映画美学校アクターズ・コース ブログ

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映画美学校アクターズ・コースの公式ブログです。アクターズ・コース俳優養成講座2023、9/1(金)開講決定!

「俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜」/映画の歴史から探る俳優の演技について

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アクターズ・コースで以前学んだ、映画史における演技の変遷から辿る「現代の演技」についての思索を発展的に継続します。演じることについてみんなで考えながら、広く生きることの哲学まで関心を広げていくことを目指します。一方で、今の日本映画の状況と社会の状況を比較しつつ、俳優という職業の在り方を考えていきます。(高等科要綱から抜粋)

深田晃司さんが担当される基礎ゼミ「俳優について考える連続講座〜演技・環境・生きること〜」。(※基礎ゼミ:希望者全員受講可能できるゼミ)

第1回目の冒頭は、ゼミについての説明から始まった。

ー俳優の演技について、ホン読みをしたりして実際に台詞を喋って考えるというよりは、「俳優の仕事」について考えるイメージ。哲学的、観念的に「そもそも演技とはなんなのか」という話をしたい。俳優の技術というよりも演じることの哲学までおりていく、皆で考えていけることを目標にする。また、社会における文化芸術の価値についても話していきたい。

普段、舞台や映像などに関わる際に、「なぜ自分が演じるのか」ということは折に触れて考えることはあるけれど、「なぜ表現が社会に必要なのか」ということは考える機会が少ないように感じて、それが私自身今回この講義を受講しようと考えたきっかけでもある。
自分が劇団に所属している時にはそういうことを考えたり、ディスカッションすることが多かったけれど、フリーで動くようになった今、なかなかそういうことを考えたり、そしてそれを話せる場、団体というものは少ないように感じていた(それは最近、不健康な気がしてならない)。
このゼミを20人ほどが受講しているのだけれど、非常に心強く感じている。

 

 

まずは自己紹介から

今回、人数が多いゼミということもあり、受講生の自己紹介から始まった。深田さんからのお題は「お芝居をやろうと思ったきっかけは何か」ということ。同期からそういうことを聞くことはあったけれど、やはり期をまたぐとなかなかそういうことを聞く機会は少ない。人数が多くて自己紹介は実は1時間40分にも及んだけれど、とても面白い時間だった。

また、自身が受講生の時にも思っていたけれど、深田さんは「受講生を一人の俳優」として向き合ってくれている。講師、受講生としての立場はもちろんあるけれど、上記のように向き合ってくれるのはとても嬉しい。対等にあろうとすることを無意識下に行ってくれているというか。

映画の歴史について

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第1回目の今回は、深田さんがアクターズ・コース生にこれまで講義をしてきた内容の振り返りが主となった。
映画の誕生、歴史について深田さんが語っていく。印象的だったのは上の画像にもある「写真銃」の話からの「カメラの暴力性」の話。写真銃というのはなかなかにごつくて、個人的には非常に心惹かれる物体ではあるのだけれど、ただ「銃」という呼称のとおり、少々暴力的なイメージもある。

カメラに向いていると、相手が期待することを言ってしまったりするし、カメラは決して透明な存在ではない。それが与える暴力性も俳優は知っておく必要がある。そして職業俳優は、「カメラを透明な存在」として扱える技術が必要になってくる(もちろん透明ではありえないのだけれど)

「無意識」の発掘

話はサイレント映画、そしてトーキーにうつっていく。

youtu.be

「Sunrise: A Song of Two Humans | F.W. Murnau (1927).」

サイレント表現では、言葉がないため表現が「記号的」になる。参考資料として皆で見た上記の映画は、表情は押さえめではあるが、女優のほうは3割ほどデフォルメしている印象。しかし作品のバランスとして非常にいいバランスで成立している(一部抜粋でも非常に面白かった。早く全編を見よう)

そこから、トーキーにうつっていく過程で俳優が喋る必要性、すなわち「声」が求められてくる。そこで、演劇・舞台を主に活動してきた「舞台俳優」と映像とが接近する。演劇の俳優が映像の世界に入っていくようになる。そして、話は1930年代の『グランド・ホテル』、1950年代のロベール・ブレッソンの作品との比較へとうつっていく。
「●●らしく見える」‥‥輪郭がくっきりとした演技は非常に分かりやすいけれども、普段私たちは生活を全て説明しているか?悲しい人は誰から見ても「悲しい」という素振りをしているか?

これまで人間は全て自分を意識でコントロールできると思っていたが、「無意識」が概念として発見された20世記と、それまでとで映像の演技は違ってくるのではないかということを深田さんは述べた。

自分たちの行動は自由意志で選択しているが、その選択が果たしてどこまで自分自身の意識で選択されているのかは誰にもわからない。『グランド・ホテル』はあまりにもコントロールされすぎている。悲しい人が誰から見ても悲しい表現をすることはない。むしろそういうふうに見える人は自意識過剰に見える。(子どもが泣き叫んでおもちゃをせがむのは、日常にあることであり、それが適切なサイズといえる)

「演劇的演技/映像的演技」について

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「演劇的演技」と「映画的演技」の本質は一緒だが、アウトプットの仕方が違う。演劇の演技は劇場のサイズに左右される(例えば、客席が3000人と300人の場合とでは明らかに演技が異なってくる)
「オーバーで演技が合っていない」と言われてしまう場合は、敢えて演出家が意図している場合もあるが、往々にして単純に空間のサイズに見合っていない場合に言われることが多い。

深田さんが映画で求めている演技は、「観客が0人」をベースにしている、という。届けなくちゃいけない観客は「そこにはいない」。目の前には共演者しかいないという感覚が意識されるかどうかで変わってくる。

「説明的である」演技は悪なのか?

舞台を主に活動してきた俳優が、「説明的、オーバーな演技をしている」といわれることは往々にしてある。しかし、深田さんは「説明的であること」は決して悪ではなく、適切な説明量が必要だと語った。

2種類のCMを参考に説明へとうつる。どちらも「家族」を描いたものであるが、一方は朝食の準備を笑顔で幸せそうにしている母親がメインのCM。一方は、日常を過ごす家族を淡々と、あまりデフォルメすることなく映し出したCM。前者の笑顔は家族に見せているものではなく、その笑顔はカメラの奥にいる視聴者への説明としての「記号」として描かれているから、我々は違和感を感じる。(朝食の準備を「毎日している」ということが前提に描かれているCMだが、果たして人は毎日笑顔で準備をするか?という違和感)説明量の適切さについてそのCMを比較することで知った。

「演技する」というスイッチが入ると、そこにいない観客が幽霊のように立ち上がり、過剰な演技をしてしまうことがある。まずきちんと目の前の俳優に届けることが必要。

受講生時代に受けていた講義の復習という一面が強かった講義であるが、改めてこの講義を受けて、普段無意識下で自戒をこめて行っている行動(演技の説明量の調節)を文字化、言語化することの大切さを感じた。
映画美学校アクターズ・コースはその学校名が表すとおり、「映像と演劇」が交わる場であるが、監督がこのように演劇、演技について語ってくれることは自分にとって多角的に演技について語るチャンスをくれる貴重な場所である。

これから更に、演技について深堀りしていく過程に入っていくのが非常に楽しみである。

 

文章:浅田麻衣

高等科生の現在/アクターズ6期修了・米川幸リオンさん

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アクターズ・コースを修了して、様々な方向に進んでいる修了生たち。
高等科を受講している現在の彼らに、スポットを当てました。第一弾はアクターズ・コース6期を修了した米川幸リオンさんです。
修了後、チェルフィッチュなどに参加。また、現在アクターズ・コース6期の同期だった仁田直人さんと「伯楽-hakuraku-」という団体で映画をつくっています。
(注:お話を聞いた浅田がアクターズ同期かつ、関西で同じく日々を過ごしたため、少々会話がくだけております)

 

——京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)を卒業して、すぐに東京に来たんだっけ?
米川 そう。2016年の3月に卒業して、4月には東京来て、9月には映画美学校入ってって感じかな。
——東京に来たのはなんで?
米川 それは、鈴木卓爾さん、映画監督の。(京造の)卒業制作で『人間シャララ宣言』を撮った時に卓爾さんにメインキャストで出てもらって。そこですごい面白い経験がいくつかあって、それで卓爾さんともっと一緒に何か作りたいなって思ってたけど、「卒業」っていうことで大学をどうしたって出なきゃいけないっていう感覚になって。でも卓爾さんのこと、卓爾さんがどうやっていまのような考えを持っていったのかってことに興味が湧いていて。そしたら卓爾さんは映画美学校をやっている、やっていた経験があるって聞いて「あっ、受けたい」って思って来たっていうのが一つと。もう一つは、暇だった。っていうのが(笑)二大巨頭です。
——‥‥卓爾さんの講義って6期あったっけ?
米川 6期はなくって。5期までは一応あったのかな?みたいな。でも俺らが入るタイミングでやめたのかな。「あっ、あっ‥‥」ってなって。入れ違いだ、って。
——じゃあ最初の思惑とはちょっと外れた。
米川 まあでもなんか‥‥自分が「即戦力」みたいなことではないと思ってたから。業界というか、これから活動していくにあたってもっと勉強したいな、もっと勉強しなきゃなんにもできねえよなっていう状態だったから、だから映画美学校で勉強できるのは素直に楽しみやった。まあ、全部あれですけど。暇の言い訳なんですけど(笑)

——6期の時って、一番印象的だったことってあります?半年間色々ありましたけど。
米川 ‥‥今思い出そうとして、話そうとしたら色々と出てきちゃって、どれだ!ってなってるんやけど。‥‥講師陣の、言葉がすごい面白かった。
——言葉か。
米川 なんていうの?金言、みたいな。「金言ってこういうことか!」って思うことが多々あって。俺が今でも創作してる時に支えられてる言葉があって、山内(健司)さんが講義中に、誰だろう‥‥誰だったかが、すごく芝居のテンポが速かった時に、山内さんが止めて「速いね」って話をして。「一回息を吸ってみましょう」って言った後、その人に対して「ここには吸っていい空気があります」って言って。「わっ!」ってなった。「空気を吸っていい」って考え方って面白いなって。ここには吸っていい空気があります、って言った後に、そのあと続けて「誰に言われてやっている芝居でもないからね」って言って。「たしかに!うわっ何だそれ〜〜!」って。それだけで受講料払ってよかったって思っとる(笑)
 今特に思い出すのはそれかなあ。それを言える状態とか経験って…どういうこと?って。そういうのがすごく面白かったな、俺。っていうのが色々なシチュエーションでずっと続いてるような‥‥なんか、あの半年間は俺の中ではいまでもポジティブにずっとふわふわしてる。
——私、言葉を逆に覚えてない‥‥あの時は週4、5の講義で本当てんやわんやで、いろんな宿題に追われてたから、それをこなすのが精一杯で。ようやく気付けたって感じがするな、この1・2年間で。特に山内さんの演出された『革命日記』で役者参加した時。稽古中、「再現性って分かる?」って話になって。それに「同じ芝居をすることですよね」って受講生が答えて「君、毎日お味噌汁とか作る?自炊する?」「あっ、します」「毎日自炊する時に色々考えてやってる?」「いや、無意識でやってます」「それだよ!」って。「同じ料理を毎日無意識に作り続ける、それを演技の時もやるっていうことが再現性なんだよ」って言われて。「ふはーー!」って思って。
米川 うわあ、なるほど。山内さんすごいね。味噌汁毎日作りながら「これが演技か!」って思ってるのか?すごい‥‥。浅田さんが、山内さんの『革命日記』出演するって見た時に、恐怖と羨ましさがバーン!ときたね。本当になんか、なんだろうね。アクター「ズ」って感じがしたね。山内さんが演出することって。 

f:id:eigabigakkou:20201127165802j:plain修了公演『Movie Sick』映像シーンのための撮影に出かけた時の一コマ

 

——今思うと、受け入れられる空間だったなーと思いましたね。絶対否定から入らないから、そこがすごいなと思って。演技初めての子もいたけど、あのへんがすぐに馴染めていったっていうのはそれもあるのかな、って。
米川 すごいよね。今高等科やってても、やっぱりそれはつよく感じる。
——緊張は多少あるけど、傷つけられない空間っていうのは感じる。
米川 山内さんが「俳優の権利と危機管理」の講義の中で、「自分が作品の企画に回る時と、回らない時ではコロナとかの問題でも違ってきますよね」って話をしてた時に、その流れだったかな、権力構造で上に立った場合は、下に対して「どれだけケアしてもしすぎることはない」って言ってて。俺も最近は、(仁田)直人たちと一緒に映画を作る時なんかは企画サイドに立つことがあるから。そのこころがけかたっていうのはね、とても影響受けてるなって思ったんだよな。
 さっき言っていた「全員を受け入れるスタイル」もあるし、あとは映画美学校の修了公演で山内さんが演出した『革命日記』でも、俺2回くらい小屋入りした時リハを見に行ってて、そこでもめっちゃケアしてるのが分かった。「おっ、すごい」って。
——最初の段階でおっしゃってたんだよね。「僕はみんなより年上で、キャリアもあって、しかも男性で演出だから、これはハラスメントの温床になる可能性がある。だから、もし何か感じたらすぐに僕に言って欲しい」って。それも「あっ!」って思って。「すごい、めっちゃキャリアがある人がこんなペーペーの私にそんなことを‥‥」と思ってびっくりした。演出の時もすごい考えてらっしゃったと思うんだけど。でも考えすぎても演出なんかできひんし、そこはずっとせめぎ合いで考えてたと思うんだけど。
米川 そうだよね‥‥本当に。おれはいま「伯楽-hakuraku-」ってチームで映画づくりをやっとって、自分たちがその映画の企画者としてやる時には、俺、ケアばっかり考えてる。もちろん企画からいっしょに立ち上げるんやけども、そこにはどういう問題がつきまとうのか?とか。俳優は経験したから、俳優をしてる時って、カメラ向けられるだけでストレスだったなって思って。「それってどういうふうにしたらいいんだろう?」ってずっと考えてる。で撮影前のリハーサルをするってなっても、俺が撮影前にリハーサルするのが好きじゃないから「みんな嫌がってないかなー」とかずっと気にしとる。そしたら何もできないんだけど、本当。でもやっぱり考えるしかない。
——ずっと考え続けないといけないよね、主催者は。その責任は本当に重いなーと思いましたね。
米川 この前、コロナの講義があったじゃん。それで、「コロナの時はうちはこうやって対処をしていこうと思います」っていうステートメントなりを出す必要があるんだなってつよく思って。で、今、撮影をしたいと思っているから。そのステートメントなりはね、自分の中で徐々に作り始めてるっていうのがある。それもケア、というか。出演してもらう人たちにね。本当に、正されましたね。姿勢がね。背筋がね。「スンッ」と(笑)
——今年なんか撮るの?伯楽-hakuraku-。
米川 伯楽-hakuraku-は、今年中には撮りたいねって話してて。12月とかに撮れればいいねーとは言っとるんやけど、でもどうなるだろう?って感じ。でもそれより俺としては、新作を撮るっていうのも重要やけど、去年末に完成した『ワクラバ』の配給に動けた方がいいな、とも思っとる。まだ(コロナが)くると思っとるから。今俺たちの案は、人里離れた山奥の小屋なりで、キャストも3人とかに最小にして、スタッフもメインは伯楽-hakuraku-のメンバーで固めて、っていうできるだけ小さなチームで撮るんならいけるんじゃないかな?ってなっとるけど、そんだけ制限つけた上でやるのはさすがに窮屈かな、とも思うんやけど、でももちろん撮りたいのもあるし。ごちゃごちゃしてます。

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チェルフィッチュ ツアー中の一コマ
 

——じゃあ今、自分で企画で動いてるのは伯楽-hakuraku-?出演してたチェルフィッチュ関係は終わったんだっけ。
米川 本当なら今年は『消しゴム山』でヨーロッパツアーをして、来年東京に行けたらいいねって話だったんだけども。ヨーロッパツアーは今年予定されてたのは全部なくなってしまって。まあ来年(コロナが)落ち着いてくれればたぶん上演できるだろうから、舞台はそれで、あと今並行してオンラインで作品もつくってます。‥‥うん、だからチェルフィッチュは続いてる。劇場版が『消しゴム山』で、京都とニューヨークですでに上演してて。金沢の21世紀美術館でも上演をして、それは美術館版『消しゴム森』。で、オンライン版は『消しゴム畑』。消しゴムシリーズはどこまでいくのかっていうのは興味深いところです、我々も。
——バランス的になんかいいね、自分が主催する企画と、他の人が主催してる企画をやれるって。映像で小森(はるか)さんのも参加したんだっけ?
(注:小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』)
米川 そう、小森さんと瀬尾(夏美)さんのにも参加した。東日本の震災で被害の大きかった陸前高田で撮影をして。それこそいま伯楽-hakuraku-で活動しとんのも、その陸前高田の隣町の住田町ってところで。伯楽-hakuraku-では直接的に震災を扱っているわけじゃないけども、その町の背景というか、文脈というか、それは無視できないから。それに『消しゴム山』もね、小森さんと瀬尾さんが岡田(利規)さん、金氏(徹平)さんを陸前高田に案内したらしいんやけど、『消しゴム山』も震災後の復興の様子に疑問を持ったことが創作のきっかけになってるし。そうやって映画美学校終わってから、東日本の震災のことをよく考えるようになったっていうのがある。
——小森さんとクリエイション始めたのって映画美学校修了してから?
米川 映画美学校終わってから、1年半後の2018年の9月くらいかな。3週間ほど陸前高田で過ごして。ひたすら町の人たちに話を聞いて、カメラに向かって「こういう話を聞いてきました」っていうのを伝えるっていう、ある種記録なんだけど。そこには「伝承」っていうものをすごく大事にしていて。伝承が生まれる瞬間を撮りたいっていうのがあって。あ、そうそうそう。だから結構その、「伝承」とかそういうものがね、この間オンラインでね‥‥やべえおれ本当雑談するみたいに喋ろうとしてる。もっとちゃんと線をつなげて喋りたかったんやけど。それは後で頑張ります。これは余談として聞いてください。
——大丈夫です。
米川 今年の5月はじめ頃にね、友達とオンラインで『あっちこっち、そっちどっち』って映画を撮って。一人は大学の同期の男の子で、そいつが脚本、あと俺の恋人が撮影で、俺は出演で。で、みんなで企画から一緒に立ち上げて、3人で15分くらいの短編を撮ったんやけど、そんときに、「伝承」とはまたちょっと違うかもだけど、「寓話」っていうか「おとぎ話」というか、そういうのをテーマにして撮って。すごく影響を受けてるんだよね。最近、あとは「幽霊」とかね。これは岡田さんの影響を受けてるし。

——そうだね。小森さんといい、チェルフィッチュといい、伯楽といい、その土地?に根ざしたものをやってるな、とはリオンの活動を見てて思って。色んな土地に行ってたじゃないですか、特にチェルフィッチュで。あ、でもチェルフィッチュはその「土地」で「演じる」わけだから、創作とはまたちょっと違うのか。土地を探るというよりも、「旅行者」に感覚が近いのかな。
米川 でもやっぱり面白くて。その土地土地で、土地の文脈は全然違うから。おんなじパフォーマンスでも、全然違う解釈をされて。だから自分でも「この土地には、こういう背景があるなー」っていうのを事前に調べといて、まあ数少ない知識やけど、それをその土地で上演するときに「あれのこれがこうやって重なっていくんじゃないか?」っていうのを自分でも考えながらパフォーマンスしてる。
——へー、面白い。
米川 すごいびっくりした経験があって、そんなふうにテキスト喋りながら全然違うことを考えとって、そしたら客席から「ガタッ」って音がしたんよ。そんでハッとなって「あれ、おれ今、喋ってたー!」って思ったっていうのがあった。それは本当に自分も一緒に客席から観とるみたいな感じで。あれはドイツのフランクフルトでの上演だったんだけど。それは衝撃やった。衝撃の体験。各土地でやるっていうことに興味を持ったのはある。チェルフィッチュではそうやって海外や日本各地でも上演したときに、解釈のされ方が変わるのがすごい面白かった。
——海外では言語が違うけど、「この受け取られ方はなんか違うな」って肌感覚でわかったっていうこと?それとも演じてるときに、「自分」が変わってるっていう感覚なのかしら。
米川 なんかね、それは『三月の5日間』やったんやけど。あれはイラク戦争が起こったタイミングの話なんやけど、それをイラク戦争だけのものとして解釈されなくて。フランスのトゥールーズで公演した時は、ちょうどデモをしてて、そういうのとかもなんか、重なってきたりとか。それは何のデモかは分からなかったんだけど、「頻繁にデモしてるんだよー」って教えてもらって。どうにでも解釈されろ!って思ってやっとるんやけど。‥‥でも解釈してもらわないと困るなー、とも思ってるかな。だから解釈してもらうために、なんだろう‥‥何もしないじゃないけど、スクリーンになる、みたいな感覚でやっとるかな。チェルフィッチュは。
——スクリーン?
米川 プロジェクターから映像を映すときってスクリーンに投影されるやんか、映像が。スクリーンがないと映像は上手に投影されないけど、スクリーンがあると映像は投影されるから、俳優はスクリーンみたいなものになればいいんだな、っていうのを『三月の5日間』やっとる時に知ったね。どうやったらスクリーンみたいなものになれるのかまだ分かんないんだけど。‥‥これぜんぜん主観的な言語。ちょうどこの前、リー・ストラスバーグの『メソードへの道』を山内さんの講義で読んでさ、「なんだよ霊感って!」って思ったんやけどさ。なんて主観的!って思ったんやけど、ほぼ一緒。スクリーン(笑)
 観客が想像した時に、その想像をあてはめられるようにしておく‥‥これは岡田さんが言っとったんだけど、「役」っていうものは「服」みたいなもので。それを観客が俳優に「着せる」から「役」になるっていう考え方。自分で着るんじゃなくて、観客が着せる。
——おおお‥‥‥
米川 みたいなふうにしたほうが面白いよねっていう。これはスクリーンの例えと一緒。てか岡田さんの方が全然分かりやすいね。
——分かりやすいけど、これを実現させるのって‥‥
米川 岡田さんがすでにテキストの上でやってくれとるからね。「ミノベくんと」って言ってくれとる。観客に「ミノベくん」を着せられる瞬間は、やっぱりわかる。そうするとほら、ダラダラしてるっていわれるあの変な挙動とかが解釈されていかれる感覚?最初はほんと解釈何もされへんくて、ただ立っとるだけなんやけど。途中からね、「あの動きってああいうことだよね」って勝手に観客の中で起きて。っていうのは体験したかなー。
——岡田さんとか、リー・ストラスバーグの演技についての本を読んでも「それはちょっと主観的!どう演技に反映させたらいいんですか!」って思ってしまうなあ。でも岡田さんのテキストによって役を着せられる、っていうのはなんとなくわかる。
米川 テキストですでにかなりそれがね、起きるようになっているからね。だから俳優は何をするんだろって考えるんだけどね、いっつも。ただ立ってて、ただ喋ればいいんじゃないかって思うんだけど、でもやっぱりそうではないから(笑)

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伯楽-hakuraku-で陸前高田を訪れたときの一コマ
 

——究極そうなんだろうけどね。でも在学時も講師陣が色々教えてくれたじゃないですか。現代口語演劇のこととかいろんなメソッドを。多分身体の中に落ちてると信じてるんですけど。でもまだ言語化できてない。
米川 わかります。今回高等科が選択ゼミ制になって、「全部受けたい!」って本当に思ったんだけど、でも現実的にそれは無理だなってなって。でその(ゼミの)中でも、俳優レッスン(注:実技ゼミの一つ)を今まで受けたことがなかったんだけど、受けよって思ったのは‥‥何をすればいいのか分かんないから、俳優が。何をすればいいのか本当に分かんない。
 2016年に映画美学校に入学した時は、もうちょっと何かがあったんよ、俺の中で。「演技をする」って。観客として観てる時とかもそうやけど、「演技はこういうところが面白い」みたいなのがあったんだけど。それがね、今はもっとないんよね。今このない状態で「ダイアローグ」、もっといえば青年団の現代口語演劇のテキストをやるのって、当時よりさらに難しいんじゃないかって思って。より何やればいいか分からんってなって。すごい興味わいてね、それが俳優レッスンを受けようって思った動機でした。
——俳優レッスン、まだ2回目とかだっけ。
米川 次が2回目かな。今もリハーサルしとるけど、すっごい面白いんやけど、何もしてない(笑)椅子に座ってテキスト読んどるだけ。普通に座って、話聞いて、セリフ返して、セリフ返して、をやっとるだけで。テキストに書かれとる演出的な指示というか、全無視してやっとる(笑)何やればいいのかわかんなくて!面白いんやけど。
 ‥‥あっ、やっと喋れるよ、今。だから、高等科を受けようって思ったのは、いろいろとわかんなくなっていて、俳優にしても演技にしても。でも俺自身はこのわかんなくなった状態を、とてもポジティブに捉えていて。そんな時に、「演技っていうものがどうやって変わっていったのか?演技の文脈を座学でやってみませんか?」っていう内容の募集が、俺の興味とぴったりハマって。っていうので、受けた。今回。演技の変遷はどんなんだったのか。それを知ったところで、このわかんない状態は変わらんかもやけど、でも知りたいって思ったね。演技の文脈。そう、最近「文脈」がテーマです、私。文脈が一番面白い。いっちばん面白い。そやね、そっから喋らんとあかんかったんや。やっと喋れる(笑)
——文脈って、歴史とか?
米川 歴史とか、バックボーンもそうやし、歴史的文脈、あと個人にも‥‥経験、コンテクスト、背景とか、なのかな。2016年、映画美学校に行っとる間は、山内さんにも言われたけど、「リオンは自分のことがすごい興味がある」って言われたんよ。それは本当にそうで。映画美学校に通って講義を受けてる時も、全部自分のためだけに聞いてた。パフォーマンスも自分のためにやってた。で、チェルフィッチュ『三月の5日間』に出るようになって、ようやく自分は、人に喋るのがめちゃくちゃ下手だってことに気づいて。これは変えたいなって思った時に、ちょうど小森さん、瀬尾さんと一緒にやってたんだけど、お二人は話を聞くのが本当に上手で。よし、まずはそれから始めようって思って。まずは話を聞くのが上手くなろうって思って。そしたら岡田さんとかも話聞くのめっちゃうまいんやなって分かったんやけど。
 そういうモチベーションで話を聞いてると、言葉になってないものをすごい感じるようになって。特にその人が喋っている時に、その人の過去みたいなものが見えてくるようになって。文脈、コンテクスト‥‥それがすごい面白いって思うようになった。そうすると例えば、物とかでも、経年劣化したモノとかさ、お茶碗とか欠けてるのとか見ても「あ、文脈ある」って思うようになってさ。「面白い!」って思うようになっていって。で、映画美学校の今年の募集に「俳優の、演技の言葉がどうやって紡がれてきたか」、つまり俳優の文脈を「勉強しましょう」って言われて、それは俺すごく興味があることだって思って受けたって感じです。
——繋がりましたね。すごい、過去と今が繋がりましたね。
米川 よかったー。でもそれでも、エゴイスティックなのは変わらんけどねー。

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——6期の受講してた頃って、みんな狭い世界だったなって思っていて。佐々木(透)さんの修了公演での稽古で、ようやくみんなの人格が分かったなって思って。みんな結構わがままだったじゃん。自分大好きみたいな人が多かった、私もだけど。
米川 うん、みんなわがまま。わかるわかる。
——もちろん仲良かったと思うんだけど。深く広がっていけなかったなーとは思ってて。あの半年間だけではね、難しい。6期で一緒に何か企画やるやる詐欺起こしてたけど、結局やらなかったですね。
米川 そうなの。やりたいの。最近それはね、思ってるんですよ。それこそ伯楽-hakuraku-で映画を作れてるわけだし、それをね、広げたいんだよね。広げたいっていうよりは、6期といちからつくりたいのだけど。ちょっとそれは、直人が今いろんな企画を自分の中でめっちゃ立てとるから、それがうまくいって、お金ができたらそれを元手にやりたいなーっていうのが野望です。やり方めちゃくちゃだけど。でも考えとる考えとる。そうなの、作りたいのー。本当に。
——私も「やりたいー」って思いながら、どないすんねんっていう。私も土地についてすごい興味があって。原宿でフィールドワークをしながら、創作をするっていうのを以前やったんだけど。原宿を散歩して、でも誰も原宿について詳しく知らないから、メンバーがただ原宿を歩いて、素敵だなって思ったところに身体を合わせる。ちょっとこの木気になるなーと思ったら、その木に触れて、思った振り付けをやってみるとか、ポールダンサーの人は「これちょっと登れるわ」って言って木に登り出すとか、すごい面白かったんだけど。そういう「なんでこれを気になったんだろう」って思うところから、最終的に作品を作ったんだけど、そういうのすごく面白いな、と思って。
 私は都会には興味がない人間だなと思ってたんだけど、渋谷ノート(注:アクターズ・コース、山内健司さんの講義。渋谷をテーマに、最終的に1本の作品をつくった)の時のあの懇切丁寧な山内さんの渋谷にまつわるお話がめちゃくちゃ面白くて。「渋谷ってそんなに好きじゃなかったけど、結構愛せるな」と思って、そんで原宿も結構好きになって。ただ撮る、ただ作るっていうだけじゃなくて。せっかくそこで撮る、作るならそこでやる意味みたいなのが見出せたらいいなって。それを6期なら共有できるんじゃないかって思っている、んだけど。どどどど‥‥
米川 分かります。分かります。俺もさ、渋谷ノートやっとる時ってさ、今みたいに「文脈が気になる」っていう状態では全然ないっていうかさ。「渋谷ノート」だけど、渋谷のことをそんなに探る気持ちがなかった。そもそも渋谷に興味を持つ方法から知らなかったし、だから渋谷っていうものにアプローチするにしても、なにをしたらいいのか分かんなかったんだけどさ。
 今でも忘れられへんのやけど、山内さんがさ、渋谷の地図出してきてさ、「地図見るのっておもしろいよね」って言ってさ。「何が?」って思ったんよ、俺。「何が?」って思ったんやけど。佐世保で今、自分たちで映画作りましょうって企画が動いとるんやけど、それでこないだ佐世保の地図を見とったんね。そしたらさ、川があって、その川の近くにはこう、小さな町があって。でもその川が伸びて行った先には山があるから、そうなると一気に人がいなくって、でも川沿いに浄水場なりがたくさんあって、野球場もテニスコートもあって、みたいなさ。なんかね、「地図っておもしろ!」と思って。
——あれ?(笑)
米川 文脈じゃーん!って思って。そんとき俺、「あっ山内さんのやつや!」って思って。俺も4年越しで地図おもろ!が追いついたよ。
——やったね(笑)
米川 で、その後下の期とかの渋谷ノートも見に行ける。‥‥「下の期」ってなんか嫌な言い方やな。別に後輩って感じでもないから。先輩後輩、それこそnoteにも書いてあったけど「先輩後輩ない」ってその通りだな、と思って。一応上の期に敬語使うんやけどね。‥‥6期以降の期の渋谷ノートの発表を観に行って、そんときは文脈に興味を持ち始めとったから、その渋谷ノートっていうワークを面白いって思う経験があった。山内さんが、なんで渋谷面白いって思ってるのかが分かった。それは結局文脈っていうことなんだけど。渋谷ノート、すんごく面白かった、俺。

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アクターズ・コース受講生時代、井川耕一郎さんの講義で撮影した作品『ゴカイモン』ある一コマ https://youtu.be/vJytfXyvg3Y

 

——あれがあったから、リオンも言ってる、文脈‥‥連なっていくものの良さ、分断されてないんだっていう。俳優も大昔からいて、でもそんなん感じ取れるわけないやんって思ってたんだけど、意外と脈々とつながっていってるんじゃない?って思った。面白かったね。
米川 その当時はねー、わかんなかったからなー。もったいない。
——「一人芝居をやる」っていうそっちの方向にいってしまって。
米川 何やればいいの?っていうね。俺でもさ、3人(米川/同期の四柳智惟/浅田麻衣)で撮った『ゴカイモン』、半年にいっぺんくらい見直す機会があってさ。相変わらずクレイジーやなって思いながら。あの時の俺は、酷い。って思いながら観てて。「本当にごめんなさい。あの時の俺は酷かった」みたいな。なんていうの?備忘録じゃないけど。
——そんな思いで見てるの?(笑)
米川 でもやっぱり、すごいあれは面白いと思ってて、俺。それで友達に「映画美学校時代に面白いの撮ったんだよ」って話して送ったりもするんやけど。一文、「編集もしたけど、編集をした頃の俺は酷いやつでした」ってつけて送る。なんかね、俺が酷いの。お二人はまったく酷くないんやけど、ただただ俺が酷いの(笑)全部、ニヤついて撮っとる感じ。あんときのおれ嫌いだな、と思う(笑)
なんていうの?あの当時はカメラを回して一歩引いとる感じ。今はそれよりも一歩出て、人と付き合おうっていうモチベーションに変わったから。ちゃんと話を聞くぞ、みたいな。でも『ゴカイモン』でくるっと振り返ったらカメラ構えてる俺がいてさ、「へっへっへ」みたいな。リオンのそれがね、作品の中にちらっちらって出てくるんよ。もう、「本当こういう奴嫌い」って言いたくなるけど、あの作品はすっごい気に入ってる。
——あれね、ふざけすぎた感はあるね。めっちゃ面白かったけど。
米川 あれいいよね、あの感じ。なんていうの?ずっとふざけとるんよ。本当にずっとふざけとる。パンクってわけじゃないけど、基本的に「シンプルにやっても面白くないんじゃない?」っていうところからやってるやんか。別に一人一役じゃなくていいんじゃない?みたいな。フィクションを信じて作っとったから、それがすごい好きなの、俺。まだやり方が分かんないなりに、でもフィクションって感じる時は面白いってことが分かってたから。それを大事にして撮っとるから、すごい好き。ただ、ちらちら見えるリオンが嫌、っていうだけ。ちらちら、っていうよりずっとカメラ回しとるからね。
——今ならまた違う形で撮れるんでしょうけどね。やりたいな、と。やれんのかな?
米川 やりたいと本当に思う。
——やりたいとは思ってるんですよ。
米川 同じくです。作りたい。本当に思う。
——いや、今日面白かった。6期でなんかやりたくなった。
米川 あ、嬉しい、嬉しい。相談しましょう。
——まあ、『ジョギング渡り鳥』(注:映画美学校アクターズ・コース第1期高等科実習作品)も発表まで4年くらいかかったと聞きますし。
米川 バッチリです。今から6年かけたらいいから。やりましょ(笑)
——より深めたら面白いことができる、かも。
米川 はず、です。

 

2020/10/08 インタビュー・構成/浅田麻衣

 

米川幸リオン(よねかわ こう りおん)
1993年三重県生まれ。父がイギリス、母が日本、のニッポン人。
京都造形芸術大学映画学科俳優コースと映画美学校アクターズコースを卒業。主な出演作品は、チェルフィッチュ『消しゴム山』、『三月の5日間』リクリエーション、小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』、ミヤギフトシ『感光』、など。また、伯楽-hakuraku-のメンバーとして、岩手県住田町での自主映画の企画〜上映までも行なっている。
@08Leon22
 

「断片映画制作ゼミ」/青柳美希さんインタビュー

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「アクターズ・コース俳優養成講座2020年度高等科」は、希望者全員が受講できる「基礎ゼミ」、人数制限のある「実技ゼミ」、修了生が全員参加できる「オープンゼミ」に分かれています。
今回は「実技ゼミ」のうち、竹内里紗さんが講師を務める「断片映画制作ゼミ」について、実際に講義を受けているアクターズ・コース8期修了生の青柳美希さんにお話をお伺いしました。

「断片映画制作ゼミ」(竹内さんのゼミ説明より抜粋)
5つの架空の映画の断片からなる5 分程度の映像作品を一人一本制作します。5つの断片全てに、制作者本人が出演します。うち3つは自分で演出・撮影、1つはペアでお互いを演出・撮影、残りの1つは竹内が演出・撮影します。イメージとしては、最後に架空の作品群のショーリールのようなものが出来上がる予定です。演技としてチャレンジしてみたいことと映画として撮ってみたいものの両方の視点から断片を発想し、自分で出演・演出・撮影をするという試みを通して、演技と演出の相互作用、演出と撮影の相互作用を考える良い機会になればと思っています。

 

——「断片映画制作ゼミ」をなぜ受講しようと思ったんですか?
青柳 アクターズ8期の時、フィクション・コースとのミニコラボ実習で竹内さんとご一緒して。私、映像を作るってことに結構苦手意識みたいなのがあって。出るのもそうだし、自分で作るのも結構苦手だなーと思っていて。でも竹内さんとだったらやってみたいかも、と思って。
——フィクションとのミニコラボはどんな感じでした?
青柳 竹内さんの班は、フィクション・コースとアクターズ・コースの2人、私と斉藤(暉)君が、脚本の段階から「どう作る?」って長い時間かけて話し合って。最後に竹内さんが脚本バーっとまとめて撮るっていう流れだったんですけど。竹内さんがフィクション・コースの人たちからも私たちからも積極的に意見を聞いてて、なおかつそれを何でも面白がってくれるっていうか。結構講師ってなると身構えちゃうところがあるんですけど。竹内さんは私たちとすごく近くて。ものづくりって苦しい場面ってあるじゃないですか。全然、打開策が浮かばないみたいな感じで。皆「ウーッ」ってなる感じ。でも竹内さんはあっけらかんとしてて。その明るさに皆助けられるというか。女神というか(笑)
——あっけらかんって、例えば?
青柳 なんだろう、結構竹内さんも不安に思ってるんだと思うんですけど、「なんとかなるよ!」みたいな(笑)明るいポジティブさというか。

——このゼミって6人だけですよね。
青柳 そうです。めっちゃ少人数で。自分で作品を3本撮って、その後ペア作品を1本撮って、で竹内さんが最後撮るので、全部で5本撮るんですけど。今自分の作品が2本終わったところです。
——「自分で書いて、自分で撮る」って、モノローグというか、相手は不在で1人芝居なんですか?
青柳 それも自由にしていいよ、みたいな感じで。もちろんコロナ対策をきちんと取った上で、例えばカメラを同居人に頼むとか、そういうのも全然していいみたいな感じです。結構皆違いますね。モノローグやる人がいたり、普通に劇映画、ストーリーがあるようなものを作ってくる人がいたり、あとは本当に「断片」みたいな感じで撮る、だったり。最初の1本目を撮るまでは竹内さんや皆と会話しながら進めて。「こんなの撮りたい」とか、「こんなこと考えてるけどみんなどう考えますか?」とか。
——じゃあ竹内さんは、アドバイザー的な立ち位置なんですね。「こんな風に撮ったらいい」的な。
青柳 そうですね。アドバイスとか、あと撮る上でこういうことを気をつけた方がいいとか、YouTube見て説明してくれたり。

f:id:eigabigakkou:20201127162408j:plain青柳さんが作った「断片」映像 あるシーン

——作品の尺って何分くらい?
青柳 1・2分の断片を撮っていって、最終的に5分くらいになる感じなんですけど、私が1本目で4分つくってきちゃって(笑)すごい怖いですね、中編くらいになるんじゃないかと(笑)
——青柳さんは一人芝居を?
青柳 そうですね、ほぼ一人芝居で最後ちょろっと同居人に出てもらうみたいな感じなんですけど、ほぼほぼ一人芝居で、「食べる」ことをテーマにしてて。「土を食う女」みたいなストーリー。
——土を食べる‥‥
青柳 「食べる」っていう行為についてすごく考えてて。でも1分くらいの短編にするにはテーマが膨大すぎて。それを竹内さんに相談したら、「まず撮れる身近なもの」から考えて、そこから色々連想して、繋げて考えていくやり方がいいんじゃない?ってアドバイスいただいて。それから、身の回りで「都会に土ってないよなー」って考えたところから色々連想していって、土を食べるってところに行き着く、みたいな(笑)
——なんだか呪術めいてますね。
青柳 自分で撮ってつないで、完成したものを見たとき「えっ何これ?」みたいな(笑)
——1本目と2本目、3本目と作った動画はストーリーは繋がっていくんですか?
青柳 いや、それもお任せっていう感じで。2本目を全然違うものを撮ってきてくる人もいたり。
——じゃあルールは、自分が出るってことと、撮影にあたって感染予防対策をちゃんとしておくっていう2つで。
青柳 そうですそうです。
——断片が繋がっていくイメージかと思ってたけど、結構変わってていいんですね。
青柳 面白いです。「これ繋がったらどうなっちゃうんだろう?」みたいな。
——最終的に繋げて、土からどこにいくんでしょうね。食べることがやっぱりメインストーリーになっていくんですかね?
青柳 強いですよね、「食べる」って。なんか見ちゃうんですよね。人が食べてるってことに特別感を感じるっていうか。それが映像になったときに、ハッとする。‥‥なんかうまくいえないけど。なんか。‥‥うまくいえないや(笑)

——編集も自分で、ですよね。
青柳 そうですね、iPhoneで撮ってiMovieで編集してます。
——そうか、アクターズの受講生時代って編集の講義はなかったんでしたっけ?
青柳 一瞬あったんですけど、切ってつなげるくらいしかやらないみたいな。がっつり自分で撮って、編集して、作品にして提出っていうのは初めてですね。
——今回、脚本は書いた?それともエチュードみたいにやりました?
青柳 脚本は書いてなくて。「ここで何する」みたいに箇条書きにして、「土食う」「土食う」みたいな(笑)あまりセリフは作らずに、「この画だけは撮る」っていうのを決めていって。‥‥でも私なんか、楽しさに目覚めてしまって。
——撮ることの?
青柳 撮ることの。映像作品に呼んでもらって、自分で演技する時って、私めちゃくちゃ緊張してたんだなっていうのが今回分かって。っていうのも今回自分でカメラ設置して、自分で演じて、自分で確認して、じゃないですか。でも全然緊張してないんですよ。画面に映る私っていうのが。恥じらいとかなくって「私が思い描いている私」と、「今映像に写っている私」が、今一緒だぞ、みたいな。
——想像と映像が合致しました?
青柳 結構合致しました!
——じゃああまりテイクを重ねることなく?
青柳 そうですね、ポンポンポンと進んでいって。1・2日で撮影、編集込みでできちゃいました。

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青柳さんが作った「断片」映像 あるシーン
 

——合致したんですね。私、アクターズ時代、自分で撮った時「あれ、思ったより違う‥‥」って結構思っちゃって。
青柳 へえーーーー。
——合致しないというより、「もっとこうしたら」っていうのが多かったのかも。「ここはもっと手がこっちだな」とか、そういう粗が見えて絶望した(笑)そういうのはあまり青柳さんはなく?
青柳 そうですね。でも映像で現場に呼ばれたとき「えっ、私こんな演技してたの!?」とか「ここはもっとこうだろ!バカ!」ってなることは多くて。それで映像がすごく苦手だなーと思っていて。その監督の世界観みたいなのに私が馴染み切れてないというか。なんか私って、多分その場に入っていってすぐに演技ができるタイプじゃなくて。
——「おはようございまーす!はい、リハ始めます!」「リハ終わりました、次本番でーす!」みたいな瞬間的なやつ。
青柳 みたいなのがたぶん壊滅的に向いてなくて(笑)対話することで自分に積み重ねてくタイプだなってここ最近で気づいて。でも自分で撮るってなったらその対話の必要がなくて、あとは出すだけって感じだから。映像の現場ってだいたい事前に1日リハがあって、じゃあ次本番っていう現場が私はすごく多くて。それに戸惑ってる自分もいて。「ここよく分からなかったけど‥‥こうやっちゃったけど大丈夫かなー」みたいなのがちょっと現れてるのかな。
——いうなれば現場って、即エチュード(即興劇)みたいな感じなんですかね。監督の好みもわからないから、「とりあえず自分出しとこ!」みたいな。でも撮影は、演劇のエチュードの緊張感ともまた違いますよね。
青柳 舞台よりもっと自意識過剰になってしまうというか。「見られている」って感じが強いですね。
——身体が緊張状態に入ってしまうのかしら。
青柳 でも、映像でも「ハイ!」ってカチンコ打たれたら、それで切り替えてできる人もいるじゃないですか。そっちの方が求められたりするじゃないですか。でもそういうのってみんなどうしてんの?みたいな(笑)
——私、大学生の頃に「観客席に自分1人だけを置け」って言われたことがあって。それで演じてみたら、その頃の私は自意識のかたまりだったから「うわー恥ずかしい、演技するの無理!」ってなっちゃって。でもそれを続けていったら、自意識って減っていった気がしますね。自分ってイコールカメラみたいなものかなと思って。鏡みたいなものだから、演劇において。
青柳 なるほどー。
——逆に舞台の方が一時期苦手になっちゃって。実際にお客様いるから、もちろんそれは嬉しいし、快感なんですけど、見られてることが逆に怖くなっちゃって。カメラの無機質感のほうが頼れる感じがしてしまって。これはもっと映像を勉強したいなって思って映画美学校に入ったっていうのはありましたね。
青柳 へえー。面白い。「自分を置いてみる」か。

f:id:eigabigakkou:20201127162729j:plainフィクション・コース第22期初等科&俳優養成講座2018 ミニコラボ実習作品『性愛頭痛幸男』(監督:竹内里紗)

 

——青柳さんの、受講生時代のミニコラボ見れてなくて残念。
青柳 竹内さんのミニコラボは、「ED治療院の助手」みたいな(笑)性欲を常日頃から抑圧してて、それが(斉藤)暉くんと出会ったことでふつふつと湧き上がる、みたいな(笑)
——めちゃくちゃいいじゃないですか。
青柳 めちゃくちゃ面白かったですね。ED治療院の治療のカリキュラムみたいなのがあって、「愛のワーク」っていうパワーワード(笑)
——そういうミニコラボがあって、若干映像に対して苦手意識が薄れて。そして今回のゼミで映像に対して意識はまた変わった感じですか?
青柳 そうですね。自分が映像に対して自意識過剰で緊張してたんだなっていうのが無意識であって。で今回、自分で自分を撮ることでそれが理解できて。あと自分ってこういう風に見えるんだ、とか。「この角度だと全然知らない自分だ」って思ったり。映像を撮ることで「自分を知る」っていう作業が結構膨大で。「次何撮ろう?」って思っている間も「自分ってなんなんだろう」みたいな問いになってくる、みたいな(笑)でもだんだん枯渇してきてます(笑)もうないよ!みたいな。
——3本も自分を被写体に撮るって結構大変ですよね。ペアワークになったらまた違う角度も見出せそうだけど。
青柳 私、全体のテーマとして「自分にかかってる呪い」みたいなのをテーマにしてて。例えば「人を羨ましく思ってしまう自分」とか「私がもっとこうじゃなかったらよかったのに」とか、あと「他人のものが欲しくなってしまう自分」だったりとか。あと「食べることで自分を変えようとしてる自分」。「自分から逃れたいっていう呪い」をテーマにしてて。でもこういうテーマって闇落ちしやすいっていうか、自分が(笑)
「あっ!闇がこちらを覗き込んでいるー!」みたいな。今は大丈夫なんですけど(笑)でも枯渇していくと、どんどん自分の深いところに手を出しがちというか。でも見てくれる人のことも考えながら、闇落ちしすぎず、自意識過剰にならず、自分に引き寄せすぎず、中間に置くっていうことを心がけながらやってます。
——おおー。

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『The origin of my play』(監督:浅田麻衣/「アートにエールを!」提出作品)
 

青柳 あっ、浅田さんの「アートにエールを!」の作品見たんですけど、面白かったです。あれでも、結構闇落ちしませんでした?
——‥‥あれ撮る前に私、3週間ぐだぐだしてたんですよ。企画意図は「自分の演劇のルーツを探る」で、企画出した時はすごいやる気だったんだけど、いざやろうと思うと「なんでこんな辛い作業で自分を追い込まなくちゃいけないの?」っていう思いが出てきてしまって(笑)
青柳 うん、うん。
——セルフドキュメンタリーってめちゃくちゃ恥ずかしい。
青柳 そうですよね!私見ててすごい気になって。「浅田さん今どんな気持ちなんだろう」とか。
——私は誰にみせたくて、何を目標にしてるんだ?って撮る意味が分からなくなってしまって(笑)考えても考えてもやっぱり分からないから、「他者が見た私の像を浮かび上がらせることでなんとかなるだろう」と思って、ようやく高校演劇部時代の先輩とかにアポをとって。あと高校時代の闇歴史のVHSを発掘して。
青柳 (笑)。私も高校演劇やってたんで、あのシーンは私も赤くなりました(笑)自分のことを思って。「うわー!懐かしいなー!」って(笑)
——自分の演技の変遷を見るのが一番地獄でした。
青柳 それは恥ずかしさとか?
——「こんなものを人にみせてたんだ」という厚顔無恥さを叱りつけたかった、当時の自分に。それもあって、私は竹内さんのゼミは大変そうだなと思ったんですよ。自分の断片を探していくのって今はきついなと。
青柳 あー、なるほどなるほど。
——知らない部分も見えてきてもちろん面白いと思うんだけど、撮ったばかりのセルフドキュメンタリーを思い起こしてしまって。だから逆に、受講希望出した修了生すごいなと思ってました。
青柳 なるほど。私は舞台がなくなって、って時期に浅田さんのドキュメンタリー見て、なんか浅田さんかっこいいなって思って。‥‥だってめちゃくちゃ恥ずかしいじゃないですか。演劇のルーツっていって辿ってるけど、自分史もたどってるから。めちゃくちゃ「ううっ‥‥」ってなるものを「えいっ!」っていって出してるから(笑)そのかっこよさにしびれるっていうか。あれを見てて、浅田さんを追ってるんだけど、浅田さんを見ながら私も自分を追ってるみたいな、その感覚が秀逸だなーと思って。
——それは‥‥意図してたけど、感じてくれてたらすごい嬉しいです。
青柳 すごい感じました。あんなに身を削った作品、他になかったもん。覚悟。覚悟が見えました。

——でも、竹内さんのも覚悟じゃないですか?あの募集要項みて、これは覚悟がいるなって思いましたけどね。
青柳 私もずっと最後まで悩んでて。自分にまず映像が撮れるのかってのも怖かったし、最終的に発表するじゃないですか。人に見れるレベルまで自分が何かを作れるかなっていう不安があって。でもちょうどコロナで色々なくなった時に、自分ってマジで何もできないんだなっていうのがすごくあって。映像を作ったことがあるっていう俳優さんももちろんいるじゃないですか。そういう人はコロナ禍でも映像作ったりとか、youtubeでなんかやったりとかしてて。自分でコンテンツつくる、みたいな。「俺がエンタメだ!」みたいな感じが凄まじく私には眩しくて。
 結局私って組織に属して、その中で与えられた役割やってただけなんだな、って絶望して。「なんて弱い役者なんだ!」みたいな。結構落ちてましたね。「こんなつまんねえ奴!」って。そういうのもあって、断片だったらできる、かもって。「自分で頑張って、コンテンツ、私も作りたい!」みたいな感じでした。
——結局役者って、脚本家と演出家がいないと何もできないのか?って無力感ありましたね。だから私も5月に動画作ったりとかしてたんですけど。でも「見れるレベルに達することができるのか」とか、「こんなもの見て誰が嬉しいの?」って自虐的な意識が常に心の中にあって。
青柳 そう!そうそう。
——舞台の時はそんなにないのに、映像になるとなんでこんなに自虐的になるんだろうってのはすごく不思議で。
青柳 そうなんですよね。なんか拷問みたいな気持ちになります。「うわー!もうやめてくれー!見せないでー!」みたいな(笑)難しいですよね。「やりたいことやるんじゃい!」って気持ちと、「こんなの撮って大丈夫ですかね?」みたいなせめぎ合いが常にあって。あったほうがいいと思うんですけど。
——世間の映画監督はどうしてるんですかね?
青柳 竹内さんが講義で話してたんですけど、「やっぱりどれだけ作ってても、出す前は怖い。逃げたくなる」みたいな。
——竹内さんでさえ‥‥
青柳 私も意外だなーって思って。「えーい!いけー!」っていう感じかと思ってて。竹内さんで逃げたいんだから、当たり前だよな。
——その意識がない監督もいるんでしょうけどね。いるのかな?
青柳 「勝手に見ろ!」みたいなスタンス?

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——でも舞台のお客様って映像より優しい気がするんですよね。
青柳 当たり外れみたいなところは寛容かもしれませんね。舞台は。見に来たからせっかくだからいいところ見つけて帰りたい、みたいな感じなのかな。
——舞台、自分と合わなかったら無言で帰るからなあ。映画はなんか言いたくなるんですよね。なんでだろう。
青柳 確かに。レビューとか「くそつまんない」とか「見るに堪えない」とかありますよね。なんでなんだろう。公共性なんですかね。演劇の。映画って個人との対話、みたいな。映画と、個人。演劇は客席側も集団になるから、そういうこともあるのかも。
——空間として一緒の時間を味わってる、体験してるっていうことかな。映画ももちろん体験してるんですけど。
青柳 自分はめっちゃ微妙だった時、隣のお客様がめっちゃ感動して拍手してて「ええっ!?」って思って。「私が違うの!?」みたいな。
——それはある。
青柳 でも、すごい、誠実。誠実さって大事だなって思いました。テーマとか薄いな?って思っても、その人が本当に誠実に作ってたら、結構気持ちよく見れるっていうか。
——何に対しての誠実さなんだろう。
青柳 なんだろう。その作品に対しての責任‥‥?いや、自分なりに考えを持って、完成させるぞ!みたいな気持ち、とか。あとは本当にこれがやりたいっていう誠実さ‥‥。でも、自分の作る上での誠実さというか、見てくれる人のことを忘れずに作らなきゃなーと思います。
——誠実さの有無みたいなのはなんなんだろう。私、「この作品には誠実さを感じない」って時、「何で私は今そう感じたんだ?」って考えるけどいつも答えは出なくて。
青柳 言葉にしようとすると難しい。
——感覚的なんですよね、「これは嘘だ!」とか「誠実じゃない」みたいなのは。
青柳 なんか肌で感じますよね。
——肌感覚か。言葉にできるんだろうか。
青柳 言葉にできたら最強な気がします。
——山内さんの「演技論演技術」を頼みにしよう。あれを受けたら語彙が増える気がする(※「演技論演技術」:山内健司さんが担当するゼミ)
青柳 私もそれをめちゃくちゃ祈ってます。「どうにかなれー!」って(笑)

——竹内さんのゼミ、11月で終わっちゃいますね。
青柳 さみしいー。ずっと続けたい、この講義(笑)
——でも自分を撮り続けるの、いいかもしれないですね。
青柳 定期的に自分を見つめ直す機会、みたいな感じがしてめちゃくちゃいいです。自分今、こんなこと考えてたんだ、とか。こういうアウトプットの仕方もできるんだ、みたいな。
——他人を撮ったことはない?
青柳 あっ、でも2作目で他の人に出てもらいました。稽古行って、その帰りに「今ちょっといいですか?」みたいな感じでゲリラ的に何人かに出てもらって。自分の想い浮かんでる画を人に説明するっていうのが結構難しいんですけど、できるようになってきた感覚があって。それはこの講義のおかげなのかな。「今こういう画が浮かんでるんですけど、こう撮りたいから、こうして」とか。
——じゃあこれから誰かを撮ろうとか、ありますか?
青柳 機会があったら撮りたいかも、って今すごい思ってます。この講義が終わっても、撮り続けようかな、みたいな。

 

2020/10/06 インタビュー・構成:浅田麻衣

 

青柳美希(Aoyagi Miki)
1992年生まれ、福島県出身。映画美学校アクターズコース8期生。舞台を中心に活動するフリーの俳優。2020年10月29日より4日間、ウンゲツィーファガーデン”meme”『窓の向こうシアター』をプロデュース、自身も出演する。

 

 

「俳優の権利と危機管理2020」〜俳優がフラットに話せる関係性をつくるためには

「特殊な状況下の中で、俳優はどうしたら立ち尽くさずに進めるのか」

第1回目の講義は、主任講師の山内さんのそんな言葉から始まった。
「俳優の権利と危機管理2020」と冠されたこの講義は、実はアクターズ・コース生にとってはお馴染みの講義でもある。この講義は「オープンゼミ」とされて、アクターズ・コース修了生なら誰でも受けられる講義。
講義を進めるのは主任講師の山内健司さん、深田晃司さん。

 

「俳優の権利と危機管理」とは? 

俳優は立場としてどうしても弱くなりがちで、そして演技の場はハラスメントの温床になってしまう危険性がある。そんな我々がお互いに安全(心/身体ともに)な場所をつくるための重要性を探り、そしてハラスメントの基礎知識を身につけるための講義がアクターズ・コースには第2期から存在する。そしてそれは年々アップデートされ、講義は受講生のみだけでなく修了生にも案内され、修了生も参加できるのがこの講義の特徴でもある。

私が受講生の時も第1回目の講義で受けた記憶があるのだが、一番記憶に残っているのが「ハラスメントを話すにあたって、過去の経験、記憶を話すのは秘密の暴露という一面があります。それはマインド・コントロール、集団圧力が発生してしまうことでもある。それは決してやめましょう、この場所を安全な場として活用してください」という言葉。

「守られている!」と思うと同時に「もしかして、過去の○○もマインド・コントロールといえてしまうのでは」と恐怖を感じたのも事実。私の期は演劇経験者が多いこともあって、話が進むにつれていろいろ思うことがあったのか、「シィィィン」となる瞬間も多く、「もしかしたらこの言葉も秘密の暴露、圧力が発生してしまうのでは」と内心ヒヤヒヤしながら講義を終えた記憶がある。
それももう4年前のことだけど、その時は正直怖くてなかなか言葉にすることができなかった。でも年を重ねて、また、アップデートした講義を受けるにつれ、少しずつ言葉にしていくこと、それが他者を、そして自分を傷つけないようにするということができるようになってきた気がする。 

「俳優の権利と危機管理2020/1」〜はじまり

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「俳優の権利と危機管理2020」第1回目は「コロナと俳優」をテーマに進んでいく。オンライン講義で、30人弱が参加。アクターズ1期〜9期と全ての期が揃うのは実は初めてなのでは?内心ちょっとワクワク。
まずは、コロナについての基礎知識を共有しようということで数本の動画を見て、その後数人に分かれて話をしたのちに、それを全体共有。 

・テレビだけの情報だと怖かった。それで家に引きこもっていたけど、逆に外に出ることで「そうでもないな」と思い怖さがなくなった。
・人それぞれで危機管理の意識が違うから、実際に会った時に戸惑うことがある。
・飲食(飲み会など)や普段の生活など、正直なところをぶっちゃけて話す場はないから他人がどうしているか気になる。こういった少人数の場だとありがたい。
・映像の現場がこの前あったけれど、やはり本番時に俳優はマスクを外す必要がある。俳優部はどうしても感染のリスクが高くなってしまうと思った。

 オンラインということで話しづらいのでは?と当初は感じていたが、話す人数(単位)を減らしてみると、思ったよりもフラットに話せる場ができると感じた。 

「コロナは労働問題」という視点

深田さんの「労働問題は映画の現場にそもそもあった。多くの現場、特にインディペンデントの現場は法が定めていることを守れていないというのが悲しいけれど事実」という話を皮切りに、「コロナは労働問題といえるのではないか」という話になる。

感染症対策も正直それぞれの座組で異なっているのが事実。そしてそれ(感染症対策)を俳優から話題に出す、話す権利はもちろんあるはずだ。

それを深田さんが監督目線(日本と海外の俳優の組合の話など多岐に渡った)で話し、その後山内さんが俳優目線で話す。山内さんは
・自分が企画者の座組
・自分が後から参加する(呼ばれてきた)座組
で異なってくるのではないか、という目線に立った。前者はコロナに対して言える環境であり(むしろ言う必要がある)健全な組み立て方ができる可能性がある。しかし、後者は既にトップが積み上げてきたものの中では言いづらく、弱い立場になってしまう。とどのつまり、コロナは新たな「労働問題」であると。

「言えるようにしていく」、そうすることこそが安全対策であり、トップの責任は視線の高さを同じにできるかどうかではないのか。
そこに深田さんが「言い過ぎ」ということは決してない、それはコミュニケーションの問題であり、座組ごとにルールをつくることができるかどうかということだ、と2人の会話は連なっていく。

我がこととして話す、フラットに話せる関係性

「ルール」や「ガイドライン」があると安心する。それさえ守れば自分や身近な人は守られるんだ、という気持ちがあるからだ。しかしそれは「受け」の姿勢にもつながり、それをただ享受し、遵守するだけでは我が事として考えることは難しくなってきてしまう。
新型コロナウイルス」はまさしく「新型」で多くの情報が溢れ、間違った情報も最初は多く流出していた。そんななかでルールやガイドラインを作るということはひどく難しく、様々なガイドラインが現在も存在する。

しかし、飲食店がある程度リスクを背負って営業しなければ潰れてしまうのと同様に、俳優もある程度自分のリスクを考えながら撮影および舞台を請け負う必要があるのが現在であり、そのためには正しい情報を得ることと、そして自分が関わる座組の中でフラットに話せる関係性をつくる必要がある。

アクターズ・コースは1期〜9期と現在存在するが、そこにあまり上下関係はなく(なんとなく上の期に敬語で話す感じはあるけれど)「同志/仲間」感が強く、フラットに話せるな、とこの講義(特に数人に分かれての話をする時)を受けて感じた。

それは一体なんなのか、単に学び舎として場を共有した安心感からなのか?と茫洋と感じている間に今回の講義は終えてしまったが、この高等科が終わるまでにこの関係性を言葉にできたらいいなと思った初回の講義だった。そしてこの関係性を他の座組に踏襲していくことの難しさも感じた。

  

文章:浅田麻衣

映画美学校アクターズ・コース、高等科開講中です

f:id:eigabigakkou:20201125202434j:plainこんにちは、映画美学校アクターズ・コース(「映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座」)です。
映画美学校アクターズ・コース、本来は2020年9月に記念すべき第10期を開講予定でしたが、今年度につきましては新型コロナウイルス感染状況を踏まえ、また、受講される皆さまの安全を第一に考え、新規募集は行わず、修了生を対象としたオンラインを中心とした講座とすることとなりました。

詳しくはこちらをご覧いただけたらと思います。

eigabigakkou.com

 

非常に忸怩たる思いでしたが、しかしこの状況下でも学びを止めたくないという講師陣および事務局の思いのもと、現在アクターズ・コースは修了生を対象とした「アクターズ・コース俳優養成講座2020年度高等科」を開講、9月から講義をオンラインを中心に始めています。

 

その高等科講義の模様をお送りするととともに、講師の紹介や高等科生の紹介などを行うことでアクターズ・コースについて多角的に知っていただけたらと思います。
記事は定期的にUPしていく予定です。

 

是非ご覧いただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします!

 

広報:浅田麻衣(アクターズ・コース第6期修了生)

『シティキラー』の軌跡

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 映画美学校アクターズ・コース俳優養成講座2019の修了公演『シティキラー』。


2020.3/5〜10、演劇公演としての上演に向けて半年前から準備をしていましたが、主催である文化庁より新型コロナウィルス感染症の拡大防止に係る要請を受け中止となりました。

しかし、直後に路線を踏み切り、2種類の映像作品が生まれました。
演劇公演としてのシティキラーが今後上演されるのかは4/21現在わかっていないです。

 

ここにシティキラーの軌跡たちを残します。

 

                   映画美学校アクターズ・コース第9期生 一同
                    リード文章:本橋龍 文章:瀧澤綾音 構成:浅田麻衣

     

上演中止『シティキラー』

中止前公演予定日時 2020/3/5〜3/10

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予約開始日からご予約を多くいただき、本番約3週間前には売り止め。追加公演を企画するも1日で売り止めとなる。
500名ほどのお客様と出会える予定だった。


劇生(出演)
秋村和希、淺村カミーラ、井上みなみ、宇都有里紗、関口果耶、中島晃紀、瀧澤綾音、原涼音、廣田彩、星美里、百瀬葉、森皓平、山田薫(アクターズ・コース 映画・演劇を横断し活躍する俳優養成講座2019)、近藤強

スタッフ
舞台監督:黒澤多生(青年団) 美術:本橋龍、小駒豪 照明:小駒豪
音響協力:櫻内憧海 宣伝美術:一野篤 フライヤー絵:坂口恭平 
演出助手:那須愛美 修了公演監修:近藤強、兵藤公美、山内健司 
制作:浅田麻衣 制作協力:井坂浩(青年団) 協力:青年団

 

とあるゲストハウスの共有スペースに旅人たちは募った。夜の宴のさなか、1人が「今、生まれてきて良かったと思ってる」とボヤいた。月すら見えない満天の曇り空だった。雲の向こうでそれは光った。

シティキラー。都市を滅ぼすほどの大きさの隕石はその巨大過ぎないサイズ故に発見が難しく、8割以上が未発見のまま地球を過ぎ去る。

予告もなく、終わりはくる。変わる。始まる。 

映像作品①『シティキラーの環』

3/8.9.10撮影 3/11公開

『シティキラー』中止の決定後から企画が始動。
作・演出の本橋龍さんの知己、映像作家の和久井幸一さんを迎え本来本番期間であった3日間で撮影し『シティキラーの環』として1環15〜20分の全8環の映像作品に再構築。

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<第1環>https://youtu.be/eNWh038oOoU

<第2環>https://youtu.be/S1yN3SlcWfE

<第3環>https://youtu.be/--_KX8FcyHg

<第4環>https://youtu.be/9-142HLy1sQ

<第5環>https://youtu.be/kr1vQ3-HVww

<第6環>https://youtu.be/orFuNn4S9zI

<第7環>https://youtu.be/gCC1WVIWSIc

<第8環>https://youtu.be/eNmF5qPq3vg

<Balchraggan (by John Somerville)>https://youtu.be/Kv9bMCbcWw8

劇生(出演)
秋村和希、淺村カミーラ、井上みなみ、宇都有里紗、関口果耶、中島晃紀、瀧澤綾音、原涼音、廣田彩、星美里、百瀬葉、森皓平、山田薫、近藤強

中村大史

スタッフ
監督:和久井幸一 作:本橋龍 照明・美術:小駒豪 ロゴデザイン:一野篤
助監督:黒澤多生、那須愛美 制作:浅田麻衣 監修:近藤強、兵藤公美、山内健司
撮影:和久井幸一、高良真剣、新藤早代、上原愛
録音:和久井幸一、本橋龍、高良真剣 編集:和久井幸一

映像作品②『シティキラー』演劇版フルバージョン配信

3/6.7撮影 4/5公開

『シティキラーの環』と並行して企画が始動。当初想定していた撮影よりカメラ台数を増やし、カメラ4台で撮影。
映画美学校フィクション・コース修了生による2日間の撮影を経て、編集もフィクション・コース修了生に依頼。できあがった映像をyoutubeにて公開した。

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f:id:eigabigakkou:20200304153409j:plain                                     
https://www.youtube.com/watch?v=_aHAiDaLFBI&t=584s

※劇生及びスタッフは『シティキラー』に準ずる

スチール撮影:かまたきえ
上演映像撮影:星野洋行、小濱匠、鎌田輝恵、小林徳行
編集:秋野太郎

劇生(登場人物/出演者)

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                                      相関図作成:山中美幸

コイシ(瀧澤綾音)…訪れた人。カメラ持ってる。
アサト(秋村和希)…静かな住人。
マチダ(山田薫)…ヤマミ荘を手伝ってる。
チミ(原涼音)…タイラの友達。
タイラ(関口果耶)…チミの友達。
モリコ(宇都有里紗)…OL。
マコト(中島晃紀)…マジシャン。
トクロウ(森皓平)…夢精した人。
オヤカタ(廣田彩)…夢の話を聞く人。
ネムリ(井上みなみ)…去っていった人。
ヤマミ(近藤強)…ヤマミ荘のオーナー。
シトラ(淺村カミーラ)…ウズベキスタン出身。
誰か1(星美里)…帽子被ってる。
誰か2(百瀬葉)…パジャマ。

街(中村大史)(『シティキラーの環』のみ出演)

『シティキラー』から『シティキラーの環』への日記

2019年
7/31 アクターズ・コース俳優養成講座2019の申込締切。

8/5〜7 アクターズ・コース俳優養成講座2019(以降、「アクターズ第9期」と呼称)選考。『シティキラー』作・演出の本橋龍さんとも顔を合わせる。

9/2 初講義。第1回目の講師は『シティキラー』にも出演する近藤強さんだった。

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9/19 「俳優の権利と危機管理」講義。
アクターズ・コース初期からある講義、らしい。

10/18.21 作・演出の本橋龍さんによる、修了公演にむけたワークショップが2日間開催される。本橋さんが以前執筆した脚本、『ごめんなさいの森』、『さなぎ』を読む。
本橋さんが演劇をどのように考えているかの話を聞く。

12/8 武漢にて、最初の新型肺炎発症患者が出たとされる。

12/16 『シティキラー』チラシ公開。

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12/23 広報ワークショップ。どんなひとに観てもらいたいか、どうしたら観てもらえるかを考えた。以降、それぞれ係に分かれて全員で広報を担当する。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/16/130620

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12/30 『往復書簡』企画、第1弾公開。
受講生、講師陣、TAと、アクターズ・コースという場に集った人々の往復書簡。http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2019/12/30/164203

 

2020年
1/11 『シティキラー』チケット予約開始。

1/14 アクターズ・コース第9期生による『シティキラー』Instagramを開設。https://instagram.com/eibiactor9_citykiller?igshid=17w674rjx2i8e

1.23 中国/武漢封鎖
『シティキラー』の第1稿の1部が送られてきた。当て書きの台本。

1/28 『シティキラー』稽古開始。
『シティキラー』の第1稿完成台本をもらう。みんなで声を出し、初めて読んだ。広報本格化。週1で会議を行う。

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1/20 『往復書簡』企画、第2弾公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/01/20/125045

2/2 『往復書簡』企画、第3弾公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/02/184556

2/4 ダイヤモンド・プリンセス号にて新型コロナウイルス感染者を確認、下船が延期される。

2/16 『シティキラー』全公演のチケット完売。

2/17  アクターズ・コース第9期生インタビュー公開開始。

第1弾 秋村和希(アサト役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/17/130643
https://www.instagram.com/p/B8ln4hcFCWu/?igshid=1bvyv3nwzhl5m

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第2弾 淺村カミーラ(シトラ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/17/130717
https://www.instagram.com/p/B8n5zyNlpos/?igshid=6i77nc7xhrf0

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2/18 『シティキラー』追加公演の決定を発表。
アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第3弾 瀧澤綾音(コイシ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/18/110809
https://www.instagram.com/p/B8n4DBwFTgJ/?igshid=1i9hrnhs6qa9u

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第4弾 井上みなみ(ネムリ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/18/110847
https://www.instagram.com/p/B8lm2wElXsg/?igshid=144vkdkl1lvj5

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2/19 『シティキラー』追加公演予約を開始。
アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第5弾 宇都有里紗(モリコ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/19/180000
https://www.instagram.com/p/B8vByEFFf-p/?igshid=1qngvj890syus

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第6弾 関口果耶(タイラ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/19/180000_1
https://www.instagram.com/p/B8soD35lYxr/?igshid=17qlm3s0oht11

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2/20 追加公演のチケット完売。
アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第7弾 中島晃紀(マコト役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/20/180000
https://www.instagram.com/p/B8nYnkNl0E5/?igshid=1lup2j6tee2zp

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第8弾 原涼音(チミ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/20/180000_1
https://www.instagram.com/p/B8lm8SOlR7v/?igshid=65uaqxnezvtb

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2/21 初通し。終了後、美学校 実作講座「演劇 似て非なるもの」講師の生西康典さん、作・演出の本橋龍さんの対談が開催される。

橋龍さん×生西康典さん対談【前編】
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/18/204212

橋龍さん×生西康典さん対談【後編】
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/20/200000

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アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第9弾 廣田彩(オヤカタ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/21/130000
https://www.instagram.com/p/B8nYqLWlIvu/?igshid=38yx3hvezv7w

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2/22 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第10弾 星美里(誰か1役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/22/130000
https://www.instagram.com/p/B8qRANkF536/?igshid=10dsf5h86mxhc

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2/23 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第11弾 百瀬葉(誰か2役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/23/130000
https://www.instagram.com/p/B8no66llkWf/?igshid=kotymeywv1t9

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2/24 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第12弾 森皓平(トクロウ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/24/130000
https://www.instagram.com/p/B8nYrCMlNz3/?igshid=1xaru7ff2vmuz

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2/25 アクターズ・コース第9期生インタビュー公開。
第13弾 山田薫(マチダ役)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/02/25/130000
https://www.instagram.com/p/B8p6NzSFRqp/?igshid=1owdt7vo23j2t

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2/26 第14回新型コロナウイルス感染症対策本部が総理大臣官邸にて開催される。

2/28 劇場入り、仕込み。
うがい手洗いなどをより強化。制作サイドで、お客様への対応についても詳細を詰めていく。

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3/1 稽古開始。

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上演に向け、"アクターズ・コース2019年度公演における新型コロナウイルス発生に伴う対策について"の声明を発表。最大限安全を確保した上で公演を行う旨記載。全体でも対応策を共有した。

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帰り際、みんなで床に絵を描く。

 

3/2 場当たり。
文化庁から要請があり、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため公演中止を決定。

 

3/3 公式に「新型コロナウイルス発生に伴うアクターズ・コース2019年度公演『シティキラー』公演中止のおしらせ」を発表。

場当たり、通し。
本橋さんより、和久井幸一さんに撮影してもらうかもと話を聞く。

 

3/4.5 ゲネプロ
関係者にみてもらう。この2回が主にひとに演劇のかたちとして共有する機会だった。

 

3/6.7 『シティキラー』演劇版フルバージョンを撮影。
映画美学校フィクション・コースの修了生星野洋行さん、小濱匠さん、鎌田輝恵さん、小林徳行さんに来ていただき撮影。本番の開演同時刻から、上演。音楽の関係で2シーンのみ別撮り。

 

3/8〜10 『シティキラーの環』撮影。
和久井幸一さん、高良真剣さん、新藤早代さんに来ていただき、和久井さん指揮のもとシーンの撮影方法に合わせ区切りながら撮影。
撮影後のバラシの際に中村大史さんによるアコーディオンが流れていた。

第9期 山田薫さん誕生日(3/11)の前祝い。(次の日には会えないため、3/10にお祝い。)

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 3/11『シティキラー』1環公開
https://youtu.be/eNWh038oOoU

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3/17 『シティキラーの環』2環公開。
https://youtu.be/S1yN3SlcWfE

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3/19『シティキラーの環』3環公開。
https://youtu.be/--_KX8FcyHg

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3/21『シティキラーの環』4環公開。
https://youtu.be/9-142HLy1sQ

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3/22 佐々木敦さんの劇評を公開。佐々木さんには、無観客で関係者のみの『シティキラー』ゲネプロ上演を鑑賞いただいた。

演劇版『シティキラー』評 佐々木敦
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/20/sasaki

3/23『シティキラーの環』5環公開。
https://youtu.be/kr1vQ3-HVww

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3/24 映画美学校脚本コース講師である高橋洋さんによる『シティキラー』の感想を公開。

『シティキラー』を見た:高橋洋(脚本家・映画監督)
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/03/24/takahashi

3/25 『シティキラーの環』6環公開。
https://youtu.be/orFuNn4S9zI

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3/26 過去、映画美学校講師であった九龍ジョーさんに、公演レビューを執筆いただいた。
https://qjweb.jp/journal/13090/

3/27 『シティキラーの環』7環公開。
https://youtu.be/gCC1WVIWSIc

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3/29『シティキラーの環』8環 公開。
https://youtu.be/eNmF5qPq3vg

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4/5 『シティキラー』演劇版フルバージョン公開。

https://www.youtube.com/watch?v=_aHAiDaLFBI&t=584s

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続いていく、『シティキラー』

4/15 関係者のみのゲネプロを観ていただいた山﨑健太さんによる、レビューが公開。
https://artscape.jp/report/review/10161215_1735.html


4/17 「逢えない僕らの思うこと」vol.1〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜 公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/04/17/185621

4/19 「逢えない僕らの思うこと」vol.2〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜 公開。
http://eigabigakkou-shuryo.hatenadiary.jp/entry/2020/04/19/185918

4/21 『シティキラーの軌跡』公開。


*随時更新中 『シティキラー』『シティキラーの環』にまつわるtogetter
https://togetter.com/li/1482145

「逢えない僕らの思うこと」 Vol.2 〜『シティキラー』対談、今話したいこと、残しておきたいこと〜

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2020/3/30 18:00

 

この日は『シティキラー』舞台監督・黒澤多生、出演俳優の山田薫、星美里、百瀬葉も参加。

 

  • okichirashi インスタログを間において

 

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非公開で開始された okicirashi インスタ画面


山内:なんとなく実際のログを見ながら喋ってみましょうか。これが okichirashi インスタの投稿の記念すべき一発目ですね。

 

一野:山田さんのお母さんですか。おしゃれですね。

 

本橋:僕は人と会ったときに演劇のチラシを渡すのってちょっと無粋だなってつい思っちゃうところがあるんです。みなさんに聞きたかったんですが、そういうの今回はなかったですか?

 

山田:実は私、学校に行ったことは最初は言ってませんでした。チラシを渡す日に徐々に話していって、最後のこんなのやってるよってタイミングで実際にチラシを渡した。自分の中でドラマがあって面白かったです。いざ1枚目を渡したことでその後は楽になってお店とかにも持って行きやすくなりました。

 

一野:1枚目が一番ハードル高かったんですね。お母さん驚いてました?

 

山田:私は身内っていうのが一番ハードル高かったですね。最初娘が出てると思ってなかったみたいで、話し始めは「何いってるんだろこの子?」って思われていて、最後に名前を見て「おおー!」と(笑)。

 

山内:山田さんは最初の広報ワークショップのとき、例えばフリースクールだとか学校に行けない子に来てほしいって話をしてましたよね。その話のとき、今作制作の浅田さんが劇が届きにくいところに具体的に過去に経験したアプローチのことを話してくれた。

 

山田:ALSの方へのアプローチでしたね。気軽に劇場には来られない状態だけれど、来てくれたことがあると。

 

山内:そういう人たちに劇場にきてほしいと組織的にアプローチしようとしたらものすごい大変だったというのを踏まえ、それじゃあまず今回はみんなできる範囲でやろうと方向転換しました。僕も個人的な知り合いに声をかけようとか考えた。そのときに、自分で渡しに行くのが似つかわしいなと思ったんですよね。それで「okichirashi」プロジェクトとして非公開でログだけとろうとインスタをはじめました。そしたら山田さんが最初にこれをあげてくれて、主旨にあってます?ってすごい気にされてたのを覚えてます。

 

山田:こんなに身内な感じでいいのかって(笑)。逆に嬉しかったです。

 

山内:これでいいんですよね。むしろこれがいいんだなって。本当に、人と人との間にチラシがある。本橋さんの質問の「人と会うときにチラシを渡しづらい」ことに関していうと、僕は東京出身ですが、演劇をやってると20代のときに高校とか大学の友達を一旦全部なくすんですよね。みなさんわかります?

 

山田:どういうことですか?

 

山内:見に来て、前売り買ってってそればっかり言って友達を一巡するんです。どうやらあいつは芝居見にこいしか連絡がこないらしいっていうので学生時代の人脈って一回絶えるんですよ。割と演劇あるある、俳優あるあるなんですけどね。芝居を見に来てっていう行為が、どっちかっていうと下世話というか。だからお芝居の宣伝をする行為がものすごく心理的にハードルが高くなっていた自分がいて。なのでお芝居のチラシを渡すことの大変さについて本橋さんの質問は体感としてすごくわかります。

 

本橋:そうですね、こうやって改めてインスタの画像を見ながらチラシを渡した状況の話を聞くとすごく面白いなと思いました。やっぱり「人と人の間にチラシを置く」ことの感触はすごくあるんだなと思いました。同時に、チラシのデザインはすごく大事だなと実感もしてます。過去にもらったり渡したりしてきた経験を思い出すと、このチラシダサいなって自分で思ってるものを渡すのは自分に嘘がある。だから自分にとっても相手にとってもいい時間じゃなかったなってすごく思います。

 

一野:今回のチラシは渡しやすかったですか?

 

一同:渡しやすかったです!

 

一野:よかったです(笑)。

 

山内:僕はこの okichirashi インスタログをとる企画が同時にスタートしていたのでなおさら渡しやすくなっていました。

 

一野:本橋さんから最初にチラシ制作の依頼があったのは結構前で、その時にいわゆる演劇公演風のチラシではないものにしたいという希望を聞いたところからスタートしました。ことさら意識したわけではないんですけどね。面白かったのは、最初はチラシに「演劇公演」という文字が入ってなかったんですが、出来上がったデザインを見たら、やっぱり演劇公演のチラシには見えないかも? ということで後から付けたんです。だからある意味最初の狙いは成功したのかなと。

 

本橋:補足すると「演劇公演」とつけたかったのは、自分の中の演劇のチラシに対する考え方も影響しています。僕の知る限り、演劇のチラシって「演劇公演」て書いていないものがすごく多いんです。それもチラシの渡しづらさとして引っかかっているのかも。演劇をやってる僕らは A4 サイズのこのチラシって演劇のチラシだよねって普通に思うんですけど、馴染みのない人からしたらそもそもこれはなんなのっていうのが最初の印象なはず。なのであえて、すごく入れたいと思ったというのが理由です。あと僕は公演を始めるときに必ず最初に「今からここで演劇公演をやります」とナレーションを入れていて、それも同じ気持ちからやっています。

 

本橋:次のログは山田さんの息子さんですか?

 

山田:そうです。

 

山内:一時期この息子さんはお芝居の感想をイラストで書くことで小劇場界を席巻したんです。小学生の頃ですかね。

 

山田:ですね。それを Twitter にあげてました。

 

山内エゴサーチする小劇場界隈の人々の間で、感想をイラストでかいてる小学生がいるぞってことですごい話題になりました。最近見ないなーと思ってたら、うちの息子です、と山田さんが。昔の僕が出てたお芝居についてかいてくれたものも見せてくれました。時々有名な中学生観劇ブロガー、高校生ブロガーって現れますけど、小学生イラストレーターとしてとても有名でした。

 

一野:山田さんは今回がお芝居の出演は初めてだったんですよね?

 

山田:去年本橋さんのリーディング公演に参加しましたが、こういう風にちゃんと公演にでるのは初めてです。

 

一野:全然そういう風に見えませんでした。

 

山田:本当ですか? 嬉しい、だいぶ緊張してましたけど。

 

本橋:山田さんはむちゃくちゃ演劇みる人ですよね。演劇以外もですけど。それもあったと思います。関係ないかな?

 

山田:どうなんでしょう。でもやっぱり場数を踏んでる人は違うなと思うので、やっぱり経験は大事な気がしました。それに慣れてしまうとどうなのかはわかりませんけど。私はもともと割と何度同じものを見ても笑える人間なので、毎回新鮮にできるタイプだとは思います。経験してそれがなくなっちゃう人はつまんなくなっちゃうんですかね?

 

一野:毎回新鮮なリアクションできるってすごい才能じゃないですか。

 

山内:すごいすごい(笑)。

 

山田:(笑)。でもかなしいお芝居だと同じようにはできないかもですね。今回は一瞬一瞬が楽しかったので、何度やっても楽しかったし新鮮でした。

 

山内:そういうことはあると思いますよ。アクセスする感情の得意不得意、体の状態の得意不得意は、絶対あると思います。

 

一野:そういう体の状態を作るっていうのは役者さんの大事な仕事なんですね。

 

山内:やっぱりあらゆることにすっとアクセスできちゃう体の方はいますからね。お芝居向いてる人っているんだなって。いまだにすごい嫉妬します。

 

本橋:それでいうと、山田さんの役は劇中で息子役の方とのシーンでネガティブな面もあったと思うんですけど、どうでしたか?

 

山田:関係者で見ていて気づかれた方からも指摘されたのですが、怖くなって声がでづらくなってましたね。結構辛かったのが見えたみたいです。見えてしまったことに反省してますが。

 

山内:次のログに進みましょう。僕はこんなふうにコンビニの店員さんの身体が写ってるものなんて見たことないです。

 

本橋:これはどういう写真なんですか?

 

山田:うちの近くのコンビニで何年もバイトしている方との写真です。私もほぼ毎日行くのでレジ越しに話す関係が続いています。この企画のスタート時点で演劇を見たことがない人に来て欲しいと思ったのですが、彼女は毎日コンビニで働いているので見たことないかもしれないと。それで声をかけたら「行きたい」と言ってくれて今は LINE 友達です。

 

本橋:チラシ渡したのがきっかけですか?

 

山田:はい。稽古中は頻繁にコンビニに行けなくなっていましたが、公演中止になったお知らせをする必要があって LINE の ID を私が渡して、そこから。

 

本橋:なるほど。すでに関係が築かれてる人に宣伝のチラシを渡すのは確かにその行為がノイズになる可能性があるけど、チラシを渡すことをきっかけに関係性が進むのは素敵なことですね。

 

  • コレクティブを間において

 

山内:それです。演劇を口実に人と話す。僕が映画美学校で毎年続けている「渋谷ノート」という試みがあります。受講生が渋谷で街を歩いている人できになる人に声をかけて録音もさせてもらって、その会話を書き起こして演じるというワークです。一言一句、ノイズも書き起こして台本化する。あれは「生の、本物のしゃべり言葉ってどうなってるんだろう?」っていうのを調べること、ものすごいハイコンテクストな言葉に触れるという目的があるんですが、同時に、演劇を口実に渋谷の街を歩いてる人に話しかけるというのが実は一番の目的でもあります。そうじゃなきゃ、話しかけないですよね。僕自身も演劇のリサーチを口実に、初めて話しかけられる人がいっぱいいます。それを口実に気になっていた人に話しかける。そういうイメージはありました。

 

本橋:コミュニケーションてなんなんでしょうね。今だから正直なことを言うと、僕、9期生の人たちがすごく仲良さそうにしてるのがすごく羨ましかったんですよ。今回に限らず、演劇をやるときにいつも思うんですけど(笑)。俳優同士って仲良くなりやすいことが多いけど、僕はどうしてもそこには入れない。脚本・演出という役割というより僕自身の傾向かもしれないですけど。創作に関することを話すことになっちゃって、それも心地よいんですけど、そうじゃなく関わることがなんか僕はできなかったな。

 

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「シティキラー」場面写真


山内:2回目で一野さんと本橋さんが言ってた間にお芝居とか本とかを間に置いてるから話せる、というのと同じことですね。僕からすると、間にチラシがあるから話せるというのも同じだと思っています。例えば俳優同士の場合は間に台本があるから話せるというのもあるんだけど。でもコレクティブという集まり方を考えると、俳優と演出はなぜかコレクティブになりにくいんですよね。スタッフと演出だと意外と実現しやすいのに、俳優が関わると難しくなる印象があって。

 

本橋:なんででしょうね。

 

山内:割と最近思ってることの一つには、スタッフと俳優は仕事の時間軸が全然違うというのがある気がします。スピード感が一桁二桁くらい違う。ミュージシャン同士ならそのセッション内でパッとコピーとか実現できるかもしれないけど、俳優の場合はまずセリフを新しく覚えることも大変ですが、演技を作っていく時間の流れ方が俳優によっても全然違うというのが今の所の中間報告の一つです。

 

本橋:僕は俳優同士のコミュニケーションに、わからないけどどこか高尚なものを感じています。例えばどこかジャングルの奥地で一つの巨大な洞窟に暮らしている少数民族のコミュニティや戦争塹壕の中のコミュニティみたいな。周りにその人たちしかいなくてそこでコミュニケーションをとらないと死んでしまう。必要性があって関係性を構築している、生きることと直結しているコミュニケーション。そこに自分がほいほい入っていけないなと思ってしまう。

 

一野:すごい動物的な。

 

本橋:そうですね。あくまでこれからパフォーマンスをしていく上での集まりなわけで、揉め事がある死活問題だからっていうのはあるのかも。

 

一野:僕はまだまだ演劇の人と触れ合ってる数は少ないですが、演劇の人たちがいる空間ってすごく居心地がいいです。すごく協調性があるのに独立してるっていうか。みんな違うのに今から一緒にやりますってなったら急にできるってすごいです。そういうタイプは普段はまわりにいないので。

 

山内:本橋さんの現場を横で見てると、解放されてる感じがします。許されてるとかそういう上下関係でもなくて、なにかの回路が開かれてるような。直感の回路でやってて、違う時は違うってフィードバックも実感しやすい。

 

一野:自由な空気は感じますね、ものすごく。

 

【コレクティブな人の集まり方について】

ヒエラルキーをなくした表現者の集団である「コレクティブ」という人の集まり方は、2010年代より、アートのみならず、演劇でも大変に注目されています。それはもっともパワフルな人の集まり方であると同時に、システムとか制度が引き起こしている「分断」や「孤立」と闘っているのかもしれません。

演劇では快快サンプルの試みは大変に知られていますし、近年では劇団mamagotoの挑戦が大変注目されます。

映画美学校修了生のあいだでも、「月刊長尾理世」など、アクターズ・コース、フィクション・コースをまたいだ映画コレクティブといえる集団があらわれています。(山内)

 

  • 出演俳優/受講生を間において

 

山内:百瀬さん、どうでした?

 

百瀬:おっしゃる通り今までもってたこうしなきゃああしなきゃ、ってのは捨てられた感じがします。

 

本橋:僕はこれまで3回俳優に感覚を揺さぶられた経験があったんですが『シティキラー』で4回目があって、それは百瀬さんでした。『シティキラー』の中で、床に空いてる穴を百瀬さんと星さんが見つけるシーンがあるんですが、そこで百瀬さんは唾を吐くんです。衝撃を受けたしめちゃくちゃ感動しました。日常で、外で仲間と旅に出たら実際やるよねって感覚的にわかる行為なんですけど、演劇はあくまで借りた場所で他人とやってるフィクションだから、やれないことの方が多いですよね。それを百瀬さんはやっていて。そういう我々が大人である以上セーブしてしまうことをどうやって引き出せるんだろうってよく思うんです。

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「シティキラー」場面写真


山内:本橋さんは常にそういうものを探してますよね。動物的な感じというか。それは飴屋法水さんのものづくりの佇まいと似てる気がします。

 

本橋:確かに影響を強く受けてるので…。色々な方の影響を受けていますが、できるだけゼロ地点からそういうところにたどり着けたらと思うんですけど。

「ビュー・ポイント」という映画美学校の講師の近藤さんが授業でよく実践する動きや発声を細分化、パーツ化したりしてルールをもちつつ身体的に実験する訓練かつパフォーマンスのようなものがあって、今回もいわゆる客入れの時間に俳優に舞台上でやってもらっていました。稽古も含めて「ビュー・ポイント」で感動する瞬間はいくつかありました。ルールに基づいて動いている人たちがそのルールで本当に遊び出す瞬間っていうのがあって。その時間内に生成されるルールを破ったり守ったりする時間がすごくいいんですよね。ルールが真ん中に置かれているからこそ起きることだっていうことに感動したりしましたね。

 

一野:枠組みがあるから外れられるっていうのはあるよね。

 

山内:このログには他にもいい写真がたくさんあるんです。Twitter には普通写らない体がありますよね。非公開にしてよかった。

 

中川:見られるためにやってるのではなく、やってる人との関係でしか起きない体や表情が写っていたりしますよね。親密さがある。

 

一野:僕は居酒屋のテーブルにチラシが置かれて、その上に料理が置かれているこの写真が好きです。直接渡せないからテーブルに置いてきたっていう(笑)。自分の分身を間接的に置いておけるものとして使ってる感じがすごく面白かったです。

 

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okichirashi インスタログより。居酒屋のテーブルの上に「シティキラー」チラシを置いた


山内:置きチラシを個人的にやっていこうと9期生と話した時に、その人たちが通りそうな動線にそっと置くって話をしてたよね。梶井基次郎の『檸檬』みたいな。

 

:その発想の発端は受講生の一人、関口さんですね。私生活の中の動線をそれぞれが模索するみたいな話をしてて。

 

一野:配置の仕方に色々工夫はありそうですね。

 

本橋:置きチラシってそもそもそういうものかもしれませんね。僕も置きチラシはすごく好きで、これからの時代の演劇チラシは折り込みよりそっちだなって思ってたんですけど。初回にも話しましたが、チラシって大多数より個人に出会うものだなって気がします。すごく自分にとっていいなって思うお店だと、置いてあるチラシを見たり持っていったりするからそういう風に作品と出会うのって素敵だなって。その場所での経験がそのチラシに含まれたりもする。

 

一野:オンラインの宣伝だとこの写真みたいにランチョンマットとして使えないもんね。笑い話でもあるけど、反面すごく重要でもある気がしますね。こういう使われ方もすごく嬉しい。

 

山内:自分と似たような人に来てもらうなら自分の動線に置けばいいって話があったよね。

 

:そう思ったのは本橋さんの文化圏と自分の文化圏が似ていたからです。それゆえに本橋さんの文化圏を拡張できるのかなと。実際に置きチラシを通じて本橋さんの友達の友達という人とも出会いました。

 

一野:タグ付けみたいなことなのかな?

 

山内:それって、自分と本橋さんの文化圏の重ならない部分にチラシを置くことで本橋さんが拡張されるって感じ? あえてちょっとはみ出るみたいな。どうやって世界が拡張できるか僕自身知りたくて。

 

:私の周りにいる人たちは、自分と面白いと思うものが似ている人たちが多いので、知り合いがいる店とかに置いてました。

 

山内:なるほどね、きっと好きだろうなと思う人に存在を知ってもらうということですね。

 

一野:そういえば背中の部分にチラシを入れられるデザインのカバンを見かけたことがあります。歩くことで広告になれる、これは面白いなって。例えばパンクバンドのチラシを入れてたらその人パンクが好きなんだってわかるっていう。その人がチラシを背負って歩くことで、その人がどんな人なのかも見えるのがプロダクトとして面白いなと思いました。動線を媒体にするってことを実直に形にするとそういうことになるのかなと。話しかけられそうじゃないですか、そういうカバンをもってたら。

 

:ファッションみたいですよね。演劇って持ち歩くことができないけど、それでだったら持ち歩けますよね。

 

本橋:チラシは広告的な要素があるけど、そもそもファッションは一目でこういう人だってすごく把握しやすくて意識しますよね。一番身近な自己表現の一つで面白いですよね。

 

:演劇はその場でしか見ることができないですが、ファッションもそこにその人が存在しないと見られないという点で似てるかも。何かの媒体を介してしか見られないし、同時にその人がそこにいないと見られない。演劇の広告の可能性ってどこにいけるんだろうって考えます。

 

本橋:そういえば星さんに最初に話したのって、その服どこで買ったのって聞いたのだった気がしますね

 

:紙でできた手術着を反対にしてコートにして着てたっていう(笑)。

 

一野:おしゃれ(笑)。

 

  • 「フォーカス」と「フィジカル」を間に置いて

 

本橋:さっきでた拡張というワードは意識しています。自分が半径1メートルくらいの話しか作れないなって悩んだ時期があったんですが、フォーカスが絞られたものを作ると逆に広がっていくって気づいたんですよ。フォーカスをめちゃくちゃ絞って背景がボケて見えなくなるように作ると、そのボケた背景を見ている人たちが自分の経験と照らし合わせて勝手に広げてくれる。そういう作り方を意識しています。

 

山内:フォーカスを絞るというのはキーワードな気がします。世界を拡張する方法としてもうちょっと言葉をくれますか。

 

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3回目ZOOM画面より。中段左端の本橋氏は手元のライターをカメラに近づけている


本橋:例えばこうやってライターをすごく寄りで見るとします。こうするとライターの情報をすごく提示することになる一方で、このライターがどこにあるのかはわからなくなる。例えば今だと部屋で僕がライターもってるという情報が隠れる。そうするとこの画面を見る人は、ライターそのもの以外の外側を自分で補填したりし出すじゃないですか。そうすることで、その見た人個人個人の世界と接続する気がする。僕はそういうことを意識しているような気がします。

 

一野:すごくわかるような気がします。描かないからこそ他者にわかるっていうのはありますよね。細密に自分の背景まで書いちゃうと自分にぴったりはまる人しかハマらないけど。周囲・背景をぼかしてることで、幻想かもしれないけど、見ている人がこれは自分のことなんじゃないかって想像しやすくなるんじゃないかなって。

 

本橋:それはアピチャッポン作品にも繋がるような気がします。作品の中に個人的な感覚を突き詰めておいているような気がします。そのことで自分の文脈に置き換えやすくなるというか。

 

:クローズアップすることで取り扱っているものの要素がすごく大きくなりますよね。ライターをアップにしたときに「ライター」としてではなく、プラスチックという素材、色とか光とか、物質が見える。その方が世界の広さが見えるというか。

 

一野:ライターって言葉にしちゃうと「ライター」でしかない。ライターを表すのに、黒いとか、プラスチックとか、言葉のレベルでも別のものがでてきますもんね。

 

本橋:例えば僕の場合、人とのコミュニケーションでも、その人が経験したことを伝えてくれるときにディティールを熱烈に語られても「うわー話してんなー」と思っちゃって全然頭に入ってこなかったりするんですよね。状況ではなく擬音とか体感を伝えてくれる人の方がわかるし、コミュニケーションをとりやすいなって思ったりしちゃうんですよね。

 

一野:関西人に多いやつですね(笑)。道の説明するときに「そこガーッといってからサッと入って」とか言うから。

 

本橋:その方がコミュニケーションが楽しい感じがするんですよね。自分に起きた感じがする。その感覚とちょっと似てたりするかな。

 

中川:一気に抽象化するみたいな。

 

本橋:そうですね。外から見るとすごく抽象化されていて、でもその人本人から見るとすごくフォーカスが絞られた状態になってるっていう。

 

中川:言い方が難しいですけど、例えば私が何かを感じたって伝えるときに「私」はぼかすけど「私が感じたこと」にフォーカスする。私が痛かった状況ではなく、その痛さが痛みとして伝わるみたいな。すごく主観的なんだけど同時に主語を避けるというか。テキストでは伝わりにくいことかもしれないですけど。

 

本橋:作品づくりにおいては主観的な目線と俯瞰した目線が両方必要だとは思うんですけどね。ただ僕は、コミュニケーションとか人と関わる上で、そういうところが一番大切なんじゃないかと思ってる感じするんです。どんな話においても、他者がその人になれるかどうか。その人の中で、膨らませていけるというか。見た人、聞いた人が話の主人公になれること。

 

一野:少なくとも語り手が自分の感じたことを自分の言葉で言わないと伝わらない。どっかで観念的な、フィジカルではないものが混ざると嘘の言葉になるような気もしますね。擬音で聞いた方がその人本人のリアルな感覚は伝わるな、と思うんですけどね。

 

本橋:コミュニケーションにおいては色々な意見がありますよね。

 

  • いま、逢えない僕らの思うこと

 

山内:今回の対談は、僕たちがこういう営みをしてきたということを報告したいという動機がありました。俳優の学校にありがちな、卒業したら芸能界に何人いけるとかそういうこととかけ離れちゃってる営み。広報ワークショップをやってみたら、この人たちの感覚が面白いという手応えがあって、とても個人的な営みとして実践して、それを振り返った跡を残したいというのがありました。みなさんどうでした?

 

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3日目にあたるこの日は最大8名が同時に対談に参加した


百瀬:今の状況になってから自宅にずっといて、TVや映画やドラマをずっと見て過ごしていて人と喋ってなかったので、楽しかったです。欲望として、人と喋るのって楽しいことなんだって体感しました。

 

スマホから Zoom をやっていると一画面に4人しか映らないので顔色を伺いながらスライドさせて喋ってました。それが面白かったです。

 

黒澤:上演が中止になってしまってからいま話してる話って公演やってたときに話してた話なのかもしれません。それを聞けて面白かったです。公演が中止になったことによって、逆説的に今なお、続けていられるようになったのもいいなあと思いました。

 

山田:okichirashi インスタを始める前は漠然とチラシという媒体はなくなっていくと思っていました。オンラインの方がお金もかからないし無駄もない。それでも、そこに物質があって、渡されることで起きるストーリーや質感はあたたかくていいなと思いました。なくなるであろう文化なのかもしれないけど、なくしたくない。

 

一野:僕も純粋に嬉しかったです。デザインをしているだけでは見られない表情を見させてもらった。いま「置きチラシ」というフィジカルな記録について話すときに、前日に東京都知事の会見があって東京に行かない選択になった経緯があって。フィジカルなものについて話すときに、全然フィジカルじゃない状態で話すことの落差。Zoom で話した感覚まではテキストでは伝わらないだろうけど、こういう状況下で話しているということを残したいです。それと僕はやはり、逢いたいです。

 

中川:元々 okichirashi インスタのログを見せていただいたときに感動したのは、山内さんもおっしゃっていた、人が写っていたことです。等身大の感じがすごくした。演劇や表現をすることも、それを渡すことも、自分の体のままみなさんがやってこうとする感じがすごくいいなと思ったのがありました。この人たちが話す言葉は聞いてみたいとが思って参加しました。今こうして背景が部屋で画面を共有して話していることも、インスタでログを見た感覚と共通するところがあります。PC を間において、お一人お一人プライベートの延長、等身大で話している言葉、声が素直に出てる感じがして居心地のいい時間でした。

 

本橋:僕は最後にすごく感動した『シティキラーの環』の一番最後にでてくる一野さんが作ってくれたロゴを共有して閉めたいです。ロゴってデザインにこんなに物語を組み込めるんだなって感動しました。こんなに「シティキラー」が文字にぶつかってるとは思ってなくて(笑)。想像してたのとは違う不思議なものでした。

 

山内:Zoom でどうしたらいいの、と戸惑った初日の感じが忘れられません。今はZoom でお話しする身体感覚が面白かったと言えます。画面共有も面白い。もっともっと用意したらある意味何時間でも楽しめる。『シティキラー』に関しては終わっている感じがしなくて、まだ同じ夢の中、出来事の中に依然いるような気がします。今日はこれで仮にピリオドを打ちますが、全然続くな、という感覚です。作品ももっと育つような気がしてます。

 

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一野氏の手で作られた『シティキラーの環』のラストシーンに現れるロゴ
【3回目を終えて】

人のつくるものを信じられないときがあります。信じられないというより、それと関係が切り結べないとき。そういうムードのとき。今、もしかしたら世界が、まさにそうなのかもしれません。日々のニュースで報じられる世界のありさま。SNSやインターネットで目にする更新され続ける情報。

いま目の前で起きている未知で予想をはるかに超える被害や制限、プレッシャー、またそれらから醸成される警戒を強いられる非日常的なムードをまとった日常を送りながら、非日常が描かれたフィクションを、今のあなたは見たいでしょうか? 全く見たいと思えない、あるいは、そこに引きこもりたい。両極端な振れ幅にそれぞれの人が揺れているようにみえます。フィクションとの健全な関係を結びにくい。少なくとも私自身にはそういう実感がありました。

けれど教えてもらってから知った非公開で綴られたインスタのログを眺めていたら、この人たちの話す言葉には逢ってみたくなった。そこには、等身大の人の行為が映っていたから。背伸びもせず、武装もせず、過剰に恐れず。演劇公演のチラシを自分と誰かの間において、等身大に人に話しかける、俳優になろうとする人々の姿。

「話す言葉」を、その人が「つくるもの」と言えるとして。この人たちの言葉なら、聞いてみたい。この人たちが作るものなら、見てみたい。これを作る人たちになら会ってみたい。

今作の制作とはそんなに関係の濃くない私は、そういった動機で今回の対談に参加しました。

参加合計4時間強にあたる全通話はすべて均等に行われたわけではなく、背景に各人の私生活が垣間見える私的な空間と接続されているような異世界感を伴うものでした。どこか散漫で、私的で、個人的で、親密に同じ時間を共有しているのに、身体的には離れている“逢えない”私たち。様々なレイヤーの間に生まれるラグに少しずつ各々の体を慣らしながら、相手との距離を確かめながら進められるミーティングは翻って自分の身体性と、いまここにない他者の身体性を強く意識する時間になりました。こうして書いていても多層的な『シティキラー』のこだまの中にいるような。ここにいないフィクションのはずの人々が、確実にまだそこに、いるような。残響を体に残しながら、ひとまず閉じることにします(中川)。

 

(舞台写真撮影:かまたきえ)