映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

アクターズ高等科・講師エッセイ/近藤強さん

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「アクターズ・コース俳優養成講座 2020年度高等科」は6名の講師がそれぞれゼミを担当しています。そのゼミの内容は、講師の皆様がそれぞれ企画しました。今回は『脚本分析 〜シーンを分割する〜』『俳優レッスン』を担当する近藤強さんにエッセイをお願いしました。


アクターズのブログで講師や受講生をインタビューする企画が続いていたので、自分もインタビューされるのかなと思っていたらエッセイを書いて欲しいというお題を頂きました。なので、今回は私、近藤強が徒然のままに綴っていきたいと思います。まずは今回のアクターズコース高等科で担当している脚本分析ゼミについて。 

普段はビューポイントという身体系の講義を受け持っているのになぜに脚本分析ゼミをやるに至ったのか。

理由の一つはコロナの影響でリモート授業やることになっても出来る内容にする必要があったということ。もう一つは、ここ数年続けている俳優レッスンというシーンスタディークラス。このクラスの中で、一つのシーンを同じ感じで演じ通してしまう時に、シーンをビート(区切りの単位)に分けて考えてみては?という話をしたことがあり、今回はそれをじっくりと時間をかけてやってみたかったから。シーンをビートに分ける時は、「新しい人が入って来たり、話題が変わったりしたら、1区切り(1ビート)と考えて、ビート毎に動詞を割り振る」というのが基本の考え方。シーン毎に目的があり、動詞は目的を達成するための道具。いろいろな演技本にも書いてあって、読めばなるほどとは思うのだけど、実践してみるといろいろと難しい。今回はそれを一人ではなくみんなで一緒に考えてみたいと思ったわけです。脚本分析ゼミという名前だけど、読解クラスと言うよりは、俳優がどのように演技を組み立てるのかという視点からシーンを分析する感じ。

 「俳優のためのハンドブック」(原題:A Practical Handbook for the Actor

今回はこの本を参考書として使用。全8回で何とか全部読み通しました。この本の良い点は、タイトルにハンドブックとあるように、演技するプロセスをとても実践的に解説している点、そして薄くて読み易い点。アメリカにいた頃に読んだ本で、僕が2年間通ったネイバーフットプレイハウスという演劇学校の卒業生でもある劇作家・演出家のデイビッド・マメット氏のワークショップを教え子たちがまとめたものです。マメットは日本ではそれほど有名ではないけど、米国演劇界では大御所さんです。わかり易い英語で、例も多用しながらマメットの提唱する演技法を解説しています。今回のゼミでは、日本語版を使いながらも、原本を参照して色々と注釈を加えました。シンプルな英語で書かれてはいるものの、英語ネイティブ向けの本なので、米国の演技クラスで使わる独特の言い方がたくさん使われています。そのニュアンスを限られた語数で翻訳するのはむずかしくて、かなりの部分は口頭で補足しました。

例えば、「Be in the moment」「Be Specific」「Work off your partner」はよく使われるフレーズで、それぞれ「その瞬間にいる」「具体的であれ」「相手役から刺激をもらって演技する」みたいな意味です。シンプルな言い回しだけど、文脈によってちょっとずつ違う意味合いもあり、実際に意識してみると腑に落ちるまでにはなかなか苦労しました。瞬間を生きるって、実際には何を頼りにそこにいようとするのか?具体的ってどう言うこと?何が具体的なの?自分に引き寄せるの?相手から刺激をもらうって?などなど一つ一つごつごつ考えてみた。

f:id:eigabigakkou:20210107142944p:plain脚本分析ゼミ 講義風景

分析対象として使用したのは、平田オリザ作の「隣にいても一人」です。最後まで分析する予定でしたが、結局やれたのは1場だけ。思った以上に時間がかかったのは、見積もりが甘かったのと、現代口語の戯曲をスタニフスラフスキー的な「すべての行動には目的がある」という考えで分析するのは結構難しかった。一見派手なイベントが起きていない場の流れをどう解釈するのか。ある意味、チェーホフの戯曲を分析するようで個人的には楽しめたけど、参加者には少々申し訳なかったです。

この苦行のようなゼミに1期生や複数の期の修了生、約10名が参加をしてくれた。コースを修了してからも、こうしてまた学びの場に戻って来てくれたことがとても嬉しいです。美学校で演技を始めた人、会社員として働きながら演技を学んでいる人、現代演劇の最前線で活動している人など様々な修了生たち。演技に興味を持ったきっかけは色々でも、生活の中に継続して学ぶことが浸透している感じがして嬉しくなります。俳優という仕事への関わり方に関わらず、演技を学ぶことを通して日常が少しでも違って見えたら良いなあと思ってます。

f:id:eigabigakkou:20080226154350j:plainニューヨークで所属していた劇団Collision Theoryの『Time /Bomb』の舞台写真

僕の場合、演劇を始めたきっかけは膝の怪我でした。バスケットボール部の練習中に膝を痛め、1年以上バスケットが出来なかったから、演劇部に入りました。演劇部を選んだ理由は毎日練習していたから。毎日練習がある生活に慣れていたので毎日練習する文化部を探したら、吹奏楽部と演劇部、そして化学部(実際には麻雀クラブ)のみ。楽器は出来ないし、麻雀も弱い、でも映画は大好きだったので演劇部へ。男子は1年生の自分と2年の先輩一人だけ。他に1年女子が5名、2年女子が1名。その後、大学の演劇サークルに入り、大学卒業後に米国のアイオワ大学の演劇学科へ編入して1年間通いました。大学では、舞台美術、シェイクスピア、脚本分析、演劇の歴史、演技I、ムーブメント、などなどいろんな講義を取りました。が、大学での勉強量多さに挫折して、ニューヨークの演劇学校に入り直しました。そこで2年間マイズナーテクニックというメソッド演技の一つを勉強しました。演劇学校は毎日9時から4時まで、マイズナー、ヴォイス、スピーチ、歌、バレエのレッスン。あんなに集中して一つのことを勉強したのは多分これが最初で最後かも。

どうしてわざわざアメリカまで行って演技を勉強したのか?
理由は演技を体系立てて学んでみたかったから。演劇サークル時代に思い切った演技ができず、ギャグとかも苦手で、演技ってどうすれば上手くなるのか悶々としてました。だから、そんな自分もちゃんと勉強したら演技が上手くなれるかもと思ったわけです。

f:id:eigabigakkou:20080226155052j:plainCollision Theoryの『Abduction Projectのキャスト・スタッフのグループ写真 

3年間演技の勉強をして、思っていた成果は得られたのか?
よくわかんないというのが正直なところ。演劇学校を卒業した後も機会があれば、いろんなワークショップに参加してみました。Viewpoints、スズキメソッド、ルコックシステム、モダンダンス、タップダンス、シーンスタディー、インプロなどなど。どれも極めたとはとてもじゃないけど言えないが、いろいろな考えに触れたことで、演技のプロセスを言語化することには慣れたし、いろんなやり方があっても良いと実感した。同じ山頂を違うルートで目指している感じかも。 

僕の場合、やり方なんて何でも良いかもと思えるまでにかなりの時間と移動距離がかかったわけですが、美学校生を羨ましく思うのは、最近はアクターズコース以外でもいろいろと学ぶ機会があること。そして、フィクションコースもあるので学んだことをすぐに実践する場もあるし、製作者と一緒に学ぶ場があること。ひとりで出来ることは限りがあるし、心挫けそうになるので、一緒にやれる仲間を見つけることは俳優続けるための重要な要素だと思っています。その仲間をこれから監督、脚本家などになる人たちの中から見つかられるのは本当に羨ましい。

f:id:eigabigakkou:20210107144141j:plain徒然なままに長々と書いてしまったのでこの辺でおしまいにしたいと思いますが、最後に厚かましくも宣伝を。
3月31日から4月5日に「更地の隣人〜夫が生きてることを願う女と、妻が死んでることを願う男〜」(作・演出:平松れい子)という作品をアトリエ春風舎にて上演します。ここ数年、平松さんとビューポイントのワークショップで短いシーンをたくさん作ったのですが、今回、平松さんがそれらのイメージを基に戯曲を書いてくれました。そこで、10年以上ぶりに重い腰を上げて自ら企画して上演することを決めました。最後にこれを書くとなんだかヤラセ記事みたいだけど、今回の企画立ち上げのきっかけは美学校修了生たちだと思います。先日のミームや修了生が主宰するビューポイントワークショップ、映画や舞台での修了生の活躍。皆さん、俳優だとか演出家だとか、ジャンルや形式とかを軽々と超えていてすごいなあと元気をもらう日々です。自分もこの自由さに20代の頃に触れたかった。現在、9期までで100人近い修了生がいて、彼らの活動を見ていたら自分でも何かをしてみたくなった?かどうかはわかりませんが、間違いなく影響を受けています。だから、皆さん、観に来てね。現場からは以上でした。2021年もよろしくお願いします。

 

近藤 強(こんどう つよし)
1971年生まれ。愛知県出身。三重大学人文学部卒業後に渡米、ネイバーフッドプレイハウス修了。2007年に帰国し、青年団に入団。レトル所属。
青年団以外にはウンゲツィーファ、玉田企画、犬飼勝哉などにも出演。映画:『ミッドナイトスワン』(2020/内田英治)「あの日々の話」(18/玉田真也)『ジェファソンの東』(2018/深田晃司)など。
俳優活動以外には、舞台通訳、企業研修ファシリテーターとしても活動。

http://tsuyoshikondo.com/

Demo Reel/デモリール 近藤強 - YouTube

  

構成:浅田麻衣

高等科生の現在/アクターズ第7期修了・釜口恵太さん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第三弾はアクターズ・コース7期を修了した釜口恵太さんです。釜口さんは、現在開講中のアクターズ・コース高等科のTA(ティーチング・アシスタント)もされておられます。

※マークは、現在アクターズ高等科で開講中の講義です※

——今回、アクターズ・コース高等科のTAをされているかと思うんですが。基本受講生の立場ではなく、TAの立場でやっているんですかね?

釜口 そうですね。基本TAの立場なんですけど、古澤(健)さんの講義と近藤(強)さんの講義、山内(健司)さんの講義は途中からですけど、その3つはちょっとずつ参加してって感じですね。

——じゃあ基本見守るスタイルで。

釜口 そうですね。竹内(里紗)さんの『断片映画制作ゼミ』と、『俳優レッスン※』は見守っている感じですね。

——印象的だった講義、ありますか?

釜口 古澤さんのゼミが『映画の生成過程を観察・体験する』っていうゼミだったんですけど。古澤さんが今年の2月に撮った映画の台本(『キラー・テナント』)を元に講義をしたんですけど、「映画の作者は誰だろうか?」っていう問いから始まって。多分日本の法律的には脚本家のものらしいけど、世間は、「監督のものだ」みたいにおおよそ認識をしている。でも実際作ってみると、古澤さんは脚本も監督も編集も自分でやってたりするんで、自分の中でも3人くらい人格があって、みたいな。あと、現場で俳優さんが持ってきたもので、「あっそっちかも」って思って乗っかってやることもあるから、厳密に(「映画の作者は誰か」)いえるものではないっていうことがあって。
 で、その2月に撮った時に、主役の石川(雄也)さんって方が、ファーストシーン、その映画の一番最初に撮ったカットで、思いもよらぬ演技を持ってきてくれたって古澤さんが言ってて。それがどうしてそういう演技に至ったのかを知りたい、ということで、みんな(受講生)は、台本もらってからどういう準備をして、どういうふうに読んだり、どういうふうにヒントを得たりして現場に臨むのかっていうのを話し合って。‥‥「映画を掴んでる」って言ってたんですけど、古澤さんは。そのファーストシーンで「石川さんはこの映画を掴んでるな、この人に乗っかっていけばなんか自分もこの映画を掴めるかも」っていう気持ちになって、現場にどんどんのっていけた、みたいなことをおっしゃってたんですけど。それって一体なんだろうね、っていうことを言語化して、みんなで考えたい、僕も知りたい、みたいな感じでやる講義で。それがすごい面白くて。僕もすごい興味があることだし。やっぱり現場で思いついちゃったり、台本を読んでる時には考えもなかったことが出てきちゃったりすることがたまにあるよな、でもそれってなんだろうなって。自分の中でも言語化できてないところがいっぱいあって。それを言語化して、いかに掴めるかな、みたいなことを思ってたんですけど。
 その講義が1週間に1回ずつあるんですけど、その間に『アクターズ・ラボ※』だったりがあって、色々な人の話を聞いて。『フィクション・コースを知る※』っていう講義で、受講生が兵藤さんに「演劇と映像の演技ってどういうふうに使い分けてますか、どういうふうな違いがあると思いますか」みたいな質問をしたのかな。そしたら兵藤さんが「映画は分からないまま、やる、かもね」みたいな話をされてて。「あっそれすごい分かるかも」って思って。古澤さんの講義も受けてたから、すごいそこが繋がったりして。そこが同時進行の賜物だなって感じがしましたね。他に、山内さんの講義でも安部公房だったり、山崎努の文章を読んだりしているところで「あっ古澤さんが言ってたことかも」って引っかかったりして。それがすごい面白いですね。

——分からないままやる、か。映画の方が演技の余白が多いってことなんだろうか?

釜口 なんでしょうね。現場に入って、「あっ今日この部屋でやるんだ」とか、「こういう机なんだ」「こういう椅子の質感なんだ」とか、現場で分かったりするじゃないですか。そこに、委ねてやる、みたいな。そんなに稽古もできないじゃないですか、撮影って。リハーサルがあまりできないから、その瞬間瞬間の出会いみたいな。自分の芝居がどうなるかとか、どういうふうな声が出るかとか分からないけど、まあやってみる、みたいな。それが、「分からないままやってみる」っていう意味だと思ったんですけど、僕は。演劇だと結構稽古とかあるじゃないですか。「ああ、こういう机で、こういう椅子で」とか。小屋入りしたら違うこともあるかもしれないんですけど。でも大体小道具とかあって。それをひたすらやって、再現性を増すみたいなことがあると思うんですけど。映画は、分からないけどそれに乗っかってやって、そこに生まれるもの、偶然性とか‥‥古澤さんが「あっ、なんか撮れちゃった」みたいな感覚があったりすると面白かったりする、みたいなことを言ってて。映画のお芝居って、同じ芝居を色んなカットから撮ったりするじゃないですか。それを気にして、同じように手を動かしたり、同じような調子でセリフを言ったりしないといけないっていう、縛られがあるじゃないですか。それも大事、カットを繋げる上では大事だと思うんですけど、それも足枷になってるんじゃないか?みたいな話もしてて。それは今までの映画の撮り方としては大事なことだったかもしれないけど。映画って本当にその撮り方なのかな?みたいな。それすらも古澤さんは、疑問に思ってて。
 先日テレビを見てて、武田鉄矢さんが、『(3年B組)金八先生』のドラマの撮影のことを話してたんですけど。武田鉄矢さんが長台詞を言って、生徒たちが泣くっていうシーンだったらしいんですけど。そんなに演技経験もない子たちだから、泣かせられないだろうって。実際本番でその長台詞が終わったけど生徒たちが泣いてないから、ガンガンアドリブで自分で台詞を足したらしいんですよね。そしたら金八先生自身が泣いてきちゃって、それを見た生徒たちが泣き始めた、みたいなシーンがあって。それでチーフのカメラマンさんも泣けてきちゃったらしくて、手が震えちゃったんですって。それで映像が震えてるらしいんですね。で、「カット!」ってなって、芝居が終わって。でも、芝居すごい良かったけど、カメラ震えてたから「もう一回いきましょうか?」ってプロデューサーが言ってきて。そしたらカメラマンが「ふざけんじゃねえよ!」みたいな。「手が震えてたっていいんだよ!撮ってる人も泣いてるんだろうが、見てる人も泣いてるんだよ」みたいな。「これで文句言ってくる奴がいたら、そんな奴は見なくていい」みたいに言って、そのシーンが使われたらしい、まあ使われたかどうかは僕は(ドラマを)見てないから分からないんですけど。その話を聞いたりしたら、その(『金八先生』の映像は)「撮れちゃった」って感覚がすごい強い映像だと思うんですけど。映画は監督のもの、演劇とかはよく役者のものっていうじゃないですか。舞台は俳優のものって。そういいますけど、映像は、編集だったり、音楽だったりで別物になってくるけど、そういう、一回性の何かが生まれた時は、そのシーンは俳優のものになるな、とその話を聞いて思って。だから、カットを繋ぐために同じ芝居をするみたいな意識も大事だけど。そういうのも、うまい調子で抗えたらいいなーという気持ちがあります。‥‥ごめんなさいなんか、全然まとまりがないですけど。余白みたいな気持ちもすごい分かります。

f:id:eigabigakkou:20201219220329j:plainアクターズ・コース2017年度公演『S高原から』より

——私、釜口くんの演技って水のようだなって思ってて。フラットに現場に入って、柔軟にその現場で演技を変えられる印象があったんで、そういう抗いたいなっていうのがちょっと意外に思いました。「演技する上で、自分自身で縛りを与えてたな」とかありますか?古澤さんの話を聞いたりして「これまでこうだったなー」みたいな。

釜口 僕が行ってた大学が、映画の実習とかあるような大学だったんで。スタッフ目線で教える大学だったんですけど、僕はそれで、スタッフ目線が身についてて、やっぱり。同じように動くのがいいんだ、そっちが正解なんだ、って思ってたんですけど。そこまで縛られなくてもいいんだな、ってことに気づけたっていう感じでしたね。講義で。でもやっぱり繰り返すことは求められますからね。‥‥でも、水のよう、確かに。あまり固めないですね。

——逆に私の知人は、自分の自我がスクリーンを通して見える人が多かったんですよ。そういう人が身近に多かったから、釜口くんの演技は結構衝撃的で。大学から演技は始めたんですか?

釜口 そうですね。演技は高校卒業してからですね。

——大学とアクターズ・コースってやっぱり違いますか?

釜口 そうですね、全然違いますね。僕が行ってた大学では、東京乾電池の人が、俳優の人が教えにきてくれてたんですよ。俳優の人が教えるっていう点では同じだったんですけど、でもなんか、乾電池は全然違う(笑)。それまで鹿児島で、青年団のことも知らないし、演劇にそんな種類があることも知らないし。僕高校卒業してから一年くらい浪人してて、その時に鹿児島の劇団でちょっと勉強させてもらってたんですけど。その人たちはつかこうへいが好き、とかラーメンズが好き、とか。そういうことは知ってたんですけど、そういう、演劇に種類があるとか、東京乾電池の人がどういう人かも分からず大学に入って。なんだこれは?みたいな。ペットボトル床に置いて、「みんな見てこれ?いい佇まいだよね」って言ってて。はぁー、みたいな。これが演劇なのかな?みたいな感じで。それはそれで面白かったんですけど。
 それから、(劇団)サンプルのミエ・ユースに行って松井(周)さんと出会って。僕は大学時代「俺がしたい演劇じゃないかも」と思って色んなところに顔出してたんですけど、その一つに早稲田大学の演劇サークルが新人募集をしてて、ちょっと行ったりしてて。すごいパワハラの巣窟みたいなところだったんですけど。怒鳴るのは当たり前、みたいな。僕は無理だったからすぐやめちゃったんですけど。「でもそういうもんなのかな?演劇」って思ってて(ミエ・ユースに)行ったら全然違ってて、松井さんは。1ヶ月くらい向こうに滞在して、25歳以下の人たちとクリエイションしたんですけど、それがすごく楽しくて。今までこんなに人とコミュニケーションうまくとれたことがあったろうか?っていうくらい。水を得た魚のようだったって、今思うと。すごい楽しくて、それを追っかけてここ(アクターズ・コース)に入った感じですね。7期の頃はまだ松井さんの名前が載ってて。
 それで入ったら、「こういう人たちがいるんだ」っていう。現代口語っていうお芝居もそこで知ってすごい好きだったし、青年団っていう存在をまず知ったっていうのと、演劇界にこういう風潮があるよね、よくないよね、って思っている人たちがちゃんと大人たちにいるんだって思って、すごいそれは嬉しかったですね。とはいえ他の現場では全然あるっていうふうには聞くんで。パワハラみたいなことは。この時代になっても。

——7期の修了公演の脚本は平田オリザさんの『S高原から』で演出は玉田(真也)さんですよね。

釜口 そう、その時に玉田さんの名前も知って、どういう人だろうってアトリエヘリコプターで『今が、オールタイムベスト』の初演だったんですかね。あれを観て、びっくりして。こんなに面白いのがあるんだって。

——アクターズ・コース入って、「ここが変わったな」ってところあります?

釜口 さっき言った「こういう大人たちがいるんだ」って思ったところですね。圧力きついな、とかチケットノルマしんどいな、とか。そういう自分みたいな思いを持ってやってていいんだ、というのはすごい励まされたというか。こういうふうに演劇やってていいんだな、っていう。まあ食っていけるかどうかは別ですけど。でも演劇をやっていく上では、「あ、いいんだな」っていう。どういう考えでやっててもいいんだな、っていう気持ちはすごい後押しされた気はしますね。

f:id:eigabigakkou:20201219220730j:plainフィクション・コース第21期初等科&俳優養成講座2017 ミニコラボ実習作品
高橋洋監督『
アウグスト・
ストリンドベリ全集 生霊人間』より

——出演以外に、自分でなんか書いたりとかしてます?

釜口 してないですね。

——それはあまり興味がない?

釜口 ちょっとあるんですけど。‥‥ちょっとあるんですけど、全然書けないっていう段階ですね。一応今、一人芝居をやりたいと思ってて。台本を書くにあたって、自分の材料を集めてる段階っていう感じです。でもこれは、いつまでも続けられる作業だから、材料を集めるっていうのは。だから、なんかダラダラやっちゃいそうですね。

——私もここ数年、搾取されるのと、「選ぶ、選ばれない」って構図が本当にしんどいなと思って、もう自分で書いたりした方が早いんじゃないか?と思って。オーディションとか行ってます?

釜口 最近コロナとかで行ってないですけど、行ってましたね。アクターズ入る前にめちゃめちゃ行ってた感じです。ワークショップとか。アクターズ入ってからは、そんなに行ってない感じですね。選ぶようになりました。やっぱり、ノルマだったりあるところは徹底的に外して、みたいな。

——チケットノルマ!そう、最近関西時代の友人と話してて、「自分は搾取されてないように思えてても実は搾取されることってすごい多いのでは?」と思うことがあって。でも、そう思うとどうやってやっていけばいいのだ?という。

釜口 資本主義社会から絶っていかないと、みたいな(笑)。

——そこかー(笑)。でも海外のこととかも高等科で勉強してて、そういうのをちゃんと踏まえていけば搾取されないのでは?と思うんだけど、難しいなと。それを考えるには仲間がいたらよりいいなとは思ってるんだけど。釜口くん、フィクション・コースの人たちの映像によく出演してますよね。

釜口 そうですね、同期の21期の人たちとは、仲良くしてますね。

——彼らとクリエイションという方法もいいのかもしれないですね。

釜口 そうですね。でも、やっぱり呼ばれる立場ですもんね、それも。

——呼ぶくらいになる方が面白いのかなとも思うけど、主宰と非主宰っていうところでまた何か生じてしまうのだろうか。同じ立ち位置でやりたいなと思いますね。

釜口 難しい。搾取か。

——あれ、海外に行かれるっていうのをコロナ前に風の噂で聞いたのですが。

釜口 そうです。留学したかったんですけど。お金貯めてたんですけど。この状況で親も心配みたいで、ワクチンができないと行かせないって言われて。

——行くとしたらアメリカですか?

釜口 そうですね、最終的には。でも全然英語勉強してなくて、今。日本じゃやる気が起きなくて(笑)。英会話教室とか行ったんですけど全然続かなくて。バイトが忙しい時期もあったんですけど、すごい色々(予定を)重ねちゃって「ああ。もう無理!」ってなって。もう現地に行って、困らないと勉強しないだろうと思って。だから最初はフィリピンに行って、語学留学をして、そこからお金貯めつつもっと英語に慣れようと思って、カナダにワーホリしようかな、みたいな。一年くらい。その後にニューヨークの演技学校に行きたいなって感じなんですけど。まあ、でも、絵空事です。

——いやいやいや!(笑)。

釜口 (笑)。

——でもコロナになって、色々ずれこんじゃったとなると一気にアメリカに行った方がいいのかしら。

釜口 本当は今のうちに勉強しといて、ワーホリせずにバッと行くのがいいと思うんですけど。

——‥‥今、勉強する気起きます?

釜口 起きないです。本当やってる人がいるとすげえなって思っちゃいます。

——緊急事態宣言の時どうでした?

釜口 もう、家でただただ凹んでましたね。Netflixがなかったら、僕の今はなかったです(笑)。

——本来なら今年行く予定だったんですか?

釜口 そうですね。6月にフィリピン、3ヶ月フィリピンで勉強して、本当だったらもうカナダにいます。本当だったら僕今カナダだったんだ‥‥

——それはもう凹みますな‥‥

釜口 本当にそうなんですよね。だからちょっと、空白というか宙ぶらりんな気持ちになってて。バイトしてお金貯めなきゃと思ってたんで、去年から舞台でたりとか、映像の出演とかもしないようにしてて。だから、予定も全然なかったし、緊急事態宣言が終わって6月以降も、演劇もあまりできないまま日本にいる俺、何?みたいな。何してるんだろうな?っていう気持ちになって。でも周りの人たちはなんか、Zoomでも演劇やったり、ラジオとかもやってたり、いろんな取り組みをしてる人たちがいて。でも全然そういう気持ちになれなくて。観る気にもあまりなれなくて。でもきっと、比べるのもあれですけど、同じような気持ちの人もいたんだろうなって思って。なんとか今はアクターズ・コースの高等科にいることで前を向けている感じです。

——それまで海外は行ったことなかったんですか?

釜口 行ったことないんですよ。初でした。パスポートも取って、よし、と思ってたら。

——それは辛い‥‥でも、もはや懐かしいですね、小劇場で客席が満席で、誰もマスクつけてないっていう状態。あれが今や奇跡みたいなことだったんだって思いませんでしたよ。

釜口 本当に。日常でしたから。

f:id:eigabigakkou:20201219221233j:plainダダルズ『顔が出る』(2019/7/14-18 作・演出:大石恵美)より

——今年の3月以降、舞台やりました?

釜口 やってないですね。ワークショップには行ったんですけど。やっぱり舞台、立ちたいですね。

——私今月、松井(周)さん脚本の舞台観に行きますよ。

釜口 あっ、『てにあまる』。いいなあ。僕本当予定管理をミスって。TAともう一個のバイトと入れすぎちゃって、カツカツなんですよね。本当になんか、多分反動なんでしょうね。3月、4月、5月の。やったるぞ!みたいな気持ちが先行して、疲弊するっていう(笑)。

——じゃあ、コロナが落ち着いたら海外に。

釜口 絵空事です(笑)。

——あらら。気持ちが変わったんですか?

釜口 行きたいみたいな気持ちはあるんですけど。本当に、何年後?みたいな。行ける想像がついてなくて、今。だから日本でどうやって生活していこうか、みたいなことのほうが関心としては大きくて。東京でバイトしてもさもしいな、みたいな気持ちがすごいあって。演劇できてないからだと思うんですけど。多分演劇できてたらそんなこと全く思ってないでしょうけど、演劇できてないし、なんか無為に日々を過ごしている感じがして。アクターズ・ラボで昨日菅原直樹さんって方の話を聞いたんですけど。菅原さんは岡山で演劇をやっていて、全然地方で演劇やってる人はやってると思ったし。なんか、地方でのんびり暮らす方が性に合うかもしれないな、みたいなことも考えてて。わからんですね、なんか。ぐちゃぐちゃしてます、最近。ゆうて、だらだら三年間東京にいるんでしょうけどね。いやでもなんか‥‥なんか自分でいうのも恥ずかしいですけど、だらだらうだうだしてるのが苦手、みたいな。していたくない、みたいな気持ちがあって。だから本当になんか、海外に行けないんだったら、どこか地方で短期のバイトでも、住み込みでも気分転換にやりたいかもしれないですね。いやごめんなさい、今思いつきで言っちゃった(笑)。

——じゃあ、そんなに土地にこだわりはない感じなんですか?

釜口 そうですね。あの頃、高校三年生の僕は百田夏菜子と結婚するために俳優やるっていう目的だったから、東京しかなかったんですね。でも今、それもないですし。幸せに暮らしたいからっていう気持ちが強いんで。演劇もやりたいんですけど。

——もう結婚する気持ちないんだ‥‥。SPACとか鳥の劇場とか、あちらは考えなかったんですか?

釜口 そっちの方が楽しいかもっていう気持ちはあります、今。でも今は一番熱いのは豊岡だと思うんですけど。演劇際も毎年あるだろうと思うと、一年頑張れるだろうなって思って。出ないにしろ。観れると思うと。

——2回くらい鳥の劇場に芝居を見に行ったんですけど、東京とは全然客層が違って。その時は『葵上』を観たんですけど、ほとんど地元の方々だったんですね。そういうのって個人的にすごくいいなと思って。東京は若干飽和状態ではあるから。

釜口 地方の全然演劇普段観ないような人が、劇場に観に来るっていう点では、垣根がすごい低いなっていう気持ちが。東京だと本当、観る人は観るし、観ない人は観ないっていう感じがあって。昨日菅原さんが、岡山で「介護演劇」、街の人も巻き込んでやってて。街の人たちは普段そういうこと全然しないもんだから、すごい乗り気でやってくれるって言ってて。そういう、地域に根ざしてたり、演劇を外に向けてやってるっていうことがすごくいいなあと思って。東京じゃ演技をする目的みたいなものが「自分」になってる気がして。いいな、ってすごいシンプルに昨日思っちゃって。だから、うん、地方いいですね(笑)。

——地方に役者がどーんと行ったらいいんですかね。集団移住みたいな。でもそれはもう劇団か。

釜口 それでも、向こうで生活して。たまにこっち来れたらいいですよね。楽しそうだな。

——地方なんですかね。

釜口 地方ですかね。

——やっぱり勉強という意味では東京は適してると思うんですよ。

釜口 そうですね、いろんな映画館もあるし劇場もあるし。

——まあ最近、勉強って何?っていう気持ちもあるんですけど。いや、勉強しなくちゃいけないんですけれども。

釜口 分かります。普通に楽しみとして観ていいと思うんですよね。勉強ってなると気持ちが重くなっちゃう。

——出会い、ということだといいのかもしれないですね。じゃあもし、地方でやるとしたら映像というか舞台?

釜口 そうなりますよね。でも暇すぎて、映像もやるかもしれないですよね。楽しそうだし。昨日菅原さんも言ってたんですけど、東京だと椅子取りゲームの椅子が埋まってるから。でも地方に行くと、そのプレッシャーがないから楽しめる、楽しく創作ができるって言っていて。だから本当に、地方に行ったら何でもやれそうだな、と。やれるか分からないですけどね。

f:id:eigabigakkou:20201219221113j:plain加藤紗希監督『泥濘む』より

——アクターズ高等科終わったら何します?

釜口 古澤さんの講義で、話に出た石川さんっていう人はVシネとかによく出てて。もう20年くらいいろんな作品に出まくってるっていう話を聞いて、あっ、それ楽しそう!と思って。演技ができてお金ももらえるんだったら、それでもいいのでは?という考えも出てきて。今とにかく演技したいっていう気持ちが強くなってるから、そういう気持ちになってるんですけど。それで探してみたら、スタッフ兼役者募集してる、みたいな。日当15,000円でVシネの会社が募集してて。でもそれ、ボロ雑巾みたいに制作部として使われて、一瞬出演くらいの気持ちで思ってるんですけど。でも普通に居酒屋でうろちょろするよりは、現場でうろちょろしながらカチンコ打った方が、僕は楽しいかも、と思っていて。わかんないですね、本当。パワハラが酷い現場だったらしんどいし。

——もしかしたらはびこってるかもしれないですね‥‥

釜口 そうですね、だから募集もしてるんだろうし。

——じゃあ今は、とにかく出演したいんですね。

釜口 なんか大袈裟な演技好きだから、変なリアクションとかとったりしたいし。ずっとやったら飽きるかもしれないけど。

——週1とかだったらいいかもしれない。

釜口 ほんと、バーンとか撃たれて、「なんじゃこりゃあ!」みたいな芝居が楽しそうだなって(笑)。まあでも、他‥‥他の候補はまだ考えてないです。

——Vシネだけ?(笑)

釜口 Vシネだけです(笑)。でも、夏とかの泊まり込みとかも行きたいですね。沖縄とか。もうなんか、人生を楽しみたいっていう気持ちが強いですね(笑)。気分転換がしたいんですかね。

——わかる。知人が、昔劇団でドイツとかで芝居を打ってたんですけど。やっぱりうらやましい!って思いますね。当人に聞いたら、「そんな、公演で行くからゆっくりできないですよー」とか言われるんですけど。

釜口 うわあ、行きてえー!いいなあ。絶対楽しいですよね。もう、国内でもいい。ツアー公演したい。

——そうなると、劇団になっちゃうんですかね。あ、でも昔一人芝居フェスで国内回るっていう企画があったんですよ。

釜口 あ、いいですねそれ。そっか、一人芝居でその道があるんだったら希望がありますね。やりたくなってきたな。

——演出家を捕まえて今のうちに作っておくのはアリかもしれないですね。まあ演出家を捕まえるのも大変だから、自分でやれるのがいいのか‥‥?

釜口 DIYかー(笑)

——結局いつもその結論になってしまう!

釜口 本当今、TA業でバタバタしてるんですけど。終わったら、作ります!(笑)

——おお!

釜口 作ります!3月以降、作ります!宣言しよう。

釜口恵太(Kamaguchi Keita)
鹿児島県出身。好きな食べ物はカレー、麺類、甘いもの。
出演作に小林瑛美監督『ワンダラー』、加藤紗希監督『泥濘む』、高橋洋監督『宇宙の裏返し』、ダダルズ『顔が出る』等。最近の出演作は「釜口恵太の婚前ネゴシエーション

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 2020/12/11 インタビュー・構成:浅田麻衣

「映画の生成過程を観察・体験する」/山田薫さんインタビュー

今回は「実技ゼミ」のうち、古澤健さんが講師を務める「映画の生成過程を観察・体験する」ゼミについて、実際に講義を受けているアクターズ・コース9期修了生の山田薫さんにお話をお伺いしました。

「映画の生成過程を観察・体験する」(古澤さんのゼミ説明より)

映画の生成過程を追体験することで、台本からどのように演技を組み立てるか、またその演技がどのように映画を作り上げていくかを議論していきます。教材としては、古澤の最近作で使用した、実際の台本・撮影録音素材および完成映画の一部を使用します。台本の読み合わせ、受講生各自の撮影による演技とラッシュの演技の比較をすることで、俳優ごとの台本の読み方の共通点と差異を議論します。さらに実際に各自に撮影録音素材を渡して編集も体験してもらいます。提出してもらった各自の編集ラッシュと、完成映画の当該場面を比較し、どのように演技が監督や編集部「見られるか」について議論をし、映画の中で演技が占める役割について考えてみます。ゼミを通じて考察したことについてのレポート提出があります。

f:id:eigabigakkou:20201213132209j:plain 山田薫さんプロフィール写真
——「生成過程を観察・体験する」というゼミなんですが。そもそもどういうゼミだったんですかね?

山田 昨日5回目(最終講義)が終わったんですけど。古澤さんも、「映画とはなんぞやっていう講座だったんだけれども、結局自分自身が映画っていうものを把握していない」みたいな結論で終わって(笑)。「映画を丸ごと理解する」みたいなところから、始まったんですが。

——それは哲学的なこと?どういうこと?

山田 「映画の中の演技」みたいなものが1つの柱としてあるのかな、講座の中で。舞台と映像でどう演技が違うかみたいな話がスターティングポイントの一つでした。ベースは古澤さんが今年撮った映画(『キラー・テナント』)を使って。それは石川(雄也)さんっていう男優を主演で撮ってたもので、撮影時に彼の演技を見て、古澤さんが「これだ!」て思ったらしいんですよ。もう、惚れ込んじゃう感じで。で、石川さんがそんな演技を披露できたのはどういうことだろうね、って。

——難しい。石川さんが演技をされている姿を見て、どこに感銘を受けたのかっていう点を話し合うっていうことですかね?

山田 あ、ううん。古澤さんからは「なんで石川さんが、あの時あんないい演技をしたんだろう、その、良い演技を引き出すにはどうしたらいいんだろうね」っていう話だった気がする。

——監督目線からの視点で。

山田 古澤さんは監督として、(俳優が演じやすい環境作りのために)本読みもちゃんとやって、役者さん同士でリラックスできるように顔合わせの時間をちゃんととって、とか最近そういうトライをしているらしいんですよ。それ以外にも、多分役者さんからも何かできることがあるんじゃないの?っていうところで。そういう現場側の用意以外に役者さんができることとして何があるか追求しようと。
 でも俳優は撮影時、シーンとシーンのつながりとか考えちゃうじゃないですか。そうすると役者さんがどんどんなんだか萎縮しちゃうように監督として感じたみたい。‥‥古澤さんに「違う」って言われるかもしれないけど。で、萎縮しないで、アドリブでもなく自然体で面白いものを役者が出せるようにするには、どうする?っていうところで「映画っていうのを丸ごと理解する」みたいな話に至った?いや、「そもそも丸ごと理解するっていうのは何なんだろうね」っていうのを講義の中でやっていた気がします。

——‥‥難しいですな。

山田 ごめん、まだよく分かってないんですよ。ちょいちょい出てくる古澤さんのキーワードで、一瞬「ああっ!」って思うんだけど、そこはマクロな話で。講座のテーマはもっと壮大だから。ちょっとずつ進みながら、立ち止まって吸収して、みたいな講座でした。例えば「この本もいいよ、この本もいいよ」って古澤さんが教えてくれた本の中に、福田恆存の『演劇入門』があって。「そういうことだと思ってない?映画作りって」「とりあえずカットだけ撮るために、この動きさえすればいいみたいなもんだと思ってるかもしれないけど。確かにそういう面もあるけれどね、でも違うんだよ」っていうことを古澤さんがおっしゃって、「君たちはどう思う?」って意見を交わすかんじ。

——最後の締めとしては、映画とはなんぞやってことだけど、古澤さんご自身もまだ把握しきれてないってところだったんだよね。

山田 うん。映画って今でも進化系だし、進化系っていったら映画館がそもそもなくなっちゃうかもしれない、このコロナ禍の影響で。みんなスマホとかで映像を見るようになったら、映画って形自体もなくなるかもしれない。映画っていうものができて、それこそまだ100年も歴史がないから、映画とはなんぞやって語れるほどの歴史がないし、みたいなこともおっしゃってた。‥‥なんか難しいな、何を学ばせてもらったのかうまくまとまらない。いや、面白かったんですよ本当に。本当に博学な方だから。
 あと「自分で語りたくなかった。みんなに考えてほしかった」っておっしゃることがあって。講義の時も古澤さんが一方的に喋ってるのを聞いてるって感じでもなかった。「じゃあ君たちはどう思う?一緒に考えようよ」ってなるんですけど。みんな「ん」って画面固まったりして(笑)。講義の中で、古澤さんが撮った映像を自分たちで編集するって言う試み、企画があって。それはなんでやるのかなって最初は思ってたんですけど、でもそれは多分、編集をどうやってやるかっていう学びでもありつつ‥‥それぞれ出来上がってくるものは違うじゃないですか。どこを切り取るか、切り取られるかっていうのは役者の演技次第っていうのがそれぞれの中で反映される。っていうのを分かって欲しかったんだろうなぁって個人的には思いました。

——じゃあ本当に、そういう編集の試みもあるけど徹底的に考えるっていう感じだったのか。

山田 うん、考える会。毎週本当に3時間どっぷり映画について語る会って感じだった。

f:id:eigabigakkou:20201213132339j:plainゼミで古澤さんが紹介した書籍:一部 

——例えば、深田(晃司)さんの講義(「俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜」)だったら、もちろんゼミの趣旨は違うんだけど、社会的に映画はどういう存在であって、文化芸術における映画の立ち位置とかを紐解いていくかと思うんですけど。古澤さんはとにかく、映画の中の俳優が占める位置とかをこの講義で考え続けたっていうことになるのかしら。でも、いい演技とか悪い演技っていう比較とか、そういう話ではないよね。

山田 違いますね。そこは多分、古澤さんの中で「正解はない」っていうのがあるからと思う。撮ってる現場と台本の中でのイメージ、撮影中のイメージ、そして編集の時で、それぞれイメージが変わるっておっしゃってたし。撮影時に良くても、編集の時点ではダメだとか使えないっていうのが出てくるじゃない?って思うと、いい演技悪い演技って言うのは一概には言えないので。じゃあ現場で「うおお、撮りてえ!編集でもこのシーンは使いたい」って思わせる演技と言うのはどこから生まれてくるのかっていうのを、追求する講座だったのでは?

——それ個人的にも知りたい。薫ちゃんは講義終わった現段階で、どういうふうに考えてます?

山田 多分、駒になるなっていう話なんだと思う。この前の、(「演技論演技術」で取り上げた)山崎努の話じゃないけど。言われた通りにこうやって動くんじゃなくて、まず本を読んで、どういう作品なのかって自分の中で作る。監督もこういうイメージなんだよってスタッフ、キャストにちゃんと共有しあう。で、現場で生まれる何かを吸収しながら役者は変化形で役を演じる。どんどん変化しながら作っていく柔軟さが欲しいって言うことなんじゃないかな。バチバチに決めて「これだけやりなさい」じゃなくて。話を聞いてたら、古澤さんが面白いと思う、こいつ使いたいなと思うポイントが、役者さんが無意識にやってる動きだったり、計算じゃなく‥‥「まぁ計算もあるのかな?」って言ってたけど、あと、自分がこう動くだろうと思ってたのにそれをしなかったときの動きとか、そういうのが面白い、使いたいって思うみたい、監督としては。
 だから、そういうふうに役者さんが動けるようにするにはどうすればいいのかなっていう感じで。それには、ものすごくリラックスできた現場を作るっていうのも多分あって。役者さんも気楽に自由に、あまり気を遣わず演ずることが大事なのかな。それこそ、すごい簡単な話でいうと、演技で、1回目で右から左へ動きをしたとしたら、2回目のテイクをする時も右から左へ動くじゃないですか。でもなんかそうじゃなくてもいいんじゃない?っていうくらいの話だった気がする。役に入っちゃったら。それは多分極端すぎる例だけど。

——今言った、シーンのつながりとかは役者が主体で考えるべきなのかな?って思ってましたね。特にアマチュアの現場だと皆バタバタしてるし、物の位置とかもみんなバタバタしてるから、自分で復旧させちゃったりとか。いや、本当はしない方がいいと思うんだけど。だからそうじゃなくてもいいってなると逆にそれはそれですごい変な感じになっちゃいそう。でも、確かにその域までいっちゃえば面白いのかもしれない。

山田 でも、そういうのを実際にやったら怒られそうだけど(笑)。

——怒られますよー(笑)。さじ加減もあるんでしょうけどね。例えば、反復できるまでその動作をやっておいて、その義務を考えなくてもいいところまでにしておくとか‥‥役者としてはそういうやり方もあるのかな。もうそれは演技の話になっちゃうけど。

山田 現場の雰囲気で「あ、こいつふざけてやってるんじゃない、真剣にやってる」ってなって、周りもちょっとそういうミスに気づかないくらい真剣になる時ってあるじゃない?熱くなる時。そういう状態を作るのはどういうふうに準備すればいいんだろうねっていう話だったのかも。その方法が分かるといいよねっていう話だったんじゃないかなっていう気がしてきた。

——それはすごく知りたい。考えたいところでありますね。狙ってできることでもないような気がするけど。相互作用というか、自分の力だけじゃできない気がする。ていうところをやりたかったのかしら?古澤さん。

山田 うん。古澤さんも、結論は言及していないんだけど、そういうことかも。(『キラー・テナント』主演の)石川さんが、衣装合わせの時に「ネクタイをしたい」って言って、それを「(首からシュッという動作)こうやって出すんだよ」って言うんだって。で、「何言ってるのこいつ?」って思ったけど「じゃあ、ネクタイ持ってくれば?」って。でも当日、現場でそれをやってるのを見て、「あ!」って思ったんだって。「あ、すごく面白いから使おうぜ」って。自分で書いて自分でイメージできてるはずなのに、役者さんが持ってくるアイディアでこんなに面白くなるんだっていうことがあるから、ぜひぜひ小道具とか衣装のことをちゃんと考えて欲しい、ってことも言ってた。監督さんや現場任せにするんじゃなくて、そういうことも役作りの1つ、みたいなこと。でもね、断言しないのよ。「これだよ」ってピシッと言ってくれたら私も「こう言ってたよ」って言えるけど、古澤さんは「で、君はどう思う?」って入るから。それぞれでちゃんと考えて、それぞれで答えを出してねってことなんだと思う。
 そういえば講座中に短いシーンだけど台本を読み合わせることがあって。で古澤さんが「どういう風に脚本を読んできたか?」って質問なさって、生徒それぞれ答えるんだけど、古澤さんて「面白い!それは気づかなかった。」とか自然に言えちゃう人だから、講座中にも新しい発見がたくさんあって。頭良すぎる人ってほら、黒か白かじゃないってことわかってるじゃない。自分で言ったことが100パー正しいっていうことは絶対ないってわかってる。古澤さんてそういう方。だから講座でも一方通行にならなくて、受講生がぽろっと言ったことで、「あぁ、そういうふうに思うのもあるんだね」みたいな感じでどんどん話が発展していくんです。古澤さんの中で元々予定していた講義の到着点は、きっとあったんだろうけども、そこじゃないところに着地したかもしれない(笑)。

——まぁ、着地点はそれぞれの心の中に、っていうことでいいのでは?

山田 実際5回の講座で分かるわけないじゃんて古澤さんも思ってるんだと思う。映画の中での演技っていうものを自分の中で温めて、広げていくためのスタートラインを用意したぜっていう感じの講義なんじゃないかな。

——良い場でしたか?

山田 いや、面白かった。うん。だって古澤さんだもん。古澤さんって、本当なんか辞書みたいな人じゃない。まぁ深田さんとかもそうなんだけど。てか美学校の講師の皆さん全員そうなんだけど。知識が、止めどなく溢れだす(笑)。一つのことからいろんなことに連想してつながっていくから、これだけ言っておしまいですって絶対にならないで、話が波紋のように広がっていく。だから面白かったですよ。何を教えたかったんだろうっていうことはまだ一言では言えないけれども、現場で役者さんが映像のためにうまく演ずるには何が必要だろう?っていうことを考えるきっかけをくれた。それは5回の講義ごときで分かるわけないよね、だからちゃんとお前らこれからも考え続けていけよっていう講座だった。と思う。‥‥でも本当に、着地しちゃいけないんだと思う。今でも映画は進化していて、結論は付けられない話だから。

——逆に、「これが映画だ!ドン!」って言われてもちょっと引いてしまうかも、私。その人にとってはそうなんだー、とはもちろん思うけど。

山田 人それぞれ色々考え方あるものね。

——ちょっと話変わるけど。私昨日、「演劇 東京 学ぶ」でググってみたんですよ。何が出てくるんだろうって。その中で、「半年間1日3時間で演技について深く知るワークショップ」みたいなやつがあって。そこに「こんなに深く演技のことを知れました!」とか、「演技ってこういうことなんですね!」とか、「悩んでたことがこんなにスッキリ!」とか書いてあって。うわあ、って思っちゃって。私自身は「分かるわけないじゃん」っていう出発点から始まってて、もちろん学んだり得た知識はあるんだけど、演技ってそういうことか?って思ってしまって。だから古澤さんのゼミの話を聞いてて、あと今の話を聞いてて、私自身は信頼を感じるなとすごい思って。

山田 手っ取り早く時短料理みたいに作って、「電子レンジで本場中国の味!」みたいなので満足できるか、それとも本当に、本場中国に行ってこの食材もあるんだな、あんな風に作ったりするんだ、こんな台所なんだー、とか学びながらやるのか、どっちが好きかっていう話かもしれない。

——レトルトはね、味は一緒だからね。同一だからね。

f:id:eigabigakkou:20201213132720j:plainウンゲツィーファガーデン/ミーム『窓の向こうシアター』一場面 

山田 全然話変わるんですけど、昨日兵藤(公美)さんのお芝居を見てきて。情熱のフラミンゴ。全然違うんですよ、兵藤さんが。『バッコス(の信女―ホルスタインの雌)』の時と。いやーもう、何つうの?沼ですね。

——ずぶずぶと。

山田 演劇っていうか、演技というか、沼だなーって。ハマったらもう、こうすればいいって答えは絶対ないだろうなーって。あと、古澤さんの講義を聞いて、言葉に変換できるものでもない気がした。

——おおー。‥‥考え続けるしかないんでしょうね。

山田 講義が終わって、自分たちは映画ってものをどう思っていたか、今回の講義で何を学んだかではなく、この講義を受ける前まで今映画というものはどうやって作られていたのかとか、映画に対するイメージはどうだったのかっていうのを書いてきてくださいっていう最後の宿題があって。多分振り返って、とにかく原点を振り返りながら進化していけっていうことなのかな?

——どう思っていたか。

山田 どう書けばいいのかなー。(古澤さんは)何が正しいっていうのはないっていう人だから「こういうことですか?」って聞いたら、「うん、そうかも」みたいな。で、「こう書けばいいですか?」って言ったら、「うーんそうかも?」みたいな(笑)。
 今回の講座って古澤さんの映画哲学講座だったのかも。終わりのない哲学。演技や映画的表現はもちろん、現場での相性とか信頼とかそういうことも全部含めて考える映画哲学。

——「これ」って言う言葉にはならないよね。例えば信頼を築く方法としてね、現場に入ったらちゃんと挨拶をするとかコミュニケーションの一環として何かをするとか、そういう箇条書きにはできるかもしれないけど。求めたい事は何かは、きっと何かもっとふんわりだよね。とっかかりとしてそういう術を持ち込んだとしても、求めたい事はこういう瞬間だぜ、みたいな。そういうことなのかしら?

山田 そういう感じな気がする。言葉に収まらないプラスアルファ。

——でも、現場ではどうしようもない時ってありますよね。撮影終了の時間が迫ってるみたいな時。そういう時ってもう、具体的な方向に得てしていっちゃうじゃん。じゃあ、こうして、こうして、こうしましょうみたいなことになっちゃうから。まあなってしまっても、そういう経験も生かしちゃえばいいんだろうか。

山田 監督さんにもよるんだろうね。「絶対この画がいる」って思ってる監督さんだったら、指示通り動くべきだし。でも古澤さんはもう、現場で起きるマジックみたいなものを尊重される方だから。そこを大事にする監督は「驚きをくれよ!お前ら!」みたいな感じに現場でなるんじゃないかな。で、そういう監督には、役者としてどうやったら驚きっていうか、ときめき?を提供できるかっていう話なのかな。‥‥漸くこの講義の意図が見えてきたかも(笑)。

——やった(笑)。でも、9期の講義で古澤さんの講義で撮影した時もさ。廣田(彩)ちゃんかな?あの子たまに宇宙人みたいな動きをしてて。廣田ちゃんに「それは考えてやってるの?」って古澤さんが言ったら、「いや、勝手に動きましたねえ」「じゃあ、それ面白いし使おう」みたいな話をしてたな。

山田 古澤さん、9期での撮影実習でも色んなアイディアが撮りながら浮かんでくる感じだったじゃない?そのアイディアが湧いてくる状態を役者さんにも見てほしいという事なんじゃないかな。そういえば『キラー・テナント』の話で、石川さんの話をたくさんされてた。石川さんは主演ということで、役者として盛り上がってて、すごく楽しそうだったんだと思う。で、楽しいからどんどんどんどん役作りにはまっちゃって「こういうのもしたい、こういうのもしたい、どう?どう?」みたいなのがすごい楽しかったんじゃないかな、古澤さん。だからそういう風にしてほしいんじゃないかな。して、とは言ってないけど。「どんどんどんどん積極的にこい、お前ら!俺を驚かせてみな!っていう体を作っておいて欲しいな、自分的には。でもそうじゃないかと思う監督もいるかもよ」っていう。
 (講義の)1回目は本当にそう、「映画をまるごと把握する」というテーマに基づきながら、雑談。2回目は、いただいた台本を本読み、みたいな。3回目はその、もらった台本で自分、3つシーン候補をもらって、その中で自分がやりたい場面を編集する。で、4回目はみんなの編集をみて、最後の講義は古澤さんのも見て、古澤さんがどうしてそういう編集にしたのか?みたいな話を聞いて。具体的にやったのはそういうこと。でもなんかいっぱい、それ以上に学びすぎて、もうなんなんだっていう(笑)。雑学が、でも、多かったかも。映画雑学が。そういうのも面白かったし、(「俳優の権利と危機管理」でも取り上げている)ハラスメントに関しても触れたりもした。なんか、そういうのを全部まとめた、全部一緒にした上での演技哲学講座だった。‥‥これでいいのかな?

——わかりやすく成果があればさくっと論じられるかもしれないけどね。でもアクターズ・コースってそもそもそういう場じゃないと思うし。「これだよ!」ってみんな言わないじゃないですか。

山田 言わない。でも参考書籍みたいなのを常に古澤さん出してきてて。すごい面白かったな。たくさん脱線するの、本当に。古澤さんの話が。それが面白い。あ、編集の課題の時はテクニカルな話をたくさん聞けた。

f:id:eigabigakkou:20201214130713j:plain山田さんが参加した郵送演劇 HOMESTAY AT HOME vol.1 『ハウスダストピア』

——一度、自分でも映像作って編集した時、「これってすごく傲慢な作業なのでは」と思ったりした部分がありましたね。「ここ、俳優の演技はいいけど変な光が入ってるし切ろう!」ってざくざく切ってたけど「これってすごい傲慢なのでは?」という思いがめっちゃ渦巻いてて(笑)。編集ってすごく面白いけど、役者の視点ではちょっと悔しい部分もあって。

山田 そうやって、演技もどんどん変わっていっちゃうじゃない?編集で。ってなると「演技とはなんぞや、って思っちゃわない?でもそこで諦めたりするんじゃないよ」っていう教えもあった気がする。役者さん、舞台だと生身になるじゃない?役者さん100%ってなるけど。映像になると、役者さんプラス入ってくるものがあるじゃない?編集とかも。でも、そこだけじゃないってわかってるからね!っていうメッセージだったと思う。

——優しい‥‥!!

山田 舞台の演技と、映像の演技ってところで、違うと思うけど、でも違わないところもあって、それってなんだろうねって話すことも結構あった。そこもやっぱり、答えは出なくて、みんなで考え続けようって結論だった気がするけれども。古澤さんの撮り方と編集を見たら、シーンを長回しでバーっと撮って、で、また違うところにカメラ設置して長回しで撮って。で、いいところを拾っていくってのが結構あって。私は長回しで撮ると、長回し尊重したい派になっちゃうのね。演技っていうのを舞台でしかちゃんとやってないからだと思うけど。私はそういう編集の仕方をしたの。でも、古澤さんのをみたら、長回しで撮ってるのも、もうバッサバッサバッサ切って、いい表情したのとか、いい動きをしたってのをどんどんつないでいくの。そのシーンが激しいシーンだったっていうのもあって、アクションっぽくしたかったっていうのもあるんだと思うけど。で、「ああ、確かに演技切られてる」と思って(笑)。けど、つなげる要素をもっともっと出して欲しいんだろうな、って感じました。ここを使いたいと思わせる演技をするためには、どうしたらいいのか、何が必要なのかを考え続けてねと。だからなんか、この講座について語ろうとしてもまとまらないんだと思う。現在進行形で終わることのない探究だから。だからこれは考えるためのスタートラインを作ってくれた講座なんだと思う。で、そうね。まいまいが言った通り、ものすごく映画美学校っぽいんだと思う。ずっと考え続ける、勉強し続けるのが好きな人たちが集まる場所じゃない?飽くなき追求をしたい人たちの集団だから。だからこそ終わりがないっていうか。で、こういう書籍もある、こういう映画もある、って教えてもらって、そこで自分がピンときたところから、進めればいいのではと思うんだけど。でもね、映像に出るチャンスが。なかなかね。
 ちょっと脇にそれるんだけど、古澤さんがオーディションの話とかもしたの。「どうやったら売れるようになる?」って役者さんたちによく聞かれるんだって。で、最近言ってるのは「一緒に育つ仲間を見つける」って話をしてた。言葉選びがちょっと違うかもしれないけど。山下敦弘監督の名前を出して。(彼は)結局、大学の時に出会った仲間で無名時代からずーっとやってるんだって。役者さんたちも。で、そういうのの集まりでずっと仲良く撮れれば、それが一番、みたいな。すでにある集団の中に入っても、うまくいかないんじゃない。もうできあがってる感があるから。だったら、仲いい人たちで集団を作るのが一番、的な。

——ものすごくそれ、理想。素敵。

山田 いい作品に出たいから、オーディション頑張るとかっていうよりは、仲良い人たちを探す、出会うみたいな方が大事だよって。そうやって現場の雰囲気を作るのも大事なんだって、そんな風に私は解釈したのだけれど。役者が演技でサプライズを提供するためにはどういう状態であればいいか。何が出来るかっていうのは役者の役作り以外にも現場の雰囲気ありきみたいな。

——でも難しいよね、仲間を探すのも。できたら一緒の立ち位置で考えられる団体、仲間が欲しいなって思う気持ちはずっとあるな。

山田 難しいよね。

f:id:eigabigakkou:20201213132948j:plain山田さんが来年やろうと思っている企画:一景 

——じゃあそろそろ、時間も頃合いですね。今後の展望とかありましたら、ぜひ。

山田 私、演劇始めたの去年じゃない?本橋さんのリーディング公演(『ごめんなさいの森』)に参加したのが去年の7月なのね。3日間のワークショップで。2日間練習して、1日本番を吉祥寺シアターでやるっていうのがあって。その打ち上げで「えー、すごい楽しかった、またやりたい」って言った時に「映画美学校が明後日が締め切りだから、応募してみたら?」って言われたのがきっかけだったの。それまで観る側でやったこともなかったのに、今となったらどっぷりはまっちゃって。役者とはなんぞやみたいな哲学を考えたりして、本読んだりして。これから多分、どんどん沼にはまっていくんじゃないかな?
 講師のみなさん、それぞれ色が違うんだけど、根底のところは「絶対これをやめないで追求していこう」っていうのはプロ意識であるじゃない?特に無名の役者って立ち位置がとっても微妙だと思うの。不安が常にあるし、このままやっていいのかなっていうところで、ぎりぎりでその場にいるじゃない。よっぽど売れてない限り。でもそういう不安がアクターズ・コースの講師たちってないんだよね。実はそんなことないんだろうけど、自分の可能性を信じるって信念があるの。今回の古澤さんもそういう前提で話してたのね。ということは、まずは、自信を持て。根拠がなくても役者であるということに自信を持って勉強を続けていきなさいよ、、追求をしていきなさいよってメッセージを勝手に受け取ったので、何かに出る出れないかかわらず、自信を持って演技の勉強は続けていきたいと思います(笑)。
 映画美学校修了後、コロナもあって暇になるかなーと思いきや、なんやかんやで結局、まいまいとやったり、あと本橋さんと音の企画(郵送演劇 HOMESTAY AT HOME vol.1 『ハウスダストピア』)やらしてもらって、その後ウンゲツィーファガーデン/ミームやって、ミーム関係でミームで友達になった子と映像作ったり、色々やらせてもらってます。多分こういう感じで続けていくんじゃないかな。あとは演劇で食える問題をなんとか解決したいと思ってる。役者で食える問題、食っていけるようにする問題ですね。

——わかる。制作やってたのもあるので、それは20代の頃からずっと考えてる。あと、搾取されずにやる方法。

山田 難しいねー。でも諦めたくないな。考えよう。なんか違う形で、「この手があったか!」ってやりたいね。 

 

山田薫(Yamada Kaoru

東京出身。映画美学校アクターズ9期

 

 2020/12/3 インタビュー・構成:浅田麻衣

「演技論演技術」/言葉を仕分ける、根拠を探す

 

演技論、演技術の書籍・テキストをひたすら読むゼミです。毎週課題テキストを10 数ページ読みこみ、事前に簡単なレポートを提出。それを元にディスカッションをします。大学のゼミのイメージです。ゲストに若手の研究者、関係する演劇人をできるだけ招きます。現代演劇のテキストについては出演歴のある修了生を招きます。(高等科要綱から抜粋)


山内健司さんが担当する基礎ゼミ、「演技論演技術」。

先日、11月30日に第9回目の講義が終わったところである。講義回数としては全16回予定と、このゼミが回数としては高等科のゼミの中で一番多い。
ゼミの内容的に、数回積み重ねた上でレポートを書いた方が理解が深まるのではないか?と思ってここまで寝かせていたのだけれど、実は回を重ねるごとに古今東西様々な演技論・演技術が頭の中を巡り巡って頭の中がより混乱を来している気がしてならない。
というわけで、自分の頭の整理も兼ねつつ、これまでの講義を追っていくこととする。
(文:浅田麻衣 )

 


講義前の準備について

講義に際して、次に取り上げるテキストの指示部分をまず「レジュメ」に起こす受講生が1人決定しており、その者がレジュメを締め切り日までにSlackに投稿。そして、受講生それぞれも読み込んだ感想を締め切り日までに投稿する。それを各自読んだ上で、講義を迎える。


これまでに取り上げた人物は以下となる(敬称略)

1)リー・ストラスバーグ/『メソードへの道』(第1回講義/第2回講義)
2)
コンスタンチン・スタニスラフスキー/『俳優の仕事』
3)アンドレ・アントワーヌ/『現代の俳優術』
4)平田オリザ/『現代口語演劇のために』
4)杉村春子/『演技ノート』

5)田中千禾夫/『物言う術』
6)山崎努/『俳優のノート』
7)安部公房/『安部公房の劇場』


私自身は大学などの教育機関で演劇を学んでいない。高校演劇から演劇を始め、その後大学の演劇サークル参加、そして関西の劇団に入って活動という経歴。現場を渡り歩いて「この本参考になるよ」ということを漏れ聞いたら「じゃあその本読もうー」というノリで読んできたのだが、それはあくまで「その当時の座組みで必要だから」読むという意識だったのだと今になって思う。だから色々な演技論、演技術が頭の中で整理されることなく沈殿していた。
山内さんが先日のインタビューでおっしゃっていたのだが、「演技についての言葉が、日本では混ざっている」ということ。これは講義の最初ではわかっていなかったけれど、ようやくそれが実感としてわかるようになってきた(これについては後述する)

 

レジュメ/講義の進行について

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レジュメは各回違う人が担当するのだが、個性が滲み出ていて面白い。
それぞれのレジュメを見て常に思うのが(人によってやり方は異なると思うけれど)「?」と思ったところをそのままにしない。例えば、著者の生きた時代背景を調べるだとか、当時同じく活動していた演劇人を紐解いてみるだとか、様々なアプローチを行ってみる。それが「素敵だな」と思うのは、無理に現代の私たちの今の言葉で「要約を」しようとせずに、引っかかったところをなぜ引っかかったのか丁寧に救い上げているところにある。

講義は、まずレジュメを担当した者の感想を聞き、その後その人自身がレジュメの説明。そこから山内さんとレジュメ担当者のディスカッションを経て、ディスカッションは全体へと移行する。


全体でのディスカッション

これは、既に書き込んだ感想を基にしても良いし、当日の流れ、レジュメを聞いて改めて考えたことを話しても良い。
この場は決して「正解」を探す場ではないので、話す言葉がまとまらずとっ散らかってしまっていていいし、ただ疑問を話してもいい。

印象的だった回が、平田オリザさんの『現代口語演劇のために』を読んだ回。そして、そこにまさしく青年団初期から参加している山内さんがいるということ。これまでが海外の演出家/俳優だったからというのもあるけれど、目の前にその演出を受けてきた俳優がいるということは妙に心がざわついた。

言葉を仕分けること、その言葉が発せられた「根拠」とは

これまで取り上げられてきた人物は、演出家だったり、俳優だったりとそもそもの出発点が違う。そして語る言葉も「演技論」「演技術」、はたまた「芸談」であったりと、きちんと紐解いてみると、あれ、違うな‥‥ということに気づく。

そして、その人物の一人語りで語られるその書体には、あまりその人自身のコンテクスト(文脈)がないことが多い。私自身の癖で「教科書のように読んでしまう」というものがあったのもあり、講義当初は「そういう考え方があるんだ、成程」とただ享受する姿勢が強かった。
だが、皆の感想を読んだり聞いたりするにつれ、その言葉が持っている重層的な部分を自然と頭の中でレイヤーで分けていったり、「?」と感じた部分、「なんだか圧力として感じてしまう重い文章だけど、なぜ自分はそう感じたんだろう」と考えるようになってきた。まだまだ私は出発点に立っただけだと思うけれど、この講義で脈々と繋がっている「演劇」という壮大なスケールなものに対して敬意を払い、それを紐解く作業が面白いなと思えてきたのはとても楽しい。
(まだ頭は混乱状態だけれど、詰め込むだけ詰め込んでおくのは良い気がしてきた)

 

蛇足(つけたしです)

今後さらに、より現代に連なっていくけれど、今度はその演出を受けた「アクターズ生」がゲストで参加するのも非常に楽しみ。個人でやると「わからん!」とただ放り投げてしまうだろうなと思った本に取り組めていることは非常に嬉しい。そして、この講義を受けると、必然的にいろいろ稽古で試したくなる(舞台やりたいですね!)

 

先日山内さんにインタビューした内容で私自身整理できた部分も多かったので、よろしければ是非読んでみてください。

eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp

 

文責:浅田麻衣 

アクターズ高等科・講師インタビュー/山内健司さん

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「アクターズ・コース俳優養成講座 2020年度高等科」は6名の講師がそれぞれゼミを担当しています。そのゼミの内容は、講師の皆様がそれぞれ企画しました。今回は「演技論演技術」「俳優の権利と危機管理」「俳優レッスン」を担当する山内健司さんにインタビューいたしました。

・「演技論演技術」

演技論、演技術の書籍・テキストをひたすら読むゼミです。毎週課題テキストを10 数ページ読みこみ、事前に簡単なレポートを提出。それを元にディスカッションをします。大学のゼミのイメージです。ゲストに若手の研究者、関係する演劇人をできるだけ招きます。現代演劇のテキストについては出演歴のある修了生を招きます。

・「俳優の権利と危機管理」

「俳優の権利と危機管理2020」〜俳優がフラットに話せる関係性をつくるためには - 映画美学校アクターズ・コース ブログ

・「俳優レッスン」

通年で日曜日に実施していた俳優レッスンを行います。基本はダイアローグのテキストを2時間×3回の自主稽古を経てレッスン日に上演していきます。定期的な演技の実践をすることで、各人の課題に取り組み、技術の向上を目指します。最後に成果発表としてショーイングを予定しています(別途稽古時間有り)。

 

 ——まず、「演技論演技術」の話をさせていただけたらと思うんですけれども。このゼミをやろうと思った経緯について教えていただけますか?

山内 直接的には、この春に自分が参加した「演技論」という友人の大学のゼミがあって。それは今から遡って古代の哲学にいくっていう演技論なんですけれども。その授業の現代のあたりで、平田オリザの回があってその時呼ばれたんですよ。「現代口語演劇のために」(著:平田オリザ)を学生たちが読んで、それについて僕がいろいろお話をして。で、どうせ呼ばれるんであれば、オンラインで行われるその授業が、どういうふうにはこばれるのかっていうのに興味があって3カ月間くらい参加していて。それがオンラインだから、講師があちこちに声をかけて、30代くらいの演出家とか俳優とか、色んな人が集まってて。逆に周りの人たちが盛り上がっちゃって。多分、今はね、アリストテレスぐらいまでいってるのかな? 今は外と学生が半々ってところじゃないかしら。そういう野放図な感じの大学がまだあるんだってすごく嬉しくなっちゃって。今、大学っていうと本当に単位だとか出席だとか世知辛いことが昔より多い中で、面白いからどんどん人が来ちゃうとかそういう雰囲気ってもう無理なんだなってとっくに諦めてたんですけれども、図らずもそういうのが実現してるのを見て。で、「あ、オンラインでも演劇論を読んでみんなで文章書いて、読んで、ただおしゃべりするっていうので成立するな」っていうのを体験して「これいけるわ」って思ったのが直接のきっかけではありました。
 それ以外に、ずっと気にはなっていて。この間の(講義で取り上げた)杉村春子さんの言葉とか、すごい面白いけど言い返せない、「あーおっしゃるとおりでございます」としか言えないじゃん? あの種類の言葉が実際たくさん流通してるじゃん。あとそれとは別に、演技論って、演技について話してるんだけれども、すごく魅力的であってもそれは実は演出家目線だったりだとかで、それを実現する時にかならず俳優は別の演技の言葉や方法を必要だったりするし。あともう1つ、演技のやり方を語っているんだけれども、それがどういう価値観に基づいているのかっていうのがあまり語られていなくて、それをやるモチベーションが難しいものとか。正解を示されてるみたいで苦痛だったり。色んな言葉のレイヤーがあるなと思って。それらをばーっと仕分けてて、今まだ5、6回(講義を)だけど、少なくとも見たことなかった地図が出来つつあるんで、すごくいいなと思ってます。そういう演技の言葉で、なんでそれをもって良しとしているのだろうっていう、そのことが気になってるんですよね。
 演技で、例えばコンテンポラリーの演劇の言葉で俳優に「負荷をかける」なんて言い方がありますよね。俳優からしたらずいぶんな物言いで。なんでそんな当たり前のように人が人にそういうこと言うんだろう?っていうふうに思ってて。多分これは演劇を見る側とか演出家の視点の言葉なんですけれども。あと、いわゆるリアリズムの演技について敬意なく言葉でディスったりするってよくありますよね。いろいろな言葉の仕分けをしたかったっていうのは正直なところあります。
 だから、方々に検証したいところがあるんですけれども。例えば、新国立(劇場)だよね。新国立の研修所が15年間やってきて、RADAの影響もきっとあるのかな、ボイスとムービングっていうのをやるようになって、精神論的な「なりきり演技」っていうのを演技論ではうしろにしりぞかせたっていうのはすごいいいことだと僕は思っていますけどね。感情を直接表すんじゃないんだよ、行為した結果に感情が表れるんだよっていうことはそれ以前の演劇でも言ってはいたんですけれども、それがちょっと一般になったのは功績ではあるなと僕は思いますけどね。
 そういうこととか、日本のいわゆる演技の言葉の根拠っていうことを知りたいっていうのはあります。日本の演技にぴたっと張り付いている新劇、それがいいと思っている根拠をきちんと言葉で捕まえたいというのとか。あとそれからさっき言った、杉村春子さんの「おっしゃるとおりでございます、演技の魅力はそこにあります」ていう言い返せない言葉。これだと、なんでそんなに自分は圧を感じるのかなっていうことをちゃんと知りたいっていうのがありますし。
 あともう一つはコンテンポラリーな演技ですよね。コンテンポラリーで色々突き詰めたような演技、そのカンパニーでしか「通用しないよ」なんて言われちゃうような感じのことってあるじゃないですか。「通用しないよ」って言われたら俳優はすごい嫌な気持ちになりますよね。「そっか、俺、よそじゃ通用しないんだ。でもこれ本気でやらないと突き詰められないしな」っていう、そういう表現ってあるじゃないですか。ああいう表現に対して、きちんと言葉の足場が欲しい感じがするんですよ。まだまだ若手で見ててかなり極端だなあって印象抱いちゃうようなカンパニー、表現ももしかしたらあるかもしれないよね。でもなぜこれを良しとしたのかっていう文脈というか、それを演技の言葉できっちりとつなぎたいっていうのは正直あります。そのための言葉の地図の見取り図が欲しい。もういい歳してなんだけど、ようやくそこに着手してるっていう感じ。

——講義の中で、それぞれのコメントで、特に横田(僚平)さんや酒井(進吾)さんのコメントに圧倒されるんですけど。それぞれの体験から滲み出たものがコメントで出てくるっていうことがすごく衝撃的で。私はどうしても、教科書として読んでしまう癖ができてしまっているので。例えば杉山春子さんでも、「ここは自分の体験と重なるけど、これは違うレイヤーだな」みたいな分け方ができるんだ!っていう発見ができたのがすごく嬉しかったです。

山内 そうですよね、僕もそう思います。横田くん、酒井さんはまさにそう思いますよね。見取り図とか知識がなくて「俺はこれがいいと思う、いけないと思う」と真剣なんだけど独善に陥いるようなあやまちを演技論ではしちゃいがちだと僕は思っていて。横田くんや酒井さんは特にそれがなくて、自分の現場と結びつけてて言葉がフラットなんだよね。なんか昔の演技の言葉って、こう例えばリー・ストラスバーグの言葉について「これってさ、こういうことでさ、これが古いじゃん」みたいなことを、なんで上から目線なのか分からないんだけれども、そういう語り方をするのもやっちゃいがちなんだよ。それをしないっていうのがあのゼミ自体に習慣付いてきたっていうのが一番今面白いよね。昔の本を読むときに、ちゃんと敬意を持って接しているっていう。

——先人たちの言葉をただ享受するんじゃなくて、じゃあ今の、現代の私たちはどう思うのかとか。あと、読んだ時の違和感をどう言葉にできるのかみたいなことを講義の中でみんなが教えてくれてる感じがしていて、すごい贅沢な時間だなって思ってます。

山内 ただ享受って言ったけど本当にそうだよね。そういう言葉に向き合う時に、ただ受け身になって受けて「これおいしい、これまずい」っていうふうに消費しちゃうのが一番いけないパターンですね。それと真逆で、いい感じになりつつあるんじゃないんですか、今。言葉がぶわーっと日本の演技術では混ざってる。そこを現場で仕分けたいんですよ。

——これからどんどん進んでいって、実際にその演出家から演出を受けたっていうアクターズ生の話も聞けるわけですけど。

山内 みんな「あっ、それいいかも!」って、うわーっと引っ張られちゃうかもしれない。めちゃくちゃ引力強いやつばっかりだから。その引力の強さ、そういう言葉とどう付き合っていくか。その言葉のレイヤーをうまく仕分けしていきたいよね。言い返せない言葉もあれば、演劇論の言葉もあれば、演技術の言葉もあれば、芸談の話もあるっていう、その認識を持って、最前線の演出家たちの現場の言葉を解析するっていうのは本当に楽しみです。

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——他、山内さんが担当してらっしゃるのは、「俳優レッスン」と「俳優の権利と危機管理」ですね。俳優レッスンは、これまで受けたことのない人の受講が多い気がしますが、印象としてはどうですか?

山内 そうですね。うん、めちゃくちゃいいよ。テキスト選ぶ時点でも相当。僕が担当したのは初回のテキストを選ぶ時だったんですけれども。相当いろんなものが出てきたし。基本的には、リアリズム演技のテキストっていうものをやろうっていうのがあるんですけど。でもこれまでも、小説を持ってきて構成してやるっていう人もいたし、あと面白かったのはね、イラクの帰還兵の手記ってものを構成してやるっていう、(佐藤)考太郎くんのもあったし。そういうお試しを行うっていうのはすごくいいなと思った。

——自分がかつて受けた時、発表に至るまでの稽古を自分たちで組み立てなきゃいけないから、それが結構ハードルが高かったんですけれども。実際受けてみたら、まず自分たちを知る時間をとって、そこから積み重ねていくっていうのがすごく贅沢な時間だなと思って。あんなふうに稽古ができるって現場ではなかなか難しいので。

山内 浅田さんがいた時で、本荘(澪)さんと鈴木(良子)さんのペアで、あまり(演劇)経験ないもの同士で作ってて。で、アクターズの受講生の時の講義では、だいたい演技はこういう段階があって、こういう段階があって、こういう段階があるよっていうのをやるんですけど。修了後の俳優レッスンの時は「今まさに足りないのは、あの時話したあのことだよ」って必要としてるタイミングで言えて。わりと基本的な「ビートを切って動詞を見つけるっていうこととかを、今ちゃんと勉強してみたらどう?」て2人に勧めたら、それをめちゃくちゃ勉強してきて。次回の発表の時にめちゃくちゃ良くなってて。あれは結構感動したね。
 演技の技術書ってさ、順番に読んで何とかなるっていうんではなくて、やっぱり何かこうぐいぐい吸い込みたくなる、ぐいぐい吸い込む瞬間って絶対あると思っていて。俳優レッスンの中で、「今、今だよ」っていうことを言ってあげられるのはとってもいいような気がしますね。

——自分が受講生の時は、いいところ見せなくちゃみたいな変なプライドとか、あとすごい緊張もあって、講師陣の言葉をうまく受けとれなかったことがすごく多かったなと思い返していて。今回、こういう形で振り返りができたっていうのはすごいありがたいですね。

山内 そうだね。やっぱり「期」になるとね。その期で何とかやっていかなきゃいけないっていうか、座組みとしてコミュニティーが形成されるじゃない?そのことってやっぱり大きいですよね。

——やっぱり人間関係を崩せないし、挑戦しようとしても、これはやったらダメか?って思いが生まれたところはありましたね。

山内 「だめかぁー」が本当はこないほうがいいんですけど。だからその意味ではもうちょっと(受講期間が)長ければ色んな機会ができるんですけれども、わずか半年ですから。もうちょっとのんびりできるといいんですけどね。難しいですよね。やっぱり経済的なことが一番大きいと思うんですけれども。学費もそうだし、時間もそうだし、キャリアもそうだし、皆さんの生活もそうだし。
 だから「短期をやった上で、継続的に学びの手段がある」っていうのはわりとこの国の今の現状には適しているなとは僕は思うんですけどね。でもやっぱり2年ぐらいのんびりやったほうがいいんだろうな、本当は。ただ今度は、「学校」になるとほら、日本の学校教育って、独特の緩み方をするから。受け身っていうかモチベーションっていうか。それがまた難しいところではあるんですけれども。

——いわゆる大学での演劇教育と、アクターズ・コースの違いってどこにあると思いますか?

山内 端的に言うとほら、大学で演劇を学んだ人ってあんまりこっち(アクターズ・コース)に来ないじゃない。大学出た人はもう大学で4年間勉強したしな、って思って「もう学ぶっていうんじゃないだろう、現場だろう」みたい人が多かったりするんですけれども、それはもうしょうがないと思うんだけどね。でもさっき言ったけど緩いから。モチベーションバラバラだし、特にマスプロの大学の演劇の大学だったりすると、もう演技のトレーニングなんてできないし。じゃあ、いつ演技を学ぶんだろうって。あとそうね、アクターズ実際10年やってきて、現場に出たら本当にもう、頑張ってるアクターズ生たちがたくさんいるんで。そのことがやっぱり眩しいよね。みんな頑張ってると思います。

——自分自身、修了公演が終わって、別に自分は演技が上手くなったわけじゃないなと思って。それは決して悪い意味ではなく。仲間を作れたっていうことと、あと「渋谷ノート」とかで、自分でも何かが作れる可能性があるのかもしれないっていうことを半年間で教えてもらったなぁと思っていて。

山内 DIYでしょ?

——そうです(笑)

山内 (中川)ゆかりさんのインタビューの結論がDIYって、あれ面白かったですね。お芝居、DIYでちょうどいいと思うんだけどなぁ。

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——あと、山内さんが担当している「俳優の権利と危機管理」。この前の「俳優の権利と危機管理」で韓国の俳優さん、韓国で活躍していらっしゃる助監督さんの話を聞けたのは本当に良かったです。

山内 あれすごかったね。素晴らしかったね。(米川 幸)リオンが「今のような動きになって、制度になって、ハラスメント講習会があって、現場で演技しやすくなりましたか?」って聞いたら、即答したじゃん。「なりました」って。あのとき本当に希望を感じました。本当に素晴らしかったですね。

——もちろん彼らが闘ってきた歴史、背景があると思うんですけれども。すごい良かったし、全ての質問に的確に即答した俳優さんの胆力も感じて。

山内 頑張ろうって思いました。あと例えば音楽の印税ってさ、やっぱりすごいじゃない?1つヒット曲出したらそれで食べていけるじゃない、今。俳優ってさ、なんで作品で1つヒットが出てもそれで食べていけないんだろうね。印税ということなんですけどね。音楽にはそれがあって、役者にはないっていうのがずっと昔から不思議で。やっぱり音楽の人たちは、著作権で印税っていうことを自分たちで勝ち取ってきたんだよね、間違いなく。ヒットを出したらそれでやっていけるっていう。
 だから、印税とは直接関係無いけど、韓国の人たちが契約で自分たちの労働環境を変えていった話も結構こたえましたね。多分いい作品出して、それで俳優がきちんと経済的に保障されるようになったら。俳優の生き方のモデルも変わってくると思うんだけどね、本当に。権利的な部分は、俳優の生き方っていうのを太くする大きな道ですよね。だからそういう意味で、先日の話は大きな希望でしたね。「働きやすくなりましたか?」「当たり前です、もちろんです」っていうのが「この人たちなんてまともなんだー!」と思って。ぶわーっとあの瞬間に、酸素が流れてきたような感じがしましたね。本当に。

 

——山内さんの関わっていらっしゃることで、コココーララボ(https://co-co-co-la.wixsite.com/cococola/about-labo)の取り組みが気になってました。

山内 あれは「演出の言葉ってなんだろう」とか、あるいは、「俳優同士が演技について話すやり方」とか、あるいは、じゃあ現場にいる制作だとか、本当はみんな何を言ってもいいはずなのに、言わない、みたいな感じで何となく黙ってることが当たり前になってることってすごく多いと思っていて。そのことを問い直している感じですね。例えば稽古場見学に自分が行ったとして、ちょっとお邪魔しただけだから「あれは何だったんだろう?」って色んなことを聞けないし、聞けるわけないし、聞いたら失礼だし、聞いたら何も分かってないことがバレちゃうし、とか色々思ったりするじゃないですか。でも本当は何言ってもいいはずじゃん。
 コココーラではだから、とりあえず話してみる時間をいちいち作ってみるってことをやってますね。たとえば制作とかスタッフの人も、稽古場に来たり来なかったりする人もいるじゃない。日本だといくつも現場を掛け持つことが多いから張り付くことって難しい。そのことってやっぱりでかいじゃん。たまにしか来ないのに何か言ったらまずいんじゃないの?ていうかさ。

——ありますね。謎のバイアスがかかりますね。

山内 そうそうそう。そこにある、俳優と演出家の言葉のコンテクストには立ち入れないんじゃないの?って思ったりすることって結構あるでしょう? でも何言ってもいいと思うんだよね。この間の稽古で面白かったのはね、演出と俳優の3人で稽古して45分経過したら、その45分を見てた人が、見てた間に考えた事を喋るって時間を作って。人間だから色々考えてるじゃない、その考えてることをフラットに話そう。演技についてどうこう、その芝居について役に立つ立たないとかはいいから、色々考えてるそのことを話せばいいんじゃないのっていう。でもやっぱり目の前の作品のことになんとなくまつわることをみんな話すわけだけれども、結果的にはね。つまりは、言葉をフラットにしていくっていうことだと僕は思ってます。

 

——ずっと気になってたんですけど‥‥。山内さんはオリザさんと出会って演劇を始めたかと思うんですけど、それまでは一切演劇に関わっていなかったんですか?

山内 いや、えっとですね。高三の時かな。(劇団)つかこうへい事務所の解散公演の『蒲田行進曲』に間に合ったんだよ、ギリギリ。都会の高校生だったはずなのに、あんまり行かなかったから。で、「柄本(明)さんのヤスは観たほうがいいよ、観なきゃダメだよー」みたいなことを言う先輩がいたんだよ。「あーそうなんだー」という感じで。でも柄本さんじゃなくて、解散公演だったから(ヤスは)平田満さんで、(銀四郎役は)風間杜夫さんと加藤健一さんの時で。加藤健一さんの大楽(千秋楽)のときに観に行ったのかな。どうやったらお芝居見られるかも分からなくて、とりあえずやってるらしいっていうことで新宿の紀伊国屋ホールに行って、そしたら列があるんで並んでたら、当日券で入れちゃって。しかも、紀伊国屋ホールの最前列のさらにその前に座布団を敷いて座ったんだよね。センターのちょっと下手位だったかな。平田満さんの唾を直に浴びて。『蒲田行進曲』の最後のほうでもうド汗をかきながら、平田満さんが30分位長台詞を一人で喋るっていうのがあって。それを見て、もう感動っていうか洗礼を受けちゃって。あとオープニングからしてさ、根岸季衣さんとかもものすごい目力でこう、すごい素敵だったんだよな。
 でも高校の時に、大学行ったら演劇やってもいいかなっていうのはなんとなく思ってたんだよね。時代でもあったんで。それこそ野田(秀樹)さんとか、鴻上(尚史)さんが出てくるちょっと前くらいかな。あとオフィス300とか如月(小春)さんとか、すごい人たちがいっぱい出てきてた時で。「大学行ったら演劇やるって言う未来もあったりしてー」って思っていたんだけれども、なにせ入った大学は高校位の規模の大学だったんで。一学年300何十人しかいなくて。で、無理だなって思ってたら、オリザが「劇やる」とか言って。「あーそうなんだ」って1年の5月に見て、その冬には手伝ってて、1年後の大学2年の春には出てたって言う感じですね。あっそうか、演劇こんな小さい大学にいてもできるんだって思って。

——初観劇はつか(こうへい)さんだったんですね。

山内 つかさんだったね。あとその後『熱海殺人事件』の伝説的なアイちゃんをやってた井上加奈子さん、本当に可憐な女優さんですけど、その方とご一緒する機会がすごいあとにあって。当然本番には平田満さんがやってきて。もう直立不動ですよ。「わわ、私は、あああ、あなたのー、唾をあああ、あびてー」みたいな感じで。20年位前ですね。緊張しました。‥‥あ、ごめん。もう一つあったんだ。あんまり人に話してないな。「柄本さんのヤスは見なきゃだめだよー」って言われた以外に、図書館になぜかね、つかこうへいさんの写真集があったんだよ。

——写真集ですか?

山内 うん、『前進か、死か!!』っていう。それをなぜか知らないけど手に取っちゃったんだよね、忘れもしない。その写真集にやられちゃったんだよ「すげえ、これはやばい」と思って。だから加奈子さんがね、平田満さんに「珍しいよ、写真集から入ったんだよ、この人は」って紹介してもらったっていうのがありました。そういえば。今ネットであるかな?

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——あ、中古で売ってます!

山内 これを手に取っちゃったんですよ。コテコテだな、今見ると。あと、『寝盗られ宗助』の演出について事細かに書いた本もあってね、あれは貪るように読んだなぁ、そういえば。あれは面白いですよ。いつ頃読んだんだろう、結構衝撃で、それで演劇っていいなぁって思ったんですよね、そういえば。

 

——最初つかさんって、意外でした。その後オリザさんと出会って、お芝居を始めて。そこから「教える」っていう立場になられる契機みたいなものはあったんですか?

山内 直接的には、何だっけな。1人1ワークショップとかいってやってた時代があったんだよな。あれが面白くて。何でもいいから自分の知っていることをワークショップ化する、みたいな。

——それは青年団内で?

山内 そう。利賀で合宿か何かやってる時で時間もあったから、そんなことやってる時代があって。その時に自分が演技をどうやってやってる、みたいなのをちゃんと言語化するっていうのを初めてやってみて、っていう前段階がありますな。それがあって、で、桜美林(大学)にオリザが呼んでくれて。普通演劇を教える人って、自分が学んできたことを教えるじゃない? でも僕は誰にもある意味教わってないから、自分がやってきたことを言語化をするっていう作業やってて、すごい大変だったのね。演劇の授業をやるっていうのが。まぁ始まりは大学で、「僕に授業で何をしてほしいの?」って聞いたら、「みんなのモチベーションを上げてくれ」ってオリザが言ってて、なるほど、と思って。それが始まりですね、教えるのは。
 でもそれとわりと同時期の、フランスの演劇人との出会いっていうのが大きくて。フランスの演劇人っていうのは、公共劇場の俳優と商業劇場の俳優ていうのがはっきり分かれていて。公共劇場の俳優は公共劇場が百個ぐらいあるから、それを主な仕事場にしてる俳優で。その公共劇場の俳優たちを間近に見てだな、ようは誇り高かったんですよね、みんな。それが羨ましくて。例えばアフタートークとかでも、日本だとアフタートークって演出家がやるトークショーみたいな感じなんですけれども。フランス人の演劇のアフタートークは、俳優たちも舞台の最前列に足をぶらぶらさせて座って「じゃあ何か質問ある人?」っていきなり始まる。で、質問があったら、その質問した人と1対1でお話をするっていう、そういう時間なんですね。で、「この質問、誰が答える?」みたいな感じの時は、1人の俳優が「じゃあ、答える」とか言って。俳優が自分はこの作品をどう思っていて、自分の役をどう思ってて、みたいなことを全部自分の言葉で話すのね。その姿を見ててかっこいいと思ったんですよ。自分の言葉で社会と直接つながるっていうかっこよさへの憧れが、同じ頃にあった気がしますね。で、桜美林で教えるってなって、そうかそうか、自分の仕事をちゃんと言語化していこう、自分のやっていることを喋れるようになっていこうと思ったのが教える最初ですね。
 で、自分がやっていることがどういうことなのかっていうことをとにかく言語化していって、言語化していく過程で「言語化したものをじゃあ中学生にやってみたら?」って勧められたのがワークショップの始まりだったのね。だから教えるっていうよりは自分のことを、自分の言葉で喋って、社会と直接つながりたかったっていうのが一番大きいかもしれませんね。

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——今まで自分は、自分は教えるというのは難しいなと思っていて、距離を取っていたんですけど。私も大学とかで学んできたわけではないので。でも今の山内さんの言葉で、社会と直接つながるっていうモチベーションはすごくしっくりきました。いいですね。

山内 本当にオススメですよ。でもあれだね、アクターズ・コースをはじめて近藤(強)くんとか古館(寛治)くんとか、あとそれから映画そのものと近しくなったっていうのがあって。リアリズムと圧倒的に距離が近くなって。最近は、自分のやってる演技について「どんな演劇やってるんですか?」って聞かれたら、「いやまああの、割と日常会話を普通の声でやってます」って言ってもみんなポカーンとするだけだから、「あ、はい、リアリズムの演劇をやってます」とか言ったら、みんな「あっ、そうですか!」みたいな感じになるからこれはいいやって。最近はもうだから、自分のことそう言っちゃってるんだけども。リアリズム演技っていうと、どっちかって言うと新劇の主義主張だとかっていうイメージがすごいあったんで。でも「リアリズムの俳優です」って言えるようになったのは、ほんとこの20年くらいで、演技に対する言葉が少し豊かになってきたことと関係があるかもしれませんね。僕自身特に、アクターズ・コースに関わって、すごい演技の言葉が豊かになったし。
 そうそれで、アクターズ・コースが始まる前にも、似たようなこと自分でやってるのよ、実は。古館くんに、3時間2回のワークショップをやってくれと。どんな演劇人生を歩んできたのかっていうことを紹介するワークショップをやってくれって企画したんだけども。その時に、「あぁそうか、古館くんはこういう時間を経てきたんだ」って、アメリカでの話を聞いたりとかして。そのワークショップは3時間のワークショップのために取材の時間を3時間かけるっていうのを目標にしていて。それで、話を聞きだして、こういう時間にしようっていうプログラムを一緒に立てて。そんなふうな企画を自主的にやってまして。その時はだから、古館くんがアメリカ滞在7年で、近藤くんにいたっては11年で。だから合わせてアメリカ18年シリーズとか言ってやって。とにかく人がどうやって演劇を学んできたっていうことへの関心が強かったですね。
 あと同じ時期にやったのが、今度「演技論・演技術」でもやる安部公房スタジオの『安部公房の劇場』って本にある演技論で、それ読んでみてもさっぱりわからないの。で、実際安部公房スタジオ最後の新人って方が、青年団にいたのね、大塚洋さんっていう。で、「ここに書いてあるこのプログラムをちょっとやってみてくれない?」って、大塚さんを呼んでワークショップやってもらう会とかをやったりもしてましたね。

——すごく贅沢な時間ですね。

山内 あとよく(中川)ゆかりさんが演技論の時に言う(ロベール・)ブレッソンのモデル論のような演技と、オリザの演劇論に出てくる演技が近いんじゃないかっていうのは昔からなんとなく思っていたんだよね。だからブレッソンの『シネマトグラフ覚書』を題材に、深田(晃司)くんに映画について考えるっていうワークショップを企画してやってもらったのが2008年くらい。あれ面白かったね。ちょうどそれ、想田(和弘)さんの「演劇1・2」の撮影の時で、「演劇1」かな、深田くんのワークショップのシーンが出てくるんだよ。でも深田くんはモデル論にはそんなに興味なかった、実はね。でもやっぱり「映画っていうのはヒューマニズムじゃないよね」っていう話になって、演技って人間中心主義になりがちな論が多いっていうのは気になってたみたいで。で、深田くんが「映画っていうのはヒューマニズムじゃないですよね、ねー、想田さん」とか言って、そうしたらカメラ回してる想田さんが「そうですねー」みたいに顔上げて話してて。ある意味すごい豊かな時間でしたね。そんな、人の演技論っていうものにすごい興味があったっていうのはありますね。そういえば。

——演技論についてその人が感じていることを読む、そして話すっていう時間はすごく豊かなんだなって最近すごく思います。それを「講義、授業にする」っていうとどうしてもかまえちゃう部分も出てきちゃうところはあるんですけど。

山内 そうね、どういう時間が一番豊かなのかなって言うことを考える必要はありますね。それこそさっき言ったように、演劇の言葉っていってもレイヤーがいっぱいあるんで。それが何かウニョウニョ混ざっているのはあんま良くないなと思ってて。つまり、演技術の話に芸談が入ってくると僕はやっぱり圧になると思うのね。自分の成功体験みたいな話になってきちゃうわけじゃん、ある意味。その辺をうまく仕分けて、どういう時間にするかっていう事は結構大事だと思いますけどね。

 

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https://www.scenoha-festivaltokyo.jp/sugiyama.html

——今後、山内さんがやりたいと思っていること、考えていることはありますか?

山内 これ、これ見てよこれ。これの「旅人48景」ってあるでしょう?それの一覧を押していただくと、アップされた8つの作品があります。これが私の最近のDIY作品です(笑)。完全にDIYです、これは。これはね、池袋に「景」を発見するっていう作品なんだよね。風景の「景」なんだけども。F/T終わっても楽しめるんで。よかったらやってみて。現地でやると楽しいですよ。これは阿部(健一)さんていって、ずっとそういう街で演劇を作ることをやってた人が進行で、青年団の杉山至が企画ディレクションやってるんだけれども。これほんとに、「渋谷ノート」ですよ、発想としては。まさに。

 

——では、そろそろ時間なのでよろしければ何か一言。

山内 はい。DIYでやっていこうと思います。豊岡行ってね、どういう生活になるかイメージつかないんですけれども。大学ができてすごい目がキラキラ人した人たちが全国からやってくるっていうのはそれはもう鼻血が出そうなくらい楽しみです。一方でほんとに演劇をやるのに大変な時代になりつつあるからね。まぁでも、人権大事にしてDIYでやってたら間違わないんじゃないの?(笑)。

 

 

2020/11/14 インタビュー・構成/浅田麻衣

 

山内 健司(やまうち けんじ) 

1984年より劇団青年団に参加。平田オリザによる「現代口語演劇」作品のほとんどに出演。代表作『東京ノート』はこれまでに15カ国 24都市で上演された。劇場の中での演劇と、街や人と直接関わる劇場の外での演劇の、双方に取り組む。映画出演作として『歓待』など。平成22年度文化庁文化交流使として全編仏語一人芝居をヨーロッパ各地の小学校で単身上演。

 

高等科生の現在/アクターズ1期修了・中川ゆかりさん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第二弾はアクターズ・コース1期を修了した中川ゆかりさんです。

 

——大学は早稲田の演劇専攻だったかと思うんですけれども。演劇を始めたのはそこからになるんですか?
中川 遡ると中学校の演劇部が一番最初です。賢い同級生2人が入ったのが理由。自分が興味あったわけじゃなかったし、いつ辞めようってずっと思ってた(笑)。ただ、一個上の人たちがめちゃめちゃド派手な人たちだったのね。普通の中学なのに茶髪とかルーズソックスとかがすごい可愛くて。で、その人たちがなぜかすごい一生懸命演劇やってた。
——ギャルだ!‥‥ギャルが?
中川 そう!それがすごいかっこよかった。出身の神奈川県は演劇が結構盛んで、中学2年生の時、高校演劇をみんなで観に行って。県立高校の先生が書き下ろしたミュージカルの台本を借りて自分たちも上演しました。第二次世界大戦を描いた物語で、ひもじくて「じゃがいもください」って将軍に迫る群衆の一人を演じている時に、自分じゃない人=役の出来事を自分のことのように実感したのがすごく面白くて。その時に確か地区大会で優勝して、以降すごく真面目にやるようになりました。その後は同じ神奈川県発の(劇団)扉座の作品とか、いわゆるストレートプレイもやりました。そこで「演劇面白いんだー!」って思うんだけど、話飛ぶけどさ、私すごく友達がいなくて(笑)。だから中学生の自分は、演劇面白いなって思いながらもそれ以上に普通になりたい欲が強かった。何よりも友達が欲しい、仲間が欲しい。同時に「書く」こと、自分で物語を書くとか、小説、漫画を読むのも大好きでした。一人でできるし(笑)。高校は進学校に行くんですけど、演劇部はなかったんです。とにかく普通に友達がいる生活への憧れがすごかったのでなぜかバスケ部のマネージャーになったんだよね。
——うわあ、体育系。
中川 自分はプレイしないけど、チームの一員ってことが画期的だって思ってた(笑)。『スラムダンク』の知識しかないのに3年間真面目にやってました。頑張る人を応援したい気持ちには嘘はない、みたいな。でも高1の時に見た『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年/ラース・フォン・トリアー監督)にやべえってなっちゃった。強烈でした。なんかやばいもの見つけた感がすごくて、演劇部を思い出した。でも辞めれなくてさ、マネージャー。セルマ(ビョークの役名)を思いながらテーピング頑張る自分に悶々として…それ以降、他人のためだけにやりたいことを諦めるのは絶対やめようって学びました(笑)。普通に真面目な高校生活を送りながら内側では「ビョークになりたい!」ってなってた。そもそもビョークは職業俳優じゃないので色々間違ってることはさておき、「なりたい!」みたいにすぐなっちゃうんですよね。「これをやりたい」じゃなくて「これになりたい」っていうお年頃。この映画はとにかく声のインパクトがすごかった。人の声はすごいってここで知った記憶があります。
 当時、大学の講義を高校内で模擬聴講できる仕組みがあって、早稲田の文学部の教授がDragon Ashとかミスチルとかのポップスやラップのライムとシェイクスピアとか古典演劇の韻の共通項を挙げていくっていう面白い講義をやってた。そこで志望校決めました。同じく高3の夏に大学でも模擬講義を受けました。その時にはすっかり早稲田で演劇専攻するつもりで演劇の講義を受けたんですけど、そこで(サミュエル・)ベケット不条理演劇を教わった。それまでは中高生の演劇と日常的に見てるTVドラマや映画しか知らなかったので、役を演じることって「役の人として生きる」という生々しさを伴うものしかないと思ってたし、そういうものに自分も反応してました。 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』もしかり。その生々しさは怖いけどすごくかっこいいことなんじゃないかって思って。そこにベケットですよ。「意味わかんないじゃん!」って(笑)。太刀打ちできなさすぎて、どうやら演劇って私が思ってるのと全然違うってことの衝撃がまたすごかった。演劇無理かもと思いつつ、これがどうやら世界基準ですごいんだ、と知識としても得た。
 それくらいから分裂が始まるんですよね、自分の中で。自分がその折々でいいと思うものと、その世界でいいとされているものとをどう並べて、どう捉えていいのか分かんなくなった。演劇の難易度はどんどん上がっていきました。それでも言葉とか声とか物語への興味はずっともっていたので、まあやっぱりなにがしかは書いてました。日記とか、詩とか。難しいものでもあるんだけど、好きなものはいつも演劇や映画の中にあった。映画は小さい頃から親の影響で色々見てたものの、自分の容姿のコンプレックスで映像にはすんなりいけないだろうっていう自主規制もあった(笑)。当時、早稲田大学の第一文学部は専攻を二年生から決めるスタイルだったので、とりあえず文学部に入りましたね。 

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20代の頃の一コマ
 

——二回生で結局演劇に進むんですよね?
中川 うん。わかんないと思いつつ、いきましたね。「演劇映像専修」の演劇コース。今やってる「演技論・演技術」(※アクターズ高等科、山内健司さんの講義)のような座学とか、あとは当時ワークショップの枠が授業の中にあって私の年は宮沢章夫さんがいらしてました。
——遊園地再生事業団の。
中川 そうそう。同じく演劇専攻の学生に「遊園地再生事業団がすごく面白い」って聞いて初めて観ました。それまで映画はあれこれ見てたけど、演劇は全く見てなくて。遊園地見たときはベケットの時と同じで結構ポカーンとしつつ(笑)、今はこれがかっこいいのかって知る。自分が知らないだけだから、詳しい人たちがいいって言うなら何かあるんだろうって思って宮沢さんのワークショップや講義を学内外で受けてました。
 そのあたりからチェルフィッチュの岡田(利規)さんの市民向けワークショップに参加したり、ようやく日本の現代口語演劇に触れ始めるんですよね。今はまた方法論が進化してるんだと思いますが、初期の「3月の五日間」前後の、話す元のイメージ、モーターを身ぶりで回していく体験をしたり。今のリアリズムってこうなんだって現代演劇に触れつつ、知識の面では演劇史と芸術学を学んでました。歌舞伎や能などの日本の古典芸能からベケット、(ベルトルト・)ブレヒト以前・以後を知って、叙情的なものじゃなくて叙事的といわれるものに接近します。演者・観客双方ともに役との同一化やカタルシスのための演劇ではなくて、啓蒙的な、知的な行為として演劇を捉えるようになった。
——ベケットというと、「感動」という表現ではないですよね。
中川 感動の仕方がちょっと違うよね。ベケットにも心は動かされる。情念ではなく知的に構築された美しさ、ポエジーによって自分が動かされることにも同時に気付いていくので、いいものを教わったんだと後で思います。装置としての俳優、人形のような俳優への興味が強まりました。セノグラフィー、アフォーダンスとか。このときは演劇が好きだからというより、俳優に接近するため--俳優は何をしているのか、どうやったら魅力的な像がそこに存在するのかを考えるには、演劇を学ぶ方が適切なんじゃないかと思って勉強してた感じがある。
 個人的な文脈では、結局大学でも友達できないとか美醜コンプレックスの塊は継続してましたね(笑)。だから事務所に入って芸能活動という選択肢は念頭になくて、演劇なら私でもやっていいんじゃないかという謎の思い込みが根強くあった。今考えるといろんな面からどうかと思うんですけど、10代の自分にはすごく切実だった。自分が必要とされる場所、機能する場所はどこかって意味ではずっと切実なんだろうけど。
 ちょうど私が大学生の頃は新国立劇場の俳優養成所ができるタイミングでした。開校直前に、同じカリキュラムのテストケースとして2週間のワークショップ参加者募集が新聞で出たんですよ。なぜか書類が通って、みっちり朝から晩までRADA(Royal Academy of Dramatic Arts)のボディワークとかボイストレーニング、新劇系の基礎的な訓練の機会を得ました。他の講師には井上ひさしさんや、栗山民也さんや宮田恵子さんといった演出家もいらして。初めて本格的な俳優のレッスンに触れたのはこの時ですね。
 それまでの自分は、とにかく頭でっかちという自覚がありました。そもそもすごい妄想癖が強いし本を読んだり物語に没入するのが好きで、頭だけフル稼働で身体がおきざり。身体と中身が一致してないけどどうしていいかわからなかった。今考えると離人症に近い症状もあったと思います。そんな状態から、身体の存在に気づいたのがここ。自分にとって多分ユリイカ的なことが起こったんですね。
 でもその後学ぶ場所が分からなくて、「これは自分の人生に絶対いいことなんだけど、どうやって続けていけばいいんだ?」ってずっとぐるぐるしてしまって。でとりあえず朝走ってた、ありがちだけど(笑)。そしたらすごい自然物の存在が、がつんときたんです。足元の砂利とか、木とか、日の光とか、なんかそういうありとあらゆる「もの」を初めて自分の体が感じた、みたいな。そこら中にある「もの」と同等に、自分も地球を構成している有機的な一個の「もの」なんだ、みたいな。もの感が、すごい。
——すごいところにいかれましたね。
中川 スピ(リチュアル)系ぽいですよね、正直。めっちゃ合理的というか物理的なんだけどな。ただ実際それまで身体に対する違和感はずっとあったし、それは他者との関係性とも密接に結びついてたんですよね。10代の頃は常に自分の内側でしか本音を喋ってなかった。内側に溜めて書くとか、それしか自分を保てるものがない。自分の内外で起きるあらゆる出来事を書いて、整理して、納得するっていう処理の仕方をしてた。でも書くときって動く場所は一部だから「ここにいる体は一ミクロンも動いてない」っていう動かなさがまたコンプレックスで。頭でっかちな自分を嘘くさいとも思ってた。俳優はすごく身体的な人々だから、そこへの憧れもあったんです。目の前の人を魅了して、働きかける。映画見ててさ、泣いてる子にクラウンが花を出すと泣き止む、とか出てくる。クラウンがすげえ、これになりたいっていう憧れです。
 物理的に存在するものと自分の身体が同じ地平にある。身体も「もの」だって感覚はその後も私の思考に大きく影響してます。情緒や装飾、誇張、デフォルメは必須ではなくて「もの」はそのもので既に意味とか、存在が十化充満している。これはだいぶ美術寄りの発想ですかね。当時イサム・ノグチとか、(アルベルト・)ジャコメッティなどの彫刻とか、あとは写真が大好きで、「こんなに充たされてるものがここにあるぞ」って興奮してた。「俳優もこうなれるんじゃないの?」って。あと、アウグスト・ザンダーっていう写真家が大好きなんだけど、そこで写された人のもの感にも「これだ!」って。その後写真家の友人にその話をしたら、ザンダーの写真はすごく演出されて撮られてると教わるんですけどね。そんな時に(ロベール・)ブレッソンを知ったので、これまたすぐこれだってなっちゃった。いわゆるお芝居、リアリズム演技とは違うところに自分の芸術性を見出してました。影響受けやすいな、ほんと…。

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2007年、携わったパフォーマンスのフライヤー
 

——その後、教わってきた新国立とかそちらの方向に進もうとは思わなかったんですか?文学座俳優座とか‥‥
中川 当時就職活動のつもりで大小問わずいろんな演劇観てたんですが、新劇にはリアリティを感じられなかったんですよね。あと、早稲田って演劇サークルが盛んなことにも期待してたんですけど、これまた自分の感覚には合わなかった。ただ当時ジャニーズ事務所東京グローブ座で大学と組んで学生と演劇を作るプロジェクトがあって、その初回の時に出てるんです、私。
——出たんですか!
中川 実は過去イチ商業ベースですね(笑)。オーディションもあった。岡本健一さんが出演してくださって、だから一回共演したんですよ。モブなりに真面目にやってて、岡本さんに直接励ましをいただいたことが鮮明に思い起こされる…(笑)。そのときようやく「演技やっていいのかもしれない」って思ったな。大学卒業前後に宮沢章夫さんの舞台の手伝いに行った時とかにも「まあ、でも、やったらいいよお前は」って言ってもらって。まあそれは背中を押してもらったというか、ほしい言葉をくれただけな気もするんだけど(笑)。誰かに許可をもらわないとやっちゃいけない、みたいな呪いは解けてなかったなー。
 すごい話飛ぶんですけど、ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』は演出家からの目線なんですよね。演出・監督側からの俳優に対する要請。で、無意識と比較して、自意識・意思的な部分はすごい邪魔だと。人の真実の行動とはひたすら行為を繰り返すことでようやく到達しうるのだっていう。最近「演技論・演技術」の授業で読んでいる、例えばスタニスラフスキーリー・ストラスバーグなどのリアリズム演劇の演技論でも到達目標として無意識は話題に出てきて、だから実は目指すところは近いとようやく知り始めました。ただ、ブレッソンのモデル論はどうしても演出家目線だから、俳優本人がモデル論を自覚的に試そうとすると意識的な試みになる。学生の時はひたすら混乱してました。もの派の私としてはドキュメンタリーや写真に映された非職業俳優の存在感の強さに感動してて、とすると俳優いらないんじゃない? って超自己矛盾。自分の芸術観と俳優やりたい欲がぶつかって、やらない理由の方ばっかりすぐ見つかっちゃう(笑)。なんかいつもわざわざめんどくさい方にいきがちだな…。周りは結構すぐ舞台立ったりしてるのに自分はすんなりやれない。めっちゃそのことばっかり考えてるのになんでやれないんだろう? ってほんと、常に。ていうかそもそも演劇より映画ばっか見てた。
 その後、大学の教授からPort B(ポルト・ビー)を紹介していただいてお手伝いに行きだしました。当時Port Bは舞台で上演する作品と職業俳優ではなく街中で生きている市井の人々を「役者」にして、観客が出会うスタイルの作品を並行して手掛けてました。集まるクリエイターも非職業演劇人だった。大学卒業後、数年はフルタイムで働きながらPort Bをきっかけに知り合った方々と非職業俳優としてパフォーマンスを作ってました。自分なりのモデル論の実践というか、現在の日本で自分が芸術を実装、実践するにはこれかな、と。バイトしながら舞台にたつ演劇人という像は自分にはしっくりこなくてアマチュアリズムが当時の私のリアリティだった。そのときは即興音楽家の方との作業だったのでお芝居ではなく、バンドメンバーに近かったですね。密かに国内外のすごいミュージシャンと共演してたんだよな、素人なのに…(笑)。私は主に朗読です。目標は、自分という器を通って、ろ過して、装飾を脱がせた言葉そのものの意味が音として鳴るように、音楽に参加すること。楽器としての声を目指してました。あくまでアマチュアで。
 しばらくそうやっていた時に東日本大震災がありました。その時に改めて、思想云々はさておいて「俳優やりたい!」ていう欲と「シンプルに映画が好きだ!」てことに素直になれました。当時『クリーン』(2004年/オリヴィエ・アサイヤス監督)が、たぶんリバイバル上映されてたのを見たんです。マギー・チャン演じるヒロインが昔バンドのボーカルだったんだけど今はやめてて、もう一回歌い始めるっていう展開にめちゃめちゃ自分を重ねて…(笑)。当時二十代後半にかかって会社員として週5日働きながら土日使ってパフォーマンス作って発表してって生活を一生やっていくのか? てことに足りてなさもあって。
 この時も最初は、とにかく映画の勉強をしたいって思った。大学卒業時も映画美学校の説明会に行っていたので改めて調べたら、ちょうど「アクターズ・コース」ができる年だったのでそっちに。やっとここまで来た(笑)。
——で、アクターズ・コースに入ったわけですね。
中川 はい。説明会の時に山内(健司)さんが話していたことが「この人が言ってることわかる!」ってアマチュアなりに思ったのがめっちゃ大きかった(笑)。

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アクターズ・コース第1期高等科実習作品『ジョギング渡り鳥』より
 

——青年団の芝居は観てたんですか?
中川 学生の頃から観てました。でも当時は自分の進む方向とは思ってなかった。多分完全に指向性の問題ですよね。とにかくもの派、存在命!みたいなことになってたので。
——で、アクターズに2年間いたわけですよね。
中川 うん、2年間行きましたね。
——じゃあ本格的に映画美学校で映像と演劇を、身体も伴ってやったっていうことですかね?
中川 ちゃんとお芝居をやるのはそこがスタートです。ちなみに今はものだけじゃなくて生き物って思ってるよ!
——アクターズ・コースが終わった後は、劇団とかに所属はしてないんですっけ?
中川 してないですね。場所探したり人探したりはしたんですけど、でも、なかったなぁ。並行して、子ども向けのワークショップをやる側に立つようにはなりました。俳優としてファシリテーターのアシスタントに入ったり。やっぱり、いかに日常に芸術を実装するかってことを考えて。ただ、なんにせよ一緒にやれる人がいないことにいつも悩んでる。なんでかな。友達いないと同じこと、ずっと言ってますよね(笑)。
——あ、でも佐野(真規)さんとかと一緒にPV作ったりしていたのは?
中川 『River River』は佐野さんが持ってきてくれた話です。個人で受けた仕事を一緒にやろうって言ってくれた。感謝…。すごい最小限のメンバーで、横須賀で二日間撮影してめちゃ楽しかったです。前後しますが、『ジョギング渡り鳥』の後、「海に浮かぶ映画館」を主催している深田隆之さんの長編『ある惑星の散文』に出演しました。この作品では私が元俳優の役だったこともあって、海に浮かぶ映画館でこの長編を上映後に自作自演の一人芝居をやらせていただいたりもしました。深田さんとはその後も色々ご一緒してます。あ、いるのか、一緒にやってくれてる人。
——(笑)。舞台とかはそんなに?
中川 全然やってないですね。映画美学校にいる間に1本呼んでもらったのがあったくらいで。演劇メインの方にすごい聞きたかったんですけど、次の出演作が決まる仕組みってどうなってるの?
——自分が関西にいた頃は、劇団に入ってしまえば、なぜか呼ばれてたんですよ、怖いくらいに。自分がすごかったわけでは決してないけど、とりあえず使おうぜみたいないろんな劇団に呼んでいただいて。若かったのもあると思うんですけど。
中川 (芝居を)観ていいなって思われるパターンだ。
——ワークショップとかオーディションに行きまくり顔を覚えてもらい、っていうパターンももちろんあると思うんですけど。ただ私は長期的、継続的に創作する仲間が欲しい人だから、なかなか難しいなって思います。ワークショップとかオーディションの刹那的な出会いだと。もちろん自分の技術不足もあるんですけど。
中川 私もそうですね、継続的に一緒に作れる人が欲しい。前に山内さんとその話をしてたら「そんなのね、まずは1人でやったらいいんだよ」って言われました。「1人でやってれば繋がったりするからさ」って。それで一人芝居やったってのもある。山内さんがこれまで考えてこられたことって自分のリアリティと直結してるんですよね。自分が考えてることをずっと前からやってて超先に進んでる人、みたいな。山内さんの一人芝居って、ご自身の生きてきた時間と、その場所と、その場所に折り重なった時間とこれから先(未来)を今この身体に集約するみたいな作り方されてて、それがすごくかっこいいなーと。自分も一人芝居作るときはそういうことを意識して作っているつもりです。年1本とかコツコツ継続しようと思いつつも、最近は書くのが捗らない。自分が面白いと思わなきゃ書き始められなくて。職人的な、量産できる蓄積がないので、なかなか捗らないですね…。
——事務所には入ってますよね?あれは自分から出したりしたんですか?
中川 今の事務所(ユーステール)の代表兼マネージャーの神原(健太朗)さんが『ジョギング渡り鳥』を観てくれて、神原さんが開催してる映画遠足というイベントで知り合ったのがきっかけですね。映画のオーディションってフリーだと機会がなかなかないですからね。神原さんは本当に映画がお好きでインディーズ作品もよく見てらっしゃるし、髪色変えるのも面白がってくれるし、とてもありがたいです。

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中川さんのご自宅にある本棚(一部)
 

——私はずっと関西にいて、4年前くらいに東京に来たんですけど、改めて信用ってフリーの立場だと得るのは大変だなと思いました。あと結局オーディションがネットとか、人づてくらいしかないし。私も事務所入ったらいいのかなって考えたりもしますけど。でも結局は、事務所というか仲間が欲しいっていうところに行き着いてます、現状。
中川 それはすごいあるよね。事務所は私もたまたまご縁があっただけです。自分でやってつながる方がダイレクトっていう山内さんの意見はもちろんごもっともって感じだよね。
——いざ自分がやるとしたら、どうしたらいいのかっていうのは常々思ってますね。
中川 浅田さんはログライン・ピラティスも来てくれるけどさ、演じるだけじゃなくて、その土台を自分で作る欲もあるんでしょう? 
(※ログライン・ピラティス:アクターズ修了生、フィクション・コース修了生の有志で集まっている緩やかな団体。ログラインから企画・脚本を考える)
——欲はあるんですけどね。一緒に創る仲間が、なかなか……
中川 そこは難しいですよね、本当に。稽古もさ、したいと思ってもすぐできなくない? 演技の本とか読んでると「次これやってみようかな?」とかアップデートしたことを試したい、稽古したいと思っても、そのために人を付き合わせるとき誰に言ったらいいかわからない。同じテンションやペースでやれる人求む、常に。というかマイペースすぎる、私。
——緊急事態宣言で出勤勤務がなくなった時、一人芝居のレパートリーを増やせたらいいなと思って、やろうとしてたんですけど。でもやったところで誰かに対して見せないと意味がない、でも誰に見せるの?ってなって。社会発信できるレベルじゃない!どうしたらいいの?ってなってました。なんとか最近は、少しですが自分が作った映像を出せるようにはなったんですけど。
中川 私もつい自分の癖として、人前に出せるものになるまで表に出せないって思いがち。そんなこと考えずに一回出したほうがいいけど、難しさを勝手に持ちだしてしまいますよね。
——そんなにハードルないはずなんですけどね。
中川 性格か習性か。でも小さくても、作って出すところまでちゃんとやるっていうのはやっぱり大事だな。今後の展望としては自分の企画をちゃんと脚本化したいです。いま先に進めてないので年内に初稿をあげるところがまず目標。
——やべえ、私も書こう。書いて撮るまでいけたら最高ですよね。
中川 そうだね。数年かかるのは承知の上で、何とか作りたい。
——来年形にして、メンバーを募って、撮れたら最高ですよね。頑張ろう。
中川 定期的にお互いのネタを「こうなったら面白くなるんじゃないか?」って意見を出しあっていくのはポジティブで本当に楽しいよね。励まされるし、お互いにいい風に使えたらいいなっていうのは常に思っています。
——場所は使ってなんぼですからね。ログライン・ピラティスでは皆さんの意見の言い方も、忌憚なく、でもすごくうまくアドバイスくれるっていうか。提示の仕方がうまいなって思います。
中川 そうなんですよ。あの集まりはまさにブレストをしてて、否定的にならずに発展させあう感じがとてもいいよね。あとみんな映画好き。よく見てる。監督・脚本がメインの方もいるので創作母体としても可能性がある。逆に俳優部は少ないです。同じメンバーで新・旧『椿三十郎』のシーンを分析して、同じカット割りで試し撮りするっていう勉強会もやりました。同じシーンを今の自分たちの感覚で撮るとしたらどう撮るかまで。これも4人ぐらいで、俳優部私のみ。黒澤明はほんとにすごかったって体で思い知る会だった(笑)。打ちのめされる。勉強になる。
 元々の思考もありますけど、私は何か作るときに最初に物語や言葉が最初にあります。1人でやるDIY精神ももともと強い。出演映画の配給宣伝や広報とかなんでもやってきたしなー。そういう意味では、「自分で作れる俳優になる」、アクターズ・コースのキャッチフレーズのまんまですかね? ただ特段売れてないしコンスタントに作れてはないので(笑)、まだまだ。人から呼んでもらうことはさておき、自分で書いて作る準備をしてます。

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近影
 

——自分も今その境地ですね。呼ばれるの待ってたらもう遅いなって。自分で呼ぶくらいの気概はないとダメだと思ったんですよ、ここ数年間で。一時期オーディションにめちゃめちゃ応募していた時もあったんですけど、それもなんか違うなって。選ぶ・選ばれないっていうのが今の私にはちょっとしんどいなって。
中川 誰かの物語に入っていく、そこで何ができるだろう? という興味もあります。最近やっと私もそういう機会を楽しもうと思えるようになった。今まではとにかくそういう場が怖いのもあって自分でやるのでいいです、みたいな消極的な感じもあったんですけどね(笑)。今は出来なさも含めて挑戦することにポジティブになってるな。もう36歳だし。10年前にそうだったらもうちょいアグレッシブな生き方だったかな? どっかに常に引く癖があるよね。日本の、特に女性でそういう人は少なくないと思いつつ、自意識に足を絡め取られずに素直に手を挙げられる、物事に向かえる人を見ると素敵だなって本当に思います。この凸凹な過剰さも自分かーとかは思いつつ、なんせまあ、一つ一つに時間がかかる。
——私も30超えてからですね。だからもう自分で作ろう、DIY精神です。
中川 そうですね。一人でもDIY精神でいこう!ってのが今回のキャッチフレーズ。
——でも1人だと寂し過ぎるから一緒に稽古しましょう(笑)。
中川 本当にやろうね。基礎訓練、自分のための。ひたすら実践するのはすごく大事だなと思ってます。上手くなりたい。当たり前じゃないか、失敗ぐらい!ってようやくこの年齢で思う。ほんと遅い。ここまで時間がかかったってことは、これからもかかるね。今後も大人として、経年に伴う等身大の、現在的な知性をもって映画を作りたいです。アジア映画人の文脈に連なりたい。数年後にこのインタビューがいい形で発掘されますように…(笑)。

 

2020/10/27 インタビュー・構成/浅田麻衣

 

中川 ゆかり(なかがわ ゆかり)
1984年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業、映画美学校アクターズ・コース第1期高等科修了。ユーステール所属。俳優としての活動のほか、都立高校での演劇講師や海外映画・ドラマの日本語吹替版制作進行も行う。最近は赤みピンク髪。

 

「俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜」/映画の歴史から探る俳優の演技について

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アクターズ・コースで以前学んだ、映画史における演技の変遷から辿る「現代の演技」についての思索を発展的に継続します。演じることについてみんなで考えながら、広く生きることの哲学まで関心を広げていくことを目指します。一方で、今の日本映画の状況と社会の状況を比較しつつ、俳優という職業の在り方を考えていきます。(高等科要綱から抜粋)

深田晃司さんが担当される基礎ゼミ「俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜」。(※基礎ゼミ:希望者全員受講可能できるゼミ)

第1回目の冒頭は、ゼミについての説明から始まった。

ー俳優の演技について、ホン読みをしたりして実際に台詞を喋って考えるというよりは、「俳優の仕事」について考えるイメージ。哲学的、観念的に「そもそも演技とはなんなのか」という話をしたい。俳優の技術というよりも演じることの哲学までおりていく、皆で考えていけることを目標にする。また、社会における文化芸術の価値についても話していきたい。

普段、舞台や映像などに関わる際に、「なぜ自分が演じるのか」ということは折に触れて考えることはあるけれど、「なぜ表現が社会に必要なのか」ということは考える機会が少ないように感じて、それが私自身今回この講義を受講しようと考えたきっかけでもある。
自分が劇団に所属している時にはそういうことを考えたり、ディスカッションすることが多かったけれど、フリーで動くようになった今、なかなかそういうことを考えたり、そしてそれを話せる場、団体というものは少ないように感じていた(それは最近、不健康な気がしてならない)。
このゼミを20人ほどが受講しているのだけれど、非常に心強く感じている。

 

 

まずは自己紹介から

今回、人数が多いゼミということもあり、受講生の自己紹介から始まった。深田さんからのお題は「お芝居をやろうと思ったきっかけは何か」ということ。同期からそういうことを聞くことはあったけれど、やはり期をまたぐとなかなかそういうことを聞く機会は少ない。人数が多くて自己紹介は実は1時間40分にも及んだけれど、とても面白い時間だった。

また、自身が受講生の時にも思っていたけれど、深田さんは「受講生を一人の俳優」として向き合ってくれている。講師、受講生としての立場はもちろんあるけれど、上記のように向き合ってくれるのはとても嬉しい。対等にあろうとすることを無意識下に行ってくれているというか。

映画の歴史について

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第1回目の今回は、深田さんがアクターズ・コース生にこれまで講義をしてきた内容の振り返りが主となった。
映画の誕生、歴史について深田さんが語っていく。印象的だったのは上の画像にもある「写真銃」の話からの「カメラの暴力性」の話。写真銃というのはなかなかにごつくて、個人的には非常に心惹かれる物体ではあるのだけれど、ただ「銃」という呼称のとおり、少々暴力的なイメージもある。

カメラに向いていると、相手が期待することを言ってしまったりするし、カメラは決して透明な存在ではない。それが与える暴力性も俳優は知っておく必要がある。そして職業俳優は、「カメラを透明な存在」として扱える技術が必要になってくる(もちろん透明ではありえないのだけれど)

「無意識」の発掘

話はサイレント映画、そしてトーキーにうつっていく。

youtu.be

「Sunrise: A Song of Two Humans | F.W. Murnau (1927).」

サイレント表現では、言葉がないため表現が「記号的」になる。参考資料として皆で見た上記の映画は、表情は押さえめではあるが、女優のほうは3割ほどデフォルメしている印象。しかし作品のバランスとして非常にいいバランスで成立している(一部抜粋でも非常に面白かった。早く全編を見よう)

そこから、トーキーにうつっていく過程で俳優が喋る必要性、すなわち「声」が求められてくる。そこで、演劇・舞台を主に活動してきた「舞台俳優」と映像とが接近する。演劇の俳優が映像の世界に入っていくようになる。そして、話は1930年代の『グランド・ホテル』、1950年代のロベール・ブレッソンの作品との比較へとうつっていく。
「●●らしく見える」‥‥輪郭がくっきりとした演技は非常に分かりやすいけれども、普段私たちは生活を全て説明しているか?悲しい人は誰から見ても「悲しい」という素振りをしているか?

これまで人間は全て自分を意識でコントロールできると思っていたが、「無意識」が概念として発見された20世記と、それまでとで映像の演技は違ってくるのではないかということを深田さんは述べた。

自分たちの行動は自由意志で選択しているが、その選択が果たしてどこまで自分自身の意識で選択されているのかは誰にもわからない。『グランド・ホテル』はあまりにもコントロールされすぎている。悲しい人が誰から見ても悲しい表現をすることはない。むしろそういうふうに見える人は自意識過剰に見える。(子どもが泣き叫んでおもちゃをせがむのは、日常にあることであり、それが適切なサイズといえる)

「演劇的演技/映像的演技」について

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「演劇的演技」と「映画的演技」の本質は一緒だが、アウトプットの仕方が違う。演劇の演技は劇場のサイズに左右される(例えば、客席が3000人と300人の場合とでは明らかに演技が異なってくる)
「オーバーで演技が合っていない」と言われてしまう場合は、敢えて演出家が意図している場合もあるが、往々にして単純に空間のサイズに見合っていない場合に言われることが多い。

深田さんが映画で求めている演技は、「観客が0人」をベースにしている、という。届けなくちゃいけない観客は「そこにはいない」。目の前には共演者しかいないという感覚が意識されるかどうかで変わってくる。

「説明的である」演技は悪なのか?

舞台を主に活動してきた俳優が、「説明的、オーバーな演技をしている」といわれることは往々にしてある。しかし、深田さんは「説明的であること」は決して悪ではなく、適切な説明量が必要だと語った。

2種類のCMを参考に説明へとうつる。どちらも「家族」を描いたものであるが、一方は朝食の準備を笑顔で幸せそうにしている母親がメインのCM。一方は、日常を過ごす家族を淡々と、あまりデフォルメすることなく映し出したCM。前者の笑顔は家族に見せているものではなく、その笑顔はカメラの奥にいる視聴者への説明としての「記号」として描かれているから、我々は違和感を感じる。(朝食の準備を「毎日している」ということが前提に描かれているCMだが、果たして人は毎日笑顔で準備をするか?という違和感)説明量の適切さについてそのCMを比較することで知った。

「演技する」というスイッチが入ると、そこにいない観客が幽霊のように立ち上がり、過剰な演技をしてしまうことがある。まずきちんと目の前の俳優に届けることが必要。

受講生時代に受けていた講義の復習という一面が強かった講義であるが、改めてこの講義を受けて、普段無意識下で自戒をこめて行っている行動(演技の説明量の調節)を文字化、言語化することの大切さを感じた。
映画美学校アクターズ・コースはその学校名が表すとおり、「映像と演劇」が交わる場であるが、監督がこのように演劇、演技について語ってくれることは自分にとって多角的に演技について語るチャンスをくれる貴重な場所である。

これから更に、演技について深堀りしていく過程に入っていくのが非常に楽しみである。

 

文章:浅田麻衣