって多くの人が行かれるじゃないですか。あれと実はそんなに変わらないのかなって。

生西 でもカラオケって自分が歌ってるだけで、誰も見てなくないですか?

本橋 でも、見るってことは、そっか、確かにねえ

生西 だって一緒に行ってる人とかも、自分が歌う曲選んでて、聞いてる人なんてあまりいないでしょ。だからただの発散ですよね。

本橋 (笑)

瀧澤 発散(笑)

生西 だから本気で皆が見てたら違うんでしょうね。

瀧澤 でもみんなにすごくじーっと集中して見られてたら、それはそれでカラオケってなんなんだろうって・・・(笑)

生西 でも、ヨーロッパとかのカラオケって舞台みたいになってて、って結構ありますよね。きっと。カラオケっていうか、バーみたいなところでお客さんも歌っていいみたいな。あれだときっと違うんでしょうね。でも日本人だときっと厳しいですよね。

本橋 でもそっか・・・楽しかったです。

瀧澤 私も、面白かった。

生西 宣伝になるのかわからないですけど

瀧澤 いや本当に、ありがとうございました。

本橋 ありがとうございました。

生西 こちらこそ、ありがとうございました。

 (了)

 


収録:2020年2月25日 構成:浅田麻衣

[特別企画]本橋龍さん×生西康典さん対談【前編】

映画美学校アクターズ・コース2019年度公演『シティキラー』、公演として皆様にご覧いただくことは叶いませんでしたが、連続ドラマとして『シティキラーの環(わ)』配信中です!

第8環まで繋がっていく『シティキラーの環(わ)』。その後は演劇版フルバージョン配信も予定しております。ご期待ください!

 
そして去る2月21日(金)、『シティキラー』作・演出の本橋龍さんと、美学校講師である生西康典さんとの対談が行われました。この企画は、アクターズ・コース第9期受講生の瀧澤綾音さんが、美学校をかつて受講していたつながりがあり、実現しました。

 

対談は1時間にもおよび、とても楽しい時間となりました。
今回は対談の前編です。

ぜひ、ご覧ください!

 

[プロフィール]

生西康典 

1968年生まれ。舞台やインスタレーション、映像作品の演出など。
作品がどのようなカタチのものであっても基本にあるのは人とどのように恊働していくか。

美学校 実作講座「演劇 似て非なるもの」講師。
https://bigakko.jp/course_guide/mediaB/engeki/info 

インスタレーション作品:『風には過去も未来もない』『夢よりも少し長い夢』(2015、東京都現代美術館山口小夜子 未来を着る人』展)、『おかえりなさい、うた Dusty Voices , Sound of Stars』(2010、東京都写真美術館『第2回恵比寿映像祭 歌をさがして』)など。空間演出:佐藤直樹個展『秘境の東京、そこで生えている』(2017、アーツ千代田3331メインギャラリー)。書籍:『芸術の授業 BEHIND CREATIVITY』(中村寛編、共著、弘文堂)。

 

[対談参加者]
橋龍、生西康典 、瀧澤綾音

秋村和希、星美里、百瀬葉、山田薫
小駒豪(『シティキラー』美術・照明)浅田麻衣(『シティキラー』制作)

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生西 本橋さんって本名なんですか?「本橋龍」って

本橋 あ、本名です。

生西 すごい名前ですね。

本橋 あ、本当ですか?

生西 「龍」ってだって・・・

本橋 ねえ。そうですよね(笑)

生西 完全、活劇の主人公みたいな感じ。

本橋 「村上龍」からとったって母親が言ってました。

生西 あ、そうなんですか?

本橋 母親が『コインロッカーベイビーズ』がすごい好きらしくて、それで「村上龍」からとったって言ってて。

生西 へえーーー

本橋 ぼく、コイン・・・

生西 ロッカーベイビーズ(笑)

本橋 なんか、そこからとったって、なんか・・

生西 自分で産んどいて(笑)

本橋 そう、そうなんですよ。そうなんですよね。でも「龍」っていうのはでも、ちょっと前は微妙にコンプレックスで。なんかかっこよすぎるなって。

生西 そうですよね。強すぎますよね。

本橋 うんうん。だからなんだろう、いわゆる普通の名前っていうのもわかんないけど、二文字の名前とかの方がいいなあって思ってましたね。でも最近は気に入ってきてる。

 

生西 お母さんって、何年生まれ?

本橋 お母さん、何年生まれだろう・・ちょっと・・わかんないっす(笑)

生西 何歳くらい?

本橋 50歳くらい・・50・・・何歳か。

生西 多分僕、同じくらいなんですよ。

本橋 はいはい、あ、本当ですか?あ、そうなんですね。

生西 僕いま、51なんで。たぶん、村上龍のその頃のを読んでたってのは同世代くらい。

本橋 あ、なるほど。

生西 それくらい本橋さんと歳が違うんだなって。

本橋 僕は、村上龍さんのものでいうと、ちょうど僕が中学くらいに『13歳のハローワーク』ってやたら流行って。みんな、読めー!みたいな感じで。俺もお父さんに「お前読んだほうがいい」って。

生西 すごい売れてましたよね。

本橋 そうそうそう。「若い人みんなあれを読みなさい」みたいな流れがそんときにあって。

生西 逆にその頃はもう読まなくなってて。あ、昔「W村上、龍と春樹どっち派?」みたいな感じがあって。

本橋 なるほどね。

生西 僕は完全に「龍」のほうを読んでたんですけど。

本橋 へえー、そうなんですね。

生西 春樹のほうはとっつき悪くて。今は完全にね、村上春樹さんのほうがなんかすごい持ち上げられてますけど。

本橋 うん、ですね。あんまり最近は、名前上がらないかもしれない。

 

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生西 瀧澤さんに聞きたかったんですけど。

瀧澤 あっ、はいっ

生西 今日って、この場っていうのはなんで設けられたんですか?

瀧澤 広報の時に・・・「広報会議」みたいなのをしてて。広報するために、「SNSに広報する人」、「お店とかに広報する人」とか・・あと私は美学校に行ったりとか。

生西 瀧澤さん、広報の係もやってるんですか?

瀧澤 あ、みんなでやってます。

生西 あ、みんなで。

瀧澤 全員でそれを分担してやってて。その会議の時に、「あ、私、前行ってた美学校ってところに行きますー」って言って。そのときに、「演劇 似て非なるもの」っていう講座に通ってて、生西さんっていう方が講師で、みたいなこと言ったら、山内(健司)(※)さんが「あっ、じゃあ本橋さんと生西さん、対談すればいいじゃん!」って(笑)
※アクターズ・コース主任講師 山内健司さん。山内さんは劇場で本番があるため、この対談に立ち会うことができませんでした。

生西 あ、山内さんがおっしゃったんですね。瀧澤さんの発案じゃないんだ。

瀧澤 そうなんです(笑)それで、あ、はあー!と思って。ああ、私は思いもよらなかったなと思って。

生西 あ、そうなんですね。いや、なんだかわからないけど瀧澤さんに言われたから行かなきゃいけないんだろうなって。
しかも、なんか今日が通し(稽古)でしょ?だから今日来れないかみたいなこと言われて。無理なら稽古の時でもいいんでって言われて。でも、稽古の後になんか喋ってくれって言われても。。。通しでも喋るの大丈夫かなーって思ってたんですけど。

本橋 まあ、個人的には全然作品に関係ない話でいいかなと思いつつ。でもまあ広報って考えたら・・・

生西 そういうふうに言われたんで。「(広報に)使ってもいいですか?」って喋る前から言われて、そんな使えるようなこと喋れんのかなーって。

瀧澤 ごめんなさいっ・・・

生西 いえいえ。

本橋 あ、でもその広報会議っていうのも面白くて。山内さんが先導して、最初に「客席にどういう人がいてほしいですか」みたいなのをみんなで付箋みたいなのに各々書いて。普通にまあ例えば「演劇をやってる人、こういうところ」だとか、そういうのとは全くなんだろう・・・亡くなった・・

生西 人とか?

瀧澤 あ、そう。私、「亡くなったおばあちゃん」って書きました。

本橋 っていうのとかをもう、無造作に付箋に書いていって。壁に貼っていって。そのうえで、「こういう人で客席を満たすためにどういう取り組みをしていこう」っていうことで、みなさんそれぞれで係を分担して。で、それの一環としてっていうこと。

瀧澤 そうです、そうです。

本橋 瀧澤さんがこれ(企画)決まった時「夢みたーい」ってすごい感激してて。

瀧澤 なんかすごい、だって・・・不思議だし。

本橋 ここに生西さんがいらっしゃるってことが・・どうなんですか?実際いらっしゃってみて。

生西 でも人の稽古って見ることないから。

本橋 そうですね

生西 ただまあ、通し稽古だからいわゆる稽古とは違うか。

本橋 そうですね、あんまり稽古の場所っていうのはね・・でも演劇をやってると、人によると思うんですけど、稽古すごい長いですよね。それに対して本番上演するのってすごく短いから。

生西 短いですよね。

本橋 やってる体感として、稽古の時間の方がむしろメイン、ではないけど・・なんか、うん、っていう感じはあったりして。でもそうですね、人の稽古・・・でも結構、なんかいろんなとこ見に行かれる人っていますけどね。

生西 あ、そうなんですね?えっ、「稽古見せてください」って?

本橋 あ、でもたまに「ちょっと見学に来たいです」とか。今回の稽古もね、見学にくる人がいて。
それも広報ワークショップの一環で、いろんな人に稽古場に来てもらってコミュニケーションとれたらいいなっていうので。小さいZINEみたいなのをみんなで作って「稽古、ラフに見学して大丈夫なんですよー」みたいなZINEをチラシにこう一緒に挟んで渡したりっていうこととかやってたりするんですよ。

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生西 本橋さん、稽古って知らない人がいると気になりませんか?

本橋 あ、自分の気持ち的に、「誰がいてもOKですよ」っていうふうなのはあるけど、やっぱり誰かいると絶対変わりますよね。さっきも通し終わった後に生西さんがいらっしゃったじゃないですか。やっぱりちょっと喋りながら、「あ、俺ちょっといない時の自分とちょっと違うな」って思いながら。「ちょっとなんかカッコつけてんな」っていうのはあったりとかしました。それ、感じました?

瀧澤 あっ・・雰囲気が。全体の雰囲気がちょっと。

本橋 あ、それはあるよね、絶対に。

生西 通し稽古なら、知らない人がいてもむしろ観客役みたいな感じでいいんだけど。稽古にいるとすごくその人意識しちゃうかも。だから、稽古できないかもしれない。

本橋 むしろ、できない・・・できないっていう・・・

生西 前に、ある公演で「稽古の時間も見せる」ってことをやってて、すごい楽しみに行ったんですけど。明らかに観客をいじりながらやってて。これ、稽古してねえじゃんみたいな。すごいがっかりして帰りました。

本橋 なるほどね。それはそっか・・そうならざるをえない感じだったのかな・・。でもなんか、気持ちとしては、知らない人が出入りしてくるような環境で稽古したいな、みたいな気持ちもあって。
ていうのは、最終的にやっぱり、上演でお客様が入ってきて。そういう状況がもう、稽古の時点である程度慣らされていたほうがよいな、とかは思っていて。

実際に出演してくださっている方々にも「好きに出入りしてくれ」って話してて。全然、スマホゲームとかやってていいし、寝てていいし、みたいなことを言っていて。うん、その延長でふらっと知らない人が入ってきても。

でもやっぱりどうしても見学ってなると「あ、どうもいらっしゃい」ってなっちゃいがちなんですけど。そういうところももうちょっとオープンにできる稽古場みたいなものが個人的にできたらいいなって、その都度思ったりするんですけど。

 

瀧澤 私なんか、「動物園みたいに見にきてもらいたい」って言ってらっしゃったのすごい印象的で。

本橋 ああ、言った言った。

生西 動物園。今日、(作品の中で)動物園の話出てきましたよね。

本橋 動物園、ぼく、すごい好きで。

生西 あ、好きなんですね。

本橋 はい、好きですね。ん、好き・・・よく行くんですよ。

生西 なんか、(作品の中で)ゾウガメが・・

本橋 ああ、そうですね。行くけど・・なんだろうな。あそこがすごく「わー、いい場所、素敵ー!」っていう感覚ではなくて。行くたびにすごく考えさせられるなって思って。ていう意味で、大学の頃とか授業をさぼって、週2くらいで動物園行ってた時期とかも。年パスとかとって(笑)動物園行ってた時期があって。

特に演劇をやっていて、それに関連することを動物園に行くたびに色々考えるなと思って。

生西 投影してたってことですか?(世の中の)縮図、みたいな感じではなくて?ただ動物を見てるっていうか、仕組み作ってるのも人間ですよね。

本橋 そうですね。でもすごく親和性があるとは思ってたんです。演劇っていうものと動物園で見られてるってこととは。

生西 そう考えると、なんだか悲しいですね。

本橋 えへへ。でもなんか・・あんま、演劇やってて綺麗なものではないなっていうのはすごく感じていて。演劇やってたのは高校とかん時にたまたまその場のノリで演劇部に入って、そのまま引き続きって感じだったんですよ。

生西 あ、そうなんですね。

本橋 なので、結構なし崩し的に続けてて・・続ける流れができてたからやっていたけど、一時期もう演劇やめようみたいな思ってた時期があって。その時期に、あの、旭山動物園ってあるじゃないですか。北海道の。

生西 ええ、ええ。

本橋 あそこで、行動展示っていわれる展示方法・・・動物の、本能的な動きを展示の仕方で誘発させて、見てて楽しい!みたいな、エンターテイメントとして作ってるっていう展示方法に興味が出て。それを調べてるうちに、「もし、出演してる人たちとかがあくまで本能的な、生理的な行動をしてそれが、見てる人にとってすごく面白い」ってなったら、いいな。って思って。そっからなんか立て直して、演劇楽しくなったっていうのはありました。

 

生西 じゃあ動きとか、動線というか・・その役者さんの動きっていうのは、あまり細かく指示されない?

本橋 そうですね・・(瀧澤を見て)どんな感じですか?やってて?

瀧澤 そういうふうに、受け取ってました。あと、本橋さん「バブって」「バブってろ」みたいな・・

本橋 「バブみ」ってわかります?あの、赤ちゃんの「バブ」・・最近の若者言葉で「バブみ」っていうのがあるんですけど

瀧澤 あ、そうなんだ。

本橋 あ、そうそうそうそう。多分、若者言葉。「バブみ」っていうのがあって。要するに甘えちゃうみたいなのを、「バブみ」っていうんですけど。
最近、いかに「バブって」いけるかだなっていうふうに思ってて。それは演劇に限らず、こう、生活の知恵じゃないけど・・みんながみんなバブってたらいいなっていう。それは単純にワガママをどんどん言っていくことっていうよりは、ちょっとそこに可愛げがあるというか。どんどんちゃんと自分の欲求は言っていって、っていう状況になれたらいいんじゃないか、って思っていて。っていうことで言ってたみたいなことはあります。

瀧澤 そのおかげですごいリラックスして稽古場にいれて。緊張すると自意識とかでてきちゃって、余計な・・なんていうんですかね、硬くなっちゃったりするけど、リラックスしているから、その分のびのびみんなができるかなーって。思ったりします。

生西 まだ、バブみのことがあまり理解できてないんですけど・・

瀧澤 のびのびみたいな。私は、のびのび、みたいな(ことじゃないかと)

本橋 まあ、ね。うん。

生西 自分の主張をしつつ、可愛げを?

本橋 そう、ですね。

生西 世の中、うまく共存させるために?赤ん坊はもともと可愛いから。

本橋 そうですね。あ、たとえば・・俺もそんなにそれについて詳しく考えているわけじゃないけど。「これを動かして」っていう要求があったときに、(硬く)「これを動かしてください」っていうより(口調を変えて)「えー、これ動かしてほしいんだけどー」って言われた方が

瀧澤 そういう感じなんですか?(笑)

本橋 いや、まあ、それが全てじゃないけど

生西 すごい腹立ちそうですね。

一同 (笑)

本橋 あ、でもそう、それで「こわーい」って言えるっていうか、うん。

生西 ツッコめるくらいの?

瀧澤 ああ、そういう感じの・・・?

本橋 まあ、俺も言っててよくわかんなかったけど。単純にみんなが自分の要求を、関係を崩さず、ポジティブに保ちながら要求をお互い言い合える状況があればいいなっていうのはシンプルに思うんですけど。演劇最近作られたりとかってていうのはしてないですか?

生西 してない・・

本橋 演劇に限らずこう、集団で創るときの、縦関係的みたいなものが生まれるなあっていうのに一時期すごい悩んでた時期があって。そういうことってなんかあります?感じたりとかあります?

生西 意識したことなかったんですよ。そういう力があるみたいなことは。もともとあると思ってないし。

本橋 なるほどなあ。

生西 僕は、もともと演劇はすごい遠い存在で。本橋さんと逆なんですけど。

本橋 はいはいはい。

生西 高校とか大学くらいのときって、映画だったり音楽だったり、本だったりすごい好きだったんですけど、演劇だけすごい偏見があって。

本橋 うんうん。

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生西 なんか気持ち悪いなって。みんながなんかこう、密接にうにうにやってる感じがすごいやだなーって思ってて。多分見たサンプルが悪かったんだと思うんですけど。ずっと遠かったんで。だからむしろ、観出したのってそんなに前からじゃなくて。自分が創り始めたのもそんなに前じゃなくて。
だからどうやって創ったらいいのかわからないまま創ってるんで。だから逆に言えば、すごいとんでもない要求をしてたりするんだけど、その時は気づかず、後で「あ、よくこんなことやってくれたな」とやっと気づくみたいな。だから、それくらいの感じなので、全然意識できてないです。

本橋 あー、なるほど。僕、演劇のスタート地点が・・なんだろうな・・多分、外の人が「演劇を体験したいけど、演劇ってなんとなくこうだよね」って思ってるような印象のところの中でがっつり初期の頃やっていたから、そこに対する違和感だとか、そういったことは・・・ありますね。

生西 個人的に、ロールモデルがなかったんですよ。最初創り始めたときって、1公演しかやんない公演いっぱいやってて。

本橋 あー。

生西 装置とかもつくったりしてたんですけど。照明が上下する装置とか、そういうのをメディアアートの人に頼んでつくってもらったりとか。そんなことまでやってるのに、全部1公演しかやってなくて。人も集めて。でも、そんなもんだよな、って思ってたんで。

本橋 聞いてて気になったのが、いわゆる演劇というものをやりだしたなっていうときに・・

生西 いや、それは多分・・やりだしてないかもしれない。

本橋 演劇っていうふうにそもそも思ってなく、やってて、ってことですか?

生西 どうなんですかね・・・

本橋 創られているものを、演劇と認識は、そもそも今もしていない、ということなんですかね?

生西 いや、どうなんでしょうね・・

 

本橋 ああ、そうですよね・・・演劇ってなんなんですかね?(笑)なんなんですかね?っていうか・・・うん・・・

生西 それこそ、街歩いてて、ふと見た光景とかの方が演劇に見えたりすることがあります。むしろ、それらしく舞台上でやってるものの方が全然演劇に見えなかったり。だから、自分の中で「演劇」って多分あるんだと思うんですけど。そういう意味でいえば。

本橋 うんうん。

生西 すごく空々しく感じたりして。街歩いてて見る、はっと見た風景の方がよっぽど演劇じゃん、って思うことがあって。なんかうまく言えないですけど。

本橋 あ、でも・・僕もそういうふうに・・同じことではないかもしれないけど。思うことがありますね。

生西 嘘とか本当っていうんじゃないですけど。すごく空々しいなっていうか。自分には関係ないような気がすることが多くって。

本橋 ああ・・今聞いてて思ったのは、僕もそういったことを考え始めたきっかけを考えて。不思議なもんで、あ、僕もともとは脚本を自分で書くときに、自分の実際にあったエピソードだとか、人が、参加してる人が体験したエピソードを脚本にするっていうことをしていて。実際に体験したことを演劇としてやったらすごく嘘っぽくみえて。あれ?とか思って。「これ多分演劇的に見えちゃうから、多分、もうちょっと自然な感じにしないとね」みたいな話をやってる人としだして。これどういうことだろう?と思って。そういうときになんか色々疑問が出てきましたね・・たぶん、演劇として舞台に置く上で、何かないといけないんだなあ、というか。衣装だとかもすごい考えるんですけど。普段着てきてる服を着てる状態で、「じゃあそれ、衣装としてじゃあそのままいきましょう」ってふうにして、いざこう舞台にそれで立ってもらうと、「なんか衣装っぽいね」みたいな見え方がしたりとか。「なんか狙ってる感じがするね」みたいな。そういうことを結構考えてましたね。

生西 自然ってなんなんでしょうね。「自然に見える」の「自然」ってなんなのかなって。

本橋 結構、コントロールが・・・舞台の上に「あ、自然だね」って見てて思えるものを創る上で、コントロールは必要なんだなって感じましたね。自然・・そうですね・・

生西 すごく、自然じゃないですよね。

本橋 そういうところから、だんだんと・・・むしろ、はっきりしたセリフだとか、決まった動きだとかっていうところのほうに、自然を感じだしたタイミングがあった気がしますね。そうですね・・うん。
なんで舞台上で「自然」をつくろうかって思ったか、みたいな。ちょっと別な話だけど。まるで演劇じゃないようものが舞台で蠢いてるっていうことはすごくずっと興味があって。ちょっと前まではかなり、日常が置いてあるみたいなものを意識してやっていたけど、最近は結構ファンタジックなものがつくれたらいいなっていうふうに、興味が動いてるっていうのはあります。

生西 舞台上の、場所とか重なり方がすごい面白かったです。

本橋 ああ、ありがとうございます。

生西 それが見ててちゃんとわかるし。

本橋 それもね。なんか・・なんなんですかね・・
まあ、元ががっつり演劇をやってた立場だから、よく多くの演劇で取り扱う、「舞台の中に複数のエリアがあって、で、そこは家の中と全く別の場所。カフェだったりとかが隣に並んでて、まったくそこは別のとこ」としてやってるけど、でもすぐ近くにいるよねっていう・・そういう当然のことってのは、演劇やり始めた初期の頃からあれー?と思っていて。そういうことから、今に至ってるって感じはありますね。お客さんがいるとか、もね・・たとえば今こうやって喋ってるのも、絶対(相手への)意識があって、でもこういう録音とかあって、ある程度ここで(観客に)こうやって喋ってるっていう・・

 

生西 (椅子の角度を見て)この角度が不自然ですよね。

一同 (笑)

本橋 こうなってね

生西 なんだこれは!っていう

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本橋 この絶妙な、対談角度ですよ。

瀧澤 なんかそれっぽく・・並べてみちゃった。ごめんなさい。

生西 まあ、そうなんですよね。こうなりますよね。

瀧澤 (同時に)なんか・・・なんだろう・・なんでなんだろう・・・

本橋 (同時に)それでいうと・・あ、ごめんなさい

瀧澤 あ、ごめんなさい、独り言でした

本橋 いや俺も、結構思いつきでベラベラ喋っちゃって・・独り言(笑)
電車の中とかで、いや、電車の中じゃなくてもいいけど。たとえば、仲間たちと集団でいて、でも2人でこうやって話すときに、この人たち(喋る以外の仲間)も意識しながら、この2人で共有してる情報も、なんか説明的になりながら話してるような状況とかもあるじゃないですか。あれも僕は「これは演劇と同じことだな」って感じてて、そういうことも創る上で、すごく、うん。
そういったことの気づきから、どんどん演劇をやることが楽しく、解放されたような。「あ、演劇ってこうやってできるんだ」っていうことになっていきましたね。

生西 結構意識されるんですね。周りにいる人に。

本橋 僕はすごい意識しますね。僕、ずっと「情熱大陸」をやりながら生きてると思ってて。ずっとナレーションが一人でいる時とかも、「この時・・・本橋は・・黙った」みたいな(笑)別にそんなはっきりナレーション考えてないけど。ずっと自分の大作ドキュメンタリー番組みたいなのをやってる気分なんですよね。だから人の目線だとかは昔からかなり意識します。

生西 逆に電車とかって、日本の場合電車の混み具合がすごいのもあるんですけど、目の前にいるのにいないことにしてるほうが多いじゃないですか。みんなスマホ見てたりとか。触れ合っててもその人いないことにしてるし。昔だったらぶつかったら「ごめん」みたいなこと言ってたのが、モノとして扱ってるから、謝りもしないみたいな感じになってて。むしろ、逆に「いるけどいないこと」にしてることのほうがすごい日常で感じるなーと思ってて。僕はむしろそっちの方がすごい気になってるんですけどね。「天の声」は全然僕には聞こえない(笑)

本橋 ああ・・・なるほどね。ああでも、すごくわかります。

生西 「いるけどいないことにしてる」とか「起こってるけど起こってないことにしてる」みたいなことのほうがすごい多いじゃないですか。だって今の日本の状況ってすごいSFみたいだし。悪いSFみたいな状況なので。

本橋 そうですね・・・。結構、電車の中とかでも。あ、話変わるけど、満員電車とかすごいですよね。

生西 すごいですよね。

本橋 あれなんなんだろうって(笑)満員電車、でも俺結構好きなんですよね。

生西 しかも、日本の電車って、時間帯によって座席が上がるじゃないですか。あれって完全に貨物ですよね。

本橋 貨物(笑)確かに確かに。

生西 奴隷船みたいだなと思って。だって実際、アフリカからアメリカに連れてこられたときって、結構死んでるんですよね。めちゃくちゃ詰め込まれて。あと、詰め込まれた人たちも、アフリカっていったって言葉が無数にあるから、いろんなところから集められてて。お互い言葉が通じないみたいな人たちがすし詰めにされて船でアメリカに運ばれて、3分の1くらい死んでるけど、3分の2は生きてりゃまあいいか、みたいな。果物運んでるみたいな感じなのかね。

本橋 ああ・・確かにそうですね。

生西 人間が人間扱いしてないし、されてないようにすごく感じるんですけど。だからむしろ演劇とかで人が集まってつくってる場って、(他人に)向き合わざるをえないし、それがめんどくさいんですけど。でもむしろそういう場があまりないから。そういう意味では大事だなって気もしてるんですけど。だから若いときに一番嫌だった、そういう場が。

本橋 ちょっと話変わっちゃうかもしれないんですけど。今ここで作品づくりをしていて、こんな贅沢な時間を持っていいんだっていうくらい贅沢で。
ていうのは、なんだろうな・・・さっきも言ったとおり係分担っていうことになってて。僕いつも自分一人で主宰して演劇をしてて。たとえばじゃあ、「ちょっと手足りないからこの人に衣装のことお願いしよう」っていったら、「すいません、追加でこういったギャランティでちょっとお願いします」って言って渋々依頼してっていう・・できるだけWin-Winにっていうことばかり考えていて。
それが今、すごいフラットにやらせてもらっていて。自分のやってることとしては、すごく特殊な、今までにあまりないようなつくりかたをさせていただきつつ、すごく、でもこうあるべきだなあみたいなことも感じるっていうか。Win-Winみたいなことばかり最近、世の中的なことも含めて考えてしまうんですけど。もっとシンプルにいけるはずなのになあ、みたいなことも最近この稽古場ですごく思っていて。ありがたい時間だな、なんて思ってますね。全然関係ない話になっちゃうかもしれないんですけど。聞いてて今、そうだなあと。

 (続)

収録:2020年2月25日 構成:浅田麻衣