映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2017年9月開講決定!

個人史から語るアクターズ・コース、その4

アクターズ・コース修了生の生態を探るべく、その個人史をひもとく当シリーズ。今回の登場は、先日アクターズ・コース公演『美学』を終えたばかりの、第3期生の吉岡紗良だ。昨年5月の開講の翌月、演劇集団「Q」のオーディションを受けて合格し、11月の「FESTIVAL/TOKYO」などの公演に次々と参加(次回作『迷迷Q』4/24〜5/1@こまばアゴラ劇場)。学びと実践を同時進行で乗り越えた彼女に、濃密な1年間を聞いた。(取材・文/小川志津子)

f:id:eigabigakkou:20140327192857j:plain

[撮影:侑沙

――小さい頃は、どんな子だったんですか?

とにかく動くことが大好きで、幼稚園のおゆうぎ会では必ずダンスのある役をやりたがっていたみたいです。それで周りの人たちが「バレエか新体操を習わせた方がいい」っていう話になって、近所のバレエ教室に行ってみたところ、速攻で「私、ここに通いたい!」と思いました。6歳の頃でしたね。

――踊ることの、何が心をとらえたのでしょう。

単純に、「自分を見てほしい」とか「ほめられたい」とか、そういうことじゃないかと思います(笑)。でも、がむしゃらに人をかき分けてでも前へ出たい!というのではなくて。例えば中学受験の時とかも、「あなたならこのレベルまで行けるよ」って言われた中で「じゃあここにします」って自分で選んだ感じだったんですね。基本的に「自分はどうしたいのか」「どういう環境に身を置きたいか」ということを主軸に動いてきたと思います。

f:id:eigabigakkou:20140207154421j:plain

――演劇と出会ったのは、大学でしたか。

早稲田大学文学部の「演劇映像コース」に進みました。でも自分で演じたいというのではなくて、「観る」ことを勉強したいなと思っていたんです。お芝居を普通に観ると「面白かった」「面白くなかった」「自分には合う」「合わない」みたいな感想で終わってしまうと思うんですけど、古典の知識や、ものの見かたを学ぶと、同じ芝居でもまったく違って見えるんですよね。もぐればもぐるほど、深いものがあるのだということを大学で知りました。特に、ソーントン・ワイルダーの研究をしておられる水谷八也先生が、「ままごと」の柴幸男さんや「マームとジプシー」の藤田貴大さんが大好きで。彼らの演劇とワイルダーの作品がどうつながっているかを、すごく熱く語ってくださったんです。私たちとは年齢がかけ離れていても、同じものを観て「面白い」って思えるんだ、というのがすごくうれしかったですね。

――柴幸男さんは『わが星』で頭角を現した方ですね。ワイルダーの『わが町』を大きく翻案した作品でした。

私が『わが星』を最初に観たのは大学3年の時でした。ただただ感激して、何だかよくわからないんだけど、全速力で自転車を漕いで帰りました(笑)。それと、「マーム~」と飴屋法水さんが組んで上演された『マームと誰かさん・ふたりめ飴屋法水さんとジプシー』(2012年)は、たぶん生きてきて一番衝撃を受けたと思います。なんというか……壊れてしまいそうなんだけど、ものすごく強い何かを感じて。その日は、家に帰った記憶がないくらい、放心状態でしたね。

――演劇を「観る」ことの喜びとは、どういったあたりでしょう。

何かひとつの作品で、人生がまるごと変わってしまうことが、演劇には絶対にあるなということ。私は『わが星』を観て、初めて「この中に入りたい!」って思ったんです。それは「俳優になりたい!」というのとは少し違った感情でした。同級生たちが参加している演劇サークルは、どこか政治的だったり、ほとんどセミプロみたいなレベルだったり、あるいは「みんなが楽しければいいよね♪」っていう感じだったりしたので、「自分が居たい場所かどうか」で考えると、そうじゃないなという気がして。それとは別の場所を、自分で何か探りあてなければいけないと思いました。

――ものの選び方が、冷静ですね。

自分が好きなものが、あまりにもはっきりしていたので(笑)。

         ◆

――その思いが映画美学校へ行き着いたのは、どういった経緯でしたか?

青年団のお芝居をよく拝見するようになってから、他のお芝居を観ても、素敵だなと思った俳優さんの多くが「(青年団)」って書いてあることが多くて。それで「無隣館」(青年団が手がける演劇人育成機関)の説明会にも行ったんですけど、でもその……すごく正直に言ってしまうと……ちょっとビビってしまって(笑)。ここに入るには、自分はあまりにも何も知らなすぎる、と思って、願書を出せなかったんです。

――そのビビりは、とても大事なものだと感じます。今の自分が居るべき場所について、コンシャスであるということ。

もちろん、映画美学校が簡単に見えたとかでは全くないんです。実際に1年経ってみたら、自分とはそぐわなくて、何も残りませんでした、っていうこともありうるなとは思っていました。でも、それでも、何かしたい!と思って。

――入ってみて、どうでしたか。

正解だった、と思っています。すごく中身の濃い1年間でした。「Q」での活動も並行していたので、出られなかった授業もあったんですけど、でも映画美学校で教わったことが「Q」でも問われるという場面が何度もあったんですね。教わったことを、すぐに実際の現場で理解できたのは、すごく良かったと思っています。

――「Q」と映画美学校の違いはどんなあたりでしたか。

映画美学校は、世代も経験値も、生きてきた環境も、まったく違う方ばかりだっ

たという点ですね。特に3期生は個性が強くて、普通の俳優養成所では集まらないような方たちばかりで(笑)。ばらっばらの人たちが、ばらっばらのまま模索していくという、すさまじい環境でした。普通に暮らしていたらきっと出会わなかった人たちと、深く通じ合えたりすることが、多々ありましたね。

――1年前の自分には無かった、映画美学校で得た実感というのはありますか?

去年、2期生の修了公演のアフタートークで、演出をされた松井周さんがアクターズ生について「巧さとは違うかもしれないけど、みんな、ふにゃふにゃだ」と言われていたそうなんです。最初から「これはこうだ」と決めてしまわずに、どんな役が来ても、ふにゃりとその形になれる柔軟性を持っていると。それって、バレエのバーレッスンに似ているなと思って。身体をあたためて、柔らかくして、音楽が鳴ったらすぐ踊り出せるようにしておく。この1年間、その訓練をしてきたんじゃないかと思います。

――今は、「俳優になりたい」ですか?

はい。講師の方たちと接するうちに、それを強く感じるようになりました。どの方も、その「人」自身が本当に魅力的なんですね。不遜な言い方ですけど、かっこいい大人だな、って思うんです。この仕事をして、家族を持っている方もおられて。地に足をつけて「この仕事で生きている」ということを、目の前で証明してくださるというか。もちろん、俳優として生きていく中で、理想と現実が矛盾することも多くあると思うんですけど、でもその両方を込みで、ご自身の実感として語ってくださる。そのことが、とてもうれしかったんです。

――ではこれから先、映画美学校と関わっていきたかったり、やってみたかったりすることはありますか。

1期生や2期生の先輩方は、カリキュラムを修了した後も、何かとこの学校を行き来されているんですよね。自分で映画を撮り始めてみたり、フィクション・コースの方とつながりを持ち続けていたり。講師の方々も、ずっと気にかけてくださる……かどうかはわからないですけど(笑)、問いかければきっと答えていただけると思うんです。映画美学校は、そうやってずっと「関わりを絶たれない場所」なのだと思います。それに、昨年末の「映画美学校映画祭」では、先輩方が自主的に演劇公演を行なったんですね。それはものすごくエネルギーが要ることだし、同時に、楽しいことなんだろうなと強く感じたんです。映画美学校と関わり続ける中で、私もいつか、自分から生み出すという機会を持てたらいいなと、漠然とですが思っています。