映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2021、9/1(水)開講決定!

高等科生の現在/アクターズ1期修了・中川ゆかりさん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第二弾はアクターズ・コース1期を修了した中川ゆかりさんです。

 

——大学は早稲田の演劇専攻だったかと思うんですけれども。演劇を始めたのはそこからになるんですか?
中川 遡ると中学校の演劇部が一番最初です。賢い同級生2人が入ったのが理由。自分が興味あったわけじゃなかったし、いつ辞めようってずっと思ってた(笑)。ただ、一個上の人たちがめちゃめちゃド派手な人たちだったのね。普通の中学なのに茶髪とかルーズソックスとかがすごい可愛くて。で、その人たちがなぜかすごい一生懸命演劇やってた。
——ギャルだ!‥‥ギャルが?
中川 そう!それがすごいかっこよかった。出身の神奈川県は演劇が結構盛んで、中学2年生の時、高校演劇をみんなで観に行って。県立高校の先生が書き下ろしたミュージカルの台本を借りて自分たちも上演しました。第二次世界大戦を描いた物語で、ひもじくて「じゃがいもください」って将軍に迫る群衆の一人を演じている時に、自分じゃない人=役の出来事を自分のことのように実感したのがすごく面白くて。その時に確か地区大会で優勝して、以降すごく真面目にやるようになりました。その後は同じ神奈川県発の(劇団)扉座の作品とか、いわゆるストレートプレイもやりました。そこで「演劇面白いんだー!」って思うんだけど、話飛ぶけどさ、私すごく友達がいなくて(笑)。だから中学生の自分は、演劇面白いなって思いながらもそれ以上に普通になりたい欲が強かった。何よりも友達が欲しい、仲間が欲しい。同時に「書く」こと、自分で物語を書くとか、小説、漫画を読むのも大好きでした。一人でできるし(笑)。高校は進学校に行くんですけど、演劇部はなかったんです。とにかく普通に友達がいる生活への憧れがすごかったのでなぜかバスケ部のマネージャーになったんだよね。
——うわあ、体育系。
中川 自分はプレイしないけど、チームの一員ってことが画期的だって思ってた(笑)。『スラムダンク』の知識しかないのに3年間真面目にやってました。頑張る人を応援したい気持ちには嘘はない、みたいな。でも高1の時に見た『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年/ラース・フォン・トリアー監督)にやべえってなっちゃった。強烈でした。なんかやばいもの見つけた感がすごくて、演劇部を思い出した。でも辞めれなくてさ、マネージャー。セルマ(ビョークの役名)を思いながらテーピング頑張る自分に悶々として…それ以降、他人のためだけにやりたいことを諦めるのは絶対やめようって学びました(笑)。普通に真面目な高校生活を送りながら内側では「ビョークになりたい!」ってなってた。そもそもビョークは職業俳優じゃないので色々間違ってることはさておき、「なりたい!」みたいにすぐなっちゃうんですよね。「これをやりたい」じゃなくて「これになりたい」っていうお年頃。この映画はとにかく声のインパクトがすごかった。人の声はすごいってここで知った記憶があります。
 当時、大学の講義を高校内で模擬聴講できる仕組みがあって、早稲田の文学部の教授がDragon Ashとかミスチルとかのポップスやラップのライムとシェイクスピアとか古典演劇の韻の共通項を挙げていくっていう面白い講義をやってた。そこで志望校決めました。同じく高3の夏に大学でも模擬講義を受けました。その時にはすっかり早稲田で演劇専攻するつもりで演劇の講義を受けたんですけど、そこで(サミュエル・)ベケット不条理演劇を教わった。それまでは中高生の演劇と日常的に見てるTVドラマや映画しか知らなかったので、役を演じることって「役の人として生きる」という生々しさを伴うものしかないと思ってたし、そういうものに自分も反応してました。 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』もしかり。その生々しさは怖いけどすごくかっこいいことなんじゃないかって思って。そこにベケットですよ。「意味わかんないじゃん!」って(笑)。太刀打ちできなさすぎて、どうやら演劇って私が思ってるのと全然違うってことの衝撃がまたすごかった。演劇無理かもと思いつつ、これがどうやら世界基準ですごいんだ、と知識としても得た。
 それくらいから分裂が始まるんですよね、自分の中で。自分がその折々でいいと思うものと、その世界でいいとされているものとをどう並べて、どう捉えていいのか分かんなくなった。演劇の難易度はどんどん上がっていきました。それでも言葉とか声とか物語への興味はずっともっていたので、まあやっぱりなにがしかは書いてました。日記とか、詩とか。難しいものでもあるんだけど、好きなものはいつも演劇や映画の中にあった。映画は小さい頃から親の影響で色々見てたものの、自分の容姿のコンプレックスで映像にはすんなりいけないだろうっていう自主規制もあった(笑)。当時、早稲田大学の第一文学部は専攻を二年生から決めるスタイルだったので、とりあえず文学部に入りましたね。 

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20代の頃の一コマ
 

——二回生で結局演劇に進むんですよね?
中川 うん。わかんないと思いつつ、いきましたね。「演劇映像専修」の演劇コース。今やってる「演技論・演技術」(※アクターズ高等科、山内健司さんの講義)のような座学とか、あとは当時ワークショップの枠が授業の中にあって私の年は宮沢章夫さんがいらしてました。
——遊園地再生事業団の。
中川 そうそう。同じく演劇専攻の学生に「遊園地再生事業団がすごく面白い」って聞いて初めて観ました。それまで映画はあれこれ見てたけど、演劇は全く見てなくて。遊園地見たときはベケットの時と同じで結構ポカーンとしつつ(笑)、今はこれがかっこいいのかって知る。自分が知らないだけだから、詳しい人たちがいいって言うなら何かあるんだろうって思って宮沢さんのワークショップや講義を学内外で受けてました。
 そのあたりからチェルフィッチュの岡田(利規)さんの市民向けワークショップに参加したり、ようやく日本の現代口語演劇に触れ始めるんですよね。今はまた方法論が進化してるんだと思いますが、初期の「3月の五日間」前後の、話す元のイメージ、モーターを身ぶりで回していく体験をしたり。今のリアリズムってこうなんだって現代演劇に触れつつ、知識の面では演劇史と芸術学を学んでました。歌舞伎や能などの日本の古典芸能からベケット、(ベルトルト・)ブレヒト以前・以後を知って、叙情的なものじゃなくて叙事的といわれるものに接近します。演者・観客双方ともに役との同一化やカタルシスのための演劇ではなくて、啓蒙的な、知的な行為として演劇を捉えるようになった。
——ベケットというと、「感動」という表現ではないですよね。
中川 感動の仕方がちょっと違うよね。ベケットにも心は動かされる。情念ではなく知的に構築された美しさ、ポエジーによって自分が動かされることにも同時に気付いていくので、いいものを教わったんだと後で思います。装置としての俳優、人形のような俳優への興味が強まりました。セノグラフィー、アフォーダンスとか。このときは演劇が好きだからというより、俳優に接近するため--俳優は何をしているのか、どうやったら魅力的な像がそこに存在するのかを考えるには、演劇を学ぶ方が適切なんじゃないかと思って勉強してた感じがある。
 個人的な文脈では、結局大学でも友達できないとか美醜コンプレックスの塊は継続してましたね(笑)。だから事務所に入って芸能活動という選択肢は念頭になくて、演劇なら私でもやっていいんじゃないかという謎の思い込みが根強くあった。今考えるといろんな面からどうかと思うんですけど、10代の自分にはすごく切実だった。自分が必要とされる場所、機能する場所はどこかって意味ではずっと切実なんだろうけど。
 ちょうど私が大学生の頃は新国立劇場の俳優養成所ができるタイミングでした。開校直前に、同じカリキュラムのテストケースとして2週間のワークショップ参加者募集が新聞で出たんですよ。なぜか書類が通って、みっちり朝から晩までRADA(Royal Academy of Dramatic Arts)のボディワークとかボイストレーニング、新劇系の基礎的な訓練の機会を得ました。他の講師には井上ひさしさんや、栗山民也さんや宮田恵子さんといった演出家もいらして。初めて本格的な俳優のレッスンに触れたのはこの時ですね。
 それまでの自分は、とにかく頭でっかちという自覚がありました。そもそもすごい妄想癖が強いし本を読んだり物語に没入するのが好きで、頭だけフル稼働で身体がおきざり。身体と中身が一致してないけどどうしていいかわからなかった。今考えると離人症に近い症状もあったと思います。そんな状態から、身体の存在に気づいたのがここ。自分にとって多分ユリイカ的なことが起こったんですね。
 でもその後学ぶ場所が分からなくて、「これは自分の人生に絶対いいことなんだけど、どうやって続けていけばいいんだ?」ってずっとぐるぐるしてしまって。でとりあえず朝走ってた、ありがちだけど(笑)。そしたらすごい自然物の存在が、がつんときたんです。足元の砂利とか、木とか、日の光とか、なんかそういうありとあらゆる「もの」を初めて自分の体が感じた、みたいな。そこら中にある「もの」と同等に、自分も地球を構成している有機的な一個の「もの」なんだ、みたいな。もの感が、すごい。
——すごいところにいかれましたね。
中川 スピ(リチュアル)系ぽいですよね、正直。めっちゃ合理的というか物理的なんだけどな。ただ実際それまで身体に対する違和感はずっとあったし、それは他者との関係性とも密接に結びついてたんですよね。10代の頃は常に自分の内側でしか本音を喋ってなかった。内側に溜めて書くとか、それしか自分を保てるものがない。自分の内外で起きるあらゆる出来事を書いて、整理して、納得するっていう処理の仕方をしてた。でも書くときって動く場所は一部だから「ここにいる体は一ミクロンも動いてない」っていう動かなさがまたコンプレックスで。頭でっかちな自分を嘘くさいとも思ってた。俳優はすごく身体的な人々だから、そこへの憧れもあったんです。目の前の人を魅了して、働きかける。映画見ててさ、泣いてる子にクラウンが花を出すと泣き止む、とか出てくる。クラウンがすげえ、これになりたいっていう憧れです。
 物理的に存在するものと自分の身体が同じ地平にある。身体も「もの」だって感覚はその後も私の思考に大きく影響してます。情緒や装飾、誇張、デフォルメは必須ではなくて「もの」はそのもので既に意味とか、存在が十化充満している。これはだいぶ美術寄りの発想ですかね。当時イサム・ノグチとか、(アルベルト・)ジャコメッティなどの彫刻とか、あとは写真が大好きで、「こんなに充たされてるものがここにあるぞ」って興奮してた。「俳優もこうなれるんじゃないの?」って。あと、アウグスト・ザンダーっていう写真家が大好きなんだけど、そこで写された人のもの感にも「これだ!」って。その後写真家の友人にその話をしたら、ザンダーの写真はすごく演出されて撮られてると教わるんですけどね。そんな時に(ロベール・)ブレッソンを知ったので、これまたすぐこれだってなっちゃった。いわゆるお芝居、リアリズム演技とは違うところに自分の芸術性を見出してました。影響受けやすいな、ほんと…。

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2007年、携わったパフォーマンスのフライヤー
 

——その後、教わってきた新国立とかそちらの方向に進もうとは思わなかったんですか?文学座俳優座とか‥‥
中川 当時就職活動のつもりで大小問わずいろんな演劇観てたんですが、新劇にはリアリティを感じられなかったんですよね。あと、早稲田って演劇サークルが盛んなことにも期待してたんですけど、これまた自分の感覚には合わなかった。ただ当時ジャニーズ事務所東京グローブ座で大学と組んで学生と演劇を作るプロジェクトがあって、その初回の時に出てるんです、私。
——出たんですか!
中川 実は過去イチ商業ベースですね(笑)。オーディションもあった。岡本健一さんが出演してくださって、だから一回共演したんですよ。モブなりに真面目にやってて、岡本さんに直接励ましをいただいたことが鮮明に思い起こされる…(笑)。そのときようやく「演技やっていいのかもしれない」って思ったな。大学卒業前後に宮沢章夫さんの舞台の手伝いに行った時とかにも「まあ、でも、やったらいいよお前は」って言ってもらって。まあそれは背中を押してもらったというか、ほしい言葉をくれただけな気もするんだけど(笑)。誰かに許可をもらわないとやっちゃいけない、みたいな呪いは解けてなかったなー。
 すごい話飛ぶんですけど、ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』は演出家からの目線なんですよね。演出・監督側からの俳優に対する要請。で、無意識と比較して、自意識・意思的な部分はすごい邪魔だと。人の真実の行動とはひたすら行為を繰り返すことでようやく到達しうるのだっていう。最近「演技論・演技術」の授業で読んでいる、例えばスタニスラフスキーリー・ストラスバーグなどのリアリズム演劇の演技論でも到達目標として無意識は話題に出てきて、だから実は目指すところは近いとようやく知り始めました。ただ、ブレッソンのモデル論はどうしても演出家目線だから、俳優本人がモデル論を自覚的に試そうとすると意識的な試みになる。学生の時はひたすら混乱してました。もの派の私としてはドキュメンタリーや写真に映された非職業俳優の存在感の強さに感動してて、とすると俳優いらないんじゃない? って超自己矛盾。自分の芸術観と俳優やりたい欲がぶつかって、やらない理由の方ばっかりすぐ見つかっちゃう(笑)。なんかいつもわざわざめんどくさい方にいきがちだな…。周りは結構すぐ舞台立ったりしてるのに自分はすんなりやれない。めっちゃそのことばっかり考えてるのになんでやれないんだろう? ってほんと、常に。ていうかそもそも演劇より映画ばっか見てた。
 その後、大学の教授からPort B(ポルト・ビー)を紹介していただいてお手伝いに行きだしました。当時Port Bは舞台で上演する作品と職業俳優ではなく街中で生きている市井の人々を「役者」にして、観客が出会うスタイルの作品を並行して手掛けてました。集まるクリエイターも非職業演劇人だった。大学卒業後、数年はフルタイムで働きながらPort Bをきっかけに知り合った方々と非職業俳優としてパフォーマンスを作ってました。自分なりのモデル論の実践というか、現在の日本で自分が芸術を実装、実践するにはこれかな、と。バイトしながら舞台にたつ演劇人という像は自分にはしっくりこなくてアマチュアリズムが当時の私のリアリティだった。そのときは即興音楽家の方との作業だったのでお芝居ではなく、バンドメンバーに近かったですね。密かに国内外のすごいミュージシャンと共演してたんだよな、素人なのに…(笑)。私は主に朗読です。目標は、自分という器を通って、ろ過して、装飾を脱がせた言葉そのものの意味が音として鳴るように、音楽に参加すること。楽器としての声を目指してました。あくまでアマチュアで。
 しばらくそうやっていた時に東日本大震災がありました。その時に改めて、思想云々はさておいて「俳優やりたい!」ていう欲と「シンプルに映画が好きだ!」てことに素直になれました。当時『クリーン』(2004年/オリヴィエ・アサイヤス監督)が、たぶんリバイバル上映されてたのを見たんです。マギー・チャン演じるヒロインが昔バンドのボーカルだったんだけど今はやめてて、もう一回歌い始めるっていう展開にめちゃめちゃ自分を重ねて…(笑)。当時二十代後半にかかって会社員として週5日働きながら土日使ってパフォーマンス作って発表してって生活を一生やっていくのか? てことに足りてなさもあって。
 この時も最初は、とにかく映画の勉強をしたいって思った。大学卒業時も映画美学校の説明会に行っていたので改めて調べたら、ちょうど「アクターズ・コース」ができる年だったのでそっちに。やっとここまで来た(笑)。
——で、アクターズ・コースに入ったわけですね。
中川 はい。説明会の時に山内(健司)さんが話していたことが「この人が言ってることわかる!」ってアマチュアなりに思ったのがめっちゃ大きかった(笑)。

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アクターズ・コース第1期高等科実習作品『ジョギング渡り鳥』より
 

——青年団の芝居は観てたんですか?
中川 学生の頃から観てました。でも当時は自分の進む方向とは思ってなかった。多分完全に指向性の問題ですよね。とにかくもの派、存在命!みたいなことになってたので。
——で、アクターズに2年間いたわけですよね。
中川 うん、2年間行きましたね。
——じゃあ本格的に映画美学校で映像と演劇を、身体も伴ってやったっていうことですかね?
中川 ちゃんとお芝居をやるのはそこがスタートです。ちなみに今はものだけじゃなくて生き物って思ってるよ!
——アクターズ・コースが終わった後は、劇団とかに所属はしてないんですっけ?
中川 してないですね。場所探したり人探したりはしたんですけど、でも、なかったなぁ。並行して、子ども向けのワークショップをやる側に立つようにはなりました。俳優としてファシリテーターのアシスタントに入ったり。やっぱり、いかに日常に芸術を実装するかってことを考えて。ただ、なんにせよ一緒にやれる人がいないことにいつも悩んでる。なんでかな。友達いないと同じこと、ずっと言ってますよね(笑)。
——あ、でも佐野(真規)さんとかと一緒にPV作ったりしていたのは?
中川 『River River』は佐野さんが持ってきてくれた話です。個人で受けた仕事を一緒にやろうって言ってくれた。感謝…。すごい最小限のメンバーで、横須賀で二日間撮影してめちゃ楽しかったです。前後しますが、『ジョギング渡り鳥』の後、「海に浮かぶ映画館」を主催している深田隆之さんの長編『ある惑星の散文』に出演しました。この作品では私が元俳優の役だったこともあって、海に浮かぶ映画館でこの長編を上映後に自作自演の一人芝居をやらせていただいたりもしました。深田さんとはその後も色々ご一緒してます。あ、いるのか、一緒にやってくれてる人。
——(笑)。舞台とかはそんなに?
中川 全然やってないですね。映画美学校にいる間に1本呼んでもらったのがあったくらいで。演劇メインの方にすごい聞きたかったんですけど、次の出演作が決まる仕組みってどうなってるの?
——自分が関西にいた頃は、劇団に入ってしまえば、なぜか呼ばれてたんですよ、怖いくらいに。自分がすごかったわけでは決してないけど、とりあえず使おうぜみたいないろんな劇団に呼んでいただいて。若かったのもあると思うんですけど。
中川 (芝居を)観ていいなって思われるパターンだ。
——ワークショップとかオーディションに行きまくり顔を覚えてもらい、っていうパターンももちろんあると思うんですけど。ただ私は長期的、継続的に創作する仲間が欲しい人だから、なかなか難しいなって思います。ワークショップとかオーディションの刹那的な出会いだと。もちろん自分の技術不足もあるんですけど。
中川 私もそうですね、継続的に一緒に作れる人が欲しい。前に山内さんとその話をしてたら「そんなのね、まずは1人でやったらいいんだよ」って言われました。「1人でやってれば繋がったりするからさ」って。それで一人芝居やったってのもある。山内さんがこれまで考えてこられたことって自分のリアリティと直結してるんですよね。自分が考えてることをずっと前からやってて超先に進んでる人、みたいな。山内さんの一人芝居って、ご自身の生きてきた時間と、その場所と、その場所に折り重なった時間とこれから先(未来)を今この身体に集約するみたいな作り方されてて、それがすごくかっこいいなーと。自分も一人芝居作るときはそういうことを意識して作っているつもりです。年1本とかコツコツ継続しようと思いつつも、最近は書くのが捗らない。自分が面白いと思わなきゃ書き始められなくて。職人的な、量産できる蓄積がないので、なかなか捗らないですね…。
——事務所には入ってますよね?あれは自分から出したりしたんですか?
中川 今の事務所(ユーステール)の代表兼マネージャーの神原(健太朗)さんが『ジョギング渡り鳥』を観てくれて、神原さんが開催してる映画遠足というイベントで知り合ったのがきっかけですね。映画のオーディションってフリーだと機会がなかなかないですからね。神原さんは本当に映画がお好きでインディーズ作品もよく見てらっしゃるし、髪色変えるのも面白がってくれるし、とてもありがたいです。

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中川さんのご自宅にある本棚(一部)
 

——私はずっと関西にいて、4年前くらいに東京に来たんですけど、改めて信用ってフリーの立場だと得るのは大変だなと思いました。あと結局オーディションがネットとか、人づてくらいしかないし。私も事務所入ったらいいのかなって考えたりもしますけど。でも結局は、事務所というか仲間が欲しいっていうところに行き着いてます、現状。
中川 それはすごいあるよね。事務所は私もたまたまご縁があっただけです。自分でやってつながる方がダイレクトっていう山内さんの意見はもちろんごもっともって感じだよね。
——いざ自分がやるとしたら、どうしたらいいのかっていうのは常々思ってますね。
中川 浅田さんはログライン・ピラティスも来てくれるけどさ、演じるだけじゃなくて、その土台を自分で作る欲もあるんでしょう? 
(※ログライン・ピラティス:アクターズ修了生、フィクション・コース修了生の有志で集まっている緩やかな団体。ログラインから企画・脚本を考える)
——欲はあるんですけどね。一緒に創る仲間が、なかなか……
中川 そこは難しいですよね、本当に。稽古もさ、したいと思ってもすぐできなくない? 演技の本とか読んでると「次これやってみようかな?」とかアップデートしたことを試したい、稽古したいと思っても、そのために人を付き合わせるとき誰に言ったらいいかわからない。同じテンションやペースでやれる人求む、常に。というかマイペースすぎる、私。
——緊急事態宣言で出勤勤務がなくなった時、一人芝居のレパートリーを増やせたらいいなと思って、やろうとしてたんですけど。でもやったところで誰かに対して見せないと意味がない、でも誰に見せるの?ってなって。社会発信できるレベルじゃない!どうしたらいいの?ってなってました。なんとか最近は、少しですが自分が作った映像を出せるようにはなったんですけど。
中川 私もつい自分の癖として、人前に出せるものになるまで表に出せないって思いがち。そんなこと考えずに一回出したほうがいいけど、難しさを勝手に持ちだしてしまいますよね。
——そんなにハードルないはずなんですけどね。
中川 性格か習性か。でも小さくても、作って出すところまでちゃんとやるっていうのはやっぱり大事だな。今後の展望としては自分の企画をちゃんと脚本化したいです。いま先に進めてないので年内に初稿をあげるところがまず目標。
——やべえ、私も書こう。書いて撮るまでいけたら最高ですよね。
中川 そうだね。数年かかるのは承知の上で、何とか作りたい。
——来年形にして、メンバーを募って、撮れたら最高ですよね。頑張ろう。
中川 定期的にお互いのネタを「こうなったら面白くなるんじゃないか?」って意見を出しあっていくのはポジティブで本当に楽しいよね。励まされるし、お互いにいい風に使えたらいいなっていうのは常に思っています。
——場所は使ってなんぼですからね。ログライン・ピラティスでは皆さんの意見の言い方も、忌憚なく、でもすごくうまくアドバイスくれるっていうか。提示の仕方がうまいなって思います。
中川 そうなんですよ。あの集まりはまさにブレストをしてて、否定的にならずに発展させあう感じがとてもいいよね。あとみんな映画好き。よく見てる。監督・脚本がメインの方もいるので創作母体としても可能性がある。逆に俳優部は少ないです。同じメンバーで新・旧『椿三十郎』のシーンを分析して、同じカット割りで試し撮りするっていう勉強会もやりました。同じシーンを今の自分たちの感覚で撮るとしたらどう撮るかまで。これも4人ぐらいで、俳優部私のみ。黒澤明はほんとにすごかったって体で思い知る会だった(笑)。打ちのめされる。勉強になる。
 元々の思考もありますけど、私は何か作るときに最初に物語や言葉が最初にあります。1人でやるDIY精神ももともと強い。出演映画の配給宣伝や広報とかなんでもやってきたしなー。そういう意味では、「自分で作れる俳優になる」、アクターズ・コースのキャッチフレーズのまんまですかね? ただ特段売れてないしコンスタントに作れてはないので(笑)、まだまだ。人から呼んでもらうことはさておき、自分で書いて作る準備をしてます。

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近影
 

——自分も今その境地ですね。呼ばれるの待ってたらもう遅いなって。自分で呼ぶくらいの気概はないとダメだと思ったんですよ、ここ数年間で。一時期オーディションにめちゃめちゃ応募していた時もあったんですけど、それもなんか違うなって。選ぶ・選ばれないっていうのが今の私にはちょっとしんどいなって。
中川 誰かの物語に入っていく、そこで何ができるだろう? という興味もあります。最近やっと私もそういう機会を楽しもうと思えるようになった。今まではとにかくそういう場が怖いのもあって自分でやるのでいいです、みたいな消極的な感じもあったんですけどね(笑)。今は出来なさも含めて挑戦することにポジティブになってるな。もう36歳だし。10年前にそうだったらもうちょいアグレッシブな生き方だったかな? どっかに常に引く癖があるよね。日本の、特に女性でそういう人は少なくないと思いつつ、自意識に足を絡め取られずに素直に手を挙げられる、物事に向かえる人を見ると素敵だなって本当に思います。この凸凹な過剰さも自分かーとかは思いつつ、なんせまあ、一つ一つに時間がかかる。
——私も30超えてからですね。だからもう自分で作ろう、DIY精神です。
中川 そうですね。一人でもDIY精神でいこう!ってのが今回のキャッチフレーズ。
——でも1人だと寂し過ぎるから一緒に稽古しましょう(笑)。
中川 本当にやろうね。基礎訓練、自分のための。ひたすら実践するのはすごく大事だなと思ってます。上手くなりたい。当たり前じゃないか、失敗ぐらい!ってようやくこの年齢で思う。ほんと遅い。ここまで時間がかかったってことは、これからもかかるね。今後も大人として、経年に伴う等身大の、現在的な知性をもって映画を作りたいです。アジア映画人の文脈に連なりたい。数年後にこのインタビューがいい形で発掘されますように…(笑)。

 

2020/10/27 インタビュー・構成/浅田麻衣

 

中川 ゆかり(なかがわ ゆかり)
1984年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業、映画美学校アクターズ・コース第1期高等科修了。ユーステール所属。俳優としての活動のほか、都立高校での演劇講師や海外映画・ドラマの日本語吹替版制作進行も行う。最近は赤みピンク髪。