読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画美学校アクターズ・コース ブログ

映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。映画・演劇を横断し活躍する「俳優養成講座 」 2016年9月2日(金)開講決定!

【SFリレーエッセイ第1回】「Sっぽいの、好き」(古澤健)

今回のアクターズ・コース公演「石のような水」は、もともと映像作家アンドレイ・タルコフスキーのSF作品からインスパイアされて作られた作品です。

SFとは……サイエンスフィクションという意味。

考えてみると、映画美学校で最近制作された作品もSF作品が多い。

なぜ、作り手はSF作品に魅了されるのか。

ここでは映画美学校の講師である映画監督がSFに関しての小話をお届けします!

第1回目はアクターズ・コース主任講師の古澤健監督。古澤監督はアクターズ・コース制作作品『どきどきメモリアル』を制作、そして現在製作中の『ゾンからのメッセージ』(鈴木卓爾監督)で脚本を担当されています!

::::::::::::::::::::

 僕の考えるSF(映画)は、実は科学とはあまり関係ない。
 というか、実のところ、「科学」のことなんて誰もわかってないでしょ? それでもSFは十分に成立するし、楽しめる。

 いま製作中の『ゾンからのメッセージ』(鈴木卓爾監督)の中で、僕はこんなセリフを書いた。

 「仕組みはわからなくても操作はできるんだからそれでいいじゃない。この町で生きていくっていうのは、そういうことでしょ」

  仕組みはわからない。が、Aというボタンを押すと、Bという結果が生み出される。そういう仕掛けでドラマを生み出すのが、SFなのではないか。極論だけど。

  で、大事なのはその「ボタン」というのが具体的であるということ。

  たとえば、霊感のある人がキーパーソンになってるドラマにはあまりグッとこない。が、霊の声を受信する装置が出てくるドラマには惹きつけられる。霊が本当にあるのかどうかはわからないが、それに対して「科学っぽい」アプローチをするのは好きだ。で、「科学っぽさ」を演出するのは、霊感ではなく受信装置であったりする。霊感のある人を出すのであれば、その人の脳の特定部位を調べると……などと言って、脳に電極を刺す場面があればサイコーだ。

  いずれにせよ、「科学(S)っぽさ」があると、なんだかわからないけど納得してしまう。

 そこで起きることが、現実世界でも本当に起こりえるかどうか、ということもどうでもいい、と僕は思う。

  たとえば、『ジュラシックパーク』の冒頭でいかにして絶滅した恐竜を復活させられたかの説明がある。そのこと事態にワクワクする人たちがいることも知っている。現実世界でも本当に起こりえるかもしれないからこそ、その後のドラマにワクワクできるのだ、とその人たちは言うだろう。

  でも実際のところ、理屈などすべて理解できるわけじゃない。本当はDNAがなんであるかだって、理解できてるかどうか怪しいもんだ。「科学的な説明だ!」という印象に操られているだけだ。

  まあ、「現実世界でも本当に起こりえるかどうか」を評価軸にする人はこの際、放っておこう。

  これから語られる荒唐無稽な、奇想に満ちた物語にノってもらうために、『ジュラシックパーク』ではアニメーションも使った「一見科学的な説明」で煙に巻いているが、大概はもっとテキトーだ。

 

 『ゼイリブ』では、ある特殊なサングラス(という設定だが、見た目はどこにでもある黒眼鏡)をかけると、肉眼では見えないメッセージや、人間にばけた宇宙人の正体が見えてしまう。正体を知ったからには、仲間に伝えたくなるし、奴らと戦わないではいられない! こういう感じ。

 そのサングラスの仕組みなんてひとっことも映画では説明されない。だって観客はそれ越しの街の風景を実際に見てしまうんだから。説明じゃなくて、体験させられちゃう(と書きながら、どうでもいいことを考えてしまった。3D映画館の出口で特殊な眼鏡を渡されて、それをかけると現実世界が実は2Dであることがわかり、主人公は「みんなだまされている!」と気づくという話。だからなんだ……)。

  『ターミネーター』だと、未来からやってきたターミネーターや人間は、路上に突然全裸で現れる。大事なポイントは「路上」と「全裸」。風呂場に登場してしまったら、タイムスリップ感はゼロだ。ありえないような組み合わせで観客をびっくりさせてから、「いやあ、あれはね、未来から来たんだよ」とホラをふく。観客の放心状態につけこんだ、うまい手だ。「自宅から来たんだよ」と言われたら、「全裸で? ありえないよ!」と言われるが、「未来から来たんだよ」と言われたら、「それは、まあ……それなら、全裸も仕方ないか」となる。で、そのタイムスリップの原理はどうなってるの?と尋ねられたら、未来の技術なんだから、現代人はそれを正当に評価できないでしょ、とジェームズ・キャメロンなら説明すると思うね。「ぜっっっっっっったいにありえないとは言えないでしょ」という小学生の理屈。

  ちなみに今度の『ターミネーター』ではシュワルツェネッガーがまたT-800を演じるらしいが、皮膚は生体なのでそこだけ老いる、とキャメロンは言ってるらしい。信用できる人だ。

 『レポマン』は……あれもSFなんだろう。なにしろ宇宙人の死体が重要なアイテムなのだから。宇宙人の死体は危険、それを見たら人間は消滅する、以上。どうしてなのかはわからない。地球外から来たものなのだから、その理屈がわかるわけがない。わからないから科学者たちは調査したいと思うのだろう。宇宙とはそういうものだ。『ゼイリブ』でサングラス越しに風景が一変してしまうのを観客は体験するが、『レポマン』でも僕たちは本当に人間が消えてしまうのを目撃する……というと語弊があるけど。

 つまりこういうこと。

 未来も過去も宇宙も、それらが舞台となるとき、「そういう設定の嘘ですけど、本物だと思って観てくださいね」ということを観客が受け入れて成立する。演劇の場合には観客の想像力=創造力はより強く求められるが、映画も同じだ。映画の場合、「見立て」の精度をあげていって、観客が想像で補う負担を軽くするけれど、「見立て」であることに変わりはない(ところで僕は中学生のとき、『スペースキャンプ』を見て、「アメリカ映画はすごいな。映画のために本当にスペースシャトルを飛ばすんだ」と思った。その話をすると大抵バカにされるのだが。あと、『ショートサーキット』のロボットも「本物」だと思ってた。あの妙にチャチな感じが「本物感」を生み出していた)。

 ところが、人間が目の前で突然消えてしまう、というトリックは、観客にそれを体験させてしまう種類のものだ。たとえば火星のセットが映っていたとして、映画を観たすべての観客にとってそれが「火星」と受け止められる、ということはありえない。が、なにかがパッと消えるトリックは、現実的に観客の視界からそのなにかが消えてしまう。

 先日アップリンク・ファクトリーで『どきどきメモリアル』を上映したら、4歳くらいの男の子が主人公がパッと消えた瞬間に、「あ、消えた!」と声をあげていた。嬉しかった。「ね、映画って不思議でしょ」と声をかけたくなってしまった。

 そういうことができるから、SFって面白い。

 


The Vanishing Lady (1896) - GEORGES MELIES ...


Repo Man (1984) - Original Theatrical Trailer in HD ...

広告を非表示にする